このあたりの集落には
飛び出し坊やの看板が良く立っています。
昨年有馬温泉に行ったときに
不気味な飛び出し坊やがあることを書きましたが、
先日それをテレビでやっていました。
なんでも地元の人の顔写真を使って作っているようです。
この飛び出し坊やも地域性があって、
マンふた、電プレ同様doironの歩行時の
チェック項目のひとつです。
ここではこんなのが・・・。
パンツ丸出しはあかんよなあ。
最近変な輩が多いので気を付けてくださいね~。
こ、これはまさかの腰痛坊やでしょうか。
とまあそんなくだらない写真を撮ってたら、
肝心の結の松への分岐点を過ぎてしまっておりました。
引き返しましょう。
これが有間皇子が枝を引き結んだという
「結の松」
それはもう1500年くらい前なので、
当然その松ではありませんが、
和歌山県の文化財に指定されています。
doironも引き結ぼうと思いましたが、
まあそれは差し控えておいた方がよいでしょう。
ここからしばらくは国道42号の歩道を歩きます。
西岩代川を越えて、
国道は高架を登って行きますが、
古道は側道を下りて行きます。
ふと横を見るとなにやら梅干しの
種のようなものを干しています。
何に使うのでしょうか?
取材魂を揺り動かされましたが、
時間の都合でスルーしました。
側道を降りて道しるべに沿って行き、
こんなさかさま看板のあるところで右折します。
岩代の踏切を越えて浜に出たところが、
「岩代王子」
ここは九十九王子中、唯一砂浜にある王子です。
さすがに砂の上に鳥居は建てられないので、
少し高くなったところに王子があります。
あまり見かけない形の鳥居があって、
あの熊野ブルーの案内板も設置されていました。
参拝をしておりますと、
このあたりは海辺にあるのにもかかわらず、
風がほとんどないことに気づきました。
なので、この王子の横で
海を見ながら昼食です。
今日のメニューはこれ。
相変わらずのおにぎりとカップものです。
波の音を聞きながらのランチです。
なんと贅沢なんでしょう。
食後のコーヒーもしたかったのですが、
帰りの電車時間を考えると
ゆっくりもしていられません。
早々に退散しました。
変な看板のあった分岐から
元の道に戻って、
岩代の駅を目指しました。
道しるべに沿って、駅に到着です。
駅前にはあの「結松」の石の道標がありました。
ここではあの光の目玉のようですね~。
駅は無人駅です。
構内にワンマン電車の乗り方が
書かれてあるくらいローカルな駅なのです。
このあと南部まで歩いて、
そこから乗る帰りの電車の時間と
残りの歩行時間を考えると、
この時点でギリギリでした。
さあ、どうしようかと一瞬迷ったのですが、
まだ立派な梅林も見ていませんでしたので
頑張って歩行を続けることにしました。
駅前から、相変わらず繁茂しているノビルを見ながら、
汐入橋を越えていきます。
分岐のところで迷いましたが、
よく見るとカーブミラーに
案内板が貼り付けられています。
飛び出し坊やに気をとられて
危うく見逃してしまうところでした。
ところどころにこんな案内もつけられています。
ありがたいですねえ。
で、その時ふと思ったのですが、
昔の人は何を目印に道を選んでいたのでしょうか。
今のような地図があるはずもなく、
こんな案内が付けられていることもなかったでしょう。
考えられるのは、「御幸記」や「右中記」といった
言葉による案内だけだったかもしれません。
それにしても、こんな細かいところまでは
書かれていなかったでしょう。
そもそもその時代に「地図」はなかったはずです。
伊能忠敬以前ですからね。
調べてみたらもう少し詳しい
道中記もあったようですが、
それにしてもたいして役に立ったとは思えません。
もともと分岐もなく一本道だったのかもしれないし、
行き交う人々が情報交換していたのかもしれません。
御幸のお供の人たちは
まさか道を間違えられないし
さぞや緊張していたでしょうねえ。
色々と思いをはせながら、
梅畑へと向かっていきました。
続く