あ、今回は宇宙とか人類の進化がどうこう書いたことの、簡単な自分的まとめ(?)です(^^;)
その~、わたしの書き方だと誤解を招きそうだなあ……と思ったりしたのですが、宇宙っていうのはやったら広くて、SF小説などでは地球から50万光年離れた惑星で、さらには50万年前に遥かに進んだ超文明が滅んだとか、その星の生き残りの異星人が実は地球に隠れ住んでいるなど、「設定として当たり前すぎてつまらんね」という、何かそうしたことらしいのです(笑)
簡単にいうと、宇宙人肯定派の方というのは、この広い宇宙のどこかには地球と同じように極めて低い偶然が何度も起きて進化した文明人がいてまったくおかしくない……とりあえず、数値的な可能性としてはそうだ、と信じている人々ということなのではないでしょうか。
それはさておき、わたしが書きたいのは宇宙人がいるかいないかではなく(笑)、こうした宇宙のありようというのを調べはじめると、確かに最初は誰しも困惑すると思います。ただ、その部分を越えると――他の科学者の方が「だから神などいないのだ」というのは、実は否定するのが容易になると思いました(自分比☆)。
何故かというと究極……神さまというのは、今ある銀河とまったく同じものをコピーして同時に誕生させるであるとか、どうやら容易に出来るらしいというか、究極、話のほうがそこまで進んでくるからなんですよね(^^;)
つまり、わたしたちの住んでいる地球が誕生するまでに、人間的に考えた場合物凄~く気の遠くなるほど時間がかかっています。でも、実はそれすらも神さまには大したことでない……実は神さまには地球を誕生させることも滅ぼすことも、最初からなかったことにすることすら、やろうと思えば簡単なことである……という、宇宙や人類の進化についての本を読んだりすると、そのくらいにまでだんだん話が進んでゆきます。
わたしたちは、自分たちを取り囲む時間の流れを変えたり、今ある空間の広がりをそれ以上広くしたり狭くしたりも出来ません。あ、もちろん、家にある家具をすべて処分すれば、うちだってもっと広くなるとか、旦那を家から追い出せば、その分広い空間が生まれる……とか、そういった種類の話ではなく(笑)。
でも、この広い宇宙空間の無限さのことや、時の流れのことを思う時――実はそんなことすら神さまにはどうということもないんだな、というふうに思うようになりました。最近、タイムリープものの作品が流行ってると思うんですけど、ひとつの惑星に生命が誕生するまで、何度も繰り返しやり直す……ということも、究極神さまには可能である、これは漫画や小説の影響ではなく、宇宙レベルの視点に立つと、地球の空間の有限さ、限りある時間の流れ……といったことすら、神さまには自由自在に実はコントロールが可能である――というくらいのレベルの話ということです。
たとえば、旧約聖書のヨシュア記には、
>>主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。
「日よ。ギブオンの上で動くな。
月よ。アヤロンの谷で」
民がその敵に復讐するまで、
日は動かず、月はとどまった。
これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。
こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。
主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。
(ヨシュア記、第10章12~14節)
とあります。
ここはキリスト教信者としては字義通りの言葉として読みますけれども、古い昔の伝説的な意味合いとして読み、「その時、太陽も月も一時的に止まったように見えた」程度のことなんじゃないのかなあ……と思う方は多いかもしれません。
また、同じく旧約聖書の出エジプト記には、>>「シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた」(第19章18節)……とあったりするわけですけれども、こちらもわたしは神さまは人間にとって特に大切な時のみ、そのように姿を現してくださる方とは思いつつ、普段は大体において神さま御自身、よほどのことでもない限りは御自身の定められた秩序を破られることはないのでしょう。それでも、何か「特別な場合」においては、神さまって、本当になんでもお出来になるのは間違いないわけです(言うまでもなく、紅海が割れるという尋常ならざる奇跡やヨルダン川が塞き止められるといった奇跡、その他ギデオンの究極劣勢状態からの奇跡的勝利などなど、挙げられる例はたくさんあると思います)。
††永遠=時間的秩序を超越していることを指すことばで、時間に関する神の無限性を意味する。神は永遠に存在される神であり、神の王国は永遠の王国である。神は永遠の計画によって、永遠の契約を結び、永遠の福音を示された。
これは、わたしの持ってる聖書の注釈に書いてあることなんですけど、神さまが時と空間のすべてを支配しているとして、それは実は人間の有限な知識で考えるとこんな感じのことらしく……無限の空間っていうのは、本当に上に進んでも下に進んでもさっぱり進んでる感じがせず、右に進んでも左に進んでもどこへも辿りつかないという(というかもう、方向感覚自体がさっぱりわからない・笑)。そして永遠の時というのは、そんな場所にいて歳もとらず、右へ行っても左へ行っても上へ行っても下に向かっても、あるいは斜めに進んでも――永遠にほとんど意味がないというか。
さて、この時初めの人間であるわたし(あるいはあなた)は神さまにこう願うかもしれません。「こんな世界に生きていたくありません。なんとかしてください」と。神さまはわたしの願いを聞き届けてくださり、無限の空間に大地を与えてくださいました。「だが、そのかわりあなたは、これからは重力に縛られることになるよ」と。「そんなこと全然構いません」と、わたしは喜んで言いました。「むしろ、このくらいのほうがしっくりしていい感じです」
次に神さまは、わたしを喜ばせるために、植物や花や実を実らせる樹木や……また、そうした大地の生き物が育つために、空に様々な現象をも生じさせましたわたしは神さまの創造の御業を狂ったように喜びました。すると神さまは今度は、犬や猫やうさぎや、仲良くできる動物も与えてくださったのですが――最後、わたしはとうとうこう言ってしまうわけです。「あの~、神さま~、非常に申し訳ないんですけどお、わたしと似たような仲間を造ってくださいませんか?」、「いいとも。だがそのかわり、あなたは有限なる存在として限りある寿命を生きて死ぬことになる。それでも構わないかね?」、「いいですとも!というか、あんなのっぺりした空間で生きてんだか死んでんだかわかんないよりは、むしろ限りある時間を精一杯生きて死ぬことこそ、実は人間の幸福と思います」、「そうか、わかったよ。だがそのかわりわたしも、あなたがた人間が死んだあとに住むべき場所として、天国という場所を新しく造っておこう」――こうして、神さまはその願いも叶えてくださり、その後人間は増え広がり、今の状態にまで進化した……これはあくまでもたとえ話ですが、「空間の無限と時間の永遠」というのは、実はそのくらいつまらない(?)ことらしいのです。
だから神さまはまず宇宙を形作り、気の狂いそうなほど長い時間をかけて地球という惑星に人間という存在を生み出したのだろう……とか言うつもりはないのですが(神さまの創造の目的というのは、人間には理解できないくらい、そもそも深遠なものです)、こうした方向性からたま~に何か物を考えてみるというのも、そんなに悪くない頭の運動と思います(笑)。
あ、結論として何を言いたいかというと、「地球の進化の歴史と神」の最後のほうで書いた、>>「天使のラッパとともにこの宇宙自体が巻物のようにするすると巻かれて終わってしまい、まったく新しい新天新地(天国)がはじまる」というのは、宇宙の存在のありようがここまて不可思議だと、「そんなことがあっても、全然不思議じゃないんだなあ」と、科学が究極的に進化して追いつくと、そうなることがむしろ見えてくる……という、そうしたことだったりします(^^;)
それではまた~!!
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