25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

草刈り 隣の木

2015年10月28日 | 日記

   岡田さんから草刈り機を借りて、草を刈りまくっている。いくら刈っても技術が悪いのか、刈り残しがある。一本、すっと草が伸びている。よくも刈られずに生き残ったものだと思い、意地になって、また刈る。

   680円の混合ガソリンは、約30分で×3回ほどでなくなる。馬力よく、よく働くのであるが、終ると、どうしようもない。草は勝ち誇ったかのように、根を生やし生き残っている。

   汗だくになる。これまではチョキチョキと中型の鋏で切っていたのだから、ずいぶんと楽なのだが、この草刈り機でさえも、重労働のように思えてくる。

   マンションとかいうものは草がないから、その苦労はない。家を子供に残すにしても、残された家をーが草ぼうぼうになって、夏の秋の日に、2度も3度も草刈はできないだろう。他所に住んでいればそうなる。

 人が住まないと、あっという間に、草は庭を被い、壁を入い、隙間さえあれば、家の中まで侵入してくる。

 僕の家の隣は空き地であるが、その後ろに、背の高い巨木がある。これがテレビアンテナの邪魔をする。ひさしぶりに7時に起きたある日、猫好きの近所の老人と話していたら、その木の近くの人がやってきて、その木が邪魔だと、その木を切ってもらってくれという。まあ、この際複数の意見があるのだから、持ち主のところに行ってみようかと思う。

 

 

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LED,iPS細胞 医師の倫理

2015年10月26日 | 文学 思想

  寝床で本を読むのに、安物の小さな蛍光灯を使っていた。1年ぐらいで、ダメになる。点いたり消えたりして、そのうち点かなくなる。コメリにいくとLEDのスタンドランプがあったので、それにした。明るくて、熱もなく、とてもよい。階段のところもLEDにした。これまでに経験のない白い光で透き通っている。これがノーベル賞をもらった光なのかと感心した。大量生産は最初の売り出しの時からできたはずなのに、日本は蛍光灯や電球の工場があったためにずいぶん遅れたと聞いている。稼働中の工場を死なせるわけにはいかなかったのだろう。

 こういうことで心配なことは、iPS細胞の実用化である。生活習慣病の原因がT細胞の暴走、迷走にあって、自分を守るはずの免疫細胞が病気を起こす原因だとくことがわかってきた。心配というのはもうすぐ人工T細胞が培養され、治験も進み、実用化まで10年もかからなところまできている。すると、医師のすべてを、工場のラインをすべてLEDを作るために、全部替えなければならないようにできるのだろうか、ということだ。医師会の圧力にまけてLEDが遅れたようなことになるのではないか、ということである。日本人社会ではやりかねないと思ってしまう。

パソコンに共有できるデータすら打ち込めない医師がiPS細胞を扱うことができるほど、簡単なものができるのだろうか。

   医薬界に大転換期がくる。人工T細胞は多くの薬を無くすだろう。患者の通院数を激減させるだろう。それもあと5年から10年の間で起こってくる問題である。

 その時医師はどの立場をとることだろう。大衆の立場から考える医師が51%以上いたら、人間の抱える問題は解決されることになる。いわば大きな哲学的課題を越えることになる。

   インフルエンザが流行ると医師はうれしいものか、うれしくないものか、その本音を知りたいものだ。

 

 

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変化

2015年10月24日 | 日記

  この頃起るのが8時前になっている。そのぶん早く寝るようになっ。だいたい1時か2時頃に寝ると、8時前にトイレに行きたくなる。また寝るのも面倒なので、そのまま起きてしまう。

 新聞はよほどの記事でないと、一面は読まない。テレビニュースですでに知っているからだ。国際面と経済面とオピニオン面とテレビ面を見る。新聞でないと人にしらせることができないことがあるはずだが、一面はテレビより遅く、内容も変わりはない。オピニオンはいろいろな意見を読むことができて、役に立つ。

  自衛隊への就職希望者が減ったということだ。求人難の影響もあるのだろ。防衛省はどんな手を打ってくるか。アメリカの経済徴兵みたいなものだろう。貧困者の家庭の子供を狙う。金、大学、就職先を餌に志願させる。外国人労働者が必要なくらい働き手不足の日本はまだこれからも不足する。一方で、貧困家庭は、母子家庭や非正規社員の常態化で増加し、自衛隊に影響する。

  この話は過去にテレビで見たアメリカ軍の軍人募集の実態から、日本でもかんがえられることとして、僕が勝ってに想像したものだ。

  物事の変化は髪の毛がいつ伸びるかわからないように目には見えないものだ。注意、注意。

 

 

 

 


口喧嘩

2015年10月23日 | 日記

 オレはどこそこの会長しとる、オレは県や市でも重職をになっていた。弟は(僕の同級生ですこぶる将棋が強かった)オレら3兄弟で一番頭がようなかった。酒の席で、自慢んょうな、それだけが存在価値のようなつまらぬ男と、とうとうさいごに、口論となった。「オレは祭りの会長しとる、まあ、あと任期も1年やけどな」というところからムッとしはじめ、「オレは社会に貢献しとるんじゃ」で、言い返すことにした。「あんたのいう社会とは何だ?」彼は勢い「50%以上の人のことや」「ばかな、人間というのはそもそも社会的な存在だ。たった一人ではいきられん。社会というのは、善も悪もグレイも包み込んだものだ」というと、今度は「年上に向かって何をいう」とのたまう。あきれて、認識に年上もくそもあるか、そんなこともわからんのか」と言ってします。相手は「イナとはこれから話せん。これで縁をきる」という。僕は、「そんなこと言うない」となだめにかかった。笑いながら、「人それぞれ、考えというものは違うもんじゃい」となだめる。「いいや、違う。ワシとオマエとでは考えが違う。だから今後一切話さん」とくる。それで、しかたないわい、と思い、「勘定」と言い、席を立った。帰り際、僕は「あんたの牙は権威だの地位だのというオブラートに包まれて、何の威力もないわ」と捨て台詞を残して帰ってきた。まあ、つまらん男である。第一えらそうであり、権威とか地位や学歴で人間の価値は決まると思い込んでいる。「あんたは県やめ、市やめ、ただの人やないか。それでええやないか。なにを今さら祭りの会長しとる、と自慢することがある。祭りに参加しなくても、人間は社会的なのは当然だ」とも僕は言った。

   こんな日もあるものか、と思い、誰も仲裁に入らなかったことを思い、僕はケロッとして帰宅したのだった。すると段々腹が立ってきた。興奮してきた。つまらん男と話すのは毒のように思える。チヤホヤされるだけで、やってられないよ、と声を大にして言いたい。

 


雨に強い町 尾鷲

2015年10月22日 | 日記

   新聞記事に、「雨の町 尾鷲」とでていたので、驚いた。記事はそいう企画展があったということだが、これでは尾鷲は雨の日が多い印象付けをする。僕は昔調べたことがある。1年間での晴や曇りの日はよその地域とくらべても多かった。多いのは雨量である。雨量=雨の町にならないはずだのに、「雨の町 尾鷲」と発想する人がいて、それに異議を唱えた人がいたのだろうか。もしもいなかったとしたら、実際にデータをみることもなく、「尾鷲は雨で有名やから、雨の日が多いのだろう」と誰かから偏見や取違に脳が感染しているのである。

 こういうことを「困ったこと」という。

 スポーツ試合も、釣りなどのアウトドア遊びも、観光にも雨は不都合である。いろいろな雨、俄か雨、五月雨、などとある種の情緒があふことは確かなことで、映画やテレビでも、雨のシーンや傘の花のシーンはある。しかしそれはドラマの味付けのようなものだ。

  ハイキングでも、ツーリングでも、野外活動にとってはめんどうなものだ。雨に強い町というのなら納得もいく。昔賀田で山津波があったが、それ以降はめっぽう雨に強いと感じている。もうひとつある、ここ、最近は土砂降りの豪雨が昔ほど尾鷲ではない。

 津波がくるようであれば逃げたらよい。南海トラフとテレビや週刊誌が騒ぎ過ぎるのm大迷惑だ。騒げば騒ぐほど土地価格は安くなる。固定資産税は変わらない。これも、「困ったこと」だ。

 


草を刈る男

2015年10月21日 | 日記

  岡田さんから混合油で強力に回転する草刈り機を借りた。これまではチョキチョキと中型の草刈り鋏で刈っていたのだが、これではもう面倒臭くて、億劫でしかたがないところへ、夏の暑さというものがある。

 草刈り機をなんどか買おうと思ったが、まだ自分の体力でなんとかYあれるわい、と思っていた。曽根の貸し別荘の管理をするようになって、それでも人力でやっていたのだが、雑草が枯れてくる時期になってきて、これは、かなわん、と思い始め、岡田さんの草刈り機を借りに行った。どんなものかと、ケチな根性である。 

 使ってみると、その威力は凄く、200坪ほどある、叢になっているところの草を刈った。それでも2時間かかった。雨が降って来たので、最後のところで、やや刈り取る部分が残り、残念であったが、途中で止めた。

  やや日常、違和感のあった左側の腰がまず重くなってきて、2時間もすると、痛くはないのだが、違和感が強くなってきた。いつもテレビを見る時に、身体を左に捻るので、左腰に負担がかかっていることは知っていた。それが2時間の立ち作業をしていると、その違和感ポイントが重くなってくる。「やれやれ」であるが、気持の方はさっぱりする。コカ・コーラまで飲みたくなる。 

    明日もう一度行って完了させる。できれば刈った草を燃やしたいと思うが、そんなことをする度に、遺跡というのは土のなかにあるものだと思う。放っておいたら、どんどんくさが積り、枯れ、腐葉土となり、また積っていく。地球は膨らんでいるとさえ考える。

 


結構面白い仕事

2015年10月20日 | 日記

 ふと、お前のエネルギーを使え、という縁がある。今日、土地家屋の売り手側の内紛を収めて相続登記に至るまでの整えをしてほしいという依頼があった。僕の得意の分野と言ってもいい。

 なるほど、それは凄まじくこじれて、仲違いや恨みまでもあって、厄介そうに見えるが、僕の方から見れば、なにも厄介なことはない。東京に行ったり、大阪にいかなければいけないが、そんな経費はもらえばいいだけである。

 なぜ当の本人たちができないか、などと考えてもしかたがない。事実と流れを述べて、謝礼をするだけである。

 こういう要望が、僕の場合、ままある。そして無事に全部解決してきた。

 この前も、600坪もある元民宿を売れる状態にしてもらえないか、という相談があった。そうですか。なんでもしますよ、と言って、軽く引き受ける。

 不思議なものだ。こんなところを買ってどうするのだ、と思うものでも、売れていく。じ自分でコツコツと修理していくという人が出てくる。インターネットのなせる業である。情報が届くことが肝心で、世にはいろいろな人がいるということだ。この民宿の15メートル下は礒である。船を着けることもできる。しかし、周りに杉の木がおおい、海さえも見えない。日の光りも遮られる。3棟ある家屋は蔦がからまり、掃除を考えただけでも、僕なら引いてしまう。ところがそんなところがよい、という人もいるのである。

  毎日小説を書いていたので、久し振りに、解決屋をやるか、と思い、承知と返事をした。解決まで、2、3日にかかり、売買契約ができるところまで整える。これもニッチな仕事だ。結構面白いのだ。


1000兆円の身代金

2015年10月19日 | 映画

「1000兆円の身代金」という香取慎吾が犯人役の2時間スペシャルドラマはよかった。オレと同じ意見をもつ人もいるもんだと、安心もしたし、応援もした。主人公は最後には死んでしまう。1085兆円の借金をしていても、だれも責任をとるシステムがない日本。さらに借金を重ね、消費をさせよう、土木工事をやろうとする日本。そのあとのメンテナンスをどうするのか。 犯人の主人公はそれを政治家の孫娘を誘拐することで、世間に訴えた。最後は若者に訴えた。

  銀行はだれのためにあるのか。この借金を誰が払うのか。馬鹿な親とはどんなお親なのかも描いていた。

  僕はテレビ好きなので、日曜日は忙しい。

 第二次世界大戦中のイギリスが舞台の「刑事フォイル」 大戦後1952年のイギリスが舞台のアガサクリスティーのドラマ、そして、日本の「下町ロケット」、ついで、漫画が原作の「エンジェルハート」。これらをDVDも駆使して見る。

  昔、人類は自分の内部で思うことと声に出して言うことは別のものと考えた、という説がある。自分の内部で聞こえてくるものを「神」と思った、という説である。ところが内部の声と外部に出す声が自分であると認識したときから僕らの脳は著しく複雑化した。

   思えば 戦後んlサブカルチャーの登場で、さらに僕らの表現手段は複雑化した。漱石が生きた時代に、テレビや映画の脚本もなかった。グラフィックデザインも漫画もなかった。

 僕はそういったものに、翻弄されているのだが、特に日曜日は脳もフル回転して働いている。 

 

  

 

 


自分たちで進め

2015年10月18日 | 社会・経済・政治

「沖縄戦 全記録」(NHK スペシャル 2015.10.18 再放送)を見ていると、沖縄戦の凄まじさがわかる。戦時教育と軍の管理のもとで、沖縄の人々は4万人、8万人、10万人と死んでいく。おいつめられた日本兵は住民の服をきて、住民を盾にとる。アメリカ兵は自分たちも死にたくないから、容赦なく攻撃するようになる。最後まで戦え、いう命令に従う住民はあわれである。

 アメリカでは捕虜を虐待することもなかったが、沖縄の人々はそれを知ることがなかった。子供までも死に投じた。犠牲者は20万人にもなった。

 今度は日本の自衛隊員がアメリカ軍のようになる。 住民の中にゲリラ兵がいるという状態である。

 戦後の経済成長で豊かに育った日本の自衛隊員の若者が、駆けつけ警護の神経戦に耐えられるだろうか。気合いだけはりっぱでも、この神経戦に耐えられるはずもない。馬鹿にしているのではない。神経を壊すのは沖縄戦のアメリカ軍兵士もそうだった。

 そういう戦いは無理だというものだ。それは愚かなことだ。

 どの民族、国家であれ、自分たちで解決するしかなように思える。僕にはそれ以上の知恵がでてこない。放っておくことだと思う。弱い住民たちだが、そこで生きる限り、自分たちで歴史の段階を進めていくしかないと僕は思う。別に国連が正義でもなんでもない。民衆よ、屍を踏んででも立ち上がれ、と言いたい。

  


不満たらたら

2015年10月17日 | 日記

  ニュースというものの宿命なのかも知れないが、殺人事件、殺傷事件、事故、災害のニュースが多い。こんなに毎日殺傷事件がおこるものかと思ってしまい、世の中とはたいへん危ないとろだと思う人も多くいるはずだ。ところが実は犯罪の件数は年々減っている。ニュースの効果なのかと皮肉りたくもなる。そのぶん、監視社会、見守り社会となり、家にはカギがかけられ、神経質になって、カメラまでも設置する。

  今度は行政側が便利になるように、国民が望んでもいないのに、マイナンバー制度が始まる。国民の多くが望んでもいないことをこれで安倍政権下では、秘密保護法、原発再稼働、新安保とやり、そしてマイナンバー制である。一種のファシズムっぽい。

  なんだか窮屈な世になってきていると思う。 パソコンを買えば、ウィルス対策だの、情報漏洩やら、迷惑メールがきて鬱陶しい。

共産党が「国民連合政府」案を民主党より先に提唱した。民主党が揺さぶられている。維新の会は自民党よりと民主党よりで仲間割れした。共産党も党の根本思想を凍結までしての提案で大変身である。どうせなら党名も変えればいいのに、と思う。

  十年先の日本は財政問題で苦悩しているはずだ。政府に、これしろ、あれしろ、ということも国民側に多く、資金のない政府は拒めず、借金までして要望に応えようとする。

  介護保険料を払えと催促がくる。十年後、50万人の介護士が不足する。施設への待機老人がますます増える。ちゃんと将来介護が受けられるという設計があってなら、保険料を払う気にもなるが、僕は不満たらたらである。

   楽しい話でも書きたいが、浮かんでくるのはそんなことばかりだ。

  


宿命を変える人工T細胞

2015年10月15日 | 社会・経済・政治

  病気という概念が変わったのは iPS細胞の培養が成功したからである。脳卒中も、心筋梗塞も、慢性肝臓疾患や腎臓疾患も、糖尿病や骨粗鬆症も免疫細胞の暴走、誤作動から起きていることが究明されている。濃いめの塩味と脳卒中に因果関係があるか。脂肪と動脈硬化に因果関係があるか、と言えば、相関関係はあるのかもしれないが、因果関係ではないことがはっきりしてきている。

  パソコンが使えなければ仕事にならないように、iPS細胞が扱えなければ医師として存在しにくい日がそう遠くない日にくるのだろうか。

免疫細胞は病気にならないようにしてくれる。ところがこの細胞の代表格であるT細胞は20歳で旺盛期を終え、僕らが子孫をのこせる性の相を終えると衰退しはじめる。 

  20歳のときの100%のT細胞は外的異物がやってくると素早く活動する。ところが70代ではわずか10%のT細胞が敵を認識できず、のそっと昼寝しているように見える。これが「老い」である。免疫細胞が誤作動して、暴走を始めるときがある。すると、上記の病気が発生する。京都大学の研究所ではiPS細胞から人工T細胞を作り出し、実験を行い、現在のところ副作用なしで、進んでいるという。

 中山所長は「変えられる運命はもはや運命ではない」と言っている。いわば iPS細胞によって人間の宿命の大転換がノーベル賞だったということになる。

 僕もやがて人工T細胞の点滴をうつ日がくるのだろうか。人類の次の段階をみることができるのだろうか、と思いながら、今日また酒を飲む。


改めてする決意

2015年10月14日 | 日記

  いよいよウチのヤタも寝たきりになった。目は見えず、嗅覚も今やない。聴覚も衰えきっている。わずか触覚だけがあるのは水を飲む時にひげで感じるのか、水に浮いた大きな埃を除いて飲んでいるのでわかる。

  まだ食欲はある。水は大量に飲む。

 この頃は鳴き声で何をも求めているのか、わかるようになった。小さな鳴き声は「水」である。やや大きくなると「餌」である。びっくりするほど悲鳴の声が続く場合は、必死でうんちがしたいのである。

 横になって、もがくように、腕で床をこするのは、たちあがりたいのだろうが、自分はたちあがれないという自覚がないからである。

 毎晩真夜中に悲鳴が続くとこれまではこちらも起きてなんとか鳴き止むのをあれこれして介抱していたが、この頃は、放っておくことにした。

 犬が老衰のようになっていくのは初めての経験なので、初め、どうしたらよいものかと思ったが、サインがわかってくると楽になった。

 いつも犬を飼ってきたが、おそらくこれで終わりだろう。

 未来はまだ長いが、ヤタが生きた年月をいきられるかわからない。こういうことにも決意 、覚悟がいるのかと改めて思う。


石田純一と企業

2015年10月13日 | 社会・経済・政治

  安保法案反対のデモに参加し、1分程度の演説をした石田純一がTVコマーシャルから干されているという。TVコマーシャルができるほどの企業も、器量がないものだ。そもそも自民党は30%程度の支持率なのに、何を遠慮することがあるのだろう。自粛しているのだろうか。安倍政権は裏で圧力でもかけているのではないか、と疑いもする。

 安倍首相を支援する若手の議員たちの中で、マスコミにコマーシャルをしなければいいんだと言った議員がいる。百田尚樹は「琉球新聞をつぶさないといけない」とまで言った。

 そんな事実があると、自粛してしまうのではないかと疑うのは当然だろう。

 僕はマスコミのていたらくぶりに、嘆いている一人ではある。 例えば、僕は今度ノーベル経済学賞をとったアメリカ人の学者のその内容をもっと知りたい。しかしテレビではちょっと紹介するだけで、詳しくしない。当然石田純一が干されていることは報道されない。結局彼はいじめられている。いいじめはいけない、とよくマスコミは言っているのに、結局スポンサーが決め手になってしまうのである。芸能人は政治に関わるには、選挙にでるしかないのだろうか。困ったものだ。

 石田純一は反撃にでるのだろうか。山本太郎がしたみたいに。

さて、この頃小説頭になっているので、なんだか頭が疲れる。難しいものだ。そそうそう今日は、動脈硬化、心筋梗塞、骨そしょう症、慢性肝炎、慢性腎炎、脳卒中、糖尿病は病気を守るはずの免疫細胞の司令塔であるT細胞がサイトカインを暴走させるからだ、とくことがわかっている。iPS細胞で人工T細胞を作れることを知った。これには驚いた。


オキシトシン運動

2015年10月12日 | 文学 思想

貧困で学習機会が失われた子供を援助する「ハーモニー財団」というのがアメリカにあって、そこではお金の援助だけでなく、バイオリンのような楽曲を習わせることをしている。すると、97%の子供が大学進学をするようになるという。楽曲を演奏するとき、視覚を使い、聴覚を使い、運動の脳を使う。さらに合奏となってくると、他人への信頼感を醸成するオキシトシンホルモンが活発化する。総合的に集中力が学習においても増す。

 強いストレスにさらされた子供が、その後に全般性不安障害や重度のうつ病などを含む精神疾患になる可能性が高いことが研究で次々と明らかになっている。

 ぼくらは「オキシトシン運動」を社会化しなければならないのかもしれない。「幼児虐待」が増えているということはオキシトシンホルモンが不足している親が増えているということだ。 妊娠をしたら、病院の一室で、ふたたび教育を受ける機会があればよいと僕は常日頃から思っている。

 無知を作ってはならない。今先進国では無知を無くす方向に進しかない状況である。アマゾン奥地のピダハンのように、あるいはヤノマミのように暮らすわけにはいかない。彼らには彼ら流の生き方や考え方があるし、僕は彼らを無知だとは思っていない。無知とは自分の生きる社会の中で必要欠くべからずのことを知らないことを言うのだ。に妊娠中にダイエットを繰り返す妊婦の子供のたいていは肥満体になる、といようなことも、その一部であることは言うまでもない。

 


細胞

2015年10月12日 | 日記

  今日も家の中で、上沼恵美子と高田純次が芸能人ネタでお喋りしたり、のど自慢を見たりしていた。それから買い物に出掛け、帰ってから、去年録画しておいたNHKスペシャル「細胞」を再度、今度はノートを取りながら見た。

 全部で約60兆個、200種類の細胞は意思をもっているように思える。 僕らの体を支配しているように思える。設計図に書かれた遺伝子は、髪の毛を金髪にしたり、目や、鼻形を決め、内蔵を作るようにし、骨や筋肉を作るようにしている。そして、細胞は脳だけでも800億個の神経細胞を持ち、乳児では一日で25万個の細胞を作り、それらが回路を作っていく。バイオリンを幼児期から習えば、特有の回路が形成される。

 細胞が増加するのは20歳ぐらいまでで、人間は性の相の段階で子孫を残してまでもなお生きるのも、細胞の働きである。その秘密は脳の視床下部にある。ここには幾種類かの神経細胞があるが、ホルモンを出すところである。このホルモンが増加の止まった神経細胞を太くする。

  例として、視床下部の中にオキシトシン細胞がある。これは女性の出産時に、筋肉の収縮と弛緩を活性化するホルモンであるが、面白いことに、「愛情」や「慈しみ」「信頼」という心の有り様に作用する。このオキシトシンをいっぱい浴びた乳児とそうでない乳児とでは違う心になるということだと思う。

 中でもキス、触れあうことではその出る量がぐんと増加する。

 細胞に支配されているように見えても、実は細胞を学習や努力や意志によって、細胞をコントロールができる。僕も意志して何かしら学習を、と思うが、同時に体力、特に筋肉系の努力が必要なのdだが、僕の考える練習方法や内容に合致するようなところが付近にないので、その点で残念なのである。だから自宅で黙々とづるしかないのだ。そこは意志的でなければ、体は衰えるばかりだ。筋肉をつける運動は1日30分ほどし、2日休むのがよいらしい。こころがけようと思うのだが、難しいことだ。