ええと、これでようやく「今あるガンが消えていく食事」、「なぜ、人はがんになるのか」、「全人的苦痛(トータルペイン)とスピリチュアルペイン」、「スピリチュアルペインと代替医療」、「祈りと癒し」……といったように書いてきて、最終的にある程度話がまとまります(^^;)
ここはキリスト教について何か書くといったことが主旨のブログなので、実をいうとここまで色々書いてきて、一番書きたかったことが何かといえば、「イエスさまの癒し」ということだったりします。
いえ、何か特定の宗教を持ってない方や、あるいはアンチキリスト教な方(笑)がもし読まれる場合は、「まあ、大体のところ言ってることはわかる☆」くらいな感覚でお読みください的な、そんな感じかもしれませんww
まず、先に紹介した「今あるガンが消えていく食事」から抜粋させていただいた文章のところにもあるように……「食事療法で治す」とか「神さまに祈って癒していただく」とか聞くと、西洋医学に一切頼らずそれだけで治す、治そうとする――とイメージされる方がいらっしゃると思うんですけど、どこの教会でも大抵は「まずは病院へ行きなよ」って絶対に近いくらいそう言われると思います。
つまり、そこでついたお医者さんの診断を元にして、レントゲンやCT、その他の検査によってわかった病態について祈っていくっていうことですよね。もちろん、「喉がいがらっぽいのが癒されますように」とか「風邪が治りますように」とか「熱が下がりますように」とか「下痢が癒されますように」とか……割と、病院へ行くかどうか、市販薬で済ませるか程度の病気だったら、教会で祈ってもらったら癒されたみたいになるっていうのはよくあると思います(^^;)
もちろん、こうした割合軽度のものについては、「え?それってほんとに神さまによる癒し?っていうより、放っておいても治ったか、市販の頭痛薬が癒したとか、そういうことなんじゃないの?」みたいに思う方のほうが多いかもしれません。
でも、「癒し」を祈る前に神さまに感謝と賛美をするっていうのが、主の十字架クリスチャンセンターの勧めていることなんですよね(「感謝と賛美」の事柄については、当ブログのマーリン・キャロザース先生のことについて書かれた記事などをご参照くださいm(_ _)m)。
つまり、「神さま、頭の痛いことを感謝します」、「風邪になったことを感謝します」、「下痢が許されたことを、主よ、感謝します」……といったように、苦しみの中から感謝し、神さまのことを褒め称えます。
もちろん、わたしものっぴきならない腹痛があった、その苦痛のさなかには流石に頭も心も痛み一色となって、感謝できなかったことがあります。でも、トイレに例の茶色いものをザーッと流し(汚いな)、痛みが過ぎ去ってからは神さまにそのことを感謝しましたし、その他、腹痛が許されたことも感謝し、そのことで神さまを褒め称えました
まあ、マーリン・キャロザースさんのこうした「感謝と賛美の教え」を日々実践していると、なんていうか、あまりにもそれが「当たり前」になってしまい……「そんなことで神さまに感謝したりするのはおかしい」といったようには、もうまったく思わなくなってるんですよね。
なんにしても、このあたりのことについてはマーリン・キャロザースさんの教えに関して書いた記事に書いてありますので、今回は復習せずに癒しのことについて、お話を先に進めたいと思います。
これって、実をいうとがんなどの深刻な病気になっても、まったく同じこと、つまり信仰告白をします。「必ず神さまが癒してくださる」とか「術後の痛みや不快感がまったくないか、あるいは最低限のもので済みますように」とか、具体的に癒しを祈っていく前に、「神さま、がんになったことを感謝します」、「このことであなたを褒め称えます」といったように、信仰告白するんですね。
もちろん、がんとかパーキンソン病とか 筋萎縮性側索硬化症(ALS)など、わたしも自分がなったら神さまに感謝できる自信はありません
でも、聖書に「人は口で告白して救われる(ローマ人への手紙、第10章10節)」とあるように、まずは心、心情のほうがまったく伴ってなくても、そう口で祈って感謝していくわけです。「あなたはそこまでの深刻な病気になったことがないからそんなことが言えるのだ」と思われるかもしれません。でも、わたしも「なんでこんなひどいことが許されるのだろうか」ということが起きるたびに、そのことで神さまに感謝してきましたし、そうしたことをずっと日常的に行っていると――もう何が起きても驚かないというくらい、だんだんに肝っ玉が据わってくるというのでしょうか(^^;)
人生に苦難はつきものですし、「またおなじみのコレ(苦難)がやってきた」といったような具合で、その過程で神さまに信頼することで、感謝し賛美したことがのちにどれほど益に変えられたか……といった経験を積み重ねていくと、「最終的にこうなるのなら、もっともっと最初から神さまに感謝してたら良かった」、「むしろ、自分は主につぶやいたり文句を言ってばかりいて、なんと不信仰だったことか」といったようにさえ思うようになっていきます。
つまり、がんや脳腫瘍があるだなんて言われてショックを受けない方はいないわけですけれども、信仰の強い方だったりすると、お医者さんにそう言われた瞬間に立ち上がり、「神さまー、このことを感謝しますー!!」なんて言えたりできるんですよね(^^;)
なんにしても、自分やご家族の方などに祈ってもらうのと同時に、教会の方々にも祈っていただくというのが癒しの基本と思うのですけれども、
>>いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
(テサロニケ人への手紙第一、第5章16~18節)
>>神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙、第8章28節)
と、聖書の御言葉にあるとおり、神さまはわたしたちの人生のあらゆる事柄(ここには良いことだけでなく、悪いことも含まれます)を益に変えてくださいますから、その御言葉に立って徹底的に感謝するのと同時に癒しを祈っていきます。
また、わたし以前ネットで新井宏二先生(馬橋キリスト教会)の癒しのセミナーを見ていたのですが、そこで特に印象に残ったのが、癒しについてその病気について詳しくないよりは詳しいほうが、より強い癒しの力が現れるのではないかということと、そのセミナーで紹介されていたアンドルー・ワイル博士の「なぜ人は治るのか」の本の内容のことについてでした。
「スピリチュアルペインと代替医療」のところでこの本のことは紹介したのですが、もし神さまからの癒しということを、ある特定の「神」が癒したという概念によってではなく、あくまで科学的な見地に立って理解しようとするならば、それは「自己治癒力の解放」ということなのかもしれません。
でももちろん、わたしはイエスさまのことを信じていますから、わたしが癒しを祈る時には主イエス・キリストの御名によってですし、西洋医学の手術などで癒された場合も、「お医者さんが治してくださった」と思うのと同時、「主がお医者さんを通して癒しをなしてくださった」といったように当然考えます。
そして、神さまへの信仰に立脚して癒しを祈っていくのと同時に……「祈りと癒し」のところでも見たように病いといったものをホリスティック(全的)に捉えて、あらゆる治療法を模索するということも大切かもしれません。
整体師の方は当たり外れがある……とよくお聞きするのですが、でも、西洋医学の病院でまったく治らなかった腰痛が、とてもいい整体師の方に巡り会ったことで痛みから解放された――とかってありますよね(ただし、ひどい場合は前よりも痛みがひどくなったといったケースもあるかもしれません)
そこで、こうした事柄すべてにおいて、「食事法」って本当に基本中の基本という気がするんですよ(^^;)
まあ、このことについては「今あるガンが消えていく食事~進行ガンでも66.3%の奇跡~」(済陽高穂先生著/マキノ出版)の本をご参照ください……といったところなのですが、仮に今ガンなどの深刻な病いにかかっていなくても、この本に書かれている食事療法のことは、知識として持っているだけでも物凄く参考になりますし、ガンだけでなく、脳腫瘍やその他のどの病気(特に高血圧や糖尿病といった病気)にも大体この食事法って効果があると思います(たぶん、うつ病といった精神的な病いにも同じように言えるのではないでしょうか)。
でも、こうしたあらゆることを病いの癒しのために行っているのに、結局のところ患者さんはがんで亡くなってしまった……ということは絶対にあります。何故といって、<死>というものは誰にとっても避けられないものですし、「なぜ癒されないのか」については、「癒されることが神さまの御心」の場合と、「病気であること、またその病いを通して神さまの栄光が現されることが御心」ということがあるからだと思うんですよね。
人に許される何かの障害といったことも、「神さまの栄光の現れ」ということがあると思います。もちろん、御本人も御家族の方もそのことに気づいておられないこともあると思いますが、「障害があるがゆえにびっくりするくらい心が清い」ように感じる方って本当にいらっしゃいますよね。それと同じように、何かの病いのうちにあっても、「本当にこの人、病気なのかしら?」というくらい、顔が清く輝いて見える方って本当にいます。
そして、御自身に障害のあることや何かの病気の中にあっても神さまに信頼し、そのことを喜びながら光り輝くように生きている方って本当にいらっしゃいますよね。
ではでは、肝心の「神さまの癒し」、「イエスさまの癒しの力」について中途半端だった気もするんですけど(汗)、「今あるガンが消えていく食事」、「なぜ、人はがんになるのか」、「全人的苦痛(トータルペイン)・スピリチュアルペイン」、「スピリチュアルペインと代替医療」、「祈りと癒し」……といったように書いてきて、このあたりで大体、癒しについては一旦終わらせて、次回以降はまた再び聖書の御言葉から学んでいくことにしたいと思っています♪
それではまた~!!
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