25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

小澤征爾、村上春樹、チヤンイーモー、コン・りー、フェルメール

2015年02月28日 | 映画
 村上春樹がクラシックとジャズが大好きで、小さい頃から聞いていた。今は、過去の名盤レコードを集めるのが唯一の趣味のようだ。
その村上春樹が食道がんを患い、手術をし、リハビリをおこなって、やや音楽への夢中から離れ休息しなければならなった小澤征爾と名盤を聴きながら話し合った。それが「小澤征爾さんと音楽について話をする」という厚い文庫本になって出ている。
 小澤征爾にとっても音楽について語るのは初めてらしく、彼の仕事は譜面を読み取り、そこに想像力を集中させ、いよいよオーケストラとの練習となる。信頼性も必要だろうし、演奏家への気配りや聴衆への気配りも必要である。家で休んでいるときはあまり音楽の話はしないらしい。一方村上春樹は朝の4時から正午まで文を集中して書くらしい。
 それにしても村上春樹は実に多くのレコード盤やCDをもっていて、その知識も豊富であるのには驚かされる。
 この本を読んでいると、あと追いをしてみたくなってくる。例えば、協奏曲を演奏する場合、ピアノソリストと指揮者はどちらのテンポで演奏するのか、という話だけでもおもしろい。バーンスタイン指揮者とグレン・グールドの弾くピアノ。それにオーケストラがちぐはぐになっているとか、カラヤンの場合はどうかとか、ああ、こういうところに気をつけて聴いているのか、などと素人の僕には面白くてたまらない。寝床でのんびりと読んでいるとやがて眠気に襲われてくる。
 楽しい対談にはやはり思い込みの少ない確実な知識がいる。

 さて、今度は僕の好きな映画監督チヤンイーモーが新しい映画「妻への旅路」が公開されるらしい。しかも「上海バンスキン」や「赤いコーリャン」のコン・りーが主演してらしい。コン・リーのファンでもある僕は胸がときめいた。3月6日が封切りだそうだ。そういえば、3月10日まで「動的平衡」の福岡伸一が大のフェルメールファンで世界に散らばっている作品を一同に集められないので、特別な技術でフェルメールの絵を再現させた展示会をやっている。この二つを見るためには東京に6日から10日の間に行かなけえばならない。

 こういう側面から言うと日本ではいろいろな音楽会や展示会が開かれ、先進国の良い面も多々ある。地方では集まらない観客も東京や大阪のような大都市では客の動員もでき、マニアックな人もそれぞれの分野で多くいるのだろう。

 沖縄で集中授業をしてややくたびれて帰り、今日は午前中に母を病院に連れていき、昼までかかった。午後はのんびりである。あすは裁判の打ち合わせである。月曜日からゆっくりと時間が流れ、9日になると大阪に出かける。スポーツトレーニングセンターとの話し合いである。う~ん、東京行きは難しいか。来週なんとか調整を頑張ってみようと思う。


わかるか?

2015年02月22日 | 映画
  起業をするには「なになにが流行っているから」 私もするではだめです。人のやっていない新規性、特殊性がなければいけません。エステと言えばエステサロンを誰もが開く。すると結局は価格競争になってしまいます。そこに必ず特徴づける名称、副称が必要です。当然内容も独特のものでなければなりません。
 そこを結構間違えるのですね。名前がおぼえにくくかったり、どこもやっているようなことをしたりしてしまうし、雑誌などのクーポン券をつけてしまうのですね。
 早くブランド名を確立してしまうというのも手です。それには営業やイメージ戦略が必要で立ち上げ資金も増大します。

 初めちょろちょろで、中パッパ、そしてその間に特殊性を確立するという手もありますが、もうその頃には人はあんまり勉強に精進しませんね。一度店を開いてしまうと、なかなか再勉強はできないものです。自分で作り出してしまう才能があれば別ですが。

 今日は沖縄に来ています。私は最前線の今最もわかっていることを基本として、特殊な技や私の視点から見た理論を教えています。の習ったことをどう活かすかは、講習生の能力に結局よってしまいます。
 男性も2名来るものですから楽しみです。しかもそれぞれがいろんな事業の経営者です。
 おなじみの人も再々度習いにきます。自信がもてないのでしょう。

 私は自分の方針として講習は絶えず進歩していなければならないと考えているので、進歩したと思うことはすぐにテキストを換えることにしています。キストが製本化されると容易には換えれません。そして話し方の方法や出だしなども換えていきます。明日もこれまでんとは全く違うやり方になると思います。

 それは新しいこと、よりよいと思えることがあったからです。すると講習内容が変わっていくことは当然のことでしょう。

 夜、事前に男性の経営者と話をしました。すると「軸」について、「宝塚に入りたい子」について「ゴルフの石川遼について」僕は7ピアノ演奏について、いろいろ話ました。彼はそれがビジネスチャンスであることがすぐにわかったようです。こういうことは滅多にないことです。明日が楽しみです。

ぐずぐずする

2015年02月21日 | 日記
 ピアノを習おうか、とこの頃時々思う。はたして右手指5本を左手指が5本が別々に動くようになるものだろうか、と想像もつかない。子供もできるようになるのだから、段階を踏んでいけばできるようにはなるはずに違いない。けれど、神経はまだそんなことが自由に操られるようになっているのだろうか。神経は老化しているのではない、と思ったりする。知り合いにピアノ教師がいたら聞きたいのだけれど、、いや電話帳か人に尋ねて、どこに教室があるのか聞きさえすればよいのはわかている。思うだけで実行に移せない。
 
 思いたったらすぐする性格なのだから、ここまでぐずぐずするのは、不向きなのではないかとも思えてくる。
 けれど、リストの「巡礼の年」ぐらいのもの下手なりにできるのではないか。頭の中ではモーツアルトのピアノ協奏曲などを弾いている自分の姿があったりして、う~ん、ありえるのかもしれない、と妄想も膨らむ。

 ぐずぐずするときがある。就活では全くぐずぐずしていて、結局なにも就職活動をしなかった。仕事上尾鷲から東京に出たほうがよいと思ったがこれもぐずぐずした。鯛釣りをしてみたいと思うのだが、これもぐずぐずしている。
 さっさとするのは「興味ある」「好奇心」があり、自分で想像がついて、自分の範囲で知識を広げることができることの限られるような気がする。僕は「習った」という経験がない。授業中というのは苦痛で苦痛でしかたがなく、時間が経つ秒数を勘定さえしていた。
わがままきままで結局は中途半端。文だけは20歳の頃から毎日書いてきた。それだけが慰みでもあった。文というのは相手に何かを伝えるツールでもあるが、自己慰安としての、誰にも伝えないというものもある。それだけはやってきた。そのためには本も読んできた。人間は必要であれば自ずから勉強するものだ。ぐずぐずするのは「十分な必要自分の中で吹き出てこないからだ、と考えることをすすめる。

 僕は自分から運命の扉を開いたことがない。向こう側から扉が開いてくる。そこに入っていくとその世界には膨大な情報はあるのだが、矛盾も充ちている。その矛盾を解決していく。するとまだまだ、解決できないとわかり、調べる、考える。そんな風に生きてきた。権威あるものが正しいなどとは言えない。英語教育を研究する権威者はいっぱいいるが初期英語教育は変わらない。体育教師はいっぱいいるのに、日本人の歩き方や姿勢は世界で一番悪い。エステサロンはいっぱいあるのに、エステ通いしている人の方が検査をすると肌が悪い。すでに保水性をもつコンクリートの製造が可能で、それを砂漠に使えば、農地化も可能であるのに、日本に砂漠はないからその技術はひろがらない。

 ひとつの世界に入っていくと不思議だらけである、それには興味をもつ。そしてその世界で10年の歳月を使ってしまう。

 ピアノも湧き上がってくるのを待つか、と思うのと、一度入ってしまったら、「もっと早く、もっとうまく演奏ができるようにするための練習本はないものだろうか」と考えてしまうに違いない。すると残りの人生は少ないので、ためらうのだろうか。困ったものだと思う。

二月は希望の月

2015年02月20日 | 日記
 日の光が明るくなってくる。けれど吹く風は冷たい。フキノトウはまだでてこないが、梅の花もまだ咲かないが、その準備をすすめている。若い頃は二月という月が好きで、こころが澄み切って、希望が湧いてくるような感じがした。

 ところがどういうわけか、17、8年ぐらい前から二月は寒いだけだと思うゆになった。おそらく自分の心的な事情によるものだろうと思う。毎日生き延びるのに必死だっただからだろう。季節の移り変わりに気を寄せることが難しかったからなのかもしれない。

 今は若葉の季節が好きである。桜が散ったあと、照葉樹林の山々は新芽がでてきてモコモコと膨らみはじめる。特に紀州の楯ヶ崎あたりでみる風景は素晴らしいものがある。昨年をそのあたりを散歩した。名前のわからない照葉樹ばかりである。

 檜や杉だらけの山々を見て「素晴らしい。ここは自然がいっぱいですね」と風の楽団のメンバーがお愛想にか本気にか野天の会場で言っていた。「アホか」と思ったのだった。この人口植林を見て、そう思う感覚の方がおかしいだろうと思ったのだった。

 確かに急峻な山々では檜を人口植林することは檜にとっては腐葉土もできず、細菌も寄らず、間引きさえしてあげれば良質の檜ができるのかもしれない。しかし小さな山林の持ち主は手入れもせず、放っておくだけである。杉も檜も花粉症を呼び込むし、本当は大迷惑である。

 その檜と杉の山はだんだんと減ってきて元の照葉樹が生えてきた。
 梅、桜、躑躅と続き、躑躅の頃は若葉で溢れてくる。この若葉の香りはたけのこのような匂いがして、疲労物質をとるのには一番のエッセンスをもっているらしい。

 この若葉の季節が終わると僕の誕生日がやってくる。できればその日まであらゆることのケリをつけたい。人生は重たい。けれど最後はつじつまを合わせたい。無念と悲嘆で死にたくはない。恨みと後悔でしにたくもない。

 10年一生懸命やればまたなにかのプロになれる。ようやくこの辺でいいか、と思った頃に死が近づいてくるのかもしれない。
 また二月が来るのは楽しみだと思う時が来ることを期待している。

老犬八咫(ヤタ)のこと

2015年02月19日 | 日記
 ウチの八咫(ヤタという犬)がすでに17歳である。後ろ右足が弱くなり、ヨロヨロを歩く。柴犬なので外で飼えと言ったのだったが、結局家の中で飼うことになった。生後6,7年してアトピーになった。獣医者は「外で飼う犬だからアトピーなるんですよ」と言ったのだった。「そらみろ」と僕は思ったのだったが、今更外で飼えば、死んでしまうなどと言って、その意見も通らなかった。
 今は寝てばかりいて、突然失神しまうようなこともある。死んでしまったのではないかとヒヤヒヤする。ウンチは足で支えられないのか、床にひり散らす。同じところをグルグルよろけながらまわる。食べることには欲が強く、この頃は指にパンの人切れでも差し出すと、こちらの指まで噛まれる始末である。

 いよいよ老衰の終りが近づいてきているのだろう。
 ヤタのおかげでよく散歩もした。ヤタにとっての一番のストレスは花火の音と雷の音であった。すでのそのとこも弱く聞こえるのか、耳も遠くなり、今は平然としている。

 。この前友人に預かってもらったのだが、そこで死んだとしたら、友人に気の毒である。いらぬ心配をかける。もうそれもできない。おそらく今後は犬は飼わないだろう。夫婦で外出ができなくなる。友人の世話にならなければならない

  天寿を全うしそうな感じである。寂しくはなるだろうが、しかたがない。寒い時期をとおり過ぎたら、まだ寿命をのばすのかもしれないが、犬の最後も人間の最後も同じように死んだことは自分にもわからないことだ。
 

バリ島のレゴンダンスの足型

2015年02月18日 | 旅行
見事なバリ島のレゴンダンス。重心の取り方と、インナーマッスルとアウターマッスルがバランスよく使われています。この踊り子たちは疲れないでしょうし、怪我をしないでしょう。
  不思議なことに足型がT字になると足から胴体の筋肉につながりバランスを保つことができます。マッサージにおいては要となります。もちろんビテン意識でないといけません。ベッド周りを常にこれを意識し、無意識に動けないといけません
 レゴンダンスは動きを見ているだけであきることはなく、華麗で敏捷で美しい踊りです。バリ島では毎晩ウブド宮殿で行われています。やはりケチャダンスやレゴンダンスは夜の月がでているときがよく、ウルワツの夕方日没前のケチャダンスは観光でも有名であるが雰囲気がないのです。
 満月と新月の日、アマヌサではスマールプグリガンというガミウランでもとても静かで優雅な演奏があります。昔王様を寝かすために奏でられたそうです。

 

難しい人

2015年02月17日 | 日記
今日は名古屋の知人のところに行った。用件は30分もあれば済むことなので、それ以上話が広がったり、深まらななっかたら30分で辞去しようと思っていた。そして用事も終わり30分になろうとしていた。彼は無口で、怒りやすく、戦後の成功者で、体の不調を抱えている。僕よりは一回り以上の年配者でもある。
 難しい人だけれど、さっぱりした人だ。社員のだれよりも早く出社してだれよりも遅く帰宅した。それが成功の自負なのだろう。
 「まかした、というたやろが」と言うと、当然こちらも反発が起きる。「まかされたからといって、確認や承諾は必要でしょ・だからわざわざ来たんですよ。」と答えると、彼は、「わかった」という。その思いの中にはお前にまかさたといったのだから、いちいちここまでこなくても電話でよい、あるいは好きにやればよい、文句は言わない」と言っているようにも見える。こういう人は苦手だ。言わない。惻隠の情であり、東映のの主人公である侠客のようである。

 尾鷲を10時半に出て、途中で昼食をとってぴったりと13時に約束の時間に着く。直行でいけば2時間1分かかる。30分で用事を済ませたところで、彼がたわいもない雑談を始めた。尾鷲のの賀田あたりに住む親戚の話である。話を受け流しながら、本当はもっと違う話が聞きたいと思う。壮年期の頃のことや、老年期のことの思いや、そんなことである。しかし彼は黙っている。言わない。
 意気地なのか、矜持なのか、男はそんなこと言ってもしかたがない、この結果をみよ、と言っているのか。
 思えば、僕も若い人に聞かれたら、言ってもしかたがないことと、言っておこうという腑分けはする。理解してほしい、という思いを抑制し、隠すことをする。言えないことは言えないのだ。

 13時50分に辞去した。「これで僕の役割もほぼ終わったと思っている」と言って握手をした。
 帰りがけ、先のことを思いながらドボルザークの「アメリカ」を聞いた。
 早いものだ。15時45分には尾鷲に付き、神保干物屋で「えたれいわし」を買い、コンビニで「山崎」を買ったのだった。今日は一人で今日の50分をねぎらうのである。難しい人だけれど、憎めない人なのだ。そんな人っている。 

人が人に感じる優しさ

2015年02月16日 | 文学 思想
 「惚れた」「恋した」「胸が焦がれる」「愛する」・・・・。人間のエロティシズムは「知性」によって成り立っているというアメリカ人女性もいる。賛同する。でも何か違う。
 人は、「孤独」「無力」「無念」「悲嘆」「人に理解されたいという気持ち」がまさる。悪いことが実は善いことであったり、善いことが悪いことだったりする。「恋愛」「恋する気持ち」は幸せだとはかぎらない。無限の果てしないエゴイズムなのかもしれない。
 幸せとは、
 ある時、
 人が人に感じる優しさ

 これは中国のチャンイーモーという映画監督の言葉である。この言葉はアメリカで語られるだろうか。僕は西洋と東洋の倫理のギリギリのところを言っているように思える。
 愛することを維持すること、性欲を維持することは人間の知性ではある。人間にしかできないことではある。しかし、それは奇妙な努力を伴う。無理な努力と言っていいのかもしれない。それよりはもっと超えるもの、もっと寛容でもっと深くて、もっといじらしいものに、「人と人が感じる優しさ」があるのではないか、と思ったりする。うまく言えないのだが。個人主張ばかりが「恋」や「愛」ではないことは確かなことだ。

記事のタイトルを入力してください(必須)

2015年02月15日 | 映画
 グランドキャニオンの渓谷の細い溝を通っていたら突然、大きな石が落ちてきて、右手を挟まれる。どのようにしても石は動かない。
土曜日が日曜となり、月曜となり、腕を切ることも考える。しかしながら石を削ったナイフで腕は切れないこともわかる。火曜日となる。大雨が降ってら潜って浮力を使い石をあげる妄想もみる。水曜日。今度はナイフを腕に突き刺してみる。しかし切ることはできない。水はもうない。小便を飲む。その間、彼は明るくビデオ撮影をしてメッセージを伝えておく。死の恐怖も襲ってくる。左手はすでに壊死している。男の過去の思いでも映像では挿入される。
 見ている側はどうやってこの危機を脱出するのだろうか、という一点に絞らされる。
 夜は寒い。眠い。夢を見る。過去のあらゆることがこの結末に向かっていたのだ、石は宇宙から偶然ではなく落ちるべくして落ちてきたのだ、と思うようになる。再び小さなナイフの先で腕を切断しようとする。神経を切り、骨まで切って引き抜こうすつすることに必死になる。「127時間」という映画の話である。実はであるらしい。
 毎日のように起こる事故。事故からの脱出劇である。タフな男を描いた作品だった。

 結構こんな映画が好きなので、今日は一人ということもあって、気楽に見たら、気楽に見るどころではなかった。

三者の主張

2015年02月14日 | 社会・経済・政治
 昔、「僕って何?」という小説が芥川賞をとって読んだことがある。三田誠広が書いたものである。1977年という記録があるから
僕も文藝春秋で読んだのは1977年だ。僕は27歳であった。その小説は「全共闘が跋扈した大学内の僕」が主人公でわけわらずうろうろ、オロオロしていているノンポリの学生を描いていたような記憶がある。
 その三田誠広は今、「マルクスの逆襲」という新書版で経済と社会の歴史をほもとき、これからの未来について論じている。興味があって読んでみた。多方見方は水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」やピケティの「資本」とよく似ている。水野は「金利ゼロ、利潤ゼロ=資本主義の死と論じ、ピケティは世界同時相続税強化を謳っている。三田の新書版は彼らのよりも古く、リーマンショック前に書かれている。ちょうど出版する前に急遽リーマンショックが起こり、追加のあとがきでリーマンショックに触れている。
 さすがに文学者なのか、組織的なテロも起こるだろことも予想している。
 資本主義は利潤の法則であり、富が富を産み、富めるものはますます富み、その他は貧していくというシステムである。それを息に延びさせたのは「植民地政策」であり、戦後は「安い労賃を求めての海外での生産工場作り」であり、グローバルなファンドによるハゲタカ金融政策である。そのハゲタカ金融政策はアメリカにおいて破綻した。しかしなおもファンドは甘い汁を吸おうと、世界のそれぞれの企業を狙っている。ものいう株主、ものいうファンドで日本で有名になったのは村上某という人物であった。

 マルクスはイギリスの資本主義の隆盛を見て、「資本論」を書いた。故郷ドイツはまだ未発達の国であった。ところがマルクスの経済学は思いも寄らぬ、資本主義の経験のない皇帝制であったロシアで起こってしまった。マルクスは資本主義のいきつく先のことを言っていたが、一足飛びに農奴制から「社会主義」へと突入していった。資本主義の発達で歪みが生じると国家がインフラを行うというケインズ経済学が現れた。日本は全くのマルクス主義国家であった。官僚は選挙されず、インフラ整備に精を出し、理想に燃えた。政治家は官僚の言うがままであった。そして一億総中級社会を1970年頃に作り出した。
 ロシアや東欧の社会主義国家では、競争原理の働かない企業や社員は怠けてしまうことも露呈し、インフラ整備が終わると破綻していった。
 世界で、またアラブの石油関連で潤沢にお金のあるものたちはファンドにお金を預け、デリバティブという巧妙な為替先物金融商品などに投資し、働かにものが富を生み、普通の庶民の貯金もそんなものに銀行が投資をして稼ぐようになった。銀行の本来の職務はすでのどこかに行ってしまっている。
 ピケティーは「相続税」の強化を言う。水野は「累進課税の強化」を言う。三田は社会資本の重要度を決め、農村共同体の復活を言う。そして三者ともに、規制の緩和、特に税制への規制の強化を唱える。
 教育だけはすべての子供たちに公平に与えられるものあることも言う。僕は農村共同体などというのはまっぴらごめんだが。

 さてここからが僕の意見である。日本はやがて債務返済に限界が来る。資本主義という点からすると最先進国だ。しかしながら民主主義という点においては人々は民主主義とは何であるか、自ら勝ちっとった国民ではにので、その意味がよくわからない。選挙の時に露呈する。若者は選挙に行かない。地方では特に地縁血縁関係で、義理などで政治家を選ぶ。オカミを大事なものだと思っている。
 資本主義は民主主義や基本的人権とセットだったはずなのに、日本ではそれが醸成されていない。いないうちに債務不履行の時がやってくるのかもしれない。するとどうなるかだ。マスコミの弱腰がまた始まっている。政権提灯記事が多くなり、武器輸出もできるようになり、秘密保護法までもできてしまう。マスコには権力と対峙するところなのに、対峙ができない。自衛隊の活動範囲も能力もひろがりつつある。
 政治に右も左もない。あるのは中立・戦争放棄・忍耐強い外交である。経済的には不要なものは作らないことである。品質や技術、デザイン、世界の人々に役立つことを作る研究や技術やサービスノウハウなどにお金を使うことである。

 

漫然とぼんやりと

2015年02月13日 | 映画
  道端の看板に「愛嬌と健康を教えるのは親の努め」と書いてある。それを見ながら車のハンドルを左にきる。「女は愛嬌、男は度胸」とか三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」とか、特に「男は度胸」というのは自分の憧れでもある。「言い訳しない」「嫌なことはさっさと忘れる」「恨まない」も僕のモットーである。
 この頃は煮込むようにして考え、決めたらすぐに実行に、しかも早く行うのが習性のようになった。だがときどきまだ熟慮が足りないこともある。
 また「死」は二段階であり、電車のレールのように死の路線と生の路線がいつでも替わると思っている。2段階というのは乳児のときと同じような状態が1つで、そのあとは子宮に戻るようなことを最終と考えている。それで「死は怖くないかと」と聞かれれば「思うと怖い」のが本音である。「死は怖くない」というのは嘘だと思う。

 「生」を生ききりたいと思っている。しかし人間にはおそらく定められた命の終りがあるのだろう。母はまだあの交通事故では死なない運命であったのだと思う。「未来から現在をみる」というのも僕の思想的な基本である。過去をみるときは大過去からみるというのも原則にしている。2000年の歴史で自分や日本を見ない。さらに個人的には40年億年前まで遡り、縄文時代という長い時期にまで遡ってみる。すると民族主義や天皇制や差別などは無化されてしまう。未来から見れば、今どのように生きるべきか、まっとうに考えられると思っている。
 人間は楽しく、良いことばかりが続くわけではない。苦しいときの方が多いぐらいだが、楽しい時もちょこちょことある。
 この頃、小説を読むようにクラシック音楽を聴いている。バック音楽として聴くのではない。全脳を音に集める。すると、作曲者や指揮者のなにかに同調したり、違和を覚えたりするときがある。小説は以前にも述べたように短編小説を読んでいる。珠玉の短編集というものがある。村上春樹の短編集はどれも秀逸だし、みやべみいうきや高村薫の初期の短編集もよい。藤沢周平の短編集である「秘剣もの」もよい。
 しばらくの間のんびりするので、いい気分である。こんないい気分が続いているとまた落ちるときがある。落ちるときはそんなことが続く。しかしまた落ち着く。そんな風だ。人生というのは。だから漫然と、ぼんやりいるのがよいように思う。

矛盾の危機感

2015年02月12日 | 社会・経済・政治
 大金持ち、金持ちの貯金が出せなくなりみな貧乏になる時期があった。財閥も解体された。地主の農地も小作農に分け与えられた。戦後の日本のアメリカ進駐軍時代のことである。超インフレになったからお金の価値は下落した。
 日本の十年後はどうなっているか。バラ色をいう政治家もいる。超格差が広がっているという政治家もいる。
 日本銀行がいつまで金融緩和策、しかも異次元の緩和策を終えるのか、そこに大きな関心が寄せられている。長期国債の金利があがってきたら要注意だ。国債購入は銀行が人々の貯金を使って購入するが、今日銀が買い取ってくれるので、腰は引けているものの、安倍政権は強気でいる。
 しかしどう考えても、借金を返せる目途もなく、ひたすらに延ばしていくだけである。100年で返せばいいや、ぐらいに思っているのかもしれない。このことはつまり100年、これまで政府がやってきたことを、これからの100年も続けるため、今生まれてくる赤ん坊にも借金があることになる。借金の利息だけでもたいへんなもので、そのために十分な政府資金をしかるべきところに配分できなくなる。
 老人は選挙にいくから老人の主張が結構とおる。若いものは選挙にいかないからなにかと若者の主張は聞き入れてもらえない。
 今年もまた赤字国債を発行する。これで約1060円ぐらいになる。国民全部の貯金で1500兆円だから、毎年40兆円の国債をだし続けるならば、1500兆円まで、あと11年である。

 資本主義は安い労働力を植民地政策で延命し、植民地と輸出入をし、富を得てきた。そしてやがて石油エネルギーの時代となった。安価な石油と安価な労働力は中国にもどこにもまだ最近まであった。ところが石油は何倍にも上がっても振興国も数多く出てきた。高い資源に悩まされる振興国はこれ以上発展できるかどうかはエネルギー政策にもよよってくる。中国は今後300基の原子力発電所を沿岸部につくると発表した。
 日本は輸出をする市場がだんだん減ってきている。資本主義は利潤をまた資本として利潤を稼いでいくシステムだから、ほぼ限界にきている。設備投資をしても減価償却に時間がかかり、設備がより多くの金を生み出さない。これは起業家であるなら誰でも知っていることだ。

 安穏としているように見える政治家。自分たちの利益保護に精をだす経団連。相変わらずの土木事業。もう社会インフラは整っているはずの日本。同盟国に入っておりながら、積極的平和主義だ、人道支援だと言い張る矛盾の自民党。矛盾の日本人。それが現実主義だと大人ぶる政治家や評論家たち。

 僕にはいよいよと思う危機感がある。
 

富司純子(藤純子)

2015年02月12日 | 映画
 6回目、デビッド・リーン監督の「ドクトル ジバゴ」を見た。僕にとってのこれまでで一番の映画だ。脚本も映像も音楽も素晴らしいが、特に ララ役の「ジュリークリスティー」が魅力的である。撮影当時の彼女はいくつかしらないが、映画では17歳から30代を演じていた。メイキングフィルムでの彼女へのインタビューはげっそりするほどひどかったが、映画の中のジュリークリスティーは傑出している。デビッド・リーン監督のなせる技なのだろう。女優が素顔とどれほど違うか、インテビューで驚いたのだった。素顔のジュリークリスティーはどうやら個人主義まっしぐらのようで、タバコを吸いながらインテビューに応じていた。質問者も下手だが、答える彼女もごく普通の平凡な女であった。
 
 ところが映画ではすごいのである。少女であり、情熱的であり、知性的であり、抑制的でもある。世渡り上手の中年男に弄ばれ、革命を志す恋人を結婚するが、ついにはロシアとドイツの戦争で離れ離れになってしまう。夫を探しながら従軍看護を行うラーラはジバゴと医療従事を伴にする。そこで運命がまた変わる。

 映画はロシア革命の時代を背景にしているが、革命を全面に押し出すことなく、医師であり詩人であるジバゴとラーラに焦点をあてている。実際にジバゴとラーラが出会うのは映画の後半からである。しかし映画作りはうまく彼らは同じ電車に乗り、同じパーティーの席ですれちがっている。この恋愛大河ドラマはラーラ役のジュリークリスティーがいてこそである。

 と思いながら、僕は翌日、藤純子(富司純子)の「緋牡丹博徒」を見たのだった。富司純子は今でこそ藤沢周平の「山桜」やいくつかの映画で歳相応の素敵な女性を演じている。それだけに、彼女が東映のヤクザ映画で青春時代を過ごしてしまったことに残念だと思う。 彼女にラーラの役のようなものは日本映画になかったのだと思うとやけに気の毒に思う。それは若い頃の高倉健にしても同じであるが、彼の場合は、山田洋次に転機を与えられた幸運があった。藤純子はNHKの大河ドラマで静御前などもしたが、彼女のもつ青春時代の才能を発揮させる映画製作人がいなかったのだと思う。

 藤純子が富司純子になる前に、大恋愛ドラマをやってほしかった。緋牡丹博徒はそれなりにいいが、彼女の才能はそんな博徒の女ではないはずだ。僕はラーラに藤純子を重ね合わせる。ああ、惜しくてならない。
 「旅情」「戦場を架ける橋」「アラビアのロレンス」そして「ドクトル ジバゴ」さらに「インドへの道」「ライアンの娘」、特に「ライアンの娘」は詩情豊かで映像美も素晴らしかった。藤純子にそんな役がまわってきていたら、彼女はどんな風だったろうと思う。今は彼女は老年の役をやっている。「あ・うん」で主婦役をしたのを見たが見事だった。ああ、惜しい、と何度も思う。
 富司純子さん、どう思う?

幸福度 経済成長とはなにか

2015年02月10日 | 社会・経済・政治
 バリ島は過ごしやすかった。気温が27度ぐらいだった。なんといっても滞在するホテルの植物は朝の見ものである。朝食を食べながら熱帯の植物や池の蓮の花をみる。
 ウブドのプリアタン村に滞在する。この村は芸術家が多く、またレゴンダンスなど伝統芸能の保存にも力をいれている。
 人々の暮らしをみると無駄なものはひとつのもない。生きるに十分な食料があり、神に供える米や花があればよい。彼らは伝統的な習慣捨てようとはしない。
 それでも西洋化の波は押し寄せてきて、スマートフォンや携帯を多くの人が持つようになった。車も多くなった。しかし子供にゲームなどをするものはいなく、食べ歩きをするわけでもなく、ホテルもどこもアカアカと電灯がついているのでもない。暗闇と光がはっきりしている。道路はでこぼこだらけだ。しかし日本のちょうにテトラポットで埋め尽くされて海岸線ではない。
 人々はそんな生活に馴染んでいて、これ以上の無駄などできないし、したくもないように見える。笑顔も絶えない。ゆっくり歩く。交感神経を活発化させることは嫌う。
 これで上等のような気になってくる。
 日本に帰るとなんと不要なものが多いものかとテレビの広告をみると思う。靴は10足も要らない。服も100着は要らない。
 時計も壊れたら買えばよい。車も乗れるだけ乗ればよい。そんな風に思う。
 経済成長というのはなにを意味しているのか。無駄なものをつくるのが成長なのかと疑ってみたくなる。
 日本はひっそりと、何事にも中立で、偏らず、他国に干渉せず、小さな国家で平和でありたい。
 バリ人と日本人のどちらが幸せであるか、考えさせられてしまう。ブータンがそうであるように、幸福度というのは経済成長ではないような気がする。

ニュースというもの

2015年02月10日 | 社会・経済・政治
 ニュースというのはつらいものばかりだ。「人を殺してみたかった」という女子学生。認知症の妻を絞殺した71歳の夫。小5の少年をころした容疑者。ISILへの空爆、そしてイラク軍による地上戦の示唆するアメリカ。ヘイトスピ-チのデモ。戦争のできる国への転換傾向。

 「ニュース映像」というのは感染力を持っている。以前有名な女性タレントが飛び降り自殺をしたとき、次々と自殺する女性があらわれた。ISILに参加する若者も動画サイトでISILの活動を知る。多くのコマーシャルは人間の感染性をより引き出す工夫がなされる。「皇潤」などがよい例だ。

 ニュースからは何が本当で何がウソなのか見えてこない。例えば、オウム真理教の事件であっても謎の解明がない。事象を追うだけで、時が過ぎれば、ニュース性がなくなってしまう。またニュースはカメらマンの視点があり、限られた時間で放送するから当然編集者の映像選択があり、ディレクターの決断がある。

 ところで明るいニュースはスポーツ関係だ。今夜、楽天の則本の投球フォームを何度も見せていた。何度もするものだからよく見ていると、則本は「肩甲骨」を使って投げている。それを彼は「腕」と言っているから、彼は「肩甲骨」を腕の付け根だとは思っていないのかもしれないが、身体の無意識では肩甲骨からが腕であることを知っている。ストレートを投げるとバットの上を通っていくのは、投げた瞬間にボールを手首も使って卵を潰すようするとベース上でボールが浮くのだそうだ。すごい話である。こういうことは感染すればいいと思うのだが。

 いやいや過激なスポーツは身体に悪い。今日あるおばさんと話をすることがあって、腰が痛くて病院に言ったけど、腰はどこも悪くなくて、そのうち股関節が痛くなって手術をした、と。初め、膝が痛くなり、次に腰が痛くなる、そして本当の悪いところである股関節痛があらわれるとNHKの「試してガッテン」で言っていた。それには「びんぼうゆすり」がよい、と言っていた。そのことを言うと、その女性は、もうびんぼうゆすりの段階ではなくなっていた、と言って、両脚がしびれるのがつらい、と言っていた。こういうことはテレビは良い力をもっていると思う。