要するに「純血」ということはあり得ないはずである。ぼくの親には父方に2人、母方に2人の親がいて、さらにその上には・・・と遡っていくと、最初の祖先までたどれるはずだ。観念がそこまで及べば、僕らは仲良くやっていけるはずだ。
中東は緊張が高まっている。
明日から新しい入管法が施行される。政治、行政もそうだが国民も意識のコントロールができないといけないだろう。
科学がどれほど急速に発展しようと人間の精神の発展はあまりにも遅いように見える。
料理屋の板長さんが、頃合いを見計らって、ちょいと、「何か美味しいもの」をサービスでだしてくれるときがある。
大人になって働くなるようになってから、「弥栄」という寿司屋によく行った。まだ子供もいなくて、気楽なものだった。そこの大将の奥さんはぼくの同級生だった。手の遅い大将はニタッとした笑みを浮かべて、毛蟹を出してきた。注文もしていないのにである。毛蟹は紀州にいては食えない。学生の頃でも食えない。高いからだ。ぼくは毛蟹の美味しさを初めて知った。蟹は旨い。さまざまな蟹を食べたが、椰子ガニは食べたことがない。バリ島でフィージーで仕事をしていたという日本人男性が「椰子ガニほど旨い蟹はない」と何度も言っていたから、死ぬまでに一度は食べてみたいとおもう。
続いて、今はもう引退した「剣」という活魚の料理屋で、ある日、店主がハゼの天婦羅をだしてきた。今日釣ってきたんだと、と言って出してきた。この美味しさにも驚いた。この店ではメイチ鯛や鬼エビの旨さを知ったのだった。
東京のホテル内にある寿司屋で、サヨリを皮を串に巻いて出してくれたことがあった。また青物横丁の料理屋で「伊勢海老の味噌の塩辛をそっとだでしてくれたことがあった。このように板前さんはときどきサービスでめったに食えないものだしてくることがある。
さて、この前の火曜日に、岡田さんとよくいく料理店に行った。いつものように、村上春樹の短編集のことなど話、酒を酌み交わしていたら、ひょいと、「これ食べて、サービスやで」と言って、さらにフグのような薄造りともみじおろしがある。しかしトラフグとは色が違う。「彼岸フグっていうて、友達が釣ったらしい。「へえ、聞いたことのない名前やな」「アカメフグとも言うらしいけどな、毒が強い。皮算もダメやで」
身はやや桜色っぽく、コリコリしていて、やや甘味がある。ぼくとしては、もう少し薄く切った方がよかったのではないかとも思ったが、こころなかではやはりトラググのほうが旨いもではないかと思ったのだった。それでも初めて食べるその彼岸フグは十分美味しく、こういうサービスはあるものだと嬉しかった。
薄造りはぼくのなかでは、クエ、トラフグ、コブ付きの荒磯で育った真鯛、シマアジ、ヒラメ、メイチ鯛、ハゲ、オコゼという順になる。さて彼岸フグをどこに入れるか、今考えている。そして板前さんの心遣いを何度も思い出す。
パソコンのスイッチが入らないという故障は、ぼくより詳しいい方によると、修理専門店ださないといけないらしく、修理代も結構かかるということだった。ついでにぼくのパソコンは7歳か8歳で、そろそろ寿命だという。今のパソコンは寿命が5年くらいだと聞いてびっくりした。スイッチがはいらないとすると、中のデータを取り出せるのか訊くと、データそのものが壊れていなかった分解すればできる、と言ってくれたので、まず、ホッとして、修理はあきらめるので、中のデータをとりだしてほしい、言って、取りだし代も訊いた。5000円。やってみてほしい、とお願いすることにした。昼ごろ電話が来てデータを取り出せるということで一安心した。データベース量が案外多いので、32ギガと16ギガのSDを持って行った。
コンピュータを使うといっても精々、ワード、ブログ、メール、検索、音楽取り込み、写真保存くらいのもので、スマホやタブレットがあれば今のコンピュータが生き残ってくれれば、モニター画面とキーボードが取り外せるこちができて、タブレットのようにも使えるマイクロソフトのSurface を買おうと思っていた。これで買えなくなった。やはり画面の大きなパソコンは見やすく、キーボードも十分な大きさである。
おそらく、そろそろスマホもかな、と思う。動画とか、音楽とかこれからは注意して使おうなどと思う。
とりあえずWIHIの設定をしてインターネットを使えるように、Google chrom から幾つかのgmail などのアプリをとりだし、デスクトップに置き、いよいよマイクロソフトのワード、エクセル、パワーポイントをダウンロードすることにしたら、アカウント作成でつまづいた。ID と暗証番号がうまくいかない。
もういやになって今日は止め、明日することにした。 こういう思わぬ事態が起こるものだ。全く嫌になる。
一方で家の裏の棚を見ていたら、思わぬ本が10冊でてきた。なにかと見ると、22年前にこのテキストの音声を作ったのだった。「臨床会話」で医師が指させば患者の状態がわかり、医師も説明できるという便利物だ。英語、フランス語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、韓国語、フィリピン語、タイ語、ベトナム語、ドイツ語の十冊である。
仕事で失敗し、尾鷲を離れた初老男性からハガキがきて、病院の警備員をやっているということだった。それではと思い、この十冊を送ったのだった。半年ほどして、病院でとても喜ばれているということだった。彼はこれを持っていることが自慢そうに書いてあった。理屈っぽい人だったが、元気にやっているようで嬉しかったのをおぼえている。
これをアプリ化するのもおもしろいことだろう。
朝、事務所に着き、パソコンの電源をONにしても起動しない。ブーともビーともいわない。点灯もない。プラグが抜けているのか、と確認したが、抜けていないし、そのコンセントは生きている。たこあしでもない。
NECのものなので、検索してみると、電源がつかないというページは修理屋さんに検索エンジンは乗っ取られていて、NECからの「お困り相談」みたいなのは出てこない。いわゆる探すのに苦労する。
結局自分ではできず、市内の修理もやっているパソコン教室に持っていった。今日は以前書いたものがパソコンにデータとして入っているかを確認したかった。それができなかったのでイライラした。
今はクラウドもあるので少々は便利になっているが、モニター画面とCPUが一体化しているので、これが本格的な故障で修理もできないことになれば非常に困る。
昼からは「よもやま話」の会。宮本輝の「螢川」が課題本である。前回は太宰治賞の「泥の河」だった。ぼくはこっちの方が当時好きだと思った。「螢川」は芥川賞を取った。
再読してみると、めったに起こらない何万、何十万という蛍の群れの現象をどのように書くのだろうと、ひきこまれていった。
「泥の河」ではポンポン船に住む少年家族を主人公の9歳の少年が知り合うことになり、やがて一家が去っていくという話だ。ポンポン船の主は売春をしていた。健気な姉と弟、主人公の家は川の界隈で飲み物や氷や大判焼きのような食べ物を売る店をやっていた。9歳の少年のこころの裡を大阪の川の橋辺りの風景もよく書けていた。今度「螢川」を読んで実に見事だと感じた。最初の導入部では一気に昭和37年3月末の富山、裏日本の風景を描いて始まる。そして母、はがの記憶、父とに会話、父の病気、死、父の友人、母の弟、主人公竜夫の同級生、竜夫が淡い恋心を寄せる幼なじみの英子などに話が簡潔に織り込まれて、話は今年はめったにない大量に蛍が出る時ではないかと、そこに話が収斂していく。
見事であった。
「幻の光」「錦繍」「青が散る」と読み進んだが、「ドナウの旅人」で読むのをやめてしまった思い出がある。
朝のテレビ画面の左上には花粉情報と時計。主たる報道は「アポ電強盗」。オレオレ詐欺とは違い、強盗あるいは強盗殺人の話題である。電話を使って現金があるかどうか確かめてから、押し入る。静岡県の小山町の電話名簿が手に入ったのだろう。対処法を紹介するだけで社会的背景については語らない。
これはたいへんなことだ。閉塞した日本が貧しくなっていく兆候のような事件だ。本当は東京オリンピックのために公共工事をやっている場合ではない。建物を建てるよりも、教育力を高め、悪さを考えなくてもよい仕事とそれに相応する賃金があり、起業したければ、支援制度があるような社会を作る必要がある。格差は差が小さいほうがよいだろう。
アポ電強盗の犯人たちの生育歴をたどってみる必要がある。彼らはこっそりと犯罪という形でやっているが、もしも政府は、年金が支払えなくなり、仕事はAIにとって替えられ、労働者の存在が不要となる事態となれば、老人も若者も、元労働者も、保育園にいかせられない主婦も怒るだろう。暴力、押し込みも起こることだろう。今、パリで起きているではないか。
「アポ電強盗」をする犯人の声を聞いてみたいものだ。なにか社会に不満があるのか、たんなるアホな悪人なのか。
雇用状態はよい、と安倍首相は胸を張るが、少子化なのだから当然だろう。それに女性と老人をかり出している。それが完全雇用に近い状態だ。問題はみなそこそこ仕事に耐えられる仕事についているかという厄介で深い問題がある。
日本社会は今どんな状態なのか、総点検してみる必要がある。平成も終わることだから、どこも試みるだろう。統計を操作していると、そもそもの基本がわからなくなるのだが。