25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

旧約聖書のつづき

2019年03月31日 | 社会・経済・政治
 未だにイスラエル辺りは旧約聖書の続きのような闘いを続けている。これにアメリカが加わり、トランプ大統領がゴラン高原をイスラエルの帰属とするような大統領令に署名した。当然シリアは猛反発する。シリアのバックにはロシアがいる。ユダヤ人、アラブ人の問題は、宗教、民族というものに、政治が割って入るという完全な共同幻想の問題だ。本当は宗教という観念、民族という観念が薄まっていき、やがて消滅していくことが望ましい。日本列島は極東の地で、過去2万年ほどの間、多様な民族が入ってきた。日本列島が行き止まりの地であった。朝鮮半島から、中国、台湾、沖縄のルートからも入ってきたし、ロシアルートからも入って来た。朝廷も外国人を招き入れていた。それがいつの間にか日本列島人となった。ぼくは専門家ではないからデータをもたないが、遺伝子を調べていったら、どのように混じり合っていったのかわかるはずだ。
 要するに「純血」ということはあり得ないはずである。ぼくの親には父方に2人、母方に2人の親がいて、さらにその上には・・・と遡っていくと、最初の祖先までたどれるはずだ。観念がそこまで及べば、僕らは仲良くやっていけるはずだ。

 中東は緊張が高まっている。
 明日から新しい入管法が施行される。政治、行政もそうだが国民も意識のコントロールができないといけないだろう。
 科学がどれほど急速に発展しようと人間の精神の発展はあまりにも遅いように見える。

グンビーラ

2019年03月30日 | 日記
 朝ドラの「まんぷく」も失速することなく終わり、大成功で終わった。企業を起こしたものの話はおもしろい。「カーネーション」や「朝が来た」の主人公にはど根性があった。やり抜く力があった。ぼくも見習わなければ、とムチを打つぞ。

 デューク・エーセスの日本の唄第二集めは愛知県から始まる。そこから三重県、滋賀県、京都府と西へすすんでいく。九州より四国が先だ。金比羅宮のある香川県の歌は「グンビーラ大権現」という。ガンジス川のワニである。はるけくも東の国 日本に来て、四国は讃州 那珂の郡 コンピーラ大権現。永六輔の詞を口ずさんでいたら、あっ、そう言えば今日来る客は香川の高松、コンピーラ大権現様のいるところから来た若者たちである。礼儀正しい青年たちだった。翌日は鬼ゲ城にいくという。日本書記に書かれている「花の巖」は最古の神社となっているから、見ておいたほうがええよ、大巨岩の御神体やで、と言うと、はっきりした口調で「そうですか、ありがとうございます。行ってみます「と応じた。この神社は島根の出雲大社の管轄下にあり、興味深いところだ。金比羅さんは船乗りたちの守り神。「花の巖」はおそらく、鎮魂の碑。神武軍がやってきてこの有馬の村は支配下に置かれただろう。これは個人的な妄想である。
 前の日に香川を出てどこへ行ったのか聞くのを忘れた。なぜ「曽根」まできて泊まるのか、これも聞くのを忘れた。だが5人の大学生が春休みの間に、他所を見てまわるのだ。エネルギーはたっぷりある。尾鷲はやや冷えたから桜の満開は4月4日くらいになるだろう。ぼくにとってはこれが高校生の時期までの桜の咲く時期だった。学校の入学式や始業式に桜が咲いていたのを思いだす。
 大学生たちはドライブの各地で桜の様子を見ることだろう。

1日のうちにはいろいろある

2019年03月29日 | 日記
 朝、母を病院に連れていき、母の様子を説明した。「なにか不安でもあるんでしょうかねえ」と医者はいう。内蔵などが悪い場合に突然に起こる場合もあるということで、血液検査。また2週間後に、ということで、今日はなんの処方箋もなかった。
 母をデイケアに送り、事務所で、yaplog 時代のブログの文を2005年4月でから9月まで移した。2014年まであるのでまだまだだが、ちょっとずつやっていけば必ず終わる。一度にexport できればいいのに。その手段がわからない。まとめて一度でやれれば時間も労力も節約できるのに。コンピューターの中でのことだからこんなことができないのは不思議なことであるが、設定した者、プログラムを作った者からは想定外のことなのかも知れない。
 本にしてまとめておこうと思っている。
 午後 潮は悪かったが、松本の磯にカメノテを採りに行った。いつもの磯は海の中にある。カメノテは波の飛沫がかかる程度の岩場の割れ目に群れている。それを根っこから掻き出すのだ。ぼくは雑草とりの道具を使う。取り方を教えるがこれはむずかしい。海の公園の桜はまだ蕾ばかりだ。満開は4月1日か2日くらいだろう。
 萩原健一が死んだと聞いた。同い年である。癌に対する「ウィルス療法」や「光免疫療法」の話を聞いたばかりだった。母より25歳も若いというのに、どうしたことか。生きる意欲を失わせるほど強力な癌だったということか。「課長さんの厄年」というドラマで板挟み役がじつに巧かった。それでファンとなった。まだまだこれからだというのに。残念なことだ。


 

孫ー娘ー自分・妻ー母

2019年03月28日 | 日記
 Goo Blog の形式が変わったので、少し戸惑っている。書いたものを自動保存していたつもりが、出て来ない。これには参る。ぼくのやり方にどこか間違いがあるのだろう。
 娘と孫たちが春休みで尾鷲に来ている。姉7才は弟4才によく気配りする絶えず二人は笑い合って、ちょこまかと動きまわっている。ぼくの労働を手伝ってもくれる。
 今日は池の水取りや、枯れ草の処理を手伝ってくれた。68ー7=61。
 孫娘とは61歳の歳の差がある。孫娘は確実に日本の破綻を経験する。それは戦後一度経験し、それ以後経験のないものだ。
 そういうことを考えてしまうことは止めて、今日は「夢古道の湯」に行ってのんびりした。悪いと思うが客が少ない方がのんびりできる。「夢古道の湯」では向井の漬物売られていて、ぼくは「からしな」を衝動買いしてしまった。美味しかったからよかった。

 前にぼくが料理した自称「地中海」を7歳娘はおぼえていて、その中の海老を食べたいという。そう言われる張り切って、海老→キャベツ→牛肉→もやし、という順で食べた。味付けはワインと
塩、胡椒である。ビールが美味しかった。

 明日は母親を病院に連れていく。次々と忘れていく世界は実は恐ろしいものではないか。母も慌て、おののき、恐れ、不安で一杯なのではないか、とおもってしまう。
 お医者さんと話をして、経験的な病状の推移を聞いてみたい。

 孫ー娘ー自分・妻ー母という系は百年ほどのものであるが、実際は延々と過去に、それから未来に繋がっていく。途絶えることがあるかもしれないが、それはかまわない。
 2035年齢ー2045年。このシンギュラリティーの時期を母もぼくも妻も経験することなく、娘と孫、孫の子供、ぼくにとってはひ孫が経験するのだろう。
 
 

ラーメン

2019年03月27日 | 日記
 昔、尾鷲に「南京飯店」という中華料理屋があった。そこのラーメンが旨く、この店のラーメンがぼくのその後のラーメン人生の基準になった。どうしても比較してしまう。同じ味という店は一度もなく、その味を探し求めていると言っていいと思う。老夫婦がやっていたと思う。ぼくの娘も知っているから、長くやっていたのだ。中国からきた家族だと聞いていた。中国か日本のどこかに彼らが学んだスープの源の地なり店なりがあるはずだ。尾鷲には他に「北京園」やら「春日亭」とか「留園」という店があり、中国からきた人たちがやっていた。
 今やインスタントラーメンは本物のラーメンよりも旨くなっていると思うことが多い。今日も日清の新商品「麺NIPPON 博多」を食べた。博多ラーメンの美味しい店となんら変わることはない。
 本当に南京飯店の味を覚えているのだろうか、とも思う。
 今年の正月休み、娘が「美味館のラーメンのスープは南京飯店のに似ている」というので、早速食べてみた。そんな気もするが、どこか違う。最近ぼくはここの「五目ラーメン」のスープにいたく感心しまくっている。はまっているのだ。

 この店のご主人の奥さんは「波さん」と言って、いつもよくしてくれる。大連からやってきたらしい。母親が来るのだという。6ケ月ほど滞在するそうな。一度懇談しようということになっている。ぼくは「アリババ」に興味をもっている。アリババは貿易をやりやすくする物流倉庫を無料提供しようとしている。日本からひとつひとつ荷物を送らなくても、まとめて送って倉庫に行き、そこから客に渡るという。中国14億人はこれから消費者となってくる。巨大である。アメリカの2億2千万人の巨大マーケットと桁が違う。中国は歴史的に世界の中心だったときがあり、衰退したときもあった。今は一党独裁であり、それが成功している。自由、人権の問題がやがて顕在化するが、今のところ14億人を牽引している。

 えー、ラーメンからこんな話になったが、要するにラーメンは美味しく、難しく、微妙なものだということだ。 
  
 

乖離または岐れる

2019年03月27日 | 映画
 自分の母のことで恐縮であるが、93歳の母は物忘れがいよいよ激しくなってきた。不思議なことであるが、文字は読めるし、書ける。以前新しいCDプレイヤーやDVDプレイヤー、携帯電話を手渡したときがあった。覚えられないのはいいにしても、文字で書いてあるところを押すなりすれば動くわけで、それができない。「文字習っとんやろ」と言いたくなるが、新規なものができないのである。文字を読み、その意味するところを自分の中でどうやら処理できないようなのである。文字を読むということと理解するということは違う脳の部位の働きなのかもしれない。いわゆる「老化」というのは文字の意味を知っていることとそれを実行に移せることの乖離のように思える。
 身体的な感覚で言えば、もっと早く走れるはずだったのに、実際は思うように走れない、という風に。

 取り扱い説明書を読めばわかるものを読まない。これは性格の問題だろうと思う。

 日本人の3人に1人が小学3,4年生の理解力で、問いの文章が理解できず、図やグラフが読み解けず、数的な問題も理解できない人がいるという国連の調査統計を見て驚いた。それでも日本は世界でトップクラスの「知力」である。識字率は100%に限りなく近い。

 ホモサピエンスの中からホモデウスが誕生しようとしているとある学者は述べる。ホモデウスは神の領域にまで手を伸ばし、科学を駆使して先の時代に突入していく人類で、それから取り残されたものがホモサピエンスのままで終わる。仕事のに質についていけない。ロボットやAIができることはそれらに任せなければならない時代がもうすぐそこまで来ている。パソコンの操作ができない若者が増えているという。企業はパソコン研修をするという。まだ企業に研修してもらえる者はラッキーだが、教えてもらえない者はずっとできないまま、職探しをしなければならなくなる可能性がある。すると選択肢は限られるように思われる。

 こんな光景が見えそうだ。すでにあると聞く。ある区域は将来のホモデウスばかりが住み、高い防御壁、警備員のいるゲートがある。その区域には許可がないと入れない。
 さしずめ Nasa や google などで働いている人々はホモデウスの候補者たちなのだろうか。現在、これから消滅していく職業などが話題になる。徐々に推移していくと人間も徐々に適応していくだろうが、急に来るということもある。

 パソコンが新しくなってから快適になった。すべてはクラウドに保存できる。ファイルはスマホやタブレットでも共有できる。 

あれよ、あれよという間に

2019年03月26日 | 社会・経済・政治

 日本は誤ったことをしている、国民の貯金が1700兆円あるからと言って、毎年30兆円ほどの国債を発行してよいはずがない。
 政府が借金を減らせるのは、利息と元本をきちんと返し、借金を増やさないか、スーパーインフレにして国民の貯金の価値をかぎりなくゼロにすれば、膨大な借金もかぎりなくゼロになる、という方法、この二つである。日本には資産があるんだから、大丈夫という人がいるが、それだったら政府は国債を発行しないで資産を売ればいいではないか。
資産とは何かというと、政府の貯金、株券、天下り法人の財産、外国の国債などという。
 日本の信用不安が起こってくると、富裕層は日銀の紙よりも金だの土地などに替えようとする。富裕でないものの貯金の価値は下がりに下がる。貯金はすっからかんとなり、年金など払えるお金のストックはない。こんな日が必ず来る。来ないほうがおかしい。
 戦後に一度経験したが、いまの借金は戦争中よりもひどい。
 また同じ過ち犯そうとしている。
 年金生活者はどう対処すればよいのか。なぜ、日本国民は現在の政策を容認するのかぼくにはわからない。安倍首相が辞めて、責任をとってくれるのかと言ったらとってくれるはずもない。大変な時代がやってきそうで、気持ちを引き締めようと思う。
 
 そんなに心配しなくていいよ、と説得力をもって言ってくれる人がいない。みな忖度して、真っ向から言わない。あれよ、あれよと、借金が1100兆円を越えた。この20年、実質賃金が減っているのは先進国でも日本だけだ。韓国でも2、5倍あった。イギリスも2倍ほどになった。総じて日本は経済大国というわりに「貧困国家」になりつつあるのではないか、と感じるのである。
 尾鷲市もそうだ。あれよ、あれよという間に人口が一万人を割る。
 

アポ電、詐欺の子

2019年03月25日 | 社会・経済・政治
 カンボジアで強盗をした日本人若者二人のニュースが気になった。外国に行ってまでやるのかよ。もうひとつは「アポ電」強盗殺人の事件である。統計的には殺人などの犯罪は減っていると思うが、虐待をする若い親も含めて、なにかしらキーワードは「格差」のような気がする。NHKの「
「NHK スペシャル 詐欺の子」ではオレオレ詐欺で捕まった未少年たちのドラマ&ドキュメントで少年たちの背後にあるものを探ろうとしていた。
 上のオーナーは弁護士をいつもそばにおいているインテリヤクザっぽい。このオーナーと呼ばれる男の下に、関係を断っている(本当は断ってないが)箱長と呼ばれる男がいる。これが電話をかけるおと、運搬などの指示をする。「受け子」はちょっと用事を頼まれたような感じで、被害者から現金を受け取りにいく。
 オーナーの演説は黒霧仁佐衛門のようだ。「お金は老人たちがたんともっているんだ。お前たちに金が回ってくるか。そんなことはないんだよ。貧しいのはみな金を使わないからだよ。金を取って世の中にまわそうぜ」みたいなことを言う。

 オレオレ詐欺が始まって15年が経つらしい。被害額は約4500億円くらいだったか。それが今度は「アポ電」で確かめてから強盗に入るのが手っ取り早いと考える者が出てきた。火付け盗賊改め方でもいるのではないか、と思うくらいだ。

 大国意識の強い日本社会はどうなっていくのだろう。いよいよキューブリックの映画「時計仕掛けのオレンジ」のようになってきた。全体的には飢餓もなく暮らせる社会になっている。親が子供を虐待するなど、どうしてそんなことができるか、と思うが児童相談所には結構な数の人たちが相談にいくのである。暗澹とする。社会崩壊の兆しと穿った見方をしてしまう。
 これは警察や児童相談所、学校だけに任せておく問題ではない。経済の問題でもあり、哲学の問題でもあり、政治の問題でもある。
 世界の投資家と言われるジム・ロジャーズはいみじくも「五十年後、日本人はいないのではないか」とその理由も書かずに書いていた。 
 

京都こってり鶏白湯ラーメン

2019年03月24日 | 日記
 影響されやすいものだ。日清食品の新シリーズ「麺NIPPON」の「八王子ラーメン」が旨く、ネットでみていると、これが星四つである。ええっ? と思い同じシリーズの「京都こってり鶏白湯」を見ると五ツ星である。五ツ星。これは食わんとあかん、と思い、今日は大相撲の千秋楽もあることから、朝のうちに新宮の佐野に向かった。ここなら「新シリーズ」もあるだろうと思ってのことだ。昼前に到着し、さっそくスーパーのカップ麺のコーナーに行く。すると「八王子」「博多」「札幌」の三つがあるのだが、「横浜家系」「尾道」「京都」が棚にない。そこでがっかりしていたら、スーパーのスタッフがそばにいた。「なんで京都こってり鶏白人湯がないいん?」と訊くと、そういう新シリーズは知らなかったらしく、あわてていたが、すぐに「ちょっと聞いてきます。お待ちください」と言うなり走って行ってしまった。
 言ってみるものである。「京都こってり鶏白湯」は通常の棚ではなく、もっと目立つところのカップ麺の特別コーナーにあった。嬉しかった。来た甲斐があった。でもなぜ、スーパーのスタッフは通常の棚にも置いておかないのか不思議だった。まあ、いっぱい商品があることだから、一つ一つの商品にまで注意は及ばないことだろう。
 尾鷲、熊野、新宮あたりのスーパーをみる限り、カップ麺の世界は熾烈を極めているように思える。日清に対してどうとうレベルのものを安く仕掛けているようである。値下げ競争に入ったところは負けるという歴史の法則があるから、チキンラーメンの値段層から中間値の「麺職人」を持ち「ラ王」「行列のできるラーメン屋」をもつ日清の層の厚さには感心しまくるばかりである。

 さて、大相撲。栃ノ心は残念だった。怪我で幕下まで落ち、また這い上がってきた力士である。来場所大関に戻ることを望む。
 佐野の書店では新書売上一位の「日本軍兵士」(吉田裕著 中公新書)を買った。アジア・太平洋戦争が兵士の視線で書かれているということで読む気になった。

毎度、大相撲

2019年03月23日 | テレビ
 大相撲も終盤戦となって今日と明日で終わりである。貴景勝は今日逸ノ城に勝てば大関が見えてくるし、同時に白鵬が勝てば白鵬の優勝が決まる。明日を面白くするかは貴景勝次第である。
 今場所の逸ノ城は簡単には後退せず、タイミングよく相手を押しつぶすように両手で押し倒す。すると相手は腹這いになって負ける。
 昔「笑っていいとも」で古武術家の甲野善紀がやってみせた技と逸ノ城の技が似ていると思った。自身を衝立のようにし、呼吸を吐いて両腕に力を伝える技である。上から押し倒すときの逸ノ城の足は30度ほど外に開いていなければならない。
「笑っていいとも」では何人か試みていたが一番勘がよく、理屈でもわかったのがタモリだった。両足をくっつけるのではないが右足に対し垂直に左足で立って、右腕で下に押せば信じられないくらいの力がでる。逸ノ城のはその両足版である。組技がない貴景勝はこの技を食らう恐れがある。両手を使わせず、よい角度で胸上あたりに速く頭から突き上げるしか方法はないだろう。
 白鵬はサッとマワシをとってしまうので、逸ノ城には勝つ可能性が高い。
 今場所、上手いなあと思った力士は嘉風であった。一度脳震盪を起こしたような一番があったが、多くは後退することなく、足が前に出て手捌きが上手い。もう一人注目したのは明生であった。昨日は久々に体のキレもよい琴奬菊に圧勝した。立ち合いの踏み込みがいいのだろう。
 ところで時津風部屋はどうしたのだろう。正代、豊山、豊ノ島の成績が悪過ぎる。北の富士解説者も言っていた。稽古内容を見直さないと、と。
 毎日楽しみに見ている。明月院秀政=千代大龍、あと一勝であるぞ
。頑張れ。



安藤サクラの穏やかさとぼくのイライラ

2019年03月22日 | テレビ
 朝ドラの「まんぷく」を見終わったあとですぐに画面は「朝イチ」に切り替わり、安藤サクラがアップで出てきた。そうか、今日は金曜日だ、インタビューの日だ。ということで、安藤サクラへのインタビューを見ることにした。「羽鳥のモーニングバード」はイチローを特集していた。「まんぷく」も最後のヌードルを水平に入れ込むアイディアがひらめくところまできている。つまり開発の最終段階である。安藤サクラ役の福子は夫を仕事上でも何かってときに支え、子供や母親のわがままを寛容に包み込んでいく主人公である。パーラー白薔薇の夫婦も面白く、桐谷健太もおもしろい。松坂慶子はどうやら最後まで無事死なずに文句を言いながら終わりそうである。
 ぼくも現在「開発」をやっているので、このドラマを見るたびに「よし頑張ろう」と思う。

 話は違うが、日清食品の出している「麺NIPPON]シリーズの「八王子ラーメン」が美味すぎる。尾鷲には売ってないので、アマゾンでまとめ買いをした。以前八王子で食べたことがあって美味かったので、インスタントではどうかと思い、買ってみた。これが美味い。このシリーズに「札幌」「尾道」「京都」「博多」「横浜家系」そして「八王子」がある。これは全部試してみないと、と楽しみにしている。これはこの7食だけで「ラーメン屋」が開けるのではないか。シアトルの3万人の日本人は食べにくるはずだ、とも思い、プロのラーメン屋さんもぼやぼやしておれない研究の激しさを見る思いだ。これほどまでにインスタントラーメンは発展した。しばらく安藤サクラの賢い語りを聞いてから、事務所に行った。

パソコンが故障して買い替えることになってからイライラした日がこれで二日目。今日はブログができるようにしようと、やってみた。まずログイン。IDとパスワードを入れてみた。すると違う、と出てくる。問い合わせができるので、それでやってみたら、「渋谷貸し会議室」というブログが出てくる。これは閲覧はできなくてビジネスのブログなので禁止なのだそうだ。思いだすことはできないが、このタイトルでブログを作ってみたことがあったのかもしれない。それを削除し、またなんだかだとやり始めたら偶然のごとく、現在のブログのIDとパスワードを保存したページが出てきて、無事にこうやってブログが書けるようになった。
 この頃、ブログをスマートフォンで書くことが多い。するとスマートフォンだと面倒で結局文章が短くなる。
 パソコンだとキーボードがあるので早く快適である。スマホは指やペンの動きの速さと画面キーボードの反応の速度が違うことが多い。
 旧壊れたパソコンの中身のデータを取り出してくれることになっている。まだ電話が来ないから、まだなのだろう。 ということでもうこれ以上することはないので、終えようと思う。
 砂漠に保水層をというアイデアはすでに出来上がり、中国か、どこか砂漠の国で実験するだけである。実験はそちらの国々の人でやってくれと言いたいが、僕の信用もないし。考えているところである。

 

心遣い

2019年03月20日 | 日記

 料理屋の板長さんが、頃合いを見計らって、ちょいと、「何か美味しいもの」をサービスでだしてくれるときがある。

 大人になって働くなるようになってから、「弥栄」という寿司屋によく行った。まだ子供もいなくて、気楽なものだった。そこの大将の奥さんはぼくの同級生だった。手の遅い大将はニタッとした笑みを浮かべて、毛蟹を出してきた。注文もしていないのにである。毛蟹は紀州にいては食えない。学生の頃でも食えない。高いからだ。ぼくは毛蟹の美味しさを初めて知った。蟹は旨い。さまざまな蟹を食べたが、椰子ガニは食べたことがない。バリ島でフィージーで仕事をしていたという日本人男性が「椰子ガニほど旨い蟹はない」と何度も言っていたから、死ぬまでに一度は食べてみたいとおもう。

 続いて、今はもう引退した「剣」という活魚の料理屋で、ある日、店主がハゼの天婦羅をだしてきた。今日釣ってきたんだと、と言って出してきた。この美味しさにも驚いた。この店ではメイチ鯛や鬼エビの旨さを知ったのだった。

 東京のホテル内にある寿司屋で、サヨリを皮を串に巻いて出してくれたことがあった。また青物横丁の料理屋で「伊勢海老の味噌の塩辛をそっとだでしてくれたことがあった。このように板前さんはときどきサービスでめったに食えないものだしてくることがある。

 さて、この前の火曜日に、岡田さんとよくいく料理店に行った。いつものように、村上春樹の短編集のことなど話、酒を酌み交わしていたら、ひょいと、「これ食べて、サービスやで」と言って、さらにフグのような薄造りともみじおろしがある。しかしトラフグとは色が違う。「彼岸フグっていうて、友達が釣ったらしい。「へえ、聞いたことのない名前やな」「アカメフグとも言うらしいけどな、毒が強い。皮算もダメやで」

 身はやや桜色っぽく、コリコリしていて、やや甘味がある。ぼくとしては、もう少し薄く切った方がよかったのではないかとも思ったが、こころなかではやはりトラググのほうが旨いもではないかと思ったのだった。それでも初めて食べるその彼岸フグは十分美味しく、こういうサービスはあるものだと嬉しかった。

 薄造りはぼくのなかでは、クエ、トラフグ、コブ付きの荒磯で育った真鯛、シマアジ、ヒラメ、メイチ鯛、ハゲ、オコゼという順になる。さて彼岸フグをどこに入れるか、今考えている。そして板前さんの心遣いを何度も思い出す。

 

 

 

 


思わぬ事態

2019年03月20日 | 日記

 パソコンのスイッチが入らないという故障は、ぼくより詳しいい方によると、修理専門店ださないといけないらしく、修理代も結構かかるということだった。ついでにぼくのパソコンは7歳か8歳で、そろそろ寿命だという。今のパソコンは寿命が5年くらいだと聞いてびっくりした。スイッチがはいらないとすると、中のデータを取り出せるのか訊くと、データそのものが壊れていなかった分解すればできる、と言ってくれたので、まず、ホッとして、修理はあきらめるので、中のデータをとりだしてほしい、言って、取りだし代も訊いた。5000円。やってみてほしい、とお願いすることにした。昼ごろ電話が来てデータを取り出せるということで一安心した。データベース量が案外多いので、32ギガと16ギガのSDを持って行った。

 コンピュータを使うといっても精々、ワード、ブログ、メール、検索、音楽取り込み、写真保存くらいのもので、スマホやタブレットがあれば今のコンピュータが生き残ってくれれば、モニター画面とキーボードが取り外せるこちができて、タブレットのようにも使えるマイクロソフトのSurface を買おうと思っていた。これで買えなくなった。やはり画面の大きなパソコンは見やすく、キーボードも十分な大きさである。

 おそらく、そろそろスマホもかな、と思う。動画とか、音楽とかこれからは注意して使おうなどと思う。

 とりあえずWIHIの設定をしてインターネットを使えるように、Google chrom から幾つかのgmail などのアプリをとりだし、デスクトップに置き、いよいよマイクロソフトのワード、エクセル、パワーポイントをダウンロードすることにしたら、アカウント作成でつまづいた。ID と暗証番号がうまくいかない。

 もういやになって今日は止め、明日することにした。 こういう思わぬ事態が起こるものだ。全く嫌になる。

 一方で家の裏の棚を見ていたら、思わぬ本が10冊でてきた。なにかと見ると、22年前にこのテキストの音声を作ったのだった。「臨床会話」で医師が指させば患者の状態がわかり、医師も説明できるという便利物だ。英語、フランス語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、韓国語、フィリピン語、タイ語、ベトナム語、ドイツ語の十冊である。

 仕事で失敗し、尾鷲を離れた初老男性からハガキがきて、病院の警備員をやっているということだった。それではと思い、この十冊を送ったのだった。半年ほどして、病院でとても喜ばれているということだった。彼はこれを持っていることが自慢そうに書いてあった。理屈っぽい人だったが、元気にやっているようで嬉しかったのをおぼえている。

 これをアプリ化するのもおもしろいことだろう。

 


螢川

2019年03月19日 | 

 朝、事務所に着き、パソコンの電源をONにしても起動しない。ブーともビーともいわない。点灯もない。プラグが抜けているのか、と確認したが、抜けていないし、そのコンセントは生きている。たこあしでもない。

 NECのものなので、検索してみると、電源がつかないというページは修理屋さんに検索エンジンは乗っ取られていて、NECからの「お困り相談」みたいなのは出てこない。いわゆる探すのに苦労する。

 結局自分ではできず、市内の修理もやっているパソコン教室に持っていった。今日は以前書いたものがパソコンにデータとして入っているかを確認したかった。それができなかったのでイライラした。

 今はクラウドもあるので少々は便利になっているが、モニター画面とCPUが一体化しているので、これが本格的な故障で修理もできないことになれば非常に困る。

 昼からは「よもやま話」の会。宮本輝の「螢川」が課題本である。前回は太宰治賞の「泥の河」だった。ぼくはこっちの方が当時好きだと思った。「螢川」は芥川賞を取った。

 再読してみると、めったに起こらない何万、何十万という蛍の群れの現象をどのように書くのだろうと、ひきこまれていった。

 「泥の河」ではポンポン船に住む少年家族を主人公の9歳の少年が知り合うことになり、やがて一家が去っていくという話だ。ポンポン船の主は売春をしていた。健気な姉と弟、主人公の家は川の界隈で飲み物や氷や大判焼きのような食べ物を売る店をやっていた。9歳の少年のこころの裡を大阪の川の橋辺りの風景もよく書けていた。今度「螢川」を読んで実に見事だと感じた。最初の導入部では一気に昭和37年3月末の富山、裏日本の風景を描いて始まる。そして母、はがの記憶、父とに会話、父の病気、死、父の友人、母の弟、主人公竜夫の同級生、竜夫が淡い恋心を寄せる幼なじみの英子などに話が簡潔に織り込まれて、話は今年はめったにない大量に蛍が出る時ではないかと、そこに話が収斂していく。

見事であった。

 「幻の光」「錦繍」「青が散る」と読み進んだが、「ドナウの旅人」で読むのをやめてしまった思い出がある。


兆候

2019年03月18日 | 社会・経済・政治

 朝のテレビ画面の左上には花粉情報と時計。主たる報道は「アポ電強盗」。オレオレ詐欺とは違い、強盗あるいは強盗殺人の話題である。電話を使って現金があるかどうか確かめてから、押し入る。静岡県の小山町の電話名簿が手に入ったのだろう。対処法を紹介するだけで社会的背景については語らない。

 これはたいへんなことだ。閉塞した日本が貧しくなっていく兆候のような事件だ。本当は東京オリンピックのために公共工事をやっている場合ではない。建物を建てるよりも、教育力を高め、悪さを考えなくてもよい仕事とそれに相応する賃金があり、起業したければ、支援制度があるような社会を作る必要がある。格差は差が小さいほうがよいだろう。

 アポ電強盗の犯人たちの生育歴をたどってみる必要がある。彼らはこっそりと犯罪という形でやっているが、もしも政府は、年金が支払えなくなり、仕事はAIにとって替えられ、労働者の存在が不要となる事態となれば、老人も若者も、元労働者も、保育園にいかせられない主婦も怒るだろう。暴力、押し込みも起こることだろう。今、パリで起きているではないか。

 「アポ電強盗」をする犯人の声を聞いてみたいものだ。なにか社会に不満があるのか、たんなるアホな悪人なのか。

 雇用状態はよい、と安倍首相は胸を張るが、少子化なのだから当然だろう。それに女性と老人をかり出している。それが完全雇用に近い状態だ。問題はみなそこそこ仕事に耐えられる仕事についているかという厄介で深い問題がある。

 日本社会は今どんな状態なのか、総点検してみる必要がある。平成も終わることだから、どこも試みるだろう。統計を操作していると、そもそもの基本がわからなくなるのだが。