ウィリアム・ジェームズさんという哲学者の方の名言に、「自分の行動が変化を生むと信じて行動しなさい。それが変化を生みます」というものがあるそうです。
自分的に、最初聞いた時には「へえ~。いい言葉」くらいな感じだったのですが、その後「ウィリアム・ジェームズ」でググってみると、他に「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」や「苦しいから逃げるのではない。逃げるから苦しくなるのだ」などが名言として出てきて、「あ、なんか聞いたことある~!!」みたいになりました。
もしかしたらこれは結構マーリン・キャロザース先生の「感謝と賛美の実践」にも通じることかもしれないな~と思わなくもなかったり。もちろん、イエスさまが何かしてくださった時も感謝したり祈ったり賛美したりしてるわけですけど、「いいことも悪いことも身の回りで起きたことすべて」に関して徹底して感謝したり祈ったり賛美すると――「すべてのことが益となる」という、ローマ人への手紙、第8章28節の聖書の御言葉が実現するという。
>>神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙、第8章28節)
「自分の行動が変化を生むと信じて行動しなさい。それが変化を生みます」……福音宣教に関してこう強く念じることはとても大切なことのような気がします(^^;)
ここ書いてるの、たまたま偶然成人の日だったりするんですけど、大人になればなるほど人間の行動ってルーティン化してしまうものだと思うんですよね。ゆえに、「人間は習慣の動物」と言われるように、朝起きてまず行うとしたら、それはほぼ毎日行ってることをまず無意識のうちにも行おうとするものだと思います。
自分的に「いつでも誰に対しても」、「福音宣教を語れる準備、そのスイッチがすぐにも入るよう訓練しておく」ことが大切なんだろうなあ……と理屈でわかってはいても、やっぱりなかなか難しいなあと思ううちに、自分的には随分時間を無駄に過ごしてしまったような気がします
そしてやがては信じなくなるんですよね。「自分が何を語っても」、「普通人は並みのことではイエスさまのことを信じないだろうしなあ」なんて……そんなわたしが唯一、自分から変化しようと思ったことが割と最近ありました。
イエスさまの福音宣教に関することではなく、健康面について必要性に迫られて(?)、食生活を見直さなくてはならなくなったというか。いえ、わたしもともとはくよくよ悩んでいても夜はぐっすり眠れるほうでしたし、ストレスなどで食が細くなっても、何かはちゃんと食べられる……というのか、完全に食欲がなくなるとか、そうしたことが本当にありうると思ってなかった気がします(^^;)
でも、病気によって呼吸困難でよく眠れず目が覚めるとか、食欲も落ちてそんなに何か食べたいと思わない……などなど、ほんの時々そうなることがあって、そうした時には元は大好きなはずのケーキなどを見ても「なんかケーキって気分でもないなあ」みたいになってしまうという
まあ、「食欲がないことを感謝します」とか、「よく眠れなかったことで主を賛美します」とか祈ったりするのですが(マーリン・キャロザース先生の「感謝と賛美」の法則によって)、ひとつだけ本当にイエスさまに感謝し賛美できることがあります。
どういうことかというと、それがまだ究極的に耐えられないというくらいのかなり手前の症状であることや、他の病気の方の症状がある程度想像できる……ということだったりするんですよね。
わたし、とりあえず今のところコロナになったりインフルエンザになったりもしてないものの、それまでずっと健康元気でいてコロナになり、呼吸困難を経験された方の苦しさ・つらさといったものがわかる気がするというか。結局、がんの末期の方など、人が死ぬ時というのは「心臓が止まる」、「呼吸が止まる」ということなわけですが、若い頃は「それがどんなことか」、「苦しくてつらいんだろうな」くらいのことはぼんやり想像できるものの、それ以上のことは想像力が働かないわけです。
でも、そのことが少しずつ実感を伴ってわかるようになった今は――それが病気でなかったとしても、人が死ぬということは「心臓が止まる」、「呼吸が止まる」ことなわけですから、それがどれほどのことか、言葉に尽くせぬほどの深い想いをすべての人に持つことが出来るようになったような気さえします。
そうした意味で、ローマ人への手紙第8章28節にあるとおり、確かに「すべては益」なのですが、イエスさまの素晴らしいところは本当に――わたしの頭が思い浮かびもしないような、さらなる大きな栄光の道を用意してくださることだと信じています
>>「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことがないもの、
そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために、
神の備えてくださったものは、みなそうである」
(コリント人への手紙第一、第2章9節)
それではまた~!!
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