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今回は第5章「雀が地に落ちる時」から学んでいきたいと思いますm(_ _)m
>>「2羽の雀は1アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の1羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です」
(マタイの福音書、第10章29~31節)
私たちの天の父はすべての雀の一羽一羽を残りなく見守り、私たちの頭の毛の数をも数えておられると、イエスは弟子たちに言われたのです。それでもなお、雀が地に落ちるという事実は変わりません。不幸が私たちにも起こります。無邪気な小さい子供が、酔っぱらい運転の車にはねられて死にます。愛する者がガンにおそわれ、熱心な祈りにもかかわらず死んでいきます。
神には、そうしようと思えば、雀の落ちるのを未然に防ぐことができたのでしょうか。悲劇を、子供の死を、ガンの広がりを未然に防ぐことができたのでしょうか。
神は、それを防ごうと思えば、そうできる力を持っておられると私たちの多くは信じています。では、なぜ神は善に対して悪が勝利していると思えるようなことを許しておられるのか。この問題に私たちは直面するのです。
これについて私たちは、神が無感覚、無関心、不公平な方であるという結論を出すことがあります。あるいは、そのような災難の犠牲者が苦しむのは、本人の罪かだれかの罪のためであると考えます。この二つの結論は両方とも、聖書の「よき知らせ」すなわち福音とは全く相反するものなのです。聖書は、神は愛であり、神の恵みを受けることのできる資格は、私たちが善良な人間となることではないと教えています。
(『讃美の力。ー神の力を体験する道ー』(マーリン・キャロザース先生著、浜崎英一さん訳/生ける水の川出版より))
以前、こんなことがありました。
一羽のカラスが可愛いスズメを嘴にくわえ、グッと力をこめると、そのくわえられた小さなスズメのほうではもがきながらも逃げられず、徐々に弱っていき……だんだん動かなくなっていきました。しかも、そのまわりをもう一羽のスズメが――友達なのか、それとも伴侶なのかはわかりません――ピィピィ悲痛に鳴き叫んでいるのです。
カラスとスズメのほうは電柱の上のほうにいるし、わたしがそれを目撃したのは自転車に乗って信号待ちしている時のことでした。しかもまわりはコンクリートの道路でしたし、こういう時に限ってカラスにぶつけられそうな石ころひとつ落ちてません。
結局この時わたし、信号が変わるのと同時に道路を渡って、その先の家の庭先にあった石ころを拾って戻ってきました。でももうその時には、カラスの姿も2羽のスズメの姿も、どこにもなかったのでした……
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わたし、カラスについては――こういう場面にも遭遇したことがあります。北海道の田舎道のことですが、道路の真ん中あたりにカラスの死骸が落ちていて、もう一羽のカラスがその黒い羽をむしっている……といったような場面です。どちらの場合も、人の脳裏に不吉なものを想起させますが、この前後にわたし自身の身に何かすごく嫌なことや変なことが降りかかった――といった事実はありません(^^;)
ただ、最初のスズメの死の場面については、「どうにかして助けられなかったか
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そうなのです。ですから、神さまはスズメの命のことなんてほんとは大して気にかけておられないし、それと同じように人間のことも、ただ残酷な運命のようなものに手渡して、海のまにまに溺れるさまを見ても大してどうとも思いはしない――というのが、人生の真理ではないかと、そう思われる方は多いのではないでしょうか。
たとえば、船が沈没して漂流後、奇跡的にその何十日後に救出された……なんていう話がある一方、ある漁船が難破して、乗っていた漁師さんが死亡した……といったニュースを、わたしたちは時に聞くことがあります。この場合、前者の方がより善良だったから助かったとか、後者の漁師さんが罪深い人間だったから亡くなったとか、そうしたことではまったくないわけですよね。
ですから、「神などいない
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いえ、あるとは思います(笑)。でも、ここでもやはり矛盾はしています。ハゲ寸前だった方の髪の毛をフサフサにするより、神さまは小さな罪のない子供たちの病気を癒すべきですし、彼らが交通事故に遭うことからも守るべきだと、わたしたちはそう考えるからです。
話は変わりますが、この間、わたしが出かけようと思ったら、階段を下りて地面を数歩歩いたところで――ゾウリ虫をもっと大きくして丸々太らせたような虫が這っていました。「暑いからなあ。昆虫たちも巨大化してんのかしら……
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ゾウリ虫の寿命がどのくらいなのかはわかりませんが、人間以外の動物や昆虫の世界を見てみると、手塚治虫先生がそうおっしゃっていたようにそこはまさしく「地獄の縮図」です。昆虫たちの弱肉強食的世界だけでなく、野生の動物たちだって生きていくのに必死なのですから。何故人間だけがそんな<地獄>から逃れられると考えるのか、そんな考え方は傲慢ではないのか……そうした見方も出来るということです。
人間は、ゾウリ虫よりもスズメよりもカラスよりも賢いはずですよね。また、命の価値も彼らより重いはずだとわたしたちは考えます。でも、彼らはほとんど永遠の存在であるかのようです。人間は、誰かある人が死ぬと、まったく同じ人というのは生まれてきません。でも、これから核戦争でも起きるか天変地異でも起きて、地球の生態系が相当変わるかしない限りは――大体わたしは十年後にも二十年後にも、どこかでゾウリ虫を見かけて「うえっ!
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そして、これはわたしが死んだあとも、別の人間が大体似たようなことを感じ続けていくということでもあります。わたしという個体は、死んでしまったらもうそれきりかもしれません。でも何故か神さまは……というか、この場合はキリスト教の神によれば、ということになると思いますが、わたしたち人間に「永遠に対する思い」や「永遠に憧れる気持ち」を与えるようにされ、さらにはそれを願い求めるなら与えられると教えられました。
究極、この地球や太陽でさえも永遠ではありません。なんでも太陽は約50億年後に滅ぶそうですし、その時地球は赤色巨星になった太陽に飲み込まれ、蒸発してしまうそうです。「もうその時には地球に人間だっていないだろう
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>>私たちは言います。
「私が神だとしたら、あんな風にはしないだろう。私ならペルーに地震を起こしたり、あの小さな女の子を白血病で死亡させたり、あの牧師が講壇から間違ったことを大声で語って、だまされやすい聴衆を迷わせたりすることを決して許さないだろう。……また、ヘロインの売人が子供たちを誘惑するのを私なら決して許さないだろう」
神は、私たちがこのように感じることも、また私たちの理解がいかに狭いかも知っておられるのです。
(『讃美の力。ー神の力を体験する道ー』マーリン・キャロザース先生著、浜崎英一さん訳/生ける水の川出版より)
大体、以前にも書いた「悪の問題」、「神がいるならこの世界に何故悪が存在するか」ということにも通じることですが、マーリンさんはこうした問題に関して、「人が神の御手に委ねることを学ばない限り変わらない」といったように教えています。
たとえば、「神はあなたを愛している」と言われても、大抵の方は「神に愛されているという実感がない」と答えるのではないでしょうか。また、「もし神が愛しているのなら、何故神はわたしが今朝、箪笥の角に小指をぶつけるのを許したのでしょうか。また、過去にひどい下痢になったことがありますが、わたしがそんな事態にならないよう、何故神はわたしを守ってくださらなかったのでしょう」――大体、これと似たことを思う方は多いのです。
こうした問題に関して、神さまに対する不平不満・つぶやきを捨て、すべてのことを感謝し賛美しはじめた時に……わたしたちの知性上における際限のない「何故」という考えを捨て、とにかく理屈として納得できないながらもそのことを実行した時に、人生の袋小路から抜けだし、誤った人生上のレールが神にあって正しいレールに繋がる経験をされた方が、それこそたくさんいらっしゃるということなんですよね(^^;)
>>神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙、第8章28節)
>>いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがな望んでおられることです。
(テサロニケ人への手紙第一、第5章16~18節)
では、次回はこの続き、第6章「不平よ、さらば」からさらに学んでいきたいと思います。
それではまた~!!
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