今日は、ちょっと変な話をする。変というと何が変か、トイレや排せつのことは、あまり公言しない、これが常識になっているからだ。ところが、トイレくらい基本的な人間の営みで、欠かせないものだ。人間はどうしても食べて栄養を摂り、命を維持している。だから、必ず排せつが伴うし、これは避けて通ることが出来ないし、これがうまく行かなくなったら、それこそ深刻な問題になるのだ。
我が家では一日6回、トイレでバトルが展開されている。この6回というのは妻がトイレに行く回数なのだが、トイレに行くたびに、大便を出そうとして、腹を強く押すことを要求してくる。それも10分、20分、長い時には30分にも及ぶ。これは一見簡単に見えるが、実は、かなりの重労働なのだ。人のお腹には強力かつ強大な腹筋が存在する。普通の大人ならば、腹の上に人が乗っても、びくともしない程強力な筋肉なのだ。その腹を押して、お腹の中に力を伝えるためには相当の強さを持って押さなくてはならない。腕には腹筋にかなうような筋肉はない。力いっぱい押したところで、腹の中にはなかなか伝わらないのだ。
妻には、便が固くなって便が出なくなってしまったらどうしようという不安があるのだろう。だから、固くなる前に出したいという気持ちが働いているのだろう。ところが、押す側の私としては、便が出た後の次のトイレくらいは、腹押しから解放されたいと思う。そこで、「さっき出たばかりだから、もう出ないよ!」と妻に言う。すると、妻は、「出るか出ないか、勝手に言わないで・・・便意があるから、トイレと言ったんだ。」と言う。まあ、全くその通り、他人には分からないことで、全くもって正論なのだ。それでも、私は、やはり納得できないわけだ。そして、いやいや押し続けると、たまにちょこっと便が出ることがある。妻は、勝ち誇ったように、出たじゃないか!と言わんばかりで、押せば出るとますます強固になってくる。まあ、これを専門用語でいうと、「間欠強化」という。連続強化では、成功しないことが続くと、やっても駄目だとすぐに悟のだが、間欠強化では、パチンコに嵌った人がそうであるように、次は成功するのではないかと思い続け、なかなか悟ことができない。妻のトイレも同様で、たまに出る、それが成功体験として強く心に焼き付いて離れないのだ。これは、私にとって、とても困ったものだし、なかなかそれを打ち破ることが出来ずにいる。(2)に続く。