神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

保険の勧誘その他の電話。

2024年02月12日 | キリスト教

 保険の勧誘、というのでなくても、何かのサプリメントをお試ししませんか……その他、そういった種類の電話をたま~に受けることがあります

 それで、電話がかかって来て相手の用向きがわかった途端、(あ、べつにそれいらないや)となっても、わたし、大体ある程度相手の話を聞くことが多いです。

 なんでかっていうと、以前そういった電話係のアルバイトをしたことがあるので、相手の気持ちがある程度わかる、ということがあります。テレアポ系の場合、基本的に断られても断られても次々電話をかけなきゃいけないわけですが、頭ごなしに「いえ、そういうのいりませんから!」、「つか、うちの電話番号なんでわかったん?」、「もう二度と電話かけてくんな!!」とか、わたし自身はあんまり当たったことないとはいえ(「あ~いらないよ!!」くらいの軽い拒絶のテンションで電話切られるとかは当然あります)、やっぱりそういうのが続くと心が折れると思うわけです。

 それで、こちらの説明も聞いてもらえないと、ほんの5分の間に十件も電話をかける……的なことがあるわけで、「とりあえず説明だけ聞く」というだけでも、相手のテレフォン・アポインター(って今も言うのかなあ?笑)の方の時間がちょっとくらいは潰れるだろう――というのがあって、最初から「最終的に断る」ということがありつつ、一応話だけ聞くわけです。

 でもまあ、わたしの話し方のほうがどうも、性格的に気弱っぽいっていうのでしょうか(笑)。そのせいで、「この人、もう少し押せばこのサプリメント買ってくれるのでは?」という期待を持たせてしまうことがあり、こうした場合、向こうからしつこくねばられるということがあります。でも、わたしの中で答えは決まってるので、やっぱり断る(「だが断るッ!!」と、露伴先生風に電話切れたらいいんでしょうね・笑)。

 すると、電話切ったあと、極たま~にこっちでもなんとなく気分の悪いことがあったり。「善意で最後まで話聞いたつもりだったのに、むしろ向こうにも悪かったかな?」と思ったりするというか……まあ、「どうせ断るなら、最初から「いらねえんだよ!!」と言われたほうがよほど親切だ」というのか、「だったら気をもたせるような間合いでうんうん頷くんじゃねえよ」っていうんですかね(^^;)。

 で、先日こんなよーなやりとりがあったあと、ふとこう思ったというか。なんというか、人間ってみんな、そんなよーなところがありますよね。たとえば、何かお歳暮みたいに見える箱があって、外箱はとっても綺麗。そこで、中に何が入っているかな……と期待する。ところが、それが石鹸詰め合わせセットとか、洗剤詰め合わせセットだったりすると、中身がそこそこ重いだけに余計がっかりする――みたいな

 また、これでいくとわたし、自分って「箱の外装は良かったのに、中身にがっかりさせられる」という電話応対の相手だったと思うわけです。でも、神さまはそうした物の見方はしないなあ……とふと思ったというか(^^;)

 わたし自身そうですが、外装自体、上の箱が半ば腐ったようになっていて「中身もどうせ大したもんじゃねえだろ」と他の人が思ったとしても……神さまにはその中身が見る前からわかっている。また、世の中には外装も中身も綺麗に揃ったお茶や海苔などが並んで入ってるみたいな、綺麗な方がいらっしゃると思います。でも、実はそれ、二重底になってて、上の部分取ったら下にはヘビやカエルやサソリが入っていたなど……また逆に、上のほうは「こんなもんいらねえよ」みたいな賞味期限切れの乾物類が並んでるのに、その下のほうには輝くばかりの宝石がぎっしり並んでいたとか――神さまはそうしたすべてをきっとご存じなのだと思います。

 日常生活のほんの些細な出来事ですが、人間の心の二重底のさらに底の底の底の底……までをご存じのイエスさまに、もっと心の富を増やしていただき、他の人と分かち合うことが大切なのだろうなと思わされる出来事でした(ちょっと大袈裟?^^;)。

 それではまた~!!






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