読書の中休みという感じで月刊誌「文学界」に掲載された村上春樹の三つの短編小説を読んだ。その中で「石のまくらに」に「おおっ」と思ったのだった。ストリーは村上春樹の短編にときどき現れる「男と女の一夜物」である。短編にしても短すぎるくらいの短編である。大学生の僕とアルバイト先に出会った少し年上の女性が人生で一回きりのセックスをするのである。その女性は短歌を作っていて、一夜の約束で冊子になった彼女の短歌をのちに送ってきた。その短歌のいくつかが僕のこころに残っているという話である。
あなたと/わたしって遠いの/でしたっけ?
木星乗り継ぎ/でよかったかしら?
石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは
流される血の/音のなさ、なさ
「ねえ、いっちゃうときに、ひょっとしてほかの男の人の名前を呼んじゃうかもしれないけど、それはかまわない?」
一夜の触れ合いも、短歌もこの彼女の言葉が僕の頭をクルクル回って、短い物語は短歌を挿入しながら進んでいくのである。
今のとき/ときが今なら/この今を
ぬきさしならぬ/今とするしか
やまかぜに首刎ねられてことばなく
あじさいの根もとに六月の水
「大きな声をだすかもしれないけど」「それはちょっと困るかもしれない」「じゃあそのときはタオルを噛むよ」
そんな会話を思い出す。
また二度と逢うことはないとおもいつつ
逢えないわけはないとも思い
僕は彼女はどうしているのだろうと思う。彼女がまだこの世界のどこかにいることを心の隅で願っている。その変色した歌集をときおり抽斗から出して読み返したりすることに、いったいどれほどの意味や価値があるか、わからない。しかしそれはあとに残った。ほかの言葉や思いはみんな塵となって消えてしまった。
たち切るもたち切られるも石のまくら
うなじつければほら、塵となる
こんな話は村上春樹はマジシャンのようにうまいのだ。短歌まで作ってしまうとは。そう思うと、待てよ、村上春樹は長編より短編がよい。短編でもこんなに短い話が書けるらにその中に短い短歌がある。俳句もいつか書いてみるのかなあ、と思いながらこの年上の小説家の作品をいつも待ち遠しく思っている。*文學界7月号に掲載された村上春樹三つの短い話
あなたと/わたしって遠いの/でしたっけ?
木星乗り継ぎ/でよかったかしら?
石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは
流される血の/音のなさ、なさ
「ねえ、いっちゃうときに、ひょっとしてほかの男の人の名前を呼んじゃうかもしれないけど、それはかまわない?」
一夜の触れ合いも、短歌もこの彼女の言葉が僕の頭をクルクル回って、短い物語は短歌を挿入しながら進んでいくのである。
今のとき/ときが今なら/この今を
ぬきさしならぬ/今とするしか
やまかぜに首刎ねられてことばなく
あじさいの根もとに六月の水
「大きな声をだすかもしれないけど」「それはちょっと困るかもしれない」「じゃあそのときはタオルを噛むよ」
そんな会話を思い出す。
また二度と逢うことはないとおもいつつ
逢えないわけはないとも思い
僕は彼女はどうしているのだろうと思う。彼女がまだこの世界のどこかにいることを心の隅で願っている。その変色した歌集をときおり抽斗から出して読み返したりすることに、いったいどれほどの意味や価値があるか、わからない。しかしそれはあとに残った。ほかの言葉や思いはみんな塵となって消えてしまった。
たち切るもたち切られるも石のまくら
うなじつければほら、塵となる
こんな話は村上春樹はマジシャンのようにうまいのだ。短歌まで作ってしまうとは。そう思うと、待てよ、村上春樹は長編より短編がよい。短編でもこんなに短い話が書けるらにその中に短い短歌がある。俳句もいつか書いてみるのかなあ、と思いながらこの年上の小説家の作品をいつも待ち遠しく思っている。*文學界7月号に掲載された村上春樹三つの短い話