この前の日曜日、
島根で100キロマラソンが
開催された。
この大会に数人の友達が参加し
知り合いたちはすべて完走を果たした。
そんな報告をもらうのは
とてもうれしい。
自分の中にある
過去の思い出に
ほのかな明かりが灯るような気がする。
doironが初めて100キロマラソンを走ったのは、
1991年。
doiron35歳の時だ。
舞台はあのサロマ湖であった。
当時、日本で100キロマラソンというのは
多分ここでしか開催されていなかったと記憶している。
当時はフルマラソンを既に10回程度完走していたものの、
100キロは未知の世界であったし、
周りにも経験者は1人もいなかった。
なので申し込んでからの約半年間、
その未知の世界への想像を
自分の中でどんどん膨らませていったわけである。
出場までに特別にした練習は、
それまでのフルの練習に加えて、
当時の職場の松原市から奈良県の月ヶ瀬村までの
約60キロを走っていくというものであった。
その頃は走り始めて3年くらいで
ひざと腰に故障を抱えていたため、
30キロも走るとひざが痛くなり、
フルが限界で、その後走れなくなる
という状況であったのを覚えている。
従って、まさに100キロは未知の世界。
あの北の大地で、
走れなくなって
途方にくれている自分の姿が
夢にまで出てくるほどであった。
しかし、若かったこともあって
練習は続けながらも徐々に故障は癒え、
満を持して7月7日午前五時、
北の大地のスタート地点に立ったのでありました。
その時の持ち物はというと、
マメつぶし用のピンと
治療の為の傷テープ、
ガス欠に備えてのデキタブと
自販機用の小銭を
ポケットに忍ばせていたし、
途中のエイドステーションには、
ランパン、ランシャツと
靴まで預けてあった。
どんな状態になるのか分からなかったので、
それほど用意周到でした。
今思えば、心配しすぎでしたねえ。
晴天の中、午前5時にスタート。
完走できるのか、
またできてもどれぐらいで走れるのか
全くわからなかったので、
とりあえずスタートはキロ6分で入った。
ちょっと無謀でしたかね。
それでも最初は快調で、
フルも4時間22分24秒で通過した。
ところが、終盤のラスト20キロで
それまで経験したことのない状態となった。
ひざの痛みはないものの、
身体がどうにも動かない。
少し走っては、
歩き、
時に立ち止まる。
ワッカでキタキツネを見かけたときは
癒されたが、ゴールはフラフラであった。
トータル11時間44分。
それでも大満足のゴールだった。
翌日から足をずっと引きずったまま
道内を旅行したっけなあ。
それにしても完走した当時の喜びはひとしおで、
ゴール写真をずっと
部屋に飾ってあったのを覚えている。
初めて100キロを走ったのは、
そんな20年前。
その間に再度のサロマ100キロと
高野山110キロ、ダブルフルに加えて
250キロも4回走ったし、
ロングトライアスロンも17回出場した。
もし今、身体が許せば、
100キロに出場するとしても
あの頃のように
まったくの未知への挑戦ではなく、
精神的にはちょっとそこまでの感覚だろう。
20年の歳月の間に、
ウルトラの距離にもまして、
思えば遠くへ来たものである。