25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

世界の都市、町

2019年11月02日 | 旅行
 テレビ番組内で「モナコ」についてちょっと紹介したコーナーがあった。ここに住む五人の80%は移民だそうな。6000万円の貯金証明を見せる必要がある。治安がよくお金持ちだけが暮らす。ウエイターをやっている隣のフランスから毎日国境を越えて自転車で働きに来る男性によれば、賃金はチップも含めてフランスの3倍になるという。
 モナコ公国。立憲君主制国家。アルベール2世が現在のモナコ大公。高級カジノ。ヨットハーバー、モナコグランプリが有名である。お金持ちに有名なのは所得税がないことだ。タックスヘーブンの都市国家としてもよく知られている。テレビではファッショナブルな女性や男性を紹介していた。世界でも有数の富裕国である。腕時計が1200万円だとか、身につけているもので、何百万とか、なんと人間は無駄なことをしているのかとは思う。

 昆明。中国雲南省の都市。この昆明は年中春だと聞いたことがある。快適な気温が毎日続く。昆明から尾鷲に越してきた人の話だ。話から想像だけしていたのだが、もっと小さな都市だと思っていたら巨大な都市であった。これもテレビで紹介していた。東北地方は寒いので、昆明への移住希望者が多いという。
 昆明の池のほとりには柳が並んでいた。ぼくは中島みゆきの「川風」はまさにこんな風なところで、歌えばとってもよい歌だろうな、などと思ったのだった。ここは一度行ってみたい。高倉健の「単騎千里を走る」は昆明が基地となって撮影がされたと聞いたことがある。暑くもなく寒くもなく、1891メートルの高原にある。ユリカモメが池に居て餌をやる人々がいた。ロシアに飛び立っていくのを見送る人たちもいた。

 世界には多くの都市があり、町がある。以下は行ったことがある町である。
 バンクーバーからフェリーで30分。ビクトリアという花の公園と花でいっぱいの島があり、カナダの人は老後、ここに住みたい人が多いという。この島の美しさには堪能した思い出がある。
 シアトルからも近い。シアトルの中にマーサーアイランドという島がある。中州である。周囲の湖は年中穏やかであるからレイクサイドが人気の不動産だ。この町も安全で上品でよい町だった。モナコのような雰囲気はまるでない。アメリカ人の良き良心がある島だと思う。人々は寛容で優しく、理知的である。

 バリ島は相変わらずまた行きたくなる島だ。バリ島には伝統音楽、舞踊、絵画、織物、銀細工、木彫り、石彫がある。そのようなものを大事にしている。ホテルリゾート区域と自分たちが生きる地域とは一線を画している。その徹底さにも人々は惹かれる。神々にお供えをし、物静かに生きているように見える。

 リスボン。ぼくは二度行った。リスボンの街はアルファーマ地区の路地を歩き、ファドを聞くのだ。ワインを飲みながらいわしを食べ、亀の手を食べるのだ。

 いろいろな都市や町のことを想っていると、もう時間に限界がきつつあることに気づく。かつてどこにでもいける、どこにでもいく、と、時間は無限にある、と思っていたのが、有限性にふと気づく。

ロシア人の客 

2019年07月17日 | 旅行
 酒を飲むのにやはり水も脇に置いて飲まないといけない。たとえビールでもそういう気がする。飲んでいるのはアルコールである。肝臓や腎臓に助っ人の水を供給しないといけないと思う。昨晩はよく飲んで、よく食べた。それで水を時々飲むのを忘れていたら、酔いもきつく、家に帰ってからまず水を2杯飲み、録画してあった「大相撲」を見ながら「あくび」をして何度も酸素を取り込み、あくびを無理やりだすこともできなくなるまでやったら、ちょうど録画したテレビ2時間が終わった。これでしっかり寝れば、朝の辛さはずいぶん減るだろうと思った。が、翌朝そうはいかなかった。からだがしんどい。深酒の翌日でも夕方になると元の体調に戻っていて、また酒を飲んでしまう。

 昨日は公民館で「よもやま話の会」があり、それに出席し、ロシア人の若者4人が貸別荘に宿泊するので、要領を得ないだろうから、と買い物まで付き添った。なにせ、尾鷲から八鬼山を超え、三木里に入って泊まり、また翌日三木里から賀田まで熊野古道を歩き、そして曽根まで歩いたのだった。14歳の女子、16歳の男子、45歳の男子、ぼくとの連絡役をとったアナという31歳の女子。アナは18歳にしか見えない。小柄な超美人だった。香港に移住して今度は香港から日本に移住したのだそうだ。失礼なような気がして根ほり葉ほり聞けない。
 香港にいたから英語ができた。だからスムースにコミュニケーションがうまく行った。

 熊野古道は美しい、と何度も言っていた。以前オーストラリアからパトリシア夫妻が来たときも熊野古道は素晴らしいと連発していた。アンはハバロフスクの出身。パトリシアはカンガルー島。そりゃあ、そうだろう。ハバロフスクは広いだけだ。近代西洋の都市である。カンガルーも渓谷のあるような島ではない。
 熊野古道は大昔の歩くだけの生活道路である。石畳があり、休息する場所があり、ときに美しい海の風景も出てくる。古道の両脇は樹木が生い茂っている。巡礼だと言っていた。若いのになんとも、好奇心からか、巡礼心というものがあるとすれば、何に対する?などと話しを聞きたかったがぼくの役目は買い物の付き添い、釣り用の仕掛けと餌の助言だったので、時間もなかった。
 久しぶりに英語を喋ったので、頭が少々疲れた。その上に酒だった。岡田さんは変わらず元気であり、気迫が前に出ている。

楯ケ崎から新宮へ

2017年04月30日 | 旅行

 楯ケ崎に若葉の島見に行った。毎年の行事のようにんsっている。眼前の山をいていて、同い年くらいの夫婦と、なんとなく、会話を交わした。和歌山市からきて、熊野から先はいったことがないということだった。

 「神武軍は和歌山から灰って生駒辺りで負けたんですな。それでこっちにまわった。それで奈良方面にむかったのですな」

 ぼくは、「有馬辺りに相当長く滞在したと思いますよ。花の窟があるでしょ。あれはイザナギを祀っています。鎮魂とか除霊とかのために神社にした。結構地元住民は殺されたんじゃないでしょうか」と言う。

「そうかもしれませんな。女陰(ホト)を焼いて死んだもでしたか。それにしても美しいですね。桜は女ですが、この青葉は男ですな」

 と言ってなにやらつぶやいた。

 眺むれば 円の縁あり 熊野灘

「季語がありませんね」

「そうですな。 無季語です。いいんです。ときに俳句、ときに川柳、中上健次の小説の新宮ものは読みましたな。」

千年の愉楽、が最高傑作ですね。ぼくはそう思います

、ほらあそこが二木島ですよ」

「中上は本島はナカウエだったんですってね。土建の息子」

 いろいとろなことを知っいる人だ。もうしばらく話をして彼らは尾鷲方面に向かった。僕らは新宮方面である。

 さて、新宮まできて、書店で「ヤタガラスの正体」

という本を買った。ヤタガラスの三本足は、宇井、衛本

鈴木だという言い伝えがあるので、そのあたりもたしかめたいと思ったもだった。


 

 

 

 

 

 

 


両国、六義園、旧古河邸散策

2017年04月03日 | 旅行

   尾鷲で一日6000歩目標の数値も、東京では軽く3倍は歩くことになる。金曜日雨、千鳥ゲ淵の桜も二分ほど。その夜、寿司を食べたら、鯛の上に桜の蕾を漬けたものが乗っている。ほんのりと桜の香と味が白身の鯛によく合う。これには「ほほう」と思い、昼の桜見物台無しを帳消しにした。それにその付近で「葉巻」を手に入れた。

 翌日もそぼ降る雨。谷中に車で出かけた。こちらも全く開花なし。神田神保町で、三省堂と東京書店でのんびりと本を探した。東京書店の本の並べ方に感心し、調べものをするならこの書店だな、と思った。ここでは武田百合子の「雑々日記」がベストセラー第一位である。第二位が村上春樹の「騎士団長殺し」だった。武田百合子のコーナーが設けられていた。ついでに夫武田泰淳の本も置いてある。関連本も当然のごとくおいてある。武田百合子の「富士日記」はよい、よい、と妻が言っていたのを思いだす。

 僕は、「人の九割は細菌でできている」という本と「今世界の哲学者が考えていること」を買い、話題の「ホモサピエンス」を読もうかどうか迷ったが、その前によく似たものを読んだので、今度にまわそうと節約した。

 また、「バー入門」「ジャズの店」という本を買い、今度の東京行きに備えた。

 今回の旅行は両国をぶらぶらするのが主なる目的だった。「相撲取りになるど」を息子分に5冊、娘の夫分に5冊。これを手渡すのも目的だった。実は僕は両国には一度も行ったことがなく、その界隈は全部想像で書いた。隅田川の風情も、おそらく川面を走っているであろう遊覧船も、国技館の背景に浅草のスカイツリーが想像通りにあった。両国を見てから小説を書くのがいいとは思うが、頭の中に浮かんでくるのと、両国へ行くのとどちらが先かと言えば書いて、しまうことのほうが先となる。両国駅の西口に有名な相撲取りの身長が壁に線でひかれている。曙の202センチ、白鵬192センチほどの線。日馬富士の183センチの線。驚いたのは鏡里の173センチで、ぼくと同じであった。

 歩道のところどころに有名力士の手形がある。柏戸の手形に自分の手を重ねてみると、ぼくのより指先が3センチほど長い。双葉山のはどうかと手を重ねてみると、案外小さく、ぼくのより1.5センチほど長いという程度である。

 相撲力士が巨大化したのもこの手形や身長線でよくわかる。

 「伊勢ケ浜部屋のちゃんこ鍋」と銘打った「安美」で待ち合わせ、近況の報告をしあう。息子は今「村上春樹」を特集するというので、その編集で忙しいようだ。娘の夫は38歳、最年少で部長になってしまい、困惑している風だった。しかしながら、彼の性格や人格から言えば、嫌われたたり、ねたまれたりしないような雰囲気だから、案外やっていけるのではないか、と思ったのだった。あまり自己を主張しないタイプである。勤務中、大学院に行き、部長職試験も勧められて勉強し、面接もしたのだった。

 息子はすっかり編集者の眼でぼくの小説をペラペラと見るので、こっ恥ずかしかったが、まあ、ええか、とざわざわとした中で、純米吟醸「銀盤」を飲んだ。ちゃんこ鍋の他にサヨリやスズキのカルパッチョや菜の花を卵でとじたものなどがあったので、春をまたここで感じたのだった。

 翌日は駒込に電車で行き、六義園と旧古河邸と庭園を散策した。六義園の庭は柳沢柳沢吉保の元庭園で、三菱財閥の岩崎弥太郎が引き継いだ。ここはとても親切に気が利いて、あらゆる樹木に名札があった。これは嬉しかった。樹木名を知りたいと強く思っていたので、今度は事典を一緒にもって来ようと思ったのだった。ここの枝垂れ桜は満開で枝垂れてから横に伸びる枝桜も異様な見事さだった。続いて1kmほどを歩き、旧古河邸に足を運んだ。陸奥宗光の由来の敷地であったが、古河財閥が洋館を建て、洋風の庭を周囲に、外側に日本庭園を配置するというもので、世界の薔薇が邸宅の周囲に名前入りで植えられている。しかも写真付きである。バラの季節にまだ早いがゴールデンウィークあたりは見事な数々の薔薇を堪能することができることだろう。ここももう一度来たいものだと思った。浜離宮にまで行こうと思ったが、こちらにしてよかったのではないかと思ったのだった。草花、低木、高木の配置のしかたなど、ぼくには興味深く、曽根で試してみようかなどと思う始末だった。

 戦後のアメリカ進駐軍による財閥解体や貴族の没落、地主の没落で、現在では一個人がこのような大邸宅や大庭園がもてなくなった。区や都に寄贈され、公共の物として管理されている。

 駒込は「染井村」のあったところで、「染井吉野桜」の発祥の地でもある。駅前では鼓笛隊が並び、区の人々やボランティアが出て、駒込の桜名所を案内するイベントがなされていた。4月2日。やっと空は晴れて、午後前に早々と両国を車で出発し、帰路についたが、東名の入り口あたりで自己があったらしく東名は通行止めとなった。しかたなく中央道で帰ることにしたが、東名客がここの押し寄せたので、ところどころ渋滞となり、のんびりSAで休憩しながら帰ったのだった。結局、10時間かかったのだった。


貸し宿泊施設

2015年07月17日 | 旅行
 この頃の台風では新宮方面の方が被害がでる。また熊野川が氾濫したというニュースを聞いて、本宮大社が昔流され、今の地に移り、またあらたに新宮を作ったという話を「中上健次と角川春樹の「俳句の時代」という対談本で読んだことがある。
 尾鷲は雨に強いところであるが僕が20歳くらいのときに賀田で大きな土砂崩れがあり、自衛隊も出て、多数の人がなくなった。あおれと1990年の台風19号ではせっかく設置した浮き漁礁が流されてしまった。流された以上、責任を感じ、それ以上はそのことに投資することはやめた。特許出願をしているが、この発想をある土建業者が応用し、鮑漁礁を作ってもうけた、とその社長にあったときに聞いて、やっぱり一番手はだめだな、と思ったのだった。この会社は私たちの浮き漁樵6基を大きな船で運んでくれた業者だった。それをしっかりと見ていて、アワビ漁樵に応用し、国や県からも助成されたのだそうだ。
 いやあの頃は若かった。いずれ、浮島でも作ってやろうか、とひそかに思っていたが、結局なすことはなかった。今だったらさらに優秀な根漁樵を作ることができると思うが、やらない。やはり自分の分野とは違うのだ。漁業組合にお伺いをたて、許可してもらい、海上保安庁にも書類をだし、県や市にもややこしい手続きがあると思うだけで、うんざりとしてくるこの頃だ。


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 今回はお知らせもあります。尾鷲市に曽根町という風光明媚な浦村があります。古い城下町です。厳かな曽根飛鳥神社があり、近くには釣りやダイビングのスポットがあります。海水浴場も近くにあります。神武天皇上陸の地、楯ヶ崎までは10分。三木里海岸まで10分。新鹿海岸まで15分。梶賀でのアオリイカ釣り馬まで3分。熊野古道がすぐ近くです。ここに貸別荘があります。
 10名ぐらいまでは泊まれます。旅館業ではないため、タオルや歯磨きは持参していただきます。また空き缶、空き瓶は持って帰っていただきます。広い庭と池があります。前は青い海です。高台の上にありますが、車で入ることができます。予約を頂ければ、詳しいことをお知らせします。時々、家族連れ、仲間の方々に使ってもらっています。
 このブログをご覧になっている方で、一度紀伊半島に行こうか、熊野古道巡りの基地にしようか、釣り三昧、ダイビング、海水浴をしたいという方がおりまひら。どうぞ使ってください。たいへん割安です。

 もうひとつ、東京の渋谷駅前。ハチ公口から西武デパート方面へ徒歩5分。タワーレコードを超えて、ABCマートの隣にダイネス壱番館というマンションがあります。地下はセブンイレブンのコンビニ、隣にはドトールコーヒーの本店があります。このダイネス壱番館の605号室も貸し宿泊所にしようかと考えています。急な出張でホテルがないとか、しばらくの間仮住まいしたい方とか、いろいろと用途があると思います。オリンピック時などはホテルがとれないのではないかと思っているところです。これは現在、どうしたら、こちらにも不便はなく、泊まる人も不便なく、できるか考えているところです。それは近々、8月ぐらいまでにはルールを考えるつもりでいます。とりあえず、必要な時があれば言ってください。メールを頂ければ結構です。
メールはこちら

片岡球子展など

2015年06月29日 | 旅行
 気が変わって、尾鷲に帰らず、名古屋でのんびりした。愛知県立美術館で片岡球子の絵画展があったからである。じっくりと近くで見たり、遠くでみたりした。ゲテモノと言われた初期の頃の絵がだんだんと精密になっていき、片岡球子の絵がゲタモノを突き破っていく様がよくわかった。50代後半からはひとつひとつの絵がしっかりと強烈に観る者にわきあがっては描かずにおれない魂と、究極「富士山がもういいよ」と言うまで富士にのこだわった姿勢もよくわかる。山を描くのもすだが、海もそうだし、面構もそうである。片岡球子の絵葉書を見ると、まさに色とりどりの美しさがかえって目立つ。彼女は103歳まで生きた。

 カフェに入り、道ゆく人を眺めているだけでも飽きない。
 タワーレコードにも行った。すると過去のジャズの名盤はCD4枚組みになって格安で特別セールをやっていた。これはありがたかった。みんな買ってしまいたいような衝動もあったが、抑制し、「バド パウエル」だけを買った。シューマンのピアノ五重奏曲も欲しかった。「コラ・ジャズバンド」の「バック・トゥ・アフリカ」という変幻自在なアンサンブルをなすという現代のミュージシャンのも欲しかった。
 午後から仕事をし、夜は居酒屋で飲み、そのまま近くにあるスウィングというジャズバーに仲間と流れ込んだ。すると、第一曲目はキャロルキングの僕の大好きな「You've got a friend を30代ぐらいの女性歌手が歌っていた。黒人のサキソフォンプレイヤー0飛び入りなどもあり、楽しんだが、タバコも吸えず、みな行儀がよく、あまりおいしいウイスキーはおいてなく、そういうのは不満であった。

 久しぶりの一人のんびりした。
 

ウィスキーとホロホロ鳥

2015年06月22日 | 旅行

 以前沖縄の那覇に行ったとき、「ちょっとお見せしたいものがあるんですよ」とタクシーの運転手さんがちょっと寄り道をして、「どうです。見事な花でしょう」と言った。すると、黄色い葡萄のような形をした花が満開に垂れている。「ここは昔のオキヤなんですけどね。20分で5000円です。それで、この花の本当の名前はわからないんですけどね、白粉花とか一日花とか、言うらしいんですよ。一日で落ちてしまう、儚なげな花ですよね」 と運転手さんは解説してくれる。すでに夜の12時を過ぎている。こんな花を初めてみた。

 ホテルの部屋でその名前で検索をしてみた。どれも違う。次の日、別のタクシーの運転手さんにもしかしたら知っているかもしれないと思って聞いてみた。「ああ、安里(あさと)のね、あの道ね、ああ、あれは「ゴールデンシャワーっていうんですよ。「下がり花」ともいいますがね。「それでたった一日で落ちてしまうんですか」と僕はそのことが知りたい。つまり儚げであるかどうかだ。「そうなんですよ。でも次の日また満開になりますよ。毎日咲いては落ちて、新しいのがでてくるんですよ」
 「ありゃ、それだったら熱帯のブーゲンビリアみたいなもんじゃないですか」と僕はがっかりしたように言うと、「マレーシアからきた花だと聞いてますよ」と答えてくれた。よく知っているものだ。タクシーの運転手さんというものは。

その日は奇妙な日であった。その前の日、小説を読んでいたら「ホロホロ鳥の料理」が出てきた。へえ、そんな鳥の料理があるのか、と思ったのだった。キジや野鳥などは食べたことがある。ホロホロ鳥というのは食べたことがない。有吉佐和子の小説には、しっかりと野生の味がすると書いてあった。

 あるバーに行ったら、(このバーは行く価値有り。ウイスキーが揃えっている。料理もイタリアンがおいしい 安里駅前 GRATO 090-4000-2914)。デパートでも手に入らないのがある。ボウモアの2001年プレミアムまであったし、終売になったTOP BEAT もあった。
 山崎のようなスモーキー臭さのないウイスキーから飲み始めて、だんだんとスモーキーなものへいくようにした。仕入れ原価の1,3倍しか料金はとらないのだそうである。カウンター内の男性は調理番。この人はイタリアに修業の旅になんども行っている。ウィスキーのソムリエはもうひとりの男性で、彼はスコットランドで修業している。詳しい。とにかく詳しい。
 いろいろとウイスキーの話をしていたら、ホロホロ鳥の話がでて、今日はその鳥肉があるのだそうである。すっかり妙なものを感じて、注文した。ウイスキーにホロホロ鳥、なんだかすっかり良い気分になってしまって、タクシーに乗ったら、「下がり花」である。

 旅をするとこういうことにも出会う。




男たち

2015年04月20日 | 旅行
 今日はとても愉快な夜だった。僕にしてみれば、20代、30代、40代の男性と話をしたのは18年ぶりのことだった。この18年間はほとんどが20代から50代の女性と仕事で話をしていたのだった。講習3日後の意見交換会、いわば飲み会での話である。

 講習時、男性たちの体と女性たちの体の違いに、特に男性たちの体の硬さや歪みが、女性たちと比べてこんなに違っているのかと思ったのだった。男性の方の体が傷んでいるのである。これは特別に感じたことだった。女性たちの体はしなやかで、筋肉も柔らかかった。
 ところが女性たちのビジネスセンス、というか、サロンを経営していくうえでの甘さが特異だった。僕はいつもイライラしていた。
 女性と男性が話す言葉が違うのである。語彙も、語句も、さらrに言えば文脈も全く違うのである。
 これはこのイデアスという会社のスタッフだからなのかもしれない。

 翻って、尾鷲でこれまで見た男性たちは、とてもつまらないものだった。(もちろん、素晴らしい人もいる)。バリ島に来る女性よりもつまらないものだった、という印象が強い。悪口、噂話、愚痴のあれこれ、世間体、周囲の目を気にする心。僕は男というのはこんなに女々しいものなのかと思っていたのだった。特に気にするのは政治をチェックする市会議員だと思う。ほとんどの人が世間を気にしている。これにはうんざりする。そうなるとよそのことを模倣するか、他所から人を呼んできて話してもらうかしかなくなる。

 今夜の席は率直に言い合う雰囲気となった。仲間内での発言で、そこに創業者たちがいるのだから、本当のことは言えないかもしれない。しかし、人が本当のことを言っているか、ウソをついているかというのは目の動きや顔の表情でわかるものだ。
 さて、ここは勘だ。

 この会社を信じていいうのか、どうかという問題だ。社員の能力のありなしではない。社員の能力を開発し、突破していく意気込みがあるかという問題だ。そして、それが真摯であるかどうかという問題だ。

 男たちの世界を18年ぶりに思った。久しぶりに新鮮さを感じたのだった。もう20代、30代、40代の世代とはテレビドラマの世界でしかみれなかったのだから。

空港にて

2015年04月07日 | 旅行
 遅いというか、早いというか、一週間がたった。今、空港にいる。出発までまだ1時間15分ある。
バリ島では多くの人の世話になった。感謝である。
 一仕事終えて、家路に向かう。美味しそうなウィスキーが並んでいるが世界一うまい日本のものはない。
 明日はラーメン食べるぞ、ってな感じであります。
 4月からおもしろいドラマが始まったのでしょうか。興味津々です。

バリ人

2015年04月05日 | 旅行
 バリ島の人々の楽しむことは日本人が楽しむことと違うように
思える。カラオケやバーやクラブなどは外国人の行くところだし、 ゲームセンターもあるわけではない。
 普通のひとのことを言っているのである。
 外に遊びにいくことはほとんどないが、伝統的な行事には従順であり、強固な宗教意識を持っている。
 外国人の食べるものを食べたがらず、ナシチャンプルさえあれbよい。これがみごとな栄養バランスの整ったごはんである。
 最近の様変わりは、なんといっても、携帯電話やスマートフォン、それに車である。とにかく車が多くなったし、だれもが携帯電話を持つようになった。
 こもようになっても、外国人をおもてなすだけで、自分たちはひっそりと生きているように思える。
 人への気遣いも繊細である。
 アーミッシュほどではないかもしれないが、基本的に豊かでsるように思える。
 次第にヨーロッパ化はしているが、必死で独自の文化や習慣を守ろうとぢている。

バリ島にいます

2015年04月02日 | 旅行
 WIFI がどうもうまく使えません。on になったり、offになったりで、いやになります。今、バリ島のサヌールにいます。古巣に戻ったわけです。やはりサヌールはウブドよりも2度ほど気温が高く、湿気もあります。スクールの引っ越しと、内装のことばかりで、ぼくがすることはありません。でも契約の面で、いなければならず、暇をもてあましています。
 ヤンキーに関する本をもってきましたが、なんだか集中できまでん。今日は看護と介護に必要な日本語テキストをつくってほしいと頼まれ、よしやってやろうか、と思ったところです。昔の経験で、日本語の効率のよいテキストをつくればいいわけです。そんなことを思いながら、ウイスキーなどを飲んでいるのです。
 クラシックやジャズもいっぱいSDにいれてもってきたので、たすかります。

バリ島のレゴンダンスの足型

2015年02月18日 | 旅行
見事なバリ島のレゴンダンス。重心の取り方と、インナーマッスルとアウターマッスルがバランスよく使われています。この踊り子たちは疲れないでしょうし、怪我をしないでしょう。
  不思議なことに足型がT字になると足から胴体の筋肉につながりバランスを保つことができます。マッサージにおいては要となります。もちろんビテン意識でないといけません。ベッド周りを常にこれを意識し、無意識に動けないといけません
 レゴンダンスは動きを見ているだけであきることはなく、華麗で敏捷で美しい踊りです。バリ島では毎晩ウブド宮殿で行われています。やはりケチャダンスやレゴンダンスは夜の月がでているときがよく、ウルワツの夕方日没前のケチャダンスは観光でも有名であるが雰囲気がないのです。
 満月と新月の日、アマヌサではスマールプグリガンというガミウランでもとても静かで優雅な演奏があります。昔王様を寝かすために奏でられたそうです。