ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼十七番井戸寺

2017年05月18日 22時10分23秒 | ウォーキング

さて次のお寺は17番井戸寺である。

この寺の本尊は「七仏薬師如来」です。
真言は薬師如来と同じ
「おん ころころ せんだり 
まとうぎ そわか」ですが、
7体の薬師如来を本尊とする
「七仏薬師如来」の寺は
わが国では珍しいといいます。



霊験も「七難即滅」「七福即生」といわれ、
七にまつわる寺と言われています。

う~ん、今だったら
「ロトセブン即当」なんかもいいねえ。

なあんて馬鹿なことを言ってたら
罰当たりますねえ。
真剣にお参りしましょう。

本尊の薬師如来は聖徳太子作で、
脇の日光・月光菩薩は
行基の作といわれています。



すごいなあ、
なんか近寄りがたいほど
立派なお寺ですねえ。

ありがたいありがたい。

そして空海さんは水不足に
悩んでいたこの地の人々を憐み、
手にした錫杖で井戸を掘り、
清水を噴出させたといわれています。
その井戸を絵にしました



ウヒャ―、空海さんのこんな業績は
もう世間に山ほどありますよねえ。

熊野古道にも何本の
空海さんの堀った井戸があったでしょうか。

石清水八幡、奈良三山、
高野街道など、数えきれないほど
ありましたね。

もう今の井戸業者も真っ青ですね。

本当にその水を飲んだこともあったかなあ。

それにしてもりっぱな坊主になるためには、
仏像を彫る力の他、
錫杖でお湯を掘る力、
爪で石に絵を描く力
なんかも必要なんですよねえ。

まあそもそも空海が四国に作った
溜池工事の活躍も
たいそう立派なものだった
といわれていますがねえ。

お坊さんはいわゆる今でいう
公務員みたいなものだったのでしょう。
そういう空海さんが
このお寺を霊場にするために、
この寺につけた名前が
「井戸寺」だったわけですねえ。



「井戸端会議」という言葉も
ここから生まれました・・・

ウソですけど。

この井戸は今も日限地蔵の
建屋の中に残されています。



うわー、こういうところをまわると
今まで歩いたところが
ほんとにいろいろ重なってきますよねえ。

日限地蔵も熊野古道では、
泉佐野や海南にありましたねえ。

これだけいろいろ回って
お願いもしてきたところなのだから、
もっとdoironにもいいことが
あってもよさそうなのになあ。

気長に待ちますかねえ。

で、本堂を参って勤行した後に
この井戸を見に行きましょう。

なんでも井戸の水面に
自分の姿が映ると満願成就で、
映らなかったら3年以内に
不幸が訪れるといわれる井戸です。

ではのぞき込んでみましょう。

すると、

ん?

井戸の水面に誰かが映っていますよ。
まるで「キムタク」のような
かっこいい男性が・・・と
思ったら男前なdoironでした、へへ。

大丈夫ですね。
脳は徐々に侵されつつありますが
開運はいよいよこれからなんでしょう。

そのあとに大師堂にも行き、
お参りしておきました。



しっかりお参りして、
気持ちよくバスに戻る途中、
さりげなくよく見かける
マラソン大会のTシャツの
年配の女性と並びました。

「なにかスポーツやってはりませんでしたか」
と聞かれたので、
「マラソン走ったり、
トライアスロンとかしてましたよ」というと
「やっぱりね」といろいろ話しかけてきます。

「お宅もマラソンやってはるんですか?」
ときくと
「大阪国際女子にも出たことがある」とのこと。

「それはすごいですねえ」
「いやあ、あの頃はちょっと頑張るだけで
簡単に出れたんですよ」とのこと。

それにしてもすごい経歴ですね。

「で、トライアスロンもやってたんですよ」とのこと。
いやあ、それはすごいですねえ。
なにか同じ匂いがdoironから
漂っていたんですかねえ。

所属していたクラブを聞いたら、
なんとそこはdoironもよく知るクラブでした。

いやあ、なかなか奇遇な話ですなあ。

続く