25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

高橋睦郎VS三島由紀夫

2019年11月09日 | 
 源氏物語を代表とする王朝文学は女性が先駆け、女性が最高峰に上った。詩人の高橋睦郎は幽界にいる三島由紀夫に問いかけるのである。「王朝文学を女性から奪いたかったのではないか」と問う。
 三島由紀夫が私設の軍隊「楯の会」を作り、身体を鍛え上げ、自衛隊に訓練志願をしたとか、なんだかやとニュースになり、ぼくは高校生の頃、なにかとそれらのニュースが目に入ってきたのだった。
 三島由紀夫が理想とする世界はどのようなものであるか、という問い対して彼は平安朝と答えたのではなかったか。あるいは評論家が言ったことだったのか記憶は定かではない。
 当時は日本が最高潮の時代だった。一億総中流社会を実現していた。まさに望月の頃であった。三島由紀夫は安穏とした日本社会を心配していた。学生運動の学生たちにシンパシーを感じ、東大へ討論会にも出向き、「君たちがただ天皇陛下万歳と言ってくれればいいのだ」と説いた。
 三島由紀夫の凄まじく不幸な生い立ちがなぜ、天皇に向かうのか、ぼくにはわからない。また平安朝を求めるのもよくわからない。平安時代に生きたこともない三島由紀夫がなぜ、平安朝なのか。
「それなら、老衰して朽ち果てるまで、安んじて荒野に住みつづけていらしゃればよささうですのに、なぜわざわざ荒野を捨て人界へ出て、こともあらうに自衛隊東部方面総監室などといふ、世の注目を集めること請け合ひの場所で楯の会の隊員共共総監面会上、これを縛り上げて露臺からかすれ聲の檄を飛ばし、総監の面前で割腹するなどといふ人騒がせをされたのですか」
「人界と荒野と往来の演技の繰返しに疲れきつた結果といふところかな」(幽明境を超えて・高橋睦郎 文学界12月号)
 強権力をもつ確か梅毒で寝ている祖母は三島が産まれた直後から母と離し、二階の祖母の部屋で育つこととなった。二階の部屋からは授乳させるときだけ、呼び鈴を鳴らして呼ぶのだった。
 ぼくには三島由紀夫は生きていくことができない。荒野と人界の往き来に疲れきった、などというのではない。二階の部屋で死の刻印を受けたのだとぼくは思ってきた。
 ぼくは彼の思想がどうだとか、彼の肉体改造がどうだとか、平安朝がどうだとかどうでもよい。「豊饒の海」はたしかに優れた作品で、それは確かに存在しているのだが、「そんなものは、いつか訪れるこの大宇宙の消滅とともに雲散霧消する」「しかし、いまはともかくある」「いづれ無くなるといふことは現在もないということと同じだ」「ぢや、いまあなたと対している僕も無い?」「それも心ごころ」「その心ごころも無い・・・と」「無いといふことすらない」(同上)
この部分対話は「豊饒の海」の心髄を述べているようであり、禅問答とはいわないが、ぼくにはあまりに文芸的である。



 


 

眠たくなる

2019年10月02日 | 
 今度はGoogle Play にアップして販売するために、ビデオを撮らなければならない。プロに任せるということもあるが、機能がわかればよいだけである、と考えると、自分でやろうか、節約根性が出てくる。ビデオを何度も失敗して、ついに「これでええか」と説明的に許せるものを撮った。センスもなにもあっものじゃない。
 それを尾嶋さんに送った。 Google play を見ていると左に動画があり、右2枚は写真である。動画にはタイトルがあり、そこをクリックすると、You Tube に飛ぶようになっている。タイトルかあ、作らんといかんとばい、となり、尾嶋さんに電話してみたら、「自分は動画はやらないので、わかんないっす。ウィンドウズ10ならビデオエディターが入ってるから。それでやってみたら」とつれない返事だった。
 で、ビデオエディターを開いてみたらなんだかわからない。腰据えてやらんとあかん。

 すぐにあきらめて表紙のようなものを作ってそれをカラー印刷して、そのまま本編に突入していくようにした。格好がつけばええわい、と表紙も一緒に再度撮影して You Tube に入れ、リンクアドレスと埋め込みコードを尾嶋さんに送った。
 当分しかたなかろう、と思っている。やっぱり、IT系はイラつく。

 もうひとつイラつくことがある。夜は早めに眠くなり、読書量がすっかりおちこんだことだ。横になるとすぐに眠くなる。そして日によっては3時間くらいで目覚める。5時間のときもある。その後の睡眠は浅く、夢ばっかりみる。夜中の3時頃まで起きていた頃とはずいぶん変わったものだ。11時に寝て7時に起きる、11時半に寝て、7時半に起きる。
 これぞ、よい生活感なのだが、寝る前に眠たいのだけは大弱りで、困っている。酒の量を減らすか。テレビをみるのを減らすか、読書の時間を変えるかしかない。







夏がようやく来た

2019年07月28日 | 
 息子たちが夏休みということで帰省した。いつも津まで迎えにいく。以前は名古屋まで迎えに行ったものだが、高速の渋滞に耐えられなくなり、いつの間にか、息子も娘らも迎えは津駅までとなった。津駅には3階に別所書店もあって、待つ時間に本の探索もできる。
 今日は、久しぶりに宮部みゆきの短編小説集「さよならの儀式」が出たと新聞広告で知ったので、しかも「宮部みゆき」の新境地」と帯にあることから、すっかり出版社のコピーを信じて、買うことにした。もうひとつ買いたい本があった。葉室麟の「蛍草」である。これはNHKのBSで金曜日の夜8時から始まった時代劇ドラマの題名で、短編小説なのか長編小説なのかわからず、どの出版社の文庫本なのかも事前に調べなかったので今日はちょっと後悔した。結局探せなかったのである。テレビドラマ見て読んでみようと思ったのだった。なぜそう思ったのかと言えば、朝ドラの「なつぞら」でなつの妹役をした女の子が主人公で武士の娘であることを隠して
武士の家の女中となるのである。これがまたこの武士の娘がよくて、凛とし、耐えるところは耐え決して無駄口はせず、きっと最終あたりでは父のあだ、いまの改革派の主の仇をとるのではないか。ぼくはこういうキリッとした女性が好きなのだろう。映画「花のあと」の北川景子もよかったら。
 葉室麟の別の長編小説「紫匂う」と彼の考えを知るのに「河のほとりで」というエッセイ集を買った。エレベーターを降りると、息子たちの姿が見えた。今年36歳になるという。ロスジェネではない。孫の百合子は今年小学に入って、いよいよ性格がはっきりしてきたような気がする。夏休みの宿題は早々にやってしまったようである。さっさとすましてしまわないと気が済まないのかもいれない。
 昼は美味館で中華を食べて、ぼくらは息子たちを賀田の古川に送って、曽根での仕事を済ませたのだった。一時間後に息子らをピックアップした。川の水は冷たかったらしく、一時間は長過ぎたようだった。
 今日から孫中心の日になる。港祭花火大会は3日。その翌日に帰る。娘家族は9日から来るということだ。
 

戦争を放棄した国の大衆

2019年06月09日 | 
 このごろ、ネトウヨ、パヨク、ネトウヨ系のマニュアル本、それらに対する批判本、感情論を抜いた歴史本を読んでいる。もうなんども読んできたような本だ。官制の慰安所はなく、政府・軍は慰安婦を募集したこともない、と主張するが、そんなことが問題なのではない。半官半民にせよ、民間の金稼ぎのためであれ、戦争を起こすから慰安所ができるのである。そこへ長い列をつくって兵隊たちが並ぶのである。 

 南京では兵隊ではなく、老若男女、幼いこどもまで殺されたのである。人数が違っているという問題ではない。このような事実が取材によってあきらかになっている。この事実を認めることが必要である。認めると「反日」というのだから、あきれるばかりだ。

 日本人は植民地でいいことをした。台湾では下水道を作り、お茶の作り方を教えた、という美談すらある。紳士的な軍人もいたことだろう。都市つくりを考えた軍人もいたことだろう。しかしながら、お国のためにと家族から万歳されて見送られた者の中で、一体どれだけの者が喜び、勇んで戦地に赴いたことだろう。家族のため、お国のため、天皇陛下のためとどれだけの人が遠い戦地で言えただろう。

 ほんの10年ほど前、十数人の男グループがバリ島にツアーでやってきた。添乗員に頼まれて宮殿でのパーティーを手配したことがある。その宮殿の元王様の娘とぼくは友達で、よくここに遊びに来ていた。それで頼んだのだ。ぼくは客とは一切同行しなかったが、年頃は40代、50代くらいか。添乗員に聞けばなんのことはない買春ツアーである。普通、その辺に生きている人たちである。故郷の家にいけば奥さんやこどもたちも待っていることだろう。夫(親父)は真面目な男だと思っているのかもしれない。男たちの中には買春したくない人もいるかもしれない。みな涼しい顔をして、嬉々としている。群衆心理、グループ心理、他所にいるという心理が働くのだろう。
 たぶん家に帰れば普通のおっちゃんだと思う。

 これが軍隊であればどうか。その模様も詳細に記録されている。それは一人の女性が何十人もの男を相手にする凄まじさも書いてある。小説ではない。残された日記や記録である。みな軍人は清廉潔白ではないし、徴収された兵隊員は素行や性格、学力、知性で選ばれているわけではない。チンピラみたいなのもいれば、どんな奴もいるのである。それに生きて帰れるかわからないのである。
 現代の者でも買春なのに、兵隊が性欲を抑えられるはずもない。

 日本は兵站も思うにならず、運ぶ船は鈍くて沈没し、この戦争で勝てると思った兵士は何人いたことだろう。感染症が蔓延する。マラリヤになる。軍部ファシズム体制によってがんじがらめにされ、逃げることもできず、異を唱えることもできない。戦争が起こる前の意気込みと1944年の意気込みはどれほどの差があったことだろう。
 無惨なものだった。こんな戦争するべきでなかったし、データを使えばできるはずもなかった。また圧倒的多数の兵士や民間人が殺されなくてすむチャンスがいくらでもあった。なのに決断できなかった。
 
 ぼくは戦後70数年経って、自衛隊員の精神がとても頑丈になっているとは思えない。自衛隊員にも家族がいる。戦争をしない。これだけには参加しない。世界は戦争が日常化している、などと言い、中国や北朝鮮がいつ攻めてくるかも知れないなどと煽る輩もいるが、そういう人は人間を知らなさすぎる。いや大衆というものを知らなさすぎるのかもしれない。
 大衆はどんな時代においても難しいことは考えず、食っていけることを第一として淡々と日を暮らしていくのだ。インテリのようにえらそうなことは言わないのだ。これも大衆の多面性のひとつで、しっかりと根を張った生き延び方である。

 

根拠のない言葉

2019年06月05日 | 

  「日本アホバカ勘違い列伝」(北岡俊明  WAC)の新書を読んでいるのだが、これがまたなんというばからしさ。人の名を挙げ連ねて悪口をたたいているだけである。批評であれば、非難の論理も理解できるかもしれないが、とにかく冷静さがなく、ののしり、怒っている筆者である。ネトウヨの教材本くらいになるのかもしれない。

 例に挙げると、
  次に姜尚中(日本語読みでキョウショウチュウ)(*なんで日本語読みを紹介するのかぼくにはわからない。)である。テレビではカンサンジュンと韓国よみで紹介されている、。在日韓国人二世である。この男も半日である。日本で大学を卒業し、国立大学に職を得て、日本人の税金でメシを食っていながら。反日、親韓である。こういう男を使うのは、司会者の関口宏が反日の親韓だからである。見るからに、陰気な雰囲気をもっている。いつも陰気な顔をして、もったいぶって、したり顔で、もっともらしいコメントをするが、反日であるかぎり、そのコメントには反日親韓という限界がある。ゆえに陳腐な紋切り型のコメントとなる。

 

 一人一人の名を各界から上げてこきおろす。しかし、「反日」とは何かと一切説明はない。親韓とは何かの説明もなければリベラル、保守、左翼の定義、説明もない。要するに彼は姜尚中や関口宏を嫌いなのである。

 日本には書店にこの手の煽るような反韓、反中本や歴史修正主義者の本も増えてきた。

 話を飛ばすが、ぼくは昭和史をみるとき、半藤一利の「昭和史」と吉田裕の「日本軍兵士」をおさえておいて、吉本隆明の「戦争論」を読んでおけばよいのではないかと思っている。今度山崎雅弘の「歴史戦と思想戦」(集英社新書)が出たので、これも読もうと思っている。「自虐史観」という言葉などないと思うからだ。思想・信条の自由を僕らは戦後に与えられた。多くの犠牲の上で「とった」と言っていいかもしれない。

 「移民問題」で揺らぐEU、アメリカ。日本は外国人労働者受け入れ拡大を図り、失踪者問題も起きる中でスタートしたが、現在は8050問題と高齢者の危険運転のニュースばかりだ。

疲れた、面白かった

2019年05月24日 | 
 天気もよく、身体もよいので、朝の11時から草刈りをし、昼休みをしてまた午後2時まで、たぶんセロトニンは出まくり今夜はメラトニンがいっぱい出て熟睡できるかもしれない。
 この前の大雨でどんな隙間にも入ってくる水は手強いと思ったのだった。金魚槽用の酸素を水槽に送る電気器具を取り付けた電気プラグを厳重に水が入らないようにしているつもりだった。前もそうだったがやっぱり水が入っていた。
 今日は草は手強いと思う。どこでも生えてくるし、遠慮なく寄生する。野バラなどはいかにも池に近づくなというように、枝をはりだし、服が引っ掛かり、手を傷つける。この前は蛇を見た。池の橋のような植物、硬い杉の葉っぱが茂ったような植物。その植物を寝床にして蛇がいた、鱗が動くのが見えた。蛙を狙っているのだろう。今日は蛇はいなかった。草刈機で刈っても熊手で掻かないと全部刈れているかどうかわからない。一回だけではだめなのだ。必ず狩り残しがある。ハサミも使って狩り残しや石の際を刈る。
 2時間やればぼくはすっかりバテている。
 これ以上はやらない。疲れた。

 ぼくにとっては、「炎立つ」週間だった。一気に昨日までで全部見てしまった。この1993年の大河ドラマ。前九年の役が一部。後三年の役が第2部。奥州藤原家の滅亡(義経を庇護したことが最大の三代目秀衡の判断ミスだった。いやいや、前九年の役の時、八幡太郎源義家とその父頼義に藤原経清が武士の情をかけず、殺しておけば、頼朝も義経も生まれることはなかった。
 藤原泰衡。奥州藤原氏4代目。彼は徹底した和平主義者で、文化を重んじる男であった。平泉を清く明け渡して去るのだった。王さえ代われば、民は戦に狩りだされず、平穏に生活が続いていくのである。被権力者たちというのはそういうものである。面白かった。
 作者の高橋克彦氏とは昔会ったことがある。「剣」という料理屋で。かれはまだその時作家デビューをしていなかったと思う。遠い昔のことだ。忘れてしまった。


ああ、脊柱管狭窄症

2019年04月28日 | 
「動脈はちゃんと血はながれとるな。」N医師は両足のそれぞれの2ケ所で脈をとった後に言った
。「脊柱管狭窄症かもいれんな。整形外科で見てもらったほうがええで」
 2週間前、突然前に進めなかった。筋肉が張って前に一歩だすと痛い。そのままにして休むとまた20メートルほど進むと同じように筋肉が張る。パソコンで検索すると、手術をして治す、とある。手術をせず治すという民間療法もあるようだ。
「排尿コントロールgできにくくなる」という症状も合っている。しびれはないが足先に冷たい違和感がある。
 この連休中に総合病院にいくかどうか、他の有効な方法を検討してみたい。
「とにかく、痩せることやで。食べる量を節制して。そうしたら血圧は下がるさか、体も軽くなるから」N医師からこの三ヶ月言われ続けている。
だいたい2年で10kgほど増えた。ウィスキーのせいだと思う。ちょっと凝ってしまって、日本酒を1合半ほど飲み、さらに芋焼酎まで飲むのだった。食事も終わり、またウィスキーをロックで一杯、二杯と飲んでしまう。
 まずこれを止めた。さらに朝のパンはやめた。夕食もまずご飯をやめ、おかずも一品減らした
ああ、情けない話である。嬉しくウィスキーの味を試していたら、体重が増えるという副作用があり、体重は1リットルのペットボトルが10本分も増えたということだ。
 脊柱菅狭窄症も思えば19年前に、予兆があった。大阪にレストランを作っている時だった。
じっと立っているとじんわり痛む。たぶんこれだと思う。その後
ぼくはバリ島や東京、大阪、札幌、那覇での講習でボディーチューニングを教えていたので、自分の体の歪みもいつも調整していた。このためか、立っているとジーンと痛むことはなくなった。

その講習も母の事故があって止めた。以後、ボデイーチューニングはやっていない。時々歩いたり、ある時期はラテラル呼吸でいくつかの運動を続けたりしていたがなんだか続かず、今はやっていない。
 そういう怠け心が体に現れたもである。眠っていたものを起こしてしまったのである。だめだなあ、と反省しきりである、




精神論者

2019年04月21日 | 
 ノートルダム大聖堂の修復のための寄付が国内を主として世界から1000億円がすぐに集まるのに、黄色いベストをする地方にはお金が回って来ないのか。都会と地方の格差はノートルダム修復までも巻き込んでいるようである。
 ぼくは宗教は克服されなければならないという立場をとっているので、修復にお金を使うよりも地方との格差にお金を使い、修復は黄色いベスト運動の人々が納得できるまで待ってもいいものだと思う。キリスト教が過去に行って来たことの罪は重い。
 パリ同時爆破テロ事件があったのは何年前だったか。なんとなくフランスは不安定になっているように感じる。
 こういう遠いパリでの出来事がニュースで報道される。

 さて、夜な夜な「東條英機元首相」と「石原莞爾」についての取材本を新書で読んでいる。取材したライターは保阪正康。東條英機はひどいものだ。戦争は精神ですると思っている。おそらく当時の日本人の一部の人々の気分を代表している。東條をいつも批判したのが石原莞爾だ。彼は中国と仲良くすることを唱えた。アメリカとの最終戦争は中国と友好状態でしかあり得ないと論じた。この軍人にはいつも憲兵の監視を東條はつけた。戦争を終わらせない東條英機。彼の決断が早ければ、広島や長崎の人々も助かったのかもしれない。アメリカはと言えば、なんとしても核爆弾の実験はしてみたかったのかもしれない。
それにしても日露戦争で多くの犠牲者をだした陸軍だったが、とんだ精神論者をたちを育成したものだ。「しかたのなかった戦争だった」という言い方もよく聞く。戦争には正義の戦争も
、しかたなかった戦争はなく、戦争すること自体が悪なのだ。自衛の戦争も戦争である。避ける方法を考えるのが政治家であり、官僚であり、国民というものだ。

話し合う

2019年04月17日 | 
 「よもやま会」で「海も暮れきる」をなぜ選んだのかその理由を会員の一人から質問された。ぼくは息子に紹介されて放哉の句を知り、あまりにも見事に爆笑したことと、ふんわりとした寂しい光景の句もあって、尾崎放哉とは何者かと思ったときに吉村昭が彼についての小説を書いていることを知ったので読んだら、あまりにもなさけなく悲惨な死に方をしたので、句と本人の落差が面白かったから、と答えた。早坂暁と渥美清も放哉に興味をもっていたことも紹介した。
 すると、「アルコールはこの人の人生を悲惨なものした」とういう人もおれば、「わしらにはできんことをやっとる。東大出て、一流会社の課長になって、酒癖の悪さでやめさせられ、また転職してやめさせられる。肺の病気になって、妻とも別れ、大連から戻り、寺男を転々として井泉水の紹介で、小豆島の南郷庵に落ち着いた。死ぬまでの八ヶ月、お金の無心で手紙を書き、時にやけくそになって酒を飲んでは醜態をさらし、いやごとばかりをいう。普通のときは思っていることを口に出せなかった人だったのではないか。わしはまだ強いからこんな風に生きられん。42才で死ぬが、正直に生きてきた人だと思う」「みんなどこそこ強く生きとるよな」と相槌もでる。
 喉に結核菌が伝染してからの苦しみようはなかった。最後は肛門までも破れた。
 吉村昭はなぜ尾崎放哉を選び、小説にしたのだろう。このあたりのことをいろいろと話し合った。
 吉村昭も最後は舌癌となり、チューブもとってしまって死んだ、と細君から聞いた。

 人生とのケリのつけかたもいろいろだ。たまたまコロリと逝ってしまう人。静かに老衰死する人。今の医学では苦しんで死ぬということはなさそうだ。
 尾崎放哉も辛かっただろう。医学的にも光明というものがなかった。
 会合はしばらく現代の葬式のことに移り、こどもたちが尾鷲を離れているので、義理もできぬと、家族葬にしたり、香典等のお断りをしたりと、ずいぶんと仏教葬式も様子が違ってきている。いずれ小さな寺から順番に消えていくことになるのだろう。わかのわからない、意味不明な経文を唱えられても、ありがたみもなく、ただ慣習でやっているだけである。

螢川

2019年03月19日 | 

 朝、事務所に着き、パソコンの電源をONにしても起動しない。ブーともビーともいわない。点灯もない。プラグが抜けているのか、と確認したが、抜けていないし、そのコンセントは生きている。たこあしでもない。

 NECのものなので、検索してみると、電源がつかないというページは修理屋さんに検索エンジンは乗っ取られていて、NECからの「お困り相談」みたいなのは出てこない。いわゆる探すのに苦労する。

 結局自分ではできず、市内の修理もやっているパソコン教室に持っていった。今日は以前書いたものがパソコンにデータとして入っているかを確認したかった。それができなかったのでイライラした。

 今はクラウドもあるので少々は便利になっているが、モニター画面とCPUが一体化しているので、これが本格的な故障で修理もできないことになれば非常に困る。

 昼からは「よもやま話」の会。宮本輝の「螢川」が課題本である。前回は太宰治賞の「泥の河」だった。ぼくはこっちの方が当時好きだと思った。「螢川」は芥川賞を取った。

 再読してみると、めったに起こらない何万、何十万という蛍の群れの現象をどのように書くのだろうと、ひきこまれていった。

 「泥の河」ではポンポン船に住む少年家族を主人公の9歳の少年が知り合うことになり、やがて一家が去っていくという話だ。ポンポン船の主は売春をしていた。健気な姉と弟、主人公の家は川の界隈で飲み物や氷や大判焼きのような食べ物を売る店をやっていた。9歳の少年のこころの裡を大阪の川の橋辺りの風景もよく書けていた。今度「螢川」を読んで実に見事だと感じた。最初の導入部では一気に昭和37年3月末の富山、裏日本の風景を描いて始まる。そして母、はがの記憶、父とに会話、父の病気、死、父の友人、母の弟、主人公竜夫の同級生、竜夫が淡い恋心を寄せる幼なじみの英子などに話が簡潔に織り込まれて、話は今年はめったにない大量に蛍が出る時ではないかと、そこに話が収斂していく。

見事であった。

 「幻の光」「錦繍」「青が散る」と読み進んだが、「ドナウの旅人」で読むのをやめてしまった思い出がある。


日本が売られる? 面食らう

2019年01月30日 | 
 「日本が売られる」で恐るべき出来事が進行しつつあり、それをマスコミでもあまり報道されず、国会論議にならずに、ぼくらの知らないところで密やかに進んでいる。その実態は自由貿易を要語するなら、強いところ、技術あるところが弱いところ技術のないところを凌駕し、支配していぅことになる。
 たとえば、遺伝子組み換技術によって作られた大豆の種子はネオニコチノイド農薬に対しては耐性をもつが他の農薬を使うと全滅してしまう、という。つまり種子会社は農薬とセットにして売るわけだ。ところが5年も経つと、やはりその農薬に耐性をもつ雑草や虫が現れる。そこで農薬のりょうを増やす。ヨーロッパやアメリカ、この農薬を使っていた国々からから蜜蜂が激減した。植物の7割が蜜蜂による受粉だそうである。すると、アメリカはロボビーというロボット蜜蜂を作り、それに蜜蜂の代わりをさせるのだそうだ。 
 日本はといえば、この農薬に寛大で、基準値の緩和までして、アメリカもアグリビジネスに協力的である。政府は政府や都道府県が稲、その他の種子を作り、民間にまかせるべく法改正をした。
 アメリカっから輸入される種子によってできるものが遺伝子組み換え技術によるものかどうかを表示する義務も廃止した。これからアメリカの種子が農薬とセットになって入ってくる。
 作付面積の小さい日本で、今後の農地の土壌はどうなっていくのだろう。蜜蜂はどうなるのだろう。EUが反対し、この農薬が使えないようになったときに日本はアメリカに恩を売るように、この農薬使用の基準値を逆に緩め、使えるようにした。

 堤未果の報告を読んでいると、ホントかよ、と連発してしまう。「水が売られる」「土が売られる」「タネが売られる」「ミツバチの命が売られる」「食の選択が売られる」まで読んだ。ぼくなんかの耳目に入って来ないところで物事は世界争奪戦の様相だ。
 アメリカと中国の覇権争いも新技術の覇権争いがある。どう考えてよいものか、面食らっている。水道を民営化したイギリスなどのくには再公営化する、という流れの中で、日本は民営化に進んだ。だいたい日本はイギリスの20年遅れくらいで動いていくから、水道問題はまた起こるのだ。外国人労働者問題も起きるのだ。



歯科医院で黄昏流星群

2018年12月25日 | 
 とうとう観念して、歯医者さんにいくことにした、上の奥歯がグラグラしている。やはり年の瀬なのか、スッキリしておきたいと思う。久しぶりに行ってみると、いつもは客の姿をみたこともないのに、今日は5人もいる。いったん帰って待つか、別の日にするか考えたが。ええい、そのまま待とう、と決心が揺らがない策を選んだ。

 待つ間、「ビッグコミックオリジナル」を久しぶりに読んだ。三回分の「釣りバカ日誌」と「深夜食堂」と「黄昏流星群」を読んだ。
 黄昏流星群は出始めたときと今回とでは「黄昏時」が変わっていた。以前は五十代の主人公が多かった。それが六十代後半、七十代となっている。人生百年時代となったのだから、漫画も七十題はまだまだ若い風に描いている。
 今日の話はこうだった。主人公の男は会社役員を引退して66才であり、暇をもて余している。忙しかった時代を懐かしんでいる。妻には先立たれていた。こどもたちは別のところでそれなりに暮らしている。あまりにもすることがないので、ボランティアでもしようと登録にいく。あれこれと面談しているうちに女性係員が、ご老人の見守りをしてもらえないか、と依頼があったことを思い出す。男は人の役に立てるならそれいいか、とおもって引き受けるもである。

 依頼先に行ってみると、息子らしき男が、母は認知症で、6時には帰るので、よろしくお願いいたします。必要なものが買っていただいて領収書をとっておいてくれればすぐに払いますから、と、息子は印象も悪くない。母親の方はテレビをぼんやり見ているだけで、何を話すわけでもないが、この女性はどんな人生を送ってきたのだろうと考えるだけでも楽しいような気がする。彼女は73歳である。ボツボツと会話をする時もある。
 この活動に慣れてきたころ、女性が散歩したい、と言い出す。付き添って坂の道を歩いていくと、途中で、トイレに行きたいと女性が言い出した。公園かコンビニのトイレに行きましょうと男は言うが、女性はウチのでないとイヤだ、と言って戻ろうとしたとき、すでに女性は失禁していることに気づいた。それが大の方なのか小のほうなのかわからないが、彼は女性を風呂場で下の世話をすることになる。黙ってシャワーで流され、お尻を拭かれ、一段落すると、女性が突然に豹変した。言葉使いも表情もまるで正常人である。歳よりも若くすら見える。「私は芝居していたのだ。sなたは合格。わらしの息子は娘の婿で、娘が死んでからも、この家から出ていかないの。わたしが病気になって介護が必要になったとき、あの義息子はどうするのか、みてみようと芝居をしてみたのという。そして義息子は必ず出張を復活させると思うから、その時がきたら、鳥取砂丘に一緒に行ってほしいの、と彼は頼まれる。鳥取砂丘は星取砂丘と呼ばれるほど星が多くて美しいのだという。
 ここまで読んで、ぼくの番がきたので、さてどうなるのか、読めなかった。また今度きた時にでも読もうと思っているが、保管されているだろうか。話はどうなるのだろう、とちょっと気になる。
 一ヶ月もイライラしていたのがわずか十分でかたがついた。もっと早くくるべきだったと歯医者にくるといつも後思いする。
 

三島由紀夫と筋肉

2018年11月22日 | 
 「三島由紀夫 二つの謎」で、初めて知ることが多い。ぼくは彼の小説しか読んだことがなく、三島由紀夫という作家に興味があったわけではなかった。知っていることは誕生から乳児期、幼児期についての母親の手記や吉本隆明の寸評くらいのものである。
 それでも「豊饒の海」はまさに豊饒な美しさをもつ若者たちと醜さを伴ってくる老いの病的な観察と思念も織り込まれていた。
 へえ、と思ったのは三島由紀夫は先の戦争に興味なく、徴兵検査で合格しなかったことも喜び、天皇へ尊崇もなかったことである。
 まさに彼は幼児にこの国のことや天皇のことを言ってもわからないように、多感な青春期を幼児のように過ごしていたのだった。小説をすでに書いていた。日本浪漫派だと言われたが、浪漫派の底に流れる皇国思想などは全く持っていなかった。

 彼は肉体に過剰なコンプレックスをもっていた。華奢な体の三島由紀夫は、昭和30年、金閣寺を書き始める3ヶ月前からなにをおいても肉体の鍛練をするようになった。それは徹底して真面目に取り組んだ。しかし運動神経はどうにもならなかったらしい。たいへんな運動オンチであった。
 言葉から生まれて来たような男が遅れて「筋肉」に気づいた。気がつくまで30年かかっている

 思念の男が筋肉の美しさを価値とする男になった。しかし彼のこころの病はそんな鍛練で解消していくものではなかった。筋肉を医学的に言えば、代謝を高めるとか、体温、免疫にも関係することなどには関心もなかった。ただ「美」としての筋肉があり、「潮騒」を書いたのも、筋肉たくましい男子と彼を好きになる女子の文部省推薦のような小説をわざと書いたのだった。

 やがて運動神経のない、戦うことになればすぐに殺されてしまうような三島由紀夫は「楯の会」を作り、自衛隊にも参加訓練し、若者たちと威風堂々、行進をしていたものだった。
 問題は「筋肉質の肉体」が作られていく中で、なぜ独自の天皇観、天皇直属とする軍隊という思想を誤っていると知りながら、それでいく、という開き直った思想になってしまったのか、ということだ。どうしてなのか。筋肉作りには何か微妙な陶酔性や誇示性、優越性を持たせてしまう人間原初の力というかエネルギーのようなものがあるのだろうか。
 読書はまだ途中なので、メモ程度に止めておきたい。
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小説を読んで語る会

2018年11月20日 | 
 今日は「よもやま話の会」でテーマは「西遊記」だった。話は中国の古代から現代まであちこちに飛んでいく。ウィグル新疆自治区の人たちはまるで西洋人である、とか漢民族はどうして漢民族としてありえたか、と言えば、それは漢字を筆頭にして優れた文化を持っていたからだ、と誰かが言う。すると、江戸時代の公文書もすべて漢字だった、と言う。女性の一人が中国高級ホテルでの掃除の事件をテレビで見たらしく、あんな国には行きとうないよと顔を歪めて中国人のマナーの悪さを言う。ひとしきり女性たちはそれを嫌そうな顔して言う。ぼくも言った。言わしてもらうけど、日本人もそんな時期があったで。モスクワからロンドンへの飛行機に乗ったとき、日本人はうるさく、ステテコ一枚で酔っぱらい、喧しかった。まだ22歳だったぼくはその先輩日本人たちにふざけんなよ、と言いたかった、と。あの頃日本人が言われていたことを今、そのままそっくり日本人が中国人に言っている、と。えらそうなこと言えんよ。
「豊かさが底上げしてきたら、だんだんとマナーも良くなってくんやで」と誰かが言うと、その通りだと、みな頷く。

 この会は昭和27年からあるらしい。「あんた入ってくれて、会も元気出てきたよ」とずっと会を引っ張ってきたMさんは言った。「文学」を入口として社会、経済、個人について語り合う、またはそんな語りを聞きたい人はいると思いますよ。
 ということで、地元新聞に会員募集の記事を書いてもらおう、と記事の内容を検討した。
 次はぼくが担当なので、「千年の愉楽」の中の第一番目「半蔵の鳥」をテーマにすることにした。
 どんな感想をもつものなのか知りたい。ぼくは荒くれた男、白い肌から出る汗に酒が混じっているような匂い立つ若衆がもつ死との親近感が醸し出す美しさに魅了されたのだった。このような美しさを描ける中上健次はすごかった。 

革命のファンファーレ 西野亮廣

2018年11月04日 | 
 ぼくが大学を留年して、ようやく卒業し、私塾を始めた頃にサザンオールスターズがテレビに衝撃的なデビューした。娘が生まれたのは1983年、息子が産まれるのを2歳上の娘と車の中でそのときの新アルバム「綺麗」をよく聞いていた。娘は Mico という弘田三枝子に叫んだこの歌に身体を揺らせて聞いていた。息子が産まれるまで、娘と病院の前付近にある喫茶店で待った。時間のかからない分娩で、3600gもある男の子が産まれてきた。なべちゃんは「その頭の形はハイデガーじないの、と言っては喜んでいた。ぼくは私塾を会社化して、小学生の時以来、二度目の黄金期で弾けていたのだと思う。スージー鈴木の新書を読んでいると、年代ごとに、歌とともに覚えている光景があって、1978年から1985年をの間の自分の様子をぼんやりと思い出した。
 おそらくサザンオールスターズはこの「綺麗」で不動の和製ロックバンドの特別な存在となったのだと思う。多くのバンドはできては解散していく中で、サザンは自由な形で活動もし、自分たちが作りたい音楽を純粋に作っていたと思う。
 テレビ局は初め、コミックバンド扱いで、テレビ局のわがままな横柄さに機嫌良さそうに歌っていたを桑田佳祐らのランニングシャツに短パン姿、また檻の中で歌っていたシーンを思いだす。
 テレビに出ないと認知されない。テレビ様様の時代をなんとか切り抜けて、才能を見せたもは、やはり「いとしのエリー」なのだろう。こいつ本物と、おおくの業界の人は思ったに違いない。
 楽しくページをくくりながらスージー鈴木の本を読んでいたら、不覚にも、ぼくには読みかけの本があったことに気がついた。それは、「革命のファンファーレ」という題で、副題に「現代のお金と広告」とあり、著者は西野亮廣(あきひろ)という芸人が書いた勇ましそうな本であり、内容もズバズバと言いまくる気持ちよさがある。
 若い子はどんなことを考えているのだろうと思って、「ホモサピエンス全史」を読み終わったあとの第一冊目に選んだ新刊であった。
 ・意思決定の舵は「脳」ではなく、「環境」が握っている。
 ・お金を稼ぐな。信用を稼げ。「信用持ち」は現代の錬金術師だ。
 ・キミの才能を殺したくなければ、お金の正体を正確に捉えろ。
 と、まあ、テンション高く、ズバズバである。1980年生まれだから生意気の盛である。面白い男がでてきたもんだと思いながら、笑いながらも、納得感もあり、やがてはリスペクト感まで出てくる。
 未来型をデザインしようとする力とこまめさに脱帽している。若さとはそういうものだった。
 続きを読まなければならない。

 ぼくはこの頃感じるのだが、精神というか、意識、脳というべきか、身体の筋肉や血管は衰えていることは感じることと反対に、成長、熟成を積んでいるような気がしてならない。