
没我の精神……キリスト者はそのような精神ですべての人と接するのが理想である、とかいう、今回はそんな記事ではまったくありません(^^;)
前に、ニュースの報道か何かで、カミュの『ペスト』や小松左京先生の『復活の日』などがとても読まれている、売れている――といった紹介をしているのをちらと見たことがありました

で、個人的にふと思い出したのが、『赤毛のアン』シリーズの短編集、『アンをめぐる人々』の中に収められた『没我の精神』というお話だったというか


この短編集、本の厚さとしてはそんなに厚いということもなく普通なのですが、全部で15編の小説が収められていて、没我の精神は12番目のお話であり――そういう意味でそんなに長い物語ではないというか、ほんと短編といった形とは思います。
ただこのお話、物語の中に天然痘にかかった主人公の弟さんが出てくるのです。天然痘はすでに、我が人類の間で撲滅が宣言されている感染症ですが、モンゴメリの生きていた時代には、まだ発生することがあったものと思われます。
>>天然痘(てんねんとう、smallpox)は、天然痘ウイルス(Variola virus)を病原体とする感染症の一つである。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。医学界では一般に痘瘡の語が用いられた。疱瘡の語は平安時代、痘瘡の語は室町時代、天然痘の語は1830年の大村藩の医師の文書が初出である。ヒトに対して非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率が平均で約20%から50%と非常に高い。仮に治癒しても瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残す。天然痘は人類史上初めてにして、唯一根絶に成功した人類に有害な感染症である(2020年現在)。
(ウィキペディアさまよりm(_ _)m)
それで、肝心の「没我の精神」の内容なのですが、正直わたし、この短編をはじめて読んだ高校生くらいの頃、「なんて暗ぇ話だ

主人公はユー二スという女の子というか女性なのですが、お話のほうはもう少ししたら死ぬであろう彼女の母親の病室からはじまります。病室、などといっても病院内のことではなく、ユー二スの母親のナオミ・ホランドが病いに臥せっている屋敷の寝室、という意味です。
この時、ユー二スは14歳、彼女と父親違いの弟のクリストファーは10歳でした。ふたりの父親はすでになく、母親のナオミはもう暫くすれば亡くなるであろうといった身の上で……ナオミは自分が死んだあと、自分が心の底から可愛いと感じているクリストファーの身を案じています。
「え?クリストファーのことだけ?娘のユー二スちゃんのことは?

そこでナオミは死の前に、娘のユー二スとふたりきりになると、「クリストファーが今後引き取られることになる叔母の家で、いじめられたり嫌な思いをすることがないよう、おまえが守っておやり」的なことを、かなり強制的な言い方で命じます。
というのも、この叔母というのがそもそも、このクリストファーのことを好いてないといった事情があり、そんなせいもあって、自分の死後、可愛いクリストファーの扱いがどうなるものか、ナオミはとても心配だったんですよね。。。
そうした自分の遺言をユー二スに託したあと、ナオミは息を引き取るわけですが、こののちユー二スとクリストファーは叔母の家のほうへ引き取られるということになり、クリストファーが屋敷や農場などの財産を相続する17歳まで、このおじさん・おばさんの家で成長する、ということになります。ところがこちらの家にも当然従姉妹にあたる子供たちがおり、クリストファーとはあんまり折り合いがよくなかったらしく……ユー二スに至っては、一生懸命働いて弟のことを守ったという、そのような思春期の過ごし方だったようです。
その後、クリストファーは17歳になり、ナオミが遺言として残した農場や屋敷などを相続するという年齢に達したわけですが、ナオミが生活を切り詰めて残した遺産というのもそんなに大したものではなかったでしょうに、放蕩しはじめるようになり、とにかくユーニスが弟に代わって奴隷のように働き、自分たちの農場の暮らしといったものを守っていたようです。
というのもこのクリストファー、最初のほうにユー二スについてはあまり容貌が良くないと言いますか、「左右で肩の高さが違う、目鼻立ちは不揃いで、一方の目の上を斜めに赤い痣が走っていた」と書かれているのに対し、クリストファーはいわゆる美男子で、容貌がいいと周りの人に評価されていた……といった描写があるんですよね。で、幼い頃に母親が亡くなり、窮屈な思いをして成長したのち、少しばかり財産的なものが手元に入ってきて、容貌のほうもハンサムだった――となったらまあ、気持ちとして「そうなるのもわからんでもない

そしてユー二ス28歳の時、引き取られた先のカロラインおばさんが、ある縁談を持ってきます。その男は「四人の子持ちの不器量な中年のやもめ」だったわけですが、何分ユー二ス自身があまり容貌のほうも良くないということで、「こんな相手とでも一緒になるよりしゃーないやんか☆

ところがクリストファーが「姉さんなしでやってかれるもんか」と頑として主張し、ものすごーく反対したもので、おそらくもともと大して気も進まなかったのでしょう。ユー二スはおばが持ってきたこの縁談を最終的に断ることにします。でもカロラインおばさんはこう言うのを忘れませんでした。「今度、もしクリストファーが結婚する段になったとしたら、あんたはきっと邪魔者にされちまうよ。その時に後悔しても知らないからね」と……。
ユー二スのほうも内心、そのことを心配していたようですが、「屋敷のほうは広いから、女が二人いてもやってけるでしょう」と、一応口では楽観的な言葉をおばさんに返したようです。
ところがですね……クリストファーは容貌の美しいヴィクトリア・パイという女性と結婚することに決め、「わたしたちのような若い夫婦はふたりで生活をはじめるべきだ」とヴィクトリアが言ってるということをクリストファーはユー二スに伝え、これまで奴隷のように弟に仕えた献身的な姉のことを屋敷から追い出しちまうわけです。
「なんてひでえ話だ

>>ユー二スがくるのを見たクリストファーはもどるようにと手を振った。
「近寄っちゃいけない、姉さん。カロライン叔母さんが言いませんでしたか?おれは天然痘なんだ」
ユー二スは足を止めず、大胆に庭へはいってき、入口の段々をのぼった。クリストファーは彼女を前にして後ずさりし、戸を押えた。
「姉さん、あんたは気が違ったんだ!帰ってください、手遅れにならないうちに」
ユー二スは断乎として戸を押しあけて中へはいっていった。
「熱があるようだね。気分はどうなの?いつ病気になったの?」
「昨日の午後なんだ。寒気がしたり、熱くてたまらなくなったり、背中が痛んだりするんだよ。姉さん、ほんとうに天然痘だと思う?おれは死ぬんだろうか?」
クリストファーはユー二スの手をつかみ、子供のように取りすがらんばかりに見上げた。ユー二スは愛情といとおしさが暖かく波のように飢えた心にみなぎるのを感じた。
「心配することはないよ。適当な手当さえうければなおった人が大勢いるのだし、あんたもそうよ。わたしがうまいぐあいにしてあげますからね。チャールズ叔父さんは先生を呼びに行ってなさるから、先生が見えればよくわかるよ。すぐ休まなくちゃいけない」
ユー二スは帽子と肩掛けをとり、壁にかけた。ユー二スは一度も家をはなれなかったかのような気楽さを覚えた。自分の王国にもどってきたのであり、そのことで彼女に異議を申立てる者はだれもいなかった。二時間後にスペンサー医師と、若いころに天然痘にかかったことのあるジャイルズ・ブリュエット老人がきてみると、ユー二スが落着きはらってとりしきっていた。家は整頓され、消毒剤の匂いがぷんぷん漂っていた。ヴィクトリアの豪華な家具や備品は客間からとり片づけられてしまっていた。階下に寝室がないので、クリストファーが病気だとすれば、そこをあてがわねばならなかった。
医師はただならぬ面持ちだった。
「気にくわないね。だが、まだ、そうとばかりも決められない。もし、天然痘ならおそらく明朝までには発疹が出ることだろう。兆候をあらかたそなえていることはわしも認めねばならん。病院へ入れなさるかね?」
「いいえ」と、ユー二スはきっぱり言った。「わたしが自分で看護します。こわくはありませんし、わたしは体も丈夫でから」
医師はうなずいた。
「けっこうです。あなたは最近、種痘をすませなすったね?」
「はい」
「それでは、いまのところ、ほかにすることもありません。あなたはしばらく横になって体力を節約しておきなさるがよろしかろう」
しかし、ユーニスはそうできなかった。しなければならないことがありあまるほどあった。彼女は広間に出ていき、窓をさっと開いた。下手の安全な距離をおいたところにチャールズ・ホランドが待っていた。冷たい風がユーニスに吹きつけ、チャールズが全身浸ってきた消毒薬の匂いを運んできた。
【中略】
夜はながく侘しかったが、朝はあまりにも早く、恐れていた決定をもたらした。医師は天然痘だと宣告した。ユーニスは万一の僥倖を頼んでいたが、最悪を知ると、きわめて平静なきっぱりした態度をとった。
正午には恐ろしい黄色の旗が家の上にひるがえり、手筈が全部ととのえられた。カロラインが必要な料理をし、チャールズはその食物を運んでいって庭に置いてくる。ジャイルズ・ブリュエット老人は毎日きて家畜の世話をしたり、ユーニスを手伝って病人の看護にもあたる。こうして死とのながい、苦しい闘いが始められた。
それは実際、苦しい闘いであった。忌わしい病気にかかったクリストファーは最も身近な、最も愛する者でさえしりごみしても仕方がないような存在だった。しかし、ユーニスは少しもぐらつかず、けっして自分の役目を離れようとしなかった。ときにはベッドのそばの椅子でまどろむこともあったが、絶対に横にはならなかった。よくもつづくものだと驚くほどで、その忍耐づよさとやさしさは超人的であった。ながい、うんざりするような日々をユーニスは唇に静かな微笑をたたえ、薄暗い寺院の壁龕(へきがん)の聖者の絵に見られるような法悦を悲しげな黒い目にうかべながら、黙々として奉仕の活動をつづけた。ユーニスにとって彼女の愛する厭わしい病人の寝ているがらんとした部屋の外側には、世界も存在しないのだった。
(『アンをめぐる人々』モンゴメリ著/村岡花子さん訳)
文章が長くなるので中略しましたが、クリストファーの妻のヴィクトリアは夫が天然痘と聞いても(むしろ逆にそうと聞いたからこそ)、家のほうへは戻ってきませんでした。ふたりの間には子供がひとりいるようなのですが、先のほうに「不幸な結婚」とあったり、クリストファーのヴィクトリアに対する愛も色褪せた……といった描写があるとおり、まあよくあるそうした結婚生活だったようです(^^;)
ようするに、クリストファーの献身的な姉に対するあの仕打ちにも関わらず、ユー二スは夫である彼のことを見捨てた(というか、怖がっていた、という描写なんですけれども)ヴィクトリアとは違い、肉親として弟のことを決して見捨たりはしなかったわけです。
>>ある日、医師はひどく重々しい顔になった。彼はいままでに哀れな光景を見なれてきたので容易に動じなくなっていたが、しかし、ユー二スに弟が生きられないことを告げるのはためらわれた。ユー二スのような献身的な愛情は見たことがなかった。それがむだだと彼女に話すのは残酷に思われた。
しかし、ユー二スは自分でそれを見てとっていた。よく平静に受取ったものだと医師は思った。そして、ユー二スはついに報われた――報われたようなものだった。ユー二スはそれで十分満足した。
ある晩、ユー二スがかがみこんでいると、クリストファーは腫れあがった目を開いた。古い家の中には二人だけしかいなかった、外には雨が降っており、雨の雫が騒々しく窓ガラスに打ちつけた。
クリストファーはからからにかわいた唇で姉にほほえんでみせ、弱々しく手をさしのべた。「姉さん」と、彼はかすかな声で言った。「姉さんのようなよい姉はまたといない。おれは姉さんにちゃんとした扱いをしなかったのに、最後までおれを助けてくれた。ヴィクトリアに――言ってください――姉さんによくしてくれるように――」
彼の声は聞きとれないつぶやきとなって消えてしまった。ユー二スはただ一人、死者とともにいた。
つぎの日、人々はあわただしく、ひそかにクリストファー・ホランドを埋葬した。医師は家を消毒し、ユー二スはほかの手筈をとりきめても安全というまで、一人でそこにいることになった。ユー二スは涙を一滴もこぼさなかった。医師は少し変わった人間だと思いはしたが、ユー二スに非常な尊敬をいだいた。あなたのようなすぐれた看護婦は見たことがないと、彼はユー二スに言った。ユー二スにとっては褒められても、けなされても、どうでもよかった。彼女の生命の中のなにものかがぷっつりと切れた――欠くべからざる興味が失われた。ユー二スはこの先の侘しい年月を生きていかれるかしらと思った。
その夜おそく、ユー二スは母と弟の亡くなった部屋にはいっていった。窓は開いており、冷たい、すがすがしい空気はながいあいだ薬に重くよどんだ空気を吸ってきたユー二スにとってありがたかった。彼女は寝具をはぎ取られたベッドのそばにひざまずいた。
「母さん、わたしは約束を果たしました」
ユー二スは声を出してこう言った。
ながいことたってから立ち上がろうとしたとき、ユー二スはよろめき、片手を心臓にあてたままベッドに倒れかかった。朝になって、ジャイルズ・ブリュエット老人はユー二スをそこに見いだした。彼女の顔には微笑がうかんでいた。
(『アンをめぐる人々』モンゴメリ著・村岡花子さん訳/新潮文庫)
――こうして、弟の看病を最後まで見たユー二スは、微笑んで死んでいるところを翌日、ジャイルズ・ブリュエット老人に発見されるわけですが……わたし、相当昔に一度読んだきりだったので、実は記憶違いをしていたことに気づきました。
というのも、ユー二スもまた天然痘にかかって死んだのだ……といったように思っていたのですが、読み返してみると「種痘していた」とありますし、別のところで、心臓を押さえていた、といったような描写があるため、死因のほうは心臓発作か何かだったのだろうと思われるのですよね

そのですね、ユー二ス的な人生を送って亡くなった方というのは何も彼女が人類初ということでもない、とは思います。貧しい家に生まれ、容貌的にあまり美しくもなく、とにかく奴隷のように働きづめに働いて、他の人の目から見れば、「あんな人生を生きていて、彼女(彼)は一体何が楽しいやら」といったようにしか評価されなく、惨めで恥辱に満ちたものであったにせよ――やはりモンゴメリ自身はクリスチャンでしたから、「死後の幸福」にこそユー二スは身を委ねたのだ……といったように読めなくもありません。
ようするに、ユー二スのように殉教者的人生を生きたにも関わらず、それを生前も死後も、誰も評価などしてくれない、だが、唯一神にだけは彼女の魂が一番よくわかっている――というのでしょうか。
ユー二スの人生にどうにか救いを与えようとするならば、そうとでも思うしかない気がするのですが、とにかく、タイトルの「没我の精神」というのはそういうことなわけです。
無私無欲の精神と言いますか、自己犠牲的精神ということですよね。かといって、ユー二スのように生きられるかといえば、ある強いられた事情があってさえそのようには出来ない……と、個人的にはそのように感じますし、けれどもモンゴメリは知っていたと思うんですよね。彼女の生きた人生の中で、そのような無意味にさえ思われる人生を精一杯生き、そして亡くなっていったという方は実際にいたのでしょうし、けれども、世間や他人の冷たい眼差しを通してみれば「ありふれたよくある人生」に対しても、モンゴメリは「その人にとってはその人にとっての実は複雑な事情がある」ということを、あたたかい心と洞察力によって描いているという、その点が特にモンゴメリ文学の特徴といっていいのではないでしょうか。
なんにしても、モンゴメリが生きた時代も今も、あるいはそれ以前のペストが流行した時代も……普遍的にまったく同じ問題が芯の部分には存在しているような気がします。おそらくジャイルズ・ブリュエット老人は、天然痘にかかった時の苦しさを今もまざまざと覚えており、それでほとんど無償といっていい手助けをしてくださったのでしょうし、クリストファーは引き取られた先のチャールズおじとカロラインおばと折り合いが悪かったにもかかわらず、この甥が天然痘になったと聞くなり、食事を作って運んだり、医者を呼びにいったりといった、出来るだけのことをしてくれています。
わたしたちも今、出来る範囲内のことを、自分たちなりに……といったように考えて、新型コロナウイルスと向き合っていると思うのですけれども、たとえば「没我の精神」によってすべての隣人と接するですとか、究極、そうしたことに関してはわたし自身、ユー二スとは違って尻込みしてしまうなあ……と思ったり、今回久しぶりに読み返してみて、色々と考えさせられるところの多い短編でした。。。


ではでは、次回はちょっと「没我の精神」の中で天然痘が広がった時の経緯についてなど、描写として興味深いと感じましたので、そのあたりについて少し補足してみたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!

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