萩から戻ってきました。
龍野の続きに入りましょう。
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まずは龍野城について
書いておきましょう。
ここはかつて室町時代に
鶏籠山頂に城が築かれておりました。
その初代の城主は「赤松」という人でした。
それが破壊され、
平山城として築かれたのもなくなって
しばらく天領となっていたそうです。
そしてすでに太平の世となったときに
幕命でここに信州から脇坂氏が
入城されたそうです。
しかし外様大名ということで
城というよりは武装された
住居だったそうですね。
今残っているのは、そういうお城です。
そんなお城にここから入っていきましょう。
昭和54年に整備されたこの城は
さすがに整然としている。
石垣を眺め、屋根を眺め、
石畳を眺めつつ、
ここの歴史と自分の暮らしを
眺めてしまいましたね。
まあマラソンでいろいろと
戦い続けた日々。
一番しんどかったのは
やはり萩でしたねえ。
そして心筋梗塞で破壊されそうになったあの時、
それに耐えて頑張り始めたときに
親がなくなり、脳梗塞になった悪夢。
まあそれも最近ようやく
体と心が慣れてきて、
また楽しい日々を送り始めている
今日この頃。
いやあほんまにお城みたいに
破壊されそうになったり
でこぼこ道を歩いておりますなあ。
そんなことを考えつつ
奥に入っていきます。
これが屋敷跡かなあ。
そしてその前の桜がきれいでしたね。
一枚撮影しておきましょう。
結局まあなんの建物にも入らず、
景色だけ眺めてこういう下り坂を
エッチラおり始め、
ブラブラとお城を通過です。
下に降りると、おお目の前に
「揖保乃糸」という旗を揚げた
そうめん屋さんがあるではないですか。
そうめん屋さんですね
ああ、アーメン、ソーメン、ひやそーめん
でもねえ、時刻はまだ
11時にもなっていません。
朝早く出てきたから、
時間的にはまだ余裕がありますので、
ここはパスです。
まだまだこういう店が
他にもいっぱいあるでしょうしね。
では次に向かうのが、
龍野神社の方です。
道標がありましたねえ。
龍野神社はこちらと刻んでありますし、
その横には野見宿禰神社
というのも刻まれています。
龍野の名前のもととなった
相撲取りですねえ。
神社があるんですねえ。
なんか龍野の根本ともなるような
施設が並んでいる場所
ということになります。
そこに向かって歩いていきますと、
あれここに家の前に立札がありますよ。
おお~なんとここが
三木露風の旧邸跡なんだそうです。
そう、あの赤とんぼの歌の作詞者ですね。
赤とんぼといえば龍野
というイメージがありますね。
でもねえ、ほんとは龍野でも
赤とんぼの数は減っているんだそうです。
平成25年は5匹しか見かけなかった
という記録もあります。
そこで、この辺りの家で
赤とんぼのヤゴを育てて
人工飼育をしているんだそうです。
そもそもアキアカネそのものが
今は場所によっては
レッドリストに入っているようです。
doiron家の近くでは
結構いっぱいいるけどなあ。
あれはアキアカネではないのかなあ。
だいたいトンボを増やそうと思ったら、
農薬の入っていない田んぼや
生き物のいる溜池なんかが
必要なんでしょうねえ。
以前はうちのメダカのカメの中に
ヤゴがいたことがあったなあ。
それを考えたらトンボって
生命力強そうやけど
繁殖はやはり大変なようですねえ。
さて道はといいますと
そこからだんだん
山の方に入ってゆきます。
道案内を見ますと、
どうもこの辺りは鶏籠山の
もみじ谷といわれているそうです。
色んな案内が立っていますねえ。
きっとその季節が来たら
きれいなんでしょうねえ。
そこから道はUターンするように
曲がっていきます。
すると山手のほうが少し開けて、
なんか古くて立派な建物とか
建っていますねえ。
ちょっと入っていきましょう。
ここは「楽庵」といいます。
ヒガシマルから寄贈された茶室だそうです。
ここは名前の通り「茶室」です。
1800年代中ごろに
脇坂家が天皇から与えられた建物を
ここに移しているそうです。
続く