朝、事務所への道すがら、必ず寄る八百屋さんのメダカと金魚を見る。そしてメダカ談義となる。
「名取裕子が、青く光るメダカを四匹飼ってるって」
というと、返事はすぐ返ってくる。
「青いのも、金色も銀色のもおるで。紀伊長島のな、主婦の店知っとるやり、そこ過ぎるとトンネルがあって、それ抜けると左側にメダカ屋さんがあるんじゃい」
「へえ、メダカ屋さん?」
「ああ、そこにな、鍵掛けて青や金色のメダカがおるんじゃい。一匹500円やで。松阪へいく1000円づるらしいわ」
「へえ、蛍光色らしいで。青 光るって」
とこんな風である。八百屋の前のおじいさんがやってきて話に加わる。おじいさんというけれど、ぼくより少々上ぐらいのもんだ。このおじいさんがこまめに金魚槽の掃除をしている。メダカ談義が弾む。「おれは水は換えんで。ほら水澄んどるやろ」
「そうやなあ。ぼくは毎日換えてますよ。昨日は水換えして一匹死なせてしもて。そう指導されたんやけどな」
「ふーん、わしゃあ換えんな。この赤玉土がええんやろか」
となんだかんだと十分ほど話をして再び歩く。
思えば、花を植えはじめて、近所の人が「楽しみやなあ」と声を掛けてくるようになった。これまでは挨拶程度であった。それが、うちの花はどうだの、よかったらとゼラニュウムの大輪の花を挿してみたらどうかと、何かと花談義をするようになった。
「あそこにほら、高い木があるやり、あれ切ってみらわんと、邪魔でな」「そこはDさんの土地やな。言うたろかな。好きにしてくれって言うわい」となってぼくはDさんの家にいくことになる。
Dさんと久しぶりに会うと、「悪かったなあ。挨拶してくるわ。好きなようにしてくれてかまわんのやで」となって、「ところであんたどないしとったん?」となるひとしきり話をして自転車でかえり、その回答を知らせにいく。
近所の男どもはほとんど死んでしまった。一本筋の旧明慶町に男は三人である。ぼくとしてはこの筋がいざ南海トラフというときに肥えをかける犯意だな、と思う。
とにかくも、憩いのものを持つことで、共通の話題ができ、親しみがわく。それが最近の変化だ。