25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

4月30日

2018年04月30日 | 社会・経済・政治
 今日は大潮なので11時頃に磯に行った。途中潮干狩りをしている人たちがテントを張って、アサリを採っているのを見た。大きいアサリは大潮の時しか渡れない島の砂浜にあるのを知っていたので、そこも車からみると人がいた。やはりゴールデンウィークは人が増える。
 磯に着くと、ヒジキを採る女性が一人いた。例年なら三人いる。採っては堤防にヒジキを干す。
磯に入ると、驚いたのはヒジキが磯を覆っているのである。これでは足元がすべって危ないのと、ヒジキの下にいる貝が採りにくい。
 今年は2回目の磯遊びであるが、チャンポコが例年に比べて少ない。ヒジキのせいではないかと思う。ヒジキが磯のどこにでも被さって貝が住める場所が少なくなったのではないか。そしてそうなったのはいつもこの時期ヒジキを採る女性たちが一人になってしまったからではないか。
「まあ、これ、このヒジキ、タケとんさ。今年はこれで終わりやな」と女性がぼくに言った。「チャンポコも少ないで」
来年はヒジキ採りをしてみようか、などと思うが、地元の人達の邪魔になってもいけないしなあ、などち思いながら、今晩の酒の肴を程度の貝を足元を用心して採ったのだった。
 釣り人も多かった。普段いない場所にいる。スーパーに行っても、他所の人が多い。
 来年の30日は天皇退位で、新天皇が5月1日に即位する。ゴールデンウィークにしなくてもと思うが、ややこしい元号は不便でしかたがな。今やぼくは昭和は何年の何月何日までだったか記憶も怪しくなっている。

ユニクロ

2018年04月29日 | 社会・経済・政治
 明日から三日間は満月で、大潮なので、チャンポコでも採りに行こうと思っている。今日もよい天気である。
 昨日は新宮までズボンを買いに行った。今のズボンはウエストがきつくなってきたので、夏用がない。腹回りサイズと股下サイズが自分に合うズボンがあると思ったがその手の商品は佐野のモールでは姿を消していて、さらに、種類も去年より減り、落胆した。それでユニクロに行って見た。ユニクロは実に巧妙に考えたパンツを売っていた。ウエストサイズに拘らず、ゴムで対応できるようにしてある。ゴムとわかるとダメなもで、ベルトをして隠すようになっている。これでは、少々の腹回りの増減は気にしなくても済む。ノータックが流行りなのだろう。ワンタックのものがあったので、3本買ったら、「まとめ買い」というサービスがあって990円割り引いてくれた。ユニクロの大株主は日銀である。
 工夫に工夫を重ねているように見える。気を取り直して、買い物を済ませ家に帰った。もう使うことがないであろうと思われるものは捨て、ちょっと腹回りのサイズ蛾減れば使えるものは残した。
 ユニクロの意欲は値下げ、工夫、デザイン。日銀は消費者物価上げ、消費意欲向上を目指す。その日銀は2%の消費者物価を上げる目標を取り止めた。5年経っても達成できず、出口戦略を探っているようであるが、すでに次の金融危機がきたらどうにもならないほどの国債の買い入れをしている。
 今日は体操やゴルフなどの中継があり、のんびりと家で過ごしている。ゴールデンウィークという意識はまったくなく、いつもの日gs続いているという感じだ。

我が町、尾鷲はどうなっていくのか

2018年04月27日 | 社会・経済・政治
 3月末のデータで、ぼくの住む尾鷲市の人口は18167人で、前月よりも114人減っている。世帯数で31世帯減っている。転入者がいるものの転出者の数が上まっている。3月末は移動が多い月なのかもしれんしが、先月の「広報おわせでも2月末で30人ほど減っていたので、さづがに今回の「広報おわせ」で驚いたわけである。
 ぼくがいくところどこも人手不足だと言っている。病院、介護施設、マック、イオン----。病院が機能できなくなり、介護施設が機能できなくなったら、消滅都市となる。
 馬鹿馬鹿しいぉとだが、「広報おわせ」をみる限り「木」にこだわってお金を出しているように思え、人口減少を止める手立てのこちが5月号には書かれていない。
 現在の市会議員や市長はどう戦略を立てているのだろうか。5月号には一切書かれていない。
 毎月30人も減っていけば、5年後に何人になるかわかる。市はこれまでほとんど新しい産業にもて立てなく無能のようになにもしてこなかった。
 市長が交代した。どんな政策を打ち出すのか期待もある。sじかぢ、団塊の世代以上ではどうにもできまい、と思ったりする。尾鷲はどうなっていくのか。
 

金王朝

2018年04月27日 | 社会・経済・政治
 叔父を粛清し、兄を殺させ、核兵器に執拗に拘った男が生中継の舞台に姿を現した。にこやかで、言葉はっきりとした口調で、境界線の一歩が11年もかかったと、冷麺ももってきたと雑談を交わした。
 ぼくは母の通う病院のレントゲン室の中で見ていた。金王朝は日本の天皇家のようになりたいのだろうか、と思ってもみた。さすがに今回ばかりは後がないように思える。
 九州の福岡に目を絞って、そこを軸にして円を描くと、釜山は広島くらいの距離で、平壌は東京までくらいの距離である。古来から人の行き来は激しかったはずだ。日本は朝鮮にたいして恥ずべきことを二度した。秀吉による出兵、日本軍による侵略、植民地化。
 いつの日か、アメリカの栄光がなくなり、人口の多い中国が、巨大市場が消費者社会へと移行したときに世界の覇権地図は塗り変わる。
 中国、朝鮮はあまりに近く、あまりにも文化的関係性も、人類史的にも近い関係だ。アメリカはあまりにも逆に遠い。極東の島国、しかも災害列島の国である日本は隣の国を大事に思い、対等の立場でいることを望む。
 朝鮮情勢も6月中にはなんらかの見込みが立つことだろう。金王朝が滅ぶか、経済の高度成長の始まりの年になるか。きっと後者であろうとぼくは推察している。もちろん、希望も入っての推察だ。
 どの国とも仲良くすればよいのだ。それが国民国家の進む道なのだと思う。

科学の先端

2018年04月26日 | 文学 思想
 人類が進化の過程で作っていった遺伝子や、そこから派生する神経系統や細胞の仕組みの解明が世界の研究者によって進められている。パラダイムシフトを起こす研究者はノーベル賞や別の賞をとる。
 福岡伸一はエッセーを書くのがうまい。簡潔に、比喩も使って、科学者の研究を解説してくれる。彼は、相反する反応をするものが流れのなかでバランスを保つことを「動的平衡」と呼び、生命とはいかなるものか、という問いに彼なりの考えを発表したのだった。たんぱく質が毎日入れ替わっても、細胞が毎日によう取り替えられてもぼくはぼくとして存在する。これが「動的平衡」だ。
 
 すると老いとは何であるか。動的平衡が少しずつ均衡を失い始めることだとも言える。人間のゲノム解析があっという間にできたように、超複雑にしくまれた人体もやがて100%解明される日も近いように思われる。と同時に人間の若さへの執着が示すように、若返りという人間になかったことも作り出してしまうのではないかと思ってしまう。
 外界からのストレスや自己の物の考え方によるストレスがどのような病気を作ってしまうものなのか、こんなこともわかってくるのだろう。あるいは細胞同士のコミュニケーションが量子論的であることもわかるかもしれないのだ。

 人間の欲望は秦の始皇帝の時代から不老不死を望み、富を望んできた。分子生物学の研究者たちは「生命とは何か」、それを解き明かすために「今何が必要な課題」か、を見つめ、試行錯誤を繰り返す。そこには、富も不老不死もないように思える。探究も人間の好奇心という欲望であるはずだ。彼らは、全員とまでいかないまでも、自由に研究できる環境を求める。そして生命の謎解きの一員となる。そして結集する。
 第四次産業革命がシンギュラリティーの時期を迎えると予測される2035年には医学、分子生物学、物理学なども総合化してシンギュラリティーを迎えるもかもし
れない。
 それまで生きていたいものだと思うのも欲望のひとつであるが、切り替えさえすれば「意志」とも言えるからジタバタしてでも生きてやろう、と思っている。ひそかにその時が宗教の終わりの始まりではないかと思う。
 
 

後悔すること

2018年04月25日 | 文学 思想
 外に出て外食をすると知り合い出会ったりする。そして社会的な参加もしているような気もする。岡田さんから面白い話を聞いた。アメリカでの85歳以上の人へのアンケートで、「後悔していることは何か」と問うたところ、なんと「他人の目を気にしすぎたこと」という回答が一番多かったらしい。えっ、と思った。シアトルにいた頃なんて隣家とは距離もあり、世間のようなものは存在しないように思われた。日本列島人ならその100倍や1000倍気を使っているのではないかと思う。チャレンジをしなかったことを悔いている人も多かったらしい。
 尾鷲など、狭い世間の中であきれるほど用心深くなっている人を何人も見ている。85歳過ぎたら、アメリカ人のように後悔するのだろうか。もしかしたら意識さえしていないのかもしれない。
 コミュニティーで生きる限り、個人幻想よりも共同幻想を気にするということなのだろう。いずれにせよ、人間というものの関係性で生きる宿命の芯のところは人類程度の差こそあれ同じことなのだろう。
 しかしながら後悔の一番にもってくるのは、85歳以上の人は自覚客観化できているということだ。
 アメリカ村映画を観ていると映画の世界がアメリカのように思えてくるが、この話で映画とは違うアメリカ人の姿が浮かんでくる。
 このようなアンケートをとる側も面白い。日本列島人ならどう答えるうのだろう。
 ぼくだったら、「もっと慎重でありたかった」と答える。ロンドンにいた頃ガールフレンド、キャシーの連絡先をノートに記しておかなかったと、一人勝ってに思い込んでいた。手紙を書きたかったことが幾度とあった。しかしそれも叶わぬことだと思い込んでいた。
 とことが一週間前に、夜中に突然思い立って、部屋の片付けをしていたら、引き出しの中から、赤くて薄いメモ帳がでてきた。何が書いてあるのかペラペラとめくって最後のページにキャシーの自宅住所学生寮の住所、それぞれ電話番号が出てきたびっくりした。メモしていたのだ。ぼくはそれを不覚にも忘れてしまっていたのだ。これもぼくに慎重さがない証である。とても後悔している。30代、40代、50代と近況のやりとりができていたかもしれないのだ。
 迂闊さ、これがぼくの後悔である。

三田明

2018年04月24日 | 音楽

 「徹子の部屋」で三田明が出演していた。16歳でデビューした三田明の「美しい十代」は大ヒットした。このときの三田は本当に可愛い顔をしていて、歌はとても下手で、息を吸い込む音がマイクを通して「ガー」と鳴るほどだった。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家に遅れてのデビューだったが、日本歌謡ベストテンで10曲が一位となっているから、これは大健闘である。吉永小百合ともデュエットしている。青春ソングを歌っていたが、やがて舟木一夫や西郷輝彦同様に、歌番組にでなくなってきた。
 三田明の顔が変わったのでびっくりしたのをおぼえている。整形手術をしたと当時なにかで知ったが、それは自宅の火事による被害だったことは今日までしらなかった。すっかり整形の顔になんでそんなことをしたのか残念に思っていたから、今日からは同情に変わった。
 マネージャーが三田の名義でお金を借り、使い込んだという事件もあり、その返済に全国を歌ってまわったらしい。
 三田明はずいぶん歌が上手くなった。一度彼のブログを覗いたことがある。久保浩という「霧の中の少女」でヒットを飛ばした歌手と今も仲がよいらしく、彼が経営するスナックバーが神戸にある、と読んだことがある。一度行ってみたいと思っているがチャンスが来ない。
 三田明は物真似もうまく、さらに5年ほど役者をしたらしいが、歌手の世界に戻ったと言っていた。舟木の「高校三年生」に匹敵する「美しい十代」があったからだろう。
 テレビで新曲「こんな俺でよかったら」を歌っていた。四十すぎくらいの男が歌っているようで、歌唱力もあった。歌ってみたくなるような男の歌であった 上から下、靴までも真っ白なスーツを着て歌っていた。声もよく出ていた。
 なんと70歳だと言っていた。ここにも年齢不詳の男がいた。
 しかし彼の若い時代に歌を歌うには恥ずかしく、時々客の一人が歌うのを聞いて中学時代を懐かしく思い出す。
 あの頃、可愛い男の子が歌手として出てきたのは初めてのことだったが、いかんせん、佐伯孝夫が作詞を担当しただけに、歌詞の古くささがもったいない。
 1970年代に入ると、歌の世界は急速に散らばっていった。グループサウンドからフォークの時代へと移り、テレビに出ない井上陽水なども出てくる頃だったときに三田明は姿を消していったのである。流行歌手の世界も大変な浮き沈みのある世界であるが、一時代に光輝いた歌手のその光はファンに支えられて一生涯放つものだと改めて思ったのだった。
 すると桑田佳祐はどうなる?
 


総無責任国家日本

2018年04月23日 | 社会・経済・政治
 麻生財務大臣は若い頃も熟年になってからも勉強してこなかったのだと思う。未曾有を「みそゆう」、踏襲を「ふしゅう」、頻繁を「はんざつ」詳細を「ようさい」.有無を「ゆうむ」.措置を「処置」思惑を「しわく」、破綻を「はじょう」、順風満帆を「じゅんぷうまんぽ」、低迷を「ていまい」、焦眉を「しゅうび」と誤読した。
 お笑いの世界だったらおもしろい。あきれるばかりだ。この人のダメなのは、ある時期に勉強しなかったということで、それが日本国の総理大臣までできるということだ。田中角栄のように数字や人の名覚えが得意だったわけでもない。
 この人の顔つきの悪さにも驚くが自民党内で着々と派閥を拡大していることだ。
 もちろん、日本会議のメンバーであり、朝日新聞嫌いの極右である。戦前も憲法に一度戻すべきだと思っている。
この人をみていると、日本はどこにも未来がないように思えてくる。無責任でもある。

 日本人にはが一般人から組織人、官僚、政治家まで責任を取らないという因習がある。昨日曽根の海に廃船が海に放りだされ、一部は波でか陸上がって山積みになりつつある。船を持っていた人の無責任さである。教員が不祥事を起こせば、自分で謝罪せず、教育委員会の上のものが謝る。医師もそうである。東電もしかりである。国に助けてもらう。日航も同様。福田事務次官にしろ、どうせ退職金はもらい、どこかにあまくだりでも、いずれするのだろう。佐川元理財局局長は責任回避のためにあも手この手で逃げることだけを考える。

 思えば日本大衆史(アフリカ的段階からアジア的専制の段階)では大衆が責任をとるということはなかった。権力者が治水工事などのインフラを整備した。年貢はとったが、それは強制的な義務であった。明治維新も大衆が関わったものではない。武士の闘いであった。
 遊園地の遊び道具に不備があれば、オカミに文句を言う。崖から落ちれば何で柵はなかったのかとオカミのせいにする。子供の腕引っ張れば、暴力だと学校に文句を言う。
 子供が自殺すれば学校だけのせいにする。電車ホームで落ちる人がいれば高いお金をだして柵をつける。
 こんな無責任な国に自分たちで権利や自由を勝ち取った経験がない。国民自らが民主主義を勝ち取ったわけでもない。
 これがその体たらくぶりだ。総無責任社会となった日本に明日はあるのかといいたいくらいだ。自分で使った船くらい自分で始末しろよ、とブツブツいいながら道を歩いたのだった。

紀勢本線 尾鷲~新宮

2018年04月22日 | 日記
 兵庫県の三田に住み、釣り好きのFさんは曽根に小さな囲炉裏付きの別荘を持っている、来るのに五時間かかるらしい。ぼくが紹介した物件で、彼の物件探しはこの家で終わった。そのFさんが時々誘いがあったが都合がつかないときもあり、昨日は久しぶりに時間も気分も都合がよかったので、彼の誘いに応じる余裕があったのだった。
 のんびりと汽車でいくことにした。普通列車も様変わりしていた。向かい合って座る座席から、山手線のような一列が両側にあるものに変わっていた。
 紀勢本線のうち尾鷲から新宮までの車窓は全国の鉄道の車窓景色ではベスト3くらいにははいるのではないか、といつも思う。尾鷲から大曽根は青色の海だが、九鬼になるとどんよりい陰った濃い緑色になる。三木里では青い海が弧を描くようにある。鮮やかに黄緑色になった木々の葉が間近に通りすぎる。トンネルは景色観覧の一休みだ。
20分ほどで賀田駅に着いた。そこから曽根までぶらぶらと歩いた。躑躅の季節である。25分かかった。
 この区間の車窓風景はもっと宣伝されてよいと思う。
 その夜は美味しいスコッチウイスキーを飲み、洒落たジャズなど聞き、結構静かに語りあったのだった。銘柄は忘れたが、最初に飲んだハイランドの14年物が旨かった。
 彼は神戸、大阪でバーに通っているらしい。そこでうんちくを聞くのだろう。彼の憩いの家にはみたこともないスコッチウィスキーが置いてあった。確か残る人生分を買っておこうと思って、と言ったような気がする。飲み方にもこだわりがあるようだった。
 楽しい、贅沢な時間が過ぎた。帰りは妻に迎えに来てもらった。そうして春の心地よい土曜日が終わったのだった。
 


中井貴一のよさ

2018年04月21日 | 映画
 中井貴一という役者はたいしたもんだ、とまた時代劇映画「柘榴坂の仇討ち」を見て思った。桜田騒動で主君を守れなかった主人公は、襲撃をかけた水戸藩士ら襲撃者の首を取ってこいという命令で、十三年めにとうとう最後の男を見つけることになる。仇討ち禁止令がでる。世の中は大きく変わっている。妻が飯屋や縫い仕事で、彼の生活を支えている。
 降りしきる雪の中でも花を咲かせる風景が出てくるしみじみとした映画であった。幾つかの名場面があった。
 中井貴一の武士の所作、表情の変化、歩き方と姿勢、納得のいく名演技だった。この平成の世には時代劇を演じられる俳優はこの人しかいないのではないか。
中井貴一は演技分野も幅が広い。コメディっぽいものを軽妙にこなすこともできれば、悪役を演じることもできる。とうに父親の佐田啓二を超えている。
 「サラメシ」の明るいナレーションもよい。高慢ちき風でもない。やがては老人役もするのだろう。岸恵子や草笛光子が超年齢となって年齢不詳の女優になったように、中井貴一もそうなるのではないかと思うくらい、年齢が止まっているような感がある。
 「愛しのエリー」が流れていた「不揃いの林檎たち」から、テレビ、映画と間断なく登場する。
 
 思えば、時代劇が映画公開されるのは珍しく、制作されて上演されるものは力作ばかりである。
「雨上がる」くらいの時期から、「山桜」「武士の一分」「花のあと」「川辺のほとり」「義士壬生伝」「秘伝 鳥刺し」「殿、利息でござる」くらいしか覚えていないがどれも秀作で心打たれるものばかりだった。
 

チャラ男

2018年04月20日 | 社会・経済・政治
 新潟県米山隆一知事は潔く辞任した。今日週刊文春を読んでみたが、知事だけが一方的に悪いのではない。彼のことをお客さん思っていた有名大学A子(大学名と名前を出してほしかったが)や元彼にばらしてしまうはめになったB子も大学生としてはやっていることの見識がない。よい金づるだったのだ。知事は独身で、緊張が続く公務の中で、息抜きしたかったように思える。そしてその相手を女性に求めていたのだろう。
 さっさと辞めた決意は評価できるというものだ。で、その女子学生については週刊文春はどうするのか。お金を払ってその寝たらをもらうようなら、文春もひどいものである。女性についても批判はされなければならない。知事は暴行したわけではない。互いの合意の上で、謝礼めいたお金をわたしたのだった。
 一方で、福田財務事務次官は一般人の男と比べても質が悪い。自分で誘っておいて、女性記者が本題に入ってくると、おちゃらけて卑猥な言葉でかわし、それを楽しんでいるかのように見える。超エリートかなんてわからないが、別の世界では幼稚な男である。しかも往生際が悪いときている。
 加えて麻生財務大臣の意識と見識の低さにもあきれはてる。
他者の状況を思いやる頭脳がない。記者を男だけにしたらいいんだ、という発言もバカだと思う。

 工業社会の先端をいっていた日本がグーグルやアマゾン、フェイスブック、などを生み出せなかったのはなぜかといえば、多くの分野でのリーダーがインターネットが及ぼす社会を予見できなかったからだ。政治家しかり、民間企業しかりで、国民は相変わらず自民党に政権を委ねてしまう始末である。現在、第四次産業革命が勃興している。現政策をみていると、これにも取り残されそうである。
 トヨタが生き残っていけるか、ということも不透明である。
 経済社会が移り変わって行く中で、官僚のセクハラ、官僚の記録隠し、改竄、かばいだて、見えぬ者からの指令によるそんたく、そんなことばかりがテレビニュースを占めている。
 自衛隊の派遣によって、自衛隊員がどれほど多く自殺をでぃているか、どういうことは論じられない。
 いい加減、間抜け顔した福田という男の顔も見たくない。それ以上に、奇妙に気取って帽子を被った麻生の姿も気に入らない。
 「柘榴坂の仇討ち」という映画をみたが、仇討ちする方もされる方も、そのこころはチャラ男ではない。こんな男になりたいとも思うが、ぼくは福田や麻生に比べてまだましな方であると、我ながら思っている。
 

何が起こるかわからない

2018年04月18日 | 日記
 近所の干物やさんの女性が後ろから車にて当てられて、膝の骨を折った。三週間の入院だと言っていたのが一ヶ半とい長い入院となった。99歳の姉や義甥の食事の世話や市場への買い出し、そのあと魚を加工する仕事ができなくなった。加害者はよそ見をしていたらしい。
 このような交通事故の場合、弁護士をつければ、弁護士基準と保険会社基準で争うことになるが、弁護士をたてない場合は保険会社はグイグイと保険会社基準で押してくる。家族全員が超高齢化しているため、僕が医者とのやりとりや、保険会社とのやりとりをやっている。母も事故で知っているksら、ということも引き受ける理由である。
 交通事故も場合、加害者と被害者をどう公平にみても被害者が損である。仕事ができなくなる可能性だってある。医者は後遺障害はない、と判断したが、はたして本当に後遺症はないか、わからない。
 加害者は時速5キロくらいで走っていたという。この数字で車を運転してみたが、ぼくには5キロで走るのは不可能であった。噂ではスマホを見ていた、という人もいる。加害者も辛いことだろうが、被害者はもっとつらい。
 ぼくの母も、事故からとたんに弱くなり、歩くのも道具類が必要になった。筋肉も弱った。裁判では想定外のことが事故以後に、また裁判での決着後に、事故の影響がでてきたのだった。
 つくづく被害者は損だと思ったのだった。
 干物やのおばさんは、「仕事ようするやろか」と不安がる。「六ヶ月ほどは無理せんと様子みてな」と励ます。
 これまでせっせと市場に手押し台車を押して、魚をバケツに入れて、家に戻り、干物作りをしていたのだった。平穏だったはずだ。何が起こるかわからない。

「よもやまばなし」に参加した

2018年04月17日 | 日記
公民館で「よもやまはなし」という講座があったので、参加しようと思い、図書館に加入申し込みをした。すると、前もって読んでくる本として、「四十九日のレシピ」という小説を読んでくるのが課題であった。その本を寝がけに、枕元で4回ほどに分けて読んだ。見知らぬ、人ばかりと思われるので、少し緊張した。
 今日がその講座の日だった。作者のプロフィールが紹介され、あらすじまでも、ネットでの批評も資料に書かれていた。
 7人の出席者だった。この小説をもとに出席者の言葉が次々と展開されていく。ぼくも意見を言う。申し訳ないが話を飛ばす。この本について語るべきことがない、みなしんな風だった。
 1時間半ほども経ったとき、84歳になるという元公務員の男性が「テレビの前で、殴ったろか、と思う奴がおる」と背中を曲げて言った。「それは誰なん?」と問うたら「アベ「と言った。笑ってしまった。超老人がここにもいるのかという印象である。
 ぼくは他人との交流を考えてこの講座に参加した。懐かしい同級生がいた。そして温かく迎え入れてくれた。公民館の空調は寒すぎると思い、体が冷えきったようになtらが、心に温もりがあったというしか言いようがないものだった。来月はいろいろな意見が聞きたいと思っていた、「村上春樹」の「レーダーホーゼン」をぼくが提案した。その感想が楽しみである。

ホモ サピエンス

2018年04月16日 | 文学 思想
 人類がなにか偶然の遺伝子突然変異で、徐々にだろうが、木の実上の生活から、二足歩行をするようになった。足の形たちはまだ手のようだった。か弱い人類のひとつは二足歩行によって、落ちている木の実や果物、他の動物が餌食とした食べ残しを手にもって運ぶことができた。しかも、同じ種のオスとメスをとる争いにエネルギーを使わなくて済むように一夫一妻をよしとしていた。この一夫一妻をとったのが、手で抱えて物を運べるようにしたのか、手で運べるから一夫一妻にしたのか、わからないが、あきらあにこの時には観念の「対幻想」が芽生えていたのかもしれない。
 次に仲間を作って、食糧をとる有利さも獲得していった。「共同幻想」が芽生えていたのだろうか。他の動物が残した残骸には骨もあった。骨のなかには栄養の多い骨髄があった。それを食べるには悪しかなかった。やがて、偶然であるか、骨髄を引っ掻いて取り出す鋭利な石器を手に入れて、使ってみた。

 二足歩行をするためにはその代償もあった。女性の骨盤が変形したのである。馬のように生まれてすぐ立ち上がることができない。未熟児のまま産んで、子供が一歳ほどになるまで、つまりタチアガッテ歩けるようになるまで育てなければならなかった。オスはそのために蘇とに出かけ、危険がありながらみ食糧をメスに持ってくる必要があった。貝や魚を食べることも石器のおかげでできるようになり、食べてみるという好奇心も働く。
 現在20種の人類が700年前から20万年くらいの間にいたというが、大変な年月だ。ホモサピエンスが生き延びることができた。
 それはなぜなのか、NHKスペシャルの第2回「人類誕生」であきらかになるのだろう。ネアンデルタール人がなぜ滅んだのか、ホモサピエンスが生き残っていったのか、最新の研究をもとに栄蔵かしながら紹介するのだろう。第一回をみてもか弱い人類の逆転に逆転につぐ生き残り方によくやったと応援したくなる。他の人類はなぜ滅んだのだろう。
 ホモサピエンス優位の歴史はまだ短い。宇宙に進出しようとするとするホモサピエンス、戦争をやめないホモサピエンス。核爆弾を作るホモサピエンス。あと千年生き残るのだろうか。

命の育み

2018年04月15日 | 文学 思想
 命の誕生というのは尊いものだ。岡田さんの初孫は7ヶ月で今日わざわざ来てもらって初めて見た。笑顔を見せるときもあった。父親はぼくの息子と同級生で大学時代までは仲良く付き合っていた。さすが仕事をするようになり、京都、東京と離れれば、めったに会える機会もないことだろう。
 父親と眉毛がそっくりで、目は岡田さんに似ている。この子も剣道をするのだろうか。すでに男の顔をしていた。小さな手や足もむっちりで、健康そうだ。
 人類の発生から700万年。この子も700万年前から脈々と繋いできた一番最先端のヒトである。これから最初の人類のアミダスが立ち始めた頃に向かい、感覚を研ぎ澄まし、細菌を十分に取り込む「なめ廻し」の時期となる。なんでも触り、なめたりする。あまりにも清潔だと自己免疫疾患になることもある。
 自分の孫も可愛いものだが、友達の孫も可愛いものだ。赤ちゃんを抱いている女性をスーパーなどで見かけると微笑ましくなり、子育て苦労も想像され、頑張れよ、と心の内でつぶやくことがある。2歳まで、母親や父親が経済的にも、愛情的にも安心感を与えることができれば子育てはほぼ成功するように思える。
 ぼくの最初の孫娘は早生まれなので今月から小学校に入学した。ランドセル姿の写真が届いた。勉強かあ、授業中じっとしていることは辛かったなあ、と苦く思い出す。