二次元の女性、つまり漫画の女性に焦がれる女性がおり、三次元のAKBのような普通の女子のようでいて、歌や踊りもするという女子に憧れ、熱狂的なファンになる男もいる。
脳の中は覗けないが、脳で起こることはその人にとっては現実である。個々それぞれの脳は違うからこの社会は複雑だとも言えるし、面白いとも言える。
土曜日。岡山と東京から相談事があるということで、二人の女性がやってきた。
一人は臨床心理士であった。日本の神様を全部知っているという。もう一人は(これはぼくの知人であり、電話の主である)妖怪の全部知っているという。妖怪の姿が脳にイメージできるのだが、イメージを述べるので、それを絵にしてもらえる人はいないものか。神様と妖怪の妄想会話を会話文で記述できる人はいないものか。
食べ物のカード、色のカード、神様のカード、妖怪のカードを作り、そのそれぞれのカードを引くと、それは「〇〇〇〇を意味する」ような別小冊子があって、とそんな風である。詳細は省くとして、話を聴くぼくの方は、おもしろくて、頭をカチ割って覗きたい感じであった。
彼女たちの中に神様や妖怪がいるのだから現実にいるのだろう。他の人には見えないが見えるのだろう。
それは眠れないときに睡眠薬を思い浮かべたり、嫌な奴の顔を思い浮かべたり、ペットのことしか思い浮かべなかったり、花に夢中になっているとき、花が脳を占めてしまうのと同じことなのだろう。役小角が憑いているとも言っていた。
怪しい宗教でもなければ、怪しい物売りをしようというものでもない。パワースポット(あるのかどうか知らないが)を楽しむように、彼女らは神様、妖怪で楽しんでいる、とぼくは観た。
「妖怪は誤解されているところがあって、良い妖怪もいるんですよ」
「妖怪神社でも作ったら」というと、米子にすでに妖怪神社があるらしい。あの水木しげるのあの米子である。
「妄想事業計画」なるものを見せてもらった。僕は出版物の世界とか、どんな組織にしたらよいのか、と訊かれるとそれに答えるだけで、たいへんありがたがられた。
お礼に「素麺」と「猿田彦コーヒーと太陽のようなオレンジ色富士山とピンク色の桜の図柄が内にも外にも描かれたマグカップ」をいただいた。
僕の脳だって、今はメダカという生き物が泳いでいる。今日はクチナシの花が開花したので、その像が焼き付いている。妄想の世界は内にとどまっているうちはいい。これが社会の法律を犯すことになると厄介である。
彼女らは嬉々としていて、エンターテーメントとして知識と妄想を昇華させ、商品にしたいようだった。あくまで人のために役立つ、と信じて。
ひょんな面白い体験をした土曜日の午後だった。