25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

気兼ねなく話すこと

2017年08月30日 | 日記

 この頃、Gooから「あなたは一年前の今日、こんな文を書いていました」という連絡がくる。ブログを書き始めて15年以上にはなると思う。ああ、そうなのか、と思い読んでみる。まだ去年あたりでは主張も変わっていない。

 Goo 以前の物は Yaplog に残っている。本当はここでずっと続けていたかったのだが、ヤプログにウィルスが入ったのか混乱をきたし、迷惑メールが大量に来るようになり、復旧作業もなかなかに進まず、ついに観念して、Goo に引っ越した。

 ブログでは十五年どんなことを考えてきたかよくわかる。

 いずれ、すべてを取り出し、ひとつのものにまとめておこうと思う。

 まだ秋の気配が感じられない。昨日は蒸し暑かった。岡田さんと食事をし、公美子さん(優秀な教え子である)がのち合流し、僕は新曲をと張り切ったが、桑田佳祐の新曲がまだ入ってなかったのでがっかりした。いろんな話をした。葬式について。仏教について。明治維新のこと、骨ストレッチのこと、ジビエ料理で、猪や鹿は旨いと思うか。猿は旨いという話。岡田さんの自主トレ、ヘルペスになったので冷やかし、十二時を過ぎて、かき揚げそばまで食べてしまった。やはり人と話をすると家に帰っても興奮は収まらず、ぼんやりと3時までテレビ画面を見ていた。そばを食べてから二時間が経ったので、寝床に入り、「がらくた」を聞きながら寝入ってしまった。

 やや遅く起きて、「ひよっこ」を見、金魚とメダカと花の世話をし、蚊に刺されて、飲み過ぎた酒で少々体をだるいが、これも夕方にはおさまっていくだろう。

 話ができる人がいるということは良いことだと思う。気兼ねなく、思っている話題を口にだす。これは得難いことだ。


「応仁の乱」を読む

2017年08月28日 | 日記

 新書版で「応仁の乱」が売れているので、買って読んでいる。なぜこの本が読まれるのか、ちょっと分かりにくい。

 奈良の興福寺の分裂騒動から始まり、この守護職のような権限領地をもつ興福寺が別当という大将をおきながらも、一乗院と十乗院という分派ができた。いちいちそんなことを書いておれないので、ぼくの見方からすると、権力、利権を巡って、上のもばかりが争っている。今で言えば、高学歴の政治家や官僚や利権団体の長などがバタクサと争い、利権に群がるのと同じだ。大和の国のリーダーはトンマばかりで、(これで大和魂などとよく言ったものだ)、足利幕府の不安定さがあるももの、日本人はこんな民族かと目を被いたくなる。登場する人物の名前すら覚える気にならない。

 同じような思いをしたもが、「昭和史」であった。ここでも陸軍、内閣のトンマさが露骨であった。やはり登場する人物に嫌気がさした。

 大衆はインテリの新聞やラジオに煽られ、踊らせられ、いかにも軍部を賛美すように仕向けた。戦争を批判すると非国民と言われる。徴兵には従わなければならない。かくして、国民国家で結末は一般の大衆が多く死ぬのである。

 応仁の乱により、下剋上の時代がくるが、農民もたまったももではない。戦争に引っ張りだされる。家は焼かれる。口のたつ、頭がよくまわり、生まれが元々武士や貴族であったものがいざこざばかりして農民を巻き込む。

 ぼくははたしてこの本を読み終えることができるだろうか。うんざりしながら読むのも大変なことなのだ。

 伝統、文化なんてよく言うが、ぼくは今の寺ひいては仏教などになにの敬意も持たない。日本国土の中で相当な敷地を持つ。信長の気持ちもわかるというものだ。

 というわけでもないが、ぼくが死んだら決して寺や、戒名や、読経、墓は要らないと言ってある。焼いてもらって、クラウドの中に生きた記録が残ればいいと考えている。

  


過ぎる八月

2017年08月27日 | 日記

 八月最後の日曜日。まだ九月一日の始業式まで4日ある。子供の頃はだんだんとこの時期憂鬱になっていくのだった。

やり残した宿題をし、またあの息苦しい教室授業を受けるもかと思うこころが沈むのだった。

 行く夏を惜しむような出来事はなかったが、さりとて秋が待ち遠うしいということもなかった学生時代。

 今は、夏が早く過ぎて、涼しい秋の高い空が見たいと思う。縛られることは何もない。季節ごとの楽しみと移り行く景色へ情緒を味わうほどの年齢になっている。

 また草を刈った。前に刈った草を燃やした。友達たちは去って行った。子供たち一家が来たのは7月の終わり頃だった。

 もう少し涼しくなったら、アイナメとメバルを釣りに行こうと思う。

 カルパスを食べながら冷たい酒をのんでいる。「愛ささくれ」と「オアシスと果樹園」をカラオケで歌えるようにしようと思う。ククッと感覚が能動的なる。これがなくなればもうだめだ。


桑田佳祐3

2017年08月26日 | 音楽

 この際、ということで、桑田佳祐のソロアルバムを全部レンタルしてきた。ついでに、「がらくた」があったので、これは購入した。思えば、サザンオールスターズのアルバムは全部大事にもっているが、ソロアルバムの第1号があんまりピンと来なかったので、ソロアルバムは敬遠していた。最初の頃は桑田佳祐個人の出しすぎで、フォークギターの音色もイヤだった。

 ところが今回時系列で聞いていると、2012年の「I love  you」あたりから遊び心が全面出てきた。前川清に提供したら喜びそうな「現代東京奇譚集」は「サウダーデ」の外国ブラジル旅風が東京の夜の街風になっていてよく似た兄弟のような曲である。*村上春樹の「東京奇譚集」を意識したのかどうかはわからない。

  さらに見事なのは、「声にだして歌いたい日本の文学」という18分40秒の曲がある。中原中也の「汚れちまった悲しみは」、高村光太郎の「智恵子抄」、太宰治の「人間失格」、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、与謝野晶子も「乱れ髪」、小林多喜二の「蟹工船」、夏目漱石の「我輩は猫である」、最後に宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」。まあ、よくもこれだけの歌詞を覚えたものだと感心もするが、作者ごとに曲調変え、それぞれが独立して聞いてもいいくらいであり、楽しい。

 桑田佳祐の妙齢さを感じ始めるアルバムが「I love you.」deである。この頃はメッセージ性のある歌詞作りもする。

 この前、尾藤イサオの歌声を聞いた。73歳だそうな。昔のマンマ。顔はむくれてないし、髪は地毛でしっかりあるし、腹回りも少年そのもの。桑田佳祐も73歳ではバリバリに歌っていることだろう。

 彼のルックスと歌は年齢差というものを超越している。脱帽ってやつだ。


ぼくらは見ている

2017年08月25日 | 社会・経済・政治

 テレビ局は絶対に「加計問題」で圧力を受けているように思える。やっと愛媛県議会が加計問題、その見積り費用の奇妙さを論議し始めるまで、北朝鮮だの、神戸市の市議の政務調査費のことなどをやっていて、未だに昼の主婦がみる時間帯では扱わない。この同族会社が見積もった額によると、最後は獣医学部は加計側が一円もだすことなく、出来上がることになる。この不正がはっきりすれば、森友問題と同じの結末となる。つまり建築中の建物だけが残ることになり、安倍政権はひたすら逃げるだけの格好となる。恥知らずもいいとこだ。

 安倍という男は何を考えているのだろう。トランプにすりより、北朝鮮への対応だといって、武器を買わされる。

 再び、森友問題と加計問題は復活するだろう。検察も調査もあるが、再びテレビ局が騒ぎ始めるだろう。その時が、マスコミが安部政権をみ限った時だ。

 さあ、ひとつ政治の世界はステップアップしてほしい。日本の今と未来を同時に考えてほしい。


桑田佳祐2

2017年08月24日 | 音楽

  桑田佳祐のことにちょっと触れただけで、アクセス数がグンと増える。だからというえわけでもないが、もう少し桑田佳祐について書きたい。彼が作る歌にはちょっとエロナな歌詞もある。普通に歌詞内容がわかるような歌い方で歌えば、エロだとわかるが、歌詞がわからず、桑田が歌っていると、これはスペイン語なのかな、と聞き流してしまう。彼はちょっとしたお笑いを歌詞に入れたり、なんとか風、例えばクールファイブ風や、ザ。ピーナツ風だとか、弘田三枝子へのメッセージ風だとかの歌があり、彼のアルバムの楽しみのひとつでもある。

 高田みずえに作った「蒼いパリッシュ」という歌は素敵だ。中村雅俊に提供した「恋人も濡れる街角」も大ヒットした。ぼくは「蒼いパリッシュ」が好きで、以前はカラオケにもあったのだが、いつの間にかなくなってしまった。残念なことである。「若い広場」も朝ドラが始まって五ヶ月になろうとしているのに、まだ登場しない。「悪戯されて」はすでにカラオケにもあるし、「オアシスと果樹園」もあるというのに、どういうことなのだろう。

 ときどき暗い歌もある。「東京」は暗い悲しみと叫びでいっぱいである。

 昭和の一番よいときに生まれて育ち、大学でサークルを作りま、そのまま音楽の世界を駆け抜けている。成長、バブル、停滞、政権交代、極右政権誕生でアベノミクスまで、死の欠片に驚かされて、前へ、前へと進んでいる。

 月刊誌「PEN」は今月桑田佳祐をまるごと特集している。

 

 


桑田佳祐

2017年08月23日 | 音楽

 朝はいつものように、文を書き、昼からはこの夏3回目の草刈りをした。草刈り機のエンジンをかけるだけでゼイゼイと息が喘ぐ。2時からは高校野球を見て、若い世代は後術力も昔の者より優れているものだ、と思い、ついでに、顔もハンサムな少年が多い。

 よく目がトロンとしたアイドルグループ女子やモデルの女性をみることがある。体は動いているが目に力がないのである。聡明な人には目に輝きがある。今日の決勝戦では球児たちの目は集中力と真剣さで溢れていた。こういうのを見ていると気持ちがよい。メンバーは口ほどに物を言う、いうが、脳ともっとも直結で結び付いているのではないか。

 さて桑田佳祐の「がらくた」が今日発売である。買おうと思っている。明日は朝ドラの「ひよっこ」メンバーと「songs」で歌うらしい。クールファイブを真似たり、落語をやったり、歌声喫茶のような歌を作ったりとオマージュと昭和歌謡への親近感を思う存分出している。彼はすでに61歳である。男性ボーカリストでは一位と評価されている。いまの若い世代にも人気がある。一過性の歌手ではないのだ。ファン層の幅が大きく、そして長い。

 40年前の曲を口ずさんでも古く感じない。こんな風に音楽作りを徹底してやれるのはうらやましい。

 

 


三浦瑠麗の不思議

2017年08月22日 | 社会・経済・政治

 ようやくおちついたら、テレビは甲子園野球。別の番組では相変わらず、テレビコメンテーターが北朝鮮とアメリカのことを語り、ロシア、中国の動きを解説し、日本はどうするのか、と脅迫めいたことを言っている。小池都知事のアラ探しも始まり、加計問題が潜伏し、森友学園の籠池夫妻は再逮捕となった。

 森友問題では水増し請求が問題となっていつのに、加計問題ではべらぼうな工事見積り額による補助金詐取は問題に浮かび上がってこない。

 民進党の党首選でそれどころではないのが、野党の現状で、安倍昭恵は相変わらず能天気に国際政治学者三浦瑠麗と対談している。この頃「朝生」で論客として登場sじてきた三浦は安倍首相とも食事をしている。舛添も国際政治学者を名乗っていたが、知識よりも彼のケチ、器も小ささがやがて暴露されるようになった。三浦はこの先、政治学をどのように泳ぎ渡るのだろう。安倍昭恵と右派の雑誌「WILL 」で対談する意味などあるのだろうか。えてしてマスコミにでたがる政治学者は権力よくも貧しく高い。

 今、日本がしなければならない論議はこの国の未来のかたちである。どのくらいの人口減少に留めるのか。一億総活躍社会は正しいのか。教育の公平性をどう保つのか。未来の経済を支えるのに、何を教えなければならないか。永世中立国としての日本はあり得ないのか、などなどである。

 お盆中、東京大空襲をはじめ、日本各地に空襲をおこなっフィルムがアメリカで公開さたの見た。それはまさに映画などでみる比ではなく、よく生き残る人がいたものだ、と思うばかりであった。ウカウカしていると、日本も自衛隊への入隊員が減少し、徴兵などをすることにでもなったら、それはぼくの孫たちの世代であり得ることだ。

 今日はゆったりしているので、こんなことを考える。

 


友達帰る

2017年08月21日 | 日記

で、結局、三日めにまだ酒を飲まないうちにと思い、前の日に絶対酒を飲むな、と言っておき、彼のところに行ったら、また酒を飲んでいて早い昼寝をしていた。さらに15分ほど寝かせ、ようやく近況の報告交換をしたのだった。

 朝、アイナメとカサゴを三十匹ほど釣ったらしく、昼はそれをおかずにして食べるそうな。夕方からBBQをするので、僕もさざえを持って出かけた。すると、近くの川でハゼを釣ったらしくてんぷらにしていた。みなよく飲み、よく食べない。津から来た二人の女性も参加して、朝日屋の肉を食べたのだった。これは差し入れである。

 彼はまあ、なんと言っても口下手であり、酒好きであり、時々鋭いことを言うが、友達曰く、並列に人付き合いができないらしく、尾鷲時代はぼく、中国時代はKさん、東京時代はIさんとなるのだろうか。津時代の親友は38歳で死んでしまったそうだ。その妹がわざわざ津から駆けつけて差し入れをしてくれたのである。

 別段に小難しい話をするでもなく、ワイワイガヤガヤとぼくの苦手な宴会は十時まで続き、コテンと男性どもは寝てしまったのだった。

 みんなでぼくの顔でも見に行こうと彼が提案したのだった。それは嬉しいことだが、本当は酒飲んで、いっぱい議論したかったのであるが。そんなものはぼくだけの思いなのか、ワイワイガヤガヤと帰って行ったのだった。やれやれ、一騒動が終わったと言う感じがし、さすが四十代、五十代はパワフルではあると思い、中にいた六十代二人はうまく力を抜いているようだった。

連れで来ていた武田守弘の作品

 


友達2

2017年08月19日 | 日記

  東京から友達が車で仲間を連れてやってきた

 名古屋からの友達も友達も家族を連れて合流した。友達と近況を交換したかったので、翌日の昼にのんびり出かけた。すると、彼は昼間から酒を飲み、着いたころにはヘベレケに酔っぱらっていた。酒を飲んで、俺はエノモトジュンイチと話がしたくて来たんだ、叫ぶ。アホか。前の日に言っておけばよかった。昼飲まずに、待て、と。連れのものは相変わらずだと、苦笑いしていた。連れは彫刻家、新聞解説委員、絵本作家などだった。泥酔ではない酒で、みなと話ができれば、刺激もあることだろうと思うが、かれが邪魔をする。不埒な奴だ。酒癖の悪さは治っていないのだ。ああ、今夜来てぅれというがいけるものか。今夜は、明日絶対に昼酒を飲ませるな、と言っておき、その昼に近況を語り合い、夜、BBQ

に付き合うか。なんと面倒くさい男だ 

 岡田さんが魚介類を差し入れてくれて、友達の友達たちはたいそう旨かったと言っていた。こんなにぼくと彼のために気を使ってくれたのに、ザマがない。

 そうそう、かれは童話を書いたり、落語調の小話を書いている。中国内モンゴル訪問時も、人脈を大いに発揮し、同行までしてくれたのだった。ぼくが一番の盛りの時期に出会ったのだった。人生には紆余曲折がある。そして、徐々に老化もしていく。あれだけ酒を飲む力があるのも、昔と変わらない。飲み過ぎは確実に毒であるよ。酒は身を滅ぼすよ。


世話

2017年08月18日 | 日記

 金魚をまた死なせてしまって、原因がわからず困っている。元気に泳ぎ、餌を求めていた稀勢の里がこのところひとりぽっちで、水槽の底でじっとして動かない。餌を食べにも来ない。この前は高安がそうで、心配していたら翌朝ぽっかりと水槽の上に浮いていた。

 コメットと朱文金の白鵬を代表とするグループは活発で勢いがよくこちらの水槽ではまだ名前を付けていなかった一匹が他四匹にいじめられて死んだ。琉金は泳ぎがのろく、優雅であるが、どうもコメットと性質が違う。

 もっとこまめな世話が必要なのだろう。どうやら金魚はメダカよりもストレスに弱そうである。人間はストレスを受けると、脳に絶対入らないはずの免疫細胞が侵入し、脳神経に炎症が起こる。この炎症の指令が胃や心臓などの器官や組織に、つまり病を引き起こす。そういうことが科学的に実証されている。金魚も同じなのだろうか、と考える。水換えがいつも関門である。水つくりをしておいてから換えるのであるが温度とか、なんやかやあって、何かが抜け落ちているのかもしれない。

 雑草もまた茂ってきた。花の世話にマダカと金魚のケア。たいへんであることがわかってきた。

 


現在の趨勢

2017年08月17日 | 文学 思想

   町も普段の姿になった。車の数も道を歩く人の数も、店の客数も普段のようになった。明日から、東京の友達が八人を連れて、尾鷲にやってくる。そのうちの二人は知っているがあとの六人は知らない。夜はバーベキューとなるのだろう。

 どうやら彼らが帰るまで普段に戻らない。また友遠方より来る、である。積もった話をすることだろう。同じ同人誌の友人なので、そんなことが話になる。僕は一冊の本を販売するまでにこぎつけたから、そのノウハウを教えようなどと思っている。変わりゆく現在、そしてそのあとの未来に僕らは柔軟に対応していきたいものだと思っている。知り合いの弁護士はパソコンが使えない。仕事上、それがどれだけ不便で、客にとって厄介なものか。何度言っても、「わしはこれまでとおりのやり方でいいんだ。今さら帰るつもりはない」と頑固に主張する。写真一枚送るのだって、彼の場合、郵便で送ってくれ、となる。ちょっとした判例探しで、いいものが見つかっても、その資料を郵便で送ってくれ、とか直接100キロ先まで持ってきおてくれという。困ったものだが、彼はパソコンを習う気がないし、ようやく説得して替えさせたスマホも仕事に使う気がない。このようにして時代の趨勢に仕事のやり方が間に合わなくなっていく。弁護士とてそうである。

 出版界もその流れにある。売れそうな本しか出さない。リスクが大きいからだ。現在の日本の書籍流通制度はほぼ壊れかかっていると僕は思う。それはアマゾンの登場である。つまりは高速で大容量のPCやインターネットの普及による新しい事業の形態である。本を作りたかったら、自分で作って売ればいいのだ。出版社にリスクを背負わせることもない。同じ本を何度もトラックで運ぶこともない。売れなかった場合の磨き屋さんや倉庫も要らない。

 また編集者も要らない。どうして自分が書いたものを編集者の目を通さなければならないのか。彼らは売れるか売れないかを基本の判断にするはずだ。もちろん編集者によってより優れた作品となることも知っている。それならば独立した編集者がおればよい。

 とこんな風に業界が変わりつつある。書店での書籍販売は低下し続ける。売れる本が「良い本」だというわけではない。売れない本で「良い本」もある。売れない絵画がその後「良い絵画」になることもある。ゴッホがそうだ。若冲がそうだ。

 すでに津島佑子の「夜の光に追われて」は絶版になっている。あんな良い本が今は書店にはない。また再販されるという噂を聞くが、古本としてもあることを知るのはアマゾンである。

 ということで、僕はアマゾンで自作の本を販売してみようと試みた。これは大きな変化、これまでとは違う状況である。「どうやって知らしめるか」というマニュアル本までアマゾンで探せばすぐにわかる。

 たぶんこんなことを僕は友達に話題に出すだろう。みなマスコミの連中である。どんな反応をするのか、楽しみである。

 文学とは、書くということは「自己慰安」であると僕は思っている。それは売れる売れないという以前の大切な事であると思っている。 


友達

2017年08月15日 | 日記

 友達というのは相性があって、考えが違おうと知識の量が違おうと一緒にいて心地よく、なんの気がねも要らない人のことだ。

 遠いパリから訪ねてきた友達は高校生のときのままに姿を表し、一晩酒を飲み、翌日の朝、香港に行ってしまった。 

 互いに首の不調を訴え、後ろに頭をたおしても顔面が水平にならない。彼は首が原因で腕が痛いのだそうだ。ぼくも首の不調で筋肉の緩和薬を飲んでいる。

 彼は血圧が高く、尿酸値も高いという。ぼくはその点はほぼ正常である。彼には息子と娘がいて、すでに自立している。ヨーロッパで生まれ、育っただけあって、息子は日本語、フランス語、英語、中国語ができ、娘は日本語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語ができるそうだ。これだけの語学ができれば世界に支店などをもつ企業は雇うにもいいことだろう。

 彼はずっとフランス料理店で修業し、シェフとなった。息子は香港で働いていて、近く東京に転勤になるという。娘は日本の会社のイタリア支社で働いているという。

 夫婦、二人残ることになり、奥さんのご両親も高齢者で、今はまだ元気であるが、やがては介護も必要となるだろうから、最後はそうしてあげたい気持ちがあるようで、彼は体を動かしていないと何もすることがないと言って、日本にでも来ようかな、と思っている。どうせ日本で暮らすなら友達のいる尾鷲だと言う。小さな居抜きの店でも探してあげるから、6時-9時までは食事ができて、それ以降はバーになるような店でも作ってくれ、と僕は言い、そんなことも考えてみようと帰っていった。

 フランスでは67歳から年金が始まるそうで、ちょうど良い時期なのだろう。おい、姿勢が悪いど、と言ったら、あんんたもやで、と言われた。あれ、と驚き、反省しきりだったが、酒を相当飲んだ。

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夏休み

2017年08月14日 | 日記

 マクドナルド、コメダは連日超満員である。尾鷲北インターと尾鷲南インターをつなぐ国道42号線には日頃の2倍、倍というような車が走っている。国道沿いの店は稼ぎ時だろう。

 ぼくの住む港町では日頃といっこうに変わらない。津波を恐れて引っ越した家が空き家となって残っている。盆で帰省する人もガランとしたなかに埋もれていくように、気配が感じられない。子供たちで賑やかだったのは近所では若いうちに入るぼくの家だけかもしれない。

 日本も一ヶ月ほどの休みがとれればいいのに。ヨーロッパの先進国ではやっているのに、どうして日本ではできないもだろう。「働き方改革」はどこまでやるのだろう。そんなことを思いながら注文の順番待ちをマクドナルドでしていた。 

 人手が不足しているのか、注文を聞き、勘定をし、ドリンクを作り、補充類を補充し、トレイを拭きと、てきぱきと素早く元気に大活躍している店員の様子を見ているだけで楽しい。ああ、おれはあの動きはできないな、とも思うのは悔しいが、娘が子育てをするエネルギーもすごいと思ったし、総じて、「力」というものが減衰しているように思える。例えば、「眠る力」がそうだ。眠る力も昼の身体エネルギー消費に比例して、メラトニンが不足するのか、五時間経つと必ず目が醒める。そしてその後は浅い夢みがちの時間が続く。深く眠れそうな秋が待ち遠しくなる。今日でお盆も終わりである。

 

 


乗り物企画展

2017年08月12日 | 日記

 三重博物館で「乗り物大集合」という企画展があって孫tちを見送りがてら、この企画展をみた。三重県にある乗り物がパネルで紹介されていたり、制服や看板などの展示、伊勢鉄道のジオラマや実際のロープウェイがあったりする。2歳半の男子孫が日頃乗り物のオモチャが大好きで、「のぞみ」のオモチャを離さない。パネルヒーター展示よりも、ジオラマや古い電車の運転席であるとか、そんなものがもっとあるといいと思った。

 若い、子供連れの家族が多い。中にはぼくらのようなジジババが伴っている家族もいる。夏休みに子供をどこかに連れていってあげようという思いなのだろう。ほとほとおもったのだが、子供をもった親も相当なエネルギーがいる。ぼくもそんな時期があったのだろう。よく動物園とか、マジックショーなどに連れて行った。

 母親の世話は父親の何倍も重仕事で、エネルギーがいる。

 尾鷲~津の往き来と博物館でくたびれてしまって、ぼくはもうどうしようもない。

 くたびれて休んだ津駅2階のパン屋さんがコーヒーなどの飲み物もだしていて、「光サイフォン」で作っていた。久しぶりに美味しいコーヒーを飲んだ。これは嬉しい発見だった。光サイフォンかあ。