神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

ルワンダの祈り。

2021年06月05日 | キリスト教

 ルワンダ内戦――それは、1994年4月6日から、その後約100日間続いた、フツ族とツチ族との間で起きたジェノサイド(大量虐殺)です。

 そのたった100日ほどの間に、ルワンダでは、80万とも、100万人とも言われる人々が亡くなりました。何故そんなことが起きたのか、後藤健二さんの本から内容を引用しつつ、なるべく簡潔に説明すると、まず、ルワンダではフツ族が国民の約8割を占めており、残りの約2割ほどの人々がツチ族だったと言います。

 ルワンダが植民地支配の終わりを迎え、独立したのは1962年のことですが、植民地時代はベルギーなど欧米諸国からの支持を受け、少数派のツチ族の人々が国を治めており、収入などもツチ族の人々のほうが多かった。ところが、1973年にフツ族の大統領が誕生すると、今度はこの立場が逆転しました。フツ族出身の大統領は、ツチ族の人々を「欧米の言うなりの手先」として批判し、ツチ族の人たちを逮捕して刑務所送りにしたり、財産を取り上げたり、死刑にしたり……厳しい弾圧を加えるようになりました。

 こうして、「こんな国に暮らしていられない」と、ツチ族の人々は愛する祖国を離れ、ウガンダやコンゴ、タンザニアといった近隣諸国へ避難し、難民として暮らしてゆくことになったと言います。そして、こうした中でツチ族の人々が中心となり、『ルワンダ愛国戦線』を作りました。ルワンダ愛国戦線は、国境付近でルワンダ政府軍と戦闘を繰り広げていきますが、フツ族とツチ族、このふたつの民族の対立は、悲劇的な結末を迎えてしまいます。

 1994年、フツ族の大統領を乗せた飛行機が何者かの手によって撃墜されたのです。このことをきっかけに、激怒したフツ族の過激派や政府軍の一部が、国内のツチ族の人たちを抹殺してしまおうと動きました。フツ族の一般市民たちも、その手に銃やナタなどの武器を手にして、ツチ族の人々に襲いかかりました。ついきのうまで、近所で隣人として暮らしていた人々が、突然襲いかかってくるという恐怖は、「本当にそんな残虐なことがあった」と聞かされても……平和な日本で暮らしているわたしたちには、到底想像してみることすら困難です。

 著者である後藤健二さんは、内戦が起きた当時もルワンダ国入りしたそうなのですが、この本の中の内容は、その後、戦争が終わって十四年が経過した時のものです。後藤健二さんは国会議員をしているアルフォンシンさんという、夫と長男を殺害され、今は残り三人の息子さんと暮らす彼女に、当時のことや、その後の暮らしのことなどを聞いています。

 以下は、わたしが個人的に本を読んで考えさせられた箇所について、抜き書きさせていただきたいと思いましたm(_ _)m


 >>夜の慰霊祭で

 十八歳のパトリスさんは初めてこの慰霊祭にやってきました。ジェノサイドで生き残った人たちの話をこうして目の前で聞くのは生まれて初めての体験でした。

「今、村ごとにジェノサイドの裁判が行なわれているけれど、襲った犯人たちが被害を受けた人たちに本気でゆるしてくださいと言っているのか、それに、言われた方は彼らをかんたんにゆるせるものなのか、理解できない」

 アルフォンシンさんはパトリスさんに説明します。

「襲った犯人たちは、ドラマのセリフのようにゆるしてほしいとくり返し言うけれど、本当に心から言っているかどうかはわからないわ。

 自分の心を楽にするためだけに『ゆるしてください』と口だけで言っている人だって、きっといるでしょうね。でもね、わたしは最後は神さまが決めることだと思うわ」

「与えられる罰が軽くなることを期待してあやまっているとも思うけどな」

「そうね。でも、神さまはたとえ悪い人でも、敵であっても、ゆるしてくださいと言われたらゆるしなさい、と言っているのよ。難しいことかも知れないけれど、わたしたちもそう考えて生きていかなければならないの」

「でも、もしそうなら、襲った犯人たちは、殺したり、暴力をふるったり、こんなひどい被害を受けた人たちに、きちんと彼らの前に立ってあやまる必要があるでしょう?」

「そうね、その通りだと思う。あたりまえのことね。それじゃ、例えば、あやまらなくてはならない相手がもう生きていなかったら、パトリスはどうするべきだと思うの?」

「自分がしたことには責任を取らなくちゃいけないんだ。言い訳などしないで、きちんと責任をとる」

「わたしたちを襲った犯人たちは、たとえ直接被害を受けた本人がいなくても、今生きているその人の子どもや親戚にあやまって、ゆるしてもらわなければいけないわ。直接会ってあやまって、どうぞゆるしてくださいと相手に言わなければならないのよ。法律でもそういう決まりになっているの。

 まずは直接あやまること。被害を受けた人たちが犯人の謝罪の言葉を受け入れて、ゆるすかどうかは被害者それぞれの考えや気持ちしだいだから、ゆるす人もいるし、けっしてゆるさない人もいるわね」

「でも、今は殺人を犯した者でも自分の罪を認めてあやまれば、刑罰が軽くなるよね。例えば、刑務所に三十年間いなくてはならないのに、五年に刑が減らされるとか。そんなの理解できないし、ぼくは絶対に受け入れられない」

 疑問をぶつけてくるパトリスさんに、アルフォンシンさんはしばらくだまっていました。

「パトリス、この国で起きたことは、そんなに単純じゃないし、この国の未来を作っていくのもかんたんなことではないのよ」

「お母さん、たとえば、一度罪を犯した人が被害者にあやまってゆるしを願い、刑罰が軽くなった。でも、また別の人を殺した場合は今の法律ではどうなるの?」

「無期懲役ね」

「死刑にはならないんだね」

「わたしたちの国では死刑や復讐をすることはできない。そういう法律なのよ。二度と刑務所から出てくることができない無期懲役ね」

「二度と出てこられない無期懲役か……」

(『ルワンダの祈り~内戦を生きのびたある家族の物語~』後藤健二さん著/汐文社より)


 他にも<赦し>ということについて、引用したい箇所があるのですが、そうするとかなり長くなってしまうので、ご興味のある方は是非後藤健二さんのこの本を手に取ってみて欲しいと思います

 アルフォンシンさんは、裁判で夫と長男を殺した人たちがその罪を認めても(近所に住んでいる人たちでした。ですが、その前までアルフォンシンさん一家に何か恨みがあったとか、そうしたことではありません。また、ルワンダ内戦ではこれと似たような話が無数にあり、それはついきのうまで仲良く暮らしていた隣人が突然襲いかかってきたということを意味しています)、今もまだ赦すことは出来ないと言います。


 >>「犯人はつかまったのですか?」

「夫を殺した人たちはわかりました。この近所の人たちでした。もともとふだんはいっしょに暮らしていた人たちで、よく知っています。
 仲も良かった人たちでした……。
 わたしたちは裁判にも訴えました。彼らはやったことを認めました。今でも裁判が続いています」

「ジェノサイドでは、仲良く暮らしていた人たちに家族を殺されることがたくさんありました。もし、わたしがあなたの立場だったら、とても複雑な気持ちになったと思います。あの仲良く暮らしていた時間はいったいなんだったのか?食べ物や水を分け合ったのはなぜだったか?いっしょに子どもたちが遊んだことは嘘だったのか?と」

「それは……とても難しい問題です。
 今、この国の政治の中では刑罰を軽くする方針をとっています。ルワンダ人同士を和解させるための政策です。
 政府は、ルワンダ人全員に、ここで起きたことはこれからのルワンダの国作りのために、乗り越えなければいけない問題なのだと指導しています。そのためには、罪を犯した者をゆるしなさいということです。
 また、政府は復讐することを認めませんでした。
 自分の身内を殺した人がわかったとしても、いかなる仕返しも禁じられています。そんなことをすれば、もっと状況が悪くなるからです。
 わたしは、わたしの家族を殺した人たちに、もうこれ以上、気持ちをかき回されたくはありません」

(『ルワンダの祈り~内戦を生きのびたある家族の物語~』後藤健二さん著/汐文社より)


 犯人たちは、その後もアルフォンシンさんの近所で暮らし、裁判がはじまるまで6年間、赦しを乞いには来なかったと言います。そして裁判がはじまってから「赦してください」と言われても――アルフォンシンさんは赦すことが出来ないと言います。無理もないことです。


 >>「わたしは、戦争が終わってからここに戻ってきました。そして、六年間働きました。わたしの家を襲い、家族を殺した連中が近くに住んでいるにもかかわらずね。
 想像できますか?
 ここには何ひとつなかった。形のあるものはすべて壊されました。
 土台の石まで掘り出され、持って行かれていました。わたしたちの家から持っていかれたものが近所の家の庭先においてあったり、うちのレンガを自分たちの家の塀に使っていたり、うちの家の土台の石がご近所の家の土台に使われていたりするんです。
 犯人がはっきりとわかるのに六年間かかりました。そしてようやく訴えました。
 彼らは逮捕されて刑務所に入れられました。そして裁判の時に、わたしたちにゆるしを願ったのです。
 彼らは、六年間もすぐ近くに住んでいたのにだれも一度もあやまりに来なかった。わたしたちのことをわかっていたのに来なかった。なのに、裁判になってからゆるしてくださいと言われても、<本当にわたしたちにゆるしを願っているのだろうか>と疑いを持たずにはいられませんでした。
 今でもわたしは、彼らが本当にゆるしを願っているとは思えません。
 だから、わたしは、彼らのだれひとりもゆるしてはいません」

 彼女のゆるしていないという言葉を聞いて、わたしは(家族を殺された悲しみや憎しみは、時間が経ったからといって、消えるものではない)と思いました。

「今、ゆるしてくださいと言われても、わたしには理解できないのです。
 ここに立って、夫がどんな想いで殺されたかを思うと、わたしには彼らをゆるすということがとても難しい。
 わたしと夫は同じ高校で教えていました。その校舎に隠れていたのに。見つけられて引きずりだされて、ずっと向こうから連れてこられてここで殺されました。
 わたしたちが戻ってきて、遺体を探した時……」

 彼女はバナナ畑の方を指差しました。

「あそこのゴミ捨て場の穴に遺体がありました。ゴミといっしょに捨てられていたんです。
 わたしと息子はそこから遺体を掘り出して、ここに埋めました。……埋めたんです」

 長男は、隣の村に住むアルフォンシンさんの兄の家に逃げましたが、彼らも捕まって殺されたと、その村の人たちから聞かされました。犯人は見つかっていません。

「ゆるすことを願われる……殺した人間が、あなたのように今このお墓の前でわたしの前に立っているとしたら……ゆるせるか?いえ、わたしにはとても難しいことです」

「あなたは国会議員です。国の政策と自分の気持ちがぶつかり合って迷う時があるのではないですか?」

「ゆるしあうことはわたしたちも認めます。……んん、いいえ、難しい。
 でも、わたしたちはいっしょに暮らしていかなければならないのです。
 ともに生きていくには、一人ひとりが自分自身の何かを犠牲にしてゆずるということが必要なんです。どちらかが考えを変えると言うか……。そして、耐える。そう、一人ひとりが耐えなければならない。なぜなら、もう一度この国を立て直さなければならないからです」

 彼女は噴き出してしまいそうな自分の気持ちを何とか押さえつけているようでした。
 
(『ルワンダの祈り~内戦を生きのびたある家族の物語~』後藤健二さん著/汐文社より)


 こうした悲しみを抱いているのは、アルフォンシンさんだけではなく、ルワンダ中に同じ話がたくさんあります。また、後藤健二さんの本は少し子供向けと言いますか、十代くらいの子が読んで戦争について考える……というのでしょうか。おそらくそうした形の本ではないかと思うのですが、ルワンダで起きた現実はもっと凄惨なものです。

 フツ族の人々は、ツチ族の人々を簡単には殺しませんでした。親が見ている前で子供を殺し、また子供が見ている前でその親のことを殺しました。まず逃げられないように足の腱を切り、ナタなどの刃物で両手を切り落とし、そのあと両足を切り落とす……その上、女性たちにはレイプされたあとに、こうしたひどい暴力が待っていました。苦痛のあまり、「いっそのこと殺してくれ!」と叫んでも、そのまま苦しみながら死ぬよう放っておかれることもあれば、「助けてくれ!」と懇願しても、最後にもっとも残忍な形でとどめを刺されることもあったと言います。

 そんなふうに亡くなっていった方がたくさんいました。そして、そんな現場を見て生き残った人々は――刑期が短くなるよう「赦してください」と、それこそドラマのセリフのように言う人々に対して、「赦すか赦さないか」決めなくてはならないのです。

「あなたのお母さんと妹を殺しました。赦してください」と、涙を流すでもなく言われて……赦すことなど果たして出来るでしょうか。実際、フツ族のこうした人々は、あの大量殺戮のあった100日ほどの間、「その日、何人ツチ族の人間を殺したか」、「何人女性をレイプしたか」、自慢しあってさえいたと言います。これはあくまでわたしが思うに、と言うことですが、「あの期間はみんながそれをやっていた。俺/私たちは、過激派の「ツチ族が悪いからこういうことになった」、「ツチ族を殺せ」という命令に従ったにすぎない。だから自分たちは悪くない」というのか、何かそうした自己弁護的心理が強く働いているのではないかという気がします(もちろん中には、自分が犯した罪を心から反省しているフツ族の人たちもいます)。

 また、向こうが「罪の意識があるように見えず、あまり悪いと思っているようにも見えない」場合でも――その人が「赦してください」と言った時に赦すことにする人というのは、本当に赦しているのではなく、ただもうこのことで心をかき乱されたくない、悲しみたくない、苦しみたくない、だから自分の心のために赦すことに同意するということでした。

 こうした悲劇を経験した人々の中には、自分以外の家族が全員惨殺されるなどして、それまで信じていたキリスト教を信じられなくなった人もいると言います。また逆に、罪を犯したフツ族の人々の間で、「神に赦しを乞うために」キリスト教を信じ、信仰熱心になる方もいるということでした。

 たぶん、ルワンダ内戦に関する映画や本などを見たり読んだりしてみただけで……「この世に神などいない」と感じる方は多いと思います。また、キリスト教徒でない方にとっては、「それでも神を信じている」という人のことなどは、恐ろしい偽善者としか思えないかもしれません。


 ですが問題はそうしたことではなく――「だから神などいない」としたところで、ルワンダにもやはり、「だからこそ我々には神が、イエス・キリストが必要なのだ」という人々がいるのに、実際にその悲劇を爪の先ほども経験してない人間が、上から目線であれこれ言ったりすることは出来ないということです。

 むしろ、それほどの悲劇を経験したわけでもないのに、わたしたちのまわりには自分をイライラさせる人や、ちょっとしたことで腹を立てさせられたりする人がいるでしょう。わたしたちはそうした人に対して簡単に心の中で裁きをつけ、悪口を言ったり噂話をしたりします。「でも、流石に相手を殺したりはしない」、それも確かにそうでしょう。

 でも、インターネットなどでは、「指の殺人」が今この瞬間も行われていると言いますし、実際の肉体に対する殺人でなくても、心の中にであれば、自分にも確かに重い罪があると自覚する方もおられるのではないでしょうか。また、そうした小さな悪の根というのは誰もが持っているものだとも思います。

「あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい」、でも、それは本当にとても難しいことではないでしょうか。何故なら、近親者をもっともむごたらしく殺されたわけでなくても、わたしたちは自分の狭量な心から、寛大に許すことの出来ない人が、大抵の場合家庭や学校や職場など、必ずどこかにひとりくらいはいるものだからです。

「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」……ルワンダのこの内戦のことを調べていた時、わたし自身ふと思いました。日曜礼拝の時、もしかしてわたしは近ごろ、このことを「いつもの決まり文句」のように唱えてしまっていないだろうか?といったように……。

 それではまた~!!



 >>「逃げている間、どんなことを考えていましたか?」

「そんな時、何をどうしたらいいの?受け止めるしかありません。
 夫が死んだ時は、わたしたちも逃げ惑って隠れていました。泣いている時間もありませんでしたよ……。
 怖いと涙は出ないものです。
 わたしは、ただ『木』のようになっていました。だれかが死んだと聞いても、<明日はわたしの番だろうと、わたしも明日の朝は起きることはないだろう>と思い、何もすることはありませんでした。
 現実に思い出したり、考えたりできるのは時間がたってからのことです。自分に何が起こったのか、考えたり感じたりする能力が戻ってから、つまり正気に戻って安心してからのことです。戦争が終わったと自分に言い聞かせて、それからイスに腰をおろして、自分を現実に戻すことができるんです。
 でも、当時のわたしは、生きていてもまるで立ったまま死んでいました。
『死』には慣れてしまったんです。
 夫が亡くなったと聞いて、また子ども、あるいは兄弟姉妹が亡くなったのを受け止めて、自分も明日生きていられるのか、何もわかりませんでした。わたしたちはみんなこの世からいなくなると思っていたんです。
 そうです、死んでしまった人たちのために泣く時間を持つこともゆるされなかった。そんな日々でした。
 ジェノサイドの嵐が止んだ後も、わたしたちにまともな暮らしはありませんでした。
 朝起きて、<ああ、今日もわたしは生きている>と思うだけ。
 考えられますか?
 子どもをおぶって何も持たずに、寝巻きのままで出て行って、お金もなく、着る服もありません。石鹸もない、子どもに食べさせるものもない、この家から出た時の服装のまま三か月間、いろいろな地域を逃げまどっていたんです。
 こんな状況を、どう説明すれば良いと思いますか?
 避難民のキャンプでさえ、食べ物が手に入らないことがありました。そういう時はもう、座っているしかなかった。
 ひどい心配事があると、お腹はすかないものだと、その時わかったんです。わたしは今も、人は飲まず食わずで生きられるのねえ、と思い出したりします。そして、わたしたちを生かしてくれているのは、神さまだけ――本当にそうとしか思えないのです」

(『ルワンダの祈り~内戦を生きのびたある家族の物語~』後藤健二さん著/汐文社より)





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