25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

謹賀新年

2016年12月31日 | ごあいさつ

 謹賀新年

 

 2017年の元旦は雲ひとつない空でした。

 波乱含みの年になりそうですが、ささやかに暮らしている人々に権力による不幸が来ませんように。

 難民の人々が故郷に帰れますように。

 木瓜、牡丹、万作、芍薬が咲きますように。

 みなさんが健やかでありますように。

 あとは自分の意志で成長したいと考えています。

 本年もよろしくお願いいたします。

 


今年思ったことしめくくり

2016年12月31日 | 日記

今年強く思ったことを、箇条書きにしてみる。

1  津波対策は逃げればよい。堤防を高くする必要もない。壊れた家を建ててあげるほうが経済効果があり、有効である。

2  人間の歴史の主人公は権力者ではない。発明という失敗と成功の繰り返しを行う市井のひとの積み重ねと拡散による。

3  女性政治家小池百合子によって男性政治家の中にはいかに幼稚なものが多いかよくわかった。

4  トランプ新大統領の出方によるが、イラン、イスラエル、サウジアラビア、トルコなどの戦争がおこりかねない。

5  公共工事を増やすと、ひくにひけないメンテナンス料が増えていく。

6  プログラミングを早く学校科目にしなければならない。

7  大学制度改革に着手するべきだ

   受験工学が発達し、片寄った、お金のあるものだけが、東大などの有名大学に入れるというのはおかしな話だ。しかも世界では東大のランキングは低い。

8  将来への貯蓄意識が強い昨今。同時に買うべきものがほとんどないから消費力は上がらない。

9  2045ー50年の頃に社会を牽引する人はいまの0歳児から10歳児である。よくよく教育のあり方を考えなければならない。

10 共産党は党名を変えたほうがよい。

11 小沢一郎に最後のもうひと働きを期待する。

12 日本は中国、韓国に謝罪をし、それを最終謝罪とするべきだ。

13 日本は対米従属をやめ、どの国とも等位に外交をすればよい。

14 尖閣の海に埋蔵量している資源は中国と分けあえばよい。

 こんな風に列挙してみると、関心事がよくわかる。2017年後半から2018年の世界はどう乗り越えていくか。ブッシュ、つまりアメリカがこの混迷の時代を作ってしまった。当時イラクを攻撃すれば、カオスになってしまうと考える人も多かった。小泉純一郎元首相も安易、軽率であった。EUがバラバラになってしまうことは歴史が戻ってしまうことになる。 

 年末。個人的には新しいことに挑戦した年だった。来年も頑張るぞ。

 


今年の後半

2016年12月28日 | 日記

 今年の後半のワイドショーは小池新都知事一色であった。いかに、石原、猪瀬、桝添、都議会の自民党議員の男たちが幼稚な馴れ合いでやってきたかを日本国中にさらけだすことになった。女性の政治家がやっと出てきたという印象をもった。

 本当はオリンピックなどやっている場合ではない、ということは普通の国民なら知っているはずである。

 安倍首相は真珠湾にいき、オバマ大統領とともに、和解力をアピールした。実質的には謝罪したのだろうが、中郷や朝鮮はどんな風にみているのだろうと思う、なぜ、かの地を訪れ謝罪しないのかぼくにはわからない。どこかから圧力でもあるのだろうか。過去の侵略を謝って関係をよりよくする方がよいと思う。満州事変や真珠湾攻撃に非がないと100%言えない。

 どちらも仕掛けたのである。ぼくは天皇に行ってもらいたいくらいに思っている。

 昭和天皇も今上天皇も靖国神社には参拝しない。今上天皇は全国の被災地などを訪れ人々を励まし、また夫婦が仲良く手をとりあっている姿をほほえましく国民の前で「象徴たるは何か」を模索し続け、象徴天皇のあるべき姿を具体的に示した。そして国民の多くは今上天皇を好ましく思っている。

 天皇も年老いた。退位したいという心情も述べた。次現在の皇太子が天皇になれば、象徴の役割を強く引き継ぐだろう。雅子妃の病気も気にかかる。靖国神社参拝もやはり行わないであろう。靖国には殺す権力をもったもんと、殺された側の人々がいる。

 話は飛躍するが、稲田防衛大臣は自ら前線に出て自衛隊員を指揮者となって行くというのなら、彼女は康邦神社に神となってもよいと思う。大臣室に座って、権力だけを持ってさはいするなどというのは、切腹ものである。戦争を決めるものは「死」に値すると覚悟を決めなければならない。

 

 


決心する

2016年12月27日 | 日記

 もう年の瀬の頃、歯医者さんも明日くらいで休みとなるだろう。歯がグラグラして半年経つが、昨日腹が立ってきて、自分で引っこ抜いてやろうと激痛を我慢して二度試みた。失敗であった。

 翌日、歯医者にいくか、止めておくか、決めかねた。正月、こどもたちも帰ってくる。美味しいものも食べたい。ええい、と抜いてもらおう、と歯医者い9さんに行った。これが案外痛かった。終わってからも痛かった。かの有名なロキソニンを処方してくれた。必ず5時間間隔をおいてください、と事務員が言った。

 血止めだと脱脂綿のようなものをいれられ、噛んだ状態で一時間いてください。痛みが止まらないようであれば、明日もやっていますから、と医者は言った。

 歯の治療ももう少し簡単にいかないものだろうか。1本無くなっていくたびに、死に近づいていくような気がする。いっそのこと全部歯を一度で抜けて、一度にインプラントでも新しい何かでも一度にポンと植え替えられないものだろうか。歯の種のようなものでもよいのだが、もう一度歯が生えてくるとか。

 こういうことと多くの老人は格闘してきた。何事もないかのように入れ歯をしているが、何度も困ったおとだと思ったことだろう。

 なんとも気分が落ち込む1時間だったが、痛みもとれると、すっかりなんともなかったように買い物をし、本などを読んでいる。あっ、そうだ今週の「サンデー毎日」を買わなくちゃ。「ドアホノミクス」の特集である。

 この前読んだ「アホノミクスに備えろ」という本の中で地方銀行が危ない、と言っていた。すると本当に昨日尾鷲の中京銀行が来年3月で閉鎖されると聞いた。早速今度はどこか、と人は噂している。市場しか向いていない現政府。いずれにしろ、日本の破綻は必ず起きる。起きるはずがないと能天気でいると、スーパーインフレが起きるか、統制経済が起きる。1000万円以上の貯金は国債に回される。だから今、金庫が大売れだという。歯の話と全く関係ないが。


セラピスト

2016年12月24日 | 日記

 50年後に残る職業として「セラピスト」がランキング4位に挙げられていた。「第4次産業革命(世界経済フォーラム ダボス会議」の発表である、セラピストとは直訳すれば「こころを癒す人」である。やっかいな概念である。さっそくいろんなセラピストが現れている。マニーセラピスト、ボディセラピスト、スピリチュアルセラピスト等々。身体とこころはおそらく一体化しているから、胡散臭いものも、科学的な根拠のないものも、科学などはもともとすべては明らかにできないんだ、と考える人この分野参入してくる。美容セラピスト、健康セラピスト、認知療法セラピスト、乳幼児セラピスト、働く女性のためのセラピスト、カラーセラピー、フラワーセラピー、ストーンセラピー、ミュージクセラピー、アニマルセラピー、考えだせばきりがない。

 AIやIotによって人間の下部労働は開放されるように思えるが、そうであるならセラピストも必要がなくなるのではないかと思ってしまう。ところがそうではないらしい。人間と人間の関係の問題は宗教が発生したときからの問題で、どうやら、第四次産業革命があっても、解決することはないと読んでいるのかもしれない。

 それでは宗教が隆盛するのだろうか。豊かに過ごすことができれば、宗教も基盤をもたなくなるが、人間の知性がこころと身体のバランスがとれれば、隆盛はないようなきがす。セラピーは病院や科学と日常の間で、ちょっとした慰みを提供するようになる気がする。

 人生は楽しいこともあれば、辛いことも多いのだ。

 



 


ラストレシピなど

2016年12月23日 | 文学 思想

 本屋にいくと、つい、タイトルで、本を買ってしまう。「アホノミクス完全崩壊に備えよ(浜矩子 角川新書」、「エコと健康の情報は間違いがいっぱい(武田邦彦 廣済堂新書)」を手に取り、その隣に三島由紀夫の「美しい星」があり、またその隣に平積みで、田中経一の「ラストレシピ」が目に入り、わずか1分ほどで4冊を買ってしまったのだった。勘というよりもこれは衝動である。

 そしてすでに3冊は読み、「美しい星」はこれからである。

   「ラストレシピ」は「満漢全席」に対抗して、それを越える「大日本帝国食菜全席」を作った男と埋もれてしまったそのレシピを探すストーリーである。204種の新作料理を春夏秋冬に分けて作る男が残したレシピをさがしだす一種のミステリー小説であり、料理小説でもある。ところが随所にでてくる料理でおいしそうなものがないもはどうしたことだろう。作者は「料理の鉄人」というテレビ番組を手掛けた人である。ところが料理の味の想像よりも、ストーリーを追っていくことのほうが面白くて特急で読んでしまった。感じとしては漫画をひとつ読んだ、というものだった。深くずーんと来ず、文に美しさがあるでもなく、不可解な言葉や、唸ってしまう言葉があるわけではない。

 今の時代を象徴しているといえば言えるものだが。その点では、「スクラップ&ビルド」のほうが若者とお祖父さんの関係をめぐった小説はさすが「芥川賞」だと思った。

 「ラストレシピ」の作者もエンターテイメントとして書いているだけで、自己表出をいかにするかとは思っていないのだろう。

 ところで、今年の大収穫は、Steven Johnsonの「世界をつくった6つの革命の物語」であった。

 僕は、ガラス、氷、音、光、清潔、時間という視点から歴史を見ることに驚いた。正直、目からウロコが落ちる思いだった。歴史教科書がいかにひとつの視点にすぎないこともよくわかった。名も無き人の偶然や無謀な振る舞いや挑戦が積み立てられて、あるときに、歴史の面を作っていく。

 今年も残り少なくなった。毎日、牡丹と芍薬と、木瓜と万作の成長具合を見ている。

 さて三島由起夫の近未来小説である、と思っていたら、今日また本屋で、「痛みが消えるソルフェジオ周波数 CD ブック」というのがあって、ホントかよ、と思い、購入し、三島の前にこれを読み、聴くのである。

 

 


ウィスキー「山崎」

2016年12月22日 | 日記

 サントリーの「山崎」が久しぶりに尾鷲イオンに3本入った。それを目にして、持ち合わせのお金がなかったので、翌日に買おうと気楽に、楽しみに明ける日を待った。同じ夕方の時刻、ワクワクしてウィスキーの棚にいくと、その3本がない。売り切れなのだ。レジで男性店員に、また取り寄せてほしい、と頼むと、ヘラヘラ笑って要領を得ない。ガックリして、駐車場のある北側の玄関辺りで、レジの店員より年配男性スタッフがいたので、また同じことを頼むと、「予約できますから。名前と電話番号をサービスカウンター言ってください」 と明快に答えてくれた。

 その日はまた明日予約をすればええわ、と思い、予約をせず家に帰った。

 翌日津へ行く用事があって、ついでに津の松菱デパートに寄った。デパートならあるだろう、と思ったのだった。ところが松菱にはウィスキーが3本、しかも、角、ニッカクリアがあるのみである。これがデパートか、とあきれて、イオンに行ってみた。あるある、ここには相当数のウィスキーの種類がある。尾鷲2倍の種類がある。「山崎」はあるだろうと急いで棚を見ると、「山崎」の空き箱があるだけである。そして貼り紙があった。「恐れ入りますがお一人様1本しか買えません」と書いてある。そうだ、このことを尾鷲のイオンの人にも言おうと思ったのだった。一人1本にしてくれと。

 また翌日尾鷲のイオンのサービスカウンターに行くと、リッカーの仕入れ担当の方を呼んでくれた。事情を説明し、一人1本してほしい、というと、いくらオーダーをかけても入ってきません、という。ずっとか、と聞くと、ずっとだ、と答える。イオン全体の仕入れ数を越えたのだと言う。

 アウト。あとは専門店かネットで買うしかない。「余市」もすでに店頭から消えている。大人気の日本ウィスキー。参った、参ったである。

 

 





プログラミング学習のこと

2016年12月21日 | 社会・経済・政治

  プログラミングを学校教育の科目に入れようという意見がある。僕は賛成である。尾鷲市もやれば日本初になるからやればいいのにと思うが、尾鷲市はプログラミングができる人材を養成していないから、他所から呼ぶしかないから難しいことかもしれない。

 僕は前々から尾鷲市に「IT シンクタンク」を作っておくことを主張していた。つまり「プログラミングができる人、デザインやレアイウトができる人、そんな集団である。

 それは今ないのだから、言ってもしかたがないのだが、AIの時代が最近、急速に近づいてきているように思える。人工知能の発展は急速に人間の労働、とくにこも革命の進展は、三次産業を直撃する。

 現在、三次産業に従事するのは、全国で71%

となっている。事務方がこぞって職を失うことになってくる。プログラミングわかる人が最終的な仕事として残ると言われている。

 こんなことができるといいんだが、というアイディアはぼくのなかにもある。ところがぼくにはプログラミングの能力はないから実現できない。せいぜいパソコンを操作するくらいで、それもパソコン能力の10%も使っているのかさえも判断はできない。アプリの作り方は当然わからない。

 学校教育でやるまえに、民間の塾などでやり始めるかもしれないが、ぼくが若ければ、まずプログラミング教室を開くことだろうと思う。学校機関がやらないのであれば、だれかがやれば必ず当たる。2017年はいわばAI元年でもある。

 英語とプログラミングの論理能力は、これからを生きる若い人には必需の能力である。

 人間でしかできない仕事だけが残っていく時代に突入したのである。そしてそれか加速していく。


日露首脳会談 

2016年12月17日 | 社会・経済・政治

 にわかに北方領土のことが盛り上がってきて、急にしぼんで、また日常のニュースから消えていく。北方領土にいた元島民の人数は6641人となっていて、超高齢化している。そして今は国内で暮らしている。

 ロシアと日本間で、このような問題があるのも、戦争が原因であることは言うまでもない。

 テレビや新聞などで、誰も言わないので、ぼくが代弁者とはいわないが、この問題に興味ある人は少ないのではないか。ぼくなどは、むしろ、北方領土を放棄して、ロシア平和友好条約を締結し、仲良くやるのがいいと思う。日米同盟も見直し、どの国とも対等に付き合うのがよい。

 アメリカはいろいろと日本に注文をつけてくる。大国にはペコペコ外交、発展途上国にはお金バラまく。独自外交ができない。

 日米同盟が絶対の前提みたいな言い方を多くの識者は言う。

 領土問題で疑心暗鬼になるよりは、互いに戦争はしませんと約束したほうがいい。

 おそらくこの問題はやがて立ち消えになってしまうにちがいないと思うが、多くの人は黙っている。あと5年もすればたぶんそうなる。元島民の人にはしっかり賠償して、日本はロシアとも、アメリカとも、中国とも対等にやればよい。謝るべきことは謝ればよい。それが屈辱的なことなどと思わない。それの方が潔い。

 このぼくのような意見は少数なのだろうか。

 プーチン大統領が3時間遅刻しても笑顔で迎えることなどはやめた方がよい。待機していた地元の住民もあきれたことだろう。苦言のひとつも言った方がよい。

 戦後レジュームからの脱却と言っていたが、外交問題においてはちっとも脱却していない。まるで、アメリカとロシアが会談をやっているようだった。

 若い年齢層の人が2000時間も働いて日本の経済成長率は0.5%。1300時間ほどの労働時間であるEU経済成長率は日本の3倍強。アメリカは倍である。外交もなにか一所懸命で小馬鹿されているように、日本人んお働き過ぎの割には成長しないというのも、摩訶不思議なことである。



コンピュータの創始者

2016年12月17日 | 社会・経済・政治

 だんだんと寒くなってきて、着る衣類も多くなってきた。今年の買い物で重宝しているのが、「毛玉取り機」である。髭そり機みたいなもので、着たままで、セーターなどの毛玉が面白いほど取れる。

 これなどは小さな発明品であるが、と思ってマックで遠い空を見上げた。今この時にも、100年先の技術の基礎となるようなことを思いついてはいる人がいるのかもしれないなあ、と思ったのだった。

 ビクトリア朝時代の詩人バイロンの娘エイダは、情熱をもって、微積分学について、自分のことにも触れている。

  神経系がどこか特異なせいで、私はものに対してほかの人にはない感じ方をします。-----隠れているもの-----目や耳やふつうの感覚器官から隠れているもの-------に対する直感的な知覚です。これだけではほとんど役に立ちませんが、ほかに私には、計り知れない論理的思考能力と集中力があります。(Stevenn Johnson  世界をつくった6つの革命の物語から抜粋)

 19世紀半ば、エイダは架空の「解析機関」の設計図をえがいているチャールズ-バベッジと出会う。そして、バベッジの目的と計画のために、利用する価値があるなら、自分の頭脳はバベッジのものだ、といい放ち、二人はコンピュータの歴史を創始する。

 僕の手元に、保水性の素材をつくるレシピがある。完全な無機質である。これは日本では役立たない。砂漠がないからだ。また井戸水が豊富だからだ。

 ところが、砂漠でこれによってできる材料を使えば、砂漠を農地化することができる。重金属のでる井戸水や汚染された水もこの材料を使えば、気化した湿気から、温度差を調節することで、露から水にすることができる。つまり空中井戸が作れる。

 「出会い」はまだ訪れない。日本で実証するには難しく、砂漠でその素材の効果をみせなければならない。ぼくの生活中でまだ機は熟していないのだろう。そんなこよまで、今日の青い空をみていて思ってしまった。

 人は金のためにするだけじゃない。そうでない人もいる。自分のもてる能力を燃焼させたい。歴史はそういう人によって牽引されていく、と言っても過言ではない。



銀行の役割が終わりかかっている

2016年12月15日 | 社会・経済・政治

 ほとんど地方銀行の役割が終わりそうな雰囲気がある。安い利息、融資に怖じ気づく、といって借りてもらいたい大企業が地方にあるわけではない。手数料での収益、国債の買い入れ利息、あと何だろう。為替でもやっているのだろうか。

 債権回収会社が社会には用意されている。焦げ付けた銀からの借金はやがて債権回収会社に売られていく。相場は借金額の5%だと聞いたことがある。かりに1000万円の負債ならば、50万円で債権回収会社に渡ることになる。すると、もぢも100万円でその債権を元の借り主に売ったとしたら、50万円儲けることになる。

 先進国たるゆえんであると、こういう場合に思う。つまり、憲法の生存権にじたすら近づいているともいえるし、破産で帳消しから、再生法と、人は借金で死なずともいいようにシステム化されている。

 メガバンク3社を除いて、どうやって銀行は利益を出していくのだろうなどと思っていたら、日本人の貯金額は1400兆円っていっていたのが、1500兆円となり、1600兆円になろうとしている。

 ところが安い金利で銀行に預けて置くだけのお金が血液のごとく巡らない。やっぱり人は節約に努めているのである。消費せよ、と呼び掛けられても、頑として、節約するのである。

 石油の減産が決まった。石油の値上がりがなら始まるのだろう。石油は多くの製品に影響するから、値上げがまた始まるのだろう。それで賃金も上がればいいと思うが、輸入企業のほうが多い日本では、賃金が上げにくい。輸出企業は為替差益で儲けるだけで、国内販売はエコカーへの政府支援を続けるように、国内消費の節約の壁に阻まれ、販売数が伸びない。

 話し方は違うが、安倍首相の外交というのは、お金儲けをあげにいくことばかりである。どこかの国を訪れる。その先物で、いつもなにがしかのものを上げて帰ってくる。その度にぼくは思う。よくお金があるなあ。そのうらずけも、国民の節約したお金である。

 借金をしてまで、訪問する国にお土産屋をもっていく。これを家庭に置き換えるとずっと分かりやすく、そしてずっと滑稽な満額である。本当はないのに、あるふりして無理をしているように思えてならない。

 なにものために借金をするのか。その借金が将来のためへの投資であるということなら、いいのではないか、おいう意見があることも知っている。経済成長し、インフレになりさえすれば、借金の価値も減っていくではないか、という意見も知っている。

 国債の多くは国内で資金調達ぢているということも知っている。

 アベノミクスは肝心の賃金値上げへのエンジンになっていない、というのは大方の感想ではないか。

 世界のパラダイムが静かに目に見えないように変わり始めている。

 銀行は無人化になるのも必至だろう。

 


心情的にすぎる

2016年12月14日 | 日記

 先日、コメダのコーヒーをのみながら、いつものように、週刊誌を読んでいた。「週刊現代」「週刊ポスト」「文春」「新潮」である。

 隣の席に、若い女性と中年の女性がいて、どちらもマスクをしていたが、マスクを外し、会話が始まった。会話がときどき聞こえてくる。わかい女性は泣き始める。仕事やめたいようだ。中年も先輩は話をききながら、助言をし、辞めるのを思いとどまらせようと懸命である。

 どうやら、職種は介護の仕事で、職場での人間関係のもつれのようだ。

 いろいろあるのだろう。またこういうことはどこにでもあるこおなもだろう。

 メガバンクに勤める甥は30歳で本部にいる。彼は言っていた。同期のものが鬱病で辞めていくか、脱落していくらしい。脱落者は地方の営業にとばされる。熾烈な減点主義での出世競争なのだそうだ。

 いくら道具は便利になっても、こころというものはおそらく道具変化ほどに変わっていない。

 昨日も友人との酒の席で、韓国のデモの話題がでた。彼は違和感を感じると言った。ぼくもそう思っていたので、同感した。儒教の色濃い国で民主主義がまだ育っていないのではないか、と彼は言った。大統領になったものにまとわりついてくる親戚、友人。大統領と縁があるというだけで、人のみる目、態度が変わってくるのではないか。

 日本もさほどに民主主義が定着しているようにも思えないが、儒教が江戸期にそれほど深く浸透しなかった、というのは司馬遼太郎の意見である。

 人間の関係は心情的なものと、理知的なものがあるはずだ。もしも儒教が色濃い無意識に染まっていたら、あのコメダで泣いていた女性はどういう風に振る舞うのだろう、まら、先輩はどんな助言をするのだろう、とふと思った。行動の様式も無意識のパターンではないのか。

 僕などは、もう引退しているから、すでにそのような問題に直面することはない。嫌な奴とは会わなくてもよい。嫌な人が職場にいるということも大変なことだろうが、客観性をもって、明るく挨拶して、笑顔でやればどんな辛い人間関係も変わることだろう。最も禁物なのは心情的に過ぎることだ。おそらく韓国でのデモへの違和感は心情的に過ぎていることだと思ったからなのだろう。




無くすものと深まり、広がること

2016年12月12日 | 文学 思想

 物おぼえが悪く、うんざりしている。

 特に、外国の俳優や歌手の名前、本ででてくる外国の重要人物など、とてもじゃないがおぼえられない。関心が薄いのだろうし、結びつきがないといってもいいくらいだから、しかたないかと思って茶を濁してる。

 新しい歌をおぼえるにも時間がかかるようになった。

 高島易断の冊子が朝日新聞の年末プレゼントなのだろうカレンダーと共に入れられていた、不気味なおのである。この占いどんな根拠があるというのだろう。こういういい加減なものを情報の正確さを求められている新聞社が配るというのに違和感を感じる。毎度の伝統のことだからで済むものか。新聞紙上でも、テレビ朝日の情報番組でも取り上げてもらいたいものだが、彼らも占いをエンターテイメントとしてワイドショーの番組内で扱っている。

 ネットでは嘘情報があると言って報じているのがテレビ局、大新聞社である。

 僕は、「五黄土星」そうだ。この年回りの同級生は同じようなことが起き、同じようなことに注意をはらわなければならない。12ずつ、年が離れた人も同様である。十把一絡げである。

 まあ、娯楽のようなものだから、と笑い済ましているが、権力をもつ新聞社が、と思うと、腹立たしくもなる。

 物忘れがちはひどいが、こういうことは理解の問題でり、考え方の問題である。だから、こだわることになるのだ。いっそ、こだわりさえも記憶から消してくれたら、とても楽なことだろうが、成長はないように思う。だって、まだ使かっていない脳はいっぱいあるのだから。

 今日もスキンミルクの入ったコーヒーを飲みながら、昨日読んだ本の内容をどんどん忘れていくのである。しかし今のところ、理解し、それをべつの場面で役立てるというような能力は深まり、広がっているようには思えるのである。


情報の判断

2016年12月11日 | 文学 思想

 お恥ずかしい話だが、コーヒーに入れるスキンミルクは植物油と人工なんとかでできているということを知ってびっくりした。情報源はトランス脂肪酸発生を警告している。はた、と考える。毎日飲んでいるコーヒーにスキンミルクを入れるのを止めるか、と。でもやっぱりやめないだろう。

 あれこれと神経を使うほうがよほど体に悪いとおもっている。これはダメ、あれもダメなどといちいち気にすることは自分でつくるストレスである。ぼくは、自分で作るストレスにも良いものもあるが悪い物もあって、悪いものはとっても悪い物だと思っている。根拠はない。

 ネット情報のなかには「嘘」「迷信」もあることが話題になっている。だいたいが、新聞や雑誌、テレビのコマーシャルも、コマーシャルという名を装った嘘っぱちなものもある。誇大広告、意味深広告、回避広告だらけのような気もする。バナナダイエットがでれば、もう数年後にはバナナは糖質が多くて悪い、という。脂肪は良くないといえば、今は脂肪酸よりも糖質が悪いという。だが筋肉を維持し、ゾウキョウするにも糖質がいる。糖質を制限すれば、筋肉が減ることも知っておくべきである。 

 情報の判断というのはむずかしいものだ。確かなものなんてないような、あり得ないような気もしてくる。せいぜいできることは自分の中で吟味して、自分で濾過して、自分の言葉で書くしかないのではないか。

 

 

 


人間の保守性の断面

2016年12月10日 | 社会・経済・政治

花鳥風月 最後は石を愛でる。石の時はもう死の間近であるというお笑いネタで、さんまや女子アナたちが騒いでいた。

 あれ、おれは最近、花に惹かれ、鳥の囀りや姿を追っている。石にも妙に興味がある。月観賞はいまのところなく、潮時の知る時に使うくらいである。花鳥風月+石は老いの順番であるか、とちょっと突かれた気がした。

 最近、牡丹や芍薬を植えたのは、もう手に入れることができない若さと老いることで手に入れることができない何物かが姿を変えたものだろうか、などと思う。

 幸運な場所、時代によくもまあ生まれてきたものだと思う。不満はたらたらあるけれど、戦争にいかずにすみ、飢餓であることもない。職業も自由である。遠くにもいけるし、多様な音楽、多様な絵画、多様な趣味

多様な価値観の中で生きることができる。

 19世紀迄は飲み水から多くの人々が死んでいった。

 こんな話を知った。まだ細菌やウィルスの存在をしらあかったころの話である。

 権威ある医師たちが赤ちゃんんを取り出し、その時に死んでしまう割合と、助産婦がする場合とでは圧倒的に助産婦が出産をさせる方が、母親の死亡率が低かった。それをある研究者が発表すると、彼は誹謗中傷され、世間にも笑われた。まだ感染症というものがわからない時代である。権威ある医者は死体を触ったあとで、助産をしていた。ヨーロッパやアメリカでは水に触れることが身体に悪いことだと信じられていた。だから人々は風呂に入ら過ごし、手洗いなどすることはなかった。この研究者が塩素を水に入れることを発見することになる。

 人間というものはいかに保守的なものか、新しいものを拒否するものか。今だってそう思う。ところがその壁を突破していく人がいる。あるいは、ひとつの知見がどこかに飛び火して、化学的反応をおこし、それが保守的な人々に理解されていくという場合もある。

 ああ、そんな時代に生まれなくてよかったとつくづく思う。人間の克服衝動に期待すものであるが、あくまで人間は総体的には保守で、1%と0.1% とかが壁を破る人がいるのかもしれない。