さあ、昨日に引き続き
今日は皆生トライアスロンの
バイクパート。
今回のレースは、
このパートがいわば
メインイベントだった。
6月に700kmのバイクに乗り
何とかぎりぎり皆生に間に合ったかなあと
ブログに書けたのが7月9日。
レースの11日前。
案の定
ぎりぎりでのゴールとなった。
そんな、皆生劇場バイク編、始まるよ~
スタート時は余裕に見えただろうが・・・
それは突然やってきた。
まだ5kmくらい。
日野川の河川敷でバイクを降りて、
草むらに吐いたのだ。
エアロポジションをとって
乗り始めた頃から、
胃のあたりが絞るように痛い。
波酔いと飲んだ海水の影響だろう。
大きな道路の下の
日陰にしゃがみこんでしばらく休憩。
まだ5kmしか行ってないのに
この先どうなるんだろうと
不安に襲われるものの、
まあ我慢して走り続けていれば
どうにかなるだろうと
気を取り直して再出発。
しかし、身体、脚には力が入らないままだ。
いやいや走り続けて
最初のエイドステーションに到着。
着くなりバイクを降りてまた吐いた。
灼熱の気温、
容赦なく降り注ぐ夏の陽光の中で
このままでは脱水は目に見えている。
胃薬はないかと聞いたが、
ないとのこと。
ぬるい水を飲み。
コーラとスポドリを積み込んで
出発したが、またもや
日陰でバイクを降りて吐いたので、
ここではかなりの時間休憩をしてみた。
セミの鳴き声をききながら
しゃがんでいると
大会の関係者の車が
ゆっくりこちらを見ながら通り過ぎてゆく。
10キロ過ぎで
バイクを降りている選手がいるぞと
連絡をされたかなあ。
さっきのエイドで冷たい水を
貰い忘れたことを悔やみながら
頭から構わず冷たいスポドリを被った。
「ここでやめたら楽になるんやろなあ」
と考えていたら後から来る選手たちが
みんなしんどそうなのに声をかけてくれる。
「やっぱり乗れるうちは乗ろう!」
と思い直してお尻の砂を払って
再々出発。
すると、不思議なもので
急な上り坂を汗をかきかき登っているうちに、
お腹の調子が戻ってきた。
ただしかし、依然として肝心の
脚には力が入らない。
まるで粗悪な燃料で走るトラックのようなもんだ。
エコ宣言の大会に
全くふさわしくない選手じゃのう。
CO2を目いっぱいはきながらも、
登りは一桁、
すなわち時速10km以下で
エッチラオッチラ登っていく。
ほんまに、このまま天国まで
登っていくんじゃないかと思ったね。
と帰ったらブログに書こう、
なんて考えていたから若干余裕もあったのかな。
やがて少しずつ体力も回復してきた。
流し込んだコーラが
ようやく効いてきたのかも。
いい傾向だ。
そして大山道路を終えて、
コース中最長の下りを軽快に下っている頃からは、
やっと脚も動き始めた。
本レースの最大スピード64.6キロを
記録したのもその坂道だ。
そして60キロ地点で
応援の皆さんに会った頃には、
なんとか人並みにバイクを踏めるようになっていた。
応援のウサギさん達とも
ここで遭遇し、写真撮影もしたよ。
その後、
上り坂をふうふう言いながら、
下りや平地はびゅんびゅんと走りながらも
冷静に考えてみると、
どうやら
制限時間がやばい
ということに気づいた。
たしか、
折り返し地点で13時だったのではないか。
(後で説明資料を見たら13時30分だったのだが、
結果的にその勘違いが功を奏した)
折り返しまではまだかなりあるぞ。
ここから続くジェットコースターのような
アップダウンを考えれば、
制限ギリギリではないか。
そしてそこから
時間との戦いが始まったのだ。
これは精神的に辛かった。
脚がとまりそうになる度に、
急げ急げと自分に気合をいれる。
「これで間に合わんかったら、
俺の皆生は終わりだぞ」とさらに
精神的に追い詰めて、
折り返し手前10キロくらいからは、必死だった。
こんなにゆっくり走っていたら間に合わんやん。
彼らはリタイア覚悟なのか?
と思いながら前を走る選手をごぼう抜き。
12時59分に、
ぎりぎり折り返しに到着した。
ほっとするのもつかの間。
まだこの後バイクの最終関門に向けて
残り二時間必死にならなければいけない。
思考力も脚に注ごうと、
もう何も考えなかった。
ピクピク痙攣しそうになる脚を
カリカリ梅でごまかすこと6回。
ようやく終盤の平地に入ったところで、
メーターをみたら
110km。
残りは35キロ。
そして残り時間は1時間。
一瞬無理かと思ったが、
ここで、これまでの皆生の経験が生きた。
皆生の距離設定がおかしいのか、
それとも自分のスピードメーターの
距離設定がおかしいのかわからないが、
たしかこれまでの皆生でゴールしたときの
バイクの総合距離は137kmと出ていたはずだ。
とすると、
残りは27km。
まだあきらめる距離と時間ではない。
引き続き、必死の戦いを続けよう。
そしてだめなら、
それは自分の力不足とあきらめよう。
そう思いながら、
そこからまたがむしゃらに漕いだ。
ギアは常にトップだ。
後のランを考える必要などない。
足の一本くらい折れてもいいぞと思いながら、
米子大橋に到着。
遠くに米子の製紙会社のプラントが見えてきた。
ここからあと5キロ。
残り時間は10分。
時速30kmでぎりぎりだ。
もう声が出るのも止められなかった。
時折「ウリャー」と叫びながら、
さらにエンジン全開。
川沿いに吹く海からの強い向かい風を
トップギアで切り裂いて走った。
あと5分。
あと4分。
あと3分。
もうそこからは時計を見る余裕もなかった。
見えていたのは、
皆生温泉街のビル群だけだ。
必死の形相(多分)で
最後のカーブを右折して、
バイクゴール。
制限時間まであと一分を切っていた。
終わった。
とりあえずバイクは。
それにしても、常に
自分にムチ打ち続けたレースだった。
一瞬でも気を抜いていたら
バイクゴールはできなかっただろう。
バイクゴールをした後のトランジッションでは、
目の前が暗くなるほど疲労していた。
バイクを置いてしばらく
その場にしゃがみこんだよ。
あまりに辛かった6時間強が
やっと終わったと思うと
泣きそうにもなったなあ。
しかしそんなことも言ってられない。
これからフルマラソンだ。
泣いても笑っても
あと6時間半で
この状態から解放されるのだ。
フラフラと夢遊病者のように立ち上がり
なかば無意識に着替え
ランコースに飛び出した時には、
ラスト5人目の
ランスタート選手になっていたことが
あとでわかった。
しかし、こんなに精神的に辛かったバイクは
doironの歴史にはない。
レベルの低いところではあるが
自分なりに壮絶な戦いをしたと思う。
その果てに
勝ち得た自己満足ではあった。
ランコースに出て
後ろを振り返ったときに、
今しがた駆け巡ってきた大山が
「よくがんばったね」と言いながら
ニコッと笑ったように見えましたあ。
朦朧ランパートに続く~