神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

神さまの御心はどこに?

2020年04月23日 | キリスト教

 新型コロナウイルスが世界を席捲しています

 ペストが猛威を振るった時、その時代の人々は「悪魔の仕業」といったように考えたかもしれませんが、今の時代の方で「悪魔が……」とか、「これは神罰である」といったように考える方はまずおられないと思います。

 かつてニーチェが「神は死んだ」と言ったくらいから、人々の間で半分神は死にゆき、悪魔もまた迷信的な力を失っていった――ような気がします。それも近代科学といったものの発達とともに。

 個人的に神さま云々といったことを抜いて考えてみた場合、今現在、世界中のあちこちの都市や町や村などが燃え上がり、すべての人がバケツリレーのバケツを手にして鎮火に当たっているような状態ではないかと思います。もっとも、燃え盛る城などの建物に届く前に、バケツの中の水は三分の一程度に減っており、「こんなことをして何になるだろう」という虚しさを感じながらも、他にどうしようもない……何かそんな精神状態にも近いのではないでしょうか。

 でも、わたしたちには希望があります。というのも、ワクチンがいずれ開発され、そうすれば何台もの消防車やヘリコプターなどから、大量の水がかけられ――いずれすべての火事が鎮火してゆくだろうという希望。けれど、それが「いつ」なのかが不透明で見通せないことから、多くの方が「今後どうなっていくのだろう」という不安を感じておられるのではないでしょうか。

 誰もが、「明日……いや、今日今すぐにでも魔法のような奇跡が起きて新型コロナウイルスが収束してくれれば」ということを心の底から願っていると思います。「不要不急の外出を避けることの効果」は、ゴールデン明けくらいには現れる――的にきのうニュースで聞きましたが、この言葉を信じられる方って、今の日本にどのくらいいらっしゃるものでしょうか(^^;)

 新型コロナウイルスが中国の武漢で発生し、その後急速に海外に広まりだした初期の頃……わたしたちはとても楽観的でした。SARSとは違ったにしても、大体被害のほうも同じくらい、流行する期間も同程度くらいで収まるのではないか――なんの根拠もなく、ただ漠然とそんなふうに想像していたような気がします。

 さて、ここはキリスト教について何か書くといったブログですので、「クリスチャンはその信仰に基づいて、こういったように思考する」……とでもいったように、ノンクリスチャンの方には思っていただければと思いますm(_ _)m

 神さまは、人が究極的に無力になった時に助けてくださる方だ、といった例が聖書にはいくつも出てくると思うのですが、旧約聖書の出エジプト記に「エリコ陥落」という有名な記事があります。

 エリコは難攻不落の城砦都市でした。ところが神さまは、そこを七日間七周(※六日間は一周ずつ、そして最後の七日目には七周)まわれといったように命じ、その通りにしたところ七日目に本当に城砦はイスラエル軍が何もせずして崩れ落ちました。神さまがお命じになったように、角笛を吹き鳴らした時に。

 おそらく、ヨシュアに率いられたイスラエル軍は、神さまに命じられたこととはいえ、実際に「その時」が来るまでは不安だったと思います。「ただ七日間城壁の周りをまわれば、城壁は崩れ落ち、勝利を得ることが出来る」……でももしこの時、六周目とか、6.5周目とかでヨシュアたちが諦めていたとしたら、神さまの奇蹟が現されることはなかったでしょう。

 人間的に考えた場合、「こんなことをして一体何になるのだろうか」、「そんなことで本当に神さまの奇蹟が現されるのだろうか」と不安になったり疑ったりするのが普通です。今回の新型コロナウイルスの場合、まず、科学的・医療的に考えるのが第一で、神さまがどうこう……といったように考えられる方は人類全体規模として考えた場合、そうたくさんはおられないかもしれません。

 とにかく、まずはワクチンの開発ありきで、そのあとはグラフのピークがようやく下に下がりに下がっていずれなくなる――という、そうした見通しです。おそらくわたしたちは今、エリコの城壁をまわりはじめたようなところで、でも実際にエリコを七周まわりきる前に、ワクチンが出来るだろう……といったような見通しでいるような気がします。

 聖書のサムエル記には、神さまに選ばれたイスラエルの王であるダビデが高慢になった時、民に疫病を下すという刑罰が与えられています。わたしも、新型コロナウイルスが神罰か何かであるといったようには思いませんが、ダビデが悔い改めた時、この神罰はやみました。

 わたしたちはたぶん、今のこの事態が過ぎ去りさえすれば、前とまったく同じ生活が戻ってくると信じています。でも、今は個人的に「本当にそれでいいのだろうか?」と考えはじめるようになりました。「前とまったく同じ生活に戻る」前に、人類全体の問題として「こうしたところはもっとこんなふうに変えなくてはならない」といったように、何か、事態が今のようにならなければ、決して以前より「良くなろう」とは決して考えなかった領域のことについて手を入れていかない限り――ただ、「前とまったく同じ生活に戻る」以上のことについて考えていかなければならないのではないか……と、個人的に考えはじめるようになりました(^^;)

「それが一体何か」というのは、その方によって違うかもしれませんが、キリスト教的な考え方でいくと、もし「罪あるものはそのウイルスに感染すると絶対に死ぬ」というウイルスがあった場合(あ、この場合はあくまで、一種の思考実験的なものとして考えてくださいね^^;)、この世界中の人類は全員死ぬということになると思います。

 けれども、本当ならこの己の罪ゆえに死ななければならないところを、イエスさまが十字架にかかり贖罪の血をお流しになってくださったことで、そのような形で人間に神さまの愛が示されたことで、わたしたちには死後天国に行けるという希望が開かれました。

 わかりやすく言ったとすれば、イエスさまはわたしたちの罪に対する万能ワクチンのような方といっていいと思います。病気だけでなく、その他の人生上のありとあらゆる困難に対しても救いの手を差し伸べてくださる方だからです。

 正直、わたし自身心臓と肺のほうが弱いので、たぶん新型コロナウイルスに感染したとすれば、無症状ということはなく、おそらく重症化するタイプではないかと思っています。もちろん日常生活でも、手洗いや消毒についてなど、色々気をつけてはいる「つもり」ではあるのですが、こればっかりは「運悪く」と言いますか、いまやもう「運の良さ・悪さ」関係なくとにかく感染する時には感染する……といったウイルスだと思うんですよね、新型コロナウイルスって。

 キリスト教界という群れ全体、ザ・エターナル・ライト・アガペー教会という群れの全体が守られますようにと祈るの同時に、当然人類の全体、すべての国の人が守られるよう、事態の収束が一日でも一秒でも速く進むことを祈りたいと思います。

 また、医療従事者の方のストレスと疲労は極限に達しているというよりも、その極限すらもとっくに超えていると思いますので、コロナウイルスから医療従事者の方が守られることと、肉体的な疲労の軽減、精神的なストレスの軽減といったことについても祈っていきたいと思っています。


 神さま、すべての方の髪の先から足の爪先までを豊かに完璧にすべてお癒しください。

 また、その中で特に弱いところ、現在痛んでいたり弱っていたりするところをお癒しください。

 特に今現在、新型コロナウイルスで病いの床に臥せっている方の熱を下げ、咳が出る、痰が絡むといった症状を軽減、またその症状をまったくなくしてください。また、その体内からコロナウイルスがすべてまったくなくなり、二度とかかることがないように助けてください。よろしくお願いします。

 お医者さんや看護師さんなど、すべての医療従事者の方を新型コロナウイルスからお守りください。患者さんの治療や看護をするためには、濃厚接触する以外にありませんから、その過程で感染することのないようにお守りください。また、医療崩壊が起きないように、この点についても神さまがお支えくださいますように。陽性の感染者の方が神さまの奇跡的な御業によって減り、今後陽性の感染者の方が一切増えていかないように、よろしくお願いします。

 こうしたすべての癒しについて、神さま、イエスさまが速やかに、迅速に必ず行ってくださることを信じ告白します。アーメン。


 祈りのサンプル(?)という言い方はおかしいのですが(汗)、もし身近に感染されている方がいらっしゃいましたら、その方の名前などを具体的に上げて祈ることも出来ますし、今現在感染していなくても、自分や家族の全員を新型コロナウイルスから守ってくださるよう祈ることも出来ると思います。

 どうか、神さまがわたしたちの祈りをお聞き入れくださって、前以上に素晴らしく美しい世界に、わたしたちをお戻しくださいますように……

 それではまた~!!





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