25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

謹賀新年

2019年12月31日 | 社会・経済・政治
謹賀新年

 本年もよろしくお願いします。

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「紅白歌合戦」をぼんやり観ていました。スーパーフライとMisia の歌の上手さに感心しました。「朝まで生テレビ」ではなんだかポスト安倍というか次の政治を論じているようでした。変化です。
 

ジョージア

2019年12月30日 | 社会・経済・政治
 毎年のことだが、息子たちが帰省すると、尾鷲では目にすることがないDVD映画をもってくる。セルビアの映画とか、昔の日本映画とかであるが、今回の一発目は「葡萄畑に帰ろう」というジョージアの映画だった。この国も難民問題が政治の課題のようである。ヨーロッパ人はほぼみんな元をたどればアーリア人で、そこからスラブ人も、ゲルマン人もラテン人も出ている。たしかに言語や文化はわずかに違うが、大きく変わることはない。建築物やテーブルと椅子、インテリアをみていてもヨーロッパ人だとわかる。
 ジョージアの人がアメリカにいても何の違和感もなく、白人の中に溶け込んでいることだろう。

 ヨーロッパには大きな問題がある。それはイスラム教の浸透である。フランスでは2048年でイスラム教徒が過半数を越える。中東、北アフリカを植民地化し、イスラム教徒を見下した罰かのように、移民たちはフランスに根を下ろし、ギリシャやイタリア、ドイツも頭を痛めている。メルケル首相は過去にユダヤ人を虐待したことから難民への寛容策をとり100万人以上を受け入れている。
 難民受け入れを渋るヨーロッパ諸国の悩みをトルコが引き受けているが、トルコの動きはどこか不気味である。
 現在「世界の民族移動」から見た世界史の本を読んでいるので、ジョージアの映画からいろいろなことを思うのである。
 強者はやがて衰退する。ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスをみればわかる。今はアメリカであるが、衰退の兆候が見えつつある。中国は100年計画で、世界の経済的覇権を目指しているように見える。中国は香港やウィグル、台湾の問題を世界から認められるような形で収束、解決しないと尊敬を得られないと思う。たしかに14億の民を食わしていかなければならないのはたいへんなことだろうが、いわば革命的な折り合いのつけかたに知恵をしぼらなければならないだろう。
 ところでジョージア。栃ノ心の故郷。映画で見る限り、家も街並みも豊かそうにみえる。黒海に面した小さなキリスト教国だ。エネルギー資源はない。人口は約220万人。観光案内やワイン製造が主な産業らしい。
 一度行ってみたい国のひとつである、
 
 

スコアというイヤなAI

2019年12月29日 | 社会・経済・政治
 みずほ銀行の社長ととソフトバンクの社長がにこやかに握手をしていた。AIで提携するのだという。個人の信用度がスコアとなってスマホに表れ、それによって融資の可否、限度額などがわかる。
 アメリカでは起業家は失敗は勲章のようなものであると聞く。これはひとつの文化である。事業で失敗した人はどんなスコアになるのだろう。別のシステム、たとえばベンチャーキャピタルとか。
 中国では自転車を置くにも違反をしないよう、仕切り白線にまで気をつけている青年を紹介していた。スコアを落とさないためである。監視社会があって、それが金融や仕事、教育と繋がっていく。
 みずほとソフトバンクの社長の握手を見ていて、日本のような一度失敗したら、銀行取引もクレジットカード発行もできないような経済社会文化をもつ国で、彼らは何を考えているのだろう。
 はたまたイギリスはどうするのだろう。一人あたり800万円ほどの借金をもち、800万人ほどの人が借金返済不能になっている。因みにイギリスの人口は日本の約半分である。
 要するにAIというのは当面は情報をインプットするときに国の状態や文化が織り込まれるということなのだろう。これに帯する反乱はあり得ると思う。自立しなければならない個人幻想がギクシャクとし、強力なシステムに紐づけされるからだ。

 客を囲い込もうと新しい技術を得意気に見せて笑顔で握手をしているこの人たちに哲学的思考はあるのだろうかと穿って見てしまう。

 それはさておき、2020年は、再度糠漬けを作って大根の皮をパリパリ食べたい。ナマコとアワビを食べたい。タコの唐揚げを食べたい。
 
 

JRは民営企業なのか 競争もないのに 

2019年12月27日 | 社会・経済・政治
「モーニングショー」では年末年始の交通渋滞について特集していた。
 交通渋滞が起こるのは車でいくほうが安いからだ。JRだと一家四人(大人2人、子供2人)で東京から尾鷲に来るには9万円かかる。
 ぼくら夫婦が東京にいくにもこれだけ高いとそう頻繁には行けない。

 ぼくは前々からこのブログでも愚痴っているのだが、今日は愚痴らずにちゃんと言おうと思う。
 ひとつはJRの料金である。高すぎる。JRは独占民営企業というのも腑に落ちない。なぜなら競争相手がいないからだ。そこで、例えば12:00 発はA社、12:05発はB社、12:10発はC社 、12:15分はD社と5分おきに発車するのを4社ほどに分けてはどうか。レ-ルや電線の管理は別会社。別に国有にしてもいい。とにかく競争原理に持ち込む。地方路線では鉄道の上をバスを走らせばよい。
 JRは料金を安くする努力をしているようには見えない。子供、高齢者、外国人旅行者への割引だけである。しかもこんな小さな島国に、しかも災害の多い島に、どんな必要があってリニアモーターカーを走らせるのか知らないが、技術をもっと広い外国にでも売って、その分国内料金を安くしてもらった方がよい。政府は株主配当を国民に還元すればよい。

 次に高速道路である。これは無料化するか、少なくとも半額にするべきだ。民主党政権で一部やり始めたが、残念ながら東日本大震災でとん挫した。財源は?とリアリストはすぐに言うが、列車と車で安く移動できるようになれば消費効果、ひいては経済効果は大きい。したがって税収もちょっとは増える。
 武器の購入を減らす。県議会など10人くらいでよい。そもそも県は要らない。愛知・三重・岐阜がひとつになればよい。議員数も公務員数も相当減らせる。州は経済政策をやり、市町村は住民サービスに徹する。尾鷲ならば「地場産業振興」と念仏のようにすでに50年言っているだけだ。それで地場産業は成長したかと言えば衰退したのである。こういう経済政策は「州」に任せたほうがよいと思う。それだけでも大きな財源になる。

 また憂鬱な年末年始が来る。尾鷲のような温暖なところでもこの時期は寒く、魚も釣れないし、市場に魚も揚がらない。美味しいものを子供たちにたべさせようと思っても、この時期だけは高いスーパーの派手で美味しそうでもない物を買わざるを得ない。普段買っているものはなくなり、あるコーナーなどはかまぼこばっかりである。別のコーナーでは漂白した数の子だのスペイン産の貝だのイカをどうたらしたのだのが満載である。
 いっそのこと元旦はバリ島のような「ニュピ」にして、飛行機も、公共交通も、ビジネスもストップし、家でじっと過ごす。ついでにテレビやラジオ、携帯もストップして。1日を静かに過ごすことを想像するが、消費大国日本ではできることではないだろう。

 またしばらく交通情報が頻繁にニュースネタとなる。報道記者はテンションあげて声高に実況する。必ずやJR東京駅の乗車光景や帰りの子供へのインタビューを報じる。みんなJRも高速も高いと思っていると思う。特別な人(議員や大金持ち、相撲の幕内力士などなど)以外は。 

倫理

2019年12月23日 | 社会・経済・政治
 かんぽの鈴木副社長の言動を見ていると、人間というのはえらくなればなるほど悪くなるのではないか、と思ってしまう。天下って、総務省の先輩後輩の関係を利用する。えらそうで、潔さもない。いつも悪いことをする人間ではないと思うが、呆れたことをする人だ。どのようにこういう人間になってしまうのか。
 人間は危機に陥ったとき、あるいはとっさの想定外のことに直面したときに、その人間の核心がみえるときがある。突然にある有名女性議員が歩いたところ、週刊誌記者に「不倫をしているのではないか」と直撃された。その狼狽ぶりはその後のどんな言動もダメにした。必死になって再選されたものの、あの狼狽ぶりの映像は彼女の今後に事あるたびにでてくることだろう。
 ぼくらは、その正義ぶる記者も含めて不倫をやってしまうかもわからない存在であるし、政治家に人間の模範たれ、と思っているわけではない。週刊誌であれ、テレビであれ、不倫を報道したがるのは、その種のネタが好きな国民がいること以上に、有名で人気者でもある人間が危機に陥ったときの様に強く興味を引かれるように思える。
 話が逸れてしまった、かんぽの鈴木副社長は営業の最先端などに立って陣頭指揮などしていなかったろう。えらそうにしていただけだと推測する。間違っていたら謝る。
 近代社会に入ってからは戦争の規模が拡大し、国民が戦争に出掛ける、あるいは国民に人を殺させるというようになった。幹部は部屋にいる、という具合だ。記憶力だけがよい学歴人間は部屋の方にいたがる。
 筆記テストでは合格と落第の境界線がある。人間にはそういうテストはないから、天下りを禁止するとか、罰則を設けるしかなく、あとは学校時代の教育しかない。
 選挙後援会の資金引き継ぎをさせて、臆面もなく世襲してわがことの力のようにいる政治家も、倫理的にダメだとぼくは思っている。


アベノミクス

2019年12月22日 | 社会・経済・政治
 消費者は名目賃金が上がっていることも、実質賃金が下がっていることも知っているのに、名目賃金があがっているからアベノミクスはいいんだ、と主張してやまない安部首相は奇妙である。
 株価が20000円を越えているからアベノミクスは間違っていない、という安倍首相。なぜ株価があがっているかと言えば33兆円を日銀が投資しているからだ。
 雇用が増えているからアベノミクスはいいんだ、と言っても非正規社員が多くなっているからである。
 橋下徹や三浦瑠璃が安倍政権を支持するのがわからない。普通だったら、誤魔化しの政権を批判してもいいははずなのに、野党はよいことばかり言っているのが気に入らないように見える。自称「腹黒派」(自分で自分のことをそう呼んでいる)の橋下はいずれ、安倍政権も終わり、いつの日か、自民党と組む方が政権に入りやすく、野党でいるよりもできることが多いと腹では思っているのかもしれない。
 安倍や麻生、その他自民党議員には賃金が200万円以下で暮らす人たちにとっての消費税や物価のアップからくる心情はわからないだろう。

 土建業をやっていて、経理をある女性にまかせていた。その女性はこっそりと会社のお金を着服し始めた。その金額が億を越えてもわからなかった。社長は経理の結果でさえ見ないのである。その女性社員の羽振りがすこぶるよいことからようやく発覚した。発覚しても悠然として鯉の品評会にだす社長は、使い込みの金額などはした金だという風である。要するに自民党はこういう人たちに支えられている。
 どうやら層が明確になってきたのがこの30年のような気もする。共産党員が大金もちとは言わないが、公務員が多いため、それなりの安定性と収入を得ているように見える。労働組合の連合も、非正規社員や年収200万円以下、四人に一人が貧しいといわれるこの人たちの実際はわからないことだろう。
 忖たくと斟酌、公私混同の安倍昭恵。こんな政権や官僚に現在および未来をまかせることなど、ぼくには理解できない。代わる政権が出てきて切磋琢磨しないと、まさに日本は先進国から脱落する。すでにそうなっていると思うが。
 

腹立たしい

2019年12月20日 | 社会・経済・政治
 今日はいつものように4時半に目が覚め、トイレにいった。またすぐに寝入って、起きたのが7時半。また酒を抜いた。熟睡度がちがうとまた感じた。9時前にシホンケーキとカスタードクリームが一緒になったよう菓子を食べた。その20分後くらいに、柿を食べた。夜中に目覚めたのはそのせいだろうか、と疑った。まさか、そんなことまでにもバタフライエフェクトがあるのだろうか、
 今夜もようすをみようと思う。3日の断酒ができるはずだが。
 いわき市で暮らす義弟からこの時期にいつもいただいている「バチ」「マグロ」「ヤナギカレイ」「メヒカリ」が届いた。尾鷲からはいつも「からすみ」を送る。尾鷲は今年はボラが不漁で、からすみを他所から買って作るという案配である。昔北川の河口あたりでボラの群れが泳いでいたが、この数年見なくなった。これも気候変動のせいなのだろう。
 いなくなる魚があれば新しく登場する魚があってもいいはずなのに、出て来ない。昔、アイノバリという魚もよく釣れたがめっきり姿を消した。バリ島で島民が釣っているのを見て驚いた。アイノバリであった。
 尾鷲港の岸壁からは昔はよくアジやサバが釣れたが近頃は回遊してこなくなった。投げればキスやコチが釣れた。ぼくはキスとコチはこの5年ほど釣っていない。天婦羅にするなら断然「ハゼ」なのでハゼ釣りはしている。
 正月は娘の婿も夏と同様に来るというので、初釣りにカサゴとハタを狙う。かれもでっかい企業の部長職をしているが、たいへんなことだろう。仕事の合間の休みは貴重だから、釣れてほしいものだ。
 釣りを予定するその浜では今年クエが釣れたので、活きアジでもひっかけて竿を置いて置こうか、などと余計な欲が出てくる。その欲が出ると本命が釣れないことはよくわかっているつもりだ。婿どのも、数匹でも釣れればストレスも吹き飛ぶことだろう。この婿どのの世代はよく働く。多くはブッラクだが、今ようやく働き方改革派やらで、ブラックに厳しくなってきた。
 年金が70歳からだなんて、人が苦労して、お金もかけて健康寿命を伸ばしてきたのに、それがちゃっかりと政府に利用されて年金が引き延ばされる。これもどこか変だ。ぼくなどはオリンピックなどやるお金があれば違うところに使ってほしいと思っているので、定年70歳は腹立たしい。

30年の変化

2019年12月18日 | 社会・経済・政治
この30年ほどの間で大変化したことがいくつかある。
 どのあたりから書こうか。
 まず、資産。土地の値は都市の必要とされるところ以外はすべて価値が下がり、取引さえも成立しないような状況に加え、空き家が増えに増えている。尾鷲でも人が死ぬとそこが空き家になるため、中の荷物処理、掃除のアルバイトが忙しい。尾鷲市は毎月人口が20人から30人の間で減っている。他所へ働きに出るのと、老人の死だ。せっかく買った資産がゼロになっている状況が今の日本、特に地方である。つまり30年で多くの個人の経済力は衰退したのである。

 次に政治家。世襲議員の数が多すぎる。親の事務所のお金まで引き継いで、親の名の下で選挙をする。代表が安倍晋三であり、小泉進次郎である。全く公平性を欠いている。よくまあ、日本列島人はこれを許すものだ。だから改革ができない。

 次に先進国との差である。先進国に簡単には旅行でいけなくなってきた。物価が高すぎるのである。日本の100円ショップ維持はたいへんなものである。

 資格を必要とする職業の内、数字、データ、過去の資料、申請手続き、などを扱う資格、つまりは弁護士、公認会計士、税理士、司法書士や行政書士、その他あらゆる分野の事務作業は相当縮小されるだろうということがAIなどの発達によってリアル感を増してきた。ぼくの知りあいの弁護士の子供は弁護士にはならない、とはなから見限っている。弁護士業はテレビのようにカッコいいものでもない。半分は手続き業であり、半分は」判例を調べる作業だ。おおよそ80%はAIがやってくれるだろう。客側もいちいち弁護士に訊かなくても検索で上等だろう。昔の電話交換手や国鉄の切符切りのような職はなくなっていったようにかなりのホワイト系の仕事が縮小される。逆に清掃運搬の人などは貴重で、エステのような癒し系、体を使っての指導などは重宝されていく。

 銀行のM&A、銀行員のリストラ、銀行ITシステムの構築の遅れが「みずほ銀行」以外で目立つ。銀行のカウンターにいる女子スタッフはアルバイトばかりである。そして銀行の融資の有り方は30年前と変わっていない。相変わらず中学生でもできる「担保確認」「保証人確認」であり、一度失敗した人はブラックリスト入りで貸さないという臆病さである。改革できずリストラに走るだけである。この世界も安穏としておれなくなった。

 30年変わらないこともある。みんなで貧乏になるのなら怖くないというような日本人の右に倣え脳。変わらぬデフレマインド。増え続ける借金。JRの運賃の高さ。

何か変だ

2019年12月17日 | 社会・経済・政治
 日本が経済成長ができず、他の先進国に遅れをとり、どうにもならない状態であることはみな感じとっていることだろう。
 株価は日銀による買いささえでもっている。そんななかで馬鹿馬鹿しいにもほどがある話題のニュースをテレビは紹介していた。それはコンビニなどでスマホをとりださなくても、かばんやポケットにあるスマホを感知して決済するのだそうな。馬鹿馬鹿しいにもほどがある、現金を払うかスマホを取り出せばいいではないか。
 こんなことに面倒がる意識を想定するNTTドコモがよくわからない。いずれ店に入り、商品を籠に入れるだけで、決済されていく未来への途上の技術なのだろうが、要らない。
 こんなことに資本を使うなら、携帯代金を安くしてほしい。
 なにか変だ。










COP25

2019年12月08日 | 社会・経済・政治
 現在スペインで国連会議COP25が開催中である。北京やニューデリーl、ロンドンなぢに大気汚染の再現施設で大気を実感することもできる。
現在、近年の気温の上昇は実感的に感じる。紀州の海の魚も変化している。脂のあるアジ、サバ、イワシがいなくなり、サンマにいたってはそもそも獲れなくなった。
 あと気温が平均的に一度上がれば、海水温も上昇し、北極圏の風の変化も気持ちが悪い。バタフライエフェクトも北極圏内全体の変化となると、蝶々どころではない。巨大な台風、カラカラの干魃、局所的大豪雨がさらに大きなものになると予想されている。尾鷲も近年は台風の道から外れるようになった。今年は東京方面に台風が上陸したものだから、余計に気候変動を思ったのだった。
 この気候変動に敏感に感じているのはヨーロッパの先進国の若者である。若者と言っても十代である。もちろん20代もいる。中国、インドを代表する戦後の後発国は排気ガスを出しまくる。日本もヨーロッパも出しまくった時期があった。鼻毛がドンドン伸びたのはぼくが東京にでた時だった。光化学スモッグの測定計まで渋谷駅前広場設置されていた。中国やインドに排気ガスを出すな、と言っても、あんたたちも出してきたではないか、とやり返されたら物は言いにくくなる。問題はもうそんな論争の次元ではないのだ。日本の高校生やヨーロッパの高校生たちもどんな論争とは違うところにあって、地球の生き死に、われわれ人間の暮らしの崩壊が迫っていることを訴えているのだ。アメリカ、オーストラリアの森林火事はなんだ。
 中国も、インドも公害をなくしていく方向には向かうだろう。だから電気自動車開発に力を入れている。
 それでも一度の上昇を止められるとは思えない。Co2を吸収する森林とCo2を出す量は1:2くらいで出す量の方が圧倒的に多い。
 Cop25。どう宣言するのか。そして各国は何をするのか。
原発賛成するものたちに逆手に取られぬよう、この愚かさにも注意、注意。
 
 

どうなっている?

2019年12月06日 | 社会・経済・政治
 聞くところによると、アフガニスタンで医療や用水路造成で干魃による被害をなくし、砂漠を緑化していった中村哲医師は何らかの理由で狙われて殺されたらしい。用水路ができた付近の土地は20倍にもはね上がったという。緑化された土地の奪い合いが始まったらしい。どこまで本当かわからないが、もしも土地争いに巻き込まれたのなら、ホモサピエンスの愚かな部分をさらけ出す愚行による被害である。当然中村医師はよかれと思って活動している。彼の考えと牽引する力で干魃になりにくい土地ができていく。その地域の人々とってもいいことだ。飢えから救われ、新しい発想に技術を得て、更にアフガニスタンの人々は用水路を造り、開墾をしてゆけばいい。中村医師がどうして絶対的に殺されなければならないのか。その動機を知りたい。どうなっている?

キャンセル

2019年12月04日 | 社会・経済・政治
Ko さんと会えなかったのが残念だった。以前にも書いたが彼は元台湾代表のラガーマンだった。台湾との公式な国交断ってから、彼は台日交流協会作りに協力し、幹事の役割を担った。パスポート発行から、日本との経済交流、親善交流などの窓口を行ってきた。

 今回は早稲田対明治のラグビー試合を観戦にきた。また森元首相とのツーショット写真と仲間で撮った写真を送ってきた。彼はラインを使って音声でメッセージが来たり、写真の添付もこまめである。オリンピック大会組織委員会の会長でもある森元首相とは単にラグビー繋がりだろうと思える。気さくな付き合いだろう。
 赤坂見附付近に3泊して、東京の夜景にも満喫したのだろう。そんな写真もあった。ぼくは友人らを紹介し、翌日は日中、紅葉でもKoさんと見に行っこうかと思っていたのだった。
 ぼくの突然の血尿でキャンセルするとはぼくも情けないものだ。

 台湾は今後ますます事態が難しくなることだろう。中国政府は一国二制度を上手くやり、参考にすればよいのに、ほぼ脅しの形で、学生を制圧した。香港はいつか独立宣言ができるだろうか。
 一方で14億人の食糧を確保しなければならない中国政府は台湾国民党を迎え入れ、政治体制を変えて、共和党と民主党のような二大政党にならないものなのか。中国の台頭は凄まじいものがあるが、なんともマスコミを通じてイメージが悪い。政治のことなど日々考えることもなく、それは前衛エリートに任せ、彼らがよい政治をしてくれたら文句ないのかもしれない。賄賂、忖度、政治のことを考えないですむ国などないのかもしれない。つまり善のみで大衆を引っ張る前衛エリートというのはありえないのかもしれない。一党独裁があやういのはそういうことだ。
 台湾もまた総統選挙が近づいている。Koさんはこれからの10年、20年をどう描くもだろう。そんなこと聞いてみたかった。本当に残念だった。
 

衰退

2019年12月03日 | 社会・経済・政治
20年を振り返ってみると、個人的な事情の流れは脇に置き、日本は縮小したのだなあ、と思う。身近なところで言えば、都会の絶好地を除いて、土地の価値が極度に減少した。資産だと思って買った土地はその価値を無くし、姉の夫のお姉さんなどは土地の管理がたいへんで隣に5万円でひきとってもらった、という。ゼロ円でもよかったのだと言う。隣の人が、ゼロ円ではあまりにも、ということで5万円になったらしい。最近、不動産取引に立ち会う場面があって、尾鷲の商店街にある家の持ち主も台風のたびに心配して、売ることに決めた。放っておいたら、200万円か300万円かけて取り壊さなければならない日がくる。
 取り壊し代を払ってまでも売る人もいる。多くの地方の町では土地価格が下がり、家はお荷物になる、という状況である。

 小浜逸郎のブログで氏は「貧困化した日本」というタイトルでブログを書いている。データ資料もそろえている。このブログを読めば、だいたい日常的に感じているこの20年の変化がわかる。一方自民党の片山さつきもテレビ討論番組でデータを出してくるのだが、経済はよくなっているの一点張りで、都合のよいデータをグラフにして宝物のように出してくる。データというのは都合のよいように変えることもできるトリックがあることもぼくは知っている。片山さつきのデータはぼくの実感に合わないが、小浜氏のデータ、および解説は実感を伴う。

 日本の生産人口は減っているから「一億総輝き社会」と言って、女性、高齢者への労働を促す。それで一人当たりの生産性が上がればいいが、上がらない。日本は減りゆく人口社会の中で、一人当たりの生産性を上げていかなければならない。このことに注力する意見をテレビなどで聞いたことがない。

 自民党政治とは一度既得権益を得たら動かない政治を行って票を獲得する政党である。また数と質をコントロールする政治である。タクシーの台数や医者の数、弁護士の数まで決めるのである。普通、数までもコントロー-ルする必要はない。数をコントロールするとこれ以上増やさないというような団体が出てくる。
 これに現在の自民党は「忖度政治」を黙認する党となっている。

 貧困化するとなぜ悪いか。教育の質が下がる。モラルが荒れてくる。アポ電強盗のようなものだ。さらに自民党政策だと貧困が固定化する。流動化することがなくなる。弱者が這い上がれる。強者が弱者に換わり、その弱者はまた捲土重来が許されることが必要であるが、自民党の既得権益保護が主たる方針の党であるから、いつまでたっても新陳代謝はしない。ダメな産業、零細、中小企業には退場してもらうか転業してもらえばいいのに、補助金で保護して塩漬けにする。

 野党はひとつになって明確な対抗軸をわかりやすい言葉で言えなくてはならない。共産党は名称を変えた方がよいと思う。すでに彼らの主張は共産主義ではない。共産社会はまだ時代の先にくるものだ。この社会の衰退を野党もチマチマ仲違いしてないで、大同につくべきだ。

 ぼくは感覚的に小渕総理あたりから日本はおかしくなってきたな、と思っている。そして決定打となったのは小泉純一郎ではなかったかと思っている。その頃は小泉大フィーバーであった。派遣社員制度が始まろうとしていたのに、国民は呑気に小泉に熱狂していた時代があった。



 

安倍政権の横柄さ

2019年11月21日 | 社会・経済・政治
 自分と自民党の選挙運動。安倍昭恵夫人の私的な仲間の招待。ケチケチしたことを言いたくないが言わなければならない。「桜を見る会」は税金で行われているのである。共産党議員が資料提出を求めたその日に「シュレッダーにかけてしまった」というのだから、破棄した官僚も嘆かわしい。きっとデータはどこかに残っているはずだ。税金を払いたくない。

 それにしても安倍政権の横柄さにはあきれる。「森友・加計問題」もひどかったが、今回のもひどい。芸能人を客寄せパンダにして(B級芸能人とはそんなものなのか)、嬉々として安倍首相と映っている姿は「アホかいな」と思うだけである。それでも支持率が高いのだからぼくは国民の意識を測りがたい。

 アベノミクスが始まってからでも実質賃金は上がっていない。株価操作を年金と日銀で行い、海外の株主と国内の株主を儲けさせる。一体一億二千万人いる人口の何%が株の売買をやっているというのだろう。輸出企業は生産量は上げず、為替差益でその差額を内部留保している。チャレンジするリスクはとりたくない。内部留保のお金も社員には渡したくない。設備投資をしても国内の市場は縮小している。連鎖して銀行がにっちもさっちもいかなくなっている。この銀行も知恵がない。IT革命のときにそれがなんだか実はわかっていなかったのだ。本当の奥に潜む可能性というものをだ。
 もちろん安倍政権はわかっていない。そういう人材がいない。加計学園が成長戦略のひとつになってしまう。
 たぶん世界に網を張ったGAFAの本当の意味などわかっていない。

 第一次安倍政権が倒れてから良い薬ができたのか、安倍議員は関西のテレビでタカジンと一緒に風呂に入って、のち金美齢とか三宅何某らと酒を飲みながら放談していた。まだ首相になる前である。みなヨイショして、タカジンなどは後見人であるかのように安倍議員を持ち上げていた。「自衛隊を国防軍と認めようよ」「憲法改正しようよ」「それができるのはあなたしかいない」
 するとその後、なんと野田首相が国会の党首討論で「解散しましょうよ。消費税上げましょうよ」と言ってしまった。安倍議員は目が点になったような顔つきであった。相手の方から言ってくれたのである。ここから安倍政権の時代が始まった。
 もう歴代首相在職最長になったらしい。
 デフレ脱却できず。借金1100兆円。大部分の日本列島の資産はどん減り。賃金上がらず、家計を助けるのに女性も働く。子供が犠牲となる。大きな会社の社員と小さな会社の社員との差も開いてくる。全く展望が見えない日本の社会。そんな中で「桜を見る会」をやって後援会サービスをする。それでもこういう政権が長く続く。日本列島人、どうかしてるよ。オリンピック後どうなるのだろう。

中国と日本

2019年11月18日 | 社会・経済・政治
1970年代に入っても日本社会、および国民は日本軍兵士がどんなことをしてきたか、というようなことはあまり知らされることはなかった。ぼくはすでに大学生であった。日中国交正常化も成し遂げられていた。徴用された父も多くを語らなかったし、戦争に関する資料が集められ、それが公開されるのを見るということもぼくの場合、なかった。
 だから15年戦争で日本軍は1000万人以上かも知れない中国人を殺したことも知らなかった。中国に対する賠償は、1000万人、家や設備と補償の対象になっていけば日本はいつまでたっても払えず、どうにかなるものでもなかった。侵略に行き、殺したのだから、日本国民の総力を上げてお金を作っても無理であった。ぼくはこのようなことも学生の頃知らなかった。
 日中国交正常化の時、中華人民共和国の毛沢東と周恩来は国民の怒りを抑え込んで、戦後賠償を放棄する決断をした。理由はいろいろある。ひとつには当時のソ連との仲が悪くなり、アメリカや日本に近づいてソ連を牽制する。あるいはまた歴史を知る人であれば、第一次世界大戦でのドイツに対して戦後補償があまりにも多く、それがナチスを生んでしまったこと。あるいは、日中の幅広い経済交流や金融支援、技術供与などで、互いに実をとった方がその実の規模が大きくなるだろうと中国首脳は考えたのではないか、と今であればなんとか言える。
 1000万人も殺された者の家族や友人などからしてみれば半端な憤りではないだろう。その戦争責任者は東京裁判で裁かれ、その英霊は多くの兵士とともに靖国神社に奉じられている。日本の首相が靖国神社に公式参拝をすると必ず関係がぎくしゃくとするのは上記のような背景があるからだ。

 テレビも日本列島人は1000万人を殺すほどの狂気の民族だとは言い難い。このような汚れた歴史は汚れていないものとしてありたい。あるいは「なかったことにする」という手法で日本民族を汚さない。あくまで国民は戦争の被害者だ、というような雰囲気がずっとあった。

 歎異抄の中で弟子の唯円に親鸞が「人を百人殺して来い」という場面がある。数字は正確ではない。1000人だったかもしれない、10人だったかもしれない。唯円は「一人でさえ殺せません」という。親鸞は「ひとりとて殺すことができないだろう。しかし機縁さえあれば100人でも1000人でも人は人を殺すのだ」と言った。ぼくの記憶の中の言葉なので、正確ではないが、主旨は合っていると思う。
 普段の日常なら人を殺すなどと考えられない。恐ろしい。気持ちも悪い。ところが、エノラ・ゲイに乗ったパイロットは原爆を落として何十万人も一挙に殺すのである。あるいは奉天事件のように張作霖爆殺をするのである。南京に入れば、数字の正確なデータはないが、日本軍兵士の証言によれば虐殺を行ったのである。中国政府は30万人と言い、日本の「なかったことにする」人々は「南京虐殺などなかった」と言う。
 あるとき脳の共同幻想の観念領域が個人が死ぬという悲しみを感じさせないほど日本が負けない、日本のために、天皇陛下のためにという幻想に支配されるのだ。みんなで自決なんてこともやってしまうのだ。
 何かの拍子が共同幻想が悪魔となってロックされる。それが戦争である。
 今、当時、日中国交正常化のときの周恩来たちのふところの深さと寛容さを思わざるを得ない。そして戦争時に日本軍兵士が何をしたか。どのように生き延び、どのように死に、幹部はどのようであったか、という真実を後々の世の者たちに伝えなければならない。「なかったことにする」はいけないし、「汚れはない」もいけない。なぜそうなってしまったのか、戦後日本列島人は真摯に向かうことなく、やり過ごしてしまったように思える。