神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

悩みを話す。

2021年12月28日 | キリスト教

 たぶん、人間の起こす行動の中で、誰かに「悩みを話す」ということは、難しい行動トップ・ファイブくらいに入ることなのではないでしょうか。

 もちろん、普段から友達に恋愛の相談をいつもしている……といったことではなく、たとえばいじめであるとか、簡単にいえば本人のプライドの問題にも関わってくるタイプの悩みって、人に話すこと自体難しいと思うんですよね(^^;)

 また、人に話したところで問題に何か変化があるとは思えず、たとえば親に話すにしても、そのこと自体を「言葉にして話す」というだけで、物凄く勇気と力のいることです。というより、話そうとしてる途中で号泣状態になってしまって言葉が続かないくらいのことでしょう。

 でも、誰にも何も言わないでいるより――こうした問題については、まずは誰かに「悩みを話す」ということが、まず第一の突破口と思うんですよね。また、親に話そうが、他の誰に話そうが絶対解決自体しない……と思うと思うんですけど、まず話すと何故か「肩の荷が下りる」というところがあると思います。

 それに、親御さんであればすぐにそれと察して必ず助けてくれるというか、それだけで「わかる」ことがいっぱいあるわけですよね。「ああ、この子はそんな問題なんか何もないみたいな顔してたのに、実はそうだったのか」とわかるだけで……その後、色々なことが変わってくると思います。

 もちろん、そのいじめの種類や問題にもよると思うので、こののち親御さんが先生に連絡するというのが一番いいとも限らないでしょうし(何より、この手のことに関して頼りにならない先生ってたくさんいる気がするので^^;)、このあたりはケースバイケースであるにしても……とにかく誰かに「助けてほしい!」というSOS発信ができるかできないか、ここってすごく大きいと思うわけです

 で、これは人から聞いたお話なんですけど……中学二年生の男の子がクラスでいじめにあっていて、まずは部活のサッカーをやめることにしたそうです。なんでかっていうと、クラスで問題があるため、サッカーをやってても全然身が入らないし、毎日学校へ来たくないとか、そんなことで頭がいっぱいだからだったそうなんですよね。もっとも、親にはそんなふうには話さず、何かいかにもそれっぽいような適当な理由をつけて、「俺、サッカーやめるから」とだけ言ったそうです。

 それで、退部届けを出そうとした時に、ひとつ上の先輩から「なんでやめるんだ?」と聞かれたそうなんですよね。「最近元気がないことにも気づいてたよ」みたいに言われて、嬉しくてその瞬間に泣いてしまったそうです。それで、一度泣いてしまったら、続けて「実はあーでこーでそーで……」と、堰が切れたみたいに、いじめのことを大体話してしまったとか。

 そしたらその先輩は最後、「俺がなんとかしてやるから、サッカーやめるなよ」と言ったそうなのですが、彼自身はそのことをまったく期待しなかったと言います。何故といって、ひとつ上の学年の違う先輩だし、自分のクラスのことに関して何か出来るとは思えない……ただ、自分の話を共感的に聞いてくれて、そのことがすごく嬉しくて、サッカーはもう少し続けてみようと思ったそうです。

 この先輩、この翌日から、休み時間にしょっちゅう彼のクラスにやって来て――廊下あたりで話すようになっていったとか。あとは彼の担任の先生とこっそり話して、「どうもそういうことらしい」ということをとりあえず耳に入れておいてもらうことにしたってことなんですよね。

 何が解決の決め手だったのかはわからないにしても……先輩が休み時間に来続けて、廊下で話すうち、彼のクラスで自然といじめのようなことはなくなっていったそうです。本人は本人で、先輩が「そこまでのことをしてくれた」というそのことが嬉しくて、まずは部活へ行くのが前と同じように楽しくなり、その後、クラスでも普通に話すことのできる友達が出来たということだったと思います。

 自分の悩みを誰かに話したって何も変わらない、親に話したって心配をかけるだけで意味なんかない……そう思うのが普通と思います。でも、悩みって誰か人に話すと変わるところがあるっていうのは本当だと思うんですよね。まあわたし、病院でカウンセリングにかかっていて、結局自殺することに決めた……という人ですけど(笑)、それでもその間、精神科医の先生に色々話したことで、その後の人生がかなりのところ変わったというのは事実と思います(ちなみに、いじめといったことが原因ではなく、鬱病+ノイローゼといった症状があったわけです)。

 まず、心理学とかカウンセリングの本を色々読むようになりましたし、そしたら、自分と大体似たようなことで悩んでいるのみならず、症状が複数あって、自殺しないのが不思議なくらいの方のことが色々書いてあったりしたわけです。この時点でわたし、二十歳くらいだったのですが、まだクリスチャンというわけではありませんでした。でも、こうした本を読んでいると、宗教はもしかして心理学の親戚なのだろうか……みたいな感じで、仏教の内観療法のことですとか、キリスト教のことなども少しくらい出てきますし、そうしたことものちにとてもプラスになったのではないかと思っています。

 なんにしても、「親にですら話してもわかってもらえない」とか、「誰にも心配かけたくない」、「いじめにあってる可哀想な子と思われたくない」とか、色々あると思うんですけど……でも、悩みを誰かに話すって、本当に大切と思います。先に書いた子のように、「先輩に話したところでどうにもならない」と思ってたのに、実際にはそのことがきっかけで色んなことがすごく変わるっていうことが、きっと必ずあると思うので……。

 何より、「誰か自分をわかってくれる人がひとりでもいる」だけで、そのことがどれほど大きな支えになるか、それは本当に計り知れないほどのことだと思います。

 あ、もちろんわたしはクリスチャンですので、その最高位にいる方は神さまであり、イエスさまだということなんですけどね♪

 それではまた~!!






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« まとめ。 | トップ | 夢と神。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事