ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

HDがやばいぞ!

2010年09月20日 22時09分49秒 | weblog
最近、外付けのHDに保存したデータを
いじろうとするときに
たまに、HDがフリーズしてしまう。
以前もよく似た症状で
HDを一台パアにしてしまったので
これは、いかんと焦っている。

あの時は、いくらマイコンピューターで
アクセスしても認識してくれないで
それまでの人生を否定されてしまったような
悲しみに襲われたものだ。
もうあんな悲しみはごめんだ。
今のうちに、CDにでも
バックアップを取っておかねばならないと
思っている。

そのHDには、膨大な写真と
このブログの開設以来のワードデータが
すべて入っている。
それと、折に触れ集めたデータや
チョコチョコと書き溜めた文章もあるのだ。

消滅してしまう前に
なんとしても保存しておかねばならない。
当分はこの作業に追われそうだ。

行く夏を惜しんで

2010年09月18日 21時14分16秒 | トライアスロン

暑さ寒さも彼岸まで
とはよくいったものだ。
毎年この3連休の頃になると
潮が引くように夏の色が
薄れていく。

例年なら、この時期が
バイクの乗り納めだ。
でも今年は、もう少し
乗っていたいと思っている。

だって、いつもなら
ガシガシ乗ってた6月、7月が
あの忌まわしい転倒事故のおかげで
ほとんどバイク収納庫で
眠ったままだったし、
いつも汗まみれで一緒に頑張った
皆生でも出番がなかった。
もう少し乗ってやらないと
かわいそうってもんだ。

午前中、山麓コースを
軽く一周してやった。
日差しは強かったが
影はさすがにきもちんよかでした。

帰ってから、ランチをした後
夕食の下ごしらえをして
切りのいいところで
中央公園へ。

行く夏を惜しみながらの二時間走は

しんどかった

何度、駐車場に脚が向きかけたことか。
近頃、腰の状態が
良いとき悪いときの幅が大きくて
今日は、悪いときでした。

調子が良いとき~



悪いとき~



てな具合だ。
でもこれは、
doironの腰痛が
ヘルニアのように
骨の形が原因なのではなく、
筋肉のコリや疲れ具合に
よるものであることを物語ってると
思うのだがどうだろうか。

先週の、shimizuクンの
見立てでは、
まがいもなく

坐骨神経痛

とのことである。
多分そうだろう。
だとしたら治るのか?

カインズカフェで読んだ
今月号のランナーズでは
50歳を越えて
初フルでサブスリーをした人が
50代後半に坐骨神経痛を患った。
その人は、2年間まともに走れなかった
そうだが、その坐骨神経痛も
低負荷の練習を続けていたら
薄皮がはがれていくように治ったと
書いてあった。
そんな、記事を読むと
励まされますねえ。
doironの場合、3年くらい
患っているものの、
ここんとこ徐々にではあるが
痺れる頻度が少なくなってきているのは
まさに薄皮がはがれていってるんだと
いうことにしておこう。
早く思う存分練習をして見たいもんじゃ。

行く夏を惜しみながら
走った中央公園では
散歩の人たちのいでたちも
秋バージョンに変わりつつあった。
今年の夏の役割を
存分に果たした木の葉たちも
どことなく褪せてきている。

第一、空にモクモクわいてた雲も
今は刷毛でなぜたようになり
空の表情も変わりつつあるしね。

そんな公園の二時間走。
なんとか耐え切ることが出来ました。

今年の夏は、転倒のおかげで
散々だったけど
新しく濱錬も始まったし
山にも再び目覚めた夏だった。

今年も実りある秋にしよう


リモコン

2010年09月17日 23時12分23秒 | 生活
生活はどんどん便利になり
ひと昔前には考えられないようなことが
可能になってきた。
そんなひとつに
リモコンがある。
赤外線なのか電波なのか
よくわからないが
何らかの目に見えない
信号が出ていて
家電を制御するわけだ。
いながらにして、
指先ひとつでいろんな家電を
動かせるので
便利といえば便利なのだが
最近困ることがたまにある。

というのも、リモコンで
動かすことに慣れすぎて
手を伸ばせば届く機械でも
リモコンがないと何も出来なかったりする。

なら、身の回りにリモコンを
集めておけばいいのだが
これもまた、身の回りが
ガチャガチャになって
うっとうしい。
実はこうしてパソコンに向かっている
doironの身の回りにも
手を伸ばせば取れる
リモコンが5つある。



右から、DVD、ビデオ、ブルーレイ、光テレビ受信機、エアコン

もう少しかき集めれば、
部屋の中には、これらのほかに
アナログテレビ、MD、CDプレーヤー、パソコン、MPEG録音機
のリモコンもある。
加えて、電話の子機、携帯電話、紛らわしい電卓
もある。
これらすべてを身の回りにおいておくと
確かに手の届く範囲で
かなりのことが出来るのだが
困ったことに、
どれが何のリモコンなのか
選ばないといけないわずらわしさが
でてくる。

それでもシラフなら
瞬間的に判断できるくらい
まだdoironの頭は衰えてはいないが
酔って、半分寝てる状態だったりすると
もうわけがわからなくなってしまうのだ。

テレビを消すつもりで

ピッ

とやったら、エアコンがついたり
MDを聞こうと

ピピッ

とやったら、テレビがついたりする
ことも、ごくたまにある。

そんな自分の行動に
あきれて目が覚めたりしてね

便利なようで
なんとなく邪魔くさあい
存在になったりするんだよな。

しかもそれだけではなく
画像を見てもらえればわかるが
光テレビとDVDのリモコンが
形といいボタンの配置といい
大変よく似ている。
なので、テレビのチャンネルを
変えるつもりが
ブルーレイチューナーの
チャンネルを変えていたりするんだよね。
瞬間、頭が混乱してしまうわけだ。
その二つのリモコンは本体の色が
シルバーと黒なので
まだ救われているものの
もし同じ色なら、とっくに床に叩きつけて
いたかもしれないぜ。

そんな風に、便利なようで
リモコンも氾濫すると
機械に振り回されてしまうと
いうわけである。

では、さらに便利に
進化するためには
どうすれば良いか。
まずはリモコンの統一化である。
ボタンひとつで
制御する機器を選べて
ひとつのリモコンで
複数の機器を動かせたら
どうだろうか。
いやそれだと、リモコンの
操作のために
分厚い取り扱い説明書を
読まねばならなくなってしまうなあ。

そのあたり、なにか
現代技術の粋を集めて
開発してほしいもんだ。

ミセスdoironなんか
近頃は、面倒なときは
背中を掻く孫の手や
手近な空き缶を持って
doironに向かって

「ピッ!」と

口で言ったりする。

な、なんやと聞くと
冷蔵庫のチューハイを
とってきてほしい
とか
玄関の鍵を落としてきてほしい。
等と言いよる。
全く便利なリモコンを
お持ちなのである。

そんなことをヒントに
いろいろ考えてみた。
ひとつはリモコンの機能として
人の脳みそに直接働く
念力が発射されるもの
なんかが開発されても面白いだろう。

さすれば、スーちゃんに向かって
ピッとやるだけで、
自分でオムツを替えてくれたりしてね。

ピッとやるだけで
思わず走り出してしまう
トレーニングリモコンもいいなあ。

彼女や彼を振り向かせるための
恋愛リモコン?

う~ん、どんどん妄想が
エスカレートしてしまいそうやから
今日はこの辺のしとくかの。

では

三ヶ月後

2010年09月16日 22時39分44秒 | 最近の出来事
そうかあ、もう三ヶ月が
過ぎたのか。

バイク転倒直後に
人間ドックに行き
PSAの値が高いといわれて
MRIなどの精密検査をし、結局
結果が今のところシロであるといわれてから
もう3ヶ月がたつんですね。
あの時、クロだったら
今頃はどんな生活をしてるんだろうと
思うと、感慨ひとしおである。

なんて、もうすぎたことのように
言ってますが、たとえいっときのことであったとしても
数値が高かったというのは油断できない。
結局、3ヵ月後に
再度血液検査をして
確認すればいいといわれていたので
本日、血液検査に出かけた。



結果は、来週末。
はたしてどうなりますことやら。

めんそーれ沖縄・人編

2010年09月15日 23時05分17秒 | weblog

旅の醍醐味は
初めての風景
初めての出来事というのがある。
加えていうなら
人との出会いもまた
旅の醍醐味のひとつだろう。

ほんのわずかなひとときでも
心に残る思い出となる。

一人目は、タクシーの運ちゃん。
国際通りの公設市場で食事をした帰りに
乗ったタクシーの運ちゃんが
面白かった。

乗るなり、doironに向かって
「おとさんは沖縄の人だね~」
だって。
いやいや、こう見えても
立派なやまとんちゅ、大阪出身やで
と返したら
「うそだよ~、その色の黒さは沖縄だよ~」
ときた。
名前は忘れたがあの沖縄の
アナウンサーみたいに
舌足らずな現地語を話すおじさんだった。

沖縄はレンタカーで
旅する人が多く、不慣れな運転で
邪魔なんだよね~とも言ってた。
しかも、事故が多いらしく
とりわけ駐車場での事故が多いらしい。

「そうだね~、350台事故があったら
175台は駐車場の事故だよ~」

それって、2台に一台って
ことじゃん!と突っ込んでしまいました。

この時期は、女子大生が多くてね
みんな惜しげもなく生足を
さらけ出してるから
それに気をとられて
事故が多いんだろうという
大胆な想像も語ってくれました。
でもそれは案外真実なんだろう。
「たしかに~!」と
またまた突っ込んだdoironなのでした。

二人目は、田舎のお土産屋さんにいた
BEGINの比嘉クン似のお姉さん。
それにしても、沖縄の女性は
似ている人は
本当によく似ている。
このお姉さんタイプも
多く、レンタカーのフロント
ホテルのフロント
食堂のお姉さんがみんな同じ人に
見えたくらいだ。

ガラガラのお店を物色して歩いていると
「おとさんは沖縄の衣装が似合いそうだね。
無料だから衣装を貸してあげるから
写真撮ってもいいよ~」と
話しかけてきた。
早速、伝統衣装を借りて
撮った写真がこれ。



どう見ても、都会の垢抜けた
お兄さんが、慣れない浴衣を
着ているようにしか見えませんな。

太鼓や民族楽器も借りて
写真を撮りたかったけど
それは有料だからやめました。

その後も、いろいろお土産品の
案内をしてくれました。
そのうちのひとつ、
ウコンがここではウリなんだそうです。

「お酒を飲む人には本当にいいよ~」と
言うので、ウコン飲んだことある?
って聞いたら、「私はお酒は飲めないんだよ。
我が家はオジーからずっと飲めなくて
飲めばみんなアレルギーが出るんだよ~」だと。
見た目は、毎晩泡盛で晩酌し
指笛鳴らして、エイサーを
踊っているように見えるのにな。
とはさすがに若い女性には
言えませんでした。

でも「それで、よう勧めるわ~」と言ってやったら
「ごもっとも!」ときたもんだ。

色々親切にしていただいたけど
これといったお土産も買わずに
こんな牛乳を一本飲んで退散しましたあ。



最後にもう一人、
サンセットクルーズの
ちょっと現代風の添乗員の
お兄さんともいろいろ話をした。

このお兄さん、沖縄生まれなんだそうだが
二年間くらいは大阪の大手鉄鋼会社の
子会社で働いていたそうなんだが、
島の友達連中に呼び戻されて
沖縄に帰ってきたんだそうだ。

「こっちは、あんまり仕事がなくて・・」と
ぼやいてはった。
なんのなんの良い仕事じゃないですか。
みんなに感謝され、喜ばれて
うらやましい限りでっせと
言ってあげたらうれしそうでしたね。

doironジュニアくらいの
年恰好だったので
思わず話しかけてしまったのでした。



これは、そのお兄さんに
撮影してもらいました。
まさしく、海の男doironですな。

今回の旅行中は
折りしも、島の市町村における
統一地方選挙の真っ最中でした。
レンタカーで移動中も
たくさんの選挙カーとすれ違いました。

「ヤスシ、ヤスシをよろしく!」とか
「コウイチに清き一票を!」
「セイゾーをお忘れなく」などと
連呼していました。

ややこしい苗字の候補者は
そんなふうに名前で売り込むのかなと
思っていたら、
なんとなんと、選挙ポスターに
書かれてある候補者の名前が
すべて「カタカナ」

中には「ガンチャン」などと
愛称を掲げている候補者のポスターも・・。
思わず、写真を撮ってしまいましたが、
ちょっとここで公表するのは
控えておきましょう。

ほかにも、首里城にいた
宮里藍似のお姉さんや
ホテルにいた
中国人のフロントのお兄さんなど
めっちゃ印象的な人とも交流したdoiron。

ちょっとした一期一会も
旅先では、大切な思い出ですねえ。


めんそーれ沖縄・戦争編

2010年09月14日 23時24分58秒 | 最近の出来事

さて、今日の沖縄話。
テーマは戦争です。
沖縄には、
戦争に関する施設がいろんな形で残っています。

ひとつは、慰霊塔。
なかでも「ひめゆりの塔」が有名ですが、
沖縄に行くと
特に南の地域に実に数多くの
“塔”が点在しています。

“ずいせんの塔”や“東京の塔”
といった名前のものまであり、
その数はかなりのものです。
なぜ、こんな塔がたくさんあるのか、
それはやはり
第二次世界大戦の終戦直前に
上陸した米軍との戦いが、
いかに壮絶なものであったかを物語っています。

広島の原爆では、
一瞬にして約14万人の命が失われたが、
沖縄では約3ヶ月もの戦いが続き、
じわじわと非戦闘員も含めて、
約18万人以上の命が失われた。

1945年3月26日、
沖縄本島北部から徐々に南下しながら、
沖縄を掃討していく米軍の作戦は
アイスバーグ作戦といわれ、
各地域に作られた地下壕では、
戦闘と自決で次々と人が亡くなっていった。

その各地域ごとに“塔”なる
慰霊塔が設置されたのだ。

今回訪れたひめゆりの塔も
そのひとつで、
敷地内には当時の病棟である
“壕”が今も残っている。

北から侵攻してきた米軍に追い詰められ、
南の果てまで来た島民たちは、
ついに意を決して
海に面した絶壁から次々に海に飛び込んでいく。

そんな光景を彷彿させる絶壁群の景色がこれだ。



サトウキビ畑の間の
車一台がようやく通れるような道を、
縫うように走ってたどり着いた喜屋武岬からの景色です。

平和の塔の裏側に下りてみて、
断崖の上から下をおそるおそる覗き込むと、
潮溜まりがまったくこの世とは思えないような
青い水を湛えていました。
鬼畜米兵に追い込まれた人々にとって、
崖の上から見たこの景色は
まるで天国のように見えたのかもしれません。


戦争に関する施設を語るときに
忘れてはいけないのが、

米軍関係施設

あの遺伝子まで傷つけるような
悲惨な戦いの名残がそこにはある。

沖縄本島に米軍の飛行場は2つ。
嘉手納と普天間だ。
そのうち、普天間飛行場が
今名護市にある
キャンプシュワーブの先、
辺野古の海への移設で騒がれている。

では、辺野古とはどんなところなのか、
と前から興味があったので行ってみた。
途中、ナビを見ていると、
地図がまるで海の上の
一本道を走っているようになっているのだが、
周りはどう見ても山!

あれーナビが狂ってるのか?
新しい衛星「みちびき」がないと
こんなことになるのか
などと思っていると、
どうやらナビ上で海に見えたのは、
米軍領でした。

少し小高いところに車を止め、
眺めたのだが
どう見ても海に出て行く幹線道路はない。
そこで、車を走らせながら
エイやとばかりに
狭い路地を海側に曲がり、
狭い生活道路をくねくね走って
何とか海岸線に出ることができた。

眼前に広がるのはきれいな珊瑚の海。
そうかあ、
この景色が基地に替わるのかと思うと、
地元の人間でなくても
悲しくなってくるってもんだ。

海岸を眺めてみると、
塀のように海まで突き出た鉄条網が、
日本と米軍領をわけており、
その鉄条網には日本語で
たくさんの祈りが書かれた旗が
巻きつけられていた。



TVや新聞でいろいろ見聞きするけど、
現場にはさすがに緊迫感と
悲壮感が漂っていました。
沖縄各地に点在する米軍施設は
今も沖縄の人々の心の傷を
逆なでし続けているんだろうなと
戦跡を訪ねた後では
容易に想像がつきました。
基地がある限り
あの忌まわしい戦闘の記憶は
消えることはないだろう。

私達が思っている以上に
沖縄の人たちにとって
基地問題は
大きく、そして重いものなんだと
あらためて考えさせられた旅でした。


秋の実り

2010年09月13日 23時52分21秒 | 最近の出来事

沖縄話が続いたので
今日は一休み。

本日のリフレッシュ休暇最終日に
今は御坊の実家を空き家のままにして
近所のトレビアンに住んでいる
義父母の家に出かけた話で
ちょこっと気分転換です。

目的は、家の点検と
家庭菜園が出来るくらいに
広くとってある庭の
状態を点検するためだ。

前はいつ行ったのか思い出せないくらい
ほったらかしにしてるので
もしかしたら、
ジャングルになっていたらどうしよう。
家がツタに埋もれていたらどうしよう。
巨大なくもの巣になっていたらどうしよう。
などと不安を抱えながら
出かけたdoironであった。

着いてみたら
家に異常はなかったのですが
庭はこんな状態でした。



もう草刈といったレベルではないですね。
早速持参した殺虫剤と
除草剤を撒くことにしたのですが、
その前に点検してみると
庭の片隅にこんな
秋の実りが見つかりました。
薬剤散布の前にまずは収穫です。



これは、ヤマイモの

ムカゴ

両手にいっぱい採取できたので
今夜は帰宅後これの半分を
天ぷらにしていただきました。



残りは近々ムカゴめしになるでしょう。



そしてこれらは

柚子イチジク

イチジクは若干早かったのですが
今度いつこれるかわからないから
収穫することにしました。

柚子は調理に使うそうです。

それにしても、今年みたいに
暑い夏に
水遣りをする主もいないのに
良くぞ実ってくれたものです。

さすがに、毎年見事な実を付けていたぶどうは
水が少なすぎたのか
小さな実を付けていただけでしたな。

他にも庭には柿の木もあり
たくさんの実がなっていたのですが



これは熟れるまで
まだ少し時間がかかるでしょう。

カラスにつつかれる前に
やっぱりもう一度こないといけないかな。

そんな秋の実りを収穫した後は
いよいよ、消毒&除草剤散布です。
注意しないといけないのは、
生垣のカナメモチに
生息している

イラガ



これに刺された日にゃ、あんた。
飛び上がるくらい痛いんですから。

長袖、長ズボンで軍手もはめて
消毒をしました。
その後除草剤も満遍なく散布。
これは葉から吸収するタイプで
地面に入るとすぐに分解されるというもの。
近所の田畑への影響を考慮して
選択しました。
その後も、休むことなく、
次は、家の前の小川にいる
絶滅危惧種の

メダカ

を繁殖のために採取です。

10匹程度を採取後、
ペットボトルに入れ、
帰宅してからメダカの甕に
放流してやりました。
最近、近縁交配が続き、
血が濃くなっていた我が家の甕に
新たな仲間が加わったわけです。
心なしかうれしそうにしてたように
見えましたが、気のせいですね。
小川にはドジョウもいたのですが
さすがに、ちゃっちい網で
捕まえるのは無理でしたな。


海からの風は稲穂の上をわたり
涼しい風となって
doironの汗を乾かせてくれました。
今年初めて、初秋を実感した一日に
素敵な秋の実りをいただいてきて
ちょっとご機嫌な一日でした。

さあ、明日から仕事だ。

机、あるかな?





めんそーれ沖縄・歴史編

2010年09月12日 23時01分37秒 | 最近の出来事
今回沖縄に行こうと思ったきっかけは
6月に見た沖縄の子ども達による
ミュージカルであった。

それまで、沖縄といえば
南国のリゾート地
そして第二次世界大戦時の
悲惨な戦いの地、くらいの
知識しかなかったが、
昔、沖縄統一を果たしたという
尚巴志(しょうはし)という人物を
題材にしたそのミュージカルを見て
全く知らない世界に接し
好奇心を強烈にくすぐられたのであった。

ここで沖縄の歴史を少し紐解いてみよう。

まず有史以前では
本土と同じように
旧石器時代や
貝塚文化の時代といった
先史時代があった。

その後、人々が徐々に集まって暮らし始め
国家以前の集団生活の
形が見え始めたのが
グスク時代といわれる。
有力者が、石垣に囲まれた
城=グスクを築いたことによるもので
今も玉城(タマグスク)や中城(ナカグスク)
などの地名が残っている。

それらの集団がさらに大きな集団を
形成し始め、
やがて、沖縄本島を
北山、中山、南山の3つに分かつ
三山時代に移行していく。

これらの時代は総称して

古琉球

といわれ、農耕社会と
権力者といった構図が
出来た時代であった。

そして、西暦1400年頃に
この三山を初めて統一して
沖縄本島をひとつにまとめたのが
冒頭の尚巴志であったのだ。

この尚巴志の力は
全土に響き渡り
彼は「鬼鷲(うにわし)」と
呼ばれたらしい。
彼の築いた王都が

首里城



ここからが第一尚氏時代といわれる。
だが、この尚氏一族の王国も
それほど長くは続かず
すべて短命の王6代で終わり、
第一尚氏時代の重臣であった
金丸という人物が
王族をほとんど殺害し

尚円王

を名乗り、新たに全土を統一し
琉球の黄金時代といわれる
第二尚氏時代を迎えたのである。

以後、薩摩の島津氏侵攻を受けるまで
琉球王国として栄えたが、
1872年にその琉球王国は解体され
琉球藩となったが
第二尚氏の家系は
今もつながっているという。
このあとの歴史は
幕末の各藩と同様の
運命を辿っていくが
戦争を機に、沖縄は
歴史の激流の中で翻弄されていくのである。

今回首里城を訪れる時に
あわせて是非行きたいと思っていたのが
公園に隣接する

玉陵(たまうどぅん)

といわれる王族の陵墓である。
ここにあのミュージカルの主人公である
尚巴志が眠っているのだろうと
思っていたのだが、
行ってみるとこれが間違いで、
ここに眠っているのは
第二尚氏一族でした。

え?では第一尚氏一族はどこに?

これは取材しなければと
首里城のインフォメーションにいた
若い、宮里藍似のお姉さんに
聞いてみると、意外な答えが
返ってきた。

「それが、第一尚氏のお墓は
どこにあるのかわかってないんです。」

ぬわにー

彼らが築いた城や
その中にある梵鐘などの施設は
現存しているというのに
墓がわからない?

そのことが何を物語るのか。
それはもうお分かりでしょう。

第二次世界大戦をはじめ
琉球の内外紛が
如何に激しいもので、しかも
それが幾度となく繰り返されたということ
が伺えるわけですね。

記録は記憶となり
やがて歴史の中に
埋もれていってしまったわけです。

ここで、今回の旅の
尚巴志探求の旅は
行き詰ってしまいました。
さらに追及する時間などは
ありません。
旅の目的は、他にも
いろいろあったもので・・・

第一尚氏時代の痕跡が
結局そんな形でしか残されていない
ということがわかっただけでも
成果だなと思うことにして
後ろ髪(ないけど・・)を引かれる思いで
首里城を後にしたdoironでした。
しかしその後、この旅の中で
意外な形で
「尚巴志」の名前に出会うことになるのですが
それはまた、続きのお楽しみです。

明日は、めんそーれ沖縄・戦争編
そして自然編、人編、食べ物編と
分けて少しずつ紹介していく予定です。




沖縄最終日

2010年09月11日 23時26分03秒 | 最近の出来事
さあて、今日は最終日。
リフレッシュしまくりの4日間が終わりました。
きょうは沖縄の伝統に触れた一日。
芭蕉布、
琉球ガラスの製造現場に触れ、
数多くのシーサーにも触れてきました。

田舎の道端では、
少し立ち止まってサトウキビ畑を散策。
こうして沖縄を濃密に満喫した旅行でした。

思うことも色々あったのですが、
追々書いていくことにしよう。

先ほど関空から帰宅。
洗濯物と写真を整理して
ようやく落ち着いたのでした。

心地よく疲れましたあ。