25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

フルメタルジャケット

2018年02月28日 | 映画
 自分の身体にほとほと嫌気がさす。中学を卒業してからもスポーツ少年を続けるべきだった。「嵐が丘」に出会わず、音楽クラブなど作らず、毎日体を動かす何かをしておくべきだった、などと人生の岐れ道で、一切スポーツは避けてきた。
 筋肉がゆるんでしまう病気ってあるのだろうか。
 それに心臓だけ寒いのはどういうわけだろう。
 
 昨日、無事に寝付いたと思って目が覚めた。3時だった。再び眠ろうと思っても、ぼくは秘密諜報員になっていて、北朝鮮の核弾頭に特に強力な磁石でできた名刺ほどの大きさのものを貼りつけるのが任務である。もうぼくのなかにはあるミサイル基地へ行き方もすっかりわかっている。核爆弾を無効化するのである。そんな話が次から次に現れて、脳は休んだ気持ちにならない。
 6時になって、だされた夜の食事半分も食べず、炭水化物は一切なかった。もしかして、と思い、バナナと野菜ジュースを飲んでみた。
 もう諜報員のぼくは出てこず、なんとなく眠ったのだろう。目が覚めたのは10時だった。今日中に体調を取り戻すぞ、決意し、夜は再度、スタンリーキューブリックの「フルメタルジャケット」を見て、脳は騒がしく、体は横になってという格好で過ごすつもりである。



人生って滑稽に見える

2018年02月27日 | 日記
気管支に炎症でもあるのか、よし、龍角散でも飲もうと買いに行った。すると薬局の店員は今一番売れてます、と「ダスモッグ」をすすめられた。同じようなものなのだろうとこれを買い、飲んでみた。すると胃腸が不快になった。歯肉炎も起こしつつあった。ハブラシで歯茎を毎日3度ほどブラッシングする。歯医者にいけば必ず「抜き取られる」結局また薬局にでかけて龍角散を買った。これはよく効いた。柔らかいものやお粥しか食べられなくなっていた。
 すると今度は本格的な風邪咳が出始めた。苦しいので、液体のシロップを飲む。これも胃腸にいいとは思えなかった。歯肉炎がおさまってきた。歯のぐらつきもしっかりしてきた。
 夜一人「ライアンの娘」のメイキングをみていた。もう寝ようと布団に入った。なぜか眠れなかった。
アイルランドの断崖や砂浜、砂浜を日傘をさして歩く女が浮かぶ。次から次へとメイキングの場面とその場面の意図が解説される。睡眠導入剤を飲むことにした。首の緊張をとるために、「コンスタン」という錠剤をのんでいたが、あまりがあったので、これも飲むか、コンスタン一錠をとったのだった。
 それでも眠れない。何にぼくの神経は興奮しているのだろう。
 トイレに行きたくなった。ここからがハチャメチャの始まりだった。布団にまず座れないのである。筋肉が働かないのである。びっくりしながらも、なんとか立ち上がって、階段を下らなければならない。
壁に手を当てて慎重にトイレに行った。するとでたオシッコはチョロチョロとしたものだった。尿道の筋肉も弛緩しているらしかった。そして翌日、突然下痢に襲われた。肛門の括約筋も弛緩している。止めようにも止められないのである。一人のときだったので、助かった。パンツやズボンをこっそり洗った。均整がとれず、車に乗ると物にぶつけた。これはいかん、と乗るのを一時止めた。キーボードを打つにも普段の三倍はかかる。
 気管支炎が始まりだった。やっぱり胃腸をやられていた。眠れなかったのはなぜなのか。脳のちょっとした興奮なのだろう。
 滑稽なものだ。

春が来た

2018年02月26日 | 日記
ハキハキと物を言う看護師さん。ちょっと言葉が重い人もいる。
気配りいっぱいの看護師さんもいる。ひょうきんお姉さんもいる。
 これまで尾鷲病院の看護師さんに不快な思いをもったことがない。
 情報が共有されるから時間ロスも案外少ない。
 
 今日は春の天気であった。梅がもすぐおわり、こんどは木蓮、桃と咲く。マイナス気温の時は日々が過ぎるのが遅いように思えたが、過ぎてみるとあっという間に春がくる。
 ぼくはやや忙しくなる。金魚の水かえがある。春から秋にかけての花の手入れがある。きっとメダカは赤ちゃんを産む。それに慌てることだろう。

 

名画 David Lean 監督

2018年02月24日 | 映画
 心に残る名作映画の著作権が切れてきたのか続々と安く販売されるようになった。アマゾンで、もしかして「ライアンの娘」と「チップス先生さようなら」を調べてみた。なんと700円台であるではないか。しかもメイキング付きである。それではと、「ドクトルジバゴ」も調べてみた。すると「アニバーサリー版で登場していた。すふに買うことにした。今日3つとも配送されてきた。送料は無料だった。どうなっているのか知らないがお得感がある。「ライアンの娘」では美しいアイルランドの海岸や森の中の風景が思い出される。動く絵画をみているようであった。
 
 自分のなかで今日までみてきた映画のなかで、なんどもみる映画がある。

 ドクトルジバゴ
 ゴッドファーザー 1ー3
 007シリーズ
 インディジョーンズ 魔宮の伝説
 砂の器
 ディアハンター
 激突
 Kill Bill
 イングリッシュ ペイシャント
 シェルタリング スカイ

 をなんども見る。そしてなんども不思議さを感じる。忘れていたセリフ、シーンがあることにも気づく。こんなところに伏線があったのか、ああこれは予兆を表すシーンだったのかと気づく。
 これに、「ライアンの娘」と「チップス先生さようなら」が加わることになる。
 スピルバーグは新作映画を作る前には必ず「ドクトルジバゴ」「ライアンの娘」「アラビアのロレンス」を観るという。どれほどイギリス人監督の Devid Leanは優秀だったのだろうと思う。
 ネットで検索するとDevid Lean監督作品のランキングがある。キャサリンへプパーンが主演した「旅情」も東洋の端にいるぼくにはヨーロッパの町並みと旅の途中で知り合った男性への恋心を巧みに美しく表現していた。「戦場にかける橋」もリストにあった。
1950年代初期の作品も一覧されていた。DVDになってほしい。もしかしてあるのかも知れないと思い、またアマゾンで検索してみよう。





起業ってどういうことだ?

2018年02月23日 | 社会・経済・政治
政府が「いけいけドン」で音頭をとって第四次産業革命(純粋機械化経済)に導こうと予算500億円つけるらしい。ぼくに言わせればたかだか500万円かよ、と思うが、予算をつけるよりも制度の改革がなければ第三次産業革命と後にいわれた1995年あたりと同じ失敗を繰り返すだろう。日本は世界的な汎用性をもつプラットフォーム事業を立ちあげることができなかった。プラットフォームというのは世界的に共通して使用できるインターネット上の土台である。ソフトではマイクロソフト社、アップル社、ハードではインテルなどがあり、グーグル、フェイスブック、アマゾンもほぼ汎用性があるため、独自のプラットフォームをもつと言えるとだろう。ここから生じることは大きく、多種多様にわたった。スマホやタブレットができた。それを使うアプリが発達した。パーソナルコンピュータが小型化してして、大容量化していき、スマホと同期するようになり、あらゆる産業の分野でパソコンは欠かせられないものとなった。これを牽引したのはアメリカである。
 ぼくは1995年の革命のさ中に事業をしていた。英語学習がやりやすくなる教材をCDR化し、各出版社の英語教材のテープを自動的にチャプター、トラック、インデックス、サブインデックスと分けていくソフトの開発に挑戦したのだった。これができれば、同じ分は何度でも繰り返して聴け、一文一文、前後に勧められ、通しでも聞け、必要あれば一文の訳や解説、スローで聴ける、そんな夢のような教材に世界の語学教材を変えたかったのである。これはまた不振であえぐ音楽CD業界にも光明のはずだった。CDは封がされているため、知っているものしか選べず、試聴盤も限られている。大方は「これはよさそうだ」という勘で購入するのである。そんなばかなことがあるか、ぼくらが開発した技術を使えば、各店は聴けるCDカタログができるはずだと思った。
 世界各国にこの技術を説いてまわった。まだテープが主流だった。
 ぼくらのソフトか完成し、ハードウエアはソニーだった。ソニーのハードに欠陥があることがわかった。ここが大きな分岐点だった。ぼくらの資力はもたなかった。ソニーは逃げてしまった。

 政府は「創造的技術に関する促進法」を作り、新技術を認定した。政府が音頭をとって1995年前にベンチャー企業を興せと旗を振ったのである。証券会社はやる気一杯だったが銀行はそれどころではなかった。金融危機と金融の自由化が起きていたのだ。銀行などは政府の方針に渋々付き合ったのだった。
 一度頓挫すると二度目の支援策はなかった。債権もさっさと債権回収会社に売られた。そのスピードは驚くばかりだった。当時の多くの起業家は頓挫した。たとえば三重県内で今のドローンと同じようなものを作った会社も頓挫した。

 銀行は相変わらず、融資には「不動産担保」「連帯保証人」を求める。事業と関係のないものに連帯保証を求めなければならない。妻とか友人とかお金持ちの知り合いだとかである。
 債務ができなくなれば、すべてを整理した上で、「破産」となるのだが、破産に至るまでには「連帯保証人」にも迷惑をかけることになる。もしかして連帯保証人の人生を変えてしまうことになる。

 それを避けるには破産を逃れるしかない。ぼくは破産しない道を選んだ。借金について交渉して安く買い取り、無視するものは無視し、払うべきところには払う、という道は茨の道で艱難辛苦であった。
 当然ブラックリストに載る。カードは発行してもらえない、ETCは使えない。あらゆるローンは使えない。
 日本で失敗するということはそういうことなのだ。今、平気で政府のIT起業を推進する政治家も、学者も何もわかっていない。調子こいて、やれやれ、と言っている。でないと次の産業革命に乗っていけない、と主張する。
 アメリカは二度、三度と失敗してもまた出直すことができる。日本はほぼできない。ベネッセの先代のように出直して成功した人もいるが、それはまだ経済成長をしていた頃だからできたのだ。
 起業を呼び掛けるのであれば、担保、保証人、失敗しても次へと勧められる制度的環境が必要である。それが全くできていないのに、よくも「やれやれ」と言えるものだとぼくはあきれている。

 これは政治の政策である。第四次産業革命というわりに予算規模が小さく、相変わらず経済効果のない一時しにぎの公共事業にお金を使い、起業の環境を整えない。

 これでは結局小さなことしかできず、敗れる者は去り、また台頭する者が出て来て、また沈没する。
 ソニーもインターネットへの関心が幹部にあれば iphoneのようなものが作れたはずだ。日本のどの起業もプラットフォームを作れなかった。1995年以降経済は停滞した。ソニーもパナソニックもシャープも富士通やNECもリストラで凌いだ始末だ。輸出産業は政権の支援で維持しているという風だ。
 今度は AI、IoT、ナノテクノロジー、ロボット・・・。
 日本は相変わらずなのか、進むのか、ぼくは上の方から見ている。すると学者の一人が80歳になっても上場は可能です、とか言っている。こいつアホか、と思うのである。こういうのをお調子者というのである。責任持たない煽動家と言ってもよい。

働き過ぎ

2018年02月22日 | 社会・経済・政治
 日本人の多くは働き過ぎだと思う。これはどういうことだろう。僕の知る限りの30代、40代の男性
は残業が多く、なかには寝る暇を惜しむように働いている人もいる。なぜ、そこまでして、と思うが、雇われたことのなぼくにはわからない。
 一ヶ月の休暇くらい国民がみな取ればいいのに。フランスでできていることが日本でできないはずがない。
 ある会社の男性社員に「身体について」を講習したことがある。ほとんど全員が普通の健康な体ではなかった。腹が張り、緊張しているもの、姿勢がゆがみ、凝りを起こしているもの、肝臓が弱っていつもの、驚いたものだった。彼らが家に帰るのは夜中の12時くらいで、朝は8時から出勤していた。上場もしそうになく、社員持ち株やストックオプションもない会社だった。
 こんなに疲れているのか、というのがその時の印象であった。
 ブラック企業、ブラック会社という言葉が使われ始めてから十年くらいになるのではないか。ぼくは福岡の男に、よくよくそんな会社はやめてしまえ、と説得したことがある。レストランなどをたっている会社で、社長はカリスマ的だった。彼は社長を尊敬し、教祖様のように思っているところがあった。そんなあほらしいブラック会社に執着せずに、さっさとに自分で起業しろ、と何度も 説得した。彼も奥さんと話し合ったろう。彼は起業した。
 バリ島などは労働時間はきちんと守られる。残業というものがない。急いで働かない。そりゃあ、日本のように便利な道具、機具はないし、遊ぶ場所もないが、ぼくには豊かに見える。経済成長はしてほしいだろうが、日本のような必死さはない。
 ある種のワークシェアリングができている。

 とにかく、日本の働き人は会社に縛られ、労働過重である。変だ。 

やっぱり初期の007は面白い

2018年02月21日 | 映画
アクション映画をレンタルしてきて、毎日のように年代を追って見ている。アメリカやイギリスのもの、スエーデン物、フランス物であるが日本、中国、韓国のアクション物は見ていない。
 旧スビエトを敵とした時代から、テロリストや情報通信が乗っ取られる内容に全体的に変化はしている。個人の俳優のアクション技術は相当進化しているが、年を追って、アクション映画はユーモアや洒落っ気がなくなりつつある。
 それを代表するのが「007シリーズ」である。ショーンコネリーやロジャームーアまでは悪戯っぽいシーンも多くあった。逃げる隙に、わざわざ目に飛び込んだチョコレートを持っていくシーンでクスッと笑ってしまうことが一本の映画に何度もあった。最近の「007」も、他のアクション映画も映像にユーモアはなくなり、カーチェース、格闘、爆発、時限装置を使った緊張の連続であり、暗くなった。アメリカ映画などはセリフでふざけたことを言うだけである。
 で、やっぱり「007」のショーンコネリー、ロジャームーアまでが明るく楽しい。ジェイソン・ステイサムの「トランスポーター」や「メカニクス」、やリーアン・ニーソンのそれぞれのアクション作品も面白いのだが、映画全体に豪華さというかお洒落感がない。
 「007」では行ったこともないリゾートホテルや街中などの風景が出て来る、必ずと言っていいほど豪華ホテルが出て来る。そこへ女が次々と出て来る。危機のとき、とっさの判断でその辺にあるものを使って脱出する手口もいろいろである。それに諜報部から与えられた武器も面白い。
 昨日は「エンド オブ キングダム」を観た。イギリスの首相が死に、その葬儀に世界各国の首脳が集まる機会をとらえて、ロンドンがテロリストによって破壊され、一部首脳は殺され、アメリカ大統領も執拗に狙い追われるという映画だが、ジョークのひとつもない深刻な世情を表した映画だった。情報が乗っ取られるとこれほど危ないものか、と切に訴えているようだった。あれよあれよ、と見てしまうのだが、映画を楽しむのは「007」の方がよい。冒険アドベンチャーではやはり「インディージョーンズ」が優れている。この映画にもユーモアがあった。
 スパイ物で「007」は先駆けとなり、冒険アドベンチャアでは「インディジョーンズ」が先駆けとなってその後の映画のパターンとなったような気がする。あとは過激になっていくだけである。

 クリントイーシトウッドの映画はまた一味違う。たぶん「007」などの目指すものと違うのだ。クリントイーストウッドは面白ければいい、という映画を作らない。監督の心理やこだわりが作品に刻まれている。
 SFではやはり「ターミネーター」と「エイリアン」が先駆けなのだろう。
 総じて映画もアクション、冒険、SFなど総合化しつつある。
 

初任給40万円

2018年02月19日 | 社会・経済・政治
 歯肉が痛くて、翌日は絶対に歯医者さんへ、と思っていた。ところがよく睡眠をとったせいか、軟膏が効いたせいかはわからないが、痛みと腫れがひき、とたんに歯医者さんにいくのをためらっていまい、そして今日とうとう行くのを止めた。できるだけ行きたくない、という感情の方が勝ってしまった。たんに先延ばしであることはわかっている。しかし免疫力さえ落とさなければまだ耐えられるのではないかという気分になっている。
 当分固いものを食べるは避け、なんとか頑張ろう。

 このストレスともお別れしたいものだが、多くの人が通りすぎる道の穴ボコなのだろう。
 そんな中、ネットのニュースで、中国のファーエイ社が日本での会社設立時に初任給40万円でITエンジニアを募集するという。中国本社での初任給は80万円ほどだという。この80万円は世界の標準的なレベルでアメリカでもインドがもっと上をいく。
 で、日本は初任給は約20万円だという。これはひどい。自らの理由もあるだろう。日本が世界のプラットホームを握れないのは英語ができないことが大きい。IT企業のエンジニアでも、やがてマネージングをやっていくことになると英語力が必要になる。次には日本の横並びの慣習である。卒業による一括採用で初任給さほど差はない。

 こんなニュースを見て、1995年に始まった第三次産業革命が起こったとき、ぼくはその最中にいて、最先端にいた。アメリカで始まったIT革命に乗ることができなかった。OSはマイクロソフトやマックに牛耳られ、検索エンジンはgoogle Yahooに独占された。通信販売はアマゾンが本とCDから始まり商品数を増やして行った。スマートフォントやタブレットの開発もアメリカであった。かつてソニーのような会社が発明するようなものだったのが、日本ではできなかった。ぼくらのような創造的技術をもつ会社に、救いの手はなかった。金融の世界が自由化に伴って大混乱で、政府のいうことなどお付き合いで一回だけ、あとは知らない、という様だった。

 やがてソニーもパナソニックも没落しNTTの携帯も世界に通用していくものではなかった。経済の停滞が長く、いまも続いている。借金だけが増えているという状況である。

 初任給 20万円では第四次産業革命、純粋機械化経済に立ち向かえるのだろうか。中国は自国の人口を武器にしてまっしぐらにキャッシュレス社会、EV自動車、超高速チューブリニア車で一帯一路政策を進めている。

 日本にはお金がない。お金がないのに、現政権は外国にいくとお金をばらまいて帰ってくる。外によい格好し、実は相当に内向きな政権のうしろに内向き、閉鎖的な国民の姿が浮かぶ。





 

小平選手の筋肉の鍛練

2018年02月19日 | 日記
 昨夜の小平選手のスタートで、ちょっと体が揺れたので、驚いた。Ready.からドンの音までいつもより長い気がした。フライイングか、と思ったが、そのまま小平は突っ走ってしまった。
 郷選手も韓国の金メダル選手よい勝負をし、ミスを誘った。これは小平にとっては大きな助っ人だっただろう。
 
 筋肉のことを考えてみる。細部にわたって身体にある筋肉はよく使うところが維持されるか、強化されるのだろうが、使わない筋肉は20歳も過ぎれば弱っていくばかりである。中学生の頃にできていた動きができないのは使っていた筋肉が衰えたからだと思う。しかし、その筋肉が消失したわけではない。細くなって眠っているはずだ。すべての筋肉は連動しているはずだから、どの筋肉が使われていないか、そんな筋肉のことを小平は相当研究し、鍛練したのではないかと思う。
 大腰筋は黒人と日本人とでは遺伝子的太さが違うという。ぼくら、普通の人間はそれでもいいのだが、陸上をする人は意識してその部分を鍛えなければならない。前に進むハムストリングもそうなのだろう。そして大腰筋と連動する腸腰筋や腸骨筋、臀筋各種などなどの助っ人も目には見えないが活躍しているのだろう。
 ぼくはもう懸垂などはできない。金肉が働かないのだ。布団から手を使わずに起き上がることもできなくなって、最近スクワットをしているせいなのか、再び起き上がることができるようになった。
 一流の選手はきっと細部の筋肉をも強化、調整するのだろう。
 ラージヒルのジャンプをみていて、ああいうものに筋肉がいるのだろうか、と思うが、ジャンプ中においていろいろな筋肉を働かせているのだろう。それが見えないのが残念である。一度、そんな解説を図入りで解説してほしいものだ。
 

  

オリンピックの陰で

2018年02月17日 | 社会・経済・政治
 6、7年前の羽生結弦の登場で男子フィギュアはとんでもないレベルの世界に行ってしまった。現役の選手もあとに続く選手もどんな練習をすればよいのかさぞかしわからないことだろう。そう思ったのは前回のソチオリンピック大会や世界選手権のときだった。300点台がでたことにびっくりしたことをおぼえている。このピョンチャンでは300点台が三人もでた。もう一人アメリカのM・チェンがフリショートでは転倒ばかりの散々であったがフリーでは完璧だった。この選手も300点台の選手と言えるだろう。この4年間で羽生に続く選手が3人出てきたことになる。人間の身体能力はどこまで伸びるのだろうと半分あきれてしまう。
 毎日どのニュースを見てもショートの羽生と宇野、フェルナンデスの映像が出てくる。今日もきっとそうだろうと思う。

 オリンピックの陰で、日銀の黒田総裁の再任と副総裁2人が発表されている。安倍政権は莫大な危険を振り切り、3年の任期で逃げ切ろうと思っているのではないかと疑いたくなる。安倍政権が終わったあとの政権は大変である。もっと大変なのは黒田総裁である。安倍首相が退場してもまだ任期がある。ハイパーインフレを起こさないために、打てる手はひどく限られ、ちょっとした総裁の発言が憶測を呼び、日銀は投資家の監視下にある。

 もうひとつオリンピックの陰で大きく扱われないのが「納税一揆」デモである。記録を廃棄したと嘘の証言をした佐川元理財局長が税務庁長官に昇進した。さぞかし税務署の職員も仕事がやりにくいことだろう。多くの人が通帳や領収証を見せろ、といわれても容易には提出しないだろう。

 歯が痛くて物が噛めない。明日はまだ日曜日なので歯医者さんにもいけない。お粥をすすっている始末である。老人的超越とは歯の問題も、目や、耳の問題を越えて現れるのだろうからこのストレスに打ち勝たなければならない。

 

技術的失業

2018年02月16日 | 文学 思想
 母がまた転倒して、今度は手首を折った。深い傷口のある骨折だったので骨髄炎にならなよう洗浄をして、外側から橋をかけるように固定する手術をした。一週間ほど様子を見て、再度手術をする予定である。1ヶ月以上の入院になりそうである。また下肢の筋肉が衰える。
 交通事故以来、5年間様子をみてきたので、ぼくには裁判やら、介護のことやらの知識が増えた。
 今回のことも交通事故からの弱りが影響していると思う。もちろん加齢もある。
 母はどのように弱っていくか、長く健康を保つには何に注意しなければならないかもわかる。息子たちもこの様子を見ておいてくれればよいが、他所にいるから、この変化はわからず、しかも祖母のことで、実母よりは遠い存在だから、心配度は薄い。
 しかしながら、ぼくが妻よりも先に死に、妻が残された場合、ぼくがどのように母の介護をしていたか見ていないだけに、言葉でしっかり伝えておこうと思う。
 今日は病院に六時間もいることになったので、その間、医師からの説明や看護士の方々と話をしたので、病院という組織で働くネットワークのようなものの中で居心地よくいることができた。おそらく病院の応対サービスの技術や意識は昔よりも質が上がっているのだろう。
 未だに電子カルテを使えない病院がある。事故などでカルテを提出しなければならないことも起きるだろう。それは被害者にとって不便なことだ。
 尾鷲病院は映像やデータが共有化されている。指示は的確に必要な人や部所に伝えらる。

 この病院は個人的な用語として使う技術的失業はないように思える。技術の進歩によって電話交換手が要らなくなる。これを技術的失業と呼ぶ。とりあえずパソコンが使えないというのは技術的失業であり、特化型AIがさらに進歩すれば多くの職種に技術的失業が起こる。
 話はまったく逸れてしまったが、そんなことを思いつつ、組織内の人々が働いている姿を見ながら病院内にいたのだった。
 

安井かずみと岩谷時子を紹介した番組を見た

2018年02月15日 | 音楽 ポップス
 昭和14年生まれの作詞家安井かずみと大正5年生まれの岩谷時子を紹介した番組を見た。女性の作詞家でともにヒット曲に恵まれた。共通しているのは外国の曲を日本語歌詞にするのが出発だったことだ。
 彼女らが作る歌詞は古さを感じさせなかった。いまでも十分に通用する歌詞である。
 安井かずみは生き方も派手で、ファッショナブルで最高級なものや才能を求めた。煙草を吸い、酒を飲み、六本木で遊ぶことも好きなようだった。八歳下の加藤和彦という作曲家とついには再婚して、完全な結婚生活を目指したという。肺ガンだとわかり、加藤は一年間の仕事を取り止め看病にあtたった。裕次郎やひばりのように凝縮して、あるいは短縮して人生を駆け抜けたように思える。いつまでも美しくありたい、一流のものに触っておりたいといような美的感覚に支配されていたのだろうか。どんなに注文がきても、時間は守り、最後にはきちんと清書して手渡していたというから、き真面目で、結婚生活すら本にしてしまう異常さがあった(とぼくは思う)

 あれだけ完璧な結婚生活を送り、対外には旦那をたて、内では夫のうえに君臨していたらしい。
 夫の加藤和彦はなんでもこなす器用人だったが、安井かずみが死んでから一年ほどで日本人オペラ歌手と結婚し、やがて離婚し、そして自死に至っている。

 一方の岩谷時子は宝塚からも乞われ、腰地吹雪のマネージャーとなり、越路吹雪が独立してからも、マネージャーを辞めなかった。マネージャーをしながら次々と世に残るような歌詞を書いた。ファッションはあきれるほどに安井かずみとは対照的で、地味そのもので、眼鏡も外さなかった。越路が55歳、胃ガンで死ぬまでマネージャーを続けた。唯一無二の愛する越路が結婚してから、岩谷の理性は、親友のプライバシーには踏み込まないという姿勢をとったという。
 そしてやがて本田美奈子を見いだし、本田は成長するが、残念にも若くして死んでしまった。
 岩谷時子はいつも客観的に、人との距離も感情的にならず、べったりともせずほどよい距離で越路や本田、加山雄三などを見ていたのだろう、とぼくは推測する。夜遊びもしなかったようである。
 彼女は97歳まで生きた。これは自身の体力のこともあるが、人との関係の取り方が上手かったのが一番の要因ではないかと思う。
 英語とフランス語ができた二人はネタを探すにも事かかなかったことだろう。おそらく濾過する力量があったのではないかと思う。
 それにしても、明暗のように、表と裏のように感情の突っ込み方の違う二人を題材にしたこの番組は面白かった。安井壮絶さと岩谷の愛と哀しみをよく表していた。

新幹線は高すぎる

2018年02月14日 | 社会・経済・政治
 日本の鉄道交通料金の高さにはずいぶんと前からあきれている。実質収入が下がっている中で、またこれから消費税も上がるという中で、新幹線がこうもバカ高いと移動するもが不自由極まりない。日本政府は消費力を上げ、経済成長を重視しているのに、移動の貧困さをほおっておくというのはアベノミクスに反するのではないかと思う。
 尾鷲から東京往復で3万円かかる。名古屋ー東京で片道11000円円である。これでは一家四人で里帰りをするとい場合でも、尾鷲出身のものはいずれ大人2人、こども料金、もしくは学割料金となり、それでも1回の往復で10万円以上になる。
 JR 独占をやめさせ、民間にもレール使用をさせて競争させるか、政府が補助を出すかしかないだろう。おそらくレールを自由化して民間にも割り当てることが可能なシステムプログラムなどはいとも簡単にできるだろう。られたら、航空会社は前売りから、キャンセル料まで、微細に予約システムを作っている。
 公共のためのお金は堤防や波消しブロックよりも経済効果は大きい。
 高速道路の無料化には拍手を送ったものだったが、無念にも震災復興で頓挫してしまった。そしてまた堤防が作られ、高台の整地が行われる始末となった。
 規制緩和、特区と言って経済成長をさせようとするのに、一方でブレーキをかける。どうしたいんだい、と言いたくなる。
 それで物価上昇率は達成できず、実質賃金が下がっているというのに、雇用がいい、株価はいい、と自慢気に安倍首相は言っている。異次元緩和を続けている間に、打つべき手はうっておかないといけない。とんだ貧困国になってしまう。アメリカでアップルやマイクロソフト、GoogleやAmazonが生まれたように、日本も次の時代をにらんだ産業の育成が必要である。その基本は自由で安い交通である。基盤なのだ。
 花粉を撒き散らす森林にお金を使うよりは交通に使ってほしい。
 
 

カミロ、家入、あいみょん

2018年02月13日 | 音楽 ポップス
 どうやら一番寒い時期は過ぎたようでこれから三寒四温の調子で季節は移っていくのだろう。金魚もメダカも無事にじっとして冬眠している。この二月、岸壁などでは魚が釣れないはずだ。金魚をみていてわかる。代謝しないため、餌を食べない。ごく当たり前のことだが、それは多くの海の魚も同様だろう。
 
 カミロの歌を車用にとCDにして、ついでにスマホのSDに同期させた。スマホのSDに入っている音楽を編集することもした。もう不要かなと思ったものは削除した。
 セサリア・エボラという西アフリカの島出身の歌手のアルバムを運よく、リスボンのミュージックショップで手に入れた時の感動をよくおぼえている。デビューしたての頃だった。彼女はあっというまに世界の歌手となった。クリントン大統領に招かれたというニュースを見た時は驚き、バリ島のバーで彼女の歌がかかっていたのにも喜んだ。モルナというジャンルの歌を彼女は歌った。日本ではこのリズムを聞いたことがない。
 
 まだ二十歳のカミロも独特のリズムを作っている。打楽器と男性コーラスがバックの音楽として曲を揺れるように支えている。気持ちがよい。J-Popはあまりにもお粗末だと思ってきた。そのとたん、二日続けて「あれ、これは」と想った歌手がいた。日本のシンガーソングライター家入レオ。
 次の日、あいみょんという歌手。ああ、歌はAKBだのなんだのではなく、ちゃんと出てくる者がいるのだと思ったのだった。CDを買おうかとも思ったのだった。あいにく一曲しか聞いていないので、なんとも言えないのだが、歌心のある曲を作っていた。メロディーも平坦ではなく、美しかった。歌手としての質も高かった。
 
 オリンピックで活躍する若者の曲芸的な技と天候の運、不運にいろいろ思いながらも、スポーツ競技としてジャンプやスノーボードはオリンピック競技として成り立つのだろうかと思う。2040年問題もしなやかに乗り切るのはこの十代の世代である。やっと日本からも新しい歌手がでてきた、という勘が十分働いている自分にもまだ感覚が鈍化していないと思ったのだった。