25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

安全保障論争のこと

2015年07月30日 | 社会・経済・政治
 国会は「安全保障問題」で野党は攻撃、与党は「わかりやすい説明」といいながら衆議院で言ってきたことを繰り返して応戦している。
 小さな子供達をもつ主婦たちが全国規模で集まり、各地でデモをしている。「戦争」の避け方が自民党・公明党などとその主婦たちは違うのだ。自民党は「戦争を避けるための抑止力」のためだ、といい、主婦たちは、「戦争ができる国になり、我が子にも影響があるかもしれない」と思っている。
 政治家たちがもつ「共同幻想」に闘う主婦たちの「個人幻想が追幻想から共同幻想」がデモとなった。

 自民党は中国カードを頻発に切っており、中国とガス田でも尖閣列島でも共同で統治をしようという意思がない。国境線の不安定なところは外交によって、共同の統治にすればよいだけのことだ、「我が国の領土」「国」などと言っているのは共同幻想そのものだ。人は国境を超えていくし、セックスもするし、当然お金は国境を越えていく。「国民国家」が誕生してから150年。この国民国家というのは民主主義を掲げているために面倒なものだ。面倒なものだというのは国民の犠牲が大きいということだ。先制攻撃や後方支援に現閣僚が先頭をきっていくはずもない。自衛隊が死ねば、お金でかたをつけ、切腹するわけでもない、国民から選ばれたという担保があるからだ。

 これまでホルムズ海峡ばかり言っていた安倍首相は、イランとアメリアの関係が変わったことで、言わなくなった。やっとアメリカも空爆でバカスカと爆弾を落とすことしか知らなかったアメリカはやっと外交で物事を解決した。中国とも戦争などしたいわけではないことも容易に想像できる。

 それにしても主婦たちが立ち上がる時代になったのか、と思うと、「戦争放棄」を守りとうそうと思う人がこれほどいることに安心した。民主党も、維新の党も、集団的自衛権を容認している。国際情勢が違ってきているともっともらしく言う。日本は誇らしく「戦争はしないんだ」と言えばよいと思う。それでも戦争を仕掛けてくる国家などというのは今時あるのだろうか。あるのは人間を守るはずの宗教が戦争をしているという状況だけだ。

 こういうのをリアリストではない、と言われても困る。人間には武器を売るものも、理想を追いかける人もいるのだから。僕は後者のほうでありたいと思う。

表参道 スパイラルのこと

2015年07月29日 | 音楽
今から20年程前に、東京の表参道に「スパイラル」というとても異空間のカフェがあった。カフェを中心にして、入り口側にスパイラルのオリジナルレーベルのCDショップや香りや雑貨のショップがあり、カフェゾーンの向こう側には2階へと進む螺旋(スパイラル)があり、その螺旋の階段を女性が歩いていくのをみると、なんだかショーのように見え、人というのは見られていると、ちゃんとした姿勢にもなり、女優や人気歌手のようなオーラめいたものを感じとったのだった。
スパイラルの紹介するCDはどこから見つけてくるのか、新しい試みの音楽ばかりで、ふつうのCDショップではどういうジャンルになるのかわからないものばかりだった。「ナチュラルソニック」という打楽器だけで作った音楽CDは、今も僕のスマートフォンにもパソコンにも入っていて、旅をするといつもそれがある。水をたたく音、木々をたたく音などが音楽として正当に確立していた。その音に入っていくと、からだもこころも安らぐようだった。あるいは、ソニア・ロビンソンのジャズバイオリンを初めて聞いて感動もし、びっくりもした。圧巻だったのは、アフリカンパーカッションとサックスをメインとするジャズバンド、グレッチェンハンドの音楽だった。熱く、からだが揺れるようで、音にのめり込み、我を忘れさせるほどにエネルギッシュであった。
東京というところはさすがになんでもあるところだ、と思い、東京にいく度に、スパイラルでCD探しをするのが楽しみだった。ところが、3年もしないうちにその店はなくなってしまったいた。
どうやってきいたこともない、新しい作品を探せばよいのかわからず、あれ以降、実験的な音楽や全く知らない音楽を安心して買える店がなくなった。何万枚もあるCDの中には幾つか視聴できるものもあるが、それだけでは不十分すぎて、音楽を買うというのに、タイトルとカバーデザインだけで買わそうというのは無理がある。すべての音楽の出だしの1分でもきける装置はないものか、と当時思うのは当然だった。CDーROMを使い、一枚のCDに20時間の音楽が入り、それをインデックスでわけたらよいだけのことである。
当時、語学の分野でその技術を使い、そして音楽界に攻めていこうと思っていたが、肝心の装置を作るソニーが失敗した。ぼくらはオーサリングソフト作りに成功したが、ソニーの装置が15時間目ぐらいで止まってしまう事態となって、ソニーは途方に暮れた。ぼくらももう資金は続かなかった。つまり途中で挫折したのである。いまは圧縮技術力も進み、コピー装置も廉価となったが、CD販売業界は20年前と同じことをしている。
僕はこれにはあきれている。パソコンやスマートフォンでダウンロードができる時代となったが、アルバムを選ぶということにおいては、CDショップとなんら変わりはない。
このごろ、知らない音楽を発掘したいと思うようになって、試みるが、探し出すのは難しい。いっそのことCDは全部視聴できるようにすればいいのに、と思う。まあ、それができないのだから旧態依然としているのだろうが。

うんざりさ

2015年07月22日 | 日記
安倍首相はアメリカの後方支援を隣の家の火事に例えて、フジテレビに出演して、説明した。すると、火事を戦争に例える首相の頭の悪さがネットで酷評された。
今回の安保法制には幼い子供をもつ母親たちが敏感に反応したのと、戦争経験者も敏感だった。
さらに国立競技場の問題が連日話題となり、批判にさらされた。1000兆円を越える借金を自国民の貯金をまさに担保していて、財政赤字が膨らんでいくというのに、2,500億円を使うというのは、あまりにも、税金の使い方が杜撰であると、桝添東京都知事が500万円に拠出要求を受けて、明らかになってきた。マスコミのマスコミ人たる嗅覚は鈍かった。本当は、オリンピックが決まった時点で問題にするべきだった。

東大生がコンパでの焼酎イッキ飲みで死亡した。酔いつぶれてから4時間も放置していたとして、死んだ学生の親がその場に居合わせた学生を相手に、警鐘として、1億6千万円ほどの賠償金を求めた。イッキ飲みするのもアホだが、イッキ飲みを囃し立てるのも、僕は断じて好きでないし、しないので、こういう学生の風習のようなものも克服できないでいる現代の若者にも失望した。

若者と言えば、彗星のごとくあらわれた小関也朱篤(こせきやすひろ)の泳ぎだった。これまでの平泳ぎの常識は三角形をつくって手でかくのだが、彼は肩甲骨の柔らかさで、四角形をつくって手でかくのだった。かれは日本新記録を500m、100m、200mでも更新し、ついに世界大会に登場するのである。

こういうことにはすごさを感じるが、なにせ、社会を方向づけていくのは、政治家や東大生などである。これにはうんざりする。


日常が変わる

2015年07月19日 | 日記
あり得ぬ話をいかにも有り得そうに書くというのは、初めてのことでむずかしい。知らないことはいかにも知っているように書かなければならないから、調べものもする。
書いていると、どんどんストーリーも変わっていき、人物像も変わってくる。風景描写はどのくらい描けているか、人物の心理、読む人を退屈させないか、比喩がどのくらい的確に作れているか、頭の中でいつも考えている。
僕は仕事から引退した。65歳で引退と考えていたので、それを実行した。そして、こういうことをしているのである。
母の裁判手続きがやっとのことで、完了した。弁護士は全くのアナログで、資料送付も、打ち合わせの話し合いもわざわざ、何度もいかなければならず、これには閉口した。いくつも案件をかかえているので、予約をとるだけでもたいへんである。裁判手続きの準備をするのに、約1年かかった。その間に母が死んでしまえば、保険会社はまる得で、かれらはひきのばし作戦を仕掛けてくる。
強制保険を代理手続きをするのが任意保険会社で、後遺障害等級も官僚や医者の天下り団体で、そこには保険会社まで入っていると言うから驚きだ。
保険会社を軽蔑するが、そこで働く人というのは、いわば、間接的に合法的な詐欺をやっているようなものだと思ってしまう。とにかく、さっさとしない。ひきのばす。嘘も巧妙につく。
そんなことも時々やっているのだが、ぼくは完全にフリーで、何かのエネルギーが充ちてくるのを待っている。
売れる、売れない、上手、下手にかかわらず、そのエネルギーが充ちてきて、それが生活のパターンになればいいと思っている。

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読んだ本
南郷継正 「武道とは何か」
中上健次 「千年の愉楽」」再再読

貸し宿泊施設

2015年07月17日 | 旅行
 この頃の台風では新宮方面の方が被害がでる。また熊野川が氾濫したというニュースを聞いて、本宮大社が昔流され、今の地に移り、またあらたに新宮を作ったという話を「中上健次と角川春樹の「俳句の時代」という対談本で読んだことがある。
 尾鷲は雨に強いところであるが僕が20歳くらいのときに賀田で大きな土砂崩れがあり、自衛隊も出て、多数の人がなくなった。あおれと1990年の台風19号ではせっかく設置した浮き漁礁が流されてしまった。流された以上、責任を感じ、それ以上はそのことに投資することはやめた。特許出願をしているが、この発想をある土建業者が応用し、鮑漁礁を作ってもうけた、とその社長にあったときに聞いて、やっぱり一番手はだめだな、と思ったのだった。この会社は私たちの浮き漁樵6基を大きな船で運んでくれた業者だった。それをしっかりと見ていて、アワビ漁樵に応用し、国や県からも助成されたのだそうだ。
 いやあの頃は若かった。いずれ、浮島でも作ってやろうか、とひそかに思っていたが、結局なすことはなかった。今だったらさらに優秀な根漁樵を作ることができると思うが、やらない。やはり自分の分野とは違うのだ。漁業組合にお伺いをたて、許可してもらい、海上保安庁にも書類をだし、県や市にもややこしい手続きがあると思うだけで、うんざりとしてくるこの頃だ。


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 今回はお知らせもあります。尾鷲市に曽根町という風光明媚な浦村があります。古い城下町です。厳かな曽根飛鳥神社があり、近くには釣りやダイビングのスポットがあります。海水浴場も近くにあります。神武天皇上陸の地、楯ヶ崎までは10分。三木里海岸まで10分。新鹿海岸まで15分。梶賀でのアオリイカ釣り馬まで3分。熊野古道がすぐ近くです。ここに貸別荘があります。
 10名ぐらいまでは泊まれます。旅館業ではないため、タオルや歯磨きは持参していただきます。また空き缶、空き瓶は持って帰っていただきます。広い庭と池があります。前は青い海です。高台の上にありますが、車で入ることができます。予約を頂ければ、詳しいことをお知らせします。時々、家族連れ、仲間の方々に使ってもらっています。
 このブログをご覧になっている方で、一度紀伊半島に行こうか、熊野古道巡りの基地にしようか、釣り三昧、ダイビング、海水浴をしたいという方がおりまひら。どうぞ使ってください。たいへん割安です。

 もうひとつ、東京の渋谷駅前。ハチ公口から西武デパート方面へ徒歩5分。タワーレコードを超えて、ABCマートの隣にダイネス壱番館というマンションがあります。地下はセブンイレブンのコンビニ、隣にはドトールコーヒーの本店があります。このダイネス壱番館の605号室も貸し宿泊所にしようかと考えています。急な出張でホテルがないとか、しばらくの間仮住まいしたい方とか、いろいろと用途があると思います。オリンピック時などはホテルがとれないのではないかと思っているところです。これは現在、どうしたら、こちらにも不便はなく、泊まる人も不便なく、できるか考えているところです。それは近々、8月ぐらいまでにはルールを考えるつもりでいます。とりあえず、必要な時があれば言ってください。メールを頂ければ結構です。
メールはこちら

ベートーベンの弦楽四重奏の13番と14番

2015年07月13日 | 日記
 僕はこの頃、考え事をしたり、文を書いていうときに、ベートーベンの弦楽四重奏の13番と14番 作品131をかける。やや音量は小さめにする。時々「大フーガ」もかける。考えるといってもずっと集中しれるわけではない。ふと考えるのを休んだときにちょうどよいタイミングで、美しかったり、激しかったり、せめぎ合ったりする四重奏が耳に入ってくる。時々煙草を吸うのと、あるいは、時々コーヒーを口にするのと同じことなのかもしれない。いっときの清涼感みたいなものがある場合もあるし、もっと頑張って「思いつけよ」と励ましを受ける場合もある。全く個人的なことなのであるが、一日中、テーブルの前でそうやっていても決して飽ることはない。
 2520億円の国立競技場の話も、近づいてくるかもしれない台風のことも、ギリシャのおもしろい話もそういうときは遠い、遠い、関係のない話のように思える(台風が来たらたいへんなのだが、この頃台風は尾鷲を必ず避ける)
 頭の中はある物語を作るのに、夢中になっていて、(というよりすることがないので、そんな風に時を過ごすしか方法を知らないということかもしれない)、思いつけば書き、書いている間は音楽は聞こえず、音楽が聞こえてきたら、自動的にそれは休止することになる。
 ただいま、独り暮らしであるため、いささかの個人幻想の世界にいるわけだ。
 あしたは、きっといっぱいお酒を飲むことになるだろう。そういう約束をしている。彼は日本酒を選び、僕はウィスキーを選んで持ち寄ることにしている。
 昨日は夜中にウィンブルドンの男子決勝を見た。フェデラーは惜しかった。ジョコビッチの守りは最高にかたかった。一時期サービスエイスばかりが続く力のテニスが隆盛したことがあり、しらけた気分にさせたが、フェデラーの登場で、力も、技も両方兼ね備える選手が登場してきて。テニスのレベルは一段と上がったようだ。
 毎日湿っぽい。布団を乾かしたいが、雨が降ったり止んだりする。そういえば布団乾燥機はあったのに、と思うがそこまで気がまわっていかない。寝る前には本を読む。昨日は村上春樹の「回転木馬のデッドヒート」を再読した。なんど読んでもおもしろい。この作家の短編はとてもうまくまとめられているし、そこに、売れる作家たる、スパイスのようなものが1行ほどあるのである。それがだいたいタイトルの芯になっている。読んでいると眠くなるので、そこで本を閉じ、眠ることになる。毎日夢を見る。リアルな夢が最近多く、朝に起きてからも覚えていることが多い。夢の中ででてくることは脈絡はありそうで、突然飛んでしまったり、途中で終わったりとまとまりがない。僕の文章みたいだ。ベートーベンは構成がこれでもかというぐらい、しっかりしているし、奇抜でもある。おそらくこういうところが才ある芸術家なんだと思う。

原田知世の歌の世界

2015年07月07日 | 音楽
 角川春樹が発掘したというか、起用した薬師丸ひろ子と原田知世はどことなく、女優の艶やかさとは違う、なにか、普通の人みたいな、汚れていないというか、垢がついていないというか、そんな雰囲気を両者とももっている。二人の歌も独特なワールドをもっている。
 昨日、BSプレミアムで、原田知世が他のシンガーのカバー曲を歌っていた。ビートルズの「夢の人」まで歌っていたが、なんといっても
原田知世が自分の歌にしてしまっていたのは原田真二の「キャンディ」だった。原田真二という男性が歌うと高いキーでやはり少年ぽい男の声で歌うし、内容も男の子の歌である。これを原田知世が歌うと、透明で澄み切った別世界になってしますのである。この女性は独自の世界を披露している。おそらく、現在もシンガーを続けているのはどこかの時点で自分の歌声というものがわかったのだろう。
 NHKの連続ドラマで「紙の月」の主役、銀行員で巧妙に偽定期貯金を作って、使い込んでしまい、若い男にみついでしまう犯罪者の役を演じた。これもとってもよく、次に見たのは「songs」での歌だった。

 完璧に、歌っても、独特の世界がなければならない。石原詢子が都はるみになれないのは、石原詢子のワールドがないからだ。ただうまいだけでは、歌というのはこころに響いてこないのである。
 矢沢永吉の最初の「キャロル」は全くドアーズのコピーだったのかな、と最近思った。しかし矢沢永吉は強烈な矢沢節をもっていたため今日まで歌い続けるのである。
 原田知世の清潔感は不思議な魅力がある。歳をとるたびに磨かれているという気がする。スタイルがよい。歩き方も素晴らしい。そして声は全くの癒しの声である。
 唸るところも、気張るところもない。どんな歌を歌っても波のない水面、ときに輝く水面という感じだ。
バンドをもっているということだから、ライブやコンサートなどはやっているのだろう。今度洋楽カバーを出したというからプロデュースする人も、原田知世ワールドを認めているのだろうと思う。
 チャンスがあれば、行きたいと思うのだが、ワインでも飲みつつだったら、もっといいだろうに。
 日本のコンサートは礼儀正しく聴かなければならないので、鬱陶しい。やっぱりライブだな。
 

知らないこと知ること事

2015年07月05日 | 文学 思想
知らないことが多すぎて焦ってしまうと思うことがある。
今日生まれて初めて白米の成分を調べてみた。ほとんどが炭水化物で、それは糖質になるものだぐらいの知識ぐらいしかない。

1合150gの白米の総カロリーが534kcal で、でんぷん、ひいては糖質となるのが115.6g。たんぱく質が9.15g、脂質が1.35g,他にビタミンEがo.15mg、ビタミンB1が0.12mg、ビタミンB2が0.03g,ナイアシンが1.8mg 、ビタミンB6が0.18mg、他にも葉酸 、パンテトン酸 ビオチン 、ミネラルは全部入っているし、繊維質も含まれている。もちろん、個体を維持するには不足するものはあるが、やはり主食の東洋の王者ではある。
おにぎりに梅干や焼き鮭や昆布やオカカ、添え物に、たくわんとなれば、上等ではないかと思えてくるが、もうすこしたんぱく質が足りない。そこで、肉か、卵か、魚か、豆類となってくる。

栄養学の話ではない。いかに知らないことが多いかという話である。
ビル・エヴァンスはジャズピアノプレイヤーで、トリオで、ベースと掛け合いをしたり、ドラムは単なるリズムの刻みではなく、ドラム技術の独立性や挑戦性を重んじた。マイルスデイビスが、Kind of blue といjこれまでのジャズのスタイルを変え、モダンジャズに深化させたとき、ビル・エヴァンスの参加不可欠だったという。へえ、知らなかった。ジャズの起こりは南北戦争で残して言った、軍隊の楽器があったので、それを使ってニューオリンズのいろいろな人たちがマーチのようなものから始めたものだったなんて知らなかった。ビル・エヴァンスが長く同棲していた女性と別れてのち、彼女は地下鉄の線路に飛び込んで自殺したことも、仲の良かった兄が理由が不明のまま猟銃で自殺したことも知らなかった。そしてドラッグに溺れ、長い時間をかけて自らの体を崩壊させていき、51歳でこの世を終えたビル・エヴァンスについても知らなかった。

ビーチボーイズの天才ブライアンウィルソンは、20年以上ドラッグや妄想で、低迷したが、今は完全に復帰している。それも知らなかった。

わずか100年で音楽はすっかり変わった。変える天才たちがいたのである。それが、戦後になって若者の間から、しかも、米英から世界を席巻するものたちがでている。
知らなかったことを知るようになるには、結構長いプロセスがある。米成分のことで言えば、炭水化物抜きダイエットを唱える人もいれば、それに反対する意見もある。雑誌で有名人の一週間の食事を記録してもらい、栄養学の専門家らしき人が評価をして、アドバイスをする、というコーナーも読んだ。そんな時に、肝心の米成分について調べたことがなかった、と気がついたのである。 ビーチボーイズについては、妻が「意味が なければスイングはない」という村上春樹の音楽についてかかれたエッセーを読んで
ブックオフでCDを買ってきたのである。そして説明してくれるのである。CDを聞いてみると、ただものではないオリジナルなハーモニーと気持ちのよいノリで、青い空の下の打ち寄せる波のビーチや、夜のダンスの風景が浮かんでくる。音楽でひとつのジャンルを作ったといえそうである。妻が提示したCDをなぜ素直に聞くかというと、僕は僕で村上春樹と小澤征爾の対談を読んでいたのと、この頃、クラシックと同時にジャズのコレクションを始めたからでもある。そのようにして、今日の自分の行為は過去からの連続線上にあるのである。

そうして、今日はアメリカでは無視されたが、ヨーロッパでは大ヒットとなった、ビーチボーイズのスタイルが全くないと感じる「ペット サウンズ」を聴いたのだった。そして、小川国夫の小説を図書館で借りて読んだのだった。


女の決闘 太宰治版

2015年07月03日 | 文学 思想
今は「青空文庫」というアプリがあって、スマホでもタブレットでも著作権が終わった本はこれですべて読めます。漱石の本も太宰治の本も、全部読めます。2年前は漱石の本を手紙からまえがき、予告、本文、それに漱石に関する評論、例えば江藤淳の「漱石とその時代」なども読みました。漱石については結構物知りになったのです。学生時代に全部読んで、40年ぶりぐらいにまた全部読んだというわけです。昨年から現在までは村上春樹を全部読んでいるところで、あと残すところ一冊なので、これは最後の宝物みたいに、18年ものの余市ウイスキーの最後のシングルといったところで、まだ残してあります。その間に、有吉佐和子の「青い壺」と「悪女について」と「開幕ベルは華やかなに」と、新しい研究を披露した「細胞について」を読みました。そんなとき、ふと僕が敬愛する吉本隆明のライブ映像が糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」で無料公開されているので、どれどれと見ていましたら、吉本隆明が太宰治の「女の決闘」について話をしているのです。パソコンの前で聴いているのももどかしいので、読んでみることにしました。この「女の決闘」というのは森鴎外が翻訳したものです。ですから作者は別にいるわけです。この森鴎外の「女の決闘」を読むのでしたら、「青空文庫」で約20分ほどのものです。太宰治はこの「女の決闘」を下敷きにして、想像力をたくましくして、男の視線からも描くのです。

 ある作家には医科学生の愛人がいます。作家は愛人だと思っていますが、女子学生はそんな風には思っていません。彼女は拳銃の名手でもあります。彼女が下宿に戻ると、テーブルの上に置き手紙があります。作家の妻からのものです。「あなたは私が想像しますに、決して私の申し出を断るような責任逃れはしない方でしょう」とかなんとか書いてあり、拳銃での決闘を申し出し、翌朝の10時半に、と場所も書いてあるのです。奥さんのほうは拳銃を触ったこともなく、拳銃屋に行って、拳銃を買い、店主から打ち方をずいぶんその日、長く教わるのです。
 場面は翌日です。二人は停車で会い、白樺のある方へ歩いていきます。奥さんの方がさっさと歩き、女子学生は話しかけようとしてもそれを無視するかのように速足で前を歩いていくのです。

 所定の場所で互いに背を向けて12歩歩きます。そして6発の弾を交互に撃つことになります。奥さんは「あなたからどうぞ」といい、女子学生は撃ちます。一発目は当たりませんでした。今度は奥さんの番です。これも当たりませんでした。二発目もあたりません。三発目、四発目、五発目と当たらず、女子学生は逆上してきます。奥さんのほうも朦朧としています。女子学生は最後の六発目を撃ちます。当たりませんでした。奥さんの方の最後の六発目、意識が霞む中で、中心に白いものが見える(これは女子学生の服です)ので、それに向かって朦朧として撃ちました。するとその白いものが落ちたのです。

 奥さんは拳銃を捨てて、必死で走ります。そして復習の喜びなどはないことを確認します。よろよろと役場に行き、「私は人を殺しました。檻に入れてください」と懇願するのです。役所の人は気が狂っているのか、と思うのですが、彼女の言う、決闘の場所に役人を行かせ、女子学生が死んでいるのと、拳銃が二丁あるのを発見します。決闘が正当なものならば、当時は罪にはなりませんでした。彼女は夫には決してこないようにしてほしいと役所に頼み、誰も来ないようにと懇願し、審査を受けるのですが、矛盾だらけのことを行って、日にちをのばそうとします。そしおて1ケ月以上もたった頃、彼女は餓死をして死んでいるのを役人がみつけるのです。牧師さんも来るものですから、来ないえほしいという手紙を残しています。

 これは森鴎外の方のストーリーです。太宰治はこれに男性の視点からと太宰治の視点からを織り交ぜて、物語を膨らませています。森鴎外のものは20分で読めますが、太宰治のは1時間20分かかります。そして見事なのです。
 このストリーに心理描写、風景描写、からくりを入れていきます。

 戦争中の作品です。戦争に背を向けた数少ない作家です。この頃の太宰治は一番の精神的安定期だったのかもしれません。「右大臣実朝」も書いており、魯迅の日本で過ごした青年時代を描いた「惜別」という作品も書いております。
 それで、青空文庫で、「春の盗賊」とか「駆け込み訴へ」とか「ヴィヨンの妻」とか読みまして、ええい、全部読んでしまおうかな、と思っているところです。確実に百年後も読まれる作家だと思います。比喩もうまいし、皮肉もうまいし、自虐的なところも読ませるものがあります。そして何よりも、人間というものは数秒の間に、善いことも、悪いことも、いろいろな考えが浮かぶものであることを見事にか書き換えております。
 森鴎外が生きていたら、絶賛したか、負けじと森鴎外も翻訳だけではすまさず、森鴎外版を書いたかもしれません。