25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

終えかたは難しい

2015年11月30日 | 文学 思想

   なんでも「終えかた」というのはむずかしい。戦争だけではない。会社の終えかたも、個人の終えかたも、難しいものだ。 スーッと消えてしまえばいいものを、ダラダラと太平洋戦争のように終えずにいると、多くの人を巻き込んでしまう。

 いまでも原爆を落としたことをアメリカが謝らないのは、あれほど徹底してかからないと、戦争が終わらなかった、という理由もある面では言えると思う。イラク戦争の場合でも、徹底したアメリカ主義を通していたら、混乱はなくなっていたのかもしれない。オバマ大統領の撤退宣言で、イラクは中途半端なままの状態がISを生むことになった。アラブの春という中途半端な民主化で、シリアが混乱となった。皮肉なことであるが、フランスの市民が自由と平等を勝ち取るまで、どれだけの揺り戻しがあったか。

  そして今、彼らの「自由と平等」がどれほど根付いたものなのか、それが問われている。皮肉にもISによってである。

 環境問題へのデモをしても報復戦争への反対デモはない。先進諸国の共有する価値観なんてホンマモノかいな、とも思えてくる。アメリカは戦後から今まで休むことなく戦争しているし、ヨーロッパも同様だ。よほど戦争が好きな人々だとも言える。

 ホモ・サピエンスは自滅で地球から姿を消すのか、とも思えてくる。違う価値観が生まれるものだろうか。現在の価値観を終わらせるのもむずかしい。

 

 


男と女は何をみているか

2015年11月27日 | 文学 思想

  僕は日本人のよく使う建前と本音というのがよくわからない。本音を言うと「言い過ぎだ」「子供っぽい」と言われる。建前を喋るのが「大人だ」などと思っている節もある。他人を思いやることは必要である。しかし、他人を思いやることは「建前」ではないかと疑うときもある。

「お金、名誉、地位、学歴」が本音のくせして、「愛と智恵と勇気」を本音のように言う人がいかに多いか。

 僕もたいした男ではないが、人間の美しさというのは「行為」のような気がするので、まず、世間体を気にした義理の行為はしない。葬式においても、哀悼の意を表したい人の葬儀にしかいかない。それと「いさぎよさ」を重んじたい。まだある。「やけ酒」は飲まない。そして「タテマエ」は言わないことである。そんな生き方をしようと思っている。なかなかにできるものでもないが、理念として持っていれば、それに近づいていくだろうと思っている。

 正中線がとれて、正しく歩く人を見ると、美しく見える。 頭を下げてスマホばかりをみている人や化粧室ですればいいものを電車内で鏡とにらめっこしている女性に智恵があるとは思えない。これも「行為」に関することだ。

 日本人が猫背やo脚歩き、がに股歩きを克服することができたら 、もっとよい世になるように思える。

  実は本当は、男も女も見ているのはタテマエではなくて、本音であり、行為をみてkルのではないかと思う時がある。それが日本人の自然体なのではないかと思うのだ。

 人の振りみてわが振りなおせ、と言うが、 よくよく気をつけなければならないと赤面してしまう。


タモリと戦後ニッポン

2015年11月26日 | 文学 思想

   銀杏が売られていたので、炒って食べようと思い、次に魚のコーナーにいくと「メヒカリ」の生があった。う~ん、これに塩して天日干しにしようと思い、かごに入れた。すると隣に、赤イカの赤ちゃんがあり、これはやわらく、炒めても、天ぷらにしげも美味しいのを与太呂で知ったので、これもかごに入れた。

  からすみは毎日楽しみにして食べていたが、全部食べきってしまった。さて、赤イカをどう料理しようかと思案したが、結局、豆致とにんにくで炒め、紹興酒をちょっとkれて、ネギでもふろうと思った。ウチの場合、自分流で食べたい場合は自分で作るのが習わしとなっている。

  ずいぶんと冷え込んできた。

  「赤坂真里」の「愛と暴力の戦後史」を読んだので、今は、近藤正高の「タモリと戦後ニッポン」(講談社現代新書)を読んでいる。

   戦後、あの戦争に熱狂した複雑な思いで黙りこんでしまった日本人と、複雑を思いをもっていた天皇の思いが合致した。天皇は戦争犯罪人であることは確かなこととして、それを踏まえたうえで、卓見を赤坂は書いた。

  一方「タモリと戦後ニッポン」は新感覚の現代史を書いているが、いまのところ、まだピンと来ない。タモリの真面目さと堂々とした居候振りや山下洋輔や赤塚不二夫の前時代的な振る舞いがでてくるだけである。まだ、戦後ニッポンとの関係は3分の2を読んでもでてこない。

  と言うわけで、今晩はそれを読み終えるつもりだ。

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交通事故裁判のこと

2015年11月25日 | 日記

 冷たい小雨が降った。山の方を見ると、水墨画のようだ。

 母の裁判を行っているので、加害者側の準備書面に目を通し、それへの反論の根拠を見つけなければならない。

 加害者側は事故の場所は、商店街、住宅地に当たらない、と主張し、母側の過失である、と言ってきている。これで母側の過失は10%あると言う。また、夜であったことも主張している。夜だと母側の過失は5%とあることになる。

  加害者側の「著しい運転の過失」「重大な過失」については言及してこない。

ネットでじっくり調べると判例タイムズ12に、商店街、住宅地について、人通りが多いところとあるが、公園を含む生活ゾーンも住宅街に含まれる、という東京地方裁判所の判例を見つけた。

また、加害者は事故日の前日、低血糖でフラフラし、こけて、幾つかの箇所に絆創膏を貼っていた。翌日はインシュリンを射ちにいくということだった。僕はそれを本人から聞いている。重大過失に、酒よい運転があるが、過労、病気、薬物による運転」というのがある。加害者の場合、低血糖で、薬物(インシュリン)ではなかったかと疑われる。

 それで、弁護士を通じて、加害者の診断書とカルテの開示を求めるように、依頼した。弁護士は弁護士なりに考えてkるのだが、情報を持ちあって、僕が助手のほうな形でやろう、ということになっているので、宿題も多い。

  母の過失をゼロにしなければならない。夜の問題は加害者が、減速せず、前方不注意であり、無灯火であったことで、くつがえせるはずだ。

  保険会社の弁護士はマニュアルどおりに対応してくる。母の過失は30%ある、というのも、個々の事故を考えてだしてきているものではない。保険会社の基準でそのまままず言ってくる。保険会社はい一円でも安くするノウハウをよく知っている。

   負けておれるか、と思う。和解にも応じるつもりもない。和解の話し合いに応じながらも裁判は続ける、という戦略をとる予定である。つまらぬことだが、しかたがない。このような、経費は慰謝料にふくまれない。お金のないもんのは裁判もできず、保険会社のいうなりになることだろう。

 

 

 

 

 

 


パリ同時テロ事件

2015年11月21日 | 文学 思想

   同時テロでなくなった人々への追悼がテレビで放映される。マドンナも「テロには負けない」と言う。そのことに何も抗議はないのだが、今も空爆で亡くなっている人々へ追悼の放映はない。

 テレビ 画面を半分にして右がパリの市民の日常、左半分をシリアかイラクの日常を放映してくれればいいのに、と思う。

 アメリカが日本の各地で、軍人でもない民に空襲をしていたとき、原爆投下時や投下後をテレビで放映されていたら、と思う時もある。 

 なんだか釈然としないのが今回のテロである。多くの日本人はそう思っているのではんしか、と思ったりする。

 帝国主義時代のことが尾を引いている。もっと遡れば、十字軍のことまで尾を引いている。

 いっそ関係する先進諸国は謝ったらどうか。それはもうできないことなのか。IS側も謝れないものか。講和の話し合いができないものだろうか。そういう運動がでてこないものか、と思う。今のところそんな意見を聞かない。やがて出てくるのではないか、と期待している。

 また先進国の自由と平等を謳う国は他者を思う気持ちと同じようにシラ・イラクの無辜の市民が空爆で死に、怯え、逃げまどっていることを思いやることができるかどうか、で本当の「自由と平等」を謳う資格があるのかどうか問われていると思う。

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パリ同時テロ事件

2015年11月21日 | 社会・経済・政治

  フランス、イギリス、アメリカ、ロシア、他に有志連合の国々。空爆というテロをして、先進国がテロを起こすと、先進国側からの情報で支配される。これらの国々の人々が普段の夕食をしている時に、シリアやイラクの庶民は空爆に怯え、逃れ、明日はどうするかを考える間もなく、震えていることだろう。フランスの人々の怯えも理解できるが、このツケを国民がなんとか解決しなければならないだろう。

 アメリカのブッシュのイラク戦争、遡れば、イギリス、フランスの身勝手な国境戦引き、その前の植民地化。そのツケがまわってきている。いくら、ラ・マルセイユを歌い、団結を叫ぼうと、それがなんだ、おまえたちはひどいことをしてきたではないか、と過激派集団の個人は言うだろう。

 ヨーロッパの一部の若者が過激派思想に染まる、と日本も含めた先進国のテレビは報じる。

  日本は誤った戦争を起こし、自国民を犠牲にして継続した。特攻まで行った。そして空爆を受け、さらには原爆を二度も受けた経験をもっている。その日本人なら、シリアやイラクの人々の気持ちがわかるはずだ。

 僕らは多面的に見なければならない。フランスやアメリカは本当に自由で平等な社会なのか。なぜ、イラクやシリアの人々は無力なのか。イスラム教徒への差別はどうなのか。なぜ、ISは武器を持ち得るのか。今の時代の資本主義はいいのか。宗教と政治をどう考えるのか。日本はなにを発言すべきなのか。

   ゆめゆめ、有志連合に入ったらいけない。間違えれば、世界の経済は破綻するし、窮屈な社会となる。国と国との戦いではない。個人や小集団と国の戦争になっているのだ。戦争の概念が違っているのだ。日本は今、積極的に裏と表を語り、いかなる戦争もテロも「悪」と発言すればいいと思う。

   

 


からすみ

2015年11月20日 | 日記

   ボラの「からすみ」は実に美味しい。近所のおばさんが持ってきてくれたので、毎日、酒のつまみに、大根ではなく、カブをそばにおいて、食べている。僕はカブを薄切りにして、酢やこんぶでつけたものと一緒に食べる方が大根より旨いのではないかと思う。

   9月から10月の時期に卵をもったボラが捕れるのだが、この頃の尾鷲では十分に確保できないらしい。

  秋が徐々に深まっていく。尾鷲周辺では紅葉はまだらしく、温暖な地域のせいだろう。桜の葉とて赤みや鮮やかな茶系にはならない。つまり尾鷲は紅葉を楽しめるところではない。萌える若葉の季節がよい。

 特に楯ゲ崎あたりがよい。見事な照葉樹林の息吹を感じる。物の本によると、「若葉の香り」がもっとも疲労をとる香りだそうだ。そのエッセンシャルオイルがないため、ジャスミンが使われるらしい。

 


妻への家路

2015年11月17日 | 映画

 チャン・イーモー監督んl「妻への家路」を見た。月曜日は見るべきテレビ番組がないのである。この監督の「生きる」「初恋のきた道」「上海ルージュ」はとてもよかったので、期待して見た。

  中国の文化大革命で、大学の教授をしていた夫が下放された。妻は高校の教師である。それを「コン・リー」が演じている。夫婦にはバレエをしている娘がいる。主役を争っている。そんな中 、父親(夫)が脱走し、妻に会いたいと書き置きを残して逃げた。妻は夫が指定した場所に向かうが、娘が主役をとりたいと思い、密告してしまう。しかし娘は右派の娘だからと主役にはなれなかった。母と娘は別れ、娘はバレエをやめ縫製工場で働いている。

 文化大革命が終わる。20年の下放から、職場復帰ができるのだが、家に帰ってみると、妻は待ちわびた夫の顔を覚えていない。妻はそれでも毎月夫が帰える5日には、ボードに夫の名前を書いて出かけていく。

 夫は同じ団地の一階に住み、妻が思いだすような手掛かりをさがす。写真はみな娘が切り取ってしまっている。親戚を訪ね、妻も入った写真を手に入れる。写真をみれば夫とわかるのだが、20年経った今目の前にいる男は別人だと思う。ピアノが好きだった夫は調律の勉強をして、調律師として家を訪れ、よく妻に聴かせた曲を弾くが、これも失敗する。

  夫が送れずに書きためた手紙を読む、代読人となり、自分の書いた手紙を読み聴かせる。「娘を裏切ったと思わないで」とも書いてあった。妻は夫の手紙に従い、娘と和解し、一緒に暮らすようになる。夫は代読人として通い続ける。

  数年が過ぎる。なおも5日になると、夫を迎えに代読人といく。人との交流をやめ、認知症になった、と今なら言えるのだろうが、記憶喪失の一種だと思っている。愛する夫、愛する妻の情景を丹念に描いた名作であった。 


課題が浮遊する

2015年11月16日 | 日記

  草刈り、草集め、集めた草を干し、燃やす。虎刈りになった草をまた刈り、集め、干し、燃やす。

 風が吹くと、庭の木蓮の葉が公道に散る。その落ち葉を拾う。冬の前の恒例の行事になっている。根がからだを動かすのが面倒な性質なので、億劫ではあるがやっている。

  なんだか冬の準備をしているようで、終わったあとには爽快感がある。足腰の運動にもなるかとも思うようになっている。

 この頃なんだか眠い。頭の中に課題があって、その課題は浮いたまま溶けないでいる。それを考えていると、ひらめきがないものだからか眠くなる。そんな感じで10日も過ぎている。だからからだでも使ってみようかと思うのかもしれない。

 パッと思ったことはさっさとやってしまわなければきがすまない僕の性格だが、課題は、パッと思ってできるものではない種のものだ。主人公をどうしようかという、その、「パッ」が浮かんでほしいのである。

 老成などとは縁遠い。 新人の世界に飛び込んだ。新しい世界で脳が疲れているような気もする。


九州場所の楽しみ

2015年11月14日 | 日記

  また、大相撲九州場所の話。しかも和服姿、博多人形のような女性観客のこと。先駆けとなったタジマのママさんはこの頃行司の後ろにいる。より顔が鮮明に見えるようになった。以前いた通路席には別の女性が陣取り、砂かぶりの画面左側は若い美人二人が陣取っている。着物姿を競うように身動きもせず、観戦している。

そんな女性達をみているだけで楽しいものだ。

  九州場所も昨日から「満員御礼」となった。今場所は特に4時からの番付下位の取り組みが面白い。白鵬も気迫に充ち、琴奨菊もどこか吹っ切れたような、関脇時代の相撲に戻っている。遠藤に白鵬のような慎重さがあれば、前につんのめることもんかろうにと思うが、遠藤に成長が見られない。嘉風もようやく上位との取り組みも終えた。10勝してもらいたいものだ。

 鶴竜、日馬富士は横綱の値打ちがないようだ。

 5時になるとニュースがある。パリでの同時テロ事件。これで貨物航空機とか、貨物船、列車などが攻撃されたら、観光業だけでなく、輸送ビジネスも大打撃だろう。世界は一挙に経済恐慌を起こす。ISを空爆することで、戦闘員が散らばってきた。それの方が厄介だ。

 僕は介入せずに放っておくのが一番よいと思っているが、これでますます壊滅作戦にでるのだろうか。ロシア 、エジプト、クルド、トルコ、アサドのシリア、有志連合の動きは予断を許さないところまできている。

 おっ、タジマのママさんは今日は地味な洋服を着ている。 

 

 


より良き社会とは

2015年11月14日 | 文学 思想

  今日、必要があって、三重大学付属病院に母を連れて出かけた。病院に到着すると、右側の駐車場に満車と札が立ってある。奥の方に進むと、左側の駐車場も満車とある。

 母を玄関先に留めおいて、僕は駐車場所を探す。満車とあったところに思いきって入ってみた。すると空きスペースがいくつもある。助かったと思いながら、そこから歩いていくと、右側の駐車場の様子がよく見える。ガラガラであった。ガラガラなのに、満車という看板があるのだ。

  それで、玄関にいる警備員らしき男性にそのことを言った。「整備係りに連絡します」と警備員は言った。

  三重大学付属病院の玄関から受付までは異様に長く、病人について考えていないことがわかった。あまりにも玄関から受付の距離が遠い。母はとても杖だけでは歩けない。   いつも思うことだが、病院側、つまり組織側の都合で、病院というものは運営されている。消灯時間、 病院側は看護婦や医者の都合があるのだろうが、患者側の都合を考えてみたことがあるのだろうか。おそらく多くの公立の病院にはないように思う。

  それができるようになれば、人間の理想ともいえるし、もうあとに人間の課題はないような気がする。

  20分経って、駐車場に行った。あいかわらず、「満車」とある。もしかしたら、係りのものは、「満車」の看板を道脇におけば「満車」ではないと自分で思い込んでいるのではないか。 患者側から見れば、場所がどこであろうと、「満車」であれば満車である。

  これは駐車場の問題ではなく、組織の問題である。もちろん、自分達の都合に患者を合わせたい。できるだけ統制がきいた方がよい、という気持ちもわかる。

しかし患者側に立ってこそ、病院ではないかと思うのである。そしてこれができるようになれば人類は大きく進歩ぅるように思える。

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漁礁、裁判官、医者、挨拶ひとつできない

2015年11月12日 | 日記

  小説で書く必要があって、人工漁礁について調べている。すると、高層ビルのような漁礁や、僕が想像していた形状の山脈型のものが開発され、とくに、山脈型が成果をあげている。沖合いの海の塩分濃度は低いため底から山を作って湧昇海域を作る。栄養塩類の豊富な低層水を有光層に添加すれば植物性プランクトンを増殖させ、動物性プランクトンを呼び込むことができる。そこに小魚が集まることにもなり、表層では藻類の場所ともなり、産卵の場ともなる。漁礁の素材としては、石炭灰セメントでできたコンクリートであり、高層ビル型はコンクリートと鋼材のハイブリッドになっている。どうやらこれが今の漁礁の最先端らしい。

  昔、浮漁礁6基を作って、沖合いに投入して失敗した経験がある。僕はもうできないので、小説の主人公に再挑戦をさせている。それで思いついたのが福井県の玄達瀬であり、これは海の中の山である。 海面から15メートルのところが山の頂上である。藻場としても、魚の住み処としても申し分のない構造になっているようだ。これをヒントに想像していた。さて、問題は漁礁の素材である。現在のところはコンクリートか、石炭灰セメントでつくるコンクリートである。排気性、透水性がある。

 ここで、ぼくはここで う~ん、とうなって考えこんでしまっている。  

今日は裁判があって、挨拶ひとつできなk、裁判官と、出席せず、電話で済ませ被告人代理人弁護士にあきれ、のろく、スピーディーではないやり方をみていると、母がしぬのを待っているような気がする。

 こんな中、漁礁のことを考え 、現実の法の運用の仕方について考えている。 

 あkさつのできない人の多い職業。裁判官。医者。   


八咫の死

2015年11月10日 | 日記

  僕の辛苦の時期を伴にした八咫(ヤタ)が老衰で昨日の夜死んだ。もうすぐ18歳というところだった。2日前から一切物をたべなくなり、ミルクにしてみたり、ヨーグルトにしてみたが、一切拒んだ。それまでは水を大量に飲んでは、食べ物も少々は食べていたから、まだ生きるぞ、と思っていた。後ろ足はまず右足がダメになり、続いて左足が使えなくなって、寝たきりになったのは1ケ月もない前くらいである。そして水までも飲まなくなった。最後にコールのような便がでたので、その日か翌日かと思っていた。夜の8時25分、突然口を開けて、そしてガクッとなってそのまま動かなくなった。

 この犬(黒と腹が白の柴犬)のおかげで、17年の大半は毎日散歩させたので、こちらもよい運動になった。若い頃は走るのも早かったが、2年程前から散歩も億劫になってきた。まあ、大往生という死に方だったし、突然の死ではなかったので、こちらの心構えも徐々にできていたのだろう。

 子供の頃から犬を飼ってきたが、老衰というのは初めてだった。 外へ夫婦で出なければならないときは松下夫婦のお世話になった。「ヤタ、ヤタ」と可愛がってくれた。死んだことを伝えるとすぐに駆けつけてくれて、お別れをした。お世話になり感謝している。

 娘が高校2年生のときに、この黒い柴犬が飼いたいと言い始めた。娘に育てられたが、娘はそのうち大学にいき、尾鷲を離れた。以後、私たちが面倒を見てきたのである。「柴犬は外で飼う犬だ」という僕の意見と妻と娘の連合ペアは「屋内で飼う」と言って譲らなかった。

 晩年は居間で寝起きし、居間に住んでいた。静かに眠っているようである。今日、火葬のために市のクリンクルセンターへ持っていって、手続きをした。

 八咫の死とともに僕の苦難の時期は終わろうとしている。もう犬が飼える年齢ではない。自由に旅行もできるようになる。

 僕は冷たいのか醒めているのか、父の死の時も八咫の死の時も涙は出なかった。 その点はいつもひっかかるところだ。

 


博多人形の女たち

2015年11月09日 | 日記

 九州場所になると、着物女性が砂かぶりや前面の枡席やテレビに映る範囲に幾人かいる。砂かぶりにいつもいる女性がいると力士も気になることだろう。とこころで、着物を着て、姿勢を崩さず、いつもしゃんとしている九州場所の女、タジマのママさんはどこにいふかと、探してもみつからない、と思っていたら、テレカメラが探し出し、ズームアップしてそのママさんだけを映しだした。たいへんなサービス精神である。いつもの通路席ではなかったが、健在である。

 博多に行ったら絶対に行こうと思っているので、うれしいものだ。九州場所はこのママさんのお陰で博多人形のような女性をみるのも一興なのである。

  ザンバラ髪の新人御嶽海、宝富士、勢など  調子がよい。遠藤、逸ノ城は停滞している。毎回楽しみだ。北の富士の解説がいつものようによい。


人類も成長がない

2015年11月09日 | 社会・経済・政治

 台湾と中国の関係を興味深くニュースで見ている。台湾の国民党は対日戦争で国共合作で共に日本軍と戦った。後に内戦となり、蒋介石らの国民党は台湾に落ちのびた。国民党の願いは国民党は中国に戻り、奪還することである、と僕は昔台湾の人から聞いたことがある。

 中国も一党独裁ではこれからすまないことだろう。共産党と国民党の二大政党ができれば、中国はもっと民主化するかもしれない。ところが、中国はでかい。人口も14億人いる。黄河文明の頃から国内は戦国、統一、外部からの侵略、統一、国盗り合戦を繰り広げ、あげくのはてには西洋に侵された。そのあとで日本が続いた。この豪族が存在し、厄介だった中国をひとつにまとめたのは中国共産党と国民党であったが、それも分裂した。そして今、中国は台湾と抜き差しならぬほどに経済交流をすすめ、やがて、国民党の協力を得て、民主化を図るかもしれない、などと推測する。習近平はアメリカに留学している。そして汚職を徹底的になくそうとし、権益をもつものを排除しようとしている。いわば、一党独裁がこれ以上持続できないことを知っていて、邪魔するするもおを排除し、地盤ならしをしているようにも思える。

ソレンのゴルバチョフのような役割をもつのかもしれない。いずれにせよ、習近平体制の次かもしれないが、どこかで、台湾との統一を図ることだろう。

 台湾の民進党は独立国を目指している。これが過剰過ぎると、中国も黙っていないことだろう。その選挙が来年早々にある。

 友人の柯さんたち、台湾は大きな転換期を迎えているが、どう思っているのだろう。

 それにしてもロシア機の爆発。あと一回どこかで起これば、旅行業は切羽つまるだろう。南シナ海の緊張。新型のウィルス。ドローンの普及。人類も成長がない。28番目の新人類はでてこないものか、すでにどこかで誕生しているのか、などと思う。

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