25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

吉田洋の「ハナレイ・ベイ」を見た

2019年04月30日 | 映画
 昨日、やけに寒気があって体もだるいので、熱を測ってみたら37.7度であった。ややあったという程度である。今般の風邪で夜中に何かが起きたのか、咳のせいで肋骨にひびが入ったのか、肋間筋のどこかを痛めたのか、咳をすると前の肋骨あたりがズキッとする。
 
 脊柱管狭窄症のこともある。これに真剣に取り組むには風邪を完治させないと。
 重層的に異様な状態が続いているので、それを腑分けするだけでもたいへんである。

 日中は歩けるだけ歩いた。熱を発見したのは夕方だった。なんだか食欲がなかった。美味しいものが美味しくない。アルコールも美味しくない。

 夜、吉田洋が主演している映画「ハナレイ・ベイ」を見た。ちょっと熱のある浮遊感で観ることになった。吉田洋のサチはぴったりだった。彼女の英語も聞きやすい英語で発音もよかった。ほとんどは小説と同じであるが、ちょっと違うところがある。映画ではあまり好きではなかったが、愛していた息子がサメに片足を食い千切られて溺死したハナレイ・ベイに息子の命日なれば通う習慣になっていた中で、苦悩する女性として描かれていた。小説の方では「夢のように美しく、現実のような確かな文体」があるだけで映画ほど苦悩は描いてなかった。

 村上春樹の短編にはいろいろなものが凝縮されているため、一つを指で押してみると、自然による死には憎しみや恨みのような感情はないが、戦争による死は憎しみ・恨みが伴っていることをハワイの日系老警官に言わせている。
 死んだ息子は母親とうまくいっていなかった。母親(サチ)は結婚したが、夫がドラッグをやめられず、愛想をつかして離婚した。息子からしてみればすべて母親の都合で動いていると思うこともあったろう。元夫が死んだので保険金が入った。それを元手に「ピアノバー」を東京につくった。それで息子の相手も思うようにいかなかったことだろう。息子もそういう母親を見ている。サチには絶対音感があり、音楽を聴いて覚える才能があった。音楽を造り出す才能ではなかった。才能の切ない問題にも分け入り、親子の微妙な反物語も何気なく扱っている。
 「よもやま話の会」が今月にあるので、小説を今日読むつもりである。

 屈伸(細君に押してもらいながら)、その他のことをやる。



脊柱菅狭窄症に挑んでみる

2019年04月29日 | 日記
 ぼくはあるスクロール式のホームページを見ていた。「脊柱管狭窄症。5分でなおすトレーニング」というDVDを売るために延々と読ませて、最後は買わせたいらしい。脊柱管狭窄症について、症状についてはぼくの症状にはまっている。治療法についてはいろいろあるらしく、薬、手術派、秘術派、整体、カイロプラクティックいろいろとある。要するに椎間板ヘルニア同様に欧米ではない「病名」である。ぼくはスマホで最後の買わせる段階まで読んでいたときだった。岡田さんかr電話がかかった。「ブログを見たで」と。岡田さんは自然形体療法という技術を自分でも施術され、経験したことから相当に京都のその先生というか自然形体を信頼している。電話をかけてくれたらしい。「見てみないとわからない」と先生は当然そういう。それに彼の心配はぼくを京都に何度も通わせることになってしまわないかということである。ここにも行ってみようか、と思ってもいたので、その時はよろしく頼むと言って、電話を切った。

 椅子から立ち上がるのでさえ、大腿四頭筋やらふくらはぎ、腰回りの筋肉が硬直していて、痛い。そしてついにスマホ画面はDVDの広告の最後に来た。ほんの一瞬、エクササイズの方法の一部を紹介したのだった。あっ、そうだった。忘れていた。講習を終えてからもう5年が経っている。ぼくはその一瞬の映像ですべてわかってしまった。

 二週間前の最初の発症では坂道、階段を早く歩いたときに起こった。筋肉が固まってしまって前に進むには痛いのである。しばらくうずくまった。うずくまると楽だったからである。
 基本中の基本だった。痛むポイントから楽な方へ、息を吐きながら動かし、最後には息を吐き切る。
 これを自分の場合に当てはめてみるとうずくまるということは腰を丸めるわけで、背を反らすのと反対である。映像でやっていた屈伸は、背を反らす、または立ったままだと脊柱管の神経が圧迫される状態にあり、屈伸をして腰を曲げ、床に手をつけようとすると、脊柱管そのものが拡張するはずである。
 そうだ、その手がある。オレとしたことが・・・・。

 「すまんけど、ここの部分を両手を重ねてリズムよく押してくれ」と細君に頼んだ。
 ぼくは屈伸して手を伸ばすが、手は床には届かない。どう見ても、指先から床までまだ20センチはある。ぼくはリズムをつけて一生懸命に指先が床に届くようにする。たぶんあのDVDはひたすらこれを5分やれと言っているのだ。もっと簡単な方法がある。細君に腰を押してもらうのだ。自力と他力を使えば早い。イチ、二ー、サン、シー と十まで行くと指が付くようなった。
 再度、十回、床への指つけ運動をした。

「もうええよ、ありがとう」
 すると、いままでこわばっていた筋肉が緩み、二週間前の自分に戻っている。


 そうか、毎日のようにこの屈伸をするか、と思い、今日もした。「痛み」は「怒り」からくるものがあるという理論にも気になっている。作家の夏樹静子がこれで苦しんだ。このことをさらに探っていくと、痛みをコントロールする場所は脳の中の「側坐核」という部位の機能低下という脳の問題になるのである。
 ぼくは「いまさらどうにもならない怒り」と「今からならなんとかなる怒り」にメモ書きして、「くそこの野郎」などと思いながら、どちらかに分類する。

 毎日行うことは、
  1.今やっている 飲食を半分にすることで、やせること
  2.必ず屈伸運動をする。
  3. 仰向け、横膝倒し
  4.仰向け かかと伸ばし
  5.仰向け 脚上げ下げ
  6.座位 足首内外ひねり&上げ下げ 
  7.股開き(これは排尿をコントロールするため)

 当面のやることを整理して今日からする。つまり医者には行かない。京都も行きたいがやはり遠い。たぶんこれが一番の自分でできることだ。

ああ、脊柱管狭窄症

2019年04月28日 | 
「動脈はちゃんと血はながれとるな。」N医師は両足のそれぞれの2ケ所で脈をとった後に言った
。「脊柱管狭窄症かもいれんな。整形外科で見てもらったほうがええで」
 2週間前、突然前に進めなかった。筋肉が張って前に一歩だすと痛い。そのままにして休むとまた20メートルほど進むと同じように筋肉が張る。パソコンで検索すると、手術をして治す、とある。手術をせず治すという民間療法もあるようだ。
「排尿コントロールgできにくくなる」という症状も合っている。しびれはないが足先に冷たい違和感がある。
 この連休中に総合病院にいくかどうか、他の有効な方法を検討してみたい。
「とにかく、痩せることやで。食べる量を節制して。そうしたら血圧は下がるさか、体も軽くなるから」N医師からこの三ヶ月言われ続けている。
だいたい2年で10kgほど増えた。ウィスキーのせいだと思う。ちょっと凝ってしまって、日本酒を1合半ほど飲み、さらに芋焼酎まで飲むのだった。食事も終わり、またウィスキーをロックで一杯、二杯と飲んでしまう。
 まずこれを止めた。さらに朝のパンはやめた。夕食もまずご飯をやめ、おかずも一品減らした
ああ、情けない話である。嬉しくウィスキーの味を試していたら、体重が増えるという副作用があり、体重は1リットルのペットボトルが10本分も増えたということだ。
 脊柱菅狭窄症も思えば19年前に、予兆があった。大阪にレストランを作っている時だった。
じっと立っているとじんわり痛む。たぶんこれだと思う。その後
ぼくはバリ島や東京、大阪、札幌、那覇での講習でボディーチューニングを教えていたので、自分の体の歪みもいつも調整していた。このためか、立っているとジーンと痛むことはなくなった。

その講習も母の事故があって止めた。以後、ボデイーチューニングはやっていない。時々歩いたり、ある時期はラテラル呼吸でいくつかの運動を続けたりしていたがなんだか続かず、今はやっていない。
 そういう怠け心が体に現れたもである。眠っていたものを起こしてしまったのである。だめだなあ、と反省しきりである、




天皇

2019年04月26日 | 文学 思想
 平成の天皇-皇后が伊勢神宮を参拝したとき、そのスケジュールに合わせるように
国内各地から多くの人が来た。まだ中年くらいの女性やややその人よりも若いと思える女性はテレビ局のインタービューがあると興奮して泣いて手を振っていた。天皇という象徴の共同幻想は多くの人々動員し、渦のなかに巻き込んでいた。おそらく天皇・皇后は国内最大のスターなのだろう。

 平成天皇は即位してから「たいへん」よくやったと思う。
 天皇は権威と神秘性をもっておればよいという八木秀次のような考え方もあるし、天皇を日本の元首にしようと訴える「日本会議」の意見もある。ぼくなどは平成天皇は自分の天皇としての在り方を模索し、災害があれば駆けつけ、寄り添い、目線を同じ高さにして一般庶民と向き合った。これは皇室の生き延びかたの模索であったように思う。
 例えば次の天皇が即位して、辞めたい、と言い始め、弟秋篠宮も、悠仁様も辞退し、愛子様も辞退したら、皇室をやめ、普通の国民として暮らしたいということだから、それはそれで結構なことだと思う。これを阻む論理はぼくにはない。
 イギリスの王室のようになりたいと言えばそれはそれで結構なことだと思う。要するに皇室のあり方は皇室で決めるのがよい。男子系統でいくなら秋篠宮は即位を辞退し、悠仁様が即位して令和の次の時代は平成、令和以上の期間が続くかもしれない。
 新天皇の皇后はなにかに抵抗しているよう見える。雅子皇后にとっても愛子様天皇にしたくないのではないか。
 やはり時代がすすむと、これまでのようにいかなくなる。錦の御旗や天皇の争奪戦も日本国民は克服したのではないか。

 

バテた

2019年04月25日 | 日記
 わずか1時間ほど身体を動かしただけで、汗だくになり、筋肉はこれ以上使えない状態となった。この体調はもう3週間続いている。これに喉の痛みも伴ってさんざんである。昨日書いた「空気」というタイトルの文を書いた保存しておいたはずであった。それが消えてしまっていて、ショックをうけた。同じ文をもう一度書こうかと思いもしたが、バテていたので、もう無理であった。
 ということで今日はお休みします。

羊と鋼の森

2019年04月23日 | 映画
 とても静かな日本映画を見た。「羊と鋼の森」という山崎賢人が主演で、鈴木亮平と三浦友和が脇を固めたよい映画だった。鋼とは弦のことでそれを叩くもが羊毛布を固めたものらしい。ピアノに羊が必需品だとは知らなかった。

 調律師が成長していく話である。ピアニストが好む音が出せるようにするのが調律師の仕事であるが、彼はだんだんとピアノのある場所、奥行き、その部屋に置かれているものなども考えて調律するようになる。最後はコンサート調律師になろうと決意する。
 この映画の中でぼくが一番惹かれたところは三浦友和が後輩にあたる主人公に自分が大事に思っていることを聞かれ、答えるところだ。それは原民喜の詩の一篇である。

 明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる

 主人公はこの部分をもう一回言ってもらいメモに残す。かれは大事だと思うことはメモにしておくのが癖なのだ。このような台詞が映画の深みを増していく。
「夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体」がぼくには村上春樹の「ハナレイ ベイ」という短編小説のように思えてくる。きっと主人公はよく似た感覚で「文体」を「音」と捉えている。ここから「音」を目指した調律師としての試みがなされていく。
 作者がこの詩を使っただけで、この物語は深淵なところまで届き、調律師のあり方にまで想像を与えることができた。
 15分見て、つまらないと思ったら寝ようと思っていたのが最後まで、主人公の模索に付き合うことになった。言葉が映画に決定的ものを与えて深まっていった良い映画となっていた。

高齢ドライバー

2019年04月23日 | 社会・経済・政治
 高齢ドライバーが31歳の母と3歳の娘を死なせてしまった。残された家族の気持ちは横に置かせていただいて、このような事故が起きると、世の中は高齢ドライバーに神経質になる。高齢ドライバーや高齢者の適応検査や認知症の問題が出てきて、これは政治の問題であると思う。
 車がなくても暮らしていけるのは地下鉄、電車、バス路線が整ったところで、地方の田舎では車は必需品である。
 運転できる能力があるかないか。このことを検査してくれたらよい。

と考えていて、ぼくは30歳まで免許を持っていなかったし、尾鷲にいてもそれで大いに不便したわけでもなかったが、今はもう車がないとだめである、18歳以下はダメなのだから、その環境に戻るだけの話であるのだが。よく歩いて身体にもよいと思うのだが。

 やっぱり巡回ミニバスがクルクルと尾鷲市内を走っているのがよい。100円。車をもっていた人なら免許を返上しても1万円くらまいでなら交通費として使える。バリ島ではできていて、日本でできないのはなぜなのだろうといつも思う。

 日本ではホームに人が転落すると、列車のホームに壁を作ってホームに落ちないような手立てをする。落ちたらその人の責任ではないかと思うところだが、日本人の心性はそうではないのだろう。これに莫大な壁費用を使う。今回の高齢ドライバーや原因のわからないバス運転者の事故が続くと、技能検査や認知度テストが余計厳しくなってくるにちがいない。ぼくは車を製造する企業の問題とも思うのだ。あらゆる事故を想定しての防御システムはそれほど難しくもなく作れると思うのだが、やってこなかったのが現実ではないのか。

 こういう事故が起きると被害者の痛ましさだけでなく、やがて、免許返上のことを考える日がそう遠くない日に来ることに「う~ん」と唸ってしまう。もちろん加害者にはなりたくないし、さらに分が悪い被害者にもなりたくない。保険や裁判からみると加害者は守られ、被害者は値切られるか、いいようにされるという関係である。これは必ずそうである。母の場合も。友達、知り合いの場合もそうだった。加害者はつらいがはがて日が経てば、ショックも和らいでいく。被害者はケガの場合でも後遺症が残り、痛みが残り、一生それと付き合い、家族のものを巻き込むことになる。死亡の場合には被害者は生き返らない。どれほどの失意か、無念か。
 

イギリス

2019年04月21日 | 社会・経済・政治
 岡田さんのブログを受けて思うことを綴る。イギリスのことである。ノルウェイ、フィンランド、スウェーデン、もっと言えばデンマークオランダ、ベルギーーやリトアニア、エストニア、ラトビア規模くらいの国が一番良いのではないかとイギリス国民は無意識にでも思っているのではないか。
 北欧三国は先進国であり、一人あたりのGDPは高い。人口は少ない。オランダで約1600万人である。フィンランドで530万人である。これで世界の裕福な国を実現している。経済大国と威張ることもない。世界をリードすると公言することもない。覇権という言葉とも遠いような気がする。
 イギリスも昔はインドや中国で、アフリカで、中東で、アメリカでえげつないほどの悪さをしたが、もう覇権などはいいのだろう。人口 6318万人。スコットランドがいずれ独立していくようであるからその人口 525万人が減る。さらに北アイルランドやウェールズはどうなると言っても、スウェーデンの991万人よりは大きいだろう。国が大きくなるとなにかとやりにくいように思う。中国14億人をどのように束ねてやっていけるか、その歴史を見てもたいへんそうである。昔、毛沢東の時代にソビエトと不仲になって、毛沢東は「1億人、2億人死んだとしてもかまわない」みたいなことを言った。人口が多いと独裁者はそんなことも言ってしまえる。

 だいたいアングロサクソンは物事に徹底してくる。空爆でどんどん爆弾を落とすのも、捕鯨問題でもそうで、これはもう何の遺伝子んなのだろうと思う。
 地球温暖化に対して10代の若者たちがこれほどのデモを連日行い、逮捕者が出てもまたやるというのは徹底しているのだ。
 よい環境の下で暮らしたい。イギリスはガソリン車も廃止の宣言もしている。昔は他国をかき乱したが、産業革命もイギリスで起こり、内燃機関へと進んでいき、公害を生み出したが、
そんなことの実感のない10代は過去のことなど気にせずに、堂々と人間として言えるのだろう。世間など気にしておれないのだろう。権力に対抗することもよく自覚してやっているのだろう。

 フランスのイエローベストは左派も右派も超えた既存の政治へのデモである。先進国もなんだか喘ぎながら、次に来る時代を模索しているように見える。
 日本も喘いでいるのだが、統計も文書も隠されて、このままで大丈夫なのかも、わかりにくい。日本では先進国の在り方はどうなっていくのだろう。 

精神論者

2019年04月21日 | 
 ノートルダム大聖堂の修復のための寄付が国内を主として世界から1000億円がすぐに集まるのに、黄色いベストをする地方にはお金が回って来ないのか。都会と地方の格差はノートルダム修復までも巻き込んでいるようである。
 ぼくは宗教は克服されなければならないという立場をとっているので、修復にお金を使うよりも地方との格差にお金を使い、修復は黄色いベスト運動の人々が納得できるまで待ってもいいものだと思う。キリスト教が過去に行って来たことの罪は重い。
 パリ同時爆破テロ事件があったのは何年前だったか。なんとなくフランスは不安定になっているように感じる。
 こういう遠いパリでの出来事がニュースで報道される。

 さて、夜な夜な「東條英機元首相」と「石原莞爾」についての取材本を新書で読んでいる。取材したライターは保阪正康。東條英機はひどいものだ。戦争は精神ですると思っている。おそらく当時の日本人の一部の人々の気分を代表している。東條をいつも批判したのが石原莞爾だ。彼は中国と仲良くすることを唱えた。アメリカとの最終戦争は中国と友好状態でしかあり得ないと論じた。この軍人にはいつも憲兵の監視を東條はつけた。戦争を終わらせない東條英機。彼の決断が早ければ、広島や長崎の人々も助かったのかもしれない。アメリカはと言えば、なんとしても核爆弾の実験はしてみたかったのかもしれない。
それにしても日露戦争で多くの犠牲者をだした陸軍だったが、とんだ精神論者をたちを育成したものだ。「しかたのなかった戦争だった」という言い方もよく聞く。戦争には正義の戦争も
、しかたなかった戦争はなく、戦争すること自体が悪なのだ。自衛の戦争も戦争である。避ける方法を考えるのが政治家であり、官僚であり、国民というものだ。

善意の交換

2019年04月20日 | 日記
 ぽっかりと穴があいたような土曜日で、潮見表を見たら、なんと満月の大潮。これは海に行かないかん、と10時半にはぼくは行野浦の磯にいた。その磯ではいつも行野のおばさんがひじきを採っていたのに、よると年波で諦めたのか、業者らしき男性が鎌をもってヒジキを刈っている。二艘の船と五人の男たち。

 ぼくの目当ては「カメノテ」で、しかもドライバーをもって来たので、今日の夕食分だけ採ればいいわけで、サクサクとカメノテを採った。磯で海を見るという一年の中での習慣のひとつを実行したのだった。これを「保守」というのか、などと思い、内心で苦笑いした。
 ぼくは革新の革新、また革新というやつであるが、革新と普通いわれる革新をあんまり好きではない。
 すると、人生の大先輩美也さんより電話がかかり、コンピュータを買い換えると言う。すぐに貝とりをやめ、美也さんの家に駆けつけ、パソコンの買い物に付き合ったのだった。昼からGet started としようと、「なつぞら」を見て、また再び美也さん邸へ。春の花々が前の庭でなんだか幼稚園児のように咲いている。可愛らしいという比喩だ。
 美也さんもこのブログを見ているだろうから言っておくけど、ヨシヤで文字変換したって、美也は出てこないのである。名前は美しいのに難しい、困り者の名前なのである。

 二人で、パソコンセットアップ、使いなれていたソフト、プリンターをインストール。そうこうしていたら4時半になったので、あわてて、母親の食べ物を買いに行ったのだった。人の役に立てるというのは気分のよいものだと思ったのだった。美也さんには一昨年、草刈り機の刃替え、まったくわからず、お世話になったのだった。まあ、善意の交換ということだろう。ぼくはビールを持っていこうと思っていたのだが。

無関心の壁

2019年04月19日 | 社会・経済・政治
 八鬼の郷で知り合いが木金だけランチをやっているというので出掛けた。向井浦の山の頂上にある。そこにカフェがあって、前方は海と山を一望できる。やはり海のそばにある火力発電所の煙突
が景観としては邪魔である。3年後には撤去されるから景観もよくなるのだろうか。
 ここをやっている女性は京都から移住してきたらしい。警察官と看護婦の娘夫婦が職を辞めて、尾鷲で釣り船業をし始めた。それについてきて尾鷲の友達ができ、カフェを始めた。
 釣り桟橋になる長いパイプライン左から右に伸びている。相当大きい釣り公園になりそうである。中川の河口からパイプラインがあるので、コチやキス、ヒラメ、桟橋下ではガシなど。浮き釣りも楽しめるだろう。

 予算がすでに決まっているのに、消費税増税観測気球など荻生田幹事長代行が上げたりして、ぼくはフンと思っている。実質賃金、収入が減っているのに、消費税でまた収入減になる。物価上昇にスライドしてくれれば年金収入者にとっては助かるが、収入価値が下がるわ
税金は上がるわ、ではどうしようもない。
 そもそも消費税が必要になったもは自民党が無駄なことをいっぱいしてきたからだ。そのツケを今払わされているのだ。
 とにかく日本は賃金を上げていかなければならない。そうしていくためにはこの社会には難しい高い壁が多すぎる。その際最も高い壁は人々の政治への無関心の高さだ。メディアは天皇の伊勢神宮参拝についても人々を煽る。人々は涙を流して共同幻想の渦の中に吸い込まれるようである。

 さて、前方のこの煙突。尾鷲の風景を邪魔するといつも思ってきた。それが無くなる。頭の中は増税のことなど、この八鬼の郷の小屋に昔来たことを思いだし、それがいつの間にか閉鎖となり、また他所から来た人や若い世代が活用し始めたことを思ったりしながら、ランチをいただいた。たぶん女性が好むちょっとづつ美味しそうなものがあって、主食はパンであった。

予算

2019年04月18日 | 社会・経済・政治
 経済学の理論もいろいろあるが当たったためしがないという実感がある。日本の財政、日銀のやり方、財務省をけなすもの、擁護するもの、何がどうなるかはだれにもわからない。
 経済のことを言うよりも、予算の内容について考えてみたほうがこの国の未来が見えるのではないか。
 公共工事も考えものではないか。なぜか。永久的にメンテナンスが要る。経済波及効果が一時的である。軍備にお金をかけるのもどうか。これは軍備というよりもアメリカへのサービスである。古くなって使わなくなった飛行機はどうなっているのだろう。ぼくには無駄としか思えない。

 朝見た情報番組で、植物由来のものから牛肉と同様の肉を作る方法と、筋肉細胞を血清で培養して肉を作る研究をし、今は生産コストを安くしていくことに取り組んでいるラボの紹介を見た。牛や羊や豚を育てるのにどれだけの飼料と水が要るか。もし人工肉が普及すれば水は98%節約できるし、飼料を作るための作物も90%ほど節約できると言っていた。二酸化炭素の排出も50%は減らせるそうだ。

 堤防をつくるより、高台に移転し、造成費用をかけるより、この肉の研究にお金をかけたほうがどれほどよいか。日本人一人あたりの生産高を上げるには高付加価値のものが作れなければならない。災害被害者には全面的に支援すればいいではないか、アメリカから戦闘機を買うより安いはずだ、

 日本はIT関係にも遅れ、未来への投資も満足にできていないのに、公共工事と要らぬオリンピック、要らぬ武器購入にお金を使っているのは誰が見ても不思議なことであり、ますます遅れていくことだろうと心配する。ぼくはトヨタにだって心配している。いっきにEV車時代になるのではないか。
 予算のたてかたと使い道をみれば日本の先行きもわかるというものだ。

話し合う

2019年04月17日 | 
 「よもやま会」で「海も暮れきる」をなぜ選んだのかその理由を会員の一人から質問された。ぼくは息子に紹介されて放哉の句を知り、あまりにも見事に爆笑したことと、ふんわりとした寂しい光景の句もあって、尾崎放哉とは何者かと思ったときに吉村昭が彼についての小説を書いていることを知ったので読んだら、あまりにもなさけなく悲惨な死に方をしたので、句と本人の落差が面白かったから、と答えた。早坂暁と渥美清も放哉に興味をもっていたことも紹介した。
 すると、「アルコールはこの人の人生を悲惨なものした」とういう人もおれば、「わしらにはできんことをやっとる。東大出て、一流会社の課長になって、酒癖の悪さでやめさせられ、また転職してやめさせられる。肺の病気になって、妻とも別れ、大連から戻り、寺男を転々として井泉水の紹介で、小豆島の南郷庵に落ち着いた。死ぬまでの八ヶ月、お金の無心で手紙を書き、時にやけくそになって酒を飲んでは醜態をさらし、いやごとばかりをいう。普通のときは思っていることを口に出せなかった人だったのではないか。わしはまだ強いからこんな風に生きられん。42才で死ぬが、正直に生きてきた人だと思う」「みんなどこそこ強く生きとるよな」と相槌もでる。
 喉に結核菌が伝染してからの苦しみようはなかった。最後は肛門までも破れた。
 吉村昭はなぜ尾崎放哉を選び、小説にしたのだろう。このあたりのことをいろいろと話し合った。
 吉村昭も最後は舌癌となり、チューブもとってしまって死んだ、と細君から聞いた。

 人生とのケリのつけかたもいろいろだ。たまたまコロリと逝ってしまう人。静かに老衰死する人。今の医学では苦しんで死ぬということはなさそうだ。
 尾崎放哉も辛かっただろう。医学的にも光明というものがなかった。
 会合はしばらく現代の葬式のことに移り、こどもたちが尾鷲を離れているので、義理もできぬと、家族葬にしたり、香典等のお断りをしたりと、ずいぶんと仏教葬式も様子が違ってきている。いずれ小さな寺から順番に消えていくことになるのだろう。わかのわからない、意味不明な経文を唱えられても、ありがたみもなく、ただ慣習でやっているだけである。

「なつぞら」から

2019年04月15日 | テレビ
 朝ドラは今十勝が舞台なので、地図を覗いてみた。なるほど、十勝平野に帯広や舞台の乳牛の畜舎があるのだろう。広い平野である。昭和30年になっていた。主人公のなつは馬に乗って学校に
行った。朝、赤ちゃんを産む牛の様子が気になっていた。やがて逆子であることがわかり、牛の陣痛に合わせて引っ張り出すことにした。引っ張りだせたが赤ちゃん牛は仮死状態だとなつは判断した。鼻から駅伝をすいとり、下肢の前脚のひとつをもって引き、横に倒しを繰り返した。すると赤ちゃん牛は目をあけ、やがて立ち始めた。それで学校にいくのが遅くなり、馬でいくことになったのだ。学校では夏目漱石の「三四郎」について先生が授業をしていた。安藤サクラの夫である柄本佑である。この先生が歯切れよくよい。なつは子牛を助けたことで、それを自慢したかった。しの自慢話をその先生が引き出してくれた。
「まんぷく」が終わって「なつぞら」が始まったが今日(月曜日)のが一番良かったと思う。広々とした風景、馬に乗るなつ。アップの牛の表情、学校の先生、なつの判断と実行力にこれからの展開への力強さを見せた。

 草刈正雄演じる泰樹が、戦争してしまって親をなくし、なつのような子を作ってしまったのには大人も責任がある、というようなことを短い言葉で伝えたシーンが以前あった。それと関連して、フランスとドイツの合作映画「婚約者の女」の中で、第一次世界大戦のあと、ドイツ人の親たちが息子たちをなくしたには俺たちの責任だ、と同じ境遇の中間たちに言う場面があった。この映画は白黒映画で途中場面場面でカラーに変わる。自分の婚約者がフランスで戦い、フランスの男に塹壕で撃たれ殺される。婚約者の男の家族は嘆き悲しむが殺したフランス人の男が婚約者の墓に花を手向けにくる。

 NHK ではイギリスのテレビドラマ「刑事フォイル」が始まった。今回のシリーズは第二次世界大戦が終わった直後から始まった。ぼくらが知らないことばかりで、たとえば前回はイギリスに残り、帰国を待つアメリカ軍内の白人と黒人への差別がテーマとなっていた。白人兵士たちがレストランやバーなどを黒人と分離してほしいというわけだ。そんおり、黒人へいしがイギリス女性を愛してぢまい、子供もできる。二人はアメリカにいく予定だったが、女が殺される。また同時に頻繁に窃盗事件が起こる。彼は犯人扱いまでされたが、窃盗の犯人はノルマンディー上陸作戦のときに腕を失った白人の男とその妻だった。そすて女性を殺したもは兵士たちの白人上官だった。そのハクジンたちにもいろいろな事情があった。

 人間のやらなければならないことは、戦争をしないことだ。飢饉があれば助け合うことだ。この二つができればいいと思う。

東大出の俳人

2019年04月15日 | 文学 思想
 尾崎放哉が小豆島の西光寺南郷庵に身を寄せ、そこで暮らすようになり、死ぬまで、一年もないがその期間を吉村昭は小説にしている。「海も暮れきる」である。「よもやま話の会」での課題図書なので、ぼくが、あらすじ、著者紹介などの簡単に書きまとめ、印刷してみなさんに渡す。
 この小説は3度読むことになる。
 尾崎放哉は島の人々には嫌われていたらしい。吉村昭の取材中の感想である。名主のような内山一二という俳句雑誌の同人を主宰者である井泉水に紹介され、一二が西光寺の住職宥玄から「庵」が空くことを知り、この「よくできる俳人」で「酒癖の悪い俳人」「お金のない俳人」の世話をする。その世話は宥玄も背負うことになるが、島での評判にやきもきもしたことだろう。
 「東大出」「一流会社出」がはなもちならない態度をとらせることがあるが、ほぼ晩年の半年は俳句仲間にお金を無心する手紙を書く日々であった。ちっとも面白くない男に描かれている。
 時折出てくる俳句は自由律で、それがぶっとぶほど面白い。おそらく「咳をしても一人」と句を詠んだが、このぶっとび感が一二や宥玄、俳句仲間に一目も置かれた原因なのだろう。彼は俳句仲間からの援助で生き延び

 南郷庵で息をひきとることができた。しかも島の漁師の奥さんがまったくの善意で介護をしてくれた。肺結核が腸にも転移し、咽喉にも移った。ひどいありさまで悶死のようだった。
 今、尾崎放哉の人生を知らず句だけを読めば、若い子には大ウケするように思える。
 
 すばらしい乳房だ 蚊がいる

 墓のうらをまわる

 明日みなで話し合うのを楽しみにしている。