25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

楯ケ崎から新宮へ

2017年04月30日 | 旅行

 楯ケ崎に若葉の島見に行った。毎年の行事のようにんsっている。眼前の山をいていて、同い年くらいの夫婦と、なんとなく、会話を交わした。和歌山市からきて、熊野から先はいったことがないということだった。

 「神武軍は和歌山から灰って生駒辺りで負けたんですな。それでこっちにまわった。それで奈良方面にむかったのですな」

 ぼくは、「有馬辺りに相当長く滞在したと思いますよ。花の窟があるでしょ。あれはイザナギを祀っています。鎮魂とか除霊とかのために神社にした。結構地元住民は殺されたんじゃないでしょうか」と言う。

「そうかもしれませんな。女陰(ホト)を焼いて死んだもでしたか。それにしても美しいですね。桜は女ですが、この青葉は男ですな」

 と言ってなにやらつぶやいた。

 眺むれば 円の縁あり 熊野灘

「季語がありませんね」

「そうですな。 無季語です。いいんです。ときに俳句、ときに川柳、中上健次の小説の新宮ものは読みましたな。」

千年の愉楽、が最高傑作ですね。ぼくはそう思います

、ほらあそこが二木島ですよ」

「中上は本島はナカウエだったんですってね。土建の息子」

 いろいとろなことを知っいる人だ。もうしばらく話をして彼らは尾鷲方面に向かった。僕らは新宮方面である。

 さて、新宮まできて、書店で「ヤタガラスの正体」

という本を買った。ヤタガラスの三本足は、宇井、衛本

鈴木だという言い伝えがあるので、そのあたりもたしかめたいと思ったもだった。


 

 

 

 

 

 

 


ミュージックステーション

2017年04月28日 | 音楽

 今日の「ミュージックステーション」は、見て得をした。矢野顕子と上原ゆかりが矢野の「ラーメン食べたい」を即興演奏した。見事だった。次には椎名林檎とトータス松本のコラボがあり、ギンザ6のオープニングソングを披露した。歌詞が面白いだけでなく、ダンスも音もゴージャスで洗練されていた。彼女のグループだったら、東京オリンピックの演出も可能ではないかと思えた。

 音楽番組はこのミュージックステーションが最新のものを伝えている。どういうわけかNHKは懐メロか演歌ばかりである。ときどき「Songs」でだれかに焦点をあててるだけだ。BSは懐メロと昭和の歌謡曲ばっかりだ。

 なんだかテレビで流行というものがわからないようになった。朝のドラマも平成にはいってからのものがない。情報番組は、小池、豊洲、石原、都議会、森友学園、トランプ、北朝鮮と続いている。

 というわけで、今日の矢野顕子と椎名林檎は良かった。

 


放っておくのがいいのではないか

2017年04月24日 | 社会・経済・政治

 放っておけばよいものを、と北朝鮮問題やイラク、シリア、リビア問題については思う。介入するから、大国がちょっかいだしてくる。

 北朝鮮が核の一発でも撃てばそれは自殺行為であることは明白である。放っておけないのなら、安倍首相が北朝鮮を訪問するのがよいと思うが無理なことなのだろうか。

 フランスはどうやら極右の台頭は抑えられそうである。

 すっかりテレビニュースはこの北朝鮮とフランス問題になり、森友学園問題が扱われないようになった。国会では共産党が財務省の新しい資料が出てきて

 理財局長が嘘の答弁していたことがあきらかになりつつある。モーニングバードがこれを扱っていたが、他の情報番組では扱わない。

 せっかく政府筋や安倍昭恵夫人らの応援があったもにみずからの不正ですべて水に流れてしまったという物語をずっと見てきた。不良消化の物語に第2部の完結編があるのだろうか。



黄緑

2017年04月22日 | 日記

 マクドナルドの窓から天狗倉山の東側の全体が見える。檜林が多くて、年中深緑だったのが、黄緑も増え、雑木林が圧倒的多さになっている。よい山になりつつある。今は町のそこかしこに鮮やかな黄緑色の葉が繁っているが、じきに緑色になる。夏がすぎると、だんだんと茶色に変わっていく。

 

 尾鷲に居続けて本当によかったな、と思うのはそんな若葉を見る時だ。釣り場も、磯も近い。家の周囲には銀行、病院、魚屋、干物屋、ミニスーパー、ガソリンスタンド、自転車屋、喫茶店からカラオケスナックまである。とにかくコンパクトにまとまっている。人口は減少の一途をたどるが、無料高速道路のおかげで、名古屋方面にも神宮方面、京都方面へも近くなった。

 尾鷲がそのまま津市の隣にでもあれば、理想郷だろうと思うが、そういうわけにはいかず、仕事場がないことが一番の問題である。これをなんとかしないと、20代、30代、40代という支え手がいなくなる。

 ぼくにはよい町なのだが若者には職場がないというのは酷なことだ。ぼくは仕事は自分でつくればいい、と思っている。みなそんなわけにもいかないのだろう。

 チャンポコを採る時期がきた。鰹も旨い。大根の菜っ葉も、からし菜も旨い。筍の香りは元気づく。一番よい季節である。


未来を見据える人

2017年04月21日 | 文学 思想

 でっかい牡丹の花が咲いて感動した。手のひらのサイズはある。石楠花にも驚いたが、牡丹の大きさと華やかさには参った、という感じである。

 俄然、奈良の長谷寺へ行こうと思った。今月の末あたりが最盛期だと思う。奈良は隣の県なのに遠く感じる。

 現在の天皇はもしかしたら、中臣鎌足と中大兄皇子(のちの天智天皇)が蘇我入鹿を倒さなければ、蘇我入鹿が大王になっていたかもしれない。古事記や日本書記は天武や持統天皇あたりの頃に編纂されたものだから、入鹿の実像はわからないが研究は進んでいる。

 当時日本は朝鮮半島の一部を持ち、任那を手離してからも百済とは関係が良好であった。そこへ唐が介入してきた。日本、倭の国は相当な危機であった。入鹿は唐に留学していた男である。中央集権化を急ぎ過ぎたのかも知れない。入鹿は殺され、中大兄皇子と中臣鎌足が権力を握った。ところが朝鮮では白村江の戦いに敗れ、撤退することになる。のち天智天皇死後、壬申の乱が起こる。天武天皇の誕生である。一説によると、大海人皇子(のちの天武)軍の剣は相当強度が高かったようだ。

  思えばこの頃の日本は九州を中心として弧を描く文化圏、経済圏だったような気がする。

 常に朝鮮とは無意識のように奥のところで、地政学的にも、濃密な関係なのだ。背後にいつも、唐や中華人民共和国がいる。先進国から学ぶ、倣うは、昔も今も同じだ。また留学生が活躍するのも明治期と同じである。

 入鹿は性急過ぎたのだろうか。先進的に思いつく人がいて、その人が事をな成せず、十年も、二十年も、いや三十年、五十年経ってから実現化することがある。

 ゴッホとて、若仲とて同じだ。人間社会とはこんなものなのだろうか。今生きる人に、未来を見据えている人が絶対にいる。そう思う。

 


C型肝炎のこと

2017年04月18日 | 社会・経済・政治

 手術時の止血剤使用によってC型肝炎になり、三十年後に肝臓癌で死亡した知り合いがいる。昨年亡くなったと聞き、ちょっと賠償問題を調べてみた。

 ミドリ十字の止血剤は尾鷲総合病院でも、個人医のいくつかでも納入されていた。しかし、30年前の手術を行った医院はすでに廃業、カルテも保存していないということだった。医師はまだ存命である。次に、C型肝炎だと診断した別の病院も廃業。どの医師は死亡していた。最後の病院三重大学のカルテで、C型肝炎から肝臓癌になったことはカルテからわかることだろう。

 つまり、止血剤を確かに使ったという証拠さえ手に入れることができたら、三十年も苦しみの怨念を主張することができる。死んだ彼女は存命中に、いろいろと訴訟もための腸さをしたようだった。

 今はC型肝炎弁護団も結成されており、裁判費用や着手金も不要になったが、素人のものが調査することには限界もあったのだろう。

 もう一度やってみるか、と娘に叔母から聞いてもらうことにした。彼女はさんざんやってハードルのたかいことに今はづっかり諦めている。二度、三度と電話ください。をしたが、これまでの努力があまりにも徒労だったえいか、そんなに簡単なことではない、と言い、また、打合せだ、裁判だとできない。このままでもうよい、ということだった。

 C型肝炎事故は製薬会社とそれを認めた国の過失サツジンである。

 カルテがないおいうのは本当か。カルテに代わるものはないか。保険請求される側になにか記録はないか。薬局にないか。医師は証言してくれるか。頭のなかにいろいろ浮かぶが相続人本人の意思によるのだから、ぼくにはなんともできない。きっと道はあるはずだ、と思う。

 今後のためにはカルテを保存しておく期間を伸ばす義務を負うようにしなければならないと思う。証明できない限り国の保証制度適用も難しい。なんともやるせないことだ。

 


のんびりした日常

2017年04月18日 | 日記

 今こそ、日本政府が北朝鮮に行き、アメリカとの話し合い仲介をし、一挙に拉致被害者の解放も成し遂げることができたら大成果である。しかしこのような動きがないのはどうしてなのだろう。日本が一番有力な立場にいると思うのだが。

 こんな事件んで一番やってはいけないのは「煽る」ことと「熱狂」することである。先の戦争の最も重要な反省点である。

 尾鷲に原発も米軍基地もないせいか、戦争危機の実感はなく、昨夜は岡田さんと久しぶりに、メンコ鯛やら、ヒラマサを食べて、飲んだのであった。彼は「新説 明治維新」という本をもってきてくれた。イギリスのアジア戦略もひどいものだ。

 今日は石楠花(しゃくなげ)が満開となり、明日には牡丹が咲くように思える。庭で煙草を吸いながらぼんやりと、楽しみにみていると気持ちがよい。写真を撮って娘に送った。

 最近また腹周りが増えて、ショックだった。ズボンがはいらない。もっと歩くのを増やしてみるか。ジムでもあればよいのにと思うが尾鷲にあるのかどうかぼくはしらない。

 このようにのんびりしている。そろそろ磯遊びの時期でもある。新しいカサゴの巣も見つけたい。


照葉樹林地域

2017年04月17日 | 日記

 もうすぐ青葉の季節がやってくる。山はモクモクと緑の雲のように萌え始める。家の木蓮は今黄緑色の葉に変わり、ハナミズキも緑の葉の上に白い花が浮かぶのはもうすぐだ。この季節が待ち遠しく、今年も楯ゲ崎を歩こうと思っている。照葉樹林の森林浴である。元気が出てくる。そして、いつも樹木お名前を知りたいと思うが、この2、3年で多少は知るようになった。写真図鑑のおかげである。

 東京の駒込にある六義園では、すべての樹木に名札があった。これには喜んだ。旧古河邸ではすべての薔薇に名前と写真がそばについていた。気が利く人たちがいるもだ。楯ゲ崎の周遊歩道コースでは一部、名札がある。ある時期に実行したのだろう。それがほんの一部で終わってしまった感がある。全部までいかなかったのだろう。残念なことだ。

 照葉樹林がこの地域の自然原生林であり、決して杉や桧ではない。これらの人工植林は花粉を撒き散らし、人々に花粉症で悩ませる。集団賠償訴訟をしてもよさそうなものだが、日本人はおとなしい。ここ三十年で森林の様子もずいぶん変わったように思う。桧を伐採したあとの山をみていると、自然に照葉樹が生えてきている。あえて植林しているのか、自然に、そうなっているのかわからないが、好ましいことだ。

 人工植林の山々を見て、若いエコロジカルな音楽グループが、「こんな素敵な森林の中で演奏ができるなんて、大変嬉しいことです」などと言っていて、苦笑いしたことがあった。

 川から海に注ぐ水は豊穣な海を作りだす。桧のような細菌を殺すような樹木の山をながれるような川では河口に魚は集まらない。

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 尾鷲市曽根貸別荘

 12人まで利用可能です。全面は海。現在、桜が終わりまして、ドウダンツツジ、卯の花、コブシ、ツバキ、ツツジ、木瓜の花が見時です。前の海で魚釣りも楽しめます。ご家族、グループでご利用ください。

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熊本城復興

2017年04月16日 | 社会・経済・政治

 今年も、昨日が初登場。ぼくがバリ島から帰った時、スーツケースから飛び出て0きたヤモリである。もう7、8年前のことだと思う。その後、子供も生まれて3匹いる。硝子戸にピタッと可愛い五本指を吸い付けている。

 こちら側かたトントンしても身動きしない。栄養もいいのか大きくなっている。愛着感が湧いてくる。たぶん冬眠していたのだろう。この陽気で目覚めた。丁度尾鷲桜が満開を終えた日であった。

 こういう出来事いはつい嬉しさを感じる。

 テレビでは熊本城の再建を報じている。ぼくは熊本の人々のことがすべて済んでから再建にとりかかるべきだとおもう。再建の象徴として600億円使えるのなら、市民、町民生活復興が先だろう。そう思うが「熊本城」にテレビ局は焦点をあてたがる。それを、私らの復興が先だと言える人もいなければ、そう思うディレクターもいない。優先は城ではない。益城間違いないや熊本市民の復興が優先である。


財務省、データ復元は当然だろう

2017年04月15日 | 社会・経済・政治

 歴史上の反省から、財務省が森友学園とのやりとりしたをのデータを復元できるのに出さないというのは由々しき問題である。国民の財産が、隠蔽されて売られることになる。

 このようなことが大きな間違いに繋がっていくことがある。アメリカへの宣戦布告が一時間遅れたというのも、同質の問題であろうかと思える。

 血液型がどうだの、霊気がどうだの、スピリチュアル系の安倍昭恵夫人。多くの日本人も女性を代表している。エステを教えている時、じつにどういう人が多かった。信じ込んでいる。そして訊いてみればさしたる根拠もない。論理的思考や科学的思考ができない人におおいものだ。つまり何かから、だれかから感染しているのだと思う。そうおもわなければやってられない事情といのもあるだろう。

  イエスの方舟事件で、家を出、親から離れ、集団で聖書を読んで暮らすということに何が悪いとであろう。

 千石イエスが逝去してからも彼女たちは働き、歌を歌い、聖書を勉強し、こころの平安を得ている。

 昭恵夫人もいいことをしていると信じていたことだろう。自分が権力を背負う一員であること気がつかなかったのか、憲法、教育基本法に反する教育勅語を暗誦する園児たちにすなおに感動する彼女は、相当勉強し、考えて来なかったのだろう。

 この問題を切り捨てる政権ならばろくなものでもない。ここは徹底でぃて暴かなければならない。近衛文麿首相が外務大臣の松岡洋右を忖たくして、米国との会談を延期した。戦争をさける最後もチャンスであった。

  日中戦争から太平洋戦争の終結まで310万人の命が、餓死や病気、爆弾や銃弾で死んだ。人間を犬以下に扱いおおくの人命を奪う。学校ではなぜ戦争に至ったかは教えない。

  この点では政治透明化を謳う小池百合子知事はりぱなものである。透明化さえなされれば、それはもうすでに東京大改革であるとぼくは思う。

 こういう批判をいつまでやっておれるのか、共謀罪成立が気にかかる。

 一気に戦争のムードになってきたら、日本人はどうするのだろう。マスコミはどう動くのだろう。特に今回はテレビだ。

 今は北朝鮮問題一色のニュース。森友問題、防衛省問題が忘れられたら困る。

 データを復元させ、データは抹消できないようにすればよい。

 どうなっているんだ。正直に包み隠さず言えるインテリはいないのか。情けない。


クチナシ

2017年04月14日 | 社会・経済・政治

 なぜ米英と戦争することになったのか。簡潔に書きたい。

1. 天皇陛下は天皇でもあり、統帥権の大将という二重構造の制度であった。

2.軍の幹部は中国、ソ連、米英にも好戦的であった。

3.軍部を大臣にいれる、でないと内閣は成立しない、という制度を作ってしまった。

4. 米英との戦争を回避する機会はなんどもあったのに、藤原氏最後の首相近衛文麿は愚かだった。あるいは松岡外務大臣に気を使い、気が弱かった。

5. マスコミが満州事変以後、国民を戦争へと煽った。

6. 国民は煽動に乗った。

7. 軍部の暴走を内閣も天皇も制御できなかった。

8. 首相、軍部も天皇にいい加減なことをいい、ごまかした。

9. 天皇はもう一歩踏み込んで、首相、外務大臣、陸軍、海軍大臣を叱責し、怒るり、抑止できる機会があったのに、踏み込めなかった。しかし天皇は一貫して戦争反対だった。

10.内閣、軍部の暗号情報はアメリカに読まれていた。

11.軍部の戦争分析が甘く、精神論を持ち出す始末であった。

12.ヒトラーのドイツを信じた。

13. ソ連を甘く見た。

 まだまだあることだろう。回避できるときにしない。エリートは庶民を見下している。また庶民には必ず体制を支持する人がいる。太平洋戦争以降、戦争は国民総動員となり、その反省から遠くから打撃を加えるという戦術に変わっている。その点では核兵器、弾道ミサイルは現代の最大の武器であるが、被害は超甚大である。

 先進国の軍人は精神戦では脆弱性がある。病みやすい。

 今日はクチナシを植えた。6月か7月に白い花が咲くことを楽しみにしている。


理想の社会とは

2017年04月11日 | 社会・経済・政治

 政権というのはコロコロと替わった方がよいように思える。長期、一強の政権下ではコネ、忖度がまかり通るようになる。

 僕が思う理想の社会を述べてみる。

 都会で暮らす人の職場には、美味しい社員食堂があり、運動ができるフィトネス空間がある。保育園もある。寛げる場所もある。仕事の時間は自分で決めることができる。しかも、残業はない。

 地方の尾鷲のようなところでは、敷地が大きくとれて、果樹や野菜を育てることもできるように一家族あたりの土地の面積を最低限百坪にする。または耕作放棄地を無償で定期借地できる。

 老人の住まいは駅前あたりで、安い高層マンションを提供する。一人住まいを希望する老人はネットワークで繋げる。科学分野にお金を使う。

 介護施設では個人の過去と現在が尊厳される。病院では施設側の都合のよいルールに患者が合わせるのではなく、患者側の立場からルールを作る。

 地方の町では停留所のない、どこからでも、市内のどこへでもいくミニバスがひっきりなしに走っている。

 まあ、こんな風なことが実現したら、相当理想社会だと思う。今、幸福度の高い国は北欧三国である。人口が少ないから実現できるのだろう。団塊世代が退場していったら、急激に日本の人口も減る。減ることで生産力が落ちると考えるよりも、減ることで付加価値製品がつくれたり、食料自給率も上がることだろう。

 こんなことを思い描いていると、やはり日本の借金が気にかかる。借金で国家経営が成り立っているのであれば、やがて、破綻がくる。夢もヘチマもない。

 

 

 

 

 

 


戦争を無化する技術もしくは観念

2017年04月10日 | 文学 思想

 今日は雨。それに冷える。京都は今日ぐらいから桜が満開だという。新しい小説を書き始めて、一週間。といっても土曜と日曜は休むので、5日間。今日で六日目である。一応は新人賞応募をしようと思っている。一日に2時間、今日は3時間。できたら、引き締まった小説を書きたい。引き締まったということは脂身とか飾りが少ないことを言っている。才能があるのに、ないと思っている女と才能がないのにあると思っている男が巡り会う話である。

 前に進んで読んでもらえる配慮は必要である。小説の書き方も一度プロに校正してもらってから、それがとても役立ち、少々は進歩したように思う。東京の同人誌にも入った。友人の誘いであった。

 どうも文というのは寝かせる必要があって、2、3時間くらい書くのがちょうどよい。次の日までに、前に書いたことをなんども思い起こし、書ききれてないとか、つじつまが合わないとか、不要だ、くどい、とかいうことが一晩寝かせるとわかってくる。

 ブログは思いついたことを書くだけで、そこに工夫のひとつでもしてみようかという意思はないから、その点では小説と違う。

 太平洋戦争終結までの本を3人の視点から書いたものを3冊読み、今、また世界史の本を読んでいる。受験で世界史を勉強し、大人になってからも何度か読んだが、この記憶力の悪さにあきれながら、また読んでいる。世界現代史も際どい危ないところにある。人類は戦争を克服できない。

 かたや、iPS細胞に代わる幹細胞が発見、実験されている。エネルギーの技術もどんどん向上している。戦争というものを無化する技術はできないものか。そんな専門の科学分野があっていいと思う。無化の観念さえまだ人類の共通になっていない。こうなれば科学だと思ったりする。たぶん、だれかやっている。

 


春を満喫

2017年04月09日 | 日記

 今年初めてのガシ(カサゴ)釣り。また穴に新生活を始めたガシがいることだろうと昼ご飯を食べてからふぇかけた。車で6分。ぼくの穴場スポットである。今日食べる分だけと生意気にも思いながら、竿をだす。早々と型のよい手のひらサイズのガシが釣れたので、おお、今日は爆釣りかと一瞬思ったのだった、ところが根掛かりがあり、でっかいウツボを釣ってしまい、ウツボは美味しいが今日は要らんと思って、格闘を止めて、糸を切った。それから三匹のガシ。四匹あれば上等だと思い、納竿。周囲の桜は満開であった。ダイビングの人たちが大勢いいる。

 今年の遅い桜が高校生の頃の思い出なので、やはり、桜は四月だと思う。

 庭の桃の花が散り始め、レンギョウもすでに散った。今は牡丹、石楠花、芍薬を楽しみにしている。老いた木瓜の花はポツポツと咲いているが花の向きがうつむき加減なので、これは育てる経験者に聞かねばならない。

 陽を浴びるとくたびれるが春の小時間を満喫した。

 


とにかく合法性

2017年04月06日 | 社会・経済・政治

  安倍昭恵の親切な計らいで小学校建設完了直前までこぎつけたのに、一市会議員の情報公開請求で、森友学園の不正があきらかになってきた。いくら計らってもらっても、三種の請求書を作っていたり、助成金で残額の建設費を払うと言ったり、幼稚園の不正助成金があったりしたのでは、計らいの甲斐もないというものだ。森友学園は現代の手続き適正社会をなめていたのである。

 普通、人は節税対策もする。違法スレスレのこともする。しかしそれは政治家やその夫人や官僚を巻き込むものではない。

 この点で籠池は梯子を外されたというが、「自分で梯子が落ちた」という国会議員の言ったことは的を得ている。無理をし過ぎたことは反省していることだろう。校舎も、自宅も仮り差し押さえされたのだから、当然破綻となるのだろう。

 暗黙のルールを破ると、陽の当たる場所ではどうにも助けようがないという社会が出来上がっている。緩い社会というのはすでに終わっているのだ。知恵を使って合法的にやる。例えば役人が天下り法人を作るようにである。

 いよいよ検察捜査となってきた。どこまでやるのか、やれるのか、注視したいところだ。