25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

イヤな事は続いて起こる

2018年12月31日 | 日記
 息子が久しぶりに車を運転をしてバンパー及び周辺を擦り、歪めてしまった。前の左ドアが開かなくなった。人身事故ではなかったからよかったものの、この修理にお金がかかる。前のバンパーと横の部分がひとつ。約10万円かかると、板金屋さんは言う。
 だいたいこういうことが起きると、次々によくないことが起きるから、注意しようよと皆に声を掛けたのだった。夕食は母親も連れて中華料理店へ。無事に母が転倒することもなく済み、腹一杯食べて飲んだのだった。
 それから「Wind River」という重たい映画を見て、さて風呂となったところ、お湯が出ない。台所の湯はでるのに、風呂の湯は出ないのが不思議だ。給湯器はひとつである。この夜風呂は全員やめ。
 翌日、31日に、申し訳なく思ったがプロパン事業というのは生活を支える基本的な仕事だから、大晦日、正月でも緊急体制はとっているだろうと思い、電話をかけた。いつも通りのように明るい返事で、すぐ見に行きます、と言ってくれた。十分もしないままに、係りの男性がやってきた。いろいろと点検したあとの結論は「給湯器の耐用年数は10年ですが、これは15年経っています。台所までなら熱い湯も届くのですが、風呂場までとなると
途中で冷えてしまうんです。つまり給湯器の力が足りんのです」
というわけで給湯器を取り替えることになった。8万円。立て続けにおこるじゃないか、今度は何だろう。息子らは熊野古道の二木島から曽根の「次郎坂太郎坂」をハイキングしている。今日はよい天気だ。滑って転んで、頭などを打つんじゃないか、と心配する。新しい給湯器に替えたものの、風呂の湯は熱くならない。業者は困り果てた。「水道屋さんにきてもらうしかないですね」
「・・・・? それは裏のコンクリート地面を壊してってこと?」「ぼくは水道のことはわからんもんで・・・」
 「えええええ、水道管の工事。何々、湯がでる水道管と水がでる水道管が交わるわけ?」 と言ったら、そのおにいさん、パッと閃いたらしく「洗濯機は?」という。洗濯機の上に湯の蛇口と水の蛇口が開いていた。それの赤い湯の方を締めると、風呂の湯の勢いがこれまでのようになり、熱い湯が出てきた。「両方開いてたもんだから、水が混流したんだわ」と名古屋弁が出てきて嬉しそうに言う。「給湯器前のに替える?」「まあ、ええよ。耐用年数来とるんやり。この際替えておくわ。また15年か」。しゃあないなあ。まあとにかく今日は風呂に入れる。それにしても洗濯機の水道栓を開けておくなんてことはこれまでもあったことじゃないのか。詮が開いていた日に限ってたまたま風呂に入らなかったのだろうか。
 息子らを迎えに行った細君に聞いてみる必要がある。無事に帰ってくるだろうか。家に隠っていてもこんなことが起こるのだから、年末年始は危ない。明日は尾鷲神社で大祓いだ。あの巨大な太鼓修理は終えたのだろうか。去年牛を手に入れたと言っていた。太鼓の皮は大きな牛らしい。
 

麦の穂を揺らす風

2018年12月29日 | 映画
 年末になると息子がDVD映画をもってくる。知らないものばかりである。昨日は北アイルランドのIRAが大英帝国と休戦、和解するグループとそれに反対して徹底的に闘う道を選らぶグループに分かれる中で、兄弟が分断される結末を描いている。「麦の穂を揺らす風」、ケン・ローチ監督の作品だ。

 今年はアクション映画、SF映画を観まくって、さらにキリスト教に関する映画を観まくった。それで、少々映画に食傷気味である。今年観た映画では、「ライオン」「スリー ビルボード」がよかった。スリービルボードの闘う女主人公の意志の強さには、日本人の女性にはみられない雰囲気がある。「キャー」と叫びそうもないし、涙も流しそうにない。警察署を爆破してしまう説得力もある。決然と一人で町の警察権力と闘うのである。

 目の前に不条理だと思うことがあれば、どうするだろうと考えてみる。ぼくにはまだ決定的な不条理を突きつけられた経験はない。チマチマした不条理はいくつかあったが、それで爆破までしてしまうものでもない。公民館で「情報化時代」についてウチの会社と電々公社(NTTになる前だった)と共同でセミナーを開いたのだった。すると地元新聞が反応して、トップ面の大きな活字で、「民間会社が公民館を使用」と書いた。いまでは民間会社でも公民館は使えるが、民間使用はダメなはずだと書き述べるのだった。

 翌日はさらにコラムでぼくの名前を出し、榎本健一ならぬ榎本順一とは何者かと批判された。kっちはただ電々公社との共同主催で「いよいよ情報化時代が始まるよ」と言いたいだけで、公社も組織体制を変えて、光ファイバー網の敷設にとりかかったころだった。まだインターネットは登場してなく、ウインドウズが出る10年ほど前のことだった。何ら悪いことをしてもいないのに、批判的だった。反論を掲載させろ、と言って、掲載させた。すると今度は大学の教授をしていて引退した社主が論説で取り上げ、「こんな分野にまで手を出すな。塾をやっていろ」と書いてきた。

 どうやら、当時ぼくらがだした「週刊の情報発信新聞 1192 紀州」という青色印字の新聞を出し、「FMマイタウン」まで始めたので、気に入らなかったのだろう。当時の人口は3万人を越していた。
 今、人口わずか17000人の尾鷲に2社の地元新聞がある。市政の動き、さまざまな行事を伝えているが、死亡記事欄が一番の購読動機のように思う。不義理をしてはいけないと思うにだろう。通夜、葬式の日程もここに載る。

 ぼくは、死んでもここには載せないし、他紙にも載せない。通夜も葬式も要らない。ぼくは仏教徒ではないし、人が普通にしておくことをしなかったら奇妙に思われると思う質でもない。天国があるとも、地獄があるとも思っていない。
 この地元新聞社には腹が立ったが、爆破するほどでもなかった。

 映画「スリービルボード」でしびれるのは意志ある女がやるからだ。これが男主人公だったら、「グラントリノ」のような手法となるのだろう。逆にグラントリノの役をスリービルボードの女性はできない。男と女は醸し出す雰囲気が違うということだ。

 ところで、息子が持ってきたあと四枚のDVDは、「素敵なダイヤモンドスキャンダル」「ウインドリバー」「聖なる鹿殺し」「イカリエ-XB1」であった。どれも見てない。

 

愚者は経験から学ぶ?

2018年12月28日 | 文学 思想
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ「という格言があるらしくドッキリした。文藝春秋「2019年の論点。その中の「愛国から極左まで急接近する政治とエンタメ」を書いた辻田真佐憲の文の一番最後にあった。政治的エンタメの危うさを彼は心配している。かつて日本国民が陥った風潮である。
 あれ、ぼくは「愚者」なんだ、と首を傾げたのだった。言わせていただくが、この格言は正鵠を得ているとは言いがたい。ただ、歴史というのはカメラのレンズによる、ズームの具合のようにしか思えない。ぼくは経験からしか学んでない。歴史から学ぼうともしているが歴史は心もとない。歴史を大局から、客観的に、俯瞰して、と捉えるならば、その眼の持ち方をしようとしているが、これがなかなか難しい。客観の基準がよくわからないのだ。起こったことの本当の原因とて分かりにくいものだ。ぼくはいっぱい失敗してきた。その経験がなかったことで損したものはあとでかならず、とりもどして帳尻を合わせることを信条としている。

 すでにぼくらは「未知の世界」を歩いている。歴史にない段階の世界だ。ファーウェイを排除しようとすると、日本国内の優秀な部品製作会社にも打撃を与えるという、経済取引がすすんでしまっている。こういうことも歴史にない段階の話である。
 話を変える。歴史の話だが。青谷上寺地論遺跡で発掘された弥生人の骨が130体ほど発掘された。そのうちの30体のDNA遺伝子解析をした。驚くことに縄文人の遺伝子をもつものは1人のみであった。残る29体は大陸から朝鮮半島に集結してきた人々であった。どうやら弥生時代の1300年の間んい稲作を持った渡来人たちがどんぢんやってきたのだろう。青谷上寺地遺跡の住人は直接に大陸から鳥取の青谷に入り込んだと思われる。弥生人と縄文人が徐々に混合していったという説はもっと吟味されなければならない。

 中国嫌い、韓国嫌い、北朝鮮嫌いの人はどう考えるのだろう。政治体制が好きでないから国が嫌い。領土を取ろうとしているから嫌い。すぐに先の戦争のことを持ち出してくるから嫌い。歴史から学ぶならば日本人の8割と韓国人は限りなく同じ遺伝子で、その遺伝子には中国北方の人も、中国南方の人も、中国のあらゆる地域からの人が朝鮮半島には集まっており、九州や島根、鳥取などは当時の交易地だったように思える。青谷上寺地遺跡からは勾玉もガラスも、木の彩色器も、当時の中国のみの、シルクロードを通ってきたと思われるものも残っていた。2世紀頃には大量に大陸から入ってきたのだろう。また古代国家が誕生して大化の改新のころにも渡来人を多く受け入れただろう。天皇家の初代は神話の中にあるが、いずれは系統的に分かるようになるのだろう。

 すると「日本人のアイデンティティーは何?」ということになってくる。
 科学的に調べた歴史というものもある。遺伝子は嘘をつかないように思われるが、西郷隆盛はどんな思想を持っていて、海外まで留学した村田新八はなぜサイゴウニ従ったのかはわからない。後世の人の想像力を掻き立てるだけである。

 愚者は経験に学び、か。よくわからない言葉だ。一体誰が言った言葉なのだろう。

カメノテ~ナザレ

2018年12月28日 | 日記
 紀伊長島で「港市」をやっている様子がテレビの地方ニュースで流れた
、ギョギョギョ、カメノテがある。岩場の割れ目に植物のように、根を張るように群生しているあのカメノテである。この辺ではタカノツメとも言う。しかもリスボンのレストランで食べたのと同じくらいのサイズである。早速、紀伊長島に住む姉にカメノテ購入の電話依頼をした。姉は生ガキにあたって入院してからというもの、貝類は食べない。姉の夫はカメノテを食べると吐くのだそうだ。
 翌日、朝、購入したと電話があり、1500円だったという。1500円なら相当量あると思った。
 紀伊長島も久しぶりである。旧商店街は一人も人と出会わなかった。人が歩いていないのである。海岸線の長いこの町も南海トラフで滅びるのだろうか。人口は減っているのだから、わざわざ海の近くに住まなくてもいいのである。
 カメノテは1キロほどあるのだろうか。個数を勘定しなかったが、20コはありそうである。これでは大変な貴重品である。
 カメノテは塩ゆでをして食べる。不思議なことに、アルコールはなんでも合う、ワインでも、日本酒でも。
 明日息子たち家族がやってくるので、半分残しておこう、息子はこれをすきだったかどうか忘れてしまった。
 カメノテは幼い時からの磯の思い出であり、大人になってから、イガミを釣るために船から磯に飛び移ったときに、エサのホンダワラを船内に忘れてしまった。釣りにならないので、何かエサになるものはないかと磯を見渡しら、カメノテがあったので、ナイフで取り、これをエサにしていがみを釣った時は嬉しかった。
 もうひとつ大人になってからの思い出はリスボンから列車にのりフェニキア人の海辺の町ナザレに行ったときだ。ここではイワシもアジも尾鷲の人と同じような食べ方をする。干物である。ナザレの砂浜にはいわしやアジを干している。
 ナザレでは両替をするところが銀行しかなくすでに閉まっていたので、現金が残り少なかった。夕食のため、レウトラン内を外から覗いていると、大きなカメノテが大皿に盛られている。それに惹かれて、不安気に入った。カメノテの料金がわからない。ええい、ままよ、と手でつかみ取りして、夕食の酒のつまみにした、美味しかった。そして夕食代は持ち合わせの現金で済んだのだった。小高い丘の斜面にレンガ色の屋根と白壁、その窓やドアが色とりどりの家が立ち並んでいた。夫をなくした女性は毎日黒色の服を着て、日向ぼっこをしていた。
 このナザレの浜でアマリア・ロドリゲスがファドを歌った映画があった。ポルトガル映画で他しか「白い町」という題だった。白黒映画だったと記憶する。
 アマリアは老い、若いファド歌手が出てきたころだった。リスボンに住んでいるという女性と出会い、彼女にその若いファド歌手の名を知ったのだった。翌日その歌手のCDを持ってきてくれた。ぼくはその方の名前と住所
連絡先を聞いておくべきだったと後になって後悔した。今頃どうしているのだろう。あれから23年になる。
 

 



「こまめ」は強い

2018年12月26日 | 社会・経済・政治
 状況をしっかりと見れば、一部の人に限られて発表され、読まれていた「書き物」はネット社会になって様相を変えた。
 「書き物」は書籍や新聞、雑誌という形態をとらなくても、書きたい人は書き、読みたい人が読むという時代となった。ブログやメルマガは出版界を根底から変えてしまったのだ。文学も思想、哲学も、すでに一部の書き手と出版社の手の内にあるのではなく、多くの人々という、書き手と読み手がネット上に存在していて、特別だった書き手は数を増やして拡散し、出版社は淘汰の嵐の中という風ではないか。
 百年、二百年年後に観賞され、読まれる文学、芸術は今、ネットの世界で生まれるのかもしれない。

 そのネットというのは「書き込み」も自由な世界である。少数の暇なネトウヨが跋扈している。少数なのに多くの意見かのような多さを感じさせる。それもこまめさのせいかもしれない。そのこまめさは日本青年会議や日本会議事務局のこまめさと似ている。中国、韓国、朝日新聞が嫌い。ただ極右の言うこと信じて、それを判断基準にしているだけで、独自の思想をもっているわけではない。彼らはたとえば、市が主催する講演会の講師の人選にでも口を出してくる。テレビ局にも言ってくる。煩わしさを押し付けてくるのだ。

 この前モデル・タレントのローラが「辺野古の海を守りたい。ワシントンのホワイトハウスに請願書署名を」と訴えて話題になった。この話題で彼女をコマーシャルで使う企業は契約を取りやめるようなことにならなければよいが、と思って、細君に「そうならなければよいが」と漏らしたことがある。アメリカでは俳優も堂々と政治的発言はする。日本の有名芸能人は忖度して言わない。すると高須クリニックの高須克弥院長が早速「僕なら降ろします」と言った。理由はわからない。

 朝のワイドショー「モーニングバード」はネトウヨを特集していた。ネトウヨと言えば、若い者が自宅で書いているのか思いきや、富裕層で、時間の都合がつき、年齢は高いということだった。ある弁護士を「あいつも仲間だ」と名指しで言われ、攻撃されたため、その弁護士はその一人一人を訴えることを二段構えで広報した。謝るのだったら、訴えない、謝らないと訴える、と。すると30人が謝ってきた、という。なんと医者、事業主ら、年齢も50代、70代もいたと言っていた。あらら、高須克弥院長も医者だった。

 ぼくは中国とは仲良くしたほうがよい、と思っている。14億の人口を有し、巨大な消費市場でもある。貿易をするにも近い。韓国と仲良くすればいいと思っている。古代は朝鮮半島と日本列島の九州、山陰側がひとつの文化圏のようだった。遺伝子解析が進んで、弥生人の正体もほぼわかりつつある。ほぼ祖先は同じなのだ。 朝日新聞の読者である。権力のチェックは新聞社も仕事である。権力に迎合するマスコミの生き方もあるだろうが、それも認めた上で、朝日新聞を読んでいる。朝日新聞の嫌なところも三重県の津支局に申し入れをしたときの態度が横柄でイヤな野郎だなあ、と思ったことがあり、朝日新聞とて鼻高く、プライド高くいることは知っている。
 まあ、それはともかく、そうなるとぼくはネトウヨからは「反日」であり、「パヨク」になるらしい。
 笑ってしまうが、彼らの影響力はこまめなだけに強いのである。攻撃を受ける側もだんだんと対処のしかたがわかってきているようであるが。そもそも、「ネトウヨ」の実体がテレビで取り上げられるようになったのだから。なんでも運動は「こまめ」が一番であることも知っている。
 
 

株式の動向

2018年12月26日 | 社会・経済・政治
ぼくは株をやってないが、株の動きは気になる。金融緩和策で先進国がお金を政府、中央銀行が一体となってお金を融通したその過剰なお金がどうなっていくのか、気にかかるところだ。クリスマスイブの日の暴落。ほぼあり得なかったことがアメリカで起こった。12月が決算のアメリカはクリスマスは在庫も一掃するため株が必ず上がる日だったのだ。日本の株式市場は外国人投資家が7割を占めているから、彼らの思惑で日本の株式市場が動くことになる。
 年金機構が株を買っている。日銀も株を買い支えて、株が下がらないように努力してきたが、いつまでもつか。景気が悪くなったときにもう打つ手はほとんどないように思われる。スーパーインフレが起こり、年金も貯金もパーになってしまわないか、とふと心配する。この思いは安倍政権が誕生してからずっと頭の隅にある。

 25日はアメリカは休日で今夜からまた株が動く。日本の今日は下がり過ぎによる買い戻しで、アメリカの影響はない。明日からどうなるかだ。

 一方円高になってきている。
 円安だったから輸出企業は優位だった。その差益分だけでも設備投資などに向かうべきところ、企業はなかなか渋く、内部留保してきた。こんな日が来ることを想定してのことだろう。
 あまり買う物もないのに、経済成長を連呼されても困る。ほどほど、生活が安心して維持できればいいのだが、経済成長を言うあまり、最後にツケを喰らうのは庶民である。政治家は責任などとらない。官僚もとらない。インフレ率が上がるほどぼくらの貯金、現金の価値は下がっていく。政府の借金は逆に減っていく。政府が本当の甦りを見せるのは、政府の借金がなくなり、国民の税収入と政府が稼ぐ収入でやっていければよいわけだから、一度は戦後すぐの時のようにスーパーインフレを起こすしかないのかもしれない。そんなことを政治家は思っているのかもしれない。

 こういうときに何かが起こり、戦争が起こる。戦争で都市を破壊し、また建て直す。そんな時代を世界はなんども経験してきた。まさか。なんだかアメリカがガタガタしている。ヨーロッパもガタガタしてきた。イヤな感じがする。
 


歯科医院で黄昏流星群

2018年12月25日 | 
 とうとう観念して、歯医者さんにいくことにした、上の奥歯がグラグラしている。やはり年の瀬なのか、スッキリしておきたいと思う。久しぶりに行ってみると、いつもは客の姿をみたこともないのに、今日は5人もいる。いったん帰って待つか、別の日にするか考えたが。ええい、そのまま待とう、と決心が揺らがない策を選んだ。

 待つ間、「ビッグコミックオリジナル」を久しぶりに読んだ。三回分の「釣りバカ日誌」と「深夜食堂」と「黄昏流星群」を読んだ。
 黄昏流星群は出始めたときと今回とでは「黄昏時」が変わっていた。以前は五十代の主人公が多かった。それが六十代後半、七十代となっている。人生百年時代となったのだから、漫画も七十題はまだまだ若い風に描いている。
 今日の話はこうだった。主人公の男は会社役員を引退して66才であり、暇をもて余している。忙しかった時代を懐かしんでいる。妻には先立たれていた。こどもたちは別のところでそれなりに暮らしている。あまりにもすることがないので、ボランティアでもしようと登録にいく。あれこれと面談しているうちに女性係員が、ご老人の見守りをしてもらえないか、と依頼があったことを思い出す。男は人の役に立てるならそれいいか、とおもって引き受けるもである。

 依頼先に行ってみると、息子らしき男が、母は認知症で、6時には帰るので、よろしくお願いいたします。必要なものが買っていただいて領収書をとっておいてくれればすぐに払いますから、と、息子は印象も悪くない。母親の方はテレビをぼんやり見ているだけで、何を話すわけでもないが、この女性はどんな人生を送ってきたのだろうと考えるだけでも楽しいような気がする。彼女は73歳である。ボツボツと会話をする時もある。
 この活動に慣れてきたころ、女性が散歩したい、と言い出す。付き添って坂の道を歩いていくと、途中で、トイレに行きたいと女性が言い出した。公園かコンビニのトイレに行きましょうと男は言うが、女性はウチのでないとイヤだ、と言って戻ろうとしたとき、すでに女性は失禁していることに気づいた。それが大の方なのか小のほうなのかわからないが、彼は女性を風呂場で下の世話をすることになる。黙ってシャワーで流され、お尻を拭かれ、一段落すると、女性が突然に豹変した。言葉使いも表情もまるで正常人である。歳よりも若くすら見える。「私は芝居していたのだ。sなたは合格。わらしの息子は娘の婿で、娘が死んでからも、この家から出ていかないの。わたしが病気になって介護が必要になったとき、あの義息子はどうするのか、みてみようと芝居をしてみたのという。そして義息子は必ず出張を復活させると思うから、その時がきたら、鳥取砂丘に一緒に行ってほしいの、と彼は頼まれる。鳥取砂丘は星取砂丘と呼ばれるほど星が多くて美しいのだという。
 ここまで読んで、ぼくの番がきたので、さてどうなるのか、読めなかった。また今度きた時にでも読もうと思っているが、保管されているだろうか。話はどうなるのだろう、とちょっと気になる。
 一ヶ月もイライラしていたのがわずか十分でかたがついた。もっと早くくるべきだったと歯医者にくるといつも後思いする。
 

マタイ受難曲

2018年12月24日 | 音楽
 クリスマスイブで世間はお祭りのようだ。宗教は「集団を持つな」「一人で祈れ」と言いたいぼくは宗教は人を救うこともするのだが、人を殺すこともするものだ、ということを心してかからないと間違えるよ、と言いたい気持ちが年々強くなる。
 ああ、世界の観光地の名所旧跡と言えば教会や寺院。美術といえば宗教絵画、仏教美術。辟易するにだが、人間は神まで作り上げて全知全能とし、神の教えに従うというようなことに救いを求めたのだろうから、人類の歴史の中で神も仏も要らぬほど豊かになったのは日本の歴史で言えば、まだ60年ほどのことだ。そのうちの30年も怪しいもので、貧困、過剰労働、親の虐待はまだ克服できていない。
 NHKの地方局は必ず年に一度か二度、伝統的な慣習や習わしを伝えている。ぼくは毎度、すばらしいことだとは思わず、なんと愚かしいことか、なぜ疑わないのか、と腹立たしく、迷信じみた言い伝えを「フン」と言いながら見ている。
 
 原始キリスト教の頃、イエスキリストが生きていた頃、力もつものが同じ人間を奴隷とし、税を課し、飢えるものは救われることなく死んでいった。この頃に人々が神の世を作りたかったこころや脳はよくわかる。その気持ちをバッハが音楽で1700年代になって表したのだと理解することにする。
 イエス・キリストは宗教間で争うことなどしたくなかったはずだ(いや、戦闘精神が旺盛だったかもしれぬ)。イエスと面識もなかったローマ語が話せ、理解できた聖パウロがキリスト教の布教に努めた。もちろんイエスの12弟子もユダを除いて、布教に努め、ヨハネをのぞき、全員無惨な迫害で殉死殺している。殺され方も悲惨である。
 パウロがすべてを引き受けたかのようにキリスト教教を、ローマ他各地に布教した。
 
 キリスト教とよく似たところのある浄土真宗も、親鸞の死後、親鸞の意に反するように蓮如が宗教集団化した。親鸞は宗教を解体したはずであった。だれが本願寺ができると思っていたか。親鸞は墓さえも否定していた。

 疑わず、それが正しいことだと思い、延々と維持し、疑う者があれば反抗し、寄り添ってくれる者あれば感激するという有り様は大衆としての人間のあり方として普通である。

 親鸞もイエス・キリストもそんなことはわかっている。ただわからなかったのが、三人以上が集団を作ったときに起こる人間の化学反応である。いや、わかっていたのかも知れない。その幻想への対抗方策、対抗論理が凡人にはわからなかったのかもしれない。
 

 
 

コンポ、CD、SD、宇多田ヒカルなどなど

2018年12月24日 | 音楽
 買ったコンポにはびっくりした。25Wの小さなスピーカーが二つあるだけである。ところが、クラシックではクリアに「これはスゴイ!」と思わなかったものの、桑田佳祐の「GARAKUTA」と宇多田ヒカルの「Fantome」を聞くと、2メートル先に、桑田佳祐や宇多田ヒカルがまさにいるようだった。のどの擦れる震えみたいな音も聞こえるようだった。これはおそらくコンポの技術も録音の技術も十年前よりは良くなっているのだろうと思う。別にハイレゾであるわけではない。いずれはハイレゾで聴くのだろうがたぶんぼくの場合はこのコンポが壊れる十年後くらい先のことだ。
 テレビも4Kさらには8Kとなっている。
 思えばテレビの基本機能も、ラジオ、カメラ、音楽プレイヤーも、ICレコーダーも、時計、財布も、特化された天気予報も、著作権の切れた小説も、天文台も、アルバムも、辞書、百科事典、ビデオ、映画、メモ帳も、検索やメールなどもスマホに入るものはおおよそすべて入っている。冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、掃除機、電子レンジ、オーブントースターがスマホにないくらいだ。アップルというのはすごいものを開発したものだ。
 
 ひとつの間違いも許されないスタジオでの録音。パーカッションもよくよく吟味されて打ち込まれている。そんな音づくりの緊張感までも感じられる。

 それで早速、宇多田ヒカルの「初恋」を借りに行った。パソコンに取り込んで、CDやSDに書き込む。宇多田ヒカルの作品つくりは自己表現を主としているので、例えば、死んだ母親が思い出されたり、死んだ母親に向かって歌ったり、自分が生きて経験してきたことを表現するので、やっぱり重たくなって、もっと遊び心があってもいいのに、とか思ってしまう。わがコンポはそんな切なさも十分に、心臓の音がわかるほど伝えてくれた。

 最近買ったもので、広告に騙されたと思ったのは百円玉を吸い込む手軽なハンドタイプの掃除機だった。とにかく「吸い」が悪い。

 エディオンやK’sデンキの店内を見ていると、SDカードももはや250ギガバイトなどというのもある。1ギガでもすごいと思っていたものが、250ギガバイトまであの小さなものにデータを入れることができる。二十年でそうなった。250ギガもあれば音楽などは何万曲と入ることだろう。するとその250ギガバイトをどう使うのか、その構造の問題が出て来る。えんえんと曲が次から次へと流れるのか、ジャンルが作れるか、歌手別にできるのか、という問題だ。そのことについては知らないからなんとも言えない。ぼくは21年前に74分のCDを16時間使えるようなCDを作った。なんてことはない、今は何千時間の話だ。それするためにはフォーマット作り、原盤からCDにコピーする機器ソフトさえなくそれさえも開発しなければならない時代だった。

 しかし語学学習で言えば、最高なのは、ひとつの文を繰り返し何度でも聴けて、一文一文を前後に進められて、一文のスロー読みが聴ける。またその一文のわかりにくいちところの単語解説などが入っている。テープのように全文通しでも聴ける。ぼくらはそんなテキスト・CDを50種ほどを作ったことがある。今でなら世界中に広がるものであろうと今でも思う。おそらく語学学習機で理想である。今もそんな便利な語学学習機はない。あのとき、その技術を売る、という発想はなかった。会社を売るという発想もとれなかった。この点は悔やまれる。

 コンポからそんなことを思い出した。1995年から1997年のことだ。

現在ではわからぬもの

2018年12月23日 | 音楽 ポップス
 居間のコンポのCD挿入が作動しなくなったので、新しいコンポを買った。十年以上はつかったからよしとしよう。
 設置して、久しぶりにモーツアルトのシンフォニー25番を聴いた。やっぱり良いなあ。モーツアルトと言えば、宮廷音楽家で、とかく華麗なイメージがある。映画「アマデウス」を観ると、死んだあとゴミのように捨てられる最後であった。レクイエムは死の間際に書かれたもので、この作品は暗く、壮大で、悲しみに充ちている。モーツアルトは宮廷を飛び出して庶民がお金を払って聞き、楽しむオペラも作った。
 入場料を払って人々に聴いてもらうスタイルはベートーベンに引き継がれた。
 ぼくはベートーベンの弦楽四重奏が好きで、特に14番、15番と毎晩寝床で聞きながら眠る。時にCDを替えて「大フーガ」のときもある。
 ぼくはそれほど詳しく聴いていないが、ベートーベンの後期の作品は古典派とはいいがたく、現代音楽のようにも聞こえてくる。
 
 音楽を聴くたびに、音楽家がうらやましく思う。お金を取って聴かせるほどになるには大変な努力と辛抱がいることだろう。それに才能がどこまであるのかも気にしなければならない。うらやましいというのにはリスペクトも含まれている。
 ピアノを、バイオリンを、ギターを自由自在かのように弾きこなす人がいる。桑田佳祐のように曲が溢れ出てくる人がいる。音楽に合わせて身体を自由自在に扱えるような若者がいる。
 ところでシューベルトの存命時代、一曲も楽譜は売れなかった。当然彼のシンフォニー「未完成」すら演奏されることなく、若くして逝ってしまった。友人たちや家族の間でシューベルトの曲は行き続け、やがて世にでた。
 せめて50歳くらいまで生きていたらさらに偉大な作品を残していたにちがいない。どうして天才音楽家は短命なにだろう。ショパン39歳。モーツアルト35歳。シューベルト30歳だったと思う。確かではない。 
 現在という時間でもてはやされるものはたいしたものではないのかもしれない、という気持ちも起こる。今も、どこかで100年後に理解される芸術家がいるのだろう。そう思う。
音楽を エルガーの「チェロ協奏曲」に替えた、指揮者およびチェロ奏者ジャクリーヌ デュプレの演奏で絶品と讃えられた盤である、

虹を追いかけた

2018年12月22日 | 日記
 砂漠にビニールハウスか、テントのようなものを作り、内部を温めれば内部壁に結露ができる。逆もあり得る。いくら乾燥地だからと言って、湿度はゼロではない。これができるのは太陽光に依るしかないと思う。ぼくが空中井戸と呼ぶのはそういうことで、砂漠での水の確保が問題だからである。中国やエジプトなどの砂漠をもつ国々は砂漠化の進行を食い止めるだけでなく、砂漠を森、牧草地、農地と昔のように戻さなければならない。人類はまだまだ増える。水問題も食糧問題も要は緑化問題でもある。
 砂漠を不毛のままにしておくのはもったいないとは皆思っていることだろう。

 そんなことをつらつら思っていて、イオンで買い物をしたあと、イオンから大きな見事な虹が見えた。内側の端は紫色だった。根元はどこなんだろうと虹を追いかけた。天満の堤防までいくと、虹は外海から出ていた。根元はエネルギーに溢れているように見える。写真を2枚載せておく。一枚目から2枚目の場所まで移動したのだった。やはり大きな虹は珍しく昨日、姉妹都市のカナダ-プリンスルパート市の写真集を見ていた。友好50年記念のようで、スピーチを頼まれていたので、写真集があることを思い出したのだ。虹の町としてよく知られて、市のワッペンにも虹がプリントされていたのを思いだし、海洋性気候というものが虹をよく作るもだろうか、などと、写真の虹を見て思ったところだった。奇妙な偶嬉しい偶然だった。

  

アウラ 国分拓

2018年12月21日 | テレビ
 ネアンデルタール人が絶滅したときに、最後の人が必ずやいた。NHKスペシャルで国分拓ディレクターを務めた「アウラ」を見た。ブラジルのアマゾンの奥地に文明と未接触の原住民は「イゾラド」と呼ばれる。多くの原住民集団が絶滅していった。ポルトガル人たちが入り込んできては病原菌を持ち込み、耐性のないイゾラドは絶滅していった。文明人と接すると病気になることを知ったブラジル政府は慎重にも慎重に接し、現在では保護区として従来からの生活を保障して原住民の保護に努めている。

 その昔、アマゾンに入り込んだのはキリスト教の布教者である。とくに福音派やイエズス会は半端じゃない。原始キリスト教の使徒さながらに、過酷な布教を行うのである。全部成功するわけではないが、聖職者の次にはだいたいが軍隊がやってきて、つぎにはガリンペイロ(金などを求めて開拓に入ってくるもの)が銃を持って入ってくる。

 そんなアマゾンの奥地で二人のイゾラドが発見されたのは確か1987年だった。この二人が話す言葉は他の原住民も理解できなかった。彼らは文明人に怯えた。その後、言語学者が三十年に渡って調査に入ったのだが、それでも言語の全容はわからず、どうして二人だけになってしまったのか、何が彼らの村に起こったのか、正確にはわからないが、ちょっとづつ単語の意味がわかってきて、その単語によって想像することが可能な段階に入ってきた。火、大きい、音、空・・・・・・。2015年、相棒のアウレが死んだ。片脚の不自由なアウラが今も生き残っている。言語学者がちょっとわかる程度で、他の職員はわからない。アウラは一方的に何かにつけてを話すがわからない。
 
 彼がいた集団があったはずだ。その集団には独特の言語があった。三十年前の二人はすっぽんぽんの裸であった。三十年後も文明に溶け込もうとしない。小さい頃弓矢を作る役割を与えられていたようで、まだ大型の動物を狩る技術は教えてもらっていなかったようだ。ある時、村で何事かが起こり、幼い二人は運良く災難を免れたのだろう。それから移動しつつアマゾンの恵みを受けて生き延びてきた。
 アウレが死にアウラもそれほど長く生きられないだろう。最後の一人である。

 アマゾンに入り込み、一攫千金を夢見る荒くれたち。荒くれが集まる村ができると、バーができる。女もやってくる。これはオレの土地だと、ここで金を採れば、3割与える。米と豆、道具も与えるものがでてくる。
 国分拓はガリンペイロをも取材した。「ノモレ」という本もだし、イゾラドを画像で追うばかりでなく、文にもしている。やはり「ヤノマミ」とともに暮らして取材する勇気には根性というものを感じる。彼はアマゾンの歴史と現在を先住民を軸に取材している稀有なディレクターである。
 

あほらしく興ざめするので

2018年12月21日 | テレビ
ホリエモン、千葉なんとか、あと一人何某がホンダのジェット機を共同購入したというニュースを見た。この購入者のコメントがいかにもあほらしい。「北海道でロッケットの仕事して、そこから沖縄でゴルフ」とか「ちょっと飲茶を台北まで食べにいくなんていいでしょ」とか言っていた。
 だめだコリャ。確かに空は陸よりも何十倍も空いている。百人買える人がいれば百人の人が買えばいい。ただそれだけだ。それがなんぼのものか。
 宇宙旅行をする、とゾゾタウンの何某も言っていたが、そういうお金があるなら、もっと有効な活用法があるとは思う。

 日本は基本的に借金生活で、借金のお金がまわってやり繰りしている国なのである。だから水道メンテナンスもできないのである。家で言えば銀行から金借りて、贅沢しているようなものだ。いずれ返済しなければならない時が来る。高橋洋一などは日本には国の資産がいっぱいあるから大丈夫なんだ、とかテレビで言い、司会者の東野何某などはその奇妙な論理につっこめないから、どうにもならない。そしたら国債発行をしないで、資産を売って予算たてればいいじゃないか。

 ここまで言ってしまったらこの文も、興ざめもいいところなので、話題を変えて、楽しいことを書きたい。まず「からすみ」、ボラの卵をなんどもなんども日光を見ては裏返し、丁寧につくりあげる。からすみを六本ほどもらった。これは嬉しかった。細君の弟からマグロを大量に送ってもらい、続いて「洋ナシ」「ぽんかん」「りんご」「干し柿」セットをいただいた。どれも去年美味しかったので、とても嬉しかった。ぼくは息子の奥さんの家に「殻付き牡蠣」を送った。早速返事があり、牡蠣は美味しかったと。それに「万葉私底本」が八年かかって完成したという知らせと、源氏物語も7巡目に入っているとのことだった。
 楽しみなのだろう。コツコツとそうやってやっている人もいる。
 ささやかに、イオンでの最近の出来事と言えば、「山崎ウィスキーと知多」がセットになって歳末のみ限定売り出しをしている。もうひとつは「響と知多」のセット。テイスターグラス付きである。この前のお盆の時期はイオン尾鷲店への割り当ては山崎2本、響き2本だった。今年はセット販売という手で来たのである。ところが驚くほど安い。ネットでは山崎は10年物でもプレミアがついて、現在8000円から9000円台である。響はそれよりも千円ほどネットでは安い。ところが「山崎+知多セット」は8800円。「響き+知多」は9800円。不思議な値段設定だが、イオンとの取引はそうなっているのだろう。いつも思うことだが、イオンは酒類が他店と比べて安い。知多も美味しいウィスキーである。年末、正月はからすみもあることだし、殻付き牡蠣でも買って、ウィスキーでも飲むかあ、と思っている。台北の飲茶より、こっちの方がずっと美味しい。

介護度認定の調査

2018年12月20日 | 日記
母の介護認定の調査員が来て、聴き取り調査を行った。現在は要介護2であるが、以前よりはよくなっているから要介護1くらいになってほしいと思う。ある時期から「認知症」を心配したが今では自然な物忘れ的なもので、過去に妄想を見たこともあったが、それもなくなり、ごく普通に自分で曜日の管理をし、週三回のデイサービスに行って風呂に入るのに、寒さにもへこたれず、朝起きて、準備をして、化粧もしてデイサービスの車が来るのを待っている。

 これまで睡眠導入剤と便秘薬は事故前まではとても気にし、なくなると必死の様相だったのに、この頃はそんなことは忘れたかのように、薬の飲み忘れをする。薬は一包化してもらい寝る前に飲むことになっていたのを、この頃忘れることが多いので、担当医に相談をして、いつでも飲んでよい、ということになり、袋に日付を書いて、必ず飲むようにぼくの方も努力して、飲むのを見届けるようにしている。忘れるほどに薬に囚われなくなり、超老人になった証ではないかと思う。芹沢光治良が90歳も過ぎたら、腰痛も結核もなにもかも治っていくんだ、というようなことを書いていたのを思い出した。

 調査する人は聴き取り用紙のようなものがあって質問をしていく。母親に主に聞き、あとで僕が補足するという形となる。要介護度が1になった方が支払うお金も安く済む。しかし週三度の風呂、人とのコミュニケーションの場はほしい。そのことをお願いした。お願いしてどうにかなるというものではないだろうが、言ってはおいた。母親の身体の調子は本当によくなっているのである。

 逆に、ぼくが問題になってきた。ウィスキーに凝り始めてから一年以上は経つが、次第に体重が増えてきた。体重増加に比例して血圧が上がってきた。肝臓のγGTPがG上がって来た。医師は「体重を落せば必ず血圧は下がるから、ダイエットに努めてください」と言う。
 母親の世話をしているというのに、自分が自分を世話しなければならない状況である。老々介護になってきた。

 まだこれからやらねばならないことは山とあるのに、死ぬわけには行かないし、やっぱり歳の順、親子の順に退場していくのが摂理というものだ。

 この頃、七十代の人は若くなったと思う。元気であるし、容貌も若く見える。若く見せる美容の技術も向上しているのだろうが、精神も老け込んでいないように思える。ぼくの知る七十代も溌剌としている。

 昨日は綿屑とセメントで大きな塊を作って麻袋に入れた。カラカラに乾くのを待って、保水率と蒸散率を測量したいと考えている。まだ固まらないので、今日はそのままにしておいて、曽根の家の障子の開閉がつまってしまうので、ノミを買って(ノミを使うのは初めてであるが)、やってみる。大工さんは素人がしてはいけない、と言うようだが、まあ、やってみるか、と思い、午後から出かける気である。成功したらスッキリする。木の家は歪んでくるものだ。


 

 
 

若者の凄さ

2018年12月19日 | テレビ
 バドミントン、卓球、フィギュア、驚嘆しながら観ている。同様に、「関ジャム」の番組では音楽やダンスなどのオリンピックとは違う部門での解析がすごくて、解析しながら見せるテクニックをみると、驚嘆どころではない。全く育ちの違う、豊かな時代の若者の凄さを感じる。
 フォーメーションダンスの魅力を「関ジャム」では見事に解説してくれていた。
 身体能力は昔の人間が普通にもっていた能力を取り戻しつつあるようにおもえるし、ある面では技が進化しているように思える。100メートル走、100メートル競泳も、まだ新記録がでるにだ。張本は卓球の選手だが、張本並の陸上選手や水泳選手が今にも出てきそうである。
 親子で頑張る選手が出て来て、失敗と成功のドラマは数多くあるのだろうが、失敗の方が多いことは容易に想像がつく。虐待とスレスレのところ若い選手の子ども時代はあるのだと思う。ぼくは子供をもったときにその道は選ばなかった。要するにのびのびと好きにさせたつもりである。

 強い選手がでてくると、テレビ局も動き出す。今や卓球番組ができ、バドミントンも長時間放送する。テニスの放送のしかたをみていると、局側の困惑がよくわかる。NHKはウィンブルドンにしか焦点をあてていないため、大坂なおみがUSオープンで優勝すると、あわてふためいている感じがある。錦織のテニスはWOWOW が放映権を取っている。ぼくはWOWOWに入っていないから観戦できない。

 アマチュア相撲は相撲選手権は放送する。剣道も日本選手権は放送する。ぼくなどはもっと相撲も剣道も、他の競技も、例えば、乗馬や自転車なども放映してほしいと思うのだが、その世界で天才が現れないと番組にはならない。つまらぬ噂番組やえらそうに批評する芸能人の大衆の代理みたいな顔をした男がえらそうなことばかりを言っている番組の方が優先される。カスみたいな番組がおもしろおかしく続くのはマスコミの大衆への追従であり、ヨイショである。
 まあ、兎も角も、バドミントンが世界のトップクラスに躍り出て、中国の卓球には勝てなかった日本の卓球が勝ち、テニスではウィンブルドン制覇も遠くないのである。これが虐待スレスレの若者たちの達成であり、達成すれば虐待とは違うことになり、褒めそやされ、ヒーローになるのである。若者たちはたくさんの様々な世界で、たとえそれが小さい世界であろうと、深化していくのだろうことは想像できる。
 そういう若者にむきになって対抗しようとするのは至極当然の人間の反応で、この反応を通りすぎる経験をもって、よくある「境地」というも達するのではあるまいか、と思う。