(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

ED75 136 ~前章~

2020年11月07日 | ★★★┃ ロ┃ED75総合 |★★★
 93年4月、福島(転)の740だか741だかの700代と重連で。

3080レ

 これを撮った当時は、長町区(人呼んで"ナチキク")の122、126と盛岡区(同じく、モカキク)の1004、1005が「パンダ」と呼ばれた試験塗装で、盛岡区の138が郡山車輌所で車体更新を受けて「ハラマキ」塗装になってた他は、皆赤2号の原色機ばかり。当然ツララ切りのついた"ヤネガマ"や1000番台のP型が入ればラッキーっていう案配で、他のM型はオカズみたいなもんだった。
 何せ「一目千本」と絡めて撮るのは「これをやらないと春がこない」という程の年中行事である。柴田町の観光課まで電話かけて「今何分咲きですか?」と尋ねては、自分のスケジュールと見比べて万事万端整え、万障お繰り合わせの上で宿までとって出かける。
 翌朝から白石川の川っぺりで、ずっと東北本線の列車を撮って贅沢な1日を過ごすのだ。朝はそれこそ2レ”北斗星2号”ぐらいから始めて、夕方日が沈む直前までずっと"桜バック"。今より貨物が多かったのも勿論だが、仙台電車区の電車の種類も多くて、417系に455系、715系、717系、719系、とバラエティーに富んでたので、撮っててフィルムが幾らあっても足りなかった。
 そんな当時に死ぬほど撮ったナナゴ重連貨物のコマを切ってマウントに入れて「サルヴェージ」してると、うわこの時に撮ってたか!と自分で自分に感動する。ことにポジで撮ってたらなおのことだ。当時はまだ常用フィルムはおろかメーカーすら決められない下手っぴで、上手く露出が当たれば万々歳だったのだ。
 あんましピントがきてないが、このコマをサルヴェージ前提でマウントに入れた時はあの陸前山王での長期休車のあとだったから、見つけただけで言い知れない感動を味わうことができた。

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