絵葉書ロマン譚 絵葉書資料館ブログ

絵葉書を通して、古き良き時代にタイムスリップ

モダンな流行生活9~豪華客船の旅~

2017-01-30 21:07:05 | 特集

現代は飛行機という便利な手段がありますが、
それ以前の大陸間の移動手段は船でした。
豪華な大型客船は、国力の象徴であることから、
各国で国をあげて建造しました。



あるぜんちな丸
特別室 [富士]居間
大阪商船




船旅は長期間に渡るため、航海中に客をあきさせないよう、
豪華な非日常空間を作り出し、
劇場公演やコンサートの観劇だけでなく、
参加型のイベントなどさまざまな工夫をしたそうです。



大正から昭和初期にかけて、
船旅は日本でも隆盛を極め、
造船技術の向上と共に国産の豪華客船が登場します。



大阪商船は大型客船を何艘も持つ大企業の一社で、
『あるぜんちな丸』は、三か月の航海で世界一周しました。
巨大な船体で、村野藤吾と
中村順平が分担して豪華な内装を設計しました。



特に特別室「富士」「桜」「鎌倉」「武士(さむらい)」は、
フランスやイギリスの外国様式を取り入れながら、
エッチンググラスなどで日本趣味的でモダンな装飾を施しました。
また、非日常の演出の一つとして、働くボーイも美男子を採用したとか。




第二次世界大戦を期に、日本の客船はほとんど失われましたが、
近年に入って、クルーズ客船が再び脚光を浴びるようになり、
船旅も身近なものに変わりつつあります。




次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!






次回は2月の予定です


モダンな流行生活8~国産ビール~

2016-12-27 18:52:49 | 特集



滑稽新聞


晩酌の代表、ビール。
一般家庭にまで浸透したお酒ですが、
国産ビールが初めて誕生したのは明治時代。



ビールを初めて紹介したのは、
江戸中期ごろの出島のオランダ人だそうです。
その後、開国間もなくのビールは
主に外人向けとして輸入する貴重品でした。
一般的に知られるようになったのは、
海外から技術者を招いてビールを日本国内で製造できるようになってからです。



国産ビールの中でも、老舗の一つであるキリンビールも、
最初は外国居留地に重点を置き、醸造に適した湧水があることから
横浜に工場を建設しました。



やがて販路が東京までのび、
明治後半から大正にかけてビヤホールや
カフェーにもビールが登場しました。
銀座に洒落た内装の店舗が開店し、
文化人やモダンボーイやガールも足しげく通うようになります。




一杯十銭(もりそばが一銭八厘)と
高級品でしたが、
ハイカラで最新の飲み物として歓迎されました。




次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!






次回は1月の予定です


モダンな流行生活4~百貨店と人形~

2016-01-25 15:12:52 | 特集

百貨店広告
人形ケース



豊かな暮らしを支える、趣味の良いものを買う。
百貨店の掲げる、理想の生活スタイルの一つです。



百貨店には必ず子ども向けコーナーがありますが、
子どもに良いものを与えたい親心をくすぐるものだったのです。



日本のデパートでこの時期から開催されるひな人形の販売も、
趣味と子どもをたくみにからめた商業戦略なのです。
三月のひな祭りに飾る行事は、明治時代に入り一時期すたれていたのですが、
三越がひな人形や五月人形の展示販売を催し、江戸趣味の粋なもの、
おもむきのある人形を紹介しました。




雛人形と郷土玩具



それまで人形や郷土玩具は、少々マニアックな趣味人の持つものと認識されていました。
しかし百貨店が大々的に宣伝し、子どもに文化的なものを与える重要性を説き、
大人も子どもも楽しめる行事として全国に定着させたのです。






次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!






次回は2月の予定です


モダンな流行生活3

2015-12-15 19:20:51 | 特集

「今日は帝劇 明日は三越」という
キャッチコピーで有名な百貨店・三越。
日本で初めてデパートを開業した三越は、
買い物に来た客をより楽しませるため、
様々な工夫と挑戦を続けました。




三越呉服店中央階段


現代は娯楽施設や商業施設も多彩になりましたが、
昭和までデパートは家族全員が
一日かけて楽しむ、一大商業施設の代表でした。
デパート戦略の基礎をつくったとされている、
フランスのデパート『ボン・マルシェ』は、
施設内に入ってもらうことを目指し、
クラシックコンサートや無料飲料スペース、
レストランの併設など買い物以外の魅力も打ち出していきました。





三越も独自のサービスを心掛け、庭園や音楽堂、
食堂も完備した巨大商業施設を東京の真ん中に登場させました。
普段なかなか味わえない洋食が食べられる大食堂は、
三越だけでなく、すべてのデパートの象徴の一つとなりました。






京都大丸食堂の一部




昭和6年に日本橋三越の食堂で、
「子どもたちに夢を」のコンセプトのもと、お子様洋食が登場しました。
のちに松阪屋にて「お子様ランチ」と
名付けられた日本らしい心づかいの料理は、
すぐに他の百貨店でも取り入れられ、
子どもたちの憧れる新名物となったのです。




次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!






次回は1月の予定です


モダンな流行生活2

2015-11-20 16:50:03 | 特集


三越上 呉服陳列場


ポール・ポワレやシャネルの革新的なデザインに触発され、
次々と新しいモードが花開いた時代。
日本でもじょじょに洋服が着られるようになりましたが、
着物の姿の方が多かったそうです。



当時の流行と風俗を記録・研究していた今和次郎の調査によると、
銀座界隈を闊歩する男性の67パーセントが洋装であるのに対し、
女性は1パーセントほどしかいなかったとか。
しかしその着物にも、新しい流行の波が押し寄せてきておりました。
安くて丈夫な絹織物、銘仙が登場し、瞬く間に大正から昭和にかけて
女性のおしゃれ着の代表となりました。



銘仙の特徴は、何といっても豊富なデザインと、
一反十円と他の絹製品の半額ほどで購入できたことでしょう。



織物製造も機械化が進み、様々なパターンの反物を
短期間で生産できるようになりました。
百貨店とも関わりが深く、東京の三越呉服店では
明治半ばより「めいせん」と銘打って販売しました。
洋風の柄や色彩を積極的に取り入れ、
目新しいものを次々生み出し、一大ブームを築き上げます。




また、流行会というサロンを発足し、文化人を招いて
新作デザインの発表・販売促進に力を注いだとのことです。
絵葉書も重要な広告塔の一つとなり、
色鮮やかな銘仙でおめかしした女性が、
様々なシーンで登場します。




最新流行

これを見た当時の女性は、
気に入ったデザインとみつけると、
百貨店へ探しにいったのでしょう。



次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!






次回は12月の予定です