後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔432〕第2回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」大好評、大盛況のうちに終了しました。

2022年01月26日 | 美術鑑賞
 1月19日(水)から24日(月)まで6日間開催されていた第2回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」は掛け値なしに大好評、大盛況のうちに終了しました。
 オミクロン株が猛威を振るうコロナ禍の中、一時は感染者に比例するように来場者が増えていったのは事実でした。第1回は2週間の会期で約500人の来場者があり、大健闘したと思っていたのですが、今回は半分の期間でほぼ同数の500人近くの来場者があったのです。
 前回は日経新聞、東京新聞、朝日新聞、しんぶん赤旗など多くの新聞が取り上げてくれました。今回はそうした手回しができなかったのですが、直前になってアサココ(朝日新聞とともに月2回配布される多摩地区限定新聞)が取材に訪れ、展示2日目に家庭に配布されたのでした。このアサココ効果が絶大で、おそらく来場者の九割はその読者でしょう。次に多かったのは地元の展覧会開催協力者Iさんの集客力です。Iさんの働きかけによる国分寺市の市報掲載、前回観覧者や我々のミニコミ読者への手紙作戦も功を奏しました。
 来館者の中にはルポライターの鎌田慧さん、カメラマンの樋口健二さん、武蔵大学教授の永田浩三さんといった著名な方もおられましたが、ほとんどは多摩地域在住の市民の皆さんでした。

 私にとって嬉しかったのは同世代の元小学校教師仲間が駆けつけてくれたことでした。
 山﨑隆夫(昔の仲間はこうした呼び方になってしまいます)は東京学芸大学の同期で、バドミントン部に所属してダブルスを組んだ親友でした。定年退職後、都留文科大学で講師を勤めています。
 山﨑と一緒にいらしたのが霜村三二さん、やはり定年退職後、都留文科大学や白梅学園大学で講師を勤めています。
 そして、ひょっこり現れたのがやはり大学のバドミントン仲間の遠藤勝でした。来場の予告がなかったので嬉しさ倍増でした。
 3人とも畏友ともいえる存在で、いずれも教育界では名の通った人たちばかりです。

 山﨑との再会後、私が写真を送ったメールに返信がありました。

◆福田へ
 写真送ってくれてありがとう。感謝です。
 あえてよかった。あっというまのぼくたちの人生だけれど、大学時代の4年間が深く懐かしく思い出される。 
 それだけ刺激的だったんだろうね。
 福田が、緑さんと共に大切な日々を丁寧に、しかも研究的に、かつ好奇心いっぱいに送っていらっしゃることに敬服です。
 ブログに写真展に行ったことを記していますので、その記事を添付しておきます。
 遠藤がきてくれたのはうれしいね。

             2022,1,25    山﨑隆夫

 というわけで、山﨑のブログの文章を再録させてもらいます。

*山﨑のブログ https://ameblo.jp/takao-yama/entry-12722772818.html

◆懐かしい友と会う
 大学時代の親友・福田三津夫(以下、当時の呼び方で福田と呼ぶ。敬称をつけない方が自然体でいいのでね)から、『福田緑写真展』の案内をいただいた。緑さんは福田のパートナー。
 福田とは、大学時代バトミントン部に所属しダブルスを組んでいた。関東国公立大会で優勝した。リーグ戦でも常に一緒だった。
 福田とぼくと、もう一人の友人Yと3人で、互いの結婚式の司会をしあった。

 写真展の会場は、国分寺駅北口の『司画廊』。
 2週間近く前、霜村さんに電話して「福田緑さんの写真展いかない?」と連絡を入れた。福田と霜村さんは、民間教育団体の雑誌『演劇と教育』でつながっている。埼玉大学の岩川直樹さんを通してのつながりかな(岩川さん、お名前を出したごめんなさい)。
 霜村さんから「行こう」という返事。
 しかし、コロナ感染(オミクロン株)拡大がとまらない。さてこんな状況下、写真展に誘っていいのか悩んでいた。そんなとき、霜村さんから電話があった。
「写真展が始まったでしょう。明日辺りどう?」
 それで決断。やっぱり2人で会いに行こう。

 土曜日の正午。国分寺駅で待ち合わせ。
 北口から5分、西武国分寺線の踏切を渡ったすぐ傍のビルに『司画廊』があった。
 地下への階段を降りる。
 写真展の名称は、『福田緑写真展№2 祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』。
 ドアを開けると緑さんが「いらっしゃいませ」と挨拶して迎えてくれた。
まだ、ぼくだとは気づかない。
「緑さんでしょう。山﨑です!」
「ああ、山崎さん。来てくれてありがとうございます。いま福田を呼びます」
 福田と懐かしい再会。
 霜村さんとも久しぶりの出会いじゃないかな。
 広々とした画廊の壁に、たくさんの写真が飾られている。全部、緑さんが撮った写真だ。リーメンシュナイダー(1460年ごろの生まれ~1531年)の宗教彫刻が並ぶ。
 緑さんは、33年間小学校教師を務めた後、2005年に退職。1999年ドイツでリーメンシュナイダーの作品と出会い、「追いかけ人」となる。

 壁に並ぶ写真を見て歩いた。リーメンシュナイダーの彫刻の美しさが緑さんの目を通して、2倍、3倍になって、見る者の心に迫ってくる。人間そのものの存在を深く掘り下げたようなリーメンシュナイダーの彫刻は、緑さんの写真によって、心と分かちがたく結び合う人間の身体、内奥、息づかい、細やかな感情の動き等を見事に写しだし、新たな光の中で輝きをましているように思われた。
 パンフレットの説明に『ドイツ・ルネサンスの先駆け』という言葉が記されていたが、その意味が深く伝わってくる。
「緑さんの写真にとらえられた彫刻を見ていたらね、福田と似ているものがあったよ」
 そうぼくは伝えると、彼は笑って、ある写真の前に連れて行ってくれた。

 写真展を見終えて、福田と再会を約束し、2人で外に出る。
「神原さんが『哲学カフェ』を開いていた『胡桃堂喫茶店』に行こう」
 と、霜村さんが誘ってくれた。
 すこし歩くと、広い三叉路の向こうに、やわらかな灰色の折り紙を二つ折りにして立てたような建物が見えた。入り口のガラス窓に、時間が昔に巻き戻されたような昔風の金色の文字が縦に書かれていた。
「ああ、ここで神原さんは様々な人たちに呼びかけて『哲学カフェ』を開いていたんだ」
「昨年の1月、神原さんが亡くなった。あまりにも突然で今も信じられない」
 霜村さんがつぶやく。
 2階の広いテーブルの1つに距離をとって座る。店の前で待っていてくれたMさんも交えて3人でおしゃべり。2人はブレンド。ぼくは、まず『お汁粉』を頼んで、それからブレンドを注文。

 写真展はとてもよかった。
 そして、元気な福田と会えたこともうれしかった。彼はまだ大学で学生たちを教えている。


 そして三二さんも来場の様子を実に丁寧にブログに書いてくれました。メールとともに紹介させてもらいます。

◆福田さん

写真展を見て、感激しました。
緑さんの行動力、三津夫さんのサポート、素晴らしいなあ。
山﨑さんから、写真が送られてきました。みんな同じ年齢。元気にそれぞれのやるべきことを続けましょう。

ブログ「さんにゴリラのらぶれたあ」に紹介しました。
リーメンシュナイダー写真展へ、最後はトホホ | さんにゴリラのらぶれたあ
*三二さんのブログ https://ameblo.jp/sanni1132/entry-12722281708.html

ありがとうございました。
本日、頼まれて、白梅短大にて「言語」2コマの授業をします。
ことばで遊ぶという内容。
                            霜村三二

最新の画像もっと見る