25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

便所とトイレ 村上春樹

2014年11月26日 | 文学 思想
 渋谷の僕の事務所のとなりがドトールコーヒーの本店である。ここはゆったりとしたスペースがあり、面談すときでも、なにかを考える時でも、便利である。
 朝はここでコーヒーのLと卵と野菜の入ったサンドイッチを食べる。
 すぐそばにタワーレコードがあるので、今日もみっちりとクラシック音楽でいいのを探しあてたい。それをしてから名古屋で打ち合わせがあるので出かけ、尾鷲には22時ごろ到着のJRで戻る。
 僕は仕事旅はよくするが、旅先でも、居住地でも出不精である。尾鷲の町でも多く地理を知らない。東京に住んでいたときも、住処の100メートルを越えると行ったこともなかった。ロンドンでも同じであった。連れがいるとホイホイでかけるのではある。シアトルでは妻や子どもたちがいたからでかけたものだ。
 車の有る無しではないと思う。なんとなく面倒なのだ。
 東京に住むことを考えてみる。こんな調子では部屋に引きこもり、音楽や本読みで過ぎてしまいそうだ。酒を一人で飲みにいくことはたぶんできない。すると、なにか興味をひくサークルのようなものを探すか、自分でサークルをつくるしかない。サークルを作るというのはたぶん得意分野だ。

 一人はいい。永遠に一人は寂しいが、今日のような独りきりは来し方行く末を考える。僕はどうなっていくのかということも考える。
 なぜ村上春樹は「トイレ」という言葉を使わず「便所」と必ずつかうのか、についても考える。日本の流行歌は絶対でてこないのはなぜか、ということも考える。その辺で、たまたま村上春樹の小説を読んでいる女性がいたら、「ねえ君、どうして村上春樹は便所という言葉を使うのだろう。僕はとてもその言葉は臭いがして違和感があるんだ、どう思う」
「彼の生まれ育った便所は臭いがなかったんじゃないかしら。だって便所って普通の日本語よ。それに日本の便所は世界で一番と言っていいくらい、清潔で無菌状態なのよ。あなたの便所が臭かったのよ」
 「僕は便所というと和式のものをイメージしてしまう。それに学校の便所。君の頃の学校の便所はきれいだったの?」
 
 こんなことを思い浮かべ、またコーヒーをひとくち飲み、スマホとにらめっこしている周りの人たちをみる。トイレに行きたくなったので、とここまで書くとやっぱり便所よりはトイレだと思った。

 

孤独にならないコツ

2014年11月25日 | 文学 思想
 いままで仲良くしていた人となんとなくいつの間にか疎遠になっていくという場合がある。なんども会わなくても、なんにも話をしなくても、難しい議論などをしなくても、ただ一緒に遊んでいるだけで、よいという相性の合う人もいる。
 
 人はひとりでは生きていけない。こころが孤独になるということはすでに死の淵にまでやってきているということである。その淵から我々は引き返さなければならない。自分の力で引き返す。他人の力によって引き戻される。どちらでもいいと思う。この現実世界に戻って生きることが必要だ。
 分かり合えるということなんかはないと思う。自分が自分のこともわからないのに、友人や知り合いのこころがどうなっているのかはわかるはずもない。わかりたいと思うのもわからないではないが、これは永久の謎である。自分というものも他人というものも永久の謎だと思う。ただ、人との関係は「相性が合うかどうか」ぐらいのこと、「ウマが合う」というか、そういうことだ。そういう人はきっと探せば何人かいるはずだ。それは出かけないと見つけられない。

 孤独になっていかないために、いくつか自分にこころがけておくことがある。
 ひとつは「あいさつ」である。これを家族でも行う。朝黙って居間にいくことをしていない。本当は、「おはようございます」とまで言いたいところだが、長年の伴侶ゆえ、「おはよう」程度にしているが、本当は「ございます」まで言いたい。なんとなく照れくささもあり、やってない。

 もうひとつはどこを見るかだ。向かうべき対象物のその先を見るようにしている。大根を切る場合は大根が向かうべき対象物だから大根を見る。右手の包丁や左手の指を見て大根は切らない。

 最後のひとつはゴロゴロしないことである。
 寝転ばない。

 この三つぐらいだろうか。加えて、時々肩甲骨を動かす。ラテラル呼吸をする。スクワットをする。ほんの時々である。これが孤独に陥っていかないコツであると自分では思っている。
 

九州場所の女、高倉健

2014年11月23日 | 映画
 今日は大相撲の千秋楽です。九州場所の女性は審判席の真後ろではなく斜め後ろに座っていましたね。にくいですね。ちゃんと映るんでですね。毎日来ていたと思うのですが、この席は確か3回目だと思います。今日は関取連中も打ち上げでしょうからきっと「たじま」にはお相撲さんが多くくるのではないと思うと楽しいものです。
 さて、

 DVDレンタルコーナーでは高倉健の作品を特別に並べていました。その中に1958年の作品で、なんと武田泰淳が原作とある「森と湖の祭り」というDVDがあったのです。総天然色です。初めて知る作品でした。高倉健、香川京子、有馬稲子、三國連太郎、宇野重吉、加藤嘉らが出ています。差別されるアイヌの人々とシャモ(たぶん内地からきた開拓民のことだと思う)の話です。
 アイヌの踊りや歌ががあったり、口琴を奏でたり、シャモのよく働く鮭漁のシーンもでてきます。北海道の1958年の町や自然風景がでてきます。網走からオホーツク、知床半島が見えます。

 その映画で、「昔はよかった。鮭がいっぱいとれてよ」というセリフがあります。アイヌの人々は川に遡上する鮭をとっていたのですが、シャモは舟をかりだして、網で漁をします。高倉健は自分は純粋のアイヌ人だと思っています。シャモのことが気に入りません。嫌がらせをします。本当は混血です。高倉健も、三國連太郎もほっそりした筋肉質で若いのです。一太郎(高倉健)は馬に乗って画家である女(香川京子)を救いだすシーンがあります。高倉健は馬が似合うのはこの頃なのかと思いました。
 最後は兄弟とも知らず三國連太郎と決闘するのです。アイヌの苦悩も、シャモの苦悩も描かれていました。

 近代文化を嫌う男と野蛮や原始を嫌う女。しかしながら女は男の野生に惹かれ、男は女のインテリさに惹かれます。アイヌの女性と結婚せず(理由がバカバカしいのですが、当時はそんなものだったのかもしれません。インテリの思いそうな苦悩です。家のものが反対する。のけもの扱いされる、という風な理由です。)苦しみ抜く元教師(加藤嘉)の男も描かれています。教職の仕事も捨て放浪を続けることになってしまいます。

 その元教師はかつて愛したアイヌの女性が療養している病室をたずねます。そこに大人になっている一太郎がやってきます。元教師は「北海道を放浪した。アイヌは滅んでいく。北海道で人々は一生懸命に生きている。純潔などといわず、混じり合って生きていくのだ」と一太郎にいいます。アイヌの純潔などを守るというような無駄なことはやめろ、と言い残して去っていきます。最後には一太郎も実は混血であることを知ります。

 高倉健の若い時の顔や体つきや1958年の風景を見るほどのもので、ストリーや映画そのものはよくとも、おもしくともない映画でしたが、予告編ではたいへんな入れ込みようでした。その後、僕もよくおぼえているのはサラリーマンの「万年太郎」や「旋風太郎」で活躍します。
 それから7年目で、1965年に「網走番外地」が制作されます。たいへんな時の流れを感じるとともに日本の戦後の時代変化がわかります。一人の男性俳優から時代の移り変わりがはっきりわかります。
 「君よ憤怒の河を渉れ」は中国で8億人が見たということです。僕は2回見ているのですが、追悼番組でやってくれないかなあ、と思っています。これは勝気なお嬢さんも出てきて高倉健のヤクザとは違う格好よかった映画でした。
 

あっという間に海に注ぎ込んでいく

2014年11月22日 | 日記
昨日2時頃から今年3回目のハゼ釣りをした。北川と海を分ける突堤がある。その川側の方で釣るのである。前に石油用の小さなタンクがある。水の濁りはなく、ハゼが見える。これから潮が満ちてくるから、今日は大きいのだけを釣って、小さいのはリリースしようともう余裕である。一投目からグイグイ引く大きなのが釣れた。ホイホイ釣れるので、餌を付け替えるのが面倒なくらいだ。
 40分ほどで、食べるくらいは十分釣ったので、竿を納めた。
 母に食べるかと聞くと、食べるというので、5匹を背開きにした。てんぷらにしてもいいし、ムニエルにして食べても美味しい。おすすめは塩で食べることだが、僕は時に塩とカレー粉を少しふる。ハゼのうまさは上品な味である。上品なというのはクセがないことだ。イワシはイワシで美味しいがその真逆の味である。コチに近い味がする。
 釣りをしているときは考えることがない。

 今日は交通事故の件で、やっと検察庁から被害者側の意見聴取があった。事故から9ヶ月が過ぎている。あまりにも遅くなってしまったことを謝っていた。「Hero 」と同じように普段着のような縞シャツとセーターを着た若い検事だったので、おお、世も変わったものか、と思ったのだった。今月中には裁判所に送ってもらうよう強く要請した。事務官のパソコンの扱いも超高速である。

 なんでも証拠がないとどうにもならない。事故時誰もその現場を目撃したものがおらず、母が路上でうずくまっているのを発見したのは僕だった。それは事故後である。悔やまれるのは母親を発見したとき、加害者はどこにいて、どのようにしていたのかを確認しなかったことだ。本来、加害者はすぐに車を止め、救助に向かわないといけない。彼はそれをせずに、100メートル前方まで走り、Uターンをして現場にかけつけたと言っている。「100メートルを時速40kmで走っても10秒かからない。Uターンしても合計30秒はかからないと思う。僕が母親を路上で発見し、中央分離帯の近くに倒れていたから、車がくると危ないので、路側帯の端にまで運んだのだった。そうしていると人がやってきて、僕が警察へ電話し、その人が救急車を呼んでくれたのだった。その時に、加害者はやってきた。
 警察も検察側も「Uターンでありひき逃げではない。それを証明するのは難しい」という。僕が偶然に通らなかったら、母は路上の中央でさらに危険にさらされていただろう。
 調書には僕らの疑っていることを書いてもらうことになった。それを読んで判決を出すのは判事である。
 これから保険会社との交渉が始まってくる。保険会社は自主交渉を避けて、弁護士に依頼しているので、こっちの方も釈然としない。
 もうすぐ「後遺障害等級」がでてくるはずで、僕はこのシステムも釈然としていない。等級を決めるのは天下り団体だ。その中には保険会社からの天下りもいるという。この等級に異議があれば、また異議申し立てをし、日数がかかる。示談解決がみられなかったら、裁判になり、さらにまた解決まで時間がかかる。そんなことをしていたら、母も高齢だからいつ肺炎などで死んでしまうかもしれない。

 事故というのは「やられ損」だとう気分がする。加害者側は一銭も払うことなく、保険会社にまかせきりですむ。はじめの頃の後悔や謝罪の気持ちも薄れてくるようだ。

 不快な思いも釣りをするときぐらいはなくなる。明日も行こうかと思っている。
 テレビは青酸化合物による殺人疑惑。総選挙。もうすでに健さんのニュースはなくなっている。追悼映画が始まっている。つねに何かが流れ、あっという間に海に注ぎ込んでいくというふうだ。

ほどほどでいい

2014年11月20日 | 社会・経済・政治
 経済はたえず成長し続けなければならないというのは幻想である。株で儲けようとする人には迷惑な話であり、公共事業で生きている人も迷惑なことであり、天下り法人にいる人も迷惑な話であろうが、しかたがない。突然に借金をやめ、予算を50兆円規模にすれば、ほぼ今の日本は立ち行かなくなる。国の借金に支えられて生きている業者が多いからだ。そういう職種は倒れてもしかたがないではないか。もう家庭用の固定電話はいらないように、古い物は交代していくのである。
 海岸のテトラポットももう要らないではないか。

 インフレがよいとは思わない。僕らから言えばデフレのほうがものが安く買えていいのである。
 国民の医療費負担が毎年1兆円増えているというが、1兆円ぐらい、出す薬を押さえればよい。高血圧や糖尿病や尿酸値への薬など、風邪薬などを現在の学会が発表している基準値に従えば軽く1兆円ほどは浮いてくるはずである。
 またロコモティブシンドローム(運動器官系の病気)も、歩き方やエクササイズ、食べ過ぎをやめればよい。これは国の責任ではない。個人の責任である。約2700万人がこの病気で病院や整骨院に通っている。寝たきりの大きな原因にもなる。
 消費税を導入するならば、軽減税率にするべきで、アメリカやイギリスはやっている。むしろ生活耐久品や必需品ではなくて、贅沢品に多くの税金をかけたほうがよい。

 財布のヒモがかたくなれば政権が交代する。あるいは選挙が行われる。これはどういうことかというと、一般大衆のさじ加減で政権が交代するということであり、大衆は無意識のうちに「消費」によって時の政権を交代させることができることを意味している。ついつい節約することによって、買い控えをすることによって、経済の成長云々となる。すでに近代型の資本主義は終わっている。
ありあまった生活。これ以上買うものがないという生活。携帯電話で遊ぶ生活。食べたものをネットにのせて喜ぶ生活。現在の日本人はまだまだ余裕がある。貧乏だと言っている人でさえ、親に財産があったり、相続するものがあったり、アジアの発展途上国の人に比べたら豊かだと言える。

 衆議院総選挙。この調子では若い人の多くは投票所に出向かないだろう。選挙の意味ぐらいは知っているが、選挙の価値のようなものを1票では実感できないのだろうし、そもそも政治に関心がなく、自分のことで思いは精一杯なのだろう。
 ふやけた感じはするが、まだ豊かなのだろう。

 近隣諸国と仲良くして、言うべきことは言い、技術を提供して農産物を作ってもらってもいいではないか。贈与経済というものもあるのだ。
 為替の差益で儲かるというのも歪んだ金儲けではある。自由市場経済主義で変動相場制なのだからしかたがないが、それにちまなこになって生活しているあんて、あんまり体やこころには良いとも思えない。
 ほどほどでいいんだと思う。戦争さえしなければ。各国を自由に往来できさえすれば。

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ロバストネス 動的平衡  自己慰安

2014年11月20日 | 文学 思想
 だんだんと今年も終わりに近づいてきた。流行語大賞や紅白歌合戦の出場者ももうじき決まるのだろう。
 今年最も印象に残っている出来事は何か言えば、やはり母の交通事故であった。それでは他になにかあるかと言えば、ウチの犬、八咫(ヤタ)が老化で後ろ左足が動きにくくなったことだ。その他に何か印象のあることはあったかと言えば、STAP細胞のトラブルがあったことぐらいだろうか。

 「ロバストネス」という言葉を知った。飛行機が安全に飛ぶためには強靭なロバストネスが必要である。操縦席に二つのコンピュータがあり、ひとつにトラブルに見舞われたら、もうひとつが別の機種、別のソフトウェアで補完する。外界からの影響にもかかわらず、内部ではロバストネスを最適化しようとするのが人間である、というところまで竹内薫は言っていたと思う。
 これはとても参考になった。
 もうひとつ興味津々だったのは、福岡伸一の「動的平衡」という言葉である。たんぱく質の世界から見れば身体内では絶えず生まれ変わっている。にもかかわらず我々は昨日と同じように生きている。この2冊は今年の収穫であった。

 そしてもうひとつ、「1Q84」を再読した。初めて読んだときよりも面白かったし、意味深くもあった。以後、ずっと村上作品を今も読んでいる。「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」 これが彼の処女作「風の歌を聴け」の出だしである。彼の作品を辿っていくと、この出だしの文章は彼の作品を読み解く上でとても暗示的だ。完全な文章など存在しないから、彼は近代小説系統の文章を使わなかった。彼の小説はだんだんと絶望感がなくなって来た。それは「1Q84」を読めばわかる。青豆と天吾は脱出するのである。

 思えば一年とは短いものだと今年は思う。母の事故は2月11日だった。すでに9ヶ月以上経っている。そして母を見ていたら、人という生き物は意欲さえあればなかなか死なないものだ、と強く思ったのだった。
 その間も多くのドラマを見、多くの本を読んだ。音楽についても今年は大きな変化があった。桑田佳祐を再び聴き始めたことと、ヤナーチェクやワーグナーなど多くの楽曲を聴いたことだ。

 僕は記憶力が乏しいので、結局努力をしなければならない。そうやって僕の中に何かが溜まっていく。いつかは自分の中で多くのものを濾過をして、組み直し、また僕という身体と感性と思想を通し、吐き出さなければならないだろう。しかしながら僕はこのブログを書いて少しずつ吐き出している。自己慰安のためだ。
  

高倉健 追悼

2014年11月18日 | 映画
 高倉健が悪性リンパ腫で亡くなったという訃報を午前11時45分からのNHKニュースで知った。
「幸せの黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」、特に「遥かなる山の呼び声」が印象に残っている。山田洋次監督の作品の中でも、傑出しているのではないかと思う。倍賞千恵子が黙々と働いている農場を男は手伝うことになる。男には事情がある。北海道の草原で馬で駆けるシーンもある。草競馬のシーンもある。ハナ肇のジンとくる列車内の演技がある。
 もうひとつ好きな作品がある。「君よ憤怒の河を渡れ」である。この映画でも新宿の街を中野良子を助けだすシーンが圧巻であった。なんと寡黙で格好がいい男なのか。その印象がずっと続いた。この映画は初めて中国で公開された日本映画だった。そのときチヤン・イーモーは中学生だった。
 おそらく僕が「笛吹童子」を港の広場で白い幕を張ってできたようなところでチヤン・イーモーも中学生の頃見たのだろう。彼は「君よ憤怒の河を渡れ」に感動した。やがて彼は成長し、映画監督となった。「初恋のきた道」「赤いコーリャン」、「上海ルージュ」などを作った。数々の賞をとった。そしてついにチヤン・イーモー監督と高倉健は「単騎千里を走る」という映画を撮った。

 この頃から高倉健の映画は高倉健のポートレートのような映画が続いた。降旗康男という監督はよほど高倉健とウマが合ったのだろう。高倉健の晩年の映画はすべて降旗康男監督である。それはストリーや何よりもいかに高倉健を撮るか、ということだけにこだわっていたように思う。倍賞千恵子との居酒屋でのシーン。田中祐子と傘をさしてやりとりするシーン。

 チヤン・イーモーは北京オリンピックの開会式や閉会式を演出し、今度のOPECの開幕式も担当している。いわば高倉健はチヤン・イーモーを通した中国と日本の友好の架け橋でもあった。

 ロバートデ・ニーロの「ディアハンター」でエネルギーに満ち溢れる結婚式の宴がある。この宴は延々と続く。観る側はごく普通の人々の溢れるエネルギーに圧倒される。一人の人のエネルギーが100人になると、千人や一万人のエネルギーにまで増幅されるような気がした。「単騎千里を走る」では村の通りでの大宴会がある。並ぶ料理。人々の溢れる匂い。食べる欲。食べる喜び。大画面一杯に大宴会が繰り広げられた。そして奇岩の並ぶ迷路のような場所で男の子を探すシーンがあった。チャン・イーモーはよほど高倉健を尊敬していたのであろう。そして高倉健はチヤン・イーモーの予想通りに演じたのだと思う。

 遠いところにいて、死んでほしくないと願う人が僕には4人いた。司馬遼太郎。池波正太郎。吉本隆明。そして高倉健。大事な人が亡くなっていくと僕も何かを失うような気になる。

 最後の映画となった「あなたへ」のPRではよくテレビにも出た。ドキュメントもあった。その時は高倉健はよく喋った。ほとんど映画以外では顔を見せない俳優だった。俳優はそれがいいと思う。素顔の俳優はトンマなことを言っていると話にならない。俳優は演技が勝負である。高倉健は演技などをはるかに超えた存在そのものが俳優であった。祈り。
  

これからの日本の先行き

2014年11月18日 | 社会・経済・政治
 尾鷲から仕事で東京に出かけるには往復で3万円要る。宿泊となれば早くから予約して、7千円や八千円かかる。JRの料金が高すぎるのである。これではなかなか「移動」ができない。高速道路が無料だった時期はさすがに移動が自由だったため、車でよく出かけた。国内需要を高めるにはよい政策であったが、東北大震災が起こり、この財源も東北に行ってしまった。なんとかして高速道路を無料化できないものなのだろうか。
 無駄な薬の出しすぎをやめるだけでも医療費は下がるはずである。無駄な公共工事を省くだけでも予算は減るはずである。国会議員の給料や政治活動費を削減するだけでもいくらか削減となる。自由な人の移動は当然経済を活性化する。

 ごくごく僕らのような素人が考えても、銀行が売りたいと思う国債を日銀が買ってくれるのだから、銀行の国債保有は安心感がある。それでも銀行は国債の買い控えの傾向になっている。日銀はいつまで国債を買い続けるのか。この日はいつ来るのか。このことが「大問題」である。そもそも銀行が国債を買うのは国民の預かった貯金が原資である。銀行が国債買いを控えるようになると、金利は上がってくるから、それを上がらないようにしようというのが日銀の異次元の緩和策である。
 政府が借金税収と借金で毎年をやりくりしているが、本来は税収だけでやりくりするのが望ましい。しかしすでに1100兆円ある借金は返していかなければならない。その利息や元金返済分も含めて税収があるのが望ましいということで、アベノミクスは「税収を上げ」インフレ軌道にのせ、物価上昇で「国もつ借金額の価値を実質的に減らそう」という二つの経済政策を行っている。そのためにお金もばらまいているが、それも借金である。

 本当に景気がよくならない限り、アベノミクスは成功とならないのであるが、本当に景気がよくなる消費者の購買意欲は高まらない。もう何が要るというのか。全国空家だらけである。みんなテレビやエアコンなどはもっている。IT好きはパソコンであれ、スマートフォンであれ、もっている。カメラももっている。服や靴だってもっている。生きていくために必要なものはもすでにもっているのである。あとは贅沢したいというものばかりだ。

 そうすると国内需要は多く見込まれないため、海外で稼ごうということに企業はなる。現に、海外に工場を作る自動車メーカーや電機メーカー、サービス産業にまで及んでいる。

 こうなってくると、これまでのような借金を続けての経済政策を行う限り、この国は一度破綻して仕切り直しをする時期が必ずやくることになる。
 さあて、この時がチャンスだ。金持ちは落ちぶれる。借金をもつものはハイパーインフレでほとんど無価値になる。金を持たないものは変わらずである。戦後の闇市時代を思い起こせばよい。ドルをもっているものは強い。

 単純化して言えば、こんなふうな予想を僕はもっている。だからある面、日本は明るい。いくとことまで行ってしまった感があるからだ。あとは破産して一からだ直せばいいではないか。個人も会社もみなそうしている。ダラダラが一番悪い。
 
 

人の間にいてこそ

2014年11月17日 | 文学 思想
 沖縄はまだ半袖シャツで過ごすことができた。いつも思うことであるが、この島はいつも低気圧で覆われている。スキッとした青空を滅多にみない。それに風が強い。この沖縄がリゾートにて適しているとは思えない。台風。曇り、風。エアーチケットや宿の予約にいつも心配する。
 その沖縄に5日いて、帰ってきた。内地は寒かった。高速船の中で、ぼんやりと考えた。何を読み、何をするか。仕事の日も決まっている。
 いつも、11月が待ち遠しい。11月にハゼ釣りをする。同じ頃イガミ釣りが盛んになるが、2年前に磯で転んでから止めた。春になるとチャンポコという巻貝をを採りにいく。3つ楽しみだったのが2つとなった。その他にキスやカサゴを釣りにいくが季節の情趣には欠ける。沿岸ものから外れて、ヒラメや鯛が釣れるところに住んでいるのだから、一度は釣りに行ってみたいと思う。しかし一人でいく気持ちにならない。こんなとき釣り仲間がいればよいと思う。
一人で桜も紅葉も美しいものであるが、二人で見る桜・紅葉も、三人で見るのもよいものである。さしずめ、釣りは一人よりは二人以上が絶対的におもしろい。

 ハゼを釣る場所まで車では30秒。歩いていけば2分というところにある。カサゴやキスも歩いて2分。チャンポコを採るには車で7分。大コチやヒラメを狙うなら、小舟があればよい。(父には小舟があったが、僕にはない)。鯛を釣るならもっと沖にまでいく必要がある。コブ付きの鯛である。
 銀座数寄屋橋の「すきやばし次郎」は鯛は握らないという。関東で良い鯛がとれず、明石の鯛にかなわないのだそうだ。代わりに東北のヒラメを握るのだそうだ。
 こんな話を昔、地元料理屋での雑談で話していたら、こっぴどく、「ウチの鯛もコブ付きやで。何が明石の鯛や。ここのは荒磯の鯛やで」と言われた。それで別のある日、尾骨にコブがついているかどうかを見せてもらい、実際に食べてみた。これが美味いのだ。養殖のものも新しいと違いはないなど魚屋さんがいうが、全く違うのである。
 コブ付きの鯛を生涯に一度は釣って、食べてみたい。

  紅葉を見にいく、という趣もある。春の桜と秋の紅葉。人はあと何回みれるかと生き急ぐように見物に出かける。特に僕の周囲を見渡すと、60代にそんな季節感へのこだわりや執着がある。僕にはあまり「絶対見る」という気持ちがない。

 ちょっと出かければ見えるのである。
 海の磯。海の砂浜。海の堤防。川があり、渓谷がある。近くには湖もある。そんな自然暮らしだけで1年が過ごせるかと思うと、決してそうではない。自然とのつながりもよいがそれ以上に人間とつながっていたい、という気持ちがある。どこかで社会とつながっていたいという気持ちがある。魚や桜を相手にしているというのはやはり味気のないものだ。人の間にいてこその桜や魚だと思う。

 今日は早く寝て、明日に備える。ちょっと疲れたので、考えることも明日に延ばす。 

村上春樹の小説

2014年11月16日 | 文学 思想
「根源的なる悪」。これが村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のテーマのようです。「風の歌を聴け」から出てくる鼠は「羊をめぐる冒険」で自殺します。父親の悪を継承したくないのです。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」では妻が「根源的な悪」に汚されたので、突然失踪します。
 主人公はかなり受身の人間です。僕のあまり好きではないタイプです。その主人公がなんとなく根源的な悪に拮抗しようとします。乗り越えようとします。
 「ノルウェーの森」でもそうです。主人公は受身で、積極的に何かをなそうとか救おうという意識がありません。他者のことをそう真剣に考えていません。でもって、セックスはやっているという村上春樹の異常な世界です。それは奇妙に思いながらもいいのですが、「1Q84」になってくると、根源的な悪は揺さぶりを受けます。何が善で、何が悪か、混沌としてきます。そして主人公の青豆という女性が強引に受身の天吾をかっさらって別の世界へ脱出します。それを愛の力、互の引き寄せる力だと言って終えるのが「1Q84」の世界です。
 簡単に言ってしまうとそういうことです。しかしながら、村上春樹のの小説にはおもしろい会話があります。そして地の文には鋭い、哲学的思考があります。写しとっておきたいようなアフォリズムがあります。
 さらにストーリーは謎に包まれています。まるで謎でミステリアスです。そういう読ませる力があります。それら全体の中で言っていることは「お金をもつものも悪」が「宗教を司る悪」「人間の中に生まれ落ちたときからもっている悪」「戦争など時代による悪」という悪を追究したものです。
 阪神大震災、オウム真理教事件を契機に村上春樹の思考は深まっていったように思います。それらの事件がなければ、どこかで尻切れトンボの悪の追究で終わったのかな、と思います。しかしながら、1995年を境に村上春樹はもっとエネルギーをもらったと言っても過言ではないでしょう。
 その解決を「愛」に求めることなど、まさかしないでしょうが、今のところは「牽引し合う愛」で終わっています。
 宝石のように素晴らしい「文句」を考え出す村上春樹なのに、種明かしをすれば、そういうことなのか、とよく考えればなってしまいます。
 例えば、よく考えると、「羊」とは悪の象徴であり、鼠とはそれに拮抗する矛盾ある男であり、直子とは羊を愛する女であり、リトルピープルとは「原始の人間がもってる諸悪」であり、「空気さなぎ」とはそれを継承していく悪の遺伝子であり、と読み解くこともできます。主人公は不格好にうろうろしている男です。もちろん、いろいろな風に読み解くのも村上作品のいいところです。
 漫画、ビジョアルな表現活動、ストーリー性、サスペンス、などなどあふれる表現活動の中で、文字ひとでやり抜いていく村上春樹には応援を惜しみません。そこまでやれた作家は、すでに1970年以降いないからです。

  
    
 

51%以上の世界になれば

2014年11月15日 | 社会・経済・政治
沖縄は、県知事、県議会議員補欠、那覇市長、市議会補欠選挙が同時に明日行われる。居酒屋では選挙の熱のようなものはなく、そういえば選挙時は出歩き、酒を飲むことも控えられるという話を聞いたことがある。

 大阪から来た女性が、自分の息子、娘が通う小学校の話をした。登校時、下校時は名札を取り外すのだそうである。大人から「こんにちわ」と話しかけられたら、「答えない。無視する」というのが学校の教育方針であるらしい。「昔は違ってたのにねえ。近所の人から声をかけられたら挨拶していたのに」とその女性は言う。
 池田小学校で乱入殺人事件があってからだと言う。どうして名前を伏せなければならないのか、不思議であるが、それなりに子供の安全を守る方法なのだろう。馬鹿げたことだと思うが。
 こんな風景の行く先には、ある層の人々だけが住む地域に壁ができ、それを越えることはできず、監視つきの一つのゲートからしかでは入りできない住宅地域がまもなく日本にも誕生するのかもしれない。
 壁の中では家族の安全は保たれる。ただしそこに入るには相当のお金がいる。
 わずかな凶悪犯による行為。それに恐れをなして、囲い込むかのように安全地帯を作る。

 それはばい菌を忌み嫌い、恐れ、その効力が本当にあるのかないかも知らず、テレビのコマーシャルで感染していく人々がいる。虫を恐ろしいと思い、虫を恐れさせたのは虫ではなく、母の恐怖の叫びが原因だったのではないかと自問することもなく、ばい菌胎児に神経を尖らせる母。乳児期の「舐め回し」の時期に十分なばい菌を取り込み、腸内免疫力を強くしていくことが必要である。腸内細菌は僕らにとってはとても必要なものだ。腸が無菌に近いなどというのは、「死んでしまえ」と言っているようなものだ、と僕は思う。

 しかしながら日本人の51%以上が「壁のある住宅地域」を作り、51%以上の人がばい菌はどんなばい菌でも殺してしまうものだ、ということになれば、僕はそれはひどく人間が後退したもののように思える。

 一人の悪者のために、どうして普段していたようなことをやめなければならないのか。一人が崖から落ちたためにどうして税金を使って柵を張り巡らさなければならないのか。責任はそこが危ない場所だという自己判断の責任である。
 ユーラシア大陸の果にあるロカ岬では遥か向こうのアフリカ大陸を見るのに、世界から多くの観光客が訪れる。落ちれば絶対に死ぬ高くて、危ない崖である。そんな危ないところで、若者たちが座り、楽しんでいる。柵のひとつもない。これは自己責任なのだ。
 自己責任は言わず、柵をしなかった行政を責め、殺人犯がでたら責任を免れるように過度なルールにする。

 人間がますます過保護になり、こころやからだの病気を遮る壁を低くしていく。現代というのはある面、神経症の時代である。51%が神経症ならばもはやそれは多数派であり、普通である。そんな時代がきつつある。


レンソイス、ヤノマミ、ピダハン

2014年11月13日 | 文学 思想
ブラジルには実に多様な生活がある。世界最大の砂丘の中に12世帯だけが暮らしている村がある。いく砂にのみこまれてしまうので、定着し、そして埋もれてしまう前に移動する。しかし砂丘から外ににがでない。電気もガスもなく、自給自足の生活である。レンソイス。国立公園になってから観光客が増えてきた。
それに焼き畑農業も禁止された。村は急速に変化にさらされている。

 海にいけば魚はとれるし、平和で穏やかだ、と村に住む人は言う。町への愛情をこの砂丘の村への愛情と交換してしまった、と住んでいる女性は言う。となりの村ではその観光業に力をいれて、訪れる人をもてなすようにしたところ、漁業をするより、現金収入が入るようになった。

 アマゾン流域に「ヤノマミ」という原住民族がいて、そこにNHKのディレクターが住み込んで取材をした記録を読んだことがある。彼らも暮らす適地を探しては移動していたヤノ舞美とは「人間」という意味で、自分たちが人間だと考え、他のものを異星人のように見ている。女性はたった一人で赤ちゃんを産み、それを育てるか、ミツバチの餌にしてしまうかは女性がたったひとりで決めるのだった。半年という期間をヤノマミと暮らした勇敢なディレクターはすごかった。帰国してから熱にうかされ、彼の中で劇的な変化が起こったようだった。

 「ヤノマミ」とはまた違う、さらに原始を思わせる「ピダハン」の見聞記を読んだことがある。これはアメリカのキリスト教者が布教のためにいったもので、西洋人らしい発想と頑固さで、このピダハンの生活様式は拒否し、自分たちのスタイルを持ち込んできた作者だった。この本では原始のピダハンの中に善も悪も自然に備わったピダハンが描かれていた。ヤノマミを取材したディレクターはカメラマンとともにヤノマミと同じ村に住み、同じ生活をしていた。
 アメリカの学者兼布教者には野蛮なピダハンを「人間化しよう」という意思が強かったので、僕は読んでいてしらけたものだったし、ピダハンの奥深い意識や無意識に入り込めない、皮相なところで、ジャッジをしていた作者に反感をもったものだ。文化人類学には宗教的視点は不必要だ。その点NHKのディレクターはすごいものだった。「ヤノマミ」はHNKのドキュメントでも放映され、出版もされた。人間を考えるうえで、とても優れて、貴重な取材であったと思う。

 レンソイスではそこで生きられる人間の数も限定されざるを得ないようだった。1日魚をとって3家族分
が5日ほどのたんぱ源になるという程度のものだ。乾季になると水が干からびてしまうが、砂の中に水分があり、卵は乾季の中を生き抜く。乾季が終わる孵化して小さな魚となる。その魚は食糧にもするが、水が再び充ちた湖に放すのである。

 いっとき、インドネシアやフィリピンの海で船上生活をして生きている漂海民の取材を読んだこともある。僕はそんな自然とともに、国境もなく生きている人々のことを読むのが結構好きで、憧れたりする。ただ憧れるだけである。その中に入っていくことはできないし、しないと思う。
 それにしても、人間は生きていけたらそこが愛すべき場所となるし、その場所からはなかなかに抜けられないものなんだ、と不思議に思う。

 我々は個人主義という思想も取り入れて現在生きている。家族は核家族化している。親と子は別々の生活をし、しかも互いに離れて暮らしている人々も多い。
 彼らには個人主義的なものはない。個性としては怠けたり、不器用だったり、器用だったりという違いはあるが、全村民はルールを踏襲し、それを良しとして生きている。
 世界はどきどきするほど多様だ。

1度ではわからない

2014年11月12日 | 文学 思想
 人間、一度にすべてわかるということはないものだ。その時の興味の範囲や方向性によって、理解を遮断してしまうことがある。
 小説を読んでもそうである。二度目を読む本というのはそうめったにあるものではないが、2回目になると新しいことに気づくことが多い。前はどんなふうに読んでいたのだろうと、不思議に思う。漱石の小説は2回読んでいる。「三四郎」と「それから」と「門」は3回読んだ。3回以上読んだ本は吉本隆明のいくつかの本、それに三島由紀夫の「豊饒の海」である。村上春樹の本は読んでいないのもあれば1回だけ読んだのもあり、「1Q84」と「ノルウェーの森」が再読している。この頃は見事なセリフにマーカーをしている。

 僕は限られた時間内で教える仕事をしている。結構若い人が対象である。大人だからわかるまで教えるということはしない。僕の話の受け取り手は、試験があるから試験にでる内容だけは覚えようとする人もいるし、全部を聞きもらさないぞ、という人もいる。もちろん、眠そうな顔をしている人もいる。そのそれぞれにその時では実感として理解できないことも多々あるようだ。あとになってわかる。もう1回聞いて、よりよくわかるという場合もある。

 物事を理解していく場合、原理原則というか、幹の太いところを理解しておくと、それから伸びる枝葉にまでつながっていき、大きな理解を得ることになる。それが枝葉ばかりに気をとられていると、原理原則がわからなくなってしまうこともある。

 例えば、筋肉というのは息を吐くと緩む。吸うと緊張状態になる。神経で言えば、息を吸うのは交感神経を高める。息を吐くと副交感神経を高める。こういうのは原則的なことだ。筋肉に痛いところがあって、それをなんとかしたいときに「痛いところからその反対の方向に息を吐いていく」という動作を数回行うと、痛みがとれる。コリや筋肉のつっぱりは筋肉が不均衡になっているからだ。筋肉は一方が縮まれば一方は伸びるという拮抗性をもっている。この時に使うのは呼吸であり、もっと言えば自律神経なのである。筋肉が痛いからと言って、湿布をする。揉む、などというのは原理原則ではない枝葉のことなのだ。

 女性の顔や首について言えば、顔の筋肉も深いところから硬直し、さらに短縮してくる。深い筋肉がそうなると上の筋肉が短縮下分下に下がることになる。シワやたるみというのはその結果である。硬直し、短縮してくるのはコラーゲンやカルシウムの量も関係してくる。したがって深層筋、中層筋と柔らかい筋肉を維持させることができたら、アンチエイジング的なケアをすることができる。

 1回や2回では見落としがあるので、特に気をつけなければいけないが、多くの人は試験さえ通ればよいということになる。大学受験などもその典型であった。僕は歴史は世界史をとったのだが、受験後1ケ月のうちにほとんど忘れてしまっている。そしてヨーロッパの過酷な戦争の歴史のことなどはわすれ、ヨーロッパは先進国が多く、EUなどを作って仲良くやっていると思っている。どうしてEUを作らなければならなかったのか。それは国境のある小さな国同士が戦争ばかりしていたからだ。戦争をすれば国土は荒廃する。もういやだ、と、コリゴリだとなったのだ。あまりにも各国が緊張状態に長い年月続いていたのだ。そんな世界の現代史を高校の授業では教える時間はないから、僕らは自分で知っていかなければならない。

 全く違った観点から見てむると、また違ったことが見えてくるという場合もある。リードヴィッヒ2世から見れば、とかワーグナーから見れば、とかである。最近 「1Q84」から、ヤナーチェクへ。それからワーグナー、ワーグナーからリードヴィヒ2世、ドイツのお城、祝祭劇場のあるバイロイトとつながっていき、オーストリアとつながり、さらにショスタコビッチやストラビンスキーやフォーレ、シベリウスと知っていった。ようやくヨーロッパをもっと知りたいと思うようになった。旅行もしたいと思うようになった。

まっさん ウイスキー  余市

2014年11月12日 | 映画
昔、菅原文太と加藤剛、亡くなった大原麗子などが演じた大河ドラマ「獅子の時代」は会津の下級武士が主人公だった。鶴ヶ城決戦のあと会津藩の武士たちはは青森に追いやられ、さらに北海道の余市に移住することになった。過酷な土地で彼らはりんご園を開拓していった。


 その余市ではいつの間にかウイスキーを作るようになり、シングルモルト「余市」は10年・12年・15年・20年とあり、1987年製造分が2008年「ワールド・ウイスキー・アワード」で世界最優秀賞を受賞した。ブレンドモルトの竹鶴は17年、21年、25年とあり、2007年、2009年、2010年と最優秀賞をとっている。30年ものもあるらしいが限定販売だそうだ。



 原野を開拓し、りんご農場を作っていった人々の暮らしぶりもドラマで描かれていた。明治の45年、大正の15年。昭和の63年そして平成時代で世界で最優秀賞のウイスキーが生まれた。

 「まっさん」はニッカウイスキーの創始者である。いずれ余市に移り住むのだろうが、りんごジュースから始めるという話をどこからともなく聞いた。どんな物語なのか知らないが、これから昭和の恐慌があり、戦争への道を進んでいくことになるから、まだまだウイスキーは作れないのだろう。ウイスキーが大衆のあいだに広がっていったのは戦後になって昭和の経済成長期であった。昭和30年代にはサントリーのトリスとかレッドがでてきて、40年代になって角とかダルマが大流行りとなったのをおぼえている。ニッカは主流から外れていた。

 「余市」を飲むたびに、「獅子の時代」の平沼銑次(せんじ)を思い出す。菅原文太が銑次役で、物語の最後は明治に入ってからの秩父事件で農民たちの助っ人をして、忽然と消えたのだった。自分のできる範囲で権力に対して戦う男だった。僕は大河ドラマでは、「獅子の時代」と「炎立つ」が好きだ。

 DVDで「獅子の時代」を見てから、偶然レンタルビデオのコーナーを見ていると、「愛しのグランパ」という映画があって、石原さとみと菅原文太が出ていた。映画は刑務所から菅原文太が出てくるところから始まった。「おいおい、銑次がでてるぞ」と感動したのだった。

 まるで反権力の銑次であった。その映画でおじいちゃんの銑次が孫の石原さとみと一緒にホテルのバーでウイスキーを飲む場面がある。そして素敵なジャズソングを銑次が歌うのである。このシーンは忘れ難く、僕にとっては「余市」とともにいつもあるのだ。
 この映画では銑次は溺れて死んだと記憶する。それとともに菅原文太は映画界、テレビ界から姿を消してしまった。

 「まっさん」も「獅子の時代」も「炎立つ」もやり抜く男たちの話だ。ウイスキー作りをやり抜いた男竹鶴政孝。絶対に弱者に味方して助っ人をした平沼銑次。滅亡をかけても義経を守ろうとした藤原氏。

 氷をいれたウイスキーの1杯目、2杯目は美味しい。余市はややスモーキーな味がある。ややである。やがて氷がとけていくので、水割りのような味になる。シングルで飲むのは一番美味しい飲み方かもしれない。

 博多の中洲にでもいったら、「田島」に行き、20年ものでも飲みたいものだと思う。田島恵美子さんが相手してくれたら申し分はないが。

九州場所の女2

2014年11月11日 | 日記
「しつこい」と言われるかもしれないが、やはり「九州場所の女」はもっとテレビに映る砂かぶりの二列目、東寄りに今日も座っていた。やや老けて見えたので違う女性かとも思ったが、この写真集を見て確信したのだった。
 
 今日は黒い和服を着ていた。ただ花道沿いの席のほうがカメラの角度で映りがよい。今回からは正面映りなので、ちょっと印象が違う。なんだか老けて見える。ここまで毎回出てくると、解説者の北の富士なども福岡場所があると行っているのではないか。一度行ってみたいものだとワクワクする。なんでワクワクするのだろう。意図が見え見えするその覚悟なのか、女ができることを考えに考えたのか、相撲好きと商売がマッチしたところで、どうせ相撲見物するなら目立つことでもやったらおもしろいのじゃないの、気楽にやったものなのか、興味をひく。審判席の後ろにいるから、相撲取りが飛んでくるかもしれない。そんな出来事への対応のしかたも見たいものだ。
 2時間ほどなにを思いながら座っているのだろう。酒も飲めないし、弁当も食えない砂かぶりである。ご当地の松鳳山の応援掛け声をするでもなく、負けてもがっかりすることもない。明日着る着物はもう決まっているのだろう。

 相撲にも「華」がある。行事の衣装にはどんな和服も色彩が薄くなってしまう。
 小学生の頃、大鵬や柏戸、清国、北の富士などが尾鷲場所に来た。僕は小学六年生だったと思う。相撲取りのなめらかでつやつやした白い肌は照り輝いていた。円の中で重心の戦いをする。力の伝え方が凝縮されたようなもので、それを土俵の円が力士に微妙な円の意識を与える。モンゴル相撲が円を用いず、日本が円を使ったのはなぜなのだろう。円の面白さは絶妙である。それぞれの役割を担う人々、呼び出し、行事、審判、塩をまく力士。伝統にのっとって淡々と進んでいく。そんな人々と観客は円の中に集中する。

 子供をからかう力士もいた。清国は近くの家で気分よさそうにオルガンを弾いていた。その清国の奥さんが御巣鷹山の飛行機事故で亡くなった。北の富士は千代の富士を育て、さっぱりと相撲部屋の親方を引退し、解説者となった。この人の解説が一番歯切れがよくておもしろい。和服もよく似合う。
 大鵬は暗い顔をしていた。柏戸は難しい顔をしていた。北の富士は若さいっぱいの顔をしていた。
 こういうことを思いださせてくれたのもこの女のせいだ。福岡で話す機会でもあったら、きっとそんなことを言うだろう。