25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ギリシャのことから

2015年06月30日 | 社会・経済・政治
ギリシャの「ひらきなおり」はおもしろい。ギリシャ国債の12兆円をドイツの個人個人がもっているというから、ドイツは国民のその国債を税金で買った。ギリシャは42兆円の借金があるというから、踏み倒してしまい、ユーロから離脱すれば、ギリシャ人が国債をもっているわけではないのだから、踏み倒しても自分たちは傷まない、という論法である。そういう政権をギリシャ人は選んだし、その政権は「踏み倒すか踏み倒さないか」の国民投票を7月5日にするという。公務員が25%いて、給料が民間社員の3倍、最低年金は日本の約2倍強。どんな国だと言いたくなるが、日本の1000兆円を超える借金から見れば小さなものだ。

 日本は国民から銀行がお金を集めて、銀行が国債を買っている。この頃は警戒心もでて、国債の引受を渋るようになり、日銀が直接に国債を買い、異次元の金融緩和を行っている。物価が上がれば、借金の実質価値も減り、税収も増えるという論理である。
 日本が立ち行かなるときは、借金の返済ができなくなったときで、それは国民の貯金を没収せざるを得ないか、マイナス金利などを導入して、消費をさせにさせることを続けるかであろうが、このままでいくと、2030年代で、貯蓄と借金がトントンとなる勘定だ。外国から国債を買ってもらっていないから、日本は大丈夫だ、と言っているが、国民の貯蓄を担保にしているわけだから、被害を被るのは国民である。ギリシャとはまるで逆のパターンである。

 僕らは高みの見物といったところである。
 借金まみれの状態で、2500億円もする新国立競技場をつくるというのも、オリンピックをするというのも、呑気なギリシャ人とあまりかわりはないし、こういうことは個人の生活でも同じで、大きな借金は債権回収会社に売られ、小さな借金はしつこくとりたてるというのと同じだ。

 それにこういう公共の建築物を建てるときなどは自分のお金ではないから、政治家も審査員も呑気なものだ。税金というのは、その意味ではかき集めたもので、自分の所有ではない。使い方は政治家が決めるのである。

 民法には「個人破産」というのがあるから、お金で死ぬことはない。
 しかし、困窮して、一家心中してしまうというニュースは未だにある。僕はこれをいつも不思議だ、と思う。心中をリードするのは親のうちのどちらかなのだろうが、借金まみれでとりのこされた子供を不憫に思うのだろうか。子供は何とかして生きていくものなのに。やがて、成長したら、たいへんな社会貢献をする人になるかもしれない。生きる権利を殺してしまう、ということをあえてやってしまう。

 人間なんて、生きていて、社会に入っていけば、なんらかの縁があって、やってけるようになっているのだ。
 ギリシャだって、出稼ぎもするだろうし、なんとかしてやっていくことだろう。まさかソマリアのようにはならないだろう。古代ギリシャ文明の発祥の地である。その遺跡観光でやってきたが底をついた。我慢なら人間は長い間、何万年と我慢してきた。
 そういえば、30年前の村上春樹の「遠い太鼓」を読めば、いずれこうなるであろうことがわかるような気がした。

片岡球子展など

2015年06月29日 | 旅行
 気が変わって、尾鷲に帰らず、名古屋でのんびりした。愛知県立美術館で片岡球子の絵画展があったからである。じっくりと近くで見たり、遠くでみたりした。ゲテモノと言われた初期の頃の絵がだんだんと精密になっていき、片岡球子の絵がゲタモノを突き破っていく様がよくわかった。50代後半からはひとつひとつの絵がしっかりと強烈に観る者にわきあがっては描かずにおれない魂と、究極「富士山がもういいよ」と言うまで富士にのこだわった姿勢もよくわかる。山を描くのもすだが、海もそうだし、面構もそうである。片岡球子の絵葉書を見ると、まさに色とりどりの美しさがかえって目立つ。彼女は103歳まで生きた。

 カフェに入り、道ゆく人を眺めているだけでも飽きない。
 タワーレコードにも行った。すると過去のジャズの名盤はCD4枚組みになって格安で特別セールをやっていた。これはありがたかった。みんな買ってしまいたいような衝動もあったが、抑制し、「バド パウエル」だけを買った。シューマンのピアノ五重奏曲も欲しかった。「コラ・ジャズバンド」の「バック・トゥ・アフリカ」という変幻自在なアンサンブルをなすという現代のミュージシャンのも欲しかった。
 午後から仕事をし、夜は居酒屋で飲み、そのまま近くにあるスウィングというジャズバーに仲間と流れ込んだ。すると、第一曲目はキャロルキングの僕の大好きな「You've got a friend を30代ぐらいの女性歌手が歌っていた。黒人のサキソフォンプレイヤー0飛び入りなどもあり、楽しんだが、タバコも吸えず、みな行儀がよく、あまりおいしいウイスキーはおいてなく、そういうのは不満であった。

 久しぶりの一人のんびりした。
 

視野

2015年06月27日 | 社会・経済・政治
 名古屋に来た。眼科医で知り合いでもある静岡の石川先生に、視野についてお話を聞いた。
 関心は視野の老化があるのか、あればそれに抗う手だてがあるのか、どうかだった。
 彼の解答は、視野をキープする方法はない。視野が狭くなるのは、
緑内障などの病気が考えられる。白内障でもあり得るし、脳の病気でもあり得るということだった。緑内障を完治できる治療法はまだないらしい。驚いたことには、自分が緑内障であると自覚し、眼圧をさげる目薬などをしているひとは、500万人中のわずか20%で、80%の人は治療をしていないのだそうだ。
 高齢者の視野検査をテレビで見た。視野検査をしてみると、多くの高齢者はびっくりしていた。自分の視野の狭さを知ったからだ。これはどういうことなのか、専門家に聞いてみたかったのである。
 警察では、視力の検査はあっても、視野の検査はない。反射神経もにぶり、なんらかの、原因による視野狭窄がある高齢者の車運転は危ない。殺しもするし、殺されもする。
 アンチエイジングが、大流行の中で、視野についてのアンチエイジング方法がないというのも、事実なのかもしれないが、なにか方法があるのではないか、と思ったりする。
 2012年7月の奈良市での交通事故の裁判が行われた。運転していた被告は網膜色素変性症に罹患していたものの、自分がその病気であることを知らなかったため、横断していた男性を発見できず事故は避けられなかったとの理由で、死亡事故にもかかわらず、無罪判決が出されたのである。
 僕の母の事故では加害者は糖尿病だった。事故日の翌日はインスリン注射の日だった。ぼくは事故日の日、加害者がバンソコウを肘やなどにいくつか貼ってあるのをみて、どうしたのかときいたら、フラフラして、転けたり、打ったりした、と言った。
 母をはねた時の彼の目薬は健常のものではないとおもったが、結局、糖尿病患者の運転は、事故の刑事裁判では、なんら関知されるものでもなかった。
 僕は本当はこういう人は運転してはならないと思う。

 石川先生はパソコンで、静止画も手術の動画も丁寧に見せてくれ、解説してくれた。
 水晶体の前にある筋肉(名前を忘れたので今は失礼して、後に加えます)は自律神経が司っているので、自分の意思で動かせないのだそうだ。この筋肉を我が意思で鍛えることはできないということなのだ。つまり目の老化は免れないのだ。鮭のように、食の相から性の相を終えると生を全うするようになっていない人間は、動物で最も大事な目と歯がを失っていってもなおも生きる。いかにも植物系に戻るようにして死んでいく。

 この目の世界にちょっと入るだけで、原因が未知の世界なのだ。

 
 

ビーチボーイズ

2015年06月27日 | 音楽
「The Beach boys」という1961年に結成されたバンドの歌と曲を初めて興味をもって聴いた。サーフィンロックと言えばいいのか、まあ、ロックンロールなのだろうけど、ハーモニーをつけて歌うグループサウンドである。「The Beatles」が1960年の発足だから1年後ということになる。ビーチボーイズはカリフォルニアを拠点として活動した。これまで売れに売れていたビーチボーイズの作曲・作詞はほぼブライアン・ウィルソンが行っていた。そのビーチボーイズが「 Pet Sounds」というアルバムを発表したのが1966年。ビートルズを刺戟したらしい。逆にブラインもビートルズを意識したのかもしれない。

 ビーチボーイズのハーモニーは独特で、以後、世界では彼らに影響を受けたグループが続々とでてきた。ファルセットが美しく、張り上げて歌うようなロックではない。軽いノリのものが初期の頃の歌だった。ところが「Pet Sounds」で大きく変わった。深く複雑になった。当初アメリカではそれほどヒットしなかったが、ヨーロッパで大ヒットし、ポールマッカートニーがブラインを訪ねたことがあったらしい。ブライアンは統合失調症だったらしく、ポールがわざわざブライアンの自宅に来たときもロッカーの中に隠れていたというエピソードがある。ブライアンはコンサート、作曲とやたら忙しく、やがて、コンサートにはでず、スタジオでプロヂュースと作曲だけを手がけるようになるが、スタジオミュージシャンのテクニックによって、自分ではできないベースラインができるようになり、曲の深みと幅も増していったが、精神にも異常をきたしていた。
 その後、20年ほどは精神的な病と格闘し、また復活を遂げる。2009年には米ビルボード誌のジャズ・アルバム・チャートで1位を獲得した。まだ新曲を作っている。今はソロ活動をやっているらしいが、年齢は73歳である。

 戦後、音楽はイギリス、アメリカを中心として大きく変わった。ビートルズやビーチボーイズ、ローリングストーンズなどが音楽を変えていった。ジャズにも影響を受けながら、全く違うジャンルとして確立されていった。
 ジャズはスウィング、ビーポップ、モダン、フリーとこれもまた変遷していった。
 1961年と言えば、僕はまだ11歳だった。1960年登場のビートルズも知らなかった。ヒットパレードでは外国の歌が翻訳されて流行していたが、まだ日本でのグループサウンズは登場していなかった。中学生の2年生か3年生ぐらいの頃、同級生のA君がいつも平凡パンチももって廊下を歩いていた。ビートルズが日本に来たのは1966年だから、僕はもう高校生になったいたが、すでにもう馴染めなかった。この頃は日本の下手な、どうしようもないグループサンズが真っ盛りであった。1972には矢沢永吉の「キャロル」がでてきて、1973年には山下達郎がでてきた。そしていよいよ我がサザンオールスターズが出てきたのは1978年である。竹内まりあも1978年である。この歌手が最もビーチボーイズっぽい。

 日本でロックが醸成されるまで10年以上かかったことになる。ジャズは戦前から入ってきていたが、地方の果てほうにいる僕なんかは、「ロッテ歌のアルバム」や「ヒットパレード」で聞くぐらいのものだった。
 高校3年生の時にはビートルズを真似するバンドも同級生たちが始めていた。やはりどこにでもこういうことに敏感に反応する人というのはいるのだ。

 この前「ベンチャーズ」コピーをやって楽しんでいるHさんとあったが、楽器演奏に歌をのせるという発想はなかったようだ。それだけ難しいのかもしれないが、その頃から50年以上が経った今、ハーモニーが流行っている。
 なにかが変わるというのはその先駆けの時代から長い、長い時間を要するものだと思う。

ブツブツ

2015年06月25日 | 日記
現在の日本は本当は身悶えしているはずだと思うのに、カラ元気で、ちぐはぐな状態にどっぷりと居座っているように思える。
生産台数が減っているのに、円安のおかげで、この差益を享受する輸出企業。ドルベースでこの2年の間に700兆円失っているのに、株価が上がりつづけるという奇妙さ。円安とJR料金の高さで、外にも出ない内向きの人々の絆の蔓延傾向。外交をすればお金をばらまいてくるし、新国立競技場といえば、ロンドンオリンピック競技場の650億円をはるかに凌ぐ2500億円のものを建てるという。
一方で、介護認定は厳しくなり、高齢者の自己負担も増える。景気はちっともよくなっているという実感はない。輸入品が上がっていくばかりである。財布のヒモはますます固くなる。
空き家がもうじき400万件になろうとしているから、家を建てても土地の値は特定の場所を除いてはそう価値のあるものではない。家の始末をしなければならない人はますます増えるだろう。まして、東北大震災以来、南海トラフだ、関東大地震だとテレビは騒ぐから、危険地域は空き家だらけとなっている。それだけよびかけるなら、固定資産税を下げてはどうか、と言いたくなるが、なにせ、国には1000兆円を越す借金がある。
道路も、橋も、公共建築物も維持していかなければならない。
日銀の計画も達成できていない。異次元の金融緩和はまだ続いているが、今年の末あたりで、アメリカは金利上げに転じる気配である。するとドルはまた高くなるはずだ。

ここにMERSでも入ってきたら、どうなることだろう。

とこんなことをブツブツ思っている。せめて高速道路を無料にしてほしいが、震災があって、復興のためにと、終わってしまった。企業は人と接することで活発化していくと思うが、地方の零細、中小企業には外に出るな、と言っているようなものだ。

と、まだまだブツブツは続く。
デフレ時代に企業は死に物狂いで安い商品を見映えよく作ってきたように思える。円高のおかげもあったかもしれない。それが値上げをせざる得なくなっている。
僕の母は毎日夏みかんを食べたがる。A店では、3個で450円。B店では9個で400円。
近所のC店では、なんと今日行ってみたら3個で100円にしてくれた。どうなっているのだろう。

おそらく、もう手の打ちようがないのだろう。経済学者も、政治家も、もうなにがなんだかわからないのだろう。
核をもった国どうしが戦争すはずもないと思うが、尖閣のために、日本はアメリカとの同盟を強化し、後方支援するから尖閣を守ってね、と言っているようなものである。
アメリカを巻き込めば核をもった国との戦争になるではないか。

昔、中国とソ連との仲が悪くなったとき、毛沢東は、1億人死んだって中国はなんということもない。食わせる分が減って助かるぐらいのもんだ、というようなことを言ってソ連の度肝も抜いたという話を聞いたことがある。真偽のほどはわからないが、中国の人口では、あり得そうな話だ。アメリカではそうはいかない。日本では、今は一人でも死んだらおお騒動だろう。
そういう中国とは仲よくすればいいのだ。それは外交である。日本は侵略したことを謝り続けたらいいのだ。土下座してでもだ。そして、それでリセットするのだ。これをやってのける器量の政治家がでてこないものか。

まだまだブツブツは続くのだが、最後にベートーベンの弦楽四重奏14番はベートーベンの最高峰ではないかと思う。最後の弦楽四重奏曲 作品131であり、大フーガの前に作曲されている。力強く、型破りで、美しくもあり、脳みそがくすぐられるし、骨や筋肉も振動させられる。

悪女について 再び

2015年06月25日 | 文学 思想
有吉佐和子の「悪女について」を再読して、小説構成のうまさと、どこかミステリアスなストーリー展開と、人間というのは、超多面性、というより無限の多面性をもつ生き物なんだ、と再認識した。

 もしも、あなたが、50人の人と知り合いならば「50通りのあなたがいる」 30億人の人が知っていれば「30億通りのあなたがいる」ということになる。つまりは、人というのはわからない、自分というのもわからない、ということになる。
 鈴木君子という八百屋さん生まれの娘は、まず、母親は養母だと嘘をつく。父はどこか高貴な人で、事故で死んでしまった、と嘘をつく。これが彼女が(お金という意味で)成功していく始めである。次に、名前を変える。富小路公子とどこか家族っぽい名前に変えるのである。これはペンネームと同じようなものだから、嘘とまではいかないが、ベースとして一番最初の嘘のうえに成り立っている。16歳の頃には三人の男とうまく交際する。それぞれに嘘はついていないのだが、他に交際している男性がいないかのように振舞う。彼女は朝も、昼も働き、夜は夜学に通い、簿記の一級までとる。税理士もできるのである。常に法律の本を読んでいる。

 やがて第一番目の子供を妊娠し、これを三人の男にそれぞれ告げるが、自分で育てる、迷惑はかけない、という。ところが二番目に付き合っていた男の戸籍に入れてしまう。結婚届もだしている。これが大きな二番目の嘘である。男親は慰謝料や養育料として5000万円を渡す。
 大金を手にした彼女は、ここから大躍進していくのである。三番目の男は宝石店で成功している。彼はラーメン屋からのしあがった男である。男に宝石の見分け方を教えてもらいながら彼女はラーメン屋、宝石店と働き、宝石の鑑定のしかたをおぼえていく。やがて、彼女は手切れ金としてはラーメン屋をもらうのではなくて、逆に買い取るのである。すでに隣の土地は買ってある。日本橋の一等地である。値上がっていく土地を担保に彼女は大きなビルを建てる。

 と、このようにのしあがっていくのだが、どうやら彼女が死ぬまで週に1度か2度会う、本当に好きな男が三人の中にいたらしい。富小路公子について27人の人がそれぞれに語るのである。ほとんどの人が彼女を絶賛している。読む側はそのそれぞれの語り手の内容を吟味しながら読んでいくことになる。そこで、「あれ?」と思うことが出てくる。こんなところが有吉佐和子はうまいのである。謎解きをしている感覚になる。また、27人の職業から、その職業の内容を知ることにもなり、教養小説としても読める。普通知りえない世界の職業的な説明もしてくれる。例えば、宝石について。あるいは服飾について。あるいはダリアについて。

 以前読んだときは興味もなかったことが今回は興味をもって細部まで読めるようになっている。おそらくまた忘れてしまうのだろうが。
 「青い壺」に続いて読んだのだが、今日は朝から図書館に行って、「開幕ベルは華やかに」を借りてきた。僕にとっては村上春樹の唯一読んでいない「スプートニクの恋人」を読み始めたのだけど、これは自分の所有物なので、先に、「開幕ベルは華やかに」を読んでしまおうと思っている。
 

思い出すことなど

2015年06月24日 | 日記
 昔、万華鏡ペンダントを作ったことがある。万華鏡そのものはいいのだが、ネックレスの部分が問題だと実用新案を出している会社からクレームがきた。ネックレスにそんなものがあるなどとは思わなかった。すぐに引き下がって、製作を中止した。
 デザインされた銀製の筒と穴の空いた蓋、レンズ、黒紙、スワロフスキーのガラス、光ファイバー、丸い画像になるのに苦心し、接着剤にも苦心した。
 エッセンシャルオイルをいれることのできるペンダントも作った。これはある業者から頼まれたものだった。

 思えば、いろいろなことをしてきた。それが実になれば嬉しいことはないが、そこに至るまでの過程がおもしろい。ある時期から自分のそういう性格に気づき、事業を維持するという固執する考えは捨てた。成功した事業は売却してしまう方針をとった。
 レストランもした。建築物から、料理、ドリンクにいたるまで関わった。マティーニをつくるにもロンドンマティーニがあり、ニューヨークマティーにがあり、様々な独自のマティーニがあるので、そういうことも研究した。バーテンダーもオリジナルカクテルをもってきては味をみてくれという。シェフにはいろいろなものを食べさせて、中身の分析をさせた。例えば、帝国ホテルの「クラブサンドウィッチ」は美味しいので、食べてもらうとそのバワというシェフは見事に分析し、翌日には同じものを作ってみせた。
 雑貨屋もした。90ものホテルのショップに開発したものを置いてもらい、売ってもらっていたので、アンテナショップとして、雑貨点を開き、それを「るるぶ」で紹介してもらった。
 そんなことをしている間に、対葉豆という植物を発見した。これを日本に持ち帰り、分析してもらった。するとこの植物は薬草ではないが、便秘やアトピーに効能があることがわかった。すると、「週刊新潮」や「健康」という雑誌で紹介された。

 これまでやってきたことで、戦勝は10勝9敗というところかもしれない。アジア雑貨市場は見事に失敗した。木彫りマグネットは真似がでてきた。
 浮き漁礁も失敗だった。浮かべたとたんに台風がきた。台風にもつかと思ったがもたなかった。レストランと雑貨屋は爆弾テロの被害にあった。

 最もお金を使ったのは、CD-ROMにとぎれることなく話す音声を一語一語自動的にトラック分けし、そのトラックにインデックス、さぶインデックス、通しでも聞ける、というソフトウェア開発だった。当時、圧縮されたデータをプリントする(今ではどんなものにみついているが)ソフトも必要だったので、それも開発した。国の創造法にも認定されたが、相棒のソニーの製品が10時間ほどかけると止まってしまうという事態が生じて、ソニーは撤退し、足元をすくわれた。この失敗は大きかった。
 以後、一人自由行動を方針とし、雇われない、縛られないで生きてきた。
 写真撮影のコーディネーターもしたし、建築物の材料手配などもした。

 そう決めてから18年になる。ひとりでやっていくのはそれなりの覚悟がいる。不動産の解決屋もした。交渉の代理もした。その間、からだのことについては毎日勉強した。本もいっぱい読んだ。その間に敬愛している池波正太郎が死に、司馬遼太郎も死んでしまった。いつもこころの支えとなったのは吉本隆明の発言だったが、彼ももういない。
 夏目漱石に関するものは全部というほど読んだ。村上春樹のものもほとんど読んだ。本だけは欠かさず読み、ブログもほぼ毎日のように書いた。書く事は自己慰安である。

 今、僕は仕事において一段落している。スクールも著作権も売却した。ふつふつと何かが湧いてくるのだが、まだ真剣に考えていない。とりあえずは、「砂漠の活用化」をする。そのモデル地区をつくる。しかしそのことに1日の何時間もとられるわけでもない。フツフツ、フツフツと脳は言っている。
 脳の中の誰かが、もうこれ以上するな、とも言っている。

悪女について

2015年06月22日 | 文学 思想
 再読の本です。
 悪女について」という突然に窓から飛び降りて死んでしまった女性について書かれた小説です。他殺なのか、自殺なのかの真相はわかりません。ただ週刊誌では、「悪女、詐欺師」となじり、作者である有吉佐和子はインタビュー作者を設定して彼女(富野小路公子)と関係のあった人物27人に聞いてまわるという小説の構成になっています。
 彼女は美しいものが大好きなのです。彼女ほど宝石が似合う女性はいないというほどです。夜学で勉強し、簿記の1級までとってしまい、税理士もできるほどです。これは計算なのか、無意識なのかわかりませんが、言い寄ってくる男性に拒否ができません。 彼女は不動産業だけでなく、宝石業もやり、レストランもやりと幅広く、事業を広げていきます。大富豪になってしまうのですが、お金持ちの女性実業家が集まる「トウキョウレディーズクラブ」にも入ります。お金持ち層とマージャンをしても、わざと負けて、お金を惜しみもなく使います。お金持ち女性のもっている指輪やペンダントなどを新しいデザインにして作り直してあげるのも安い値段で引き受けます。
 事業拡張のひとつですが、自社ビルのワンフロアーを使って、「エクササイズ、サウナ、マッサージ、休憩室、自由な飲食」ができるサロンも開きます。入会金は当時昭和45年頃)で200万円です。入会金の7割は退会すると戻ってきます。体育大学をでたトレーナーはみなハンサム(イケメン)で、受付では蝶ネクタイをし、トレーナーはみな若い男性です。そのトレーナーの優しい指示にしたがってメニューをこなしていきます。すでにこんなのが昭和35年にあったのですね。自由交際は厳禁です。

 帝国ホテルにもこのようなフロアーが新館にありますが、残念ながら、エクササイズと連動していません。プールとサウナ、お風呂は連動しています。エステサロンは別の階です。ジムも別の階です。
 富小路公子(本名は富本希美子といいます)の商売のしかたを見ているとすごいものだと思います。女性であることをフルに使っています。宝石商の社長と付き合いながら若い大卒の新入社員である男性とも交際します。子供が二人生まれますが、若い彼ののほうの戸籍にまで入ってしまい、子供ができると認知を求め、慰謝料5000万円を手にすることになります。宝石商の社長には、「あなたの子供よ。一切迷惑はかけず、自分で育てますから」と言って、実際にそうします。

 貴族層が楽しんでいたことをやがて成金の富裕層が真似る、というのは歴史の法則のようなものです。入会金200万円で1回ごとでは3万円。
 こういうくつろぎ方はまさに今、クタクタになって働いている女性たちの中には憧れる人もいることでしょう。客は女王様になってような気分になり、家に帰っても生き生きとしているように感じます。
 この本でおもしろい勉強をしました。
 成り上がり方がしっかりわかるといいますか、清く、正しく、美しく生きることが理想のこの富小路公子の本当の姿が徐々にあきらかになっていきます。そして彼女は「悪女だったか、そうではなかったか」という判断は読者に任されることになります。
 有吉佐和子の才能がいかんなく発揮されております。テレビでは影万里江がしましたが、まさにぴったりで、ものすごい演技でしたが、43歳でなくなったようです。その後沢尻エリカもしましたが、演技がもうひとつでした。目が大きすぎるように思いました。(写真は影万理江です)

ウィスキーとホロホロ鳥

2015年06月22日 | 旅行

 以前沖縄の那覇に行ったとき、「ちょっとお見せしたいものがあるんですよ」とタクシーの運転手さんがちょっと寄り道をして、「どうです。見事な花でしょう」と言った。すると、黄色い葡萄のような形をした花が満開に垂れている。「ここは昔のオキヤなんですけどね。20分で5000円です。それで、この花の本当の名前はわからないんですけどね、白粉花とか一日花とか、言うらしいんですよ。一日で落ちてしまう、儚なげな花ですよね」 と運転手さんは解説してくれる。すでに夜の12時を過ぎている。こんな花を初めてみた。

 ホテルの部屋でその名前で検索をしてみた。どれも違う。次の日、別のタクシーの運転手さんにもしかしたら知っているかもしれないと思って聞いてみた。「ああ、安里(あさと)のね、あの道ね、ああ、あれは「ゴールデンシャワーっていうんですよ。「下がり花」ともいいますがね。「それでたった一日で落ちてしまうんですか」と僕はそのことが知りたい。つまり儚げであるかどうかだ。「そうなんですよ。でも次の日また満開になりますよ。毎日咲いては落ちて、新しいのがでてくるんですよ」
 「ありゃ、それだったら熱帯のブーゲンビリアみたいなもんじゃないですか」と僕はがっかりしたように言うと、「マレーシアからきた花だと聞いてますよ」と答えてくれた。よく知っているものだ。タクシーの運転手さんというものは。

その日は奇妙な日であった。その前の日、小説を読んでいたら「ホロホロ鳥の料理」が出てきた。へえ、そんな鳥の料理があるのか、と思ったのだった。キジや野鳥などは食べたことがある。ホロホロ鳥というのは食べたことがない。有吉佐和子の小説には、しっかりと野生の味がすると書いてあった。

 あるバーに行ったら、(このバーは行く価値有り。ウイスキーが揃えっている。料理もイタリアンがおいしい 安里駅前 GRATO 090-4000-2914)。デパートでも手に入らないのがある。ボウモアの2001年プレミアムまであったし、終売になったTOP BEAT もあった。
 山崎のようなスモーキー臭さのないウイスキーから飲み始めて、だんだんとスモーキーなものへいくようにした。仕入れ原価の1,3倍しか料金はとらないのだそうである。カウンター内の男性は調理番。この人はイタリアに修業の旅になんども行っている。ウィスキーのソムリエはもうひとりの男性で、彼はスコットランドで修業している。詳しい。とにかく詳しい。
 いろいろとウイスキーの話をしていたら、ホロホロ鳥の話がでて、今日はその鳥肉があるのだそうである。すっかり妙なものを感じて、注文した。ウイスキーにホロホロ鳥、なんだかすっかり良い気分になってしまって、タクシーに乗ったら、「下がり花」である。

 旅をするとこういうことにも出会う。




やるぞみておれ

2015年06月19日 | 社会・経済・政治
台湾のKo さんから電話がかかってきた。なんとなく気が合うのである。年齢はぼくより2上で元ラグビーの選手であっった。台湾の代表選手として活躍した。ぶっきらぼうに見えるが、面倒見がよく人脈も多い。今は教師の職を定年退職して、台日経済交流協会の事務局管理をしている。
かれはぼくの、 台湾基地を作り、そこから人脈をたどり、中国に保水性をもつ、無機質土壌を紹介することに尽力してくれている。
僕が内モンゴルを視察してか ら、もう2年が経とうとしている。実験を見せるよいところまで話が進み、中心となる材料も中国内で手に入るルートも確保した。だが当時は3人の仲間で役割をもって、やっていたのだったが、AとBは喧嘩分かれしてしまった。僕は梯子をはずされた格好となった。中国の内モンゴルの 超巨大な「砂漠資源開発会社」の担当の人々や、研究所 、大学の人々も裏切るはめになった。次の予定の日程を僕は作り、実行に移すときに、Aの態度がにえきらず、そのちBと喧嘩となったのだった。
僕は赤恥をかいた。そのうち母親が交通事故にあい、入院生活となった。長い看病の日が続いた。やむなく、この提案と相手側の要望の応えられなくなった。
中国黄土高原の砂漠を農地化させるのには、大プロジェクトを組む必要がある。今、そのリベンジを考えているところだった。そこにKoさんからの電話だったわけだ。砂を保水力のある土壌に変える。地方政府の許可、綿クズの入手、実験地の確保と。こんどは台湾ルートを使うほうがよいと、ぼくはかんがえ、以前Koさんに説明したことがある。風砂を防ぐ砂防堤をつくり、脇に道路をつくる。これは有機物であってはならない。砂漠の砂と綿クズをこつざいにして、特殊な液を水代わりにして、セメントと混ぜる。Ko さんからの電話は、その作製工程でわからないことがあるらしかった。外出先だったので、詳しく述べられず 、改めてメールするから、と、そして、ぼくは来年から本格的にぼく自身でやるから、協力してくれ、と頼んだ。
この保水性の土壌が完成すれば、重金属がでて井戸文化のない地域で、空中に井戸をつくることができる。飲み水で苦労している国は多い。

なんとしてもやりたい、と思う。やるというよりは、実証して、その後は、開発業者にやってもらうということになるのだが。

これものんびりあわてず行こうと思っている。向こうから扉は開いてくる。情報を発信していれば。こんなブログでもそうだ。だが実証地まではぼくの仕事だ。
相性が合う人物という人ががいる。聞きだす力も、その間や呼吸というものも、なんだか合う。黙っていても気にならない。その一人が台湾の台北にいるKo さんだ。


ヤタのこと

2015年06月16日 | 日記
ウチのヤタ(犬の名前)は18歳で、そろそろ限界にきている。右後ろ脚に力が入らないらしく、歩く軸がとれないため、ヨロヨロと歩き、倒れてしまう。黒い柴犬ですスタイルも顔もよかったのに、この歳になると毛もカサカサになって、肉も落ちてくる。
問題はうんちである。うんちスタイルがとれない。だから、横になって、やってしまう。そうなるまでは必ず散歩のときにしていた。天寿をまっとうする
家犬は初めてである。これまで二匹の犬を飼ったが、途中で病気や事故で死に、天寿まで届かなかった。
ヨロヨロと歩いては倒れ、グルグルと同じところを回り、耳も聞こえず、目も見にくいようだ。
18年前、娘が犬を飼いたいといい始めた。この黒い柴犬の腹は真っ白で、目のうえには茶色の毛がついていた。顎も白かった。その頃、榎本、鈴木、宇井という名字はヤタガラスの三本足のそれぞれの名前を表していると、本宮大社に行ったときに知ったので、「ヤタ」(本当は漢字)となずけた。そうち娘は大学に行き、僕ら夫婦が面倒をみることになった。夜の散歩は自分たちの運動もよぎなくされ、ヤタは逆に僕らの健康を維持してくれたともいえる。
ぼくらがどうしても外泊をしなければならなかった時は松下夫婦が面倒を見てくれた。ありがたかった。この頃は松下夫婦にも頼めない。そこで死んでしまったら、迷惑がかかる。
犬に過剰な思い入れはしない、と思っている。ただ淡々と一緒につきあっている。


元少年Aに

2015年06月15日 | 文学 思想
元神戸A少年が「絶歌」という本を書いて、出版されてテレビニュースがこの一週間騒いだ。僕には騒いだというしか言葉がない。この本をいずれは読んでみたいと思っている。1997年だったと思うがこの事件は1997年までの世界を象徴する事件で、僕も大きな衝撃を受けた。遺族に申し訳ないからと言って、出版を停止する必要はない。彼の文章がどこまで表現できているか、あのような事件を起こした真実の暗闇に迫っていく第一歩のものとなるだろう。
 もう18年前の新聞や雑誌の記事、それから「新潮45」で高山文彦の祖父母から父母、家庭でのことなどがルポされたのを読んだが、どこか釈然としなかった。母親についても結構詳細に書かれていたが、それは小説という力でも借りない限り、無理なことであったろう。
 元少年Aはあきらかに病気であった。精神を病んでいた。その契機は「祖母の死」というもので、表面化したのかもしれないが、その背景の奥にやはり少年の資質や精神や肉体の育ち、母や父の性質、態度、そして時代的な(例えばいい学校にいけばいい大人になれるみたいな風潮)や経済の発展が著しかった背景や、少年の胎児期や幼年期のところまで遡っていくしかないのではないかと、僕はそのときにそう思い、それを知るのは父母しかいない、と思っていた。しかし父母でさえ憶えていないことも多々あることだろう。無意識に父母がやっていることを思いださせるのも困難なことである。おそらく彼の治療にあたった医師はそんな世界まで立ち入っていったことだろう。
 遺族の方は気の毒だけれども、これは「ある種の事故だった」と思うほうがいいのではないか。それよりもこのような事件、それに続くさまざまな同種の事件の奥にあるものを追究し、家庭教育や学校教育にいかしたほうがいいと思う。
 彼が執筆したその本はどこまで堀下げられいるか、そこから何が得られるか、そういうことを論じたほうがよいと思う。しかし今日の「サンデー・ジャポン」でも非難するだけで、誰もこの本がでたことの別面での意義」を申すものがいなかった。

 この事件の前に神戸の震災、オウム事件があった。麻原は口を閉ざしたままだ。彼が口を開かない限り、この事件の真相には近づけない。
 以後に続く同様の事件でも動機のニュースで一週間も経てば、本当の原因がわからないまま時は流れて過ぎていき、裁判のときにまたニュースネタとなって、結局わからないまますんでしまう。

 僕は殺された二人や切りつけられた人達も被害者であるが、元少年Aも別の面では被害者だと考えている。わずか14歳の子供が猫殺しを続けて、人間を殺す妄想に取り憑かれた。「何がか」と思うのは当然であり、そこにこの事件の核心に迫る態度があると思う。おちゃらけた芸人やコメンテーターはテレビの画面に出てきて、おそらく書いては直し、また読んで加筆訂正して自分の力で書いたことは自己慰安でもあり、自己を客観視することになる。タレント芸人やコメンテーターはその意味をまるで茶化すかのように言っている。「おまえだって、いつそんなことをするかはしれないぞ」と思う。絶対オレはしないなんて誰が言えるか。こういう犯罪に対して厳罰に処するようなことをしたって、解決策にはならない。やはり「何が妄想を作りだしたか」に迫らなければならない。彼の印税は遺族に手渡されることだろう。
 それでいいじゃないか。

アマノン国往還記を思い出す

2015年06月11日 | 文学 思想
コンピュータも面倒なものになってきたものだ。
 ウイルス。それはインフルエンザウイルスと同じようなものである。新しいウイスルが発生しない限りワクチンが作れない。
 だから後手、後手にまわる。コンピュータのウイスル対策ソフトも同様である。しかもこのウイルスはなんらかの悪意をもっている。便利になればなるほそ、不便になっていくというよい例である。
 バリ島に固定電話機というものがほとんどなかった頃、携帯電話が固定電話網をつくるのをいっきに超えてしまって、携帯電話が瞬く間に普及した。この携帯普及に貢献したのはフィンランドのノキアであった。日本の携帯電話は便利であるが、複雑すぎた。バリ人たちは固定電話の代わりに、電話が使えればよかったので、ノキアはそんな簡単な携帯を作った。今ではメールや写真の転送もできる。日本の携帯電話は多くはスマートフォンに代った。iphone の登場でアップルの進出やサムソンの進出で今はしのぎを削っているが、そこに日本のスマホはほとんどみない。不要なものが多いのだ。

 今回の年金機構や東京商工会議所の情報流出はパソコンを所有する個人にも、もっていない人にも厄介な問題である。電話やメールアドレス、銀行口座番号や暗証番号など置いておくこともできない。すると、紙に記録しておくことになる。

 ウイルスを侵入させて情報を盗み取るという犯罪に厳罰を処する、という道になっていくのだろう。それも海外になるとどうにもならない。

 そこで、また倉橋由美子の「アマノン国往還記」を思い出す。この島国日本はオンナばかりである。そこに異国から男の宣教師が侵入してきた。おちゃらけた冒険話であるが、オンナはすでに出産するということもない。そのくらい科学は変化している。

 外の世界からの厄介なことはない。鎖国をしているのだから、何の問題もない。

 インターネットという地球規模のネットワークがいつ不能になるか、それは頭に入れておいたほうがいいのかもしれない。
 時々だれかと話すことがある。1970年代から1985年ぐらいにはまだパソコンもなく、携帯電話もなかった。そんな時代に特に不便であると思わなかった。トイレも共同であった。それで当たり前だと思っていた。アパートには風呂もなかった。銭湯にいくのが当たり前だと思っていた。手紙を書いていた。そのうちFAXやポケベルがでてきた。
 右肩上がりの経済であったが、それでもアパート一室4上半+畳半分くらいの台所と押入れがついて家賃は7500円で2年経って、契約を更新して8000円、次は8500円というようなものだった。

 ワープロやパソコンが出てくると紙がの使用料は減ると言っていたが、紙の量はますます増えた。パソコンだけでも使用が簡単ではないのに、ウイルス対策となってくると、しまお後手後手のウイルス対策ソフトとなってくると、もうこれはどうしてもしかたがない。コンピュータをリモートコントロールするのは簡単なことだ。
 人間というのは変わらぬものだ。インターネットんぽ時代になって人が良くなるなどと考えている人がいることはないだろうが、これは社会的な変革でもない。昔からある、イエスキリストやブッダや孔子がいるころからの連続で、彼らがいた時代から人間は進歩したかと言えば、ほとんどしていないのだ。経済というものは日本においては発展したけれど。それだって、いつかツケがくるはずだ。

両方を同時にやる人

2015年06月11日 | 日記
「今を楽しみたい」という気持ちと「将来のために今は楽しみを横に置いてでも勉学するとか苦しんでも努力したい」という気持ちは二つ同時に存在する。おそらく、後者の方が生きる意欲なのではないかと思う。ところがこれを同時にやりとげる人というのもいる。先輩のHさんはそれではないかとこの前も思った。話を聴いていると、会社には閑職においやられても給料はもらうぞと開き直って、退職まで会社には通い続け、自分で趣味に没頭した。
 退職前には結婚もした。社交ダンスに今没頭してりうが、居合術もやり、エレキバンドまでやっている。カラオケで彼は「ザ・ランチャーズ」の「冬の帰り道」を歌ったが、間奏のギターがあり、「今、これを練習してるだんけど、これがなかなか難しくて」と笑っている。これを弾けるようにするのだろう。バンドには音に厳しいドラマーがいて、なんだかんだと言ってくれるので、それが刺戟となっていいらしい。社交ダンスを踊るとサラサラとした塩になってしまうような汗をかくらしい。社交ダンスもうなく踊れるように苦労するのだろう。それも「楽しい苦労」である。

 僕なんかは唯一の楽しみと言えば、小魚を釣ったり、磯遊びを一人でするくらいのもので、努力を要するものはしていない。Hさんは僕より3歳上だが、肌艶もあって、健康な若者のように見える。それにハンサムであり、背も高い。どんどん話を聞いていくと、この人は、頑固に、自分をあんまり譲らずに生きてきたんだなあ、と思う。はまってしまうと努力してやっていく人なのだ。
中学生の頃、Hさんの家の裏小屋で「レビンズ」というバンド練習を何度か見に行ったことがある。ベンチャーズの曲のリードギターをいとも簡単そうに弾いていたのにはびっくりしたものだった。たぶん仲間をつくるのもうまいのだろう。もうひとり腕のよい1級か2級上の先輩がいたが、彼はとてもうまくリードギターが弾けるのだが、一人であった。仲間で弾いているのを見たことがなかった。
 Hさんも退職して、懐かしのベンチャズナンバーを公民館でやっているのを聞きにいったことがある。
 演奏者というのは聴衆にはわからないくらいにミスはするものだろうが、大ミスというものはない。彼らのバンドも大ミスはなかった。「オレは楽譜は読めんので、おぼえて指で探って弾いていく。あくまで我流だから、ポジションが違うかもしれん」と言っていた。それで、ビデオなども見るのだそうだ。

 ときどき夜の町にいくとこういう人と出会う。すると酒は何杯でも入っていって、翌日は二日酔いもないのである。
 

大グーチ

2015年06月09日 | 日記
今日は僕のミスから、気分よくなれず、こころも乱れたので、マックでコーヒーを飲み、それから、もっとこころを乱してやろうとヴェートーヴェンの最後の四重奏「大フーガ」を聴いた。胸をかきむしるような曲だ。ヴィオラやチェロはいわゆる刻みをやり、第一、第二バイオリンが高音から低音までを駆使して、弾きまくるのである。甘さも、哀愁もない。大フーガだ。考え事などしていたら、容赦なく「聴け」と言ってくる。邪魔だとスイッチを切るだけのことであるが、「切るな」と言ってくる。「ほら、ここから、集中して聴けよ」と言ってくる。わずか15分に曲であるが、こころの乱れも落ち着いてくる。たいした問題ヴェートーヴェンは。
さて次に何を聴こうかと考えて、同じくヴェートーヴェンの「弦楽四重奏13番」を聴く。それが終わったら、軽快な
高い声でケラケラと笑うような明るい曲を聴こうと予定をたてる。交響曲40番などがいいかもしれない。

今日のミスは情けなかった。気楽に考えていた。ところがそれを知った相手先からは不信の言葉がきた。なんともやりきれない。でも、まあしかたがない。音楽で圧倒されてしまおうということにしたのだ。
気を取り直して、40番をかける。やはりモーツアルトは天才だ。この人は洗い流してくれる力をもっている。今の僕にはそう思える。
大グーチで失礼しました。