25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

看護・介護の問題

2015年03月30日 | 社会・経済・政治
「まれ(希)」が今日から始まった。このところ、「おひさま」から朝の15分ドラマを昼休みに見るようになった。「カーねーション」「梅ちゃん先生」「純と愛」「花子とアン」ときて、今度は「現代もの」である。利発で前向きで、他人のことを優しく思うような少女が第一回目に描かれた。

 明日から、大阪に寄って、のちバリ島なので、バリ島のホテルでNHKの国際放送で時間帯を探すことになる。
 岡田さんが「テロに気をつけえ。どこそボーッとしとるでな」とか冷やかされて、「わかった、わかった」と受けごたえたが、実際にバリ島では2回爆弾テロがあったし、被害も受けた。さらに、泥棒にまであった苦い経験がある。
 歩いていても、車を運転しているときもボーッとしていることが多いので、本当に注意が必要だ。事故というのは不注意から起こる場合が多い。チュニジアやフランスでの航空機事故などは不注意もなにもないので、やるせないことだ。

 日本では介護職につく人が今後30万人不足するという。ちょっと調べてみたら、介護報酬が下がったことから赤字会社は閉鎖し、トントンの会社は赤字に転落する。大きな、もうけている施設しか維持できなくなる。外国人にはインドネシア人、フィリピン人、ヴェトナム人に研修制度が設けられていて、国際厚生事業団という、(たぶん天下り団体なのだろう)がこの協定の母体団体である。例えば、インドネシア人の看護婦や介護士の経験者は日本語をある程度学び、N2ぐらいのレベルの日本語検定試験に合格したら、証明書がもらえて、ビザ"が発給される資格を得る。そして事業団に登録をして、受け入れ先を斡旋してもらう。受け入れ先にも厳しい規則がある。日本人と同じ報酬にすること、日本語研修を受けさせることなどである。すると、相当余裕のあるところでないと受け入れ先になれないことになる。人で不足で経営がなりたたない施設はどうするのだろうか、と疑問に思う。こういうことは施設にまかせればいいのではないか、と思うが、国家が管理するというふうである。民間にまかせると、給料からいくらか抜きっとたりし、トラブルもあったからだろうが、要は誰が「抜き取るか」という問題だ。事業団の場合は官僚が抜き取るのである。公益法人とあるが、日本語検定、テキスト、会員費など、抜き取る方法は巧みに作られている。民間の斡旋業者はなんだか悪者みたいだが、同じことだとは思う。

 さて、日本にきた研修生は5年のうちに介護福祉士の資格をとらないと帰国させられてしまう。それまではヘルパーのようなことをさせられる。本当はこの種の人が一番必要なのだから、これも巧妙に5年で資格をとれないと帰してしまう、という門戸の閉じ方をしている。
 ちょっと考える。超高速で、日本語を教えることのできるテキストを作ってインドネシアで使ったもらったらどうか、などと。
 言葉の学習などは方法によるが簡単である。

 バリ島ではこの協定に興味を示している会社があるので、会うことになっている。それでいろいろと情報をとってみたのだ。
 尾鷲市は消滅都市候補になっているが、この消滅都市というのは看護や介護を担う人がいない市町村をさす。

 さあ、どんな話になるか。

日曜日の喫茶店で

2015年03月29日 | 日記
 もうすぐ桜が満開だというのに寒い。今日、日曜日、バリ島にいくので、荷造りをした。スーツケースに必要なものをいつものように放り込むだけであるが、忘れてはいけない書類や本充電器やSDカードやらには神経を使う。空港に前もって重いものを送っておくので、日常使うものはその日に運ぶことになる。

 バリ島ではウブドからサヌールに引越しをする。再びサヌールに戻る。やや気温は高いがやはり空港かたは近いし、海のそばでもあるし、良い物件が出たので、そう決めた。そして今回を潮目として前線から引退することにする。継承してくれる人がでてきたので、その引き継ぎのためにすんなりバトンタッチできるように事前準備をしにいくのである。そして最後に、最新の開発したクリ二カルなマッサージをみなで点検し、ビデオにおさめる。

 大阪に前泊することになる。大阪では福井の男性が会いたいというので、会うことになった。そんなこともあって、バリ島関係だけの荷物だけではなくなり、少々面倒臭い、と思ったが、縁はいなもの、味なものと、いうから、砂漠緑化関係の資料や空中井戸の資料なども用意することにした。こちらは当日運ぶものである。僕の商売は知的財産権を作り、売ることである。

 午後の二時頃から喫茶店にいき、のんびりと週刊ポストや新潮に目を通した。ついでにフライデーも見た。我々の財務大臣をしている麻生太郎という男の似合わないボルサリーノ帽に辟易した。さらに彼の毎夜のごとく通う会員制サロンバーでは年に800万円弱、しかも政治資金で払っているという記事と写真を見て、やっぱりゲスな野郎だと思った。

 「朝まで生テレビ」という討論番組は先週の金曜日は「アベノミクスと格差」がテーマであった。しかしながらどうやら、出てくる人たちは貧困とは縁のなさそうな人ばかりで、しまお東京に住んでいる人たちばかりで、貧困のことや地方のことなどの実態はしらないだろうと思う。
 えらそうなことばかり言っていると、いつか泡を食う日があるかもしれんぜ、と思いながら見ていた。テレビもすっかり萎縮していて、安倍を批判する古賀茂明などにはどうやら圧力がかかっているらしい。
 だんだん、いやな感じの世になってきている。

 雑誌を読んでいると、思い出すことも多い。特にオウム真理教事件から20年が経ち、逃亡犯も全部捕まり、松本智津夫を証人とする裁判ももうなくなったということから、死刑の執行日のことが取り沙汰されている。
 彼らは空からサリンをまく計画であった。その一歩手前で一斉捜査に入ったのだった。
 ISよりもすごい計画であったといわざるを得ない。それが日本で起こった。押収された大量のサリンも隠匿されているらしい。

 喫茶店でのんびりとコーヒーを飲みながら読んでいるのである。気楽なものではある。
 中東のような砂漠の多い国々で、いつの日か経済発展をする日が来るのだろうか。そんなことも思う。大前研一が言うように、九州と同じくらいの面積のオランダが農産物輸出で世界第二位である。国が大きいところは米や麦やとうもろこしなどの大量生産に向いているから、オランダはトマトとかポテトとか、面積を必要としない農産物に特化したらしい。そして省庁を再編して、このプロジェクトをやり遂げたらしい。米作りは面積的に言えば日本には不向きな農業だと言える。農民から農業経営者の感覚が出てくれば、日本も優秀な農産品を海外に輸出できるのかもしれない。
 そんなことあんなこと、わずか1平方メートルもない席で、頭は情報をピックアップしていく。コーヒーを飲みながらだ。これは驚きではないか。 
 

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2015年03月28日 | 日記
母親を月1回。九鬼の診療所にいくのに、付き添いをする。もう尾鷲総合病院の整形外科では治療がないため、内科的な薬がだせないためである。交通事故が2014年の2月11日に起こり、すでに1年と2ヶ月になろうとしている。事故前の母と事故後の母はずいぶん違っているが、変わらないのは「生きる意欲」を保っていることである。
 母は尾鷲生まれであるが、12歳の頃から20歳まで大阪で育った。河内長野の義姉の家が軍需の部品製造で景気がよかった。それで義姉は母を養育してくれたのである。大阪のどこか知らないが、高等女学校を出て、大手の銀行に就職した。敗戦とともに、昭和20年、母は尾鷲に帰ってきた。兄と妹が尾鷲にいた。

 母の父親は相撲の尾鷲巡業のときに脳溢血で死んでいた。残った妻(母の母、僕の祖母)は気の強い、辛抱強い女であった。母の兄が尾鷲の女性と恋愛に陥り、子供まで孕んでしまったというのに、その母は頑迷に反対した。生まれた子供を引き取ることまでした。彼女はその孫と一緒に暮らすことになった。母の兄は職人的な才があって高度経済成長期にのって、零細企業の主となった。当然、新たなお嫁さんももらった。そのお嫁さんが他の女が産んだ子供と夫の母を忌み嫌った。母の兄は尾鷲から遠ざかった。
 
 一方で、母の妹は気立てのよく、明るく(僕もおぼえている)いい女性だった。だがいい人ほどというか、男のストーカーに会い、それで苦労したようだった。彼女は公務員と結婚したが、38才で胃がんで死んだ。残った長男と次男は憐れであった。僕はその長男を励まし、大学にいくことをすすめ、1年間、自分のアパートで面倒をみた。面倒をみたというより、住む場所を提供したにすぎないのだが、彼は、無事に大学に合格した。それもつかの間、今度は父親が気の狂ったような男に半殺しのめにあった。その事件以後、彼は大学に戻ることはなかった。次男の方はトラックの運転手になった。

 祖母に育てられた母の兄の子供は、43歳で自殺した。彼は生前、母親と父親のこと、新しく作った家族、それも妻ではなくて子供のことばかり言っていた。おそらく家族の形成のしかたがわからなかったに違いない。自分が父としてどう振舞っていいのかわからかったのだ。

空虚であるが、次に若葉の季節を迎えることへの移ろいの時期でもある。
 89歳になる母とそんな話をしながら生き還りをした。母の診療を待つ間、九鬼の沿道で、釣りをしている人を見かけたので覗いてみた。ガシが一匹とグレが2匹バケツに泳いでいた。話できいたことが夢のごとく、なんでもない歴史の話のように脳の中を通り過ぎていく。母はと言えば、自分の妹が何で死んだのか、記憶も定かでない。なんだか、この歳までくれば「なんにもない」というところまでいくのだろうか、とふと思った。それが現実なのだ。
 

 

クラシック音楽

2015年03月27日 | 音楽
男子のフィギアスケートを見ていて、ふと思った。スケーティングのバックでかかってくる音楽、例えば、「ミッションインポッシブル2」の音楽とクラシック音楽のどちらのレベルが高いのかと。おそらくこの問いは愚かである。「海の上のピアニスト」のピアノ曲がクラシックになるか、というのと同じ問題である。

 クラシック音楽というのは何度も何度も好まれて演奏され残ってきた音楽のジャンルをいうと思う。「ミッションインポッシブル2」の音楽も素敵であり、過去のシベリウスやストランビンスキーよりもよほどよいと思うが、問題は生き残るか、という話である。映画やミュージカルなどの裾野も相当広がっている。ポップスとて同じである。その中で未来に100年、200年と生き残って、演奏されればクラシックとなる。

 音楽を音そのものとして聴くか、ストーリーとして聴くか、大きなテーマとして聴くか、いろいろである。モーツアルトの音楽を聴いていると、音そのものと遊んでいるように聞こえる。だが、だんだんと「憂い」のメロディーが出てくる。未完の「レクイエム」に近くなってくると音楽に影が忍び込んでくる。

 ヴェートーベンは音を遊びのようにとらえていなかった。音楽に深みを与えたといわれるのだろうが、音にそもそも深みがあるのか、それはわからない。確かに、最後の「大フーガ」や「弦楽四重奏」は音の複雑さはあるように思えるが、嬉々として音楽を奏でるモーツアルトとどう甲乙をつけるのかわからない。

 ブラームスはヴェートーベンを引き継いでいるように思える。ロマン派を作り出していくブラームスであるが、その影響はヴェートーベンである。ヴェートーベンはモーツアルトから多大な影響を受けているように思える。

 そうすると音楽は人から人への受け継ぎであることがよくわかる。そして現在も親しまれているのがクラシック音楽なのだろう。「ミッションインポッシブル2」や「海の上のピアニスト」や「イングリッシュペイシャント」はクラシックになり得るのか。引き継いでいく人が入ればなり得る。この移り変わりの激しい世で、炭酸水のように瞬時に悦を得て、忘れられてしまう運命もあるのかもしれない。

 芸術をする人が増えすぎているのだろう。モーツアルトの時代と比べるべきもない。
 現代から未来は芸術を水割りにしてしまうようなものだ。
 未来の姿を見たいと思うが見えない。こういうことはちょっと残念だ。

時刻を気にしない

2015年03月26日 | 日記
この頃、筋肉が弱ってきたのだろうか。酒を飲み、うたた寝で舟を漕ぎ、そしてそれからは眠ろうとするときに眠るようにしている。
朝も起きたい時に起きるようにしている。まるでバリ人と似てきた。彼らはお腹がすいたら各自勝手に食べ、眠くなったら各自勝手に眠る。
 昨夜の僕の場合だと20時から22時までうたた寝をし、それから映画を2本見て、寝床に着いたのは2時だった。それから「マルクスの逆襲」を読み、ビル・エヴァンスのジャズをCD2枚聴いて眠った。
 何時に何しなければ、と思うことは止めにした。

 すると案外気が楽なのである。仮に寝不足だったら次の日に体が調節してくれる。仮に寝すぎだったら次の日は夜ふかしをしたり、うたた寝がない。
 これでいんじゃないかと思って今はそうしている。
 ところが昼が問題だ。昼の12時45分から「まっさん」がある。これは決待っている。だからこの時刻に昼食を合わせるようにしている。

 今日は夕方の5時半頃から飲み始めて、なんだかんだと飲み食いしているうちに女子フィギアの世界選手権の時間がきた。村上佳菜子が頑張っている。すると眠気が醒めて次の選手を見てみようと思い、時刻がだんだんと過ぎていく。
 そうすると、音楽を聴くか、本を読むかのどちらかをあきらめなくてはならなくなる。
 女子フィギアはロシア勢が勢いを増している。それは僕にはどうでもいいことなのだが、疑問に思うのは日本勢の勢いが減衰し、それに対抗するようにロシア勢がでてきたことだ。興味があるのはコーチングの力である。

 そんな話はテレビではしないので、結果だけを楽しみにして見ている。終わると寝室に行く。本を開く。同時に音楽を選ぶ。眠たくなったら眠る。朝、もうこれ以上眠っておれないな、と思ったら起きる。

 体内や脳はどうなっているのかわからないが、気持ちにひっかかりがなければいいのではないかと思っている。  

竹鶴17年 世界グランプリで優勝

2015年03月25日 | 日記
 ウイスキーの「竹鶴17年」を買うために新宮の先にあるモールまで昨日は興奮して行った。友人の酒屋で問屋さんに聞いてもらったが、もうないと言われたのが月曜日。前日の日曜日にモールのスーパーにいくと、竹鶴17年が2本あった。だが、友人に2本頼んであるので、買うのを我慢した。月曜日に名古屋の弁護士会館まで用事でいき、車中で電話がかかった。「竹鶴17年はないわ」がっくりと来て、すぐに翌日新宮のあのモールのスーパーに行こう、と決めた。まだ1日しか経っていないし、まだ売り残っているはずだ、と思った。

 それにそのスーパーの一角に「JAZZ名盤100選」という企画があって、小冊子まででている。これも日曜日に数枚買って、月曜日にはいくつかの解説を読んで、手に入れておきたいものをピックアップしておいた。

 同時に二つの好みのもののために新宮先までいくのだから、やや興奮気味であった。
 竹鶴17年は同じ場所に、誰に触れることもなかったかのようにしてあった。嬉しかった。ついで、CDを見にいくとピックアップしていたものが3つしかなかった。係り員に「100選と書いてあるのだから100選全部入れたらどうか」と思わず文句を言ってしまった。がっかりしたのである。すると「発注はしているんですけどね。これも限定盤なので」


 「竹鶴」も「山崎」も「余市」も限定数がある。このJAZZも限定数があるのか。渋谷のタワーレコードが浮かんだ。あそこだったらあるだろう。でも、行くのは5月18日からである。大阪のタワーレコードはどうか、どこにあるのか。それならば3月31日に行ける。果たして売り切れているのではないか、と心配する。1950年あたりから1960年代の傑作名盤というふれこみである。JAZZの入門としては僕には便利である。

 クラシックに凝ってから、一方でJAZZをちゃんと知りたいという気持ちも湧いてきた。クラシックの対極にある音楽というか、より自由な音楽性をもっている。

 ということで、月曜日は午後から仕事を休んで、趣味のほうに走ってしまい、気分は昂揚した。夜はMさんと雑談を店のママさんとで雑談をした。宮城谷昌光の短編「指」を読んでおもしろかったので、「男は指だ」という話をいあり、Mさんも話題を提供して、変えると12時を過ぎていた。


地震ーオウム-酒鬼薔薇ー今

2015年03月22日 | 文学 思想
小さなオウム的なものはどこにでもある。ある言葉で「信じ込んでしまう」というものだ。あるAという水を勧められて飲んだら癌が消失してしまった。するとこれは「癌に効く」と普遍化しようとする。そんなセールス集団も多々ある。小さな宗教も、小さなブラック企業も、学校の中のクラブ活動でも、どこにでもオウム的なものがある。

 個人の世界では、風水を信じ込んでいる人もいる。血液型による性格を信じ込んでいる人もいる。個人の脳の中にさえ、そのポケットの中に入り込めな、安心ができる、気持ちのよい妄想を描くことのできる場所がありそうに思える。

 人は一人では生きていけないことはわかっている。この人間が作る社会での居場所がないと感じる人は、他者を必要とする。その他者は自分の疎外感を理解してくれ、生きる希望を与えてくれれば脳のある場所が安心する。あるいは幼い子でさえ、逃げる場所を求めるために脳に気持ちのよい場所を作ることができる。その世界に現実的に足を踏み込みたいとも思うようになる。オウムがひとつの象徴であるし、神戸の酒鬼薔薇事件もそのひとつである。根底ではつながっている。これらの事件が阪神淡路大震災から、3月の地下鉄サリン事件、翌年の酒鬼薔薇事件へと根底で連動しているように思える。

 その時代は日本はバブルが崩壊して、近代都市が一瞬で崩壊し、経済の停滞が始まった時期である。今はどうか。ますます経済的な格差は徐々にひろがりつつ、子育ての倫理観が個人的な理由でか、対幻想(夫婦の関係、母子、父子の関係など)の捻れによるものか、希薄になりつつある。個人の自由な恋愛、過剰な個人主義による節度の希薄さも背景にあるのかもしれない。確実にオウムの時期よりも時代は悪くなっている。特に女性はどう生きたらいいのかわかりにくくなっている。若い男性も、どこに目標をおけばいいのか、その隙間さえ見えにくくなっている。

 今日、おもしろいことを知った。しゃがむ、かがむというのは屈筋を使う。背伸びする、万歳をする、背筋を伸ばすは伸筋を使う。伸筋を使うと元気にするホルモンが脳からでるということだ。逆に屈筋を使うと、反対の元気をなくすホルモンがでるということであった。そのホルモンの名前を忘れたしまった。テステステロンではなかったかと思う。 

 

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2015年03月21日 | 映画
 映画「山桜」(藤沢周平原作 監督篠原哲雄)を真夜中に観た。3回目である。3回ともなってくると違った面にもっと意識的に気がつくことがある。

 あらすじは、江戸後期の北国の藩。小金を貸し、利息をとって喜んでいる義父。時の権勢に要領よくついていく夫。意地悪な義母。そんな不幸な結婚生活に耐える野江(田中麗奈)。映画は山桜を大きく映すところから始まる。出会いの暗示映像である。野江はある日、1本のその山桜を見つける。花に手を伸ばすと1人の武士(東山紀之)が現れるが、彼は野江が今の婚家に嫁ぐ前に縁談を申し込んできた相手、手塚弥一郎だった。凛とし、優しい弥一郎だった。昔、剣術をするも男の野卑さを見て偏見をもっていたので、その縁談を断ったのだった。一本の山桜を枝を折り取り、自分を気遣ってくれる人物の存在に勇気づけられる野江だったが、手塚は悪政をたくらむ藩の重臣を斬ってしまう。 この時に映像は暗雲立ち込める風景から始まる。農民たちの悲惨な生活が描かれる。
 
 やがて色づく紅葉の映像があり、厳しく耐える冬の予感があり、弥一郎は饑饉の中でさえも税を貸し、払えないものの田を召し上げる政策をすすめる藩の重心(村井国夫)を斬る決意をし、城中で堂々と斬ってしまう。一方野江は離縁し、実家に戻る。雪が降り始め、厳しい北国の風景が映像にでてくる。弥一郎は牢にいるままである。切腹はとうに覚悟している。野江は実家で静かな生活をしているが、長男も成長してくることからどこかに一軒家はないか、そこで縫い物でもして今後一人で生きていこうと思い初めている。だが、弥一郎が折ってくれたあの桜の一事がわすれらない。長男の弟は弥一郎を尊敬している。嘆願書をだそうと父に意見するのも、野江は聞く。弥一郎の行為をよくやってくれたと思う重臣も、農民も多い。父は殿が春になると帰国するので、裁断を殿に一任するといことだ、と言う。やがて、雪解け水が小川を流れ、風景がうっすらとした雪景色になる。野江は弥一郎の母が住んでいる家に出向くが勇気がでない。
 
 野江の母と早くに死んだ叔母の墓参りをする。そこで叔母がどうして一人で、嫁ぐことはなかったのかを聞き、叔母には縁談があり、婚約もすましていた夫になるはずであった男が急死してしまったことを教える。病弱だった叔母は「それで幸せだったのではないあ」と野江は思う。墓参の帰り道、母は、「あなたはちょっと回り道しただけですよ」と暗に弥一郎のことが気にかかっている野江にそんな言葉を言う。
 
 映像は雪の風景がなくなり、野辺に小さな黄や、白や紫の花が咲き始める。そしてまたあの桜の木の下に行く。野江は弥一郎の母のところにいく決意をする。野江は「ごめんくださいませ」と呼びかける。手には桜の花がついた枝を持っている。弥一郎の母が出てくる。
その立ち居振る舞いはさすが富司純子である。自分がなにものであるか告げると、弥一郎の母はちょっと驚いたように微笑み、「弥一郎はよくあなたのとを言っていましたよ。嫁いだことを知ると怒っていましたよ。」「でも、あなたがいつかここに来てくれるだろうと私は思っておりました」と言って、家の中に招き寄せる。二人で弥一郎を待つことになる。やがて大名行列の場面があり、一青窈の歌が流れ始める。「栞」という歌である。

 映画全体の音楽はチェロソナタである。静かで寡黙な映画だが、北国の風景が巧みに物語を暗示している。僕はまた一人涙を浮かべたのだった。何かこみあげてくるカタルシスがあるのだ。おそらく時代劇の名作である。

善なる戦争、悪なる戦争

2015年03月20日 | 文学 思想
 チュニジアもたいへんなことになってきた。観光業へ大打撃であろう。バリ島は爆弾テロがあってから回復するまでに5年かかった。インドネシアにもイスラム原理主義者がいるから、心配なことだが、まあ、僕はあまり気にせずに行っている。
 世界の観光業が萎縮するように思われる。

 それにしてもやっぱりすごかったのはオウム地下鉄サリン事件だ。サリン60トンの製造能力をもつべく施設内に製造装置を作っていたという。それを東京上空から散布する計画もあったというのだから、狂気の沙汰というしかない。
 オウム真理教事件は麻原が黙っている限り、謎のままだ。歴史を俯瞰すればたしかにイエスキリストも十字架の刑で殺された。
それにしてもオウム真理教はバカバカしすぎるほどのテロ宗教団体である。
 観念の世界の成り立ちを言ったのを吉本隆明であった。我々の観念は、「共同の幻想」と「対の幻想」と「個人の幻想」から成り立っていると説いた。家族を「追幻想の世界」とみなし、そこから何かの契機で「共同幻想」が生まれた。個人幻想と共同幻想は一致することもある。互いに反発しあう場合もある。
 オウム元信者の話によると、麻原への帰依は追幻想であり、そして教団の主ということから共同幻想にもなっている。個人の世界は「サリンさえ巻いて関係のない人をポアしてもかまわない」という考えと集団による怯えがあったように思われる。脱会した信者、マインドコントロールがとれた信者は、入信する前の元の自分に戻ったのか、元の自分は克服して、オウムをも克服して今あるのか聞きたいき気がする。

 ほんの70年前は日本人も特攻隊があり、自爆戦争をしていたのだ。なぜ人間はそうなっていくか。連合赤軍事件でもその問題は解かれないままであった。

 少年による殺人事件も本当の謎は隠されたままだ。

 世界が萎縮して、やがてヒステリックになり、やがてやってしまえとなり、とそんな気持ちから遠ざかることが必要である。
 戦争に善なる戦争も悪なる戦争もない。戦争はすべて悪い。 
  

父親

2015年03月18日 | 日記
 知り合いの息子が大学受験である。
 僕は娘のときも息子のときもいわば気にかけていない、というよりは、それは本人のことなので、頑張れとか、どうしてるか、とか一切言わなかったし、言う気にもならならかった。どこでもよい、と思っていたのである。大学というのは4年間を自由に過ごす、ということに意味があって、就職のためであるとかなんとか僕は考えたこともないし、自分でも学生の頃思ったこともなかった。
 それで、知り合いの男性がまだ結果もでていないのに、会えば、その話題になり、失敗すればどこの予備校がよいか、などと話してくるのを違和感をもって聞いている。世の親がだいたいこんな風なのか、あるいは結構特別な男親なのか、わからない。

 勉強は「ああ勉強しておくべきだった」というときに勉強できる教育のシステムがあればいいと思う。自分なんてわからないのだから、自分は何に能力があり、何に適しているのかわからないから、働き始めて、「ああ、もっとこういうことを知りたい」と思ったときに勉強できるシステムがあればよい。例えば勉強する意思さえあれば、どこの大学でも受けいるとかである。
 「何を、なぜ、勉強したいのか」という質問に対して学びたい人はそれをはっきり言えればいいように思う。

 大学の教師はひとつの大学にいるのではなくて、交替して、各地の大学で教えればいうことはない。そうなれば大学の格差なんていうものはなくなってしまう。

 今の受験生たちはどんなことを思い勉強しているのか、全くわからない。「末は博士か大臣か」などと思ったことはなかったけれど、相撲部の先輩が京都大学に行き、それから官僚になって、やがて天下ったとき、彼はそう思っていた。当時の受験生はみなそう思っていたよ、と言ったので、「へえ!」とびっくりした。

 18歳や19歳ぐらいのときって、頭には薄い膜のようなもので被われていて、なんだか、今のの自分ではない、何か別の生き物であるような時だ。社会なんて針の穴ほど程度にしかしらないし、どう生きていけばよいのやら、想像もつかず、暮らしていた。しっかりと目標をもって、それをやるぞ、などと思う人間などは近辺にいなかったように思うが、内心ではその先輩もある目標をたてていたのだろう。

 自分は親としての子育てはまあまあの点数が付けられると思う。完全な子育てなどはないし、子育てに夢中になると子供を精神的にも窮屈であろう。ただ、僕の場合、父遠洋船に乗っていたものだから、父とどう接していいかわからず、それがなかったものだから、父としてのありかたがわからなかった。父がたまたま帰ってきて、在宅していると窮屈でしかたがなかった。それで、ひとつのことだけは徹底することにした。できる限り自由にさせる。窮屈さを感じさせない。それと「必ず守る」と。「必ずどんなことがあっても応援する」と。今もそう思っているが、
この前は息子に助けられた。
 


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2015年03月17日 | 文学 思想
 アメリカから入ってくるものには気をつけなければならないものがあります。
アメリカ人のほtんどが太っています。この頃日本でもアメリカ型の太った人が増えてきました。
健康食品がどこにいっても売っているお国柄ですが、太った人は減りません。それだからこそ、過激な太り過ぎだからこそ、過激なダエイット法や過激なエクササイズがでてきます。アメリカのマクロビオティクスなどは相当過激です。エクササイズ器具も氾濫しています。

 アメリカに渡る野球選手はほとんど肩や肘を傷めてしまいます。

 アフリカ人は出っ尻といいますか反り腰のため、マラソンをするときにつま先着地をします。骨盤が前に傾いているせいです。日本人はややうしろに傾いているため、走り方は違ったものになるのが当然で、速いアフリカ人がやっているからと言って、真似をするのは危険です。

 アメリカから入ってくるものも同じことが言えます。歩き方がほぼ正しいアメリカ人は過激な運動をしても膝をねじったりする率は少ないように思います。

 よそから入ってくるものをありがたがるのは日本人のコンプレックスといいますか、人間ってそういうものだといいますか。どんぶらこどんぶらこと上流から流れてきた桃。その中に赤ちゃんがいる。それが成長して鬼退治をする。これは貴種流離譚ですが、こういうものは卑種流離譚とも言えるのです。

 アメリカのテレビ通販商品も過激に上手です。
 大事なのは「判断する力」です。それには知識が必要です。

 細菌にしろ、食べ物の酵素にしろ、自分の住む環境のものが一番いいのです。菌を世界中調査をして、結局求めるものは自分のうちの庭にあったなどというのは有名な話です。畑に生ゴミを入れても畑が臭くならないのはその土地の菌が活躍してくれるからです。ハーブなども同様です。インドと日本では気候も環境も相当違いますが、アーユルヴェーダとか言って、よそから入ってくる大昔の誇大妄想みたいなことを人は容易に信じます。信じるだけなら個人的でいいのですが、それを普遍化しようとします。要注意です。  

タモリなどなど

2015年03月15日 | 日記
 「夜タモリ」(日曜夜11時15分フジテレビ)を楽しみに見ている。宮沢りえのママぶりを見て、この女性も成熟したんだなあ、と思ってしまう。相槌も、間のとりかたも、返す言葉ももう若いタレントではできない。

 この番組でタモリは毎回芸を披露する。これがまたおもしろい。タモリは知性もあり、知識も多く、何をさせても優秀だったことは「笑っていいとも」を見ていてわかっていたし、昔の「今夜は最高」の芸が今もおもしろくおかしく発展しているのには驚く。相変わらず力も抜けていて、僕にはよい感じである。特に「世界の音楽」のコーナーはきっとアドリブなのだろうが、バック演奏者もたまげているし、可笑しさをこらえている感じもよくわかる。
 タモリのようなわきまえ方を知っている芸人というのは他にいないように思う。

 NHKで以前に「ぶらタモリ」という番組があって、東京の地形を知り尽くしているのにはびっくりしたが、「笑っていいとも」が終わってから全国への移動が可能になったのか、今度、京都やらどこかへでかける「ぶらタモリ」があるらしい。それも楽しみにしている。

 ビートたけしは、報道番組にもでているが、滑舌が悪すぎて何を言っているのかわからない。明石家さんまには飽きがきた。タモリはひっそりと去っていくような気がする。ビートたけしはやはり映画を撮り続けるのだろう。

 お笑い芸人というのはタモリも同じように司会者になっていく。芸を続けるというのは難しいのだろう。

 この頃、民放の若手芸人が出てくる番組を避けるようになった。時々ドラマは見ている。それも今シーズンは続けてみようと思うものがない。チャンネルが増えたのでいろいろなのがある。NHKは毎日朝クラシック音楽もやっているし、「N響アワー」もある「らららクラシック」というのもある。時に「Songs」も見る。「大相撲」は必ず見る。白鵬のすごさに感嘆している。白鵬から学ぶべきことは多いはずだ。蹲踞、その時の腕の開き方、立会いのときの手のつき方、膝の使い方、重心を崩さない動き方などなど、僕はしっかり見ている。昔相撲をとっていたから、体験的にわかるので、おもしろい。

 

深夜食堂

2015年03月15日 | 映画
 「ビッグコミック オリジナル」で「深夜食堂」という漫画がある。それはアップばかりの構図で、漫画的には馴染めなかった。ところがTSUTAYA でそれがテレビドラマになっていた。食堂のマスターは小林薫である。これがまたいい。ドラマの方はアップ画面がなく、深夜食堂「めしや」の雰囲気も、店の前や路地も描かれている。その深夜食堂がどのテレビ局でやっているのか知らなかったが、最近、真夜中ににこの地方でも放映されていた。すでに第2部のシリーズであった。
 
今日は冬に食べる「冷やし中華」がメインだった。冷やし中華が好きな50歳の男は犬が縁で若い女性と出会い、付き合うようになる。二人は深夜食堂にきては「冷やし中華」を食べる。その食べ方がいかにも美味そうで、思わず食べたくなった。ある日刑事と新聞記者が食べにくる。傍らでは一人で冷やし中華が好きな男の恋人が食べている。刑事は昔取り逃がした殺人犯の話を記者にし始める。「人物像がわからない。ただ、額の眉のところにイボというかほくろのようなものがあり、その犯人は冷やし中華が好きだった」と言う。

 結局男はつかまり、また女は冷え性の女に戻って、「鍋焼きうどん」を一人で食べることになるのだが、ドラマの途中で、男を待ち受けるのに、深夜食堂を使おうとする記者と刑事に、「俺の店を刑事さんの仕事場にしてくれるなよ。迷惑なんだよ」とマスターがいうところがよい。
 昭和時代のような雰囲気もあるが平成の世を描いている。こんな店も大都会であるからこそ存在できるのかな、と考えてみたら尾鷲にも「はまや」という店が真夜中のスナック帰りの人たちにうどんやそばやおでん、唐揚げなどを出している。家に帰ってしまうには惜しく、もう少し夜の世界にいる余韻の中にいたい。そういう時に寄る店である。最近ほとんど行ってない。

 昔、ここで、「おい、包丁もってこい」とマスターに要求した知り合いがいた。僕はその知り合いといたのだが、その知り合いがこれまた僕の知り合いの癇に触ることを言った。僕に言わせればおとなしい物言いであったし、正当な意見でもあった。しかし、彼は怒鳴り、怒り、出刃包丁となった。全く馬鹿な話である。刺す度胸もなければ、刺す理由さえなかった。その時、誰も止めなかった。僕も止めなかった。思い出すと可笑しい。もちろんマスターは包丁を渡すはずもない。

 その後、僕の知り合いはほとんど夜の街にでなくなった。うんざりしたのだろう。そしてそれから十年ぐらして彼は死んだ。

 

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2015年03月12日 | 日記
 交通事故のことで弁護士に母の代理人をしてもらっている。僕は母の代理人である。
 これまで5回弁護士と打ち合わせをした。またその間に3回郵便で資料を送った。判例調べも僕がやった。
 交通距離の計算も、新しい解釈の突破口も自分で調べた。調べたことを彼に送った。
 ああ、彼がパソコンさえできれば、そんな煩わしいことはしなくてよい。例えば、「入院機関は何日だった?」と何回も僕に聞く。
 「もう書いて送ってありますよ」いうと多くの資料の中からそれを探す。「事故で家のどこが改修必要になった?」それも一覧にして送っています」という。

 彼とは20年も前から付き合いがあるのだが、その間、僕はパソコンを学んだ。彼は慌ただしく仕事に明け暮れてパソコンを習う時間と好奇心がなかった。
 相変わらず、郵送またはFAXであり、「FAXの写りが悪い」などと言ってくる。
 いろいろな計算項目がある。普通、それはシュミレーションソフトでもできる。こちらはもうとうに知っている。しかしながら、パソコンの部分もイライラは置くとして、この人の執拗さには、舌を巻いている。つまり、敬服もしている。弁護士商売として、もっと合理的にやれば、と言いたくなってくるのだ。僕が5回も6回もいく必要はない。僕が書いて送ったものをパソコン上で、本当の資料(診断書や後遺障害等級や日付」の確認をしていけばいい話なのだ。

 今日もそうやって、だらだらと4時間が過ぎた。今日で終わらない、というので、また17日にでかけることになる。
「もういいんじゃないか。あとはあなたにお任せするんだから。それとも僕が将来介護費や親族慰謝料の計算をするのか。それはあなたの仕事でしょ」と言いたくなるのを抑える。

 ひらがなやカタカナは読める教育を受けているのに、リモコンひとつ触れない、スマートフォンはなから難しいと思う。電話をとるのと切るマークでさえわからない。そんな人も多い。

 商売のしかたが全く違ってしまっている。
 僕は今、身をもって感じている。

パソコンぐらいにはついていけよ。それができなければ迷惑かけるだけだよ、と言われてもしかたがない、と思う。IT社会はそこまで進んできた。今から30年前、キャプテンシステムがNTTで始まったとき、INSgaあと25年で完成しますから、と言った。25年は遠いと思ったものだった。今やすでに30年が経ち、どの家にでも光フレッツが入るようになった。INS構想が完成したのだ。当時言っていた老人の教授が無線の有効性を説いていた。今無線LANやWIFIになっている。

 世の動きは遅い。日本お3000kmの新幹線を作るのに、50年。中国は7年で15000kmを作っている。なんだか、インフレを整備するには社会主義国家の方が速いとう事実である。個人の権利も重たい。

 さて、打ち合わせも終わって、彼は小説が好きで、一人の作家がおもしろければ作品を全部読んでしまいたい、という。僕も同じなので、話が弾んだ。そこにはパソコンはないのだが。

 

酒を酌み交わす

2015年03月11日 | 日記
人と会って話すというのは楽しいものだ。がっくりするときもあるが、探り合いをすることもなく、疑うこともなく、世間話もそれなりに互いに釣りあったもので、さらに互を刺戟し合えればより楽しいものだ。

 昨日、岡田良仁さん(以下今後のブログでは岡田さんと実名で呼ぶ。互いにそうしようと決めた。EさんやOさんという書き方は二人に関しては止めた)と食事を共にした。酒を酌み交わし、出てくる料理に舌鼓をうち、時によそからきた客とも会話し、和やかに、ごく和やかに時を過ごした。二次会を予定していなかったので、席の最後ではウィスキーを頼んだ。セントナントカというゴルフボールの形に入ったウィスキーでそれがとてもうまかった。ブレンドウィスキーだと思うが、メモをしておけばいいと思った。

 僕がこの頃、クラシック音楽に入れ込んでいることは彼は知っている。帰り際、「クラッシックに凝ってるのは知っとるけど、それに合わせて、うんぬんというのはええな(いらんな)。世間話でええんさ。会って話をする、それでええんさな」と彼は言った。僕も賛同した。酒を酌み交わし。話をするといういのは、気を許して、互いに友好を保存してくようなもので、そこに岡田さんがいるというだけで、それでよいのだ、と思う。好奇心をくすぐられる話も聞ける。僕も相手の好奇心をくすぐれる話が提供できればいいのだが、とそのくらいの心構えはもっておこうと思う。

 無性に人と話がしたいというときがある。そのときは誰でもよいというのでもない。そこに何か刺戟のようなものがほしい。贅沢な物言いかもしれない。しかしそう思う。最低の礼節は必要である。吐きたいだけ吐いてそれで帰るというのはいけない。

 岡田さんは現在剣道七段である。八段に挑戦している。八段は剣道界では最高位である。僕はそれを常日頃羨ましいと思っている。
 この世界で自分なりの修行を積んできたのだ。最高位になればまた心境の変化もあるかもしれない。今は八段をとるための心境や身体つくりをしている。確かに20年前と言葉も違ってきているように思える。

 よく時代劇で凄腕の老人剣豪がでてくる。剣客商売の「秋山小兵衛」もそうだが、藤沢周平の剣豪ものにもでてくる。だいたいが飄々としているか、厳しく独りで暮らしているかという風である。岡田さんはまだ若いがこれからどんな風になっていくのだろう。僕もこれからどんな風になっていくのだろう。決してこれだけはやらない。それはあたりの風に流されること。あたりの風に巻き込まれること。これだけは注意したい。たった一人で屹立していたい。あるいは逃げたい。
 で、気分よく帰宅したのだった。こういう酒は次の日、身体に悪く影響しない。