【聖シモン】ホセ・デ・リべーラ
さて、今回は十二弟子の中の、残り三人のうちのタダイとシモンの御紹介となります♪(^^)
では早速(?)例によって、「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」より、文章を抜粋させていただきますm(_ _)m
>>同名異人といえば、ルカ福音書には「ユダ」という名の使徒が二人登場する。「ヤコブの子ユダ」と「イスカリオテのユダ」。裏切りで有名なユダは後者であり、前者はマタイとマルコの両福音書で「タダイ」と呼ばれる使徒と同一人物である。本書では遠藤周作『イエス・キリスト』にならい、“よい方”のユダを「タダイ」と呼ぶ。
しかし「ユダ」の名には、どうしても“裏切り者”のイメージが強く、ヨハネ福音書では、最後の晩餐の席上でイエスに「師よ、私たちには御自身の真の姿をお見せになろうとするのに、なぜ広く世の人たちにまで、そうなさらないのでしょう」と質問した弟子の名を、わざわざ「イスカリオテでない方のユダ」とことわっているほどだ。
この「ヤコブの子ユダ=タダイ」とコンビを組んでペルシアへ布教に行ったのがシモンである。彼は、イエスの弟子となる前にはテロリスト集団「熱心党(ゼロテ)」の一員だった。そもそも熱心党は、ガリラヤ人ユダ(またも同名異人!)が紀元六年に起こした反ローマの一揆に端を発するとされる。過激なユダヤ民族主義者の集まりで、イスラエルをローマ支配から解放するために武力闘争を展開していた。この熱心党の同志のなかには、洗礼者ヨハネの教団に加わりながら、反ローマ運動の指導者としての“救い主”の出現を待つ者も多く、シモンもその一人だったのである。
(「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」新潮社より)
新約聖書を読んでみると、十二弟子はそれぞれ目立ち度(?)のようなものが違うんですよね(^^;)
割と目立っていて、名前にも言及の多いのがペテロやヨハネあたりで、タダイやシモンあたりまでやってくると……「タダイ」=裏切りを働かなかったほうのユダ、シモン=「熱心党員らしい」っていうこと以外は、よくわからなかったり
ちなみにこの熱心党、わたしが持ってる聖書の注釈にはこう書いてあります。。。
>>熱心党=ローマを武力で打ち倒そうと主張した過激な党派。シモンは主に従う前には熱心党員であった。
そんでもって、「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」の人物紹介のところには、
>>【シモン】ノコギリで切りきざまれた元テロリスト。
>>【タダイ】槍で突かれてペルシアで殉教。
とあるのですが(でも実際は、ふたりの殺され方には諸説あるとも書いてあります)、このふたりのうち、特にわたしが気になったのがシモンのほうでしょうか。
熱心党員というくらいだから、本当に相当熱心に(笑)、自分たちユダヤ民族はローマに隷属していていいはずがないとか、そういう強い主張を持っていたものと思われます。今でいったら、イスラムの原理主義と同じようなものだったのかもしれませんよね、もしかしたら(^^;)
つまり、神さまの教えに忠実でありさえすれば、イスラエル民族は元のダビデ・ソロモン時代の栄華を取り戻せるはずだ!というくらいの。
でもそんな男がどうやってイエスさまに従うようになったのか、すごく興味があります(笑)
ただ、>>洗礼者ヨハネの教団に加わりながら、反ローマ運動の指導者としての“救い主”の出現を待つ者も多く、シモンもその一人だったのである。
ということは、思想的にはユダとシモンって実は結構近かったのかなっていう気がしてきたり(^^;)
ユダがイエスさまのことを裏切った理由としては、
【1】金銭欲。
【2】政治的メシアとしてのイエスに対する期待が裏切られたこと。
【3】地上的メシア王国への期待が失われたこと。
【4】背後にサタンの働きがあり、その扇動に乗せられた。
といったことが一般的に挙げられると思うんですけど、裏切り者ユダについては、次回に回すこととして。。。
ユダとシモンがおそらくは思想的にかなり近いものを持っていたらしいのに、何故ユダは結果として裏切りを働き、シモンはそうでなかったのか、ここって結構興味深いところですよね(わたしだけ?^^;)
ヨハネの福音書の中で、>>彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである……とはっきり言及があるのと同時に、ユダが銀貨三十枚でイエスさまを売った金額というのは、実際はそんな大した金額ではないそうです。
これもまた、わたしの持っている聖書の注釈によると、
>>銀貨三十枚=この銀貨はシェケル銀貨であると思われる。一シェケルは四デナリ。ごくわずかな金額であった。
とあります。
一デナリというのは、>>当時の労務者の標準的日給。とありますから、銀貨三十枚=120デナリということになるでしょうか。
ちなみに、聖書の巻末のほうを見ると、三十シェケル=100デナリとありますから、当時として大体そのくらいの貨幣価値……ということですよね。
ちなみに、ユダはべタニアのマリアがイエスの足に香油を注いで拭った時、「この香油なら三百デナリで売れて貧しい人に施しが出来たのに」と言って怒ってますから、約百日分の賃金にあたるこのお金も、ユダには大金だったのでしょうか(ちなみに三百デナリというのは約10か月分の生活費に相当する金額だそうです)。
う゛~ん。わたし、聖書の注釈のところに>>ごくわずかな金額であった。と書いてあったので、最初からそう思い込んでしまったんですけど、よく考えるとお金に対する考え方って、人によって違いがありますよね(^^;)
ユダの生い立ちなどについては聖書に何も書かれてないのでわからないのですけど、おそらくはあまり裕福な家の生まれではない……ということだけは推測できるのではないでしょうか。それに、わたし個人の感覚からいっても百日分の賃金っていうのは相当重いですでも、当時の人々にとっては、「こんだけ働いたのにそんだけ?」くらいな感じだったのかなとも思いますし。。。
なんにしても、十二弟子のうち、マタイは取税人で結構お金があったらしい(=イエスさまに大盤振るまいをした)というのがあるにしても、十二弟子はまあ基本的にみんな貧乏っぽそうというか、実際貧乏だったらしいですよね。
だから、イエスさまについていけば、彼が地上的メシア王国を築いてくださって、そこで大金持ちになれる……といったはき違えのようなものは、弟子の間で多少(or結構)あったのではないかと思われます。けれど、わたしが思うに――というか、わたしが想像するに、その点についてもその部分の欲望が浅いか深いかということがあると思うんです。
だから、シモンは思想的にユダに近いものを持っていたにしても、金銭的にそんなに欲深じゃなかったとか、イエスさまがローマの支配から解放してくださる政治的メシアならいいのに、と思いはしても、「本当に神を求めるっていうのはそんなことじゃないな」とイエスさまから教えを受ける中で気づいていった……といったような<違い>があったのではないでしょうか。
もちろん、聖書にはそんな細かい言及はないですから、こうしたことはあくまでわたし個人の推測を出ないことではあります(^^;)
ただ、この点もやっぱり、原理主義のイスラム教と少し似たものを感じてしまうんですよね。彼らもまた同じイスラムを信じていながらも、コーランの解釈の違いによってあれだけ分裂しているわけですから――たとえて言うならユダは「テロを起こしても天国へ行ける」と考える派であり、シモンのほうは「何言ってるだ、ちゃんと聖典を読み直すだよ」といった違いがあったのかな~なんて(たとえとしてなんとも微妙ですが☆)
では、次回は十二弟子といえばこの人!なイスカリオテのユダさんのご紹介となります~♪(^^)
それではまた~!!
さて、今回は十二弟子の中の、残り三人のうちのタダイとシモンの御紹介となります♪(^^)
では早速(?)例によって、「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」より、文章を抜粋させていただきますm(_ _)m
>>同名異人といえば、ルカ福音書には「ユダ」という名の使徒が二人登場する。「ヤコブの子ユダ」と「イスカリオテのユダ」。裏切りで有名なユダは後者であり、前者はマタイとマルコの両福音書で「タダイ」と呼ばれる使徒と同一人物である。本書では遠藤周作『イエス・キリスト』にならい、“よい方”のユダを「タダイ」と呼ぶ。
しかし「ユダ」の名には、どうしても“裏切り者”のイメージが強く、ヨハネ福音書では、最後の晩餐の席上でイエスに「師よ、私たちには御自身の真の姿をお見せになろうとするのに、なぜ広く世の人たちにまで、そうなさらないのでしょう」と質問した弟子の名を、わざわざ「イスカリオテでない方のユダ」とことわっているほどだ。
この「ヤコブの子ユダ=タダイ」とコンビを組んでペルシアへ布教に行ったのがシモンである。彼は、イエスの弟子となる前にはテロリスト集団「熱心党(ゼロテ)」の一員だった。そもそも熱心党は、ガリラヤ人ユダ(またも同名異人!)が紀元六年に起こした反ローマの一揆に端を発するとされる。過激なユダヤ民族主義者の集まりで、イスラエルをローマ支配から解放するために武力闘争を展開していた。この熱心党の同志のなかには、洗礼者ヨハネの教団に加わりながら、反ローマ運動の指導者としての“救い主”の出現を待つ者も多く、シモンもその一人だったのである。
(「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」新潮社より)
新約聖書を読んでみると、十二弟子はそれぞれ目立ち度(?)のようなものが違うんですよね(^^;)
割と目立っていて、名前にも言及の多いのがペテロやヨハネあたりで、タダイやシモンあたりまでやってくると……「タダイ」=裏切りを働かなかったほうのユダ、シモン=「熱心党員らしい」っていうこと以外は、よくわからなかったり
ちなみにこの熱心党、わたしが持ってる聖書の注釈にはこう書いてあります。。。
>>熱心党=ローマを武力で打ち倒そうと主張した過激な党派。シモンは主に従う前には熱心党員であった。
そんでもって、「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」の人物紹介のところには、
>>【シモン】ノコギリで切りきざまれた元テロリスト。
>>【タダイ】槍で突かれてペルシアで殉教。
とあるのですが(でも実際は、ふたりの殺され方には諸説あるとも書いてあります)、このふたりのうち、特にわたしが気になったのがシモンのほうでしょうか。
熱心党員というくらいだから、本当に相当熱心に(笑)、自分たちユダヤ民族はローマに隷属していていいはずがないとか、そういう強い主張を持っていたものと思われます。今でいったら、イスラムの原理主義と同じようなものだったのかもしれませんよね、もしかしたら(^^;)
つまり、神さまの教えに忠実でありさえすれば、イスラエル民族は元のダビデ・ソロモン時代の栄華を取り戻せるはずだ!というくらいの。
でもそんな男がどうやってイエスさまに従うようになったのか、すごく興味があります(笑)
ただ、>>洗礼者ヨハネの教団に加わりながら、反ローマ運動の指導者としての“救い主”の出現を待つ者も多く、シモンもその一人だったのである。
ということは、思想的にはユダとシモンって実は結構近かったのかなっていう気がしてきたり(^^;)
ユダがイエスさまのことを裏切った理由としては、
【1】金銭欲。
【2】政治的メシアとしてのイエスに対する期待が裏切られたこと。
【3】地上的メシア王国への期待が失われたこと。
【4】背後にサタンの働きがあり、その扇動に乗せられた。
といったことが一般的に挙げられると思うんですけど、裏切り者ユダについては、次回に回すこととして。。。
ユダとシモンがおそらくは思想的にかなり近いものを持っていたらしいのに、何故ユダは結果として裏切りを働き、シモンはそうでなかったのか、ここって結構興味深いところですよね(わたしだけ?^^;)
ヨハネの福音書の中で、>>彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである……とはっきり言及があるのと同時に、ユダが銀貨三十枚でイエスさまを売った金額というのは、実際はそんな大した金額ではないそうです。
これもまた、わたしの持っている聖書の注釈によると、
>>銀貨三十枚=この銀貨はシェケル銀貨であると思われる。一シェケルは四デナリ。ごくわずかな金額であった。
とあります。
一デナリというのは、>>当時の労務者の標準的日給。とありますから、銀貨三十枚=120デナリということになるでしょうか。
ちなみに、聖書の巻末のほうを見ると、三十シェケル=100デナリとありますから、当時として大体そのくらいの貨幣価値……ということですよね。
ちなみに、ユダはべタニアのマリアがイエスの足に香油を注いで拭った時、「この香油なら三百デナリで売れて貧しい人に施しが出来たのに」と言って怒ってますから、約百日分の賃金にあたるこのお金も、ユダには大金だったのでしょうか(ちなみに三百デナリというのは約10か月分の生活費に相当する金額だそうです)。
う゛~ん。わたし、聖書の注釈のところに>>ごくわずかな金額であった。と書いてあったので、最初からそう思い込んでしまったんですけど、よく考えるとお金に対する考え方って、人によって違いがありますよね(^^;)
ユダの生い立ちなどについては聖書に何も書かれてないのでわからないのですけど、おそらくはあまり裕福な家の生まれではない……ということだけは推測できるのではないでしょうか。それに、わたし個人の感覚からいっても百日分の賃金っていうのは相当重いですでも、当時の人々にとっては、「こんだけ働いたのにそんだけ?」くらいな感じだったのかなとも思いますし。。。
なんにしても、十二弟子のうち、マタイは取税人で結構お金があったらしい(=イエスさまに大盤振るまいをした)というのがあるにしても、十二弟子はまあ基本的にみんな貧乏っぽそうというか、実際貧乏だったらしいですよね。
だから、イエスさまについていけば、彼が地上的メシア王国を築いてくださって、そこで大金持ちになれる……といったはき違えのようなものは、弟子の間で多少(or結構)あったのではないかと思われます。けれど、わたしが思うに――というか、わたしが想像するに、その点についてもその部分の欲望が浅いか深いかということがあると思うんです。
だから、シモンは思想的にユダに近いものを持っていたにしても、金銭的にそんなに欲深じゃなかったとか、イエスさまがローマの支配から解放してくださる政治的メシアならいいのに、と思いはしても、「本当に神を求めるっていうのはそんなことじゃないな」とイエスさまから教えを受ける中で気づいていった……といったような<違い>があったのではないでしょうか。
もちろん、聖書にはそんな細かい言及はないですから、こうしたことはあくまでわたし個人の推測を出ないことではあります(^^;)
ただ、この点もやっぱり、原理主義のイスラム教と少し似たものを感じてしまうんですよね。彼らもまた同じイスラムを信じていながらも、コーランの解釈の違いによってあれだけ分裂しているわけですから――たとえて言うならユダは「テロを起こしても天国へ行ける」と考える派であり、シモンのほうは「何言ってるだ、ちゃんと聖典を読み直すだよ」といった違いがあったのかな~なんて(たとえとしてなんとも微妙ですが☆)
では、次回は十二弟子といえばこの人!なイスカリオテのユダさんのご紹介となります~♪(^^)
それではまた~!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます