神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

感謝と讃美と祈り、そして聞き従い。

2017年04月08日 | キリスト教
【天使の歌】ウィリアム・アドルフ・ブグロー

 



 >>以下、動画の中のマーリン・キャロザースさんのメッセージの抜粋となりますm(_ _)m

 マーリンさん:「神さまは、わたしがとてもとても不幸せな人間であることを見られました。

 わたしは、『神さまがわたしの益のために働いてくださる』(ローマ人への手紙、第8章28節)と聖書で読んだことがありましたが、理解していませんでした。

 また、わたしの問題のひとつは、わたしの知っているクリスチャンほとんどすべての人が不幸せだったということです。

 多くの男性が奥さんのことで不幸せに感じていました。

 多くの妻が旦那さんにより不幸せを感じていました。

 多くの両親が子供のことで不幸せに感じていました。

 多くの牧師が、教会員のことで不幸せになっていました。

 だから、もし神さまが『マーリン、わたしはあなたに横になって安息して欲しい』と言ったとしても、私は理解しなかったでしょう。

 そこで神さまは言いました、『私はあなたを助けましょう』。

 私は祈り会の中で、神さまにわたしのすべての問題について言いました。

 すると、神さまはわたしに触れてくださいました。

 そして、わたしは床に倒れてしまいました。

 その時、わたしは笑っていました。

 わたしは自分が何故笑っているのかわかりませんでした。

 わたしは笑って笑って笑いました。

 わたしはどのくらいそのような状態だったか覚えていませんが、たぶん30分くらいでした。

 その間、神さまはわたしにいつも神さまに賛美するということを教えてくれました。

 また、その時主要なこととして、神さまはわたしに尋ねられました。

『イエスさまがあなたのために十字架にかかって死なれたことを感謝していますか?』

 みなさん、想像してみてください。

 わたしはその時、床に倒れたまま笑いながら答えました。

「もちろんです、神さま。もちろんです、神さま。イエスさまがわたしのために死んでくださったことをわたしは感謝しています」

 神さまはわたしに、語り続けてくれました。

 直接耳に聞こえるという方法でなく、心に確信がくるという形でした。

 神さまは、数回同じことを聞かれました。

『マーリン、イエスさまがあなたのために死んでくださったことをほんとうに本当に感謝していますか』

 神さまはわたしの心を整え、語りかけをさらに聞くための備えを与えてくださいました。

 みなさんは、イエスさまがみなさんのために死んでくださったことで幸せですか?

 神さまがみなさんに、清い、新しい人生を与えてくださったことで幸せですか?

 わたしは本当に感謝しています。

 そして、神さまはわたしに問いかけられました。

『彼らがわたしの御子に対してあんなにひどいことをしたことが、どうしてそんなに幸せなのですか?

 彼らがイエスさまを平手打ちして、つばを吐きかけたことで、どうしてそんなに喜んでいるのですか?

 彼らがイエスさまを十字架につけ、死なれるまで十字架に架けていたことで、何故幸せなのですか?

 わたしに答えなさい、マーリン。どうしてあなたはそんなに喜んでいるのですか?』

「神さま、わたしを赦してください。わたしはどうしてこんなに嬉しいのかわかりません。ですが、わたしは嬉しいのです」

 そうしたら、神さまはわたしに教えはじめられました。

『そうです、マーリン。わたしはそのことをしてほしいのです。あなたに喜んでいてほしいのです。

 これからあなたは起こるすべての事柄をこのように喜んでください』

 思い出してください。わたしはまだ笑っていました。

 わたしは幼い子供のように言いました。

「わたしはそうします。これからの人生、何が起ころうともわたしは喜んでいます」

 そして、神さまはよく覚えていなさいと言われました。

 わたしが、イエスさまにひどいことが行われたことを喜んでいることを。

「はい。わたし、マーリン・キャロザースはこれからの人生何が起ころうともわたしは幸せでいます」

 しかしみなさん、おわかりでしょうか。わたしは自分の言っていることを理解していませんでした。

 わたしは思いました、これは簡単なことだろう。

 サタンは笑っていたと思います。

 彼はマーリン・キャロザースがどのようにつぶやくかを知っています。

 次の日の朝、わたしに何が起こったでしょうか?

 わたしは起きたとき、非常に疲れていると感じました。

 わたしは朝早く起きて仕事に行かなければなりませんでした。

 わたしはまだそのとき軍隊にいました。

 わたしの司令官はわたしがどう感じるか、まったく気にかけていませんでした。

 わたしはその仕事場に、時間どおりに行かなければ大変なことになります。

 わたしは体を伸ばしながら、まだ起きたくないと思いました。

 まだ朝の五時、もう一回眠りたい。

 そして、そのとき再び神さまがわたしに語りかけました。

『マーリン、あなたは何をしていますか?』

「わたしは起きたくないなと思っています」

『マーリン、あなたはどうして喜びに満たされていないのですか?どうして感謝していないのですか?』

「わたしは疲れているからです」

『あなたが昨晩言ったことを思いだしてみなさい。あなたはすべてのことについて感謝すると言ったではありませんか』

「神さま、わたしはこのようなことについて言ったとは思っていませんでした」

『あなたは覚えていないのですか。わたしはすべてのことと言いました』

 わたしは神さまと論争したいと思いました、「わたしにそれは出来ません」。

 しかし、おそらくもう、これで終わりだなと思いました。

 次の朝、わたしが起きたときに、神さまがわたしに幼い子供に語りかけるように語りかけてくださっているのを感じました。

『マーリン、あなたは足を動かすことができますか?』

 このように、わたしがほんの小さな子供であるかのように、神さまはわたしに対応してくれました。

 確かにわたしはほんの小さな子供でした。

 神さまがすべてのことをわたしのために益としてくださることを理解していませんでした。

 そこで神さまは言いました。

『今あなたは起き上がって、喜びに満たされることができます。しかし、そうでないならば、わたしはあなたがもう立ち上がれなくすることもできます』


 ――以上、2007年のマーリンさんの感謝と讃美のセミナーの抜粋となりますが、マーリンさんが聖霊さまを通して神さまに「すべてのことを感謝し讃美する」ことの教えを受けた経緯については、世界的大ベストセラー『獄中からの讃美』にもそのことが書かれています。

 このメッセージにはもちろんまだ続きがあるのですが、神さまが『わたしはあなたがもう立ち上がれなくすることもできます』というのは、何も意地悪で言っているわけではないんですよね(^^;)

 健康とは、失ってはじめて気づくもの……とはよく言いますが、朝起きるたびに「今日も健康であることを神さまに感謝します」という心持ちでいられる人というのは、全世界的にみてもどのくらいおられるものでしょうか。

 事実、わたしも今日は起きる時、十分眠ったはずなのに起きるのが面倒くさかったです(笑)でも、そのたびに思うんですよね、「あ、そうだ。この自分が面倒くさいと思ってることも、神さまに感謝しなくちゃ」みたいに

 そして、神さまのマーリンさんに対する「感謝と讃美」の取り扱いがこうしてはじまり――その後、マーリンさんが「感謝と讃美」の世界的器として立てられていくまでの過程というのは、著書『獄中からの讃美』、『讃美の力』などにさらに詳しく書かれています。


 >>神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

(ローマ人への手紙、第8章28節)

 >>いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

(テサロニケ人への手紙第一、第5章16~18節)


 前回、イエスさまの恵みを最大限に受けるためにはどうしたらいいか……次回はそのことについて、といったように書いたと思うのですけれども、そのためには祈ること、神さまに感謝し讃美すること、すべては益になると信じること、また神さまに聞き従うこと――といったことが挙げられるかと思います。

 わたしもそうですが、祈る時にもただ自分の願いごとを列挙するのではなく、聖霊さまが応えてくださるかもしれないと耳を澄ませつつ祈り、神さまに感謝し讃美するというのは、マーリンさんが続くメッセージの中でも語っておられるとおり、それはもう本当にオールウェイズ、いつでもということなのです♪(^^)

 朝起きてきて、同居人の誰かがムッタリしていようともそのことを感謝し、面倒な仕事が山積している時にも主を誉め称え、経済の必要がない時にも神さまを賛美し誉め讃える――おそらく、多くの人が「そんな気違いじみたことはできない」と思うかもしれません。

 そして、マーリンさんもおっしゃっておられるとおり、これは神さま、イエスさま、そして聖霊さまを通した助けがなければ、決して出来ないことです。けれど、マーリンさんの著書の中には、このことを最初は「馬鹿らしい」、「無駄なこと」と思いながらも実践したら人生が変わったという人が、数え切れないほどたくさんいるっていうことなんですよね。

 実際、わたし自身もそうでしたし、マーリンさんはすでに昇天されておられますけれども、「あなたの本を読んで自分の人生は変わった」、「わたしたちの人生は変わった」というそうしたお手紙(メール)をマーリンさんは毎日百通以上受け取っておられたそうです

 何故、自分の人生はツイてないのだろう、他の人に比べて不運なのだろう、あれがこうであってこれがそうであったら今わたしはこんなじゃなかったのに……などなど、人生には人それぞれ色々なことのあるのが普通だと思います。でも、人間的に考えられうるあらゆる努力はしたのに何故こうなったのかと、嘆いておられる方がいたとしたら、マーリンさんの「感謝と讃美」について深く学ばれることを本当に心からお勧めします。

 それではまた~!!





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