『ブラッカムの爆撃機-チャス・マッギルの幽霊・ぼくを作ったもの』をようやく読み終えました。この本がどのようにできたのか、以前のブログでも若干触れましたが、改めて紹介しておきましょう。出版元の岩波書店のサイトから拾ってみます。
●『ブラッカムの爆撃機-チャス・マッギルの幽霊・ぼくを作ったもの』2006年、金原瑞人訳、岩波書店
〔出版社からのコメント〕
イギリスのカーネギー賞作家ロバート・ウェストール(1929-1993)の作品集。収録されるのは、「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編に、晩年(6年間)著者と生活を共にした女性リンディ・マッキネルによる略伝「ロバート・ウェストールの生涯」。
----と、これだけならば、ふつうのヤングアダルト向き児童書と思われるでしょうが、この本には、あっと驚く仕掛けが......。
1990年に福武書店から刊行された『ブラッカムの爆撃機』(「チャス・マッギルの幽霊」「ブラッカムの爆撃機」の2編を収録)に惚れ込んだ宮崎駿監督。思いが昂じて、はるばるウェストールの故郷をたずね、「ウェストール幻想 タインマスへの旅」(コマ漫画、カラー24頁分)を描き下ろし、自ら編んだ今回の本のイントロに配したのです。ぜひとも今の日本の若者たちにウェストールを読んでほしい! という宮崎監督の熱い思いが伝わってきます。【編集部:若月万里子】
〔内容(「BOOK」データベースより)〕
イギリスの作家ロバート・ウェストールの作品集。大戦下の少年たちの友情と恐怖を描く「ブラッカムの爆撃機」の他、「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の2編に、リンディ・マッキネルによる「ロバート・ウェストールの生涯」と宮崎駿のカラー書き下ろし「タインマスへの旅」を収録。
私が手に入れた本は2009年2月発行8刷ですから、相当売れた本ということになります。その理由は宮崎駿さんの関与によるところが大きいようです。彼はこの本の編集にかかわり、最初と最後に自身の漫画を配しました。「ブラッカムの爆撃機」は児童文学とは呼べない、大人の鑑賞にも十分堪えうる読み物で、しかも翻訳ということもあって、かなり理解が難しい物語なのです。ところが宮崎さんの漫画がうまく読書案内してくれていて、読み始めやすくなっています。
3編の収録作品のうち私が好きなのは「ぼくを作ったもの」です。偏屈な祖父の話ですが、最後の一文は「時は流れる。それもあらゆる方向へ。そう、祖父がぼくを作ったんだ」
で結ばれます。
そして、〈特別寄稿〉「ロバート・ウェストールの生涯」がいいですね。後に妻になるリンディ・マッキネルさんの筆になるものです。彼女にしか書けないウェストールの人となりを知ることができます。人間ウェストールをリアルに感じることができました。
ウェストールに親近感を抱くのは、彼が中学校の美術教師を25年続けていて、55歳で早期退職をしたという事実です。私は小学校の教師を33年続けて、奇しくもウェストールと同じ55歳で退職をしています。何かの因縁を感じるのです。
さてマッキネルさんはウェストールの作品を2つに大別しています。「現実的でリアルな物語」(第2次世界大戦が背景になっているものが多い)と「怖い」物語(超自然的な存在や現象を扱っている)です。
宮崎駿さんの描き下ろし後編は、ウェストールとの架空対談です。最後に「ぼくはウェストールが好きだ…」で結ばれています。そうなると、次に読むのは宮崎さんイラストの『水深五尋』しかないでしょう。
●『水深五尋』金原瑞人・野澤佳織訳、宮崎駿イラスト、岩波書店、2009年
〔内容(「BOOK」データベースより)〕
舞台は、第二次大戦下、イングランド北東部の小さな港町―貨物船がUボートに撃沈されるのを見たチャスは、翌朝、砂浜で発信器らしきものを発見する。友人たちと興味半分で始めたスパイさがしは、しだいに深刻な事態に…。カーネギー賞受賞作『“機関銃要塞”の少年たち』のチャス・マッギルと幼なじみが十六歳になって登場。本邦初訳。
「ぼくはウェストールが好きだ…」という宮崎さんだからこそ、「紅の豚」や「風立ちぬ」が生まれたのでしょうか。「風立ちぬ」は賛否両論を巻き起こしましたが、以下の文章を読むと、その思いはひしひしと伝わってはきます。戦闘機としての零戦を造った主人公や原爆を造った科学者たちを現在の私たちは肯定していいのでしょうか。ラブストーリーを絡めた美しい映像の連続だけに想いは揺れ続けるのです。
●「風立ちぬ」企画書、「飛行機は美しい夢」宮崎駿、2013年
零戦の設計者堀越二郎とイタリアの先輩ジャンニ・カプローニとの同じ志を持つ者の時空をこえた友情。いくたびもの挫折をこえて少年の日の夢にむかい力を尽すふたり。
大正時代、田舎に育ったひとりの少年が飛行機の設計者になろうと決意する。美しい風のような飛行機を造りたいと夢見る。
やがて少年は東京の大学に進み、大軍需産業のエリート技師となって才能を開花させ、ついに航空史にのこる美しい機体を造りあげるに至る。三菱A6M1、後の海軍零式艦上戦闘機いわゆるゼロ戦である。1940年から三年間、ゼロ戦は世界に傑出した戦闘機であった。
少年期から青年期へ、私達の主人公が生きた時代は今日の日本にただよう閉塞感のもっと激しい時代だった。関東大震災、世界恐慌、失業、貧困と結核、革命とファシズム、言論弾圧と戦争につぐ戦争、一方大衆文化が開花し、モダニズムとニヒリズム、享楽主義が横行した。詩人は旅に病み死んでいく時代だった。
私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。
この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名の小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は“風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会い別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を超えた彩どりをそえて、完全なフィクションとして1930年代の青春を描く、異色の作品である。
●『ブラッカムの爆撃機-チャス・マッギルの幽霊・ぼくを作ったもの』2006年、金原瑞人訳、岩波書店
〔出版社からのコメント〕
イギリスのカーネギー賞作家ロバート・ウェストール(1929-1993)の作品集。収録されるのは、「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編に、晩年(6年間)著者と生活を共にした女性リンディ・マッキネルによる略伝「ロバート・ウェストールの生涯」。
----と、これだけならば、ふつうのヤングアダルト向き児童書と思われるでしょうが、この本には、あっと驚く仕掛けが......。
1990年に福武書店から刊行された『ブラッカムの爆撃機』(「チャス・マッギルの幽霊」「ブラッカムの爆撃機」の2編を収録)に惚れ込んだ宮崎駿監督。思いが昂じて、はるばるウェストールの故郷をたずね、「ウェストール幻想 タインマスへの旅」(コマ漫画、カラー24頁分)を描き下ろし、自ら編んだ今回の本のイントロに配したのです。ぜひとも今の日本の若者たちにウェストールを読んでほしい! という宮崎監督の熱い思いが伝わってきます。【編集部:若月万里子】
〔内容(「BOOK」データベースより)〕
イギリスの作家ロバート・ウェストールの作品集。大戦下の少年たちの友情と恐怖を描く「ブラッカムの爆撃機」の他、「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の2編に、リンディ・マッキネルによる「ロバート・ウェストールの生涯」と宮崎駿のカラー書き下ろし「タインマスへの旅」を収録。
私が手に入れた本は2009年2月発行8刷ですから、相当売れた本ということになります。その理由は宮崎駿さんの関与によるところが大きいようです。彼はこの本の編集にかかわり、最初と最後に自身の漫画を配しました。「ブラッカムの爆撃機」は児童文学とは呼べない、大人の鑑賞にも十分堪えうる読み物で、しかも翻訳ということもあって、かなり理解が難しい物語なのです。ところが宮崎さんの漫画がうまく読書案内してくれていて、読み始めやすくなっています。
3編の収録作品のうち私が好きなのは「ぼくを作ったもの」です。偏屈な祖父の話ですが、最後の一文は「時は流れる。それもあらゆる方向へ。そう、祖父がぼくを作ったんだ」
で結ばれます。
そして、〈特別寄稿〉「ロバート・ウェストールの生涯」がいいですね。後に妻になるリンディ・マッキネルさんの筆になるものです。彼女にしか書けないウェストールの人となりを知ることができます。人間ウェストールをリアルに感じることができました。
ウェストールに親近感を抱くのは、彼が中学校の美術教師を25年続けていて、55歳で早期退職をしたという事実です。私は小学校の教師を33年続けて、奇しくもウェストールと同じ55歳で退職をしています。何かの因縁を感じるのです。
さてマッキネルさんはウェストールの作品を2つに大別しています。「現実的でリアルな物語」(第2次世界大戦が背景になっているものが多い)と「怖い」物語(超自然的な存在や現象を扱っている)です。
宮崎駿さんの描き下ろし後編は、ウェストールとの架空対談です。最後に「ぼくはウェストールが好きだ…」で結ばれています。そうなると、次に読むのは宮崎さんイラストの『水深五尋』しかないでしょう。
●『水深五尋』金原瑞人・野澤佳織訳、宮崎駿イラスト、岩波書店、2009年
〔内容(「BOOK」データベースより)〕
舞台は、第二次大戦下、イングランド北東部の小さな港町―貨物船がUボートに撃沈されるのを見たチャスは、翌朝、砂浜で発信器らしきものを発見する。友人たちと興味半分で始めたスパイさがしは、しだいに深刻な事態に…。カーネギー賞受賞作『“機関銃要塞”の少年たち』のチャス・マッギルと幼なじみが十六歳になって登場。本邦初訳。
「ぼくはウェストールが好きだ…」という宮崎さんだからこそ、「紅の豚」や「風立ちぬ」が生まれたのでしょうか。「風立ちぬ」は賛否両論を巻き起こしましたが、以下の文章を読むと、その思いはひしひしと伝わってはきます。戦闘機としての零戦を造った主人公や原爆を造った科学者たちを現在の私たちは肯定していいのでしょうか。ラブストーリーを絡めた美しい映像の連続だけに想いは揺れ続けるのです。
●「風立ちぬ」企画書、「飛行機は美しい夢」宮崎駿、2013年
零戦の設計者堀越二郎とイタリアの先輩ジャンニ・カプローニとの同じ志を持つ者の時空をこえた友情。いくたびもの挫折をこえて少年の日の夢にむかい力を尽すふたり。
大正時代、田舎に育ったひとりの少年が飛行機の設計者になろうと決意する。美しい風のような飛行機を造りたいと夢見る。
やがて少年は東京の大学に進み、大軍需産業のエリート技師となって才能を開花させ、ついに航空史にのこる美しい機体を造りあげるに至る。三菱A6M1、後の海軍零式艦上戦闘機いわゆるゼロ戦である。1940年から三年間、ゼロ戦は世界に傑出した戦闘機であった。
少年期から青年期へ、私達の主人公が生きた時代は今日の日本にただよう閉塞感のもっと激しい時代だった。関東大震災、世界恐慌、失業、貧困と結核、革命とファシズム、言論弾圧と戦争につぐ戦争、一方大衆文化が開花し、モダニズムとニヒリズム、享楽主義が横行した。詩人は旅に病み死んでいく時代だった。
私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。
この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名の小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は“風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会い別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を超えた彩どりをそえて、完全なフィクションとして1930年代の青春を描く、異色の作品である。