楯ケ崎に若葉の島見に行った。毎年の行事のようにんsっている。眼前の山をいていて、同い年くらいの夫婦と、なんとなく、会話を交わした。和歌山市からきて、熊野から先はいったことがないということだった。
「神武軍は和歌山から灰って生駒辺りで負けたんですな。それでこっちにまわった。それで奈良方面にむかったのですな」
ぼくは、「有馬辺りに相当長く滞在したと思いますよ。花の窟があるでしょ。あれはイザナギを祀っています。鎮魂とか除霊とかのために神社にした。結構地元住民は殺されたんじゃないでしょうか」と言う。
「そうかもしれませんな。女陰(ホト)を焼いて死んだもでしたか。それにしても美しいですね。桜は女ですが、この青葉は男ですな」
と言ってなにやらつぶやいた。
眺むれば 円の縁あり 熊野灘
「季語がありませんね」
「そうですな。 無季語です。いいんです。ときに俳句、ときに川柳、中上健次の小説の新宮ものは読みましたな。」
「千年の愉楽、が最高傑作ですね。ぼくはそう思います
、ほらあそこが二木島ですよ」
「中上は本島はナカウエだったんですってね。土建の息子」
いろいとろなことを知っいる人だ。もうしばらく話をして彼らは尾鷲方面に向かった。僕らは新宮方面である。
さて、新宮まできて、書店で「ヤタガラスの正体」
という本を買った。ヤタガラスの三本足は、宇井、衛本
鈴木だという言い伝えがあるので、そのあたりもたしかめたいと思ったもだった。
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