25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

石のまくらに 村上春樹

2018年10月31日 | 
 読書の中休みという感じで月刊誌「文学界」に掲載された村上春樹の三つの短編小説を読んだ。その中で「石のまくらに」に「おおっ」と思ったのだった。ストリーは村上春樹の短編にときどき現れる「男と女の一夜物」である。短編にしても短すぎるくらいの短編である。大学生の僕とアルバイト先に出会った少し年上の女性が人生で一回きりのセックスをするのである。その女性は短歌を作っていて、一夜の約束で冊子になった彼女の短歌をのちに送ってきた。その短歌のいくつかが僕のこころに残っているという話である。
 
 あなたと/わたしって遠いの/でしたっけ?
木星乗り継ぎ/でよかったかしら?



石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは
 流される血の/音のなさ、なさ


「ねえ、いっちゃうときに、ひょっとしてほかの男の人の名前を呼んじゃうかもしれないけど、それはかまわない?」

 一夜の触れ合いも、短歌もこの彼女の言葉が僕の頭をクルクル回って、短い物語は短歌を挿入しながら進んでいくのである。

 今のとき/ときが今なら/この今を
 ぬきさしならぬ/今とするしか 

やまかぜに首刎ねられてことばなく
 あじさいの根もとに六月の水

「大きな声をだすかもしれないけど」「それはちょっと困るかもしれない」「じゃあそのときはタオルを噛むよ」
 そんな会話を思い出す。

 また二度と逢うことはないとおもいつつ
 逢えないわけはないとも思い

 僕は彼女はどうしているのだろうと思う。彼女がまだこの世界のどこかにいることを心の隅で願っている。その変色した歌集をときおり抽斗から出して読み返したりすることに、いったいどれほどの意味や価値があるか、わからない。しかしそれはあとに残った。ほかの言葉や思いはみんな塵となって消えてしまった。


 たち切るもたち切られるも石のまくら
 うなじつければほら、塵となる


 こんな話は村上春樹はマジシャンのようにうまいのだ。短歌まで作ってしまうとは。そう思うと、待てよ、村上春樹は長編より短編がよい。短編でもこんなに短い話が書けるらにその中に短い短歌がある。俳句もいつか書いてみるのかなあ、と思いながらこの年上の小説家の作品をいつも待ち遠しく思っている。*文學界7月号に掲載された村上春樹三つの短い話
 

文化、倫理観

2018年10月31日 | 社会・経済・政治
 相撲協会が調べもせずに許可をだして九州場所に日馬富士を出させた。貴乃花親方が巡業部長としてまず第一に協会に報告すべきだったのに、警察に連絡した。けしからん、ということだろうか。
結局、一年経って、貴乃花部屋は潰れ、貴乃花は引退し、貴ノ岩はモンゴルでバッシングを受け、提訴を取り下げる始末で、相撲のコメンテーターの中には「こうなりゃ土俵で金を稼げばいいですよ」などと言い出す者も出て来る。鳥取の夜の暴行のあった部屋での出来事は、学校の校長も、相撲部の監督もいた。石浦も照の富士もいた。教育者たる彼らも喋らなければならない。このウヤムヤ感に相撲協会は今のところコメントのひとつも出していない。ぼくは白けきってしまった。

 韓国の最高裁。戦時中の徴用工への賠償問題。 多くの識者、安倍首相、河野太郎外務大臣の言う通り、「個人請求権」は1965年の日韓請求権・経済協力協定で、完全に解決している。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が2005年に発表した政府見解でも、協定で日本が提供した無償3億ドルに、個人の被害補償問題の解決金も含まれていることを認めている。
 ところが、今回の訴訟について、最高裁自身が「請求権は消滅していない」と差し戻しを命じており、日本企業に賠償を命じる可能性が高い、というから「なんだこれは」と感情の問題にまでなってしまった。
 ぼくは、当時の協定書にはどんな文言で書かれていたのか、に興味がある。日本と韓国の協定書作成について、互いのミスはなかったのか。最高裁がそれを協定書を無視するわけはなく、協定書に不備があったとしか思えない。
 植民地化する、戦争をするということは70年以上経ってもこのような問題を起こすのだ。
 文化や倫理観が国によって微妙に違うことを思い知る2つの事件であった。

 外国人労働者のための新在留資格法案が国会で論議に入った。急なことで、わざと急にやろうとしている違いない思うほど、自民党内でも全く論議薄である。ヨーロッパが先に経験している。この経験をどれほど研究したのか。5年経ったら帰国させるとか、更新はどうだとか、いろいろあろうが、フィリピンバーが昔流行って、フィリピン女性が入ってきて、今や尾鷲にもこの土地で結婚し、暮らしている人が何人もいる。縮小社会に入っているのだから経済成長を、と無理をするものではないと言う意見もある。ぼくなどは無理しなくていいよ、という意見である。
 

ほぼ6月からの読書旅の終わり

2018年10月30日 | 文学 思想
イエスキリストが生まれる500年ほど前に北インドで仏陀(釈迦)が生まれている。仏教の開祖だと言われている。親鸞が浄土真宗の開祖といわれるがそれが怪しいのと同じくらい怪しいとは思っている。(親鸞は宗派をもつことを言っていないのと同様なのではないかとぼくは疑っている。ただたんなる無知なのかもしれない)
 それはともかく、仏陀は「苦しみからの解放」というか「苦しまない方法」を説いた。幸せを求めれば、それが実現したとしても次には幸せの維持を渇望する。この渇望からまた苦しみが生じる。幸せも苦しみも外界環境からやってくるものもある。あるいは心身の内部からやってくるものもある。一瞬一瞬に変化していくこころの有り様なのだから、幸せなど求めなければよい、ありのままを受け入れるがよい、こだわれば苦が渇望が生じ、緊張が生まれ、それから解放されたいと思い、苦となり、さらに苦を失くしたいと思い、快楽を求め、それが維持されることを望み、快楽や幸せが実現できなければそれはそれで、様々な感情を生み出す。幸せそうな他人を見れば、妬み、嫉みも生まれるだろう。そういう感情をもつ自分を忌まわしくも思うかもしれない。
 というわけで、仏教は「苦」からの解放方法を唱えた宗教なのである。日本では仏教宗教は希薄化、形骸化、伝統化して、各町に葬式に関連すること施設としてあるだけで、この頃は施設もあまり使われず、葬儀会館を使い、お坊さんが来て、理解不能な歌のようなお経を唱えて、帰る。仏教との接点はそこだけで、別に「苦しみからの対処法」を伝授するわけでもない。

 一方イエス・キリストの原始キリスト教団は凄まじい伝道の意識があった。十二使徒のほとんどは処刑されている。パウロというイエスと会ったこともない次世代の者がラテン語ができたために、ローマにキリスト教を広めたのであるが、彼も殺された。しかしパウロは新約聖書の中で徹底した教会の運営マニュアルを残している。異教徒、異民族への対処まで記している。

 このキリスト教はアマゾンの奥地まで入り込んだ。アフリカの奥地にも、世界の果てから果てまで布教を続ける熱心さであった。
 313年。ローマ皇帝コンスタンティヌス1世はローマ帝国でキリスト教を公認した。そしてテオドシス皇帝が国教化した。世界史はこのことによって劇的な変化を見せた。ぼくには最も停滞した暗黒の時代の始まりに思える。そしてそれはまだ一神教という形で今もなお続いている。
 歴史の中を生きる者は現在しか知るしかなく、せいぜい遺跡や遺物、記録などで過去の重要な部分は知ることができる存在だ。イエス・キリストは2018年の世界を見ることもできないし、また313年の「ミラノの勅令」も知ることはできない。自分が善だと信じていたことが自分が死んだ以降に「悪」をなしてしまうこともあり得ることぐらいはイエスやブッダやモハメットくらいの人なら知っていたことだろう。モハメッドも当然ニューヨークツインタワーへの突撃事件も知らない。
 みな、あとは知らんぞ、と死んでいく。いい加減なものだ。世界は現在だけでは解ききれないのだ。

 あと五十年もしないうちにホモ・サピエンスは自らが創造主に成り、無機質な生物を創り出し、それはホモサピエンスと同様学習する能力も持ち、力はサピエンスの何倍もあるサイボーグを生み出す。
 神に替わる存在となると言えるし、そもそも神はいなかったとも言えるのかもしれない。巨視的に見れば、現在の神(唯一神)信仰者はそれさえも神の配慮、範疇の中だというのかも知れない。

 廃れていくもの、勃興するもの、ホモ・サピエンスはここ200年(まだ200年なのだが)、超スピードで科学革命(遺伝子操作のような生物革命もIT革命も、医学革命も含まれる)が進んでいる。
 徐々にではあるが最も深刻な事態とは「神」をどう考えるか、という切羽詰まった時が訪れるときであろう。

大根菜の糠漬け

2018年10月29日 | 日記
  三宅商店の店先に「大根菜」幾束かあった。大根菜の糠漬けは去年まではスーパーでも売っていたのだが、作り主が亡くなったらしく、胡瓜の糠漬けがでるくらいで、大根菜は食べられなくなった。そういう事情で「大根菜が食べたい」と思ってもないのであるから、よし、糠漬け用品一式を買い、やってみようと思った。糠、唐辛子などは三宅に揃っていたので、あとは容器だけである。
 そこに昔主婦の店の専務をしていたMさんがいた。彼が丁寧に作り方を教えてくれた。半日、大根菜を日に当てて、しんなりしてからやで。ぬか床はまだ日が経ってないでに、2、3回は塩っぽいどな。だんだんと糠っぽい味になってくるで。昆布も放り込んどくとええなあ。味の素でもよいどな、という「具合である。すっかりその気になって、ようやく自分で漬物がつくれるわい、とワクワクと事務所まで糠と蓮台寺柿を持って歩いたのだった。
 すると細君がケチをつける。イオンに行ったら容器も一緒になったセットがあるのに、と言う。彼女はぼくの渇望ぶりを知っているが、本人が糠漬けを好まないことからか、面倒臭いからなのか、作ったことがない。
 大根菜を売っているところもぼくは知らない。三宅で初めて見た。根のところに細く、小さな大根があるから、大根おろしをするときの大根とは種が違うのだろうか。

 まあ、やってみるかとイオンに行った。まず容器を買う前にそのセットを見ておこう、良さそうだったらそっちにしようと細君の言葉でやや本格的に自ら作るより、簡易なものがよい、とも思ったのだった。イオンの係の女性に訊くと、もうあの容器セットは売っていません、と言う。なぜか、と訊くと、売れなから、だと言う。糠漬けは商品としても置かないのだという。仕入れても発酵が進んでいって、どうにもならないのだ、と言う。そうか、コメリに行くかと駐車場まで歩いていたら、「お客さん、お客さん!」と声がした。振り返るとたさきほどの係の女性が何やら持って、走ってきた。
「これはどうやろ?。この袋の中にはもう今日からでも使える糠が入っとって、ここを切って、あとは空気が入らんようにここでストッパーするだけなんやけど。いっぱい作るん?
「いや自分だけ」
「これで胡瓜なら3本、ナスなら2本できるで、これでええんやない」
「へえ、どこに売っとるん?」
 彼女は案内してくれた。すると、糠が少なくなったら注ぎ足す用まである。あらま、これで上等だ。しかも冷蔵庫に入れておける。
 知らなかっただけで便利な世になっているのである。糠漬けがない、糠漬けがない、などと不平を言っていた自分は恥ずかしくなった。スーパーに通う主婦の人なら知っているはずだ。ぼくも毎日スーパーにいくのだが、そのコーナーを見たことがなく、ぼくの失敗であった。Ⅰ
 

酒の肴

2018年10月28日 | 日記
 ぼくは「やけ酒」「恨み酒」「愚痴酒」「悩み酒」をしない。よく映画でウィスキーをストレートでグイと飲む表情が実感できなかった。酒は美味しいから飲むものであり、その結果愉快になるのである。「悲しい酒」なんてものもない。「祝い酒」というのもないが、まあ、いわば淡々と気分良く酒を毎日飲んでいるのである。怒っても、イライラしてもしかたがない。酒を飲む前に忘れる。たぶんそうしているのだろうと思う。ちぇ、おもしろくねえや、とおもって盃を口にしたことはない。
 で、酒の肴を見つけるのが楽しみである。鬼エビがあれば必ず手に入れる。柳カレイも同様。サバはノルウェーのサバが脂があって美味しい。
 同じ明慶町の同じ通りで、徒歩30歩のところにある干物屋さんのAさんが朝の魚市場にいく途中で同じ魚業者の男が運転する車に跳ねられてこの4月から入院し、リハビリをしていた。ぼくはAさんの保険関係の手伝いをした。保険会社というにはぼくからすればずるいのである。なにも知識がなければ保険会社の言うがままになってしまう。「賠償」「慰謝料」の区別もおおかたの人は無縁に生きている。ましてや「逸夫利益」という言葉など人は知る機会もない。
Aさんはこの事故ショックと右膝の悪さで店を閉じ、廃業した。それではおさまらない親戚とご近所さん。冷蔵庫などは片付けてしまったが、この頃は時々、Aさんの家の前に、ショウワダイとかアジの開きやらが干してある。そこにはぼくの分もある。朝の市場にはいけないが知り合いがAさんらが食べる分くらいの魚を買ってくれるのだそうだ。また、その店の隣の家のMさんはAさんの事故の加害者の魚屋さんでアルバイトをしている。ここでは「からすみ」を作っている。この「からすみ」もまた旨く酒の肴としてのワン シーズンである。
 もう尾鷲では「はまぐり」は中国産のものでしか手に入らなくなった。アサリ、チャンポコは健在である。深海物も水揚げされるようになり、「メヒカリ」も目にするようになった。
 何を酒の肴にするか、などと考える。とても贅沢な時代のなかにいる。

寿命が百年伸びたとして

2018年10月27日 | 社会・経済・政治
 朝、寝床をでて階段をおりながらふと思った。宇宙旅行をづるのに1000万円かかる。それを払えるものが宇宙に行き、地球を俯瞰し、月を見る。多くの人はそれを羨ましいとは思わないから、今のところ問題はない。
 ところがある日「若返りをし、寿命を100年伸ばすパッケージ治療」が一億円で売り出された。そのときホモ・サピエンスが別の人類に分岐するときなのではないか。一億円出せるヒトは寿命を伸ばす。出せないものは早々に死んでいく。しかし、このパッケージ治療は需要があるから値下げが起こってくる。保険が混乱してくる。
 癌の特効薬であるオブシーボも、小規模のお金を持つもの、持たないものの差を象徴する薬である。免疫治療の研究は進み、癌は克服されていく。
 予防医学も進展し、ついにパッケージとなった予防コースが出来上がる。年に一回、それを十年行う。一億円である。
 社会の混乱はあったが、それも収まり、一億円が百万円となる。一年で十万円である。これで人類は多くのヒトが二百年生きられるようになる。
 残る問題は事故、災害死と自殺死である。

 そんな時代はもうすぐそこまで来ているような気がする。第二次産業革命以降の急速な科学技術の進展は、いよいよ超加速化するように思える。ぼくなどその科学の原理の欠片も知らないのにだ。



不寛容な社会

2018年10月25日 | 社会・経済・政治
 日本はいつの間にか不寛容な社会になりつつあることは強く思ってきた。ネトウヨもヘイトスピーチも、モンスターペアレントも、クレーマーもこの社会の産物である。
 ところが一方では責任を嫌う。原発事故でも、結局責任の所在を明確にせず、賠償金へ援助を国民の税金でやっている有り様である。モリカケでも逃げ切る面の厚さはある。こういうことには日本は寛容で韓国のようなデモにならない。矛盾しているのである。
 テレビで流れる抗菌の宣伝。床も、ソファも台所も菌だらけだと言い、商品を買うように脅かす。不倫で騒ぎ、不清潔を忌まわしいものと思い、虫を嫌う。
 紫外線はシミをつくるとなれば、紫外線カットの縁の長い、首までをも被った帽子をかぶり、腕も、手も包み込む。

 安田純平氏。戦争地域の人々の有り様を取材しようとあえて危険地域に行った。運悪く拘禁されることになったが、ぼくらは彼を責めるべきではない。ジャーナリストには危険であっても伝えなくてはならないことがある。自分の目で見て、会話して、確かめて、実情を世界に知らせるのが仕事である。多くのジャーナリストは危ないからと、行かないから、現地の状況が伝わって来ない。
 安田さんのような人は始めっから責任をとるつもりでいることだろう。「自己責任だ」「税金を使うな」
 よく言ったものだ。こういう意見がSNSで出てくる。1%ほどの暇な年金生活者にネトウヨは多いという。その1%が騒ぐと38%に感染する。
 大多数が戦争などしたくないのに、少数のものが勢いよく吠えて、戦争に突入する。その時はすでに遅く物言えぬ社会となっている。
 政府が国民の命をだれであれ救うことに尽力することは当たり前だ。それができない政府なら存在意味がない。
 


奇妙なサウジアラビア

2018年10月24日 | 社会・経済・政治
 奇妙な事件が起こるものだ。サウジアラビア人のジャーナリスト、カショギ氏殺人事件のことだ。18人もの大人がでてきて犯行に及び、どうやら内部でのやりとりはトルコ側には筒抜けという有り様。このぐらいの程度の人間が政府の中枢部にいるのだから、ざっぱなものだ。

 待てよ、と想像してみる。これが日本で起こっているとしたら・・・。「治外法権ですから」としらを切る官房長官が浮かぶ。日本国内で、たとえ領事館や大使館内といえども人殺しはしないでもらいたい、と強く言うことができるだろうか。またあるいは、この事件を外交の取引に利用するだろうか。アメリカであれば世論は沸騰するように思える。イギリスで起こったならば、その先進国の元帝国の矜持が許さないように思う。

 日本がアメリカやイギリスのように振る舞えないという想像を悪いことだと思えない。こんなこいで猛る方がおかしいとも思える。他国のことは他国のことだ。そう思ってもかまわない。この事件が理不尽でひどいものならサウジアラビアの人々が時間をかけてでもよくしたらよい。我々は関わらないほうがいいのだ、という意見もあり得る。ぼくはこの意見の方に気持ちがすり寄る。

 しかしながらこれはひどい行為だと思うし、言論の自由も無視されるのも、自分だったら耐え難いことである。
 サウジアラビアは部族を統率したサウード家がイスラム法により国を運営する国家である。6割が公務員とされ、高給取りである。日本の6倍の面積がある。アメリカのシェールガスによって、石油の値段が上げられないということと、脱石油化が進んでいることから、サウジも石油資源に頼らない産業を起こすことが命題である。肉体労働者は移民である。働くことに慣れていない人々が多いと言われている。
 近代法ではなくイスラム法が法律なのだから、宗教=国家であることは間違いないが、国王=宗教指導者かどうかはわからない。イランはホメイニ師が出て来て、パーレビ国王が追放された。サウジであってもどうなるかわからないだろう。インドネシアのように世俗化して宗教色が薄くなっていく政策を取り始めているように見える。
 人類がアフリカを出て、ヨーロッパに向かうまでの途中、チグリス、ユーフラティス川あたりのシナイ半島、それにアラビア半島あたりにとどまった人々のいる地域である。

 自分の生涯のうちで足を踏むことはないところだろう。

 おそらくこの事件はうやむやのうちに終わりとなる。何にしても被害者が一番損するのはどこへ行っても同じだ。 

 
 

ぶらぶら歩く

2018年10月24日 | 日記
シリアの内戦で人々は何を思い、どんな生活をしているのか。難民キャンプの様子はどうなのか。ヨーロッパを目指した難民たちはどのような状態なのか。古来から戦いを繰り返してきたこの地域を人はどう見ているのか。このような現実はジャーナリストが命をかけて取材に行かない限り、ぼくらのようなものには伝わってこない。
 ISに捕まったのは自業自得だと言う者の神経がわからない。安田純平さんのようなジャーナリストを政府が交渉して助けないでどうするのだ。危ないからシリアやイラクには近づかないというジャーナリストが多い中で、不幸にして捕まってしまった安田純平さんはどうやら帰国できそうである。これを嘲る輩がいて、その言説を許すような社会であったら、この国のレベルは低い。

 遠く離れた極東の日本列島の紀伊半島の沿岸にある尾鷲にいて、世界のニュースが朝の情報番組で飛び交う。

 この二、三日、床から起きるとき、疲れの芯のようなものが残っているのを感じて、もうひと眠りしようかと思ったがこれ以上眠れそうにないので、疲れの芯を残したまま起きた。そして上記のようなことを思った。

 七月、八月は暑く、九月は雨が多く、車で事務所に行っていたが、今日は歩くことにした。先に「セーラム」に行って、肝臓のためのドリンク剤を飲んだ。疲れの芯が気になったからである。別に疲れたことはしていないからきっとアルコールの疲れだと自己判断した。店の女の子が手に印のような書き物をしていて、「何、手に入れ墨しとるん?」と冷やかし、「忘れんような、メモっとるん」「いや入れ墨に見えるで」。忘れてはいけない重要なことなのだろう。喫茶店の角を曲がり、左に書店を見、中井町の通りに入る。蕎麦屋のあるところのほうに右に曲がって、また左に曲がる。当然、三宅青果店の前を通る。柿が並んでいる。メダカもいる。
 「これは(次郎柿を指して)硬いのが好きな人にはよいな」
 「ほやけど、熟してくるんやり」
 とやりとりしていると、隣のおじさんが、
 「これ(蓮台寺柿を指して)にはかなわんどな。これは旨い」
  三宅のオヤジが
 「ほれ、真っ赤に熟しとるやり、こうなるのも珍し。これが貴重なんや」
 と言って、蓮台寺柿を勧める。
 それを一皿五個買うことにして、メダカの話となり、
 「今年、メダカは7月の始め頃にちょっと卵産んで、あかちゃんメダカもすぐに死んでたんさ」
 とぼくが言ったら、
 「うちもそう。やっぱり暑すぎたんやで。金魚もそうやった。山城さんらあは氷を入れとったと言うでな。暑かったもん。人間でもくたばるのに、メダカや金魚もえらかったと思うわ」

 なんと呑気で平和な話をしていることか。難しい話題さえ避ければ、少々の商売の浮き沈みはあったとしても今日のようなのんびりした時代が五、六十年はこの界隈で続いているのだと思う。

 
 四月に車で跳ねられて膝を折ったAさんも回復したが干物店は廃業した。保険の手続きと交渉を手伝った。ときどき市場で自分たちが食べる分だけ作るというので、カレイとイワシについてはぼくの分を作ってほしいとお願いしてある。
 その隣のMさんには日頃、何かといただくので、細君が東京へいった折り、御菓子のひとつでもと買ってきて、持っていったら、逆に「ブリ」だの「ムツ」だのもらって恐縮した。
 






ある実験

2018年10月23日 | 文学 思想
 学生に2枚のカードを見せる。1枚目には直線んが1本、2枚目には長短の異なる3本が並んで描かれている。このうち1本だけが一枚目の直線と同じ長さだ。学生たちは、その1本が3本の中のどれかと問われる。長短はかなりはっきりしている。ふつうなら間違える率は1%届かない。だが、グループの
学生のほとんどが「サクラ」で本当の被験者が1人だけだとどうなるか。サクラ」は事前に指示されたとおり同じ誤った答えを口にする。そのときただ1人事情を知らない学生の反応は?
多数派に引きずられて答えを誤る率が36.8%に上った。だれも同調を強制していないし、答えが違っても罰則はない。(朝日新聞「日曜に想う」2018.10.21)
 これはアメリカの大学での1951年の実験である。

 嘘のことでも本当と答えてしまう。さしずめ、モリカケ問題関係者はみな36.8%内に入る人たちなのだろう。
 まんぷくの萬平さんはえらかった。

 この世には「和をみだしたくない」と黙る人がごまんといる。異議を唱えればいさかいになる、とその場の雰囲気を壊してしまうと遠慮する人もいる。

人間の脳には摸倣因子があるらしい。そう言えば、幼児の描いた絵がズラリと張り出されて展示されているのをスーパーマーケットで見たことがあった。蛸の絵はみな同じようだった。だれかが最初タコ描いたら隣の子から次々と真似されていく様子が想像できる。流行というのは模倣因子の一つの現象なのだろう。「天皇陛下、万歳!」は何なんだろう。自発的? 強制? 「靖国で会おう」は何?
 
 長いものに巻かれるなんてまっぴらである。「地場産業の振興」 というのももう50年も聞いている念仏にようなものだ。これも模倣因子なのだろう。これを言っておけば政治家としては一応安心である、と。
 こう考えるとネット、SNSとかは怖い。
 

沢田研二ねえー

2018年10月23日 | 音楽 ポップス
 稀代のデュエット双子シンガーである ザ・ピーナツの歌声は素晴らしかった。ぼくは彼女たちは別格の存在でヒット曲があるとかないとか、そんなことに影響されない日本の国民的歌手であると思っていた。40代や50代の頃の歌声も聞きたかった。ヒット曲がでなくなったことが引退の理由のひとつのように言われるが、もうそんなレベルの歌手ではないことはみな知っていた。

 ただまだ歌謡界はテレビに頼る世界だった。井上陽水のように独自にコンサートをやり、テレビにはでず、レコードを売るというスタイルがまだ確立していない時代だった。ザ・ピーナッツはナベプロにいたのだからしかたのないことだったのかも知れない。

 恨みがましいことを言うが、作曲家宮川泰の曲からすぎやまこういちに変わったのを覚えている。お洒落さでは宮川泰の曲の方が数段に上だった。ザ・ピーナツの曲の質が落ちたと思ったのをよく覚えている。そこへ沢田研二がピーナツに曲を提供した。これが全くの駄作であった。そして沢田研二がピーナツを引退に追い込んだ。姉の伊藤エミ方と結婚したのである。そして離婚した。これが恨めしい。沢田研二と言えば、ぼくの中のイメージでは短気で、不寛容な昔気質の男だということになった。
 郷ひろみと比べればいいと思うが、容姿へのこだわりは郷ひろみの方が努力して歌手を保っているように見える。沢田研二にそんな努力が見られない。やはり太りすぎである。

 人気歌手だった彼にぼくは「フン」と思っていたのだった。ザ・ピーナッツの幕を下ろさせた男として沢田研二を嫌ったのだった。どっちが上じゃい、ときっとピーナツびいきをしていたのだろう。

 しかしながら沢田研二は七十歳になっても、太っても人気がすごい。テレビニュースになると瞬く間の次のチケットが完売し、プレミアがつくほどである。毎年アルバムを出していて、コンサートではあまり過去の懐メロはやらないと聞く。それは桑田佳祐が「やっぱり新曲だしてやっていくのが・・・」と言っていたのと重なる。新曲を出し、ヒットさせないと、歌手というのは懐メロの歌手になってしまう。沢田研二は懐メロ出演は拒否しているように見える。別格なのだろう。矢沢永吉や井上陽水、松任谷由実、中島みゆき、郷ひろみなどもそうなのだろう。前線で活動している。

 久しぶりにテレビ画面に現れた沢田研二であった。その一週間ほど前にBSでザ・ピーナッツの三時間スペシャルがあり、初めて聴く曲も多く、ぼくは大いに喜んだが、DVDに録画するのを忘れた。これほど偉大なザ・ピーナッツのことだからまた特集があることだろう、と安心感がある。

晴れ間

2018年10月22日 | 日記
 煙草を止めてから22日が経つ。今のところ禁断症状のようなものはない。テレビ番組などで美味しそうに吸っている場面とイライラしながら吸っている場面を見るが、なんとも思わなくなりつつある。体に悪いのでというより、お金がもったいないと強く思うようになった。やはり金は強い。
 今日は梅の木一本を剪定した。一時間ほどかかったが木の上の方はできず、横に伸びてくるものだけを切ったのだが、それでも相当な量の枝になった。梅にもトゲがあるので、下手すると、怪我をする。いかにも梅は自分を防御しているようである。あとの2本はまた今度にし、山桃やコブシはどうしたらいいものか、またシルバーセンターに頼もうかと逡巡する。

 目黒川の桜の葉が台風の風によって散ってしまい、葉からの抑制ホルモンをだせなくなったということで、幾つか花が咲いてしまった。異変、珍事としてニュース番組はどこも報じていた。
 前の海岸広場に植わっている列をつくった桜は運よく今年の台風で葉は落ちていなかった。

 しばらく天気が良さそうだ。実家の草刈り、剪定もしなければならないと思っていたら、昼のニュースで、台風26号が発生したと聞いた。またか。急いで枯れ草の処理をしないと。

 

 
 

ビタミンC

2018年10月21日 | 
 岡田さんのブログを見て、最近ユヴァル・ノア・ハラリから知ったことを報告しておこう。壊血病とビタミンCのことである。壊血病とは体内の器官から出血し、死に至る病である。地理上の発見の時代、長い航海にでると船の乗組員の半数が死んだという。このことがあったから、遠くへの航海が憚られた。どうして船乗りたちは死んでいくのか。1522年、マゼランの遠征艦隊が7万2000キロメートルの旅を終えてスペインに帰り着いたとき、マゼランを含め全員が命を落とした。
 転機は1747年に訪れた。イギリスの医師ジェイムズ-リンドが船乗りの病気にたいしてグループに分けて実験をおこなった。実験グループの一つには、柑橘類を食べるように指示した。このグループの患者はあっという間に回復した。まだその頃は回復させるそれはビタミンCだとはリンド医師にもわからなかったが、クック船長は船に果物と野菜を積み込み、寄港地でも野菜と果物をたっぷり食べることを指示した。クックは一人として壊血病で水夫を失うことはなかった。
 その後数十年間で、世界中のすべての海軍がクックの航海用食事法を取り入れ、水夫や乗客の命が救われた。南北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの先住民の9割が死んでいった代わりに、白人は地図に南北アメリカとオーストラリア、ニュージーランドを書き込み、そこを白人の領土とした。
 文明と接していなかった先住民にとって、なんという歴史の皮肉か。のちに、これがビタミンCであることがはっきりとした。ビタミンCが大航海時代を可能にしたのである。人類は主に歩いて地球の隅々にまでに行き渡った。島に渡るにも、日数のかかるところへは不可能であった。島から島へと長い年月をかけた。現代なら月にいくような感覚だったろう。

 科学が大航海を可能にした。武器には鉄砲まであった。世界の大転換期となった。宗教が科学に乗っかった。スペイン、ポルトガルは宣教師を派遣する。アメリカには清教徒が渡った。誰がビタミンCが切っ掛けとなって数々の先住民族を殺すことに至ることを想像したことだろう。



  

人類の未来

2018年10月20日 | 文学 思想
 iPS細胞による治療、免疫療法、ゲノム編集。癌も撲滅に近く、病気のほとんどのものが克服され、そのうえに若返りの薬および治療も実現可能になりつつある。人間は神のように全知全能ではなく、無知であり、知の力を信じることになった。実は知の力は神の力でもあったはずだから、産業革命から始まる科学革命は宗教からの脱出でもあった。この科学革命は物理、化学、数学、生物、あらゆる分野に及び、2035年あたりで現在起きつつある第四次革命の頂点が来ようとしている。
 人類はどうなっていくのか。この質問に明確に答えられるには、次の問題の解決式がなければならない。
 人間の関係が作り出す理想の集団とは何か。国家も含め、当然政党も含め、ありとあらゆる集団が人を殺さず、平和裡に個人が存在できる。そんな集団とはどんな集団なのか。

 この問と答こそが人類の先を見通す鍵である。この問が解けないかぎり人類はいつも絶滅の可能性を持って生きるにちがいないし、あらゆる知的発明は殺すための武器ともなろう。<知>を支配する者と支配される者もでてくる未来は想像がつく。

 ぼくなどは戦争にも行かなくてもよい時代に生まれ、豊かになることが当然のような時代の中で生きてきた。自分個人を考えてみれば、百円相乗りタクシーや相乗り白タクの規制緩和してくれて、どこででも乗り降りできればいいや、と現実ではこのくらいの不平をもつくらいである。それもやがて実現されるだろう。
 高橋洋一が日本のもつ資産が1000兆円で、さらに日銀に450兆円あり、借金は1450兆円だと言って芸人がだまされようと、安倍首相に森かけ問題がつきまとおうと、片山さつきがだれかのために口利きしようがすまいが、紀伊半島の三方が山崎で一方が海の猫のひたいほどの土地で暮らすぼくには現実的に切実感のあることではない。
 しかし科学を哲学として考えれば、先の問題は切実なのである。知的興奮もある。なぞなぞを解きたいとも思う。

何? これ?

2018年10月19日 | 社会・経済・政治
 サウジアラビア領事館の事件はおぞましい。表現の自由がないということはこういう事件も引き起こすということだ。石油輸出国一位のアメリカ合衆国と2位のサウジアラビア武器の売買で関係がよいというのも、トランプ大統領個人とサウジアラビアの王室の関係がよいのも、石油輸入国にとっては悩ましいものだ。キリスト教国とイスラム教国が武器の売り買いをやっている。福音派とは何? スンニ派とは何? 世界史は科学革命で宗教を否定する方向に流れた。否定されているはずの宗教を色濃くもつアメリカとサウジは科学の産物である武器を取引する。
 このおぞましさ。まるで映画ではないか。

 おっとと、朝ドラの「まんぷく」では福の夫になるはずの萬平が無実なのに、憲兵にツレテ行かれ、拷問を受けていた。彼は無実を言い通した。
 こんな時代が73年前にはあったのだ。言論の自由もなかったのだ。戦争批判などできなかったのだ。
 石油が採れて、教育、医療の無料と言っても、いずれ人々は王制を許さないだろう。石油も有限のように、こんな王制なら王制も有限である。