神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

十二弟子の任命。~【9】~

2015年03月09日 | キリスト教
【聖小ヤコブ】ピーテル・パウル・ルーベンス


 さて、残りの弟子もいよいよ、シモン、小ヤコブ、タダイ、ユダの四人となりました。。。

 イスカリオテのユダは全世界の裏切り者チャンピオン(?)としてあまりに有名ですが、ここに名前を挙げたシモンと小ヤコブとタダイというのは、十二弟子の中でもかなり影が薄いような印象ですよね(^^;)

 というのも、十二弟子の名前を全員、順に挙げていけと言われた場合――まず真っ先に思い浮かぶのが、ペテロやヨハネという気がします。それから福音書の著者であるマタイ、不信のトマスとして有名なトマス、イエスさまを裏切ったユダ……え~と、これで五人か。あとは十二弟子って誰がいたっけ?ペテロとヨハネには兄弟がいて、彼らも一緒に弟子入りしてるんだよな。それがアンデレとヤコブで、あと、熱心党員のシモンっていう奴もいたはず……これで八人か。残りの四人って名前なんだったっけ……みたいになるのは、わたしだけでしょうか?(←不信仰者めが!笑)

 ではでは、「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」の中でも、三人まとめて扱われている(笑)若干存在感の薄い気のするシモンと小ヤコブとタダイについて、同書より文章を抜粋させていただきたいと思いますm(_ _)m

 今回はまず、小ヤコブ氏から。。。


 >>ここでまとめて取り上げる三人は、彼等の名前以外、福音書ではほとんどふれられていない地味な使徒たちである。

 まずは小ヤコブ。先輩の使徒にスペインの守護聖人となったヤコブがいるので、「大ヤコブ」「小ヤコブ」と区別して呼ぶ。「小」とされたのは、彼が若かったか、身体が小さかったかしたためだろう。さらにまぎらわしいことに、イエスの従兄弟(兄弟とも)にもヤコブがいる。そのヤコブは禁欲的なユダヤ教徒で、イエスが生きている間は彼を信じるどころか狂人と思い、他の従兄弟たちとともにイエスを家に連れ戻そうとした。もちろん十二使徒ではない。しかし、イエスの復活によって回心して、原始キリスト教団の中心的指導者の一人にまでなった人物である。

 伝説では、エルサレムの初代司教となった小ヤコブは、最後は神殿の屋根から突き落とされた上に、こん棒で殴られ、脳ミソを飛び散らして殉教したという。そのため、彼の持物はこん棒なのだが、実はエルサレム教会の指導者だったのはイエスの従兄弟ヤコブの方であり、こん棒で撲殺されたのもやはりそちらのヤコブだったらしい。同名ゆえの混同ではあるが、それにしても小ヤコブはよっぽど目立たない男だったのだろう。

「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」新潮社より)


 いや~、小ヤコブってきっと、十二使徒中、一番人に覚えててもらえなさそうww

 残りのシモンとタダイは、シモン=熱心党員、タダイ=イスカリオテじゃないほうのユダ……という感じでわたしの頭の中にはあるのですが、小ヤコブってほんと、「十二使徒であるっていう以外、何した人なの??」みたいな(^^;)

 それはさておき、今回はわたしがクリスチャンになってから少しびっくりしたことについて

 マリアさまが処女懐胎されてイエスさまがお生まれになったっていうのは、世間一般的に有名なお話だと思うんですけど、イエスさまには実は弟や妹がいたみたいなんですよね。↑の文章では、>>イエスの従兄弟(兄弟とも)とされていますが、カトリックの見解としてはヤコブは従兄弟、プロテスタントの見解では兄弟なのです。

 マリアさまは処女懐胎ののちにイエスさまをお生みになったわけですが、その後夫ヨセフとの間に、(聖書を読む限り)少なくとも六人以上の子供がいたものと思われます。


 >>イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。

 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。

「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。

 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか」

 こうして彼らはイエスにつまずいた。

(マルコの福音書第6章1~3節)


 これ、結構びっくりしませんか?(^^;)

 だってわたし、クリスチャンになる前はキリスト教のことなんてあまり知りませんでしたけど、それでも家に幼な子イエスさまを抱いたマリアさまの像があって(確か、長崎かどこかへ旅行した方のお土産だったと思います)、そこから感じられる清らかさにすごく癒されるものを感じた記憶があります。

 いえ、べつにマリアさまがイエスさまをお生みになったあとに、お子さんを六人生んでいたからって、それでマリアさまが穢れてるとかっていうんじゃないんです。ただ、処女懐胎によってイエスさまを生んだあとも、マリアさまは貞潔を守られた……みたいなイメージがクリスチャンになる前はあって、「えっ、そうだったの!?Σ(゜д゜;) 」みたいなびっくり感が少しあったというか。

 でもよく考えたら本当にそうですよね。むしろもしそうじゃなかったらお父さんのヨセフ立つ瀬なし、みたいな

 そんなわけで(?)、キリスト教絵画の中ではほんと、イエスさまのお父さんのヨセフって地味っていうか目立たないっていうか、「べつにいなくてもいいよ、あんた☆」的な扱いを受けてる気がします(いつの時代も、お父さんは悲しひものなのですね^^;)

 そして、↑に出てくる小ヤコブ氏じゃないほうの、イエスさまの兄弟のヤコブなのですが、この方はエルサレムの初代教会の指導者と言われていて、お兄さんであるイエスさまが生きていらっしゃる間は、「兄さんが神の子?んなばかにゃ」という感じだったようです。けれど、イエスさまの死後に信じてエルサレムの初代教会の指導者となり、また新約聖書内の<ヤコブの手紙>の著者ともなった方なのでした。


 >>イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。

 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。

 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、

「彼は、ベルゼブルに取りつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。

(マルコの福音書、第3章20~22節)


 いや、この気持ちもめっちゃわかる気がしますよねww

 なんでかっていうと、自分の兄弟や姉妹の誰かが突然、「わたし、神の子!」なんて言い出したらあなた……「兄さんは頭がおかしくなった」、「気が狂った」、「悪霊に取り憑かれてる」ってなっても不思議はないと言いますか(^^;)

 でも聖書から知りうるかぎり、イエスさまの兄弟のうちのヤコブとユダは信仰の道に入り、またマリアさまも自分の息子が特別な存在であり、神の子であると認めていらっしゃったでしょうから、家族全員が最後には兄のイエスさまこそ救世主(メシア)であると信じるに至ったのではないでしょうか。

 わたし、このことを思うと、あらためて不思議なんですよね。もしイエスさまが本当に神の子でも救世主でもなんでもなかったとしたら、少なくとも家族は信じないと思うのです。でもそのお母さまであるマリアさまや兄弟が、兄が多くの神の業をなすのを見、ご自身で予告したとおり、十字架につけられて亡くなるのを見て……のちには信じるようになったっていうのは、マリアさまを身籠らせた聖霊の力と同じものが働いたのだろうという気がします。

 ほんと、小ヤコブを紹介するはずの記事なのに、お話が全然他のことになってしまってすみません(^^;)

 でも、小ヤコブに関することってほとんど聖書に記述がないもので、何を書いていいかわからなかったというか

 ただ、ひとつだけ言えることは、彼はイエスさまの選ばれた弟子だけのことはある男だったんじゃないかな~ということだったり。。。

 だって、そうですよね?地味で目立たなくて、後世に残るようなエピソードがほとんどなかったとしても、小ヤコブもまた伝道の道へと進み、日々祈り、聖徒としての務めをまっとうして、天国へ召されたのでしょうから……。

 わたし自身も地味で目立たなく、人に自慢できるようなエピソードも何もなく最後には天に召されることでしょうが、それこそがもしかしたら<小ヤコブの信仰>としてクリスチャンには大切なことなのかもしれません。

 それではまた~!!




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