神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

誰ひとりとして、取り残さない。

2022年07月09日 | キリスト教

 少し前に、こうした夢を見ました。

 ウクライナにある工場っぽいところから、人が走って出てくるのですが、「あと他に、残ってる人が誰もいないかどうか、確かめてくれ」とか言われて、何故かわたしがその工場のすべての場所を点検し、本当に誰も残ってないかどうか確かめなきゃならないという。。。

 夢ですけど、でも実際のところ、「ええ!?あたしィ!?」って話じゃないですか(^^;)

 それで、やっぱりこれ夢なので、人の気配っていうのがどこからもしないっていうのは確かに間違いないわけですよ。でも、わたしがひとりであちこち点検してる間に爆弾や何かが飛んでくる可能性っていうのがあるわけで……「気が進まないっ。でもやんなきゃなんないんだ。いや、そもそも誰も残ってる人なんかいないでしょ。それなのになんでわたしがそんな危険犯さなきゃなんないんだか」とか思ってるところで目が覚めました。

 もちろんこれ、あくまで夢なんですけど……目が覚めたあと思ったのは、工場から走って逃げていった人っていうのは、「すでにもう亡くなってる人だ」ということでした。普段、わたしのまわりに外国の人というか、そうした方ってまずもっていませんので、金髪の女性であるとか、明らかにはっきり外国の男性とわかる方ばかり夢に出てくるって、なんか不思議な感じでした。

 可能性として高いのはたぶん、普段見てる海外ドラマの主役級の人ではなく、その背後をエキストラで歩いている方などが、無意識の中から再生されるような形で夢に出てきた……ということかもしれないのですが、ひとり、とても印象的な女性がいて、金髪の長い髪にオレンジ色の囚人服っぽいのを着てる方だったんですよね。顔の表情のほうがちょっと、もう絶望を通りこして気が狂ってるか、気が狂う直前――みたいな、そうした印象だったのです。。。

 それで、このことはわたし、基本的に本当にただの夢とは思っています。でも、そのあとちょっとこう思ったわけです。誰ひとり取り残さない。と聞くと、現在は多くの方がきっと、国連の例のSDGsのことを思い出すと思います。

 それで、確かゼレンスキー大統領が「誰ひとり見捨てない」みたいに言ってるのをニュースかネットの記事で見たような記憶があって……わたしも記憶曖昧で非常に申し訳ないのですが(汗)、東部の激戦地区に関して、確かに「誰ひとり見捨てない」という姿勢でこれからも戦い続けた場合、間違いなく戦争は終わらないというのが現実と思うんですよね。

 もちろんゼレンスキー大統領の主張してることは間違いなく絶対正しいと思う。でも、戦争では常に正しい側が勝つとは限らず、今回の場合は特に「プーチンが悪い」ということで、他のほとんどの国々も一致しているにも関わらず――実質的に救われない人々が日々増えていってるのが現状なわけですよね。では、一体どうすればロシア(プーチン)が悪いにも関わらず、ロシアの面子を保ちつつ、何も悪くないウクライナの人々がこれ以上犠牲を出さないで済むのか……わたしにもわかりませんが、誰ひとりとして取り残さない。というのが間違いなく正しいということだけは、わたしだけでなく、すべての人にわかることなわけです。

 何故それが正しいとわかるかと言えば、自分がその最後のひとりになったとしたら、絶対嫌だからです(これはいじめの問題でも同じですよね)。思考実験的なことでいえば、99万人の命が助かるためであれば、1人の人間がもっとも惨たらしい形で死ぬのもやむをえない……というのに似ています。しかも、その人がそうしたことのために死んだということも、残り99万の人々はまったく知らず、その1人の人の死は闇に葬られて終わったとしたら?

 もちろんここは、キリスト教に関することについて書くブログですから、イエス・キリストこそその人である――という結論が最初から決まっているのですが、イエスさまの十字架上の惨い死は、その後数え切れないほど多くの人々に伝えられ、その中のたくさんの人々が彼こそ命の君である、また、この方のことを信じる者には永遠の命が与えられると信じて現在に至っています。


 >>永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

 あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。

 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。

(ヨハネの福音書、第17章3~5節)


 >>彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。

 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。

(ヨハネの福音書、第17章15~16節)


 もし、御父が御自身の子であるイエスさまのことを惜しみ、地上へ遣わしてくださらなかったとしたら……まあ、これはありえないことではありますが、イエスさまがもし「ええっ!?親父、オレそんなのやだよ。地上でいいことしまくったのに、最終的に十字架に釘付けにされて死ぬなんてさあ。しかもオリャアあんたの息子なんだぞ?つか、可愛い息子のオレにそんなことさせようだなんてとんでもねえ親父だ。ワリィがあんたとはこれきりエンキリだぜ。バイ!」という感じであったとしたら――キリスト教というものがこの世界に誕生することはなかったでしょう。

 イエスさまがこの地上へやって来てくださったのは……ご自身だけでなく、この地上のすべての人々が、同じように天上において御父のみそばでその栄光によって輝くためでした。そしてこのことは、「自分だけ御父のそばで輝いてりゃいいや。他の地上のクズみたいな人間どものことなんか、知ったこっちゃないもんねー」ということとは真逆の、神さま、イエスさまの限りない愛によることでした。

 わたし自身は夢の中で「なんでわたしが最後のひとりになって、爆弾が今にも飛んでくるかもしれないのに、そんな危険なことしなきゃなんないんだか。ブツブツ☆」といった程度の、安い信仰心しか持っていませんでしたが、もちろんイエスさまは違います(当たり前^^;)。

「わたしはあなたがたを捨てて、孤児にはしません」(ヨハネの福音書、第14章18節)と言われた方は、最後のひとりに至るまで、時間がギリギリになるその最後の瞬間まで……必ず待っていてくださる方です。


 >>やみと死の陰に座す者、
 悩みと鉄のかせとに縛られている者、
 彼らは、神のことばに逆らい、
 いと高き方のさとしを侮ったのである。

 それゆえ主は苦役をもって彼らの心を低くされた。
 彼らはよろけたが、だれも助けなかった。
 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、
 主は彼らを苦悩から救われた。

 主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、
 彼らのかせを打ち砕かれた。
 彼らは、主の恵みと、
 人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

 まことに主は青銅のとびらを打ち砕き、
 鉄のかんぬきを粉々に砕かれた。

(詩篇、107編10~16節)


 このイエスさまにより頼むと、わたしのような弱い人間にですら力が与えられ、「なんでわたしがそんなことを……ブツブツ☆」というのではなく、のちには「ああ、良かった。イエスさまの言うとおりにしておいて」といったように、右の道と左の道、どちらを選ぶかというその究極の瞬間にも、聖霊さまの助けによってどうにか御心の道を選ぶ者へと変えていただけるのです。

「ゼレンスキー疲れ?いやいや、疲れてるのはゼレンスキー大統領なのでは……」と思いつつ、誰ひとり取り残さないというその信念がウクライナの国で光り輝くことが出来るよう、今後ともお祈りしたいと思います

 それではまた~!!






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