風に吹かれたアン

旅歴、50年~世界中を放浪するのが夢。
40ヵ国は行ったけど、コロナで一時中断。
今年やっと復活~(笑)

からたちの花♪~ 「夢想・鳥込文士村」 №6

2020-05-12 20:30:19 | 文学・映画・芸術


私(北原白秋のつもり)と家族が
この地(鳥込)に来てから早くも二か月近くになる。
巷では新型の肺炎が流行っている。
外出も以前より控えるようになった。

こんな時は、自然がことのほかありがたく感じる。
道端の花や・名も知らぬ草や虫たち。
子供たちの賑やかな声は気持ちを和らげてくれる。
 
山田耕筰くんと作った「からたちの花」をくちずさむ余裕が出て来た。

♪からたちの花


 
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。

からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。


 
♪我ながらなかなか良い詩が書けている(笑)
 ・・・曲を作った山田耕筰君はどうしているかな~
        「松島音頭」も一緒に作ったね~

★北原 白秋(きたはら はくしゅう)
1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)
日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 
詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野でも
傑作を残している。
生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、
活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を代表する詩人である。                  Wikipediaより

★★白秋(詩)と山田耕筰(曲)の作った童謡
「からたちの花」「この道」「ペチカ」「あわて床屋」「待ちぼうけ」。。。
懐かしい~!幼い日に歌いました(笑)
・・・山田耕筰君はどうしているかな~
 

添田さつきの鳥込の家~ 「夢想・鳥込文士村」 №5

2020-05-06 20:27:10 | 文学・映画・芸術


北原白秋の案内板の横に、「添田さつき」の案内プレートがあった。
公園の一角に、仲良く2枚立っている。
北原白秋は昭和2年に、添田さつきも同じく震災後にこの地に住んでいた。




二人とも台東区谷中方面から越して来たのだ。
彼らが谷中時代からの知り合いかどうかは不明だ。
ただ、大森近辺の狭い地域のことなので、
他の文士ともども何かの行き来はあったのではないかと思う。

「添田さつき」については名前ぐらいしか知らなかった。
さつきというのだから女性かな?なんて思っていたくらいだ(笑)
調べてみたら、とても面白い経歴の人だ。
彼の父の「唖蝉坊」はさつき以上にまた凄い。



巣ごもり生活には、普段は見過ごしてしまうようなことにまで
興味を持つという「利点」もあるようだ(笑)

★添田さつき
1902年(明治35年)6月14日、添田唖蝉坊の長男として東京に生まれる。
本名は知道。
1916年(大正5年)、日本大学附属中学校(現在の日本大学第一高等学校)中退の後、堺利彦らの売文社に勤め、父の演歌活動に参加、その跡を継いで「添田さつき」の芸名で演歌師となり、『パイノパイノパイ』などの流行歌を作り出す。
↑ この歌は、エノケンなどが歌い一世を風靡した。

1927年(昭和2年)より文筆活動を開始。



1940年(昭和15年)、街頭演歌の衰退に伴い文筆に専念。
小学校時代の恩師を主人公とした『小説 教育者』を書き、
1942年(昭和17年)、新潮社文芸賞を受賞。
戦後は、演歌師の生活などを描いた著作を刊行し、1964年(昭和39年)、『演歌の明治大正史』で毎日出版文化賞受賞。

1967年(昭和42年)、『歌と音でつづる明治』の監修で、第9回日本レコード大賞企画賞を受賞。 
1980年(昭和55年)信州・上田市の安藤病院で食道がんで死去。77歳没。
「添田知道を偲ぶ会」が、同年5月2日、浅草の伝法院で行われ、
竹中労、田谷力三、小沢昭一らが参集した。 

※『日本春歌考』は、大島渚監督の同名の映画の着想の元となった。
浅草・浅草寺の弁天堂鐘楼下には、父・唖蝉坊の碑と知道の筆塚がある。



★★添田 唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)
1872年(明治5年) - 1944年(昭和19年)
明治・大正期に活躍した演歌師の草分け。本名・平吉 (へいきち)
↑1960年代以降、高石ともや、高田渡ら日本のフォークシンガーが唖蝉坊の歌を歌っている。                                                                       (Wikipediaより)



高石ともや・高田渡・・・懐かしい名前が出てくる。
昭和が遠くなってきているが、こういうところで現在と過去が結ばれるのは
なかなか楽しい。

北原白秋の鳥込の家~ 「夢想・鳥込文士村」 №4

2020-04-30 20:23:44 | 文学・映画・芸術
       ↑
最近、町名を馬込から鳥込(とりごめ)に改名したようだ(笑)
「夢想」なので、また変わるかもしれません~



★私 (北原白秋のつもり)の日記より

令和2年3月〇日
私たち家族は、先日、ここ鳥込(とりごめ)の高台に引っ越してきた。


 
谷中とは違い、まるで高原のようなすがすがしい場所だ。


 
例の、コロナとかいう新型ウイルスのこともしばし忘れることができそうである。
何とか自分の心を平穏に保ち、詩作を続けたいものだ。

 
ところで、わが府知事は、最近色々なデザインのマスクをつけて出てくる。



市民の間では、それがまた話題になっている。



どんな時でも、楽しみを持つことは精神に良いことである。

「ハマスホイ と デンマーク絵画」 展

2020-01-22 20:36:10 | 文学・映画・芸術


上野の東京都美術館に行った。

ポスターの絵も、女性の後ろ姿が静かな雰囲気でいい感じ。
私の今の気分に合う(笑)
いつも大声で賑やかにおしゃべりするのも疲れる~
 
デンマークの画家、ヴィルヘルム・ハマスホイや
同時代の画家たちの絵がたくさん見られた。


 
特に、「背を向けた若い女性のいる室内」に描かれている
パンチボウルと銀色のトレイが、同時に展示されていて感激した。

これらが同じ空間に展示されるのは、
ハマスホイが作品に描いた時以来初めてだという。
115年ぶりの邂逅ということか・・・
 

映画 「ジョーカー」 に思う

2019-12-03 20:32:37 | 文学・映画・芸術


昨日、「ジョーカー」を見て来た。
美術館ばかりではなく、たまには映画でもみようと作品を捜していた。

そこへ、どういうわけか子供からの情報提供?があり、この映画を知った。
普段そんなに話さないのに、この映画に関しては彼は熱心だった(笑)
 
映画はかなり刺激的な内容だが、やはり見て良かった。
 
人間として誰でもが思う感情や・家族との関係・社会とのつながりなど・・・
作品の中で訴えるものがあり、感動した。
 
私自身、若かった時は父母との感情の行き違いがあり、
家族関係もいいとは思えなかった。
「最悪の家族」「最悪の社会」だと、常に思っていた(笑)

 
今、両親も高齢になり、自分が子供から何かと批判される毎日だ。
人間は、どの年齢や段階になっても、きっと悩みは尽きぬのだろう。
 
映画「ジョーカー」が若い人たちに支持されているのも、嬉しいことだ。
共感できる優しい人がまだまだ大勢いるのだ。

ロバート・デ・ニーロも渋くて、怪しい雰囲気がよかった(笑)