(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

陸奥の小田なる山に…

2012年06月08日 | とある貨レ撮りの世迷い言
カネじゃないよ?金本位制の金、ゴールドの方よ?

って、某・「海ゆかば」の作(曲)者の件でWikiったら
陸奥国の小田ってトコから金が出た!
ってのを祝う歌を大伴家持が詠んだ
その後半の一節が使われてるらしいんだけど
その小田っていうのが、宮城県遠田郡、辺りらしい。
小牛田・南郷・涌谷・田尻と、この辺り。
因みに陸前・陸中っていう冠称は明治以降のものなのは豆(ryね。
(同様に「出羽の国」の羽前・羽後も)

でも大崎市に行ってしまった田尻も含めて
あの辺りに「900両」も金が採れた山があったんだね…
どこか山を尋ねあたれば、まだ出てくるかな?
尤も俺は、あの天平時代~桓武帝の長岡京遷都前後の
謀反と粛清の物語に興味もってしまったんで
そっちに主な関心惹かれてしまいましたが。

(´・ω・)近くを通ったので、画像置いていきますね

もう一つ豆だけど、当時の陸奥守は
百済王敬福(くだらのこにしきのけいふく)って人。
ウリジナルではない、續日本紀からの資料なので
そういうものと、一応釘を刺しておきますが
くだらのこにしき…コニタン、って呼んではいけませんね。
んで、この人に縁のある「菅野」って姓の人が
宮城・福島辺りの南東北中心に多いんだけど
やっぱりこの陸奥守の人と関係あるんだろうね。

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2 コメント

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Unknown (ろびーめるせんぬ)
2012-06-09 00:11:49
なるほどね、ウチの田舎にも居ましたよ菅野さん。
クラス替えしても必ず居ましたね。

うちの田舎の海沿いの道は陸前浜街道って何やら由緒正しそうだけど、これもやっぱり比較的新しい名前なのよ。
ところがそこを昔八幡太郎義家が通ったりしてるから、原住民でも古い呼び名だと思っている人が多いです。
みちのくは金と縁がありますね。
藤原三代もそうだし、家持の歌ってなんたらかんたらで黄金花咲くって結ぶヤツでしたっけ?
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Unknown (ぃょう@某家頁管理人)
2012-06-09 01:06:15
> 同志・r(ry
まぁ、あーたのことだから分かるたー思いますんで。

黙って「海ゆかば」で検索してけらしぇ。
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