25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日本会議の行方

2017年06月30日 | 文学 思想

 明治憲法に戻すのが筋だ、と主張する元生長の家政治活動家たちは、政権の中枢に入り込み、安倍政権を支えている。朝日新聞たたき、琉球新聞たたき、マスコミへの巻き込みへの電話攻勢、極東軍事裁判の否定、憲法を明治憲法に戻し、それから改正と、日本を天皇を中心とする国家のしたいと考える思想である。

 ところが、ここからはぼくの考えであるが、当の天皇陛下は彼らをあまり好いていないように思える。戦中に苦労し、戦後、象徴天皇のありかたを探り、今上陛下に継がれた。天皇家は民衆に寄り添い、励まし、同じ目線の位置で語りかける。

かれらは天皇のこのような活動を好まないようだ。簾の奥にいてほしいのだろうか。

 教育勅語を諳じる幼児をみて喜ぶ安倍昭恵、それをよい学校だという安倍首相。日本会議に何を考えるでもなく、名を連ねる政治家。

 靖国神社参拝をする安倍首相やその仲間たち。靖国神社には行かない天皇家。ズレがある。このズレは象徴天皇のあり方を模索する天皇家と天皇は奥にいて祭祀をするのが本分だと主張するものたちとのズレでもある。

 日本会議は今後どうなっていくのだろう。日本会議的なもにが未来に歩むべき日本を過去に戻しているように思えてならない。


 

 


学歴女あるいは男

2017年06月29日 | 社会・経済・政治

 豊田某のヒステリックな物いいにテレビをみているひとは驚いているのだろうか。楽しんでいるように見える。あのくらいの口のききかたはよく日常で見る光景のようにみえる。先生。コーチ。口のたつ男女ヤクザでもしたっぱのもの----。

 家族内でもしょっちゅう起こっているような言動のように思える。この豊田某問題の面白さは、大変素晴らしいと、だれも言う学歴なんてものは全く重要なことではない、その前に、培うべきことがあるだろう、ということを人々に顕にしたことだ。

 よい大学などと言っても暗記の試験に合格してきただけのことで、人物そのものの本質を試験するものでもない。東大を出たからと、えらい、と思ってしまう中層インテリが多分多くいるのだろう。

 この日本の不思議はいつまでも東大を一位と思い、東大生は頭がよいと思い、それにすり寄ってしまう愚かさである。

 記憶力などはいくらあってもダメで、思いやるとか、我が子を愛するとか、聞く力とか、自分はいつだって怪しいもんだと思う気持ちのほうが大事なのではないか、と思う。

 卜の好きな言葉で言えば、胆力とか、イサギヨサとか、包容力とか、間が抜けているとかの方がよいのだ。

 インテリのあるべき姿は、普通に生きる庶民の視線をとりこめるかどうかである。大衆とともにいかに生きることができるかである。そうなれば、インテリ力はより社会をよくするだろうと思われる。

  


権力チェック

2017年06月28日 | 社会・経済・政治

 人の脳は割ってみてもわからないが、出してくる言葉によって、この程度のことくらいしか考えてないんだ、と思うときがある。といって、その人はぼくの知らない分野で、深く、広く知っているかもしれない。だからやっぱり人はわからないものだということになる。

 例えば、どうして、国会議員で、防衛省大臣が都議会の選挙応援で、防衛省、自衛隊、自民党が応援しています、と演説する馬鹿がいる。この大臣は自衛隊員にも、選挙する自由があるといことが頭にないらしい。司法試験にも合格した法律の専門家である。

 呆れてものが言えないとはこのことだ。読売新聞の編集長の脳の中も覗いてみたいものだが、僕らが戦後学んできたことは、権力はチェックされなければならない、ということだ。マスコミが権力に同調を始めると悲惨なことになると知っている。

 憲法は国民が権力をチェックするための原理法である。このことは肝に銘じたい。

 

 


村上春樹 騎士団長殺し

2017年06月26日 | 文学 思想

  村上春樹の「騎士団長殺し」が思うように読み進んでいけない。今のところはである。またか、という印象で、僕の側に迫ってくるものがない。「明暗」をまた読みたいと思っているので、一時停止しようかと考えている。「明暗」は、会社勤めの夫とその妻を中心とし、その周辺にいる人間の関係の話である。漱石はこんな平凡な話を読ませ、彼の死によって、絶筆となるが、話がどう進むつもりだったのが論議される始末である。そしてとうとう「続明暗」を水村早苗が書いてしまった。興味津々であった。

 現代のエンタメ小説とは違い、こころにあとあとまで余韻が残る。

 村上春樹の「1Q84」は傑作だった。青豆という主人公がよかったのだろう。メタファとしても、ファンタジーとしても、哲学的問題としてもおもしろかった。青豆みたいな人物像をよく作ったものだと感心した。

 「騎士団長殺し」は村上の一番下手な男性像になっている。

それは、「羊をめぐる冒険」とか「ねじまき鳥クロニカル」と同じようなサンドイッチの好きな、セックスの好きな、几帳面な男である。たぶん、そこでぼくは読み進められないのだと思う。主題はまだ出てこないが、それを追ったところで何? という気もする。

 彼の短編小説は秀逸だ。どれも優れていると思う。トニー滝谷もよかったなあ。

 


失念

2017年06月25日 | 日記

 ガソリンを給油する時、財布を開けたまま、車も屋根上においた、給油が終わり、給油口のふたをしめ、そのまま財布のことは忘れてしまい、国道に出た。シルバーセンターの人と庭の草刈りや剪定について打合せをしていた。すると警察から電話があった。何ごとか、と電話にでると、財布を落としておないか、という。浜口ガソリンスタンドでお金をはらって、というと、そこの前でー布を落としたのだという。

 警察にいくと、中に何が入っているか、確認し、現金は雨と風、車の勢いで吹き飛ばされていて、気づいた人は、親切も警察に電話してくれたのだそうだ。警察がきてお金探しをしてぅれたらしい。結局、千円札5枚が、照合して紛失してしまった。カード類は車に轢かれているものもあった。

 財布に電話番号をはりつけてあったのがよかった。電話で知らせてくれた人は、謝礼金を放棄すると言ったらしい。

 ぼくも様々なカード類をなくせばたいへん、面倒になる。

 先を急いでいると、失念してしまうことが多い。

 ダメな一日であったが、親切にも警察に連絡してむれた人の善意と二人の警察官の方々のご苦労に感謝である。


 

 

 

 

 

 

 


徒然なるままに

2017年06月24日 | 日記

 大雨がそれほど長く続かず、池の水は4センチほど増えただけだった。睡蓮はかろうじて生きていることを見届け、明日からの雨に期待している。

 尾鷲地方ではこの頃は大雨による浸水などはなく、台風の通り道も違ってしまったようで、熊野、新宮あたりが被害のでる大雨となる。

 午前中に、コメリに行き、ブラブラと園芸コーナーや魚コーナーにいくと、その道に詳しい人がいる。睡蓮はどこから花が咲くのですか、と聞くと、即座に答えてくれる。

 うちの金魚は十年生きている、その方法は、と教えてくれる人がいる。

 息子に2匹、金魚を買ってあげようと思ってきたのだけれど、りゅうきんは同じ色、同じ型ばかりなので困っている人がいる。宮ノ上の保育園の前に幟をたてて、金魚を売っている店があり、そこには色とりどりのりゅうきんも出目金もいる、と教えたら、大変ありがたがってくれた。その息子は僕がじっと金魚水槽をみているところへやってきて、一緒にじっとみては、何か話しかけてきていた。その男子のお母さんである。

 工具を見にくる人、板を買いにくる人、趣味でなのか、仕事でなのかわからないが、土曜日は朝から人が集まってくるのである。

 三日前に日向灘で地震が起き、あと4日で一週間となる。以前、地震学者が日向沖で地震が起きたら、一週間後に東南海地震が起きる可能性が高い、と言っていた。3、4日旅行でもしようか、と一瞬思うが母親を残して行くわけにはいかない。津波が来たら来たで、いっそ全部流してくれたら、と思う。命以外は。ちょっとこのところの地震は不気味である。

 安部首相は逃げてばかりで、100万円の説明もせず、マスコはおかしい、という安倍昭恵夫人の脳みその方がよほどおかしい。マスコミ出て来ないのだから。籠池氏が百万の束?を持って、居酒屋、そして安倍首相の自宅に行って、嫌みをするという気持ちもわかる。

  権力が国民をチェックづるのではない、国民が権力をチェックするのだ。大阪府、大阪維新の会も権力をもったら様変わりした。土人呼ばわりした警察官の擁護をするのだから。こういう人には政界にいてもらいたくない。豊田真由子議員も同じである。華麗なる学歴は人間に弱い。権力をもちたがる。


政権交代はあるのか

2017年06月21日 | 社会・経済・政治

 降ればどしゃ降り。金魚を外で飼っているので、このぐらいの雨ならば大丈夫だろう、と呑気にいた。翌朝金魚槽は雨で溢れ、雨のphと水槽のphが変わったのか、それとも強いストレスがあったのか、黒と赤の二匹が死んでしまった。ショックだった。本当のところの原因が分かりにくく、ネットでも調べても、これだ、という判断ができない。

 関心事として加計学園のことがある。加計学園ありきで事が進んだのはだれが見てもあきらかではないか。政府官邸側の対応がますます疑惑の念を起こさせる。

 森友学園の籠池氏も恨みつらみを述べていた。肝心のことはおいておき、検察も捜査が入った。なんで検察なのかわからない。検察には小沢一郎がさんざんいじめられた。記者クラブという特権をもつ慣習に否定的だった小沢一郎は、政府、検察、マスコミの大合唱で批判した。結果は不起訴だった。民主党内からも批判がでて小沢一郎は党首を辞めざるを得なくなった。あのとき、辞めなかったら、鳩山由紀夫政権はなく、ひいては安倍政権もなかったかもしれない。

 野党は統一して、一地域自民党1で野党を一本化して候補者を出し、総選挙をやってほしいと思う。時代を明治の世にまで戻して行く手続きを着々と進めている。

 検察というのも恐ろしいものだ。

 安倍政権の支持率が下がっている。内閣を改造して、小泉進次郎や橋下徹を入閣させようという噂もある。

 しかしながら、現代という時代はすでに消費者が実権をもっている。大金の一部は株や為替にまわり、労働者や一般消費者に回っていない。消費税の値上げによって、家計は苦しくなっている。こういう消費者が政権を維持するか、交代させるか、となるのだ。


奇蹟の数式を

2017年06月20日 | 映画

 ラマヌジャンというインドの天才数学者の生涯を描いたイギリス映画「奇蹟の数式」を見た。ときは1914年から始まった。整数が美しい絵画のごとく脳の中に公理として思いつくラマヌジャンは自分の数学研究を公表したいと、ケンブリッジ大学のトリニティカレッジに招聘されることになる。彼の才能を見抜いた近所在住していたイギリス人の紹介でケンブリッジ大学の教授手紙をだす。彼は愛する妻を残してイギリスに旅立つ。常にどうであるが、インド人とバカにする教授たち。理解する少数派の教授たち。

 ヒンズーの神を信じる彼は菜食主義者である。栄養失調状態である。彼の母親は妻に宛てた手紙を隠し、5年も手紙が来ない彼はもう自分のことを思っていないと家を出る。出てから別れの手紙を自分でだす。

 届いた時は遅かった。ラマヌジャンは結核になっている。歴史にのこる「分割数」の証明に成功、教授でもあり友でもsった男の尽力で、かれは王室研究員となり、トリニティカレッジのフェローとなるが、故郷に帰り妻の下で一年看護され、しんでしまう。わずか32歳であった。

  フェルメールという画家を描いた映画、今度のように天才数学者を描いた映画。イギリス映画はいつも見応えがある。

  ラマヌジャンもいわば戦争の被害者でもある。第一次世界大戦は多くの人が死んだ。戦争が国民国家的となったのである。ヨーロッパがメチャクチャとなった。ラマヌジャンはそんな状態のイギリスで5年を過ごし、結核となった。

 彼の研究は今、ブラックホールの謎を解き明かすのに使われているらしい。無神論者のイギリス人教授と神が公理を与えてくれる、というラマヌジャン。その会話にも惹かれた。

 

 

 


雨よ降れ

2017年06月19日 | 日記

 雨が降らないので、曽根の庭の池は谷からの水で

その水量が少なく、睡蓮が枯れる勢いである。夏休みなので、客に睡蓮を見ていただこうと、張り切って植えたもだった。見に行ってから三日目、まだ雨は降らない。天気予報では今週末あたりだという。

 どうも空梅雨のようだ。こんな年は8月、9月に大雨がくるという。思い起こしてみたが、記憶にない。

 伊勢湾台風や大浸水のとき、勇んで、桜町の通りで、水泳をしてふざけていたのを思いだす。今から思えば、なんと汚かったものか。ウンコもみんな混じった汚水のはずだ。あの頃は衛生観念などなかったもだろう。

 雨よ降ってくれよ。ところでいい天気がつづいているわけだが、ビールを好んで飲まないようになったなあ。

 

 


育てる

2017年06月18日 | 日記

 草花、樹木を増やし、メダカ、金魚と庭で飼いはじめてから、見知らぬ虫がでるようになった。鳥も蝶々も多くなった。昨日からは鳶がメダカ発見したらしく、水槽の縁にとまっていた。網蓋をしてあったので助かった。メダカは孵化の時期らしく、昨日は80匹ほど孵化した。ホテイ草の根元に卵が多数あったので別の容器に移動させておいたので、稚魚だけの容器の中で元気に泳いでいる。

 これから夏。水温が上がるため、適温を保つにどうしたらよいか、実際にどのくらい水温なるものなのか、体験してみないとわからない。一年育てたらいろいろとよくわかることだろう。

 酸素供給。濾過。濾過バクテリア、カルキ抜き、水換え、餌やり、病気へ注意、こんなところだろうか。そろそろ金魚についてはエア装置が必要かなと思いはじめている。現在は酸素をだす石を使っている。

 鳶がじっと様子を伺っている。油揚でも置いてやるかとも思い、鳶がどれほど人になつくものなのだろう。

 睡蓮鉢にみたこともない2ミリほどの丸い虫がうじゃうじゃいてびっくりした。たぶん飼ったときにしっかり水洗いせずに、はすと睡蓮を鉢に投入してしまったのだろう。

 投稿拒否の中2の女の子をもつ祖母から相談があった。その解決策のためのドリルを明日作ろうと思っているが、一年や、二年、自分で克服するまでまてばよいと思うが、興味もあって関わることにする。どうなることだろう。いじめにあいやすいのと、社会的な関係の作り方を親から教わっていないのと、母子共依存症的であり、その子は苦しい乳児期を経験している。田舎の学校にいきたいと祖母の家に転がり込んできたもである。やっぱり子供を育てるというのはメダカのようにはいかない。人間は難しい。

 


三橋貴明の経済論を読む

2017年06月17日 | 社会・経済・政治

 岡田さんが貸してぅれた三橋貴明の「日本は財政破綻はしない」(やや題が違っているかもしれない)を二度読んだ。三橋貴明の主張はつまるところ、経済成長主義で、公共投資は行え、つまり国民も銀行もお金を使わないのだから、政府需要を増やせ、消費税を上げるな。日本の国債は円建てで日本人が盛っているのだから、破綻することはない、と主張している。

 資本主義のなかの政府に丸投げの社会主義経済学政策のようだ。政府の子会社である株式会社日本銀行は国債買い取りを行い、すでに500兆円を越える。そのお金は民間企業、零細企業には回っていない、と僕思う。きっと不労所得者、つまり、株式、不動産、為替売買k、他国の金融商品などにながれているのだ。

 赤字国債がこのまま続いていけば、日本銀行がこのままの製作所を続けるならば、政府は利息を払わず極端にいえば、放棄し、銀行は行き場を失い、国民が銀行に課している貯金も封鎖されることだってあり得る。アベノミクスから4年。物価、目標は達成されず、微々たる給料アップは消費税と消えた。国土強靭化と予算をつける。

 三橋貴明によれば、公共投資は建設であり、保育所や保育士の確保や、教育や、貧困の子供に使われることがない。

 国民は政府にお金を貸している。こんな金持ち国はないという。海外から政府は借りていないのだから、りっぱだという。未だに元はケインズ経済学ではないか。

 物余りの時代、狂った消費活動よりも、シェアリングや贈与経済への言及があっていいと思ったが、それはなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


グツグツと不満が高まる

2017年06月15日 | 社会・経済・政治

 「ぼくらの生活には関係ありませんので」とテレビのインタビューに答える30代の男性。テロ等準備罪、いわゆる共謀罪の成立についてきかれた答である。 

 同じようなことが、昭和の前期にぼくらの生活と関係ない、と思っていながら「徴兵招集の赤紙」がきたのでなかったか。

 共謀罪が成立することで、政府転覆はできなくなる。権力が狂暴になってくると、政府を倒すという市民革命の気運もでてくる。これができなくなる。この愚かな法律によって、警察の恣意性が高まり、自由な発言、行動が監視されることになる。

 わずか戦後72年の間で、歴史の時計が逆回りしているようだ。安倍政権を支える元成長の家の原理主義者の集まりである日本青年協議会や安倍政権の政策ブレーンの日本政策研究センター、これも元成長の家信者が長であるが、これらの組織は憲法をいったん明治憲法に戻そうとする団体である。かれらのこまめなNSNやテレビ局への抗議、地方議会への働きかけが、元号制定法の成果を産み、彼らに支えられて、安倍政権が誕生した。

 アベノミクスを標榜し、異次元の金融政策を行った。4年経っても、物価上昇2%は達成されず、刷りまくったお金は株式や為替や不動産にというGDPとは無縁の分野に偏って溜まっているように思える。

 子供のうち6人に1人が貧困だという。実質給料はあがらない。経済政策で登場した政権だったのに、外国にお金をばらまき、秘密保護法、集団的自衛権、テロ等準備罪と、経済とは無関係なことばかりをやっている。そして、憲法9条に3項を加えて改正しようと目眩ましのような術語を使って、やろうとしている。呆れた政権であるが、支持率が50%を切らない。そろそろ落ちてくると思えるが、これで落ちなかったら、どうしようもないぜ、と言いたくなる。

 森友学園の園児による教育勅語斉唱にも気持ち悪かったが、加計学園については、国家戦略特区などという欺瞞の恣意によって、京都産業大学が排除されている。

 この風潮は止めなければならない。そしてそれは選挙でのみできることである。

 現在の日本はハタラク人にお金がはいらず、不労所得者が儲ける歪な社会になってしまった。

 グツグツと不満だけが高まるこの4年である。


一日のルーティーン

2017年06月14日 | 日記

 今日は「ホタル」という短編小説を書き上げた。「うんぷてんぷ」を書いて、その間に「相撲取りになるど」を書籍化するので再度校正を行い、仕上げた。あすからはまた「うんぷてんぷ」の校正を始める。

 書き物はしばらく寝かせておく必要がある。すると不足するところ、無駄なところも見えてくる。もっと考えるところもある。

 一日のルーティーンが決まりかかっている。

 7時半起床→金魚・メダカに餌をやる。→「ひよっこ」を見る。→羽鳥のモーニングショーを一部見る。→花に水をやる。→9時50分 家を出る、歩く。→八百屋のメダカ・金魚を見る。時々ここで母親のためのミカンを買う。→母親の冷蔵庫の中と薬を確認する。パソコンをONにして小説作業をする。→12時 帰宅する。→ 徹子の部屋を見る →ワイドショーを15分みる。→再び「ひよっこ」を見る。→「やすらぎの郷」を見る。→コーヒーを飲みに出かける。マックが多い。→そこでブログを書く。→コメリをのぞく(新しい花などがでていることがある)→買い物に行く(今はほとんどイオンとなった)→メダカ・金魚の水替えや時に掃除をし、観察する。→(斜め前の干物店に2日に一回ほど季節の干魚を買う)→5時、この頃6時、飲み始める、6時半ごろ夕食に入っていく。→天気予報、NHKニュース →ドラマ→音楽・読書 で就寝となる。

 7時半に起きるということはこれまでなかったことだが、ここ一週間そうなっている。これまで三時頃まで起きて本を読んでいたのに、それも十二時までとなった。

 血圧がちょっと高めになってきている。おそらく7時半に起きてしまうのもそれと関係しているのだろうと思う。一日に6000歩歩くことを一応の目安にしている。

 煙草は腸によいので、心臓、肺に問題はないため、吸っている。吸えない状態になったらきっと吸えない、と思っている。

 


神様・妖怪

2017年06月08日 | 日記

 二次元の女性、つまり漫画の女性に焦がれる女性がおり、三次元のAKBのような普通の女子のようでいて、歌や踊りもするという女子に憧れ、熱狂的なファンになる男もいる。

 脳の中は覗けないが、脳で起こることはその人にとっては現実である。個々それぞれの脳は違うからこの社会は複雑だとも言えるし、面白いとも言える。

 土曜日。岡山と東京から相談事があるということで、二人の女性がやってきた。

 一人は臨床心理士であった。日本の神様を全部知っているという。もう一人は(これはぼくの知人であり、電話の主である)妖怪の全部知っているという。妖怪の姿が脳にイメージできるのだが、イメージを述べるので、それを絵にしてもらえる人はいないものか。神様と妖怪の妄想会話を会話文で記述できる人はいないものか。

 食べ物のカード、色のカード、神様のカード、妖怪のカードを作り、そのそれぞれのカードを引くと、それは「〇〇〇〇を意味する」ような別小冊子があって、とそんな風である。詳細は省くとして、話を聴くぼくの方は、おもしろくて、頭をカチ割って覗きたい感じであった。

 彼女たちの中に神様や妖怪がいるのだから現実にいるのだろう。他の人には見えないが見えるのだろう。

 それは眠れないときに睡眠薬を思い浮かべたり、嫌な奴の顔を思い浮かべたり、ペットのことしか思い浮かべなかったり、花に夢中になっているとき、花が脳を占めてしまうのと同じことなのだろう。役小角が憑いているとも言っていた。

 怪しい宗教でもなければ、怪しい物売りをしようというものでもない。パワースポット(あるのかどうか知らないが)を楽しむように、彼女らは神様、妖怪で楽しんでいる、とぼくは観た。

「妖怪は誤解されているところがあって、良い妖怪もいるんですよ」

「妖怪神社でも作ったら」というと、米子にすでに妖怪神社があるらしい。あの水木しげるのあの米子である。

 「妄想事業計画」なるものを見せてもらった。僕は出版物の世界とか、どんな組織にしたらよいのか、と訊かれるとそれに答えるだけで、たいへんありがたがられた。

 お礼に「素麺」と「猿田彦コーヒーと太陽のようなオレンジ色富士山とピンク色の桜の図柄が内にも外にも描かれたマグカップ」をいただいた。

 僕の脳だって、今はメダカという生き物が泳いでいる。今日はクチナシの花が開花したので、その像が焼き付いている。妄想の世界は内にとどまっているうちはいい。これが社会の法律を犯すことになると厄介である。

 彼女らは嬉々としていて、エンターテーメントとして知識と妄想を昇華させ、商品にしたいようだった。あくまで人のために役立つ、と信じて。

 ひょんな面白い体験をした土曜日の午後だった。

 


草刈りをする、金魚をもらう

2017年06月08日 | 日記

 自宅の庭草刈りをした。木蓮と金木犀と衛星放送を邪魔する裏の木の枝はシルバーセンターも方を刈って払ってもらった。全部切り取るにはクレーン車がいるということだった。

 曽根のほうは自分で草刈りと思っていたが、シルバーセンターに頼むことにしようと申しでたら、予約でいっぱいで、7月7日までにというぼくの希望にそえないようだったが、そこをなんとか、草刈りだけでも、ゴミは裏庭にまとめてくれれば自分でちょっとずつ焼くから、なんとか押し込んでもらえまいかと懇願した。なんとか調整してみます、ということで、期待している。

 草は雨期にまた伸びるのであるが、それはちょこまかと自分でやろう。

 三宅のご主人からリュウキンを5匹もらった。コメットより、リュウキンのほうが優雅で可愛らしい。コメットは荒いわりに神経質だ。メダカの赤ちゃんが11匹孵化したので、毎日いていると、どうも数が少ない。もらった成年メダカも51匹いるはずなのに、35匹くらいしか数えられない。減っているような気がする。鳥か、猫か、別のものか、編みかごをでぃているのだがときどき忘れて外出するときがある。

 庭には樹木、草花が多くなってきた分、鳥の数も多くなった。ウグイスがひたすら鳴いている。

  カラスがくると、指を指してにらむようにしている。これは効果がある。

 もらったリュウキンは家の中で飼おうと、きょうは金魚鉢を買う。あと酸素のでる石だ。

 草刈りでたっぷり汗をかいたので、ソフトクリームを食べた。季節は夏に向かっている。多くの人達がくる。