大学時代の親友の山﨑隆夫君のブログ『扉の向こうは』(2022-07-16)で、拙著のことを丁寧に紹介してくれました。心温まるコメントで友を持つ幸せを感じています。ブログをそのままコピーさせてもらいます。本物を読みたい方はこちらからどうぞ。
◆彫刻はこう見るのか!
福田緑・福田三津夫著、…素敵な写真集をいただく
大学時代の親友・福田三津夫君(以下、福田と呼ぶね)とパートナー緑さんが、2人で共同して出版した写真集をいただいた。写真集ではあるが、2人の思いのあふれる文章が各所に綴られている。
本の題名は『結(ゆい)・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』(丸善プラネット社、2022年7月出版)。写真は福田緑さん。文章は緑さんと福田による。(本書の©の印がついていない写真は全て緑さんが撮影したもの)
リーメンシュナイダーを日本に紹介した先駆者は福田緑さんだという。(これはぼくの間違い。正しくは、日本に最初に紹介したのは佐々木基一氏だということ。それまでも何冊かの本や雑誌等で取り上げられ紹介されていたが、リーメンシュナイダーの作品を目に見える形で紹介する写真集は緑さんが出版するまでなかったとのこと)
ドイツの旅で夢中になり、1999年から22年以上、ドイツ国内だけでなく各地を訪ね、リーメンシュナイダーの作品のあるところにはどこにでも出かけて行ったようだ。
リーメンシュナイダーは1460年頃誕生、1531年に亡くなっている。ドイツにおける中世後期「初期ルネッサンス」の時代の彫刻家。(ぼくの適当な解釈ですいません)
その圧倒的な緑さんの熱量の中に福田も巻き込まれたようだ。
緑さんの写真集は2巻出版されていたが、その後、福田の方が緑さんに言ったという。
「リーメンシュナイダーとつながる中世ドイツの彫刻や彫刻家についてもっと調べて日本に紹介したらどう」と。(福田の言葉をぼくが推測したもの。正確な彼の言葉の引用ではない)
それが第3集、第4集となり出版される。
そして、今回は2人の共著の出版というわけだ。写真は緑さん。
※
ぼくは、この世界に対しまったく門外漢で一読者でしかない。
しかし、緑さんの写真を見て深く感動した。このことは、今年の1月、写真展が開催された時のブログでも触れたかもしれないけれど…。
福田の説明によると、「本書の作成に際してもう一度ニュルンベルクのゲルマン国立博物館に緑の写真掲載を求める手紙と見本を送ったところ、正面性のある写真を博物館から購入するという条件で、ほかのアングルの写真は緑の写真を掲載してもよろしいという許可を得ることができた」と書かれている。
つまり、今回の本に掲載されている(ゲルマン国立博物館)正面性の写真は、2人が個人的費用で買い取り、それを掲載しつつ、緑さんの写真を並べて掲載したということだ。
また、博物館が特別の許可を与えるほど緑さんの仕事への敬意と理解があったということ。
そしてぼくは、実はこの正面性の写真に感動したというより、緑さんの手による写真に圧倒されたのだ。
緑さんの手にかかると、途端にその彫刻が“命を吹き込まれ生を得て”見る者に深く迫ってくる。
例えば、本書に最初に登場するシュトース(1447年頃~1533年)の作品『聖母子像』(p6~7)の写真。正面からとらえられたこの彫刻像も、勿論見るだけで何か訴えてくるものがあるが、緑さんのとらえたアングルからの写真をみると、母に抱かれた赤ちゃんが今にも動き出しそうな生きた表情としぐさをしていて、母の手は確かな命の存在を愛おしむように赤ちゃんを右手で抱きとめている。左手は長い襞をそっと持ち上げて…。母の眼差しは、正面からだととらえにくいが、緑さんの写真を通すと深い慈愛に満ちたふくよかな思いがそこにあふれていて、この子をその手に抱きとめる内から込み上げるような生きた喜びや満足感が漂っている。
「凄いな! 緑さんはここを見ていたんだ!」
と思った。
本に掲載されたその他の写真にも(©の印のないものは全て緑さんが撮った写真)、当時を生きた人間の表情が的確にとらえられていて、ぼくの胸を揺るがす。まるで、その人物の内なる感情やこだわり、生き方、喜怒哀楽等までが浮き彫りにされているようだ。
まさにこれらが「初期ドイツのルネッサンス」の作品なのだといっていいのだろう。教会に飾られた彫刻などが主だと思うが、当時の彫刻家たちは、一体の彫刻の中に“人間というものの真実”を深く読み取り、感じ取って、それを表現せずにはいられなかったのだろう。このすごさを緑さんは捉えた。そんな風に思った。
※
以上、もしかしたらぼくの勝手な理解かもしれないが、ふたりによる本の出版はうれしい。とにかく貴重な本だ。見事な写真が満載されている。
※
初めて2人と出会った日のことを覚えている。
大学時代の4年生の11月ではなかったか。あるいは卒業した翌年? ぼくらはバドミントンクラブに所属しこれ一筋に生きていたが、大学祭でテントを借りて『ぷーな』という“うどん店”を開いていた。その時、福田が緑さんを伴い店にやって来て紹介してくれたのが初めての出会いだったような…。(事実は、大学卒業した翌年の秋だったね!)
教師になって2人が結婚を決めた時、ぼくとYとが結婚式の司会をした。3人の中で一番早い結婚だった。福田には、教育実践への独特のこだわりがあってずいぶん刺激された。それぞれ独自の道を歩み始めるのだけれど、福田の存在はいつもぼくの気づかない世界を別面から照らし出してくれて励ましてくれた。
今回もそんな感じで、2人の出版がとてもうれしい。大学を卒業して50年になるが、ずっと互いに刺激し合っていられる存在であったことがうれしい。
福田、緑さん、写真集ありがとう。そして、おめでとう!
*大学を卒業し教職に就いてからもしばらくは山﨑と連絡を取り合っていました。教育現場の情報交換から2人で冊子をつくることに発展していきました。
その年の秋、日本生活教育連盟のサークルで緑と出会い、大学祭に同行することになりました。そこで山﨑たちバド仲間と緑は初対面したのです。その翌年山﨑とYの司会で私たちは結婚式を挙げることになったのです。
◆彫刻はこう見るのか!
福田緑・福田三津夫著、…素敵な写真集をいただく
大学時代の親友・福田三津夫君(以下、福田と呼ぶね)とパートナー緑さんが、2人で共同して出版した写真集をいただいた。写真集ではあるが、2人の思いのあふれる文章が各所に綴られている。
本の題名は『結(ゆい)・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』(丸善プラネット社、2022年7月出版)。写真は福田緑さん。文章は緑さんと福田による。(本書の©の印がついていない写真は全て緑さんが撮影したもの)
リーメンシュナイダーを日本に紹介した先駆者は福田緑さんだという。(これはぼくの間違い。正しくは、日本に最初に紹介したのは佐々木基一氏だということ。それまでも何冊かの本や雑誌等で取り上げられ紹介されていたが、リーメンシュナイダーの作品を目に見える形で紹介する写真集は緑さんが出版するまでなかったとのこと)
ドイツの旅で夢中になり、1999年から22年以上、ドイツ国内だけでなく各地を訪ね、リーメンシュナイダーの作品のあるところにはどこにでも出かけて行ったようだ。
リーメンシュナイダーは1460年頃誕生、1531年に亡くなっている。ドイツにおける中世後期「初期ルネッサンス」の時代の彫刻家。(ぼくの適当な解釈ですいません)
その圧倒的な緑さんの熱量の中に福田も巻き込まれたようだ。
緑さんの写真集は2巻出版されていたが、その後、福田の方が緑さんに言ったという。
「リーメンシュナイダーとつながる中世ドイツの彫刻や彫刻家についてもっと調べて日本に紹介したらどう」と。(福田の言葉をぼくが推測したもの。正確な彼の言葉の引用ではない)
それが第3集、第4集となり出版される。
そして、今回は2人の共著の出版というわけだ。写真は緑さん。
※
ぼくは、この世界に対しまったく門外漢で一読者でしかない。
しかし、緑さんの写真を見て深く感動した。このことは、今年の1月、写真展が開催された時のブログでも触れたかもしれないけれど…。
福田の説明によると、「本書の作成に際してもう一度ニュルンベルクのゲルマン国立博物館に緑の写真掲載を求める手紙と見本を送ったところ、正面性のある写真を博物館から購入するという条件で、ほかのアングルの写真は緑の写真を掲載してもよろしいという許可を得ることができた」と書かれている。
つまり、今回の本に掲載されている(ゲルマン国立博物館)正面性の写真は、2人が個人的費用で買い取り、それを掲載しつつ、緑さんの写真を並べて掲載したということだ。
また、博物館が特別の許可を与えるほど緑さんの仕事への敬意と理解があったということ。
そしてぼくは、実はこの正面性の写真に感動したというより、緑さんの手による写真に圧倒されたのだ。
緑さんの手にかかると、途端にその彫刻が“命を吹き込まれ生を得て”見る者に深く迫ってくる。
例えば、本書に最初に登場するシュトース(1447年頃~1533年)の作品『聖母子像』(p6~7)の写真。正面からとらえられたこの彫刻像も、勿論見るだけで何か訴えてくるものがあるが、緑さんのとらえたアングルからの写真をみると、母に抱かれた赤ちゃんが今にも動き出しそうな生きた表情としぐさをしていて、母の手は確かな命の存在を愛おしむように赤ちゃんを右手で抱きとめている。左手は長い襞をそっと持ち上げて…。母の眼差しは、正面からだととらえにくいが、緑さんの写真を通すと深い慈愛に満ちたふくよかな思いがそこにあふれていて、この子をその手に抱きとめる内から込み上げるような生きた喜びや満足感が漂っている。
「凄いな! 緑さんはここを見ていたんだ!」
と思った。
本に掲載されたその他の写真にも(©の印のないものは全て緑さんが撮った写真)、当時を生きた人間の表情が的確にとらえられていて、ぼくの胸を揺るがす。まるで、その人物の内なる感情やこだわり、生き方、喜怒哀楽等までが浮き彫りにされているようだ。
まさにこれらが「初期ドイツのルネッサンス」の作品なのだといっていいのだろう。教会に飾られた彫刻などが主だと思うが、当時の彫刻家たちは、一体の彫刻の中に“人間というものの真実”を深く読み取り、感じ取って、それを表現せずにはいられなかったのだろう。このすごさを緑さんは捉えた。そんな風に思った。
※
以上、もしかしたらぼくの勝手な理解かもしれないが、ふたりによる本の出版はうれしい。とにかく貴重な本だ。見事な写真が満載されている。
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初めて2人と出会った日のことを覚えている。
大学時代の4年生の11月ではなかったか。あるいは卒業した翌年? ぼくらはバドミントンクラブに所属しこれ一筋に生きていたが、大学祭でテントを借りて『ぷーな』という“うどん店”を開いていた。その時、福田が緑さんを伴い店にやって来て紹介してくれたのが初めての出会いだったような…。(事実は、大学卒業した翌年の秋だったね!)
教師になって2人が結婚を決めた時、ぼくとYとが結婚式の司会をした。3人の中で一番早い結婚だった。福田には、教育実践への独特のこだわりがあってずいぶん刺激された。それぞれ独自の道を歩み始めるのだけれど、福田の存在はいつもぼくの気づかない世界を別面から照らし出してくれて励ましてくれた。
今回もそんな感じで、2人の出版がとてもうれしい。大学を卒業して50年になるが、ずっと互いに刺激し合っていられる存在であったことがうれしい。
福田、緑さん、写真集ありがとう。そして、おめでとう!
*大学を卒業し教職に就いてからもしばらくは山﨑と連絡を取り合っていました。教育現場の情報交換から2人で冊子をつくることに発展していきました。
その年の秋、日本生活教育連盟のサークルで緑と出会い、大学祭に同行することになりました。そこで山﨑たちバド仲間と緑は初対面したのです。その翌年山﨑とYの司会で私たちは結婚式を挙げることになったのです。