いえ、実はこの映画、最初はそんなに見る気なかったのです
ただ、某動画配信様にて、「無料で見れる期限が迫っている映画」の1本だったため、「そーいえば昔、公開時に映画紹介番組で見て「面白そう♪」と思った記憶あったっけ」と思いだし――それで見ることにしてみたというか
>>傷ついた今日も、癒えない傷も、愛の波が洗い流す……。
高校生タイラーは、成績優秀なレスリング部のエリート選手、美しい恋人アレクシスもいる。厳格な父親ロナルドとの間に距離を感じながらも、恵まれた家庭に育ち、何不自由のない生活を送っていた。そんなある日、不運にも肩の負傷が発覚し、医師から選手生命の危機を告げられる。そして追い打ちをかけるかのように、恋人の妊娠が判明。徐々に狂い始めた人生の歯車に翻弄され、自分を見失っていく。そしてある夜、タイラーと家族の運命を変える決定的な悲劇が起こる。
一年後、心を閉ざして過ごす妹エミリーの前に、すべての事情を知りつつ好意を寄せるルークが現れる。ルークの不器用な優しさに触れ、次第に心を開くエミリー。やがて二人は恋に落ちるが、ルークも同じように心に大きな傷を抱えていた。そして二人はお互いの未来のためにある行動に出る……。
その~、映画のパッケージ見る限り、「恋愛映画なのかな?」といった印象ですし、↑のあらすじを読む限り、「なんだかんだ色々あったけど、最後はハッピーエンドになりそうだな」とか思いませんか?そう思いますよね??(頷きを強制・笑)
と、ところが……結構内容的には重めな感じでした
というか、割と映像やサウンドのほうがドキュメンタリータッチな感じで、「本当にこの通りのことがかつて起きた」とでもいうような錯覚を覚えるくらいなんですよね。
そんで、この映画を取り上げたのが何故かというと、全面的にというわけではないけれど、クリスチャン的メッセージが入っているように感じた、そのせいだったりします(^^;)
最初のほうに、主人公の家庭が日曜礼拝を守っているシーンがあり、そこで黒人の牧師さんが聖書の愛について書かれた有名箇所を引用してメッセージしているシーンがあります。そして日曜礼拝後、父・母・息子・娘の四人家族はレストランで仲良さそうに食事していたり……映画を途中まで見る限りにおいては、「まあ、このくらいの問題であれば、どこの家庭にもある」くらいな感じなのですが――この家族は最終的にバラバラに壊れてしまい、それをどう回復していくか、回復することは可能なのかというのが、映画の後半における重要テーマと思います。
まず、実はこのウィリアムズ家、映画の最初のほう見る限りにおいて、父と息子タイラーの反目する場面が描かれていて、見てる側としてはこんな印象を持ちます。お母さんのほうはたぶん、患者がどうこうとか、クリニックという言葉が出てきていたと思うので、おそらくお医者さんなのでしょう。ところが、お父さんのほうはこのクリニック経営のことに関して、何かお母さんのお仕事にぶら下がるような形で仕事をしている……みたいな印象なんですよね。個人的にそれが悪いとか、病院の経理の仕事はすごく大変なものとも思うので、「まー、なんとも言えない問題かなー」と思ったりもするのですが――実は大事なのはそこじゃなくて、仲良さそうに見えたことから、父親とも母親ともこの兄妹は血が繋がってると見てる側は疑いもしないわけです。ところが、お話のクライマックスあたりで、実はこのお母さんが後妻さんだとわかるシーンがあるという。つまり、兄のタイラーと妹のエミリーは父親とは血が繋がっているけれど、小さい頃に実のお母さんは死んでしまい、その後父親は今のお母さんと再婚したということ。
兄のタイラーはレスリングの選手でもあるせいか、ガタイのいいコワモテパッキン黒人兄ちゃん――みたいな見た目なのですが、今の今まで、ずっと頑張って優等生でい続けたのだろうと思う。勉強も頑張り、レスリングでも頑張り、美人なアレクシスという恋人までいる。まあ、スクールカーストの上位にいる、いわゆる人生の勝ち組というやつです。けれど、こんなにがんばって「いい子」でいるタイラーに、父親は何やらいつもネチネチ説教してばかりいる。まあ、自分的に見てて「馬鹿だなあ、この父ちゃん。タイラーはレスリングやってて筋肉もムキムキで、その気になればおまえなんか速攻KOできるのに、父親だから敬意を払って、ただ黙って話聞いてやってんじゃんか」とは、最初から思ってはいました。
その~、タイラーはこののち、ある事件を起こして、成功の勝ち組から一気に孤独な負け組へと転落してしまうわけですが……事件後、後妻である奥さんがこう言うわけですよね。「あなたがタイラーにもっと違う接し方をしてくれてたら!!」みたいに。で、見てる側としては妙に納得してしまう。「ああ、なんだ。義理だけど、このお義母さんのほうがよっぽどわかってたんだ」といったように。
実際のところ、タイラーが型にはまったような優等生でいたのは(見た目、日本人的にはおっかないヤンキー系にしか見えないにしても・笑)、このお義母さんの影響が大きかったんだろうなと思う。ウィリアムズ家はマイアミのすごく大きないいお屋敷に住んでいるんだけれど、そうしたいい家に住めるのも、父親がこのお義母さんと再婚したからだ……と、タイラーにもエミリーにも当然わかっていた。一方、父親はこのお義母さんの財力によりかかるような形で、「経理的ななんかの仕事」をしてはいるらしいけれど、実質的にほんとに仕事してんのかいなという、見てる側としてはそんな印象で。このお父さん、最初のほうで膝が悪いとか、なかなか良くならないっていうエピソードが出てくるんだけれど、そんなことをグズグズ言って、あんまり働こうとしないタイプなんだろうな……といった、そんな印象でもあるわけです。
従来のよくある映画・ドラマの表現として多かったのは、やっぱりお母さんが金持ち男と結婚して、それで一生懸命優等生でいるしかなかった長男、それなのにその息子をネチネチいびる義理の父親、妹もまた「いい子」でいようと努力するものの、心を開くということは決してなかった……というような、そんなパターンと思います(つまり、ウィリアムズ家はこの部分が父・母逆なわけですよね^^;)。
子供は敏感だから、そんな義理の母親と父親の関係も感じ取り、この母が働いているお金で自分たちは豊かな暮らしをすることが出来ている――だから、期待される「息子像」、「娘像」に近づいて、出来る限りがんばらなくちゃ……という意識がすごくあったんだろうなと思う(しかも、そんな父親のことを「ちゃんと働いている」ように見せかけ、息子や娘の前で恥をかかせないようにまでしてくれる、本当に出来た人だと思う、このお義母さん)。
けれど、自分の両親に本当の意味で「甘える」ことなく、がんばりにがんばり続けた結果として……タイラーは何が悪かったのか、こののち転落の人生を迎えることになります。まず、肩が悪くなっていて手術が必要とお医者さんから言われていたのに、無理をして試合に出てしまい、決定的に負傷してしまいます。さらには、つきあっていたガールフレンドのアレクシスが妊娠。最初は堕胎することに決め、産婦人科のクリニックまで行くふたりでしたが、アレクシスは「やっぱり出来ない!」と言い、大喧嘩に……その後、アレクシスは子供を生むことに決め、タイラーはぶっち切れます。と言っても、個人的に思うに、タイラーはやっぱり何より「このことを親父が知ったらなんて言うか」っていう、そのことを一番心配してるっぽく感じるんですよね。だから、本当に父親の接し方次第によっては――あの悲劇は避けられたんじゃないかと、そんなふうに思ったりもするわけです。
タイラーは、肩の負傷ということがあってから、酒を飲んだり、麻薬を決めてラップを大音量で聴いていたりと……見てる側としては「その気持ちもわかるんだよなあ」という、青少年の心の脆さを感じさせる場面が続きます。けれど、アレクシスの妊娠ということがあって、彼女が堕胎することを承知してくれなかったことから――口論となり、最終的にアレクシスのことを突き飛ばしてしまい、彼女は床に倒れるとそのまま動かなくなってしまいました。床は血まみれで、アレクシスは病院に運ばれますが、頭部の損傷が激しく、そのまま死亡してしまいます。。。
いえ、このアレクシスちゃんというのが、美人なだけじゃなく、性格のすごくいい子で……てっきりわたし、タイラーが「ふたりで育てよう」といったように口にしていたことから、こののちアレクシスは助かって、ふたりはどうやって子供を育てていくか模索していく――みたいな展開になるのかなと思ってました。
ところが違うんですよね。タイラーは生活態度が目に余るということで、部屋で謹慎するよう両親に言われていたようなのですが、タイラーが出かけようとするのをお義母さんが見咎めて注意し、この時、「オレのことを思ってくれたことなんかねえ!!」みたいに、タイラーは怒りを爆発させ、うざい父親のことは突き飛ばし、父親はのこの時ようやく「息子がその気になれば、自分は腕力では絶対的に敵わない」と知った模様。。。しかも、頭に血が上っていたせいもあり、「子供も生めねえ女が!!」といったように、あえてお義母さんの一番痛いところを突くような形で家を出、その後タイラーはアレクシスのいる、パーティをしている友達の屋敷へ向かうわけで……まあ、見てる側が「実はお母さんと血が繋がってない」とわかるのはここのシーンなのですが、「(自分のことを)思ってくれたことなんかねえ!!」というタイラーの心の叫びというのは、初めてのお義母さんに対する反抗だったと思います
まあ、タイラーの言いたかったことというのは、このお義母さんに「実の母親のように甘えたことなんかねえ!!」という意味であって、「優等生の鋳型に嵌められて、自分がどんなに苦しんでたかなんて、あんたらにわかるわけねえだろ!!」といったような意味のことですよね、たぶん。一方、タイラーには、それでいてよくわかっている。「血の繋がりもないのに、実の母親みたいにがんばって自分たちに接してくれてること」や、「一生懸命働いて、血の繋がりもないのに養ってくれてるいい人」といったことも全部。
色々と悪いことが重なり、怒りが爆発したことで――口論の途中でアレクシスを突き飛ばしてしまったタイラーですが、普通、これが白人同士の口論であったとすれば、これは間違いなく傷害致死だったはずです。けれども、タイラーに言い渡されたのは、第二級殺人であり、その刑期は30年でした。真面目に刑期を務めれば、その前に出所できる可能性もあるにしても……十代の青少年が受けたショックは、絶望という言葉だけでは全然足りないほどだったでしょう
また、妊娠していた黒人の恋人を白人の男性が突き飛ばしたということであれば、間違いなく過失致死となり、刑期もずっと短かったはずだ――ということも、特にほとんど説明なくても、見てる側にはよくわかることなわけですよね。。。
そして、わたしが思う映画のクライマックスは「ここまでだったかな」と思います。いえ、このあとどうなるんだろう……と思い、ドキドキ☆してたのですが、後半のほうは「この家族の傷をどう癒すか」ということに重点が置かれ、気持ちはものすごくわかるのですが、自分的には割と退屈な感じで見終わりました(人非人ですみません^^;)。
後半はタイラーの出番はほとんどなく、今度は妹のエミリーが主人公といった形でストーリーのほうが展開していきます。タイラーの妹のエミリーは、兄ほど学校で目立つような存在ではなかったのかもしれませんが、本当に心の優しいいい子なのです。けれど、控え目な性格からか、心を閉ざしているようなところがあり、兄の事件後は学校に友達もいなかった模様。というのも、兄のタイラーが恋人を「殺した」ということにされてしまったことで(本当は故意の殺人ではないわけですが、事件は密室で起きたため、他の誰にも真実はわからない)、「人殺し」とか「モンスター」とか「あいつもあいつの家族もみんな死ね」とか、ツイッターに色々書き込まれたり、彼女自身は事件となんの関係もないはずなのに、家族にもその被害が及んでいたのでした
そんなふうにますます心を閉ざす傾向にあったエミリーですが、ある時そんな彼女にぶつかったルークという名前の、兄と同じくレスリングをやってるという白人の男の子が、まあ簡単にいうと「つきあいたい」みたいなことを言って、ふたりは交際しはじめるという。自分的に「ベタな展開やな」とは思ったものの、エミリーちゃんがいい子すぎるため、彼女が幸せになるならまあなんでもいっか☆とも思ったり(笑)。
さて、ウィリアムズ家が負った、修復不能と思える心の傷ですが、エミリーはルークとつきあうことで、人に心を開く幸せや喜びを知り、ルークにしても実は心に傷を抱えていることがわかり……そうしたことを通して彼女自身癒されていったのではないか……と思います。たぶん。
というのもこのルーク、お父さんがお酒飲みの麻薬常習者で、小さい頃、彼も彼の母親もひどい目に遭った、ようするに虐待されていたということだと思うのですが、そのお父さんがミズーリで癌で死にかかっているというので、ふたりで会いにいくことにします。
最初、ルークには父親に会う気はなかったわけですが、エミリーが「会わないと後悔する」と言うので、それで病院まで会いにいくことにしたわけです。まあ、最後の最後、弱りきって孤独な父親の姿を見たことで――ルークも「会いに来て良かった」と思ったと思うんですよね。過去にどんなことがあったにしても、父親は父親で、血が繋がっていることに変わりはありません。その人の最後を看取ることが出来たことで……ルークは、彼が口に出してそう言ったわけではなかったにしても、父親を「赦す」ことが出来た、このことはすごく大きいことだったと思うわけです。その後、父親のことを思いだすたび、「まったくあいつは飲んだくれのしょうもない奴だった」、「母さんだけじゃなく、子供のオレにまで暴力を振るうような人間で……」と、怒りとともに思い出す人間だったかもしれないのが、「赦した」、「赦せた」ことで、また別の人間に心の中で父親が変わったということが、おそらくルークにとって大切なことだったのではないでしょうか。。。
そして、ルークと一緒に彼の父親を看病し、最後を看取ったことで――エミリーの心にも変化が起きます。彼女はタイラーの事件後、父と義理の母の関係がうまくいかなくなっていることも知っていたし、このことでふたりがどのくらい苦しんでいるかもよくわかっていた。けれど、エミリーの立場からは何も出来ないというか、どうすることも出来ない問題ですよね。何より彼女自身、「何故あの時兄を止められなかったか」と後悔していた。父は父で、息子のことで苦しみ、妻とも心が通じあわなくなったことで悩み……この義理のお母さんはエミリーのことでも「あの子のことを(本当の意味で)構ってあげていない」と、この父親の問題点を指摘してもいたのですが、エミリーは心の優しい子なので、この父のダメな点も、兄に対する態度の悪かった点についてもわかっているけれど――「それでもお父さんだから」という心を持っているわけですよね。
エミリーもまた、この義理の母のことを「いい人」、「このお義母さんのお陰で、自分たちは豊かな暮らしが送れている」と当然わかっていて……でも、手のかからないいい子でいながらも、どこか心を開いてないところがあったのだと思う。エミリーは恋人のルークが、泣きながらひどいことをした父親を赦す姿を見て――おそらく、自分も「実行に移さなければ愛は伝わらない」と思ったのでしょう。ラインに似たメッセージアプリ的なもので、このお義さんに「大好きだよ」ということを伝えます。
そして、エミリーの本心を知ったこのお義母さんは……意を決して刑務所までタイラーに会いにいきます。てっきりわたし、後半では、このタイラーがどう心を回復させていくかが描かれるものとばかり思ったのですが、そうではありませんでした。エミリーは兄を止められなかったのを後悔するのと同時、「何故あんなことを兄はしたのだろう」、「兄はモンスターだ」といったようにも思っていた。タイラーはこのあたり、突き飛ばしたらアレクシスが倒れていて……とか、おそらくあまり弁解しようとはしなかったのではないでしょうか。何分、まだ十代ということもあり、大切な恋人が死んだことに対するショック、そのことに責任を感じる気持ちや……家族にも自己弁護することはなかったのではないかと想像されます。
映画のほうはある意味、中途半端といったようにも感じられるところで終わりますが、見ている側は「この家族はもう大丈夫だ」といった希望とともに見終わります。タイラーの最後の登場シーンは、彼が刑務所でひとり孤独にまずそうな食事をするところなのですが、これからは義理の母もタイラーを支えるために会いにくるでしょうし、父親の態度だって変わるでしょうし、もちろんエミリーも兄と話しあいを重ねることで、再びわかりあえるようになるでしょう。
言葉によって説明されることがほとんどない映画ではあるのですが、そのことだけははっきりわかるため、見ている側はある意味安心してこの映画のほうを見終わります。また、勝ち組からの転落人生となったタイラーを通して、色々なことが想像される映画でもありました。それは何かというと、まず何よりも彼が「黒人だ」ということなんですよね。
父親はタイラーに対して、「自分は機会がなかった」、「おまえは恵まれてる」といったように説教していましたが、「機会がなく恵まれていない黒人」など、アメリカ中に掃いて捨てるほどいる……また、タイラーは過失致死とはいえ、彼自身に責任があったかもしれませんが、ああした場面に居合わせて仮に彼が犯人ではなかったにせよ、現場にいた黒人が彼ひとりだけであった場合――「犯人にされてしまう」とか、今もよく起きることだって言いますよね。
ゆえに、タイラーを通して、今も(彼ほど恵まれた環境にない)黒人の青少年が刑務所に入ることなど、「機会に恵まれなかった」ゆえに犯罪でも犯すしかなかったなど、色々な理由によって刑務所に入ることなどいくらでもある……といったように、その背景にある問題のことについても、想像されるところがたくさんある映画でもあったと思います。。。
長くなってしまいましたが、最初のほうで黒人の牧師さんが、聖書のコリント人への手紙第一、第13章4~8節>>「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません」……を引用していることから見ても、映画のテーマは愛であり、人生のいい時も悪い時も互いに支えあえることこそ本当の家族だ――と、こう書くと陳腐なのですが、とにかく映画前半の出来が素晴らしすぎるため、後半から少し退屈になっても「あー、なんか見て損したー」ということだけはないかな、と思います(自分比☆^^;)。
それではまた~!!
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