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わたしがこのブログをはじめた理由のひとつが、実をいうとマーリン・キャロザースさんの感謝と賛美の教えについて書くということでした♪(^^)
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たぶん、わたしが思うに……表紙を見てこの二冊の本を手に持ってみようっていう方はいらっしゃらないかもしれません
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それに、キリスト教書店には置いてあることがあるにしても、一般の本屋さんに置いてあるっていうことはまずないと思うんですよね(^^;)
ただ、アマゾンさんにはもちろんあります。そして本の中の要旨としては、「状況が最悪と思われる時にこそ、神さまに感謝し賛美することでそれらの問題が変えられていった」ということだと思います。
わたしがマーリンさんの本に出会う前、実は村岡花子さん訳の「少女パレアナ」のほうをずっと前に読んでいました。
村岡花子さんといえば、朝の連続ドラマでその生涯がドラマ化されたことでも有名な方だと思うのですが、実はわたし、高校生の頃からずっと<赤毛のアン>の大ファンなのです
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そこで、アン・ブックスを全巻読破したのち、今度はエミリーブックスなど、村岡花子さんが訳されているモンゴメリ原作のものはすべて読みました。また他にも村岡花子さんが訳されている児童書は何冊も読んだ記憶があって、「少女パレアナ」はそのうちの一冊だったんですよね。
この本は「愛少女ポリアンナ」としてアニメ化もされたようなので、パレアナというよりもポリアンナと言われたほうがわかる方のほうが多いかもしれません。
物語は、幼くして母を亡くし、牧師のお父さんも亡くして孤児になった11歳のパレアナが、お母さんの妹であるパレー叔母さんにもらわれてくるところからはじまるのですが、以下はわたしの持っている角川文庫さんの本にあるあらすじとなりますm(_ _)m
>>孤児となったパレアナは気難しい叔母さんに引き取られたが、どんな事からでも喜ぶことを捜し出す「何でも喜ぶ」ゲームで、その頑な心を溶かしてゆく。
やがてその遊びは町全体に広がり人々の心を明るくした。
全篇にあふれている強い希望と温い心は1913年にこの本が出されてから今もなお、多くの読者に読み継がれている。
この「なんでも喜ぶ」ゲームとは、どんなことなのでしょうか。
自分的にここがお話の<核>ではないかなと思うところを、以下に抜粋してみたいと思いますm(_ _)m
>>「あなたはなんでも喜べるらしいですね」
あの殺風景な屋根裏の部屋をも喜ぼうとしたパレアナの努力を思いだすと、ナンシーは少し胸が詰まってくるような気がしました。
パレアナは低く笑いました。
「それがゲームなのよ」
「え?ゲームですって?」
「ええ、『なんでも喜ぶ』ゲームなの」
「いったい、なにを言ってらっしゃるんです、それは?」
「遊びのことを言ってるのよ。お父さんが教えてくだすったの。すばらしいゲームよ。あたし、小さい時からずうっと、この遊びをやってるのよ。婦人会の方たちにもお話ししたらね、やりだした人もあるのよ」
「どうやるんですの?もっともわたしは遊ぶことはへたなんですがね」
パレアナはためいきまじりの笑いをもらしました。おそってくる夕闇の中にその顔はやせて思い悩んでいるように見えました。
「それはね、慰問箱から出た松葉杖が始まりなのよ」
「杖がですか?」
「ええ、そうなのよ。あたしがね、人形を欲しがったもんで、お父さんが教会本部へ頼んでくだすったんですけどね、お人形がこないで松葉杖がきちゃったの。係の女の人の手紙にはね、人形がないから杖を送る、だれか杖のいる子もあるだろうからって書いてあったのよ。そのときから遊びが始まったの」
「でも、それはちっとも遊びにゃなりませんでしょうが、さっぱりわかりませんね」
ナンシーはじれ気味でした。
「わかるじゃないの。ゲームはね、なんでも喜ぶことなのよ。喜ぶことをなんの中からでもさがすのよ。――なんであってもなの」
と、パレアナはますます熱心になって、
「それだからそのときすぐ――杖から始めたの」
「だから、おかしいんですよ。人形が欲しいのに松葉杖がきたからって、なにがうれしいんです。うれしいわけがないじゃありませんか」
パレアナは手をたたいて、
「それなのよ――それなのよ。あたしにもわからなかったけど、お父さんが教えてくだすったのよ」
「じゃ、わたしにも教えてください」
「だからさ、杖を使わなくてもすむからうれしいの。ね、わかったでしょう――わかればとてもやさしいゲームなのよ」
「へええ、妙なことですねえ」
ナンシーはパレアナをしげしげと見つめて言いました。
「妙じゃないわ――すばらしいわ」
パレアナは熱情をこめて言いました。
「それからずうっとやってるのよ。喜ぶことをさがしだすのがむずかしければむずかしいほどおもしろいわ。でもね、ときどき、あんまりむずかしくてどうにもならないこともあるのよ。――お父さんが天国へいってしまって、婦人会の方たちよりほかにたよりにする人がないときなんかね、とてもむずかしいわ」
(『少女パレアナ』エレナ・ポーター著、村岡花子さん訳/角川文庫より)
このナンシーというのは、パレーおばさんのところで雇われているメイドなのですが、パレアナがベルデングスヴィルという町に着いて最初の<喜びのえじき>になったのが彼女だったと言えるでしょう(笑)
今日、『少女パレアナ』の物語は当時の評判とは違い、「あまりに感傷的すぎる」として、欧米ではこうした考え方はむしろ不人気である……といった時代の雰囲気がもしかしたらあるかもしれません。
けれども、実はこれはマーリン・キャロザース氏が述べている「すべてを感謝し、喜ぶことで神さまからもたらされる勝利・あるいは心の平安」といったことと、原理としては一緒なんですよね。
そして『少女パレアナ』が出版されてベストセラーとなったように、マーリン・キャロザースさんの本も、今から約四十年ほども昔、アメリカでベストセラーとなりました。さらにその後も読み継がれ、マーリンさんはお亡くなりになる前までも、「あなたの本を読んだことでわたしの人生は変わりました」といった手紙を受け取り続けたそうです。
パレアナのいう<喜びのゲーム>、わたしはこの本を読んだ時には、「素敵な考え方だと思うし、物語として素晴らしい」といったようには思ったにしても、「自分でそのことを実践してみよう」とまでは思いませんでした。
けれど、パレアナを読んだ数年後にマーリンさんの本と出会い、「すべてを感謝し、喜ぶこと」をどう実践したらいいのか、次第に目が開かれていったのです。
そんなわけで、まずは『少女パレアナ』のお話からはじめて、次に現実の実践編として、マーリンさんの著作について取り上げてみたいと思っていますm(_ _)m
それではまた~!!
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